鹿児島のザビエルと

1549年というから、500年近くも前の日本。当時は室町から戦国時代
というから、信長も歴史上は登場していないほどの昔、昔。
フランシスコ ザビエルが鹿児島に初上陸した。
この銅像は、この町のザビエル教会の前に建っている。
ザビエルの銅像は、平戸で、山口で先に拝見し、さまざまなザビエルを
見て、自分なりに想像を膨らませてきた。
彼が日本に来なければ、日本社会は大きく変わったと確信する。
音楽も、印刷も、建築も、西洋文化が広く長く広がったのは、
まさしくザビエルのおかげ。

やはり初めて訪れた街というのは、はてしなくロマンが膨らむ。
ザビエルはこの町に来て、日本での布教活動を決意し、各地へ
移動を始めたのだから、鹿児島でのインパクト、鹿児島の魅力は
大きかったのだろう。

少ない交友関係であるが、鹿児島の人は自分から主張するという
タイプではなく、静かにうけとめ、判断する。
自分をしっかり持っている人が多い という印象である。
新しいものを取り入れることには、積極的で柔軟だったのかも
と改めて思う。

再び、鹿児島の地を訪ね、さらにこの町の歴史とザビエルの
関係をリサーチを続けようと思う。
いつか、フランチェスコの夢を、ここでも演奏できる日が
くるように。

ザビエルは桜島を見ただろうか・・と朝焼けの山を見ながら、
小さなロマンを思い描いてしまった。
そのうち、意外な作品ができるかもしれない。

鹿児島でクリエイティブな妄想。ときには非日常の土地で
妄想を楽しみ、新たな表現に挑戦してみたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 鹿児島のザビエルと はコメントを受け付けていません

働くことは、生きること。

働くとは、人が動くと書き、仕事とは、司られたことと、書く。
目的をもって行う活動、その成果も求め、社会に生きる以上、そこで
役立つように動くことを指す。
単に目先の作業をするだけでなく、周囲にも貢献でき、自分もやって良かった
となるように自らが主体的に動くことが、仕事。
どうせやるなら、いい仕事をしよう。と思う。

ただ、仕事も人生も、人それぞれの背景や、そこから培われてきた
価値観があり、自分とは違うので、考え方を押し付けることはできない。
こうした方がいい、こう生きた方が良いと思っても、
世代や個の違いも含め、自分と同じ価値観を求めることは、難しいし、
それを求められないこともある。

働き方について、ずいぶんと変わってきたなと感じることがある。
それは、生き方や考え方の変化に通じる。

こんな人生にしよう、と思えばそれに即した仕事の仕方をするだろう。
こんな人生にしたい。とゴールが見えていれば、それに沿って
仕事の仕方や考え、さまざまな行動、他者への働きかけ方も
変わってくるだろう。
ゴールが見えないと、そこへの道は描きづらい。
若い人たちが、未来が見えづらいと感じているならば、
それは大人たちの責任もある。
今時の人は・・・と言っているだけでは済まない。

自分がどう生きたいか。そのために行う活動が仕事。
報酬を得るだけでなく、誰かの役に立ち、自分も成長できるのが
仕事。
わたしは、いつも生きること自体が仕事と思い、生きてきたが
こういった考え方は、若い人たちに通用するのかな・・・。

と、ふと思う今日。

働くことは生きること。

どうせ働くならば、どうせ仕事をするならば、
自分の人生のプラスにしたい。してほしい。

出会いや別れが多くなるこの季節、改めて、社会にこれから
出る若き人に、改めて仕事は自分次第で、
人生を変える力になることを
伝えたいと強く思う。

どうせ仕事をするなら、感謝される仕事をしよう。

この言葉が、今日も頭に浮かぶ。

カテゴリー: Essay (Word) | 働くことは、生きること。 はコメントを受け付けていません

その人の分まで。

昨日の朝、大船渡の知人に「かもめりぃ」とともに
その地への思いを送った。
すると、その方はそのメッセージを受け取り、久しぶりにその曲を聴いたら、
涙があふれたと返事をくれた。

そして、14時46分。
「今、『かもめりぃ』とともに、祈りを捧げました。亡くなった社員10名の分まで
しっかり生きなければ。これから流された会社の跡を回ってきます」
と再びメッセージが届いた。
被災地では、皆さんがこのように被災者への祈りを捧げ、15年前のあの時間を
辿られた。

亡くなった人の分まで・・・。
そう、まさかそんなつもりもなく、津波にのまれて、人生を終えてしまった
大切な人たち。どんな思い?悔い?痛みと苦しみと・・・。
死んでも死にきれず・・・命果てるとは・・・。
突然の別れは、悔いが残ることだろう。

一緒に仕事をしてきた仲間たち、一緒に過ごした人達、家族となれば
15年経とうが関係なく、毎日毎日思い出されるはず・・・。

その人の分まで。
本当にそうだと思う。
生きたくても生きることができなかった人たち。
震災も戦争も、あらゆる事故も・・・。
そんな人生の終わりだけは嫌だと思うけれど、明日は我が身かもしれない。
だから、
せめて、今日1日は
そういった思いでこの世を去ってしまった人達の分まで、
生きなければならない。

そんな気持で夕方まで過ごしていたら、
「今日、わたしの誕生日なんです」
という人が現れた。
往く人、来る人・・・。
なんだか、うれしくなって、
おめでとう!と思いをかみしめながら、
何度も言ってしまった。

生きている人が、しっかり生きていく。

生きたかった人のためにも、
命を授けてくれた人のためにも・・・。

どんな苦しみも忘れず、痛みも忘れず、
しっかり生きていかねば。


カテゴリー: Essay (Word) | その人の分まで。 はコメントを受け付けていません

待ち続ける歳月と「かもめりぃ」。

3月11日。この日のことは今も鮮明に覚えている。
と、この15年間、何度かこのブログでも取り上げたかと
思う。

毎年、この日が来ると、これまで見たことのなかった光景を
思い出す。被災された方、ご家族が行方不明のままの方・・・。
その方たちにとって、この日は何年経っても、複雑な思い
のままではないかと思う。

今日も大船渡に住む知人たちの当時のこと、そして
震災後のことを思い出す。
あれから、15年・・・。

自然災害が頻発し、人災も増え、当時より生きるリスクが
高まり、いつ何が起きるかわからない。という気持で
生きるようになったけれど、今のところ、おかげさまで
無事である、
でも、今日も何が起きるかわからない・・・。

不意に、突然の別れがくることは考えたくないけれど、
これも、わからない。

震災後、津波が嘘だったような穏やかな大船渡湾を
訪ねたとき、案内してくれた地元に住む知人が
「自然には感情がないんですよ」
この言葉が今も胸にささったままだ。

大切な人を亡くした後も、その人との思い出を
胸に、生きる人のことをかいた、「かもめりぃ」。
あの日から、ずっと待っている。待ちながら生きている。
そんな人のことを歌にしてみた。

舞台はあの大船渡の海と空。そして、そこを
舞うかもめたち・・・。

改めて、今日も心の中で歌い、今も待つ人たちに
心を寄せたい。

15年。この経験が風化しないように。
備え、生かし・・・。

かもめりぃの歌詞はこちら。
https://mahsa.jp/poemf11.html

新潟で演奏した かもめりぃ はこちら。

かもめりぃ / Mahsa(今尾昌子)

カテゴリー: Essay (Word) | 待ち続ける歳月と「かもめりぃ」。 はコメントを受け付けていません

会えなくなっている人へ

元気かな。としばらく会えていない人のことを思い出す。
何週間、何か月、何年・・・。その時間はさまざまであり、
会えない理由もそれぞれであり・・・。

昨年夏過ぎから連絡が途絶えた人。久しぶりにメールをするが
届かない様子。少し胸騒ぎもするが、仕方ない。
時間があいても、返信があれば、生きている証拠。

春とは、新たなスタートに向け、心が躍る。
そして、いろんな整理も必要な時期。
心のアルバムも見直してみる。
アルバムに載っている人たちのこと、ひとり一人を
思い出すのも、この季節。
まるで、卒業写真を見るかのように。
ユーミンの曲も聞こえてくるようだ。

会えなくなっている人。
元気なら、安心。
会わなくても、そっと心を寄せて見守ることはできる。

人はさまざまな事情を抱え、自分の人生を生きる。
生きている限り、どうせ生きるなら、楽しんで。

人生は多くの出会いもあり、そして別れもある。
春は、嬉しい季節であるけれど、寂しさと背中合わせ。

生きていればこそ、何でもできる。道は開ける。
離れていても、応援したい人がいっぱいいる。
元気なら、それでいい。
また、いつか、笑顔で会える日を楽しみに。

カテゴリー: Essay (Word) | 会えなくなっている人へ はコメントを受け付けていません

私なりの、「チームみらい活動」。

先日の選挙で、日本の未来に光と希望を感じたのが
若手が立ち上げた政党の躍進であった。
すでに職業をしっかり持ち、自立している人たちが、
これからの社会のために立ち上がろうと、活動している。
「チーム」も、「みらい」もしっくりくる言葉。
何かと共感できるし、納得もする。
これからも彼らに期待を寄せ、応援していきたいと
思っているし、それにとどまらず、
自分も自分なりの「チームみらい活動」をしていかねばと
思い始めている。

具体的には、
若い世代の人々や異国、異文化の人との交流を積極的に行い、
自分が伝えられることを伝え続ける。
そして、未来に向けて、志同じく生きる仲間とともに
小さなことでも良いから、新たな行動を起こしたい。

私の場合は、やはりコミュニケーションや文化活動、
そして人と人がつながることを目指す取り組み。

小さな活動でいいから、継続していく。
まずは対話から。そして具体的な新たな繋がりづくり。
ここで、新たな観覧車づくりが始まることになる。

コミュニケーションがすべて。
今日はまもなく社会人になる人たちへのコミュニケーション
研修がある。
そして、明日からも20代の皆さんとのチームワークがある。
なんだか、わくわくする。

みらいを生きる人たちに、希望をもって活躍いただける
応援をするのも、わたしなりのチームみらいの使命。

若者と接することで、彼らに、何かのバトンを渡せる気がする。
何か?今、考えながら動いている。




カテゴリー: Essay (Word) | 私なりの、「チームみらい活動」。 はコメントを受け付けていません

まさしくHere and Now 

福島で診療を続ける精神科医の蟻塚先生という方のドキュメンタリーで、
この言葉を知った。
過去のトラウマに悩まされる人々に、この言葉をささげ、
過去ではなく、今に生きていることを意識し、その方たちが
少しでも楽に生きられるために話を聞き、導いておられる。
まさに、ラポール(対話)を実践され続けているお医者さん。
医療は社会のものだから、皆のものだからと、求められる土地に
出向き、80歳になろうとしているけれども、引退は考えないとのこと。
献身的な、寄り添いコミュニケーションを続けるその医師の姿や
言葉は大変印象に残り、戦争や津波の後遺症に悩み苦しむ人たちに
とってまさに救済主だと感じた。ある患者さんはその先生を「わたし
たちの天使」のような存在だと言われていた。

その中で出てきた Here and Now
過去の忌まわしい出来事、there and them といつまでも、抱えて
苦しむのではなく、その過去のことを誰かに聞いてもらって、
そんなことがあったね。でも今生きているよね。
どうせ生きるならば、元気に生きようよ。

という解釈をしてみる。

私自身は、おかげさまで今のところ、元気に生きさせて
もらっており、
そして、少し違う角度からかもしれないが、

まさしく
Here and Now
を大切に生きたいと思っている。

そして、そこから明日はつながると信じている。

いずれにせよ、今ここにある自分を慈しみ、
周囲に感謝をしながら、
今日1日を存分に生きる。

そして、もし可能であれば、
その先生のようにはできないかもしれないけれども、
周囲に苦しむ人がいたら、
できる応援をしたいと思っている。

今、ここに生きる。生きている。
そのことに感謝し、今からできることを
はじめよう。


カテゴリー: Essay (Word) | まさしくHere and Now  はコメントを受け付けていません

マイブランド マイスタイル マイライフ。

今週は、この春から社会人になる学生さんたちに、入社前の
コミュニケーション研修を行わせていただいた。
来週もまた続く。研修は入社後で良いのではという考え方もあるが、
一歩先にそのことをお伝えしながら、意識をもって社会人として
のスタートを切っていただく、そしてさらにフォロ―を続ける
ことで、コミュニケーション力をじわじわ向上させたい・・・。
・・そんな意図をもった取り組みである。

そのなかで、コミュニケーションとは?の説明の前に、
自分がコミュニケーションクリエイターであるという話
をする。私がコミュニケーションについて語るならば、
そこが原点になるから。
そして、それはコミュニケーションの力で、
心の観覧車を回し続けるという話もする。

その考え方を伝えることで、なぜ、コミュニケーションが
必要なのか?なぜ、そこにこだわって生きているのか
も伝え、若き人達に、社会人として生きる上でのヒント
としてもらえたら・・と思っている。

そんな研修後も、
ずっと自分の考えた「グラン・ルー」という
ブランドについて考え続けている。
世界で唯一の職業でありたいと始めたコミュニケーション
クリエイターという生き方は、27年と半年の歳月を経て、
いい感じで続けられていると実感している。
そして、心の観覧車をつくる「La Grande Roue」
もいいテンポで回り続けていると思う。
途中で急に止まったりもせず、地道に長きにわたり、
回り続けていることを感じ、幸せな人生だと思う。

自分はこういう存在である。
ということを表現する様々なツール、カタチ。
屋号もロゴも、自分が生んだ楽曲、それらが入ったアルバム、
コンサート、書籍、このブログ、日々の仕事への取組み・・・。
いろんなアウトプットが全て「グラン・ルー」の生き方を
表している。
ずっと思いを唱え続けていると、人生、ブレずにいけるものだと
改めて思う。

そして、ゆうべ、久しぶりに十日町からコーヒーが届いた。
グラン・ルーのコーヒーだ。

オリジナルのコーヒーを持っているなんて、最高の幸せ。
思わず、このマイコーヒーを焙煎してくださっている
店主に感謝のメールをする。

人と同じものではなく、自分だけのものがある。
そのことだけで、毎日が特別になり、人生も心豊かになる。

そんな幸せな人、他にいるかなあ。

と、ひとり勝手に、グラン・ルーの幸せ人生をかみしめる。

自分が決めた自分であり続ける。
小さな努力の積み重ねが、人生をより豊かに、
そして、幸せな人生になる。

マイブランド、マイスタイル、マイライフ。

そのことを応援してくださる皆さんに心から感謝を込めて。

※グラン・ルーのロゴは、パリ生まれ。
ルーブル宮で出会った観覧車のおかげで、
現在の自分がある。

カテゴリー: Essay (Word) | マイブランド マイスタイル マイライフ。 はコメントを受け付けていません

魂の作家との再会、そして次なる夢へ。


グラン・ルー開設15周年のときに、つくっていただいた、観覧車の
篆刻。ここでは拡大して見せているため、その仕事の緻密さは
伝わりづらいかもしれないが、4センチ四方ほどの小さな石に
この図柄とロゴを彫っていただいた。
「大変だったよー。」その仕事の大変さを笑いながら、伝えて
くれた日々が懐かしい。

まさに世界にひとつの観覧車ロゴ。
それ以来すでに12年以上の月日を経て、今も自分のブランディング
に活用させていただいている。

その作家は、上海出身東京在住の書家であり、篆刻家の沈強さん。

コロナ以来、ご無沙汰していたが、東京出張中に少し時間ができて、
現在東京駅前の丸善本店(オアゾ)で開催中の篆刻展に立ち寄る
ことができ、念願の再会を果たせた。

ずっと気になっていたし、20年以上前からのおつきあいで作品展の
ささやかな応援も含め、良き友人関係を育ませていただいていた
し、自分の東京ライブにはよくお出かけいただき、会場で使用する
書を書いていただいたことがあったが、やがて自分が
東京暮らしではなくなり、なかなか会えかったが、今回やっと会えた。

相変わらず精力的に活動を続けておられる。
某有名企業のお茶のペットボトルのラベルには、その方の篆刻も
印字されている。
書や篆刻を通じ、漢字だけでなく、かなも絵も自由に表現され、
沈さん独自のあたたかみのある、そしてその名のごとく、
揺るがない強さも感じる、そんな独自の世界を表現しづけている。
書に、石に。ただひたすらに 文字を図柄を、魂を込めて
表現する・・・。そんな作家だと私はずっと感じている。

ご自身の日本在住歴は長いが、夫婦の力で書家・篆刻家と
して、精力的かつユニークなスタイルで日中の文化を伝え続けている。
そんな、尊敬する作家である。

今回の、沈さん夫妻との突然の再会。
お互い変わらないね~と笑顔で近況を語り合う。
そうこうしている間に、「何か一緒にやりたいね。」
と夢の話題に。

よし!私の頭の中に、沈さんとのコラボ企画が湧いてきた。
まだまだお互い元気だけれど、そんな先ではない将来に
実現させたいと思った。
少し東京時代の記憶が薄らぎかけていたが、いやいや、
第三のふるさとはTOKYOであったことを改めて。

「ちょっとね、考えて、やろう、やろう!」
楽しみが増えた。
東京を拠点とした活動も再開しようかなと刺激を
もらった今回の再会。

やはり、会いたい人には自分から出向くこと。
待っているだけでは何もない。

それにしても、作家の顔というのは、年輪だと
思う。
相変わらず、いい顔をされている。

ぜひ近いうちに、新たなコラボをやると決意。
帰り道もわくわく、次の夢が具体的に沸いてきた。
クリエイター仲間。才能を活かす人生、とても素敵だと改めて。

沈強さんの詳細はこちらからも。
沈強 (書家 画家 篆刻家 彩墨書創始者) しんきょう(@yumiko_shinkyo) • Instagram写真と動画

カテゴリー: Essay (Word) | 魂の作家との再会、そして次なる夢へ。 はコメントを受け付けていません

イタリア マンマの花

町の花屋さんでこの花に出会う季節になった。
あの鮮やかな色と小さな花の集合体。ひと目見れば、
元気が出てくる。
同じ黄色でも、ひまわりとはひと味違う、なんとも
いえない優しい花。ふわふわ・・している感じ。
花言葉や友情とか、優しさとか、優美だとか・・。
まさにその言葉にピッタリだと納得する。

「ミモザ」という花は、15年以上前にイタリアで知った。
この花が町にあふれていた時期、まさにこの3月に現地で
みつけた記憶は、今も鮮明だ。
なんだろう、この愛らしい小さな黄色い花は・・・。
たわわに、今にもこぼれそうに咲いた花は、見る
人の目を寄せ付ける。
じっと見ていたくなる不思議な花。

この花は毎年、3月8日の国際女性デーのシンボルフラワー
として世界で知られるようになった。
欧米では、この日に、女性にこの花を贈る習慣があるそうだ。
イタリアでいえば、マンマに感謝と愛を込めて、ミモザを
贈るのが古くからの習わしだと聞いた。

この花を見るたびに、今もローマやナポリの街角の
花屋さんを思い出す。
そういえば、岡山に住む、まさにこの花のイメージにぴったりの
友が(妹のような存在である)、この名のサロンを開設したのも
もう2年になろうか・・・。

ミモザは女性の活躍の証し。
今年もこの花を楽しませていただける。うれしいことだ。
大輪の花もいいけれど、この小ささにこそ、共感する。

やさしい花、しなやかな花、そして小さな灯りを思わせる花。
自分もこの花のように、誰かを静かに見守り、照らせる存在に
なりたいと、思う。

カテゴリー: Essay (Word) | イタリア マンマの花 はコメントを受け付けていません