いろんな窓で・・・の「同窓会」

初の試み、法事の後のコンサートもおかげさまで、盛況にて終えることが
できた。京の町屋のゲストハウスが会場というのも、初の体験。
知人の奥様の5回忌法要の日に、とリクエストをいただいた。
20代からの創作活動のなかで出会ったご夫妻であるため、この法要と絡め、
追悼展も行われ、夫妻それぞれの作品がその和室いっぱいに飾られる。

亡くなられてから法要と作品展をずっと続けておられると聞き、
なんという愛妻家、素敵な芸術家夫婦かと感動、感心。

今回は、法要を終え、追悼展が始まるオープニングコンサートでもある。

そして、この日は「同窓会」とも位置付けられており、夫妻が出会ったアトリエの
仲間、主人である知人が長年つとめた会社の仲間をはじめ、いろんな「窓」を同じく
した仲間たちが集まる機会ともなった。

そして、奥様の写真もあり、法事をおつとめになられた僧侶も同席され、
30名ほどの「同窓生」を前に、トークと演奏をお届けする。
畳の上で、立ってキーボードを演奏しながら、歌った。
伝統ある町家のお部屋をこんな風に使っていいのかと思いながら??

今回はリクエスト曲もあるため、とくにそれだけは失敗せぬようにと少し緊張しながら
でも、いい感じで歌い弾き、無事プログラムを終了、アンコールもいただいた。

演奏中には、会場の町屋旅館にちょうどチェックインされてきたオランダからの
宿泊客の方も何事?と興味深々、コンサートに飛び入り参加。
なんとも京都らしい会となった。

同窓会。
同じ窓で学び、働き、交わった仲間。
この窓は、生きた各時代の日常の一コマをあらわしている。

私は今回、このコンサートに出演させていただきながら、30~40年前の
会社員時代の仲間に再会でき、自分自身が同窓会に来ている気持になれた。
京都で働いたときの仲間たちに会えたことが本当にうれしく、
自分の来た道をふりかえり、ああ良き時代であったとわが京都時代を
かみしめた。昭和から平成への時代だ・・・。

「同じ窓」で過ごす時間は、とてもあたたかい。
これからも、この会、主が元気でいるうちは、ぜひ続けてほしい。
それを創作の糧に、そして愛する奥様との協働の時間にしていただけたら・・・。
何年経っても「一緒」。
まさに、このお二人の同窓会。

私のコンサートへは、最近、空からの参加も増えている。
同窓会。学校の同窓会だけでなく、いろんな窓で過ごした時代を
辿る時間。

おかげさまの出前コンサート、どんどん変化・発展していきそうだ。

呼んでくださった主催者、愛妻家の馬場さん、関係者の皆さんに感謝。
余りに素敵な会場であったため・・・URLをリンクさせていただく。

https://gh-project.com/tsukito/

今日もこちらで追悼展が開催されている。盛会を祈ります。

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察知力と想像力。

目の見えない状態で食体験をする・・・。そんな試みを企画し、
仲間たちと何度か体験会を行っている。
普段、目が見えている人に、見えない状態で店で食事をする
ことを体験していただく。
店に行くところから、入って注文して、待って、食事をして・・・。
この一連の活動。見えていれば当たり前のことが視覚が
閉ざされることで、状況は一変する。

たとえば、店に歩いていくことひとつとっても、見えないと
車の音、道の段差、さまざまな音が交雑して、不安になる。
また道を歩くその一歩も、足の裏の感覚を意識するようになる。

食事も見えない状態では、美味しいかどうかわからない。
見て得る情報があるから、想像して美味しいと感じることができる。
最初から見えなければ、何を食べているかもわからず 楽しめない
はず・・・。と思っていたが・・・。

今回、この企画に実際に視覚障害を持つ方にも参加いただいた。
その方は見える人と変わらず、食事を楽しみ、会話も積極的だ。
いろいろお話しを聞きして、一番関心したのは、
察知する力と想像力をお持ちだということ。

見えない分、音や匂いの情報には敏感で、どこでどんな音が、匂いがするか
で自分がいる場所や状況を察知する。
とにかく入ってくる情報には敏感で、一度経験したらわかる・・というから
本当にすごい。
察知する力と想像力。
見える人は、そんな力をもっているだろうか?

音や匂いで察知する。
普段見えている者は、考えもつかない学習だ。

目が見えないことが当たり前であれば、それをどう乗り越えるか。
を自分で考え、行動する。
人に何でもやってもらおうとは考えていない。
自分から経験をする。外に出る。
この自立した生き方が素晴らしいと思った。

もしかしたら、見えている者は、見えるのが当たり前であり、
自分からそのモノを知ろうと思わないが、
見ることができなければ、その分、それは何なのか?を
より主体的に知ろうと五感を働かせ、世界と関わりをもとう
とする。

見えないけれど、見えている。よく知っている。
それは、世界とのかかわり方、向き合い方の問題かもしれない。

視覚だけではない、すべての五感。
今はおかげさまで不便なく生きているが、ただ
生きているだけではダメ。

見えないものを見る、察知する力、想像する力。
ぜひ、自分も養いたいと思った。

まだまだ世間知らずで、自分の見えている世界は狭い。




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動けるのは、今!

昨日は京都、今日は東京、明日は京都、その次は岐阜・・・。
と、そんな暮らしが日常。

新幹線に毎日乗っているなあ。
飛行機のように、マイル数は数えていないが、
移動距離は何キロになっているだろう。

たまに、名古屋駅構内で、大阪方面と東京方面の
ホームに間違えて行こうとしたこともあったり、
乗り過ごしそうになったこともあったり、
この移動だけでも、いろいろなエピソードがある。

社会人になってから40年、
本当に移動を続けてきた。

さあ、これからは?
動けるうちに、できることをしておかねばと思っている。

いずれ、いつか、動けなくなる日も来るのだろう。

でも、その日まで動けばいい。

そして、最近さらに体を鍛えたいと思うようにもなってきた。
筋肉をもっとつけたい。
若いときは思ってもいなかったが、

年を重ねると、より意識して努力しないと老いるのみ。
年ですから~。ではなく、
いくつになっても、なりたい自分を目指したい。

動けるうちに。まだまだできるはず。

今日は東京の仲間と一緒に、
録音、イベント本番・・・。

誰かが待ってくれている場所があることが
本当にありがたい。

さあ、今のうちに、できることをどんどん!

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受け入れ、慈しむ。

そろそろ、自分の器をもっと広く、深くしていかねばと思う
今日この頃。
若かりし日々は、無我夢中に自分の力を信じ、前に進むことで
経験を積み、それがキャリアとなって、道ができる。
そういう意味では、進んできた道は、まあそれなりに
順調であった、ただただ幸運であったと思う。

それは大きな事故や病気もせず、周囲のあたたかい応援に
包まれてやってこられたということに尽きるのだが、
それは振り返ってみたら、わかること。
当時はただただ、勢いと力で進んでいた・・と今になって
思う。少々、力んでいたかもしれない。

今は、少しづつ変わってきている。
とりまく環境、身近な人の変化、関係の変化、そして自身の
変化。ある先輩が、定年前に「自分の人生は、もう秋に
きたのよ。夏までとは違う。だからこれからは・・・」
とそんな話をされていたことを、秋になると思い出すが
そう、人生にも四季があり、いつまでも青春の夏という
わけにはいかない。
燃焼した季節を越えて、そして実りの季節へ・・・。

わたしも、秋を迎えつつあるのだ。
実りの季節。これは、人に何かを伝え、遺すということ。
そして、さらに移っていく次の季節に備えるということ。
もちろん、冬になるまでにまだまだいろんなことに
遭遇するだろう。

出会いもあれば別れもある。これは誰にも起こること。
そして、その時期は来てみないとわからない。
若い日には考えたこともなかった、このような事態に
先人たちはちゃんと向き合ってきたのだと思うと
改めて皆さん、偉い、強いと思う。

今、あらためて自分の器をもっと広く、深くしたい。
そして、受け入れる力をもっと養いたい。
それは、まずは想定力をもつこと。備えること。
その上で、人生を楽しみ、そして慈しみたい。

・・・と、父の旅立ちから5年を経て、
いろんなことを考える。

ゴールまでには、いろんな悲しみや苦しみもあるが
誰しもが経験することだと思い、
ならば自分もできるはず、乗り越えられるはずと
想い、受け入れる力を持ち続けたい。

さあ、今年の長良川の鵜飼も今日が最終日。
おもしろうて、おもしろうて、やがて かなしき・・・。

かなしきこともあるから、
今が面白い。人生は愛おしいものだ・・・。
と、少しづつわかってきたような・・・。





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愛妻家からのリクエストに

知人より、奥様の7回忌のご法事コンサートをご依頼いただいた。
初の試みである。
もっとも、自分の親の葬儀では、アカペラ演奏をしたこともあった。
音楽はさまざまな場を盛り上げたり、気持を表現できる貴重なコミュニ
ケーションツールであり、その経験は長く心に刻まれている。

お会いしたことのない奥様のことをいろいろお聞きしながら、
自分なりにイメージを持ちながら こんな方だったのかな、と思いを
めぐらす。
写真も見せていただいたので、イメージはより具体的になり、
なんだか知り合いのような気持にもなるから、不思議だ。

法事もあり、そこでコンサートもする。
花を飾った方がいいかな。
できたら、そのご夫妻が自分のコンサートに来てくださったような
イメージで演ったら良いのではと・・とイメージが浮かんでくる。

ということで、赤やピンクのカラフルな花のアレンジメントを
会場に贈ることにする。
白いお花、ではちょっと寂しい。
仏事に、赤か?ピンクか?

それを相手が喜んでくれるならば、それが一番。
「派手なのがいいわ。〇〇ちゃん(奥様のお名前)赤やピンク
好きだったし!ありがとう!」
と依頼者も喜んでおられる。

そう、その人が喜ばれることが一番。
お会いしたことがないだけに、想像しながら、
どうしたらその方に、ご夫妻に喜んでいただけるかなと
準備を進める。

愛妻家からのご依頼。素晴らしいことだ。
何年経っても忘れないことが大切だ。
リクエストにしっかり応えたいと思う。

今日は、父の命日となる。
この奥様と4日違いだ。
この5年をふりかえりながら、静かにこの時間をふりかえる。
父と母の旅立ちから、出張出前コンサートが生まれた。
いろんな思いがあふれ、重なってくる。

今回の法事コンサートでは、その思いも重ねて、祈りと
感謝も込めて空からの観客に届けたい。
愛妻家からのリクエストのおかげで、
ありがたい経験をさせていただける。
しっかり応えたい。
それが私の親への供養にもなるだろう。

今日は日常を過ごしながらも、ちょっと心静かに
大切な人を偲んでいたい。


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お好きな調で、テンポで・・・。

わが作品「歌のブーケをあなたに」は、演奏するたびに、
聴いていただいた方の何名かが涙される・・・。
ある声楽家の知人も、それを初めて聴いたコンサートで
涙され、そのあとすぐに「この歌をささげたい友人がいる
ので、ぜひ歌わせてほしい」と言われた。そのお友達のため
のコンサートを秋にやるので、そのために楽譜があれば・・と
ご要望いただき、普段オリジナル曲では楽譜を作成せず。
歌詞とコードだけであとは頭の中・・・・常にアドリブで演奏
というのがマイスタイルであるが、頭にあるだけでは、
人様には歌っていただけないため、合間を縫って譜面づくり。
手書きの原稿を仲間の演奏家にパソコン仕上げの協力をいただき、
それをご依頼された方に、やっとお渡ししたのが夏。

10月の末に本番とのことで、準備が進んでいたが、この夏の
豪雨での被害もあって練習も思うように進まず・・・・。
ピアノ伴奏と歌を合わせる時間が取れないので、今回は
諦めざるを得ないかも・・・。
と残念そうな顔をされ、報告をいただいたので、

「この歌は、伴奏なしの アカペラでもいいと思いますよ。
ぜひそれで歌われたらどうですか?」
と、おすすめしたら、「それは、思いつかなかった!」
ということで、アカペラで独唱いただくことに。
声楽家なので、諦めるよりも、それがいいのではと思ったのだ。

私が歌った調と同じでなくていいし、テンポももっとゆっくりで
いいし、自分たちが歌いやすいように変えていただいて
大丈夫。
C長調しかダメとか、ではない。なんでもいい。

とにかく、自作の曲が他の演奏家に歌っていただけるのは
いい機会。

作品をどんどん楽譜にしていけば、次代にも残せるか・・・。
そんなことも最近少し考え始めている・・・。
歌のブーケをあなたに・・・送る場面が増えつつある。
わたしも今週、ふたたび・・・。

https://www.mahsa.jp/lagrr/wp-content/uploads/2025/11/5b0aab5c95afdc8e7e7305b1f11c6004.pdf

歌のブーケをあなたに – YouTube

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ああハナミズキ・・・。

実家の庭の手入れは、正直、自分の手には負えない。まったく無理。
親が元気だったころ、「庭があるのも大変なんだ~」と、自分たちで
好きで作ったはずなのに嘆いていたことは覚えている。
親が手入れできなくなってからは、叔父が助けてくれて、本当に
ありがたく、この方がおられなかったら・・・と思っている。
健康のためにできることをやっているから・・と言ってくれる
事も助かっているが、それにしても木々、草の処理はなかなか
大変な仕事・・・。と、私は落ち葉を掃除するぐらいしかできず、
全くの役立たずだ。
その落ち葉も、これからの季節は毎年憂鬱で、とくにハナミズキの
葉の処理は、本当に苦労してきた。
掃いても掃いても落ちてくる・・・。
もう本当に・・・。これを数年続けてきた。たった数年ではあるが、
今後のことを考えると、そろそろ判断が必要になってきた。

ということで、叔父とも相談しながら、多くの木々の伐採を決めた。
これで、悩みがひとつ減る・・。
と決断後、実家の庭を改めて見上げる。

紅い実を付けたハナミズキが私を見下ろしている。
さらに、今週行うコンサートの準備をしていたら、リクエスト曲に
「ハナミズキ」があり、その歌詞を見て、胸が詰まった・・・。

うーん、伐採してよいモノか・・。
ハナミズキは、確かに5月に花開くのだ。母の日の頃に・・・。

そう、ハナミズキ=母のイメージにつながる。

本当に切っていいのかな。
迷いながら、
「まあ、咲いたらきれいだけど、瞬間だしね。瞬間のわりに
あの葉っぱの処理は大変すぎるし、もういいんじゃない?」
と周囲の声に背中を押される。
こういうとき、客観的な声は大切だ。

ハナミズキだけでなく、
最近は今後のことを考え、いろんな選択、判断をしなければ
ならないことが多い。
そして、先送りしない方がいいことも多い。

「切っていいのかな、どうしようかな。小枝1本だけでも
残しておけないかな」
全部なくなるのが、いやなのだ。

その言葉に反応して、叔父がいくつか枝を切ってくれた。
「どれを残したい?」
まもなく木自体を切ろうとしているぐらいだから、
もう育てたいわけではないけれど、
今、全部なくしたくない、もうしばらく見ていたい。
という複雑なハナミズキへの想い。

母ももういいよ。と言ってくれるだろうが・・・。

先代が遺すものの整理は、本当に大変だ。
次の人のことを考えて生きなければと思うが・・・。

と、ハナミズキに悩み、そしてその歌を歌う
心揺れる秋の日。

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30周年に向けての宿題

28年前に命名した、わが職業名「コミュニケーションクリエイター」
は、我ながらいい表現であったと思っている。
起業後、多くの問い合わせや質問をいただいているが、
同じ職業の人にお会いしたことがない。
世界でたったひとりの職業を目指してきたので、ある意味正解だった
かもしれない。

ツールを作るだけではなく、コミュニケーションをつくる人、
関係をつくる人、笑顔あふれる社会を目指す人・・・
いろんな思いがありながら、何とかここまでブレずに歩いてきた。

30年を迎えるまでに、もうひと踏ん張り、そしてもっと考えていかねば
ならない。
コミュニケーションクリエイターのままでいくのか?
自分は本当にクリエイターなのか?という自問。
今ある自分を表現したいのか、なりたい自分を表現するのか?
ここも大変重要だ。

またカタカナの表現は、もういいのかなと思う点もある。
30年までの間に、これから生きる自分にふさわしい命名をしたいと
思っている。
もちろん「人生は観覧車のように」は変わらない。
いろんな挑戦を重なるなかで、何かもっともっと・・・と思う自分が
生まれてくる。
内側から湧いてくるときが、変化のチャンスかも。

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いのちの安売り、反対!

少子化のせいか、ペットの販売店が増えている。
SCでも、街中の路面店でも、ホームセンターでも。
「わあ、かわいい!」と多くの人が集まってくる。

それを見るたびに、悲しい気持になっていた。
かわいいけど、かわいそう・・という気持だ。

お店によっては、小さな箱に閉じ込めて、
犬は狭いその部屋のなかをくるくる周り、
人が来ると吠えている。
ぐたーっと寝ている犬もいる。

ネコは基本、じっとしている、じっと見ているか。

昔からペットショップはあったか?
子どもの頃には、あまり記憶がない。
犬もネコも、人から譲り受けてきたものだと
いう認識があったが、いつの間にか、
ペットは商品になり、ペットだけでなく
そのペットにまつわる商品、サービスも増えている。
ペット市場は成長産業になっている。

最近みかけたホームセンター内のペット売り場。
売り場面積は広い。小さな箱のような仕切りがあって
あって、ペット候補の動物たちは、そこで待機している。
そこに値札。
高いものは20万円以上、低価格のものは数万・・。
同じ犬でも、こんなに値段が違うのか。
これは、人間にあてはめたらどういうことになるだろう?
何を以て値段が変わるのか?
安く値付けされている犬がかわいそうになった。
さらに、驚くのは「ハロウィーンセール」のPOP。
そこからさらにディスカウントされた価格が掲示されている。
おもちゃのようだ。いのちなのに・・・。
商売のための販売促進で、安く提供されるなんて・・。
おかしい。
きっとハロウィンが終わったら、次はクリスマス・・とか表現を
変えて展開され続けるのだろう。
そこまでして、売りたい?売らねばならぬ?

決してそのお店を攻撃したいわけではないけれど、
そもそも いのちの値づけは、反対だ。
セールなんて、ありえない。

人間のご都合で、こんな風に、安く売られ買われて、
大切にしない人もいるかもしれない。
動物たちにとって不幸にならないように、最後まで
責任をもって対応されたい。

ふと、あの箱のなかにいろんな人間が入っていたら・・と
想像してしまい、いつかそんな日もくるのかも?

縁起でもないが、やはり人間はときに残酷だ。
おそろしい。
どんないのちも、大切に。と思うが難しい。



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セットの学びを

久しぶりに都内の大学を訪ねる。
オンラインもいいけれど、リアルで学ぶのは、また違う。
講師の話だけでなく、それを聴く受講者の様子もよくわかる。
新たな知見を得るだけでなく、ライブ感から学ぶことも多い。

受講している講座の対面授業に来られる方の多くは高齢の方。
私より明らかに年下に見える方は若干名。しかも現役学生では
ない。

高齢者のなかには病気を患いながらも出かけてこられている方も
おられる。通学も大変であろうが、この授業を聴かねば!との
その意気込みに頭が下がる。
授業が始まる前に、毎回対面授業に来られている方同士、
会話を交わしておられる。10年以上前から続くこの講座、
リピーターが多いようであるが、受講者も講座の歴史とともに
年を重ねる。
たとえ80歳を超えても学ぼう、質問しよう。と、皆さん真剣だ。
その意欲が本当に素晴らしく、この様子はオンラインではわからない。

戦後80年を過ぎ、戦争体験を有する人は減少の一途。
そのうち、経験した人もいなくなれば、世の中は次第に変わる。
今も変わりつつあるが・・・。
この平和を守ってきた尊い80年を忘れてはいけない。
これからも平和でなければならない。そのために世の中を知り、
自分ができることをする。
そのための学びの時間。
意欲ある高齢者は、学ぶ。
自分ができることを、模索しておられるのだと想像する。

自分はこの先10年、20年・・・。いくつまで生きるのかわからないが、
学ぶことは「インプット」。それはもちろん続けるとして、
それを伝えたり、発信したりする「アウトプット」まで行いたい。
これが、セットの学び。インもアウトもしっかり!意識して生きていきたい。
もちろん「アウト」は、言葉での発信だけでなく、音楽で伝えることも含めて。

仕事を続ける現役の方、学びへの意欲があるお年寄り、デイサービスに通う
お年寄り・・・。
いろんな高齢者の姿を見ながら、自分が進むべき道をできるところまで、
自分で選びたいと思う。そこには生きる意志が前提になるのだろう。

対面授業は、実は、自分にとって社会勉強の一環でもある。そして
リサーチでもある。
いろんな社会を見よう。そしてセットの学びを実践しよう。
それぞれの人生がいろんなカタチで動いている。

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