私なりの、「チームみらい活動」。

先日の選挙で、日本の未来に光と希望を感じたのが
若手が立ち上げた政党の躍進であった。
すでに職業をしっかり持ち、自立している人たちが、
これからの社会のために立ち上がろうと、活動している。
「チーム」も、「みらい」もしっくりくる言葉。
何かと共感できるし、納得もする。
これからも彼らに期待を寄せ、応援していきたいと
思っているし、それにとどまらず、
自分も自分なりの「チームみらい活動」をしていかねばと
思い始めている。

具体的には、
若い世代の人々や異国、異文化の人との交流を積極的に行い、
自分が伝えられることを伝え続ける。
そして、未来に向けて、志同じく生きる仲間とともに
小さなことでも良いから、新たな行動を起こしたい。

私の場合は、やはりコミュニケーションや文化活動、
そして人と人がつながることを目指す取り組み。

小さな活動でいいから、継続していく。
まずは対話から。そして具体的な新たな繋がりづくり。
ここで、新たな観覧車づくりが始まることになる。

コミュニケーションがすべて。
今日はまもなく社会人になる人たちへのコミュニケーション
研修がある。
そして、明日からも20代の皆さんとのチームワークがある。
なんだか、わくわくする。

みらいを生きる人たちに、希望をもって活躍いただける
応援をするのも、わたしなりのチームみらいの使命。

若者と接することで、彼らに、何かのバトンを渡せる気がする。
何か?今、考えながら動いている。




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まさしくHere and Now 

福島で診療を続ける精神科医の蟻塚先生という方のドキュメンタリーで、
この言葉を知った。
過去のトラウマに悩まされる人々に、この言葉をささげ、
過去ではなく、今に生きていることを意識し、その方たちが
少しでも楽に生きられるために話を聞き、導いておられる。
まさに、ラポール(対話)を実践され続けているお医者さん。
医療は社会のものだから、皆のものだからと、求められる土地に
出向き、80歳になろうとしているけれども、引退は考えないとのこと。
献身的な、寄り添いコミュニケーションを続けるその医師の姿や
言葉は大変印象に残り、戦争や津波の後遺症に悩み苦しむ人たちに
とってまさに救済主だと感じた。ある患者さんはその先生を「わたし
たちの天使」のような存在だと言われていた。

その中で出てきた Here and Now
過去の忌まわしい出来事、there and them といつまでも、抱えて
苦しむのではなく、その過去のことを誰かに聞いてもらって、
そんなことがあったね。でも今生きているよね。
どうせ生きるならば、元気に生きようよ。

という解釈をしてみる。

私自身は、おかげさまで今のところ、元気に生きさせて
もらっており、
そして、少し違う角度からかもしれないが、

まさしく
Here and Now
を大切に生きたいと思っている。

そして、そこから明日はつながると信じている。

いずれにせよ、今ここにある自分を慈しみ、
周囲に感謝をしながら、
今日1日を存分に生きる。

そして、もし可能であれば、
その先生のようにはできないかもしれないけれども、
周囲に苦しむ人がいたら、
できる応援をしたいと思っている。

今、ここに生きる。生きている。
そのことに感謝し、今からできることを
はじめよう。


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マイブランド マイスタイル マイライフ。

今週は、この春から社会人になる学生さんたちに、入社前の
コミュニケーション研修を行わせていただいた。
来週もまた続く。研修は入社後で良いのではという考え方もあるが、
一歩先にそのことをお伝えしながら、意識をもって社会人として
のスタートを切っていただく、そしてさらにフォロ―を続ける
ことで、コミュニケーション力をじわじわ向上させたい・・・。
・・そんな意図をもった取り組みである。

そのなかで、コミュニケーションとは?の説明の前に、
自分がコミュニケーションクリエイターであるという話
をする。私がコミュニケーションについて語るならば、
そこが原点になるから。
そして、それはコミュニケーションの力で、
心の観覧車を回し続けるという話もする。

その考え方を伝えることで、なぜ、コミュニケーションが
必要なのか?なぜ、そこにこだわって生きているのか
も伝え、若き人達に、社会人として生きる上でのヒント
としてもらえたら・・と思っている。

そんな研修後も、
ずっと自分の考えた「グラン・ルー」という
ブランドについて考え続けている。
世界で唯一の職業でありたいと始めたコミュニケーション
クリエイターという生き方は、27年と半年の歳月を経て、
いい感じで続けられていると実感している。
そして、心の観覧車をつくる「La Grande Roue」
もいいテンポで回り続けていると思う。
途中で急に止まったりもせず、地道に長きにわたり、
回り続けていることを感じ、幸せな人生だと思う。

自分はこういう存在である。
ということを表現する様々なツール、カタチ。
屋号もロゴも、自分が生んだ楽曲、それらが入ったアルバム、
コンサート、書籍、このブログ、日々の仕事への取組み・・・。
いろんなアウトプットが全て「グラン・ルー」の生き方を
表している。
ずっと思いを唱え続けていると、人生、ブレずにいけるものだと
改めて思う。

そして、ゆうべ、久しぶりに十日町からコーヒーが届いた。
グラン・ルーのコーヒーだ。

オリジナルのコーヒーを持っているなんて、最高の幸せ。
思わず、このマイコーヒーを焙煎してくださっている
店主に感謝のメールをする。

人と同じものではなく、自分だけのものがある。
そのことだけで、毎日が特別になり、人生も心豊かになる。

そんな幸せな人、他にいるかなあ。

と、ひとり勝手に、グラン・ルーの幸せ人生をかみしめる。

自分が決めた自分であり続ける。
小さな努力の積み重ねが、人生をより豊かに、
そして、幸せな人生になる。

マイブランド、マイスタイル、マイライフ。

そのことを応援してくださる皆さんに心から感謝を込めて。

※グラン・ルーのロゴは、パリ生まれ。
ルーブル宮で出会った観覧車のおかげで、
現在の自分がある。

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魂の作家との再会、そして次なる夢へ。


グラン・ルー開設15周年のときに、つくっていただいた、観覧車の
篆刻。ここでは拡大して見せているため、その仕事の緻密さは
伝わりづらいかもしれないが、4センチ四方ほどの小さな石に
この図柄とロゴを彫っていただいた。
「大変だったよー。」その仕事の大変さを笑いながら、伝えて
くれた日々が懐かしい。

まさに世界にひとつの観覧車ロゴ。
それ以来すでに12年以上の月日を経て、今も自分のブランディング
に活用させていただいている。

その作家は、上海出身東京在住の書家であり、篆刻家の沈強さん。

コロナ以来、ご無沙汰していたが、東京出張中に少し時間ができて、
現在東京駅前の丸善本店(オアゾ)で開催中の篆刻展に立ち寄る
ことができ、念願の再会を果たせた。

ずっと気になっていたし、20年以上前からのおつきあいで作品展の
ささやかな応援も含め、良き友人関係を育ませていただいていた
し、自分の東京ライブにはよくお出かけいただき、会場で使用する
書を書いていただいたことがあったが、やがて自分が
東京暮らしではなくなり、なかなか会えかったが、今回やっと会えた。

相変わらず精力的に活動を続けておられる。
某有名企業のお茶のペットボトルのラベルには、その方の篆刻も
印字されている。
書や篆刻を通じ、漢字だけでなく、かなも絵も自由に表現され、
沈さん独自のあたたかみのある、そしてその名のごとく、
揺るがない強さも感じる、そんな独自の世界を表現しづけている。
書に、石に。ただひたすらに 文字を図柄を、魂を込めて
表現する・・・。そんな作家だと私はずっと感じている。

ご自身の日本在住歴は長いが、夫婦の力で書家・篆刻家と
して、精力的かつユニークなスタイルで日中の文化を伝え続けている。
そんな、尊敬する作家である。

今回の、沈さん夫妻との突然の再会。
お互い変わらないね~と笑顔で近況を語り合う。
そうこうしている間に、「何か一緒にやりたいね。」
と夢の話題に。

よし!私の頭の中に、沈さんとのコラボ企画が湧いてきた。
まだまだお互い元気だけれど、そんな先ではない将来に
実現させたいと思った。
少し東京時代の記憶が薄らぎかけていたが、いやいや、
第三のふるさとはTOKYOであったことを改めて。

「ちょっとね、考えて、やろう、やろう!」
楽しみが増えた。
東京を拠点とした活動も再開しようかなと刺激を
もらった今回の再会。

やはり、会いたい人には自分から出向くこと。
待っているだけでは何もない。

それにしても、作家の顔というのは、年輪だと
思う。
相変わらず、いい顔をされている。

ぜひ近いうちに、新たなコラボをやると決意。
帰り道もわくわく、次の夢が具体的に沸いてきた。
クリエイター仲間。才能を活かす人生、とても素敵だと改めて。

沈強さんの詳細はこちらからも。
沈強 (書家 画家 篆刻家 彩墨書創始者) しんきょう(@yumiko_shinkyo) • Instagram写真と動画

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イタリア マンマの花

町の花屋さんでこの花に出会う季節になった。
あの鮮やかな色と小さな花の集合体。ひと目見れば、
元気が出てくる。
同じ黄色でも、ひまわりとはひと味違う、なんとも
いえない優しい花。ふわふわ・・している感じ。
花言葉や友情とか、優しさとか、優美だとか・・。
まさにその言葉にピッタリだと納得する。

「ミモザ」という花は、15年以上前にイタリアで知った。
この花が町にあふれていた時期、まさにこの3月に現地で
みつけた記憶は、今も鮮明だ。
なんだろう、この愛らしい小さな黄色い花は・・・。
たわわに、今にもこぼれそうに咲いた花は、見る
人の目を寄せ付ける。
じっと見ていたくなる不思議な花。

この花は毎年、3月8日の国際女性デーのシンボルフラワー
として世界で知られるようになった。
欧米では、この日に、女性にこの花を贈る習慣があるそうだ。
イタリアでいえば、マンマに感謝と愛を込めて、ミモザを
贈るのが古くからの習わしだと聞いた。

この花を見るたびに、今もローマやナポリの街角の
花屋さんを思い出す。
そういえば、岡山に住む、まさにこの花のイメージにぴったりの
友が(妹のような存在である)、この名のサロンを開設したのも
もう2年になろうか・・・。

ミモザは女性の活躍の証し。
今年もこの花を楽しませていただける。うれしいことだ。
大輪の花もいいけれど、この小ささにこそ、共感する。

やさしい花、しなやかな花、そして小さな灯りを思わせる花。
自分もこの花のように、誰かを静かに見守り、照らせる存在に
なりたいと、思う。

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音と涙のハーモニー♪

おかげさまで、いろんなコンサートをさせていただいて
いる。
昨日はJAの女性部の総会後に呼んでいただいた。
1時間ほど、30名ほどのお客様にトークと歌・演奏を
お楽しみいただいた。
京都の出先で購入してきた桃の枝を持ちながら、
子ども時代のひなまつりを思い出しながら、
笑いの渦に包まれてスタート。
お客様のノリが良いと、私の口も滑らかになって、
我ながら・・と思うほどに、ポンポンと笑いネタが
出てくる。
ひなまつりは女の子のおまつり・・・そこから
春といえば、入学、進学、そして社会人になり、
恋もして、別れもあって・・・そしてふるさとに
戻ってくる・・。
といったストーリーで演奏とトークを展開した。
ひとりの女の子が、大人になって、そして最後は
お世話になった方へ、歌のブーケを歌う・・という
流れ。
コンサートもいろいろあるが、今回はそんな
試みとなった。
最後の曲「うたのブーケをあなたに」を歌い始めた
とたん、さっきまで笑っていたお客様の何名かの
表情が変わった。マスクの上の目が張りつめたような
目の動きが止まったような・・・。こちらも
その目につられないように、時々空を見上げて
時々、そこにいる親たちに話しかけるように
しながら、歌い上げた。
一言づつ、一音づつ、心を込めて。

曲が終わったとき、盛大な拍手をいただいた。
そのとき、多くのお客様の目から涙があふれ、
なかには、涙で顔がぐちゃぐちゃになっている
方もおられ・・・。ぐっときた。

音はときに、笑いと、そして涙とのハーモニーになって
心を浄化してくれる。

「感動をありがとうございました!」
このコンサートの主催者でもある司会者も
泣きながら、謝意の言葉をかけてくださり、
こちらも 心から良かったと安堵と感動・・・。
「泣いてもらえると、うれしいです」

そう、お客さんが笑ったり、そして最後には
泣かれる。
そんなコンサートが好きだ。
心に、まさに歌のブーケをお渡しできるような
コンサートを続けたい。
それは、大ホールでなくてよく、近い距離で
目線を合わせて・・・。

音と涙のハーモニー。
歌の力は素晴らしい。

皆さんの大満足のお顔を見ながら、
再会を誓う。

素敵なひなまつりができて、良かった。

3月はあと2回のステージがある。
それぞれに、うたのブーケを届けたい。

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待っていてもらえる歓び、今年も。

本日、3月3日はひなまつり。
いくつになっても、なんとなく嬉しい日だ。
また、サンサンと輝く日とも読めてくる。
どうやら雨模様であるが、心は晴れ。

今日は昨年3月も呼んでいただいた岐阜のある会場での
コンサート。
「皆さん、楽しみにしておられますので!」
主催者のこの一言で、自分のテンションがぐっと上がる。

楽しみに待っていただける。
皆さんは、今朝、どんな朝をお迎えだろうと想像する。

「ああ、今日はコンサートがあるから、楽しみだわあ~」
「用事済ませて、早く行かなくちゃ」
「雨だけど、仕方ないなあ~」
とにかく時間をつくって、足を運んでくださるのだ。

誰かが自分のことを待っていてくれる。
自分と会うことを、自分の歌や演奏やトークを
心待ちにしてくださっている。

そのことで、とても私は幸せだ。

今朝も、皆さんのお顔が浮かぶ。
また、きっと新しい出会いもあるかも・・・。

いくつになっても、素敵なひなまつりに。
今年も、呼んでいただき、ありがとうございます!

下の写真は昨年の様子

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その人を知る、普段着コミュニケーション

お世話になっている企業の皆さんたちと日曜に
お会いすることになった。
屋外でのイベント会場の下見が目的である。
なかなか平日ではそれぞれが仕事に追われ、共通した
時間をもつことができないため、であれば、日曜にでも。
ということで、有志が集まった。

会社で平日お会いするときは、各々忙しい時間の合間を
縫ってのミーティングであるため、制約もある。
また、それぞれ制服・作業着を着用し、帽子やマスクも
しているため、正直、目の表情しかわからず、さらに眼
鏡をかけていたりするとその素顔はほとんど見えない。

それでも、制服にかかれた名前含め、何度かお会いする
間にだんだん覚えていくが、実はどんなお顔をされているか
はわからないまま、何年もお付き合いを続けてきていた。
声だけは、何度も聞いているので、その声で誰かはわかるよう
になっていたが。

さて、日曜での待ち合わせ。
それぞれが普段着で顔を合わせる。中にはサングラスを着用
されている方もあって、??いつもと雰囲気が違う!と
新鮮な印象を受ける。ああ、こういうお顔されているんだ。
こういうファッションなんだ~。いろいろと小さな発見!

制服を脱いで、マスクも外して、太陽の光や風を仰ぎながら
歩きながら、テーブルを囲みながら、ドリンクを飲みながら
会社で会議をしているのとは違う雰囲気で話し合うと、
より活発な意見が出て、なんだかいいアイデアも沸いてきそうな・・・。

大切なことは時間を共有すること、経験をともにすること。
そして、たまには、
普段着でリラックスして、同じ空の下でコミュニケーションをとること。
ああ、一緒に働く仲間同士での、青空の下でのコミュニケーションは
とても大切なのだとしみじみ感じ入った。

何時間かを一緒に過ごし、解散。

普段着コミュニケーションのおかげで、平日とは違う
親密さも生まれ、その人自身を見る、知ることができ
ほっこりした気持と、よし!ここから一緒にがんばろう!という
意欲もさらに湧いてきた。
会社の中であれば、尻ごみしそうなことも、
アウトドアでのミーティングにより、自発性も生まれる。

なんだか急に、春の到来がうれしくなった。

ときに、普段着コミュニケーション!おすすめだ。
今朝も、皆さんの素敵な笑顔が次々と思い浮かんでいる。

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胸いっぱいの店内放送、たくさんの感謝。

もう行かないと思っていたが、もうなくなると思うと、足を向けて
しまった営業最終日の昼下がり。
地元のテレビでも朝からそのことを報じ、地方紙では見開き二面の全面広告、
さらに号外も配られ、それを見聞きした人は、そりゃ足を運ぶだろう。
想像どおりに最終日 こちらの百貨店はかつてないほどの大賑わい。
何か記念に買うものはないか・・と思い出の品を求める人も見かけたし、
食料品売り場は普段通りに食材を買い求める人も・・・。
おしゃれをしてこられている高齢者の姿を多く見かけた。最後の試着を
されている方も・・・。「最終日となってしまいました・・・」来店された
常連客に声をかける販売スタッフの言葉にも感情が籠っている。

71年も営業をしてきたわけであるから、70代、80代以上の方にとって
は、本当に多くの思い出が詰まっていることだろう。
店内には商品が少なくなり、まさに残り物の中で、宝探しをされる
人たち。そして71年の歴史をまとめた展示スペースも混みあい、撮影
したり、ありがとうのメッセージをシールに書き、壁に貼る方の姿・・・。

そんな人混みのなかで、思わず足を止めたのは、店内放送。
この店内放送やエレベータガールこそが、昭和のデパートの象徴では?
今こそエレベーターガールの姿はほとんど見かけないけれど、店内放送は
健在だ。
昨日は、最終日ということもあり、なんと社員たちがお客様に感謝の
言葉を伝えている。
「私たちは、これまでお客様に喜んでいただけるように・・・・して
きました。今日が最終日となってしまいましたが、本当に感謝の気持ちで
いっぱいです・・・」といった言葉が聴こえてきて、なぜか胸がいっぱい
になった。お客さんも寂しいけれど、スタッフはもっと寂しいだろう。
この見えない店内放送を通じて、最後の感謝を伝えるというコミュニケーション
は、いかにも百貨店らしい結びであり、私にとっては感動の一幕で、
思わず涙。そのアナウンスをバックに、これまで利用していたレジの
スタッフの方に会計後「これまでありがとうございました」と告げると、
その方も深々と頭を下げられた。

こんなコミュニケーションが各フロアでたくさん繰り広げられたであろう
最終日。
最後に、よく利用していたお漬物屋さんに寄る。
最終日でいかに商品を売り切るかと、普段以上に工夫しながら、販売されて
いたが、さすがに空きスペースも・・・。閉店時間にはもう商品がなくなって
いたかもしれない・・。
(下は、最終日午後、撮影の許可をいただいた写真)
閉店が決まってから会話をするようになった責任者の方ともご挨拶。
「本当にお世話になりました。またお会いしましょう。」
そう、きっとまた会える。
こんな感謝の言葉を交わせるのが、対面販売の良さだ。

開店する時は、期待と夢を乗せて、未来に向かい、
閉店するときは、思い出と感謝で歴史をふりかえる。

店舗は空間のなかで、商品と人が出会い、交わるコミュニケーションの
場。モノを買うだけでなく、そのプロセスを楽しんだり、ハレの気分を
味わったり、さまざまな体験もできる。そして、素敵な思い出にもなる。

百貨店は、フランスで19世紀半ばにパリで初めて誕生した業態。
それから成長発展しながら、時代とともにその姿を変えつつあるが、
地元に根差した店たちが姿を消していくことは、本当に寂しいが、
何事にも終わりはある。

昭和という時代が残してくれた夢の箱に、ありがとうを。

さあ、今日から3月。新たな気持で春に向かうとしよう。

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終わりなき はじまりはなし。

2月も最終日。
今日で、前に書いた近所の百貨店が71年間の営業に幕を閉じる。
と、たとえば、こんなことにしんみりしてしまうが、
それ以外にも、いろんな終わりを迎える季節になった。

プロジェクトが終わる。
ひとつの活動が終わる。
任期を終える。
私の周りでも、いろんな「終わり」の報せが入り、
自分に関することでも、いくつかの節目を迎える課題がある。

「終わり」とは、もっと続いてほしいという、終わりや別れを
惜しむ気持ちと、
あえてここで一度線を引いて、改めて動き出そうという
前向きな気持とが入り混じる人生の交差点とも言える。

もし、終わりを惜しむ、悲しい気持が勝るときには、
一度、終わることは、新たに始まることだと、自分に
言い聞かせる。
別れとは、終わりとは自分から告げることもあれば、
告げられる場合もあるが、いずれにしても、
未来への出発点だととらえたい。

同じことを続けるのではなく、環境を変えること、
違う方向を見ることによって必ず道は開ける。

人生はいつか終わる。と思えば、
個々の取り組みも、はじまりがあれば終わりがあることが
当たり前であると思えてくる。
さまざまな出会いと別れ、始まりと終わりの繰り返しで
人生はより豊かになる。

終わりがあるから、次のはじまりがある。
どんな終わりも、未来につながる道であると思いたい。

でも、寂しかったり、惜しむ気持はもちろんある。
感謝の拍手を送りながら、次に向かうのが春。

今年も、そんな春がきた。
春は希望に満ちながら、憂いもつきまとう。
でも、また始まる。

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