努力は見える。

あっという間ではなく、長くもったいない1週間
であった。
普段より時間がゆっくり過ぎる。そんなこの1週間。
アウトプット控えめ、インプット多め。
明日からの活動が順調に滑り出せるように
段取り調整、仕込み。
こんなに暑いと外に出るときは命がけ。
体調を整えるのも、一仕事になるこの季節。

そんななか、寄席に出かけた。
いろんな芸人さんのそれぞれの芸を見ながら
創作落語の場合はその内容もであるが、
とにかく伝え方、話しっぷり、声の出し方、
お客さんの引き込み方をじっと見る。
お客として楽しみながら、
伝え手として、しっかりリサーチしている
自分がいる。
そのため、ドキドキハラハラすることも。

この人は努力しているなあ。
努力してきたなあ。
この人はそこそこかも。
あ、この人、活舌全然あかんけど、大丈夫か?
昔はもっとしゃべれていたのに。
1点、気になってしまうと、そのことばかり
気になってしまい、楽しめなくなる。

芸でも、仕事でも、その取り組みの姿を見て、
努力しているかどうか見えてしまう。
そう、見える人には見えるのだ。

今回もいろんな芸人さんを見て、多くの学びを
いただいた。
伝える仕事は、どこまで伝わっているかを
確認しなければならない。

ふと、自分の仕事や活動にあてはめて、
自分は大丈夫だろうか。
ということで、落語は楽しくもあるが、
学びの場でもある。
胡坐をかく。これだけは絶対あかん。
背筋が伸びるひととき。

また勉強に行こうと思う。

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「平和」と言わなくても良い社会を

お盆はもともと仏教の行事であり、さらに日本の
祖先を祀る伝統的な習わしが一体となり、
現代にも続いているが、それが真夏でもあり、
お盆休みとして、全国隅々に定着している。
日本固有の夏の歳時記である。
年末年始とお盆が日本の二大休暇。

お盆は実家に、故郷に戻って祖先を思って
お参りしよう。というのが一般的である。

そして、80年前このお盆の時期に、終戦を迎えた。
戦争で命を奪われた方、戦争体験をもつ
先人への祈りを込める日にもなった。

今年もその終戦記念日を迎えた。節目の年だ。

この日は大阪にいたが、大きなお寺の参道では
縁日のようなイベントもされて、寺町に賑わいを
みつけたが、お店が立ち並ぶ現代的なエリアでは、
とくにお盆を意識した取り組みは少ない。
人混みの夏休み。

若い人たちは、いつお盆の意味を知るのだろう。
8月15日が何の日が知らない人もいるのではないか。
若い人が集まる難波や心斎橋を歩きながら、
お盆や終戦とは無関係の時間を過ごす人々を
見ながら、いろんなことを考える。
ふるさとに帰らなくても、お墓に出向かなくても
良いけれど、この日は親のこと、その前の時代を
生きた人たちのことに心を寄せてくれていたら
いいな。

20年後、終戦記念日はどんな日になるのだろう。
間違っても戦争に関わることになっていては
ならない。

一昨日他界された千玄室さんは、
特攻隊の経験から、絶対に戦争はしては
いけないと、戦後は、茶道を通じて世界平和、
交流を続けてこられた。
「平和という言葉は本当は好きではない。
戦争が歩かれ、この言葉がある」という
ことも言われていたそうで、平和と言わなくても
良い時代にならなければならない・・・。
おっしゃるとおりだ。
昨日は、半年ほど前、お元気な姿をお見受け
し、その存在感に強い印象をもった千さん
のご冥福を遠くで祈りながら、平和という
言葉が要らなくなる世の中の到来を祈った。

今日は京都は五山送り火だ。
お盆もクライマックス。
普段通りに過ごしながらも、心は先人に親たちに
改めて感謝の祈りをささげる。



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相談できる、される幸せ。

ある仲間から、一通のメールが届く。
仕事でのお困りごとの様子。
そのお悩みの詳細が綴られており、まず丁寧に
詳細を書いておられることに心が動いた。
まるで自分に話してもらっているような感じだ。
状況が理解できる。
何か力になれたらと思い、リモートでもいいから
と、会ってもう少し聞くことにした。

何年か前、自分も困りごとがあったとき、
別の友人に、長文メールを書いたことがあった
ことを思い出した。
そのとき、仲間は親切に、いつも励ましてくれたなあ。
そう、その人なら聞いてくれると思って、書いた。
そしてすぐ返事が来て、共感してくれていることがわかると
それだけでうれしかった。
励ましてくれる人。
そういう存在がいてくれることが、とてもありがたかった。

と、今回そんなことを思い出した。

困っていたら、悩んでいたら、求められたら
何かできることがあったらする。
何もできないかもしれないけれど、
できることがあればさせていただく。という気持ち。

話を聞きながら、理解を深め、課題を整理しながら
解決策をいろいろ言う。
そんなかた苦しいことではないが、最後は、できること
協力するよ。という話になる。

相談できる相手がいることは、本当に幸せなことだ。
相談している間に、答えが見えてくることもあるし、
だんだん前向きになれるし、心持ちがかなり変わって
くる。

相談できる人がいる。ということは本当に幸いだ。
そして、相談してくれる人がいる。ということも
本当に幸いだ。その人が喜んでくれたら、もう最高だ。

相手を大切に思う気持ちを大切に。
今日は終戦記念日。
改めて平和な朝を迎えられた事に感謝して、
今日1日を大切に、過ごしたい。




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映画から学ぶ、残る仕事。

この一週間は戦後80年ということもあり、昭和をふりかえる
さまざまな作品に出合う。
たとえば、昭和30年代の映画。まさに自分が生まれているか
どうか。日本が敗戦を乗り越え、これから成長を遂げる希望に
満ちた時代。社会の変化に戸惑いながらも新たな時代に向かう
人びとが描かれている。昭和を懐かしむ貴重なひとときだ。

当時映画はまさに国民にとっての大きな楽しみ、娯楽。
映画館で観る、というお出かけが非日常だった時代。
ふと、岐阜の柳ケ瀬の繁栄ぶりも浮かんでくる。

その頃の映画を見る。たとえば、林芙美子の「放浪記」や
それを撮った、成瀬巳喜男監督の作品・・・。
主役は高峰秀子。子どもの頃から知っている名女優。
昨年が生誕100周年だったようであるが、亡くなっても
作品が残り、時代を越えて今なお人々に感動を与えている
こと自体に感動を覚える。

女優という仕事はいいなあ。
監督という仕事も素晴らしいなあ。
現在、劇団活動をやっている仲間との交流もあり、
彼ら彼女たちの夢がとても理解できるが、
作品を世に出す、そしてその作品が世に残る。
となれば、本望である。

今、高峰さんがこの世にいなくなっても、
彼女が出演した作品を見れば、彼女に出会い、
彼女から学び、そして当時を懐かしみ、忘れていた
大切なことを取り戻すこともできる。
当時気づかなかったことに、今気づかされることも
ある。自分が年を重ねたこともあるだろう。

自分がこの世からいなくなっても、
残る仕事ができたら、と改めて思う。
さまざまな先人たちの仕事ぶり、生き様に
触れながら、自分のこれからを考える。

残る仕事。
子どもを立派に育て上げるのも、そのひとつ。
会社を成長させ、次代に受け継ぐのも、そのひとつ。
わたしの場合は、何が残せるのか。

高峰秀子さんの素敵な表情を見ながら、
彼女が遺した作品から見えてくる、「女優」という
生き方を自分なりに受け留めながら
人の一生とは、もちろん運もあるけれど、
まずは自分次第であると思えてくる。

残す仕事。
まだまだ、もっともっと。



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やりがいのある仕事。


仕事とは有償、無償ということだけで分類でき
ないと思っている。
もちろん多くの場合は、生計を得るための
活動を仕事というが、本来の仕事の意味は
それを越えていると考える。

目的のために行う活動が、私が大切にしたい
仕事の定義だ。

結果的にお金をいただかない活動であっても、
お金以上の価値をいただくこともある。
世に言うボランティアの皆さんは、本当に偉いと
思う。
今、被災地に向かって現地でさまざまなお手伝い
をされている方、またこのたびの原爆記念日に
限らず、被爆体験を伝え続ける活動をされる方、
地域の住民の方のためにさまざまなお世話を
されている方・・・・。
もちろん、結果的に経済的なプラスになれば
活動は継続しやすいが、人のお役に立つこと
となれば、有償かどうかにこだわっていては
前に進まないことも多い。

長崎の知人たちは、ずっと被爆体験を伝える
活動をされているが、この1週間は、通常に
増して多くの方が訪問され、さまざまな国、
世代の方を相手に活動され、肉体的にはとて
もしんどかったとのこと。でも、それを越えて
伝える相手が理解してくれることで、自分
たちが目指す世界平和への道が一歩一歩
開かれていくのだと思えば、やりがいのある
活動だと教えてくれる。
このこと自体にいつも感動を覚える。
他に仕事をされながら、平和のための活動
を続けておられる。
活動を続け、成果が出る。世の中が変わる。
このことも立派な仕事だ。

世の中を動かすことに関わる取り組みを
すること自体、とても尊い仕事だ。

どれが本業?副業?ではなく、
お金を稼ぐだけが仕事ではなく、
世の中を動かすことに関わることが
私が考える「仕事」。
ある課題(こと)に仕える。

と思うと、仕事とは、神に仕える、尊い
崇高な人間の営みだ。

お金だけで換算できない。
もちろん生きていく上で、経済は不可欠だけれど、
できることがあれば、有償無償の取り組みにも
目を向け、自分ができることに取組みたい。

仕事のやりがい。
世の中が動く。
人が喜ぶ。

そこに尽きるのではないか。

へとへとになっても、被爆体験を伝えつづけて
いる仲間たちに、いつも心からエールを送りたい。
そして、自分もできる仕事をする。
全ては、自分のために。

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顔を浮かべる贈り物。

福島の桃が届いた。名前は「まどか」。思わず、「まどかちゃん」と
桃に話しかけたくなる。
名前があると相手が人間でなくても、いのちを感じ、言葉を
かけたくなる。
この桃は、新潟の妹から送っていただいた。
先日は新潟の白根からお世話になっているご夫妻から送っていただいたなあ。
贅沢な夏だ。それだけで幸せな気持ちになる。
桃はいつも笑っているようだから、こちらも思わず桃スマイルになる。
そしえ、
桃たちを見ると、送ってくださった方たちの笑顔が浮かぶ。
2か月ほど前、備蓄米についてマスコミ騒動があった際にも、
新潟のコシヒカリを送っていただいたが、こちらはもったいなくて
まだ開封していない。いただくときには、一粒一粒、その人を想って
いただくだろう。
贈り物とはそういうものだ。
物自体も大切であるけれど、贈ってくださる方たちの気持ちを大切に。
その人のことを、忘れない。
自分のことを気にかけてくださる方の存在がありがたい。

最近、改めてそんなことを思う。
大事にしばらくおいていたら、ちょっと熟しすぎたかも。
そろそろ、いただくとしよう。
それぞれの夏が元気で無事であるように。

おかげさまで元気ですよ!と、感謝の気持ちをおくりたい。
皆さんが、笑顔いっぱいの今日を過ごされるように・・・。

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いのちを守る〇〇を考える週に。

このところ、被爆者の体験や、戦争の爪あとについて
さまざまな情報に接する機会が多く、その一方、
愚かしい世界紛争の現状にも触れ、人間と戦争の
切れない歴史について、つくづく考えさせられる。
世界のリーダーとは(日本も然り)、一体なんだろう。
国っていったい何だろう。
人間は結局、いつの時代も何のために生きている
のだろう?
問いかけたくなることは、無数にある。

気が付けば、10年も続けて学んでいる
「いのちを守るジャーナリズム」。
ジャーナリストとは何をすべき職業人であるべきか。
戦争に向き合い、現実をまっすぐとらえ、権力に屈する
ことなく、真実を世に伝え、命をかけて表現する人々。
その生き方に共鳴され、自らも実践され続けてている
ジャーナリストの横村出さんが、この夏は、戦後80年の
節目で戦争とジャーナリズムについて語り続けてくださっ
ている。

いのちを守るジャーナリズム。
伝えることによって、人々が真実を知り、間違いに気づき
自ら考え、正しき選択をして、平和な世の中になるよう
努力する。
その背中を押す仕事である。
平和の大切さ、人としてあるべき生き方。
それを伝え、世の中が少しでもより良き方向に向かう
よう、人々の意識を変え、自立を促す尊い仕事である。

一連の戦争の歴史の片鱗に触れれば触れるほどに、
自分ができることはないかと考える。
上に書いた横村さんのように、大学での講座や
執筆活動によりメッセージを伝え続けるのも
素晴らしい。また、昨年ノーベル平和賞を受賞
された被団協の皆様の活動も本当に頭が下がる。
自らが負った傷をさらけ出してでも、世界に
戦争はいけない、原爆はいけないと全身全霊で
伝え続けてこられた人生。
また、最近何度か耳にする元野球選手の張本勲さん
の被爆者としてのメッセージも心をうつ。
写真は長崎の原爆資料館にある日本中から届けられる
千羽鶴。これらを折り続け祈り続ける人たちの
地道な活動も、本当に素晴らしい。

これらの活動すべてが、いのちを守るための、
人類を守るための、未来に続く世界のための
立派な活動である。

それらを見聞しながら、
さて、わたしには何ができるんだろう。
と考える。
長崎の仲間たちに、心を寄せてメッセージを
送っているけれど、もっとできることは
ないかと、現実を知れば知るほど思えてくる。

いのちを守る〇〇。
自分に何ができるのか。
それを考え、行動に向ける1週間にしたい。

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祈念し、残し伝え続ける。

昨日8月9日は長崎に原爆が投下されてから80年の節目の年。
雨の中、しめやかに、被爆80周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
が行われた。

記念の年の、祈念式典。
同じ「きねん」であるが、この「祈念」という言葉は、普段あまり
使用することが少ないが、長崎を訪ねるようになってから、
その言葉の重さと深さを感じるようになった。
祈りを捧げ、人々の幸せを心から願うこと。

昨日の式典は本当にその言葉通りの長崎の人々の思いのこもった
とても素晴らしいものであった。
現地に行けなかったが、テレビやネット中継を見ながら、ときに
涙して、一緒に祈念させていただいた。

式典のあった平和公園の近くにある、
爆心地公園。昨日は早朝からこちらでも多くの人々が
祈りをささげておられたようだ。

この公園に来ると、何とも言えぬ気持になる。
ここに・・・。

上の写真は被爆50周年に向け作られたものであるが、
被爆した親子の様子が立体的に浮かび上がってくる。
また被爆者名簿のマイクロフィルムが納められていたり、
倒壊した浦上教会の遺壁があり、ここに来ないとわからない
原爆投下の現実感を味わうことができ、長崎の苦難の歴史の
一部を感じることができる。

祈念する。
この言葉を大切にしたい。
静かな行動であるが、まずできることはこれだ。
そして事実を経験を記録し残すこと、伝え続けること。
現実に起きた人類の過ちを、風化させないことが、
人類が地球で生き続けていくために不可欠だ。

長崎で被爆体験を朗読で伝え続けておられる永遠の会
の方から、メッセージをいただいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちも今日は常駐朗読を追悼空間で一日中、実施しました。
たくさんの方が、被爆者が綴った体験記に耳を傾けてくださいました。

また、多くの方が想いを私たちに伝えてくれて、
高校生のみなさんと2時間くらい話しました。

彼らは希望そのものです。

彼らを戦争などで失いたくないです。
また、改めて力が湧き上がりました。

がんばります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分たちができることをやり続ける努力。
それをされている皆さんを見習って
自分もできることをしていきたい。

祈念し、伝え残す。未来に生きる人たちのために。

掲載した写真は、昨日のものではなく、2024年10月訪問時に
撮影したものです。

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「長崎を最後に」の祈り。

この写真は、現在の浦上天主堂。
80年前の今日、原爆で全壊し、その後人々の強い願いと
協力で再建された。
当時の様子を写真で見たり、旧教会の遺構の
一部、被爆マリア像、アンジェラスの鐘などを
見ると、その恐ろしい現実が頭に浮かび、
耐えがたい気持になる。
この近くが爆心地であり、そこから瞬間にして
この美しき祈りの町が破壊された。

いつもこのあたりを歩くと、この美しい教会の
下に再建された美しい浦上の町が住む人が
どんな苦難を背負い、乗り越えてきたのか、
考えさせられ、空が美しければ美しいほど
悲しくもなる。
そう、長崎の空は美しく、悲しい。

今朝、被爆者のひとりであった山口仙二さんの活動
について改めて知った。
生涯を核廃絶運動に全力で捧げた方である。
世界中で発信した力強いメッセージは、多くの人々
に原爆の恐怖と核廃絶の必要性を強く伝えた。
「自分の家族が被ばくしたらどうですか?」
この問いかけほど、わかりやすく伝わる例えはない。
「言わなきゃだめだ。言わないと容認したことになる。」
命をかけて訴える力は、多くの人の心を動かす。

自らの体験を伝えられる人たちが年々減ってくる。
いつの日か、いなくなる。
それでも、ずっと言い続けなければならない。
長崎が最後の被爆地となるように。

長崎から世界へメッセージを。
長崎へ祈りを。世界へ平和を願う。

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出会いに強い人と

その人の名前は「強」さん。
いろんな「つよし」があるけれど、この漢字のお名前は
これまで一人しかお会いしていない。

その強さんに初めて出会ったのは、24年前の9月11日。
そう、アメリカに向かうユナイテッド航空の機内。
といっても成田を飛び立った時は知らない人。
たまたま隣の席に座っていた人だった。
何も起こらなければ、そのまま知らない人で終わったが、
非常事態になって突然「何がおきたんでしょう?」
と会話したのがはじまり。

あのニューヨークの同時多発テロの影響で飛行機は
目的地に飛ばず、アラスカのフェアバンクスへ緊急着陸。
ともにフェアバンクスでの待機時間を3日間一緒に
過ごし、夜になれば、なんとオーロラの空を一緒に
見上げた仲間。

いつ思い出しても、わが人生最高の、絶対に忘れる
ことのない時間。

その強さんから、突然メールが届いた。
「デスクを整理していたら、あのときの航空券の半券が
出てきて・・」私を思い出してくださったのだ。
余りの懐かしさがこみあげる。
来年であれから四半世紀。一緒に過ごした仲間も今は
消息不明だったり、すでに旅立った人も・・・。
そんななかで、強さんと再会。

15年ぶりほどの再会。
最初は懐かしさがうれしく、当時の話をしていたが、
話題はどんどん発展して、マーケティングのこと、
DNAのこと、地球のこと、その方のヒストリー、
信仰のこと・・・とにかく久しぶりの再会を待って
いたかのような話題の連続で、話しはつきない。
また、当時より年を重ねたせいか、深い話もしみじみ・・・。

十分有意義な時間をいただき、別れるときに
またお会いする約束をし、固く握手する。
「この再会は何でしょうね」
「不思議ですね」
「何か意味があるんですよね」

テロがなければ、あの飛行機に乗っていなければ
隣に座っていなければ、この出会いはなかった。

もしかしたら、出会いに強い人なのだろうか。
過去の出来事、人が、ひょんなきっかけで
再び蘇り、さらに未来につながる関係になる
のかもしれない。

人には出会う力があるのかもしれない。
強さんとの再会で、強く感じた。







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