あじさいブーケを贈る

長年お仕事をがんばってこられた方に、仲間と一緒に
ブーケを贈ろうという話になり、手配係を承る。
お花屋さんにいろんな希望を伝えつつ、
花の専門家のセンスに期待しながら、出来上がりを待つ。

花を贈った相手とは、20年ほどのおつきあいになる。
そして、近年、あじさいの会話を何度かした記憶があり、
季節柄も含め、それをメインにして、それに合う花を
一緒に束ねていただいた。

これまで、あじさいをブーケにして贈ったことはなかったけれど、
一輪のなかに多くの小さな花を咲かせているその様が、
人生の努力の結実にも見えて、「お疲れ様でした!」の意味を
込めて贈りたいと思った。

花には大輪の花もあり、真っ赤で目を惹く花もあるが、
あじさいには違う存在感がある。

気が付けば、人に花を贈る機会は増えてきた。
本人に直接渡せることがうれしい。

40年以上もひたむきにがんばってきた人に。
敬意を、感謝を込めて。
そして、新たな出発のエールも・・・。

いろんな気持を込めるときにも、あじさいは
適している。

この季節だから、の思いを
大切にしたい。


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「時代」を今こそ思う。

中島みゆきがヤマハのポプコンで華々しいデビューを
飾った当時、毎日のようにヤマハの教室に通っていて、
なんだかとてもまぶしく思ったし、レッスンではすぐに
「時代」を習い、子どもながらにわけもわからず、
歌い、弾いていた頃。
今から思ったら、あんなに若かった中島みゆきが、その
当時に「時代」なんて、まるで人生を俯瞰したかのよ
うな曲が書けたとは、本当に驚き。今書いてもおかしく
ないぐらいの、人生を俯瞰した曲。
今朝、なぜかそのメロディが頭を流れ続けている。

最近、時代を感じることが多いせいかもしれない。
仕事では、平成生まれの人とのやりとりが増えている。
とくに2000年以降に生まれた人達が、社会人として
活躍しはじめている。
いろんな価値観や常識が違うと思いつつ、まあ、そういう
時代だと思い、理解をするようにしている。そんななかで
生まれる共感は、なんとも愛おしい。

デジタル社会の中で育ってきた人は、コミュニケーション
の取り方ひとつとっても、自分たちの若かったころとは
違う。そして、彼らは昭和の時代を、カバーしたり
リメイクして自分たちなりに、新しくして取り入れ、
楽しんでいる。
化粧の仕方、髪色の違いを超えて、今、異世代の人との
交流をしながら、後も生きる彼ら彼女らに、何かひとつ
でも、役立つことが伝えられたらと、お節介おばさんな
自分もいる。

一方、昭和の時代を教えていただいたさまざまな先輩
との交流も頑張って続けている。
がんばらないと、そのうち会えなくなってしまうと
そんな気がしている。
新宿の青春時代。お世話になったママさん。
今も変わらず、アナログな生き方を貫いておられ、
ネットも、スマホも、CDでさえも、「使えないの~」と
もっぱらテレビ、ラジオ、そして本と人との
コミュニケーションで生きておられる。
手紙を大切にされている。字もきれいで、丁寧だ。
そういう生き方もあるんだ。
そんな時代だった。
新宿歌舞伎町の夜の世界は、わが人生の青春の
一コマ。あの頃は、日本中が賑わっていた。
なんだか、みんなよく働いた。
東京は眠らない町なんだぞ。と30歳で東京に
転勤した自分を鼓舞してくれた上司。
ハラスメントとかそんな言葉もなくて、なんだか
面白かった。人と人、肌と肌がぶつかりあって
生きていた・・。そう、そんな時代。

そんな時代もあったねと・・・と
今、まさにそんな心境でもあるが、
まだまだ時代は続く。回る。
変わるけど、また巡る。

今の時代を存分に生きよう。

そして、昭和の時代を大切に。
一緒に生きた人達との思い出を大事に
持ち続け、笑顔であり続けたい。
日本が輝いていた頃。
そんな時代がありましたとさ・・・。
で終わらせてはいけない。

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あじさい日記の季節に。

実家の庭に咲いた紫色のあじさい。
「今年も咲きましたか!」
つい、声に出てしまう。

漢字で書けば、紫陽花。ピンクや水色もあれど、やはり
名のごとく、この花は紫に限る。
そして、この花をみると、やっぱり今年も母を思い出す。
せっせと庭仕事をしていた頃のことだ。
その主人がもういなくなって5年以上経つが、叔父のおかげで
この花たちは今年も無事に開花。

それにしても、雨によく似合うなあ。
主人がいなくなったあとにも咲いた花を見てつくった
「あじさい日記」。
この曲が似合う季節が今年もやってきた。
早速、実家のピアノで、ひとり弾き歌い。
雨の日、ピアノ、あじさいの組み合わせは、なかなか。

「あじさいの花、ちょっと使いますので~。」
育ての親、叔父さんにメールで一言断ってから、
少し花をいただき、
自宅と実家にそれぞれ飾る。
「今が一番いい季節。どんどん使って」
お言葉に甘えて・・。

母のあじさい。笑っているような?
梅雨になった。
心の恵みにもなってくれたらいい。

しばらく、この花をめでながら、心穏やかに
時を刻みたい。

あじさい日記の歌詞はこちら。

https://www.mahsa.jp/creation/newcd2024/#

※スタジオで収録した動画もご覧いただけます。

https://www.mahsa.jp/creation/

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やはり、総合芸術。

今さら・・であるが、やっと映画「国宝」を観ることが
できた。本来は、劇場で見るべきであるが自宅で。
観ながら、これこそは、劇場で見るべき壮大なスケール
であると思い、想像を膨らませて視聴した。
見覚えのある長崎のある風景からはじまり、身近に感じる
京都のいくつかの劇場・・・。
それだけでもうれしいが、歌舞伎自体の美しさ、飽きさせず、
緊張を緩めさせないストーリー展開。出演している役者も
納得の配役で、演技も素晴らしい。
そんなこれまでの映画の楽しみに加え、今回は2つの気になる
ポイント。ひとつは、お世話になっている方の関係者が、
BGMの楽器演奏を担当されているということで、気が付けば
歌舞伎音楽とうまく調和しながら、時折登場するオーケストラ
の音色に耳がいく。そして、もうひとつは、知人の会社の看板
商品のひとつである、シュークリームが登場するということ。
どこで?いつ?見落としたらいけない。とずっとストーリーを
追いかけながら、シュークリームが出てくる場面を待った。
おかげさまで、早めに登場してくれたので落ち着いて、
その後のストーリーを楽しむことができた。

久しぶりに、2時間半余りの作品を長いと感じずに、見終えること
ができ、しばらくじんわりと余韻が続いた。

映画とは、巷で素人たちが騒いでいる動画の類とは、まったく
違う。やはり芸術、しかも総合芸術である。
企画段階から多くの人が関わり、プロジェクトとして
作品作りが進む。裏方のスタッフも多くかかわる。
19世紀末からの歴史をもつ映画。作品作りには撮影や
編集に関わる高い技術力も求められる。
アナログからデジタルへと時代は移り、映画もともに進化。
劇場で世界を巡り、時にタイムトリップができることは本当に楽しい。
世界の映画もお国柄があって、大変興味深いが、
日本の映画も素晴らしい。

あのシュークリームに、美しいチェロの音に、馴染みの風景。
と今回は不思議なご縁をいただきながら、歌舞伎役者の
人生を堪能させていただいた。

総合芸術。演劇も、映画も、大勢の力が結集され、創り出される。
目を閉じれば、思い出す。
思わずじんわり涙があふれてくる。

スケールは違えど、感動をつくる仕事はやはり最高だ。



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ド・ロさまのお茶が届いた

自分の生きてきた地域で、ド・ロ神父のことを知る人はほとんどいない。
長崎においても、その活動拠点である外海以外では、地元であっても
知らないという人もいるかもしれない。
私も外海に足を踏み入れるまでその存在も名前も知らなかったが、
そこにある出津旧救助院や出津教会などを訪ね、ド・ロさまがいかに、
日本の明治時代にこの地に貢献された方かを知り、今ではすっかり
ド・ロさまのファンである。

禁教時代に息をひそめて生きていた人たちが住んでいたこの外海で、
女性たちが自立できるようにと、いろんな教育を行われた。
キリスト教教育はもちろんであるが、パスタ麺、紅茶づくり・・・
などを地元の女子たちと作り方を教えた。今もその当時の畑や作業所
が残っており、今その歴史を大切に残し、次代に残そうという動きが
ある。

ド・ロ神父は教会建築から、印刷から、医学まで・・まさに
マルチな方であり、キリスト教の布教活動をしながら、さまざまな
角度から人々との接点をもち、その関係を大切にされ、生涯フランス
に戻ることなく、一生長崎の外海でその人生を終えた方。

たまたま、マイカレンダーの6月の写真は、まさにド・ロ様が自国から船で
取り寄せたオルガンと古時計とド・ロ様の写真が写っている。そして、
下の写真はドド・ロ様が手掛けられた、出津教会である。
あまりに美しい形で、いつもここに来ると、足をとめてじっと見る。
ド・ロさまが生きた時代にタイムトリップするのがとても好きだ。
あの遠藤周作も、おそらくここにも足を運ばれただろう。

そのド・ロ様のレシピにそってつくられたお茶が外海から届いた。
「ド・ロ様の黒い茶」と「青い茶」手摘み・手煎り・オーガニックと
書いてある全くのハンドメイドと近くの工場で焙煎されたものと
入っており、せっせと仕事をされるこの地域のお世話をされている
シスターたちの姿が浮かんだ。

ここには、都会の喧騒や最近多い物騒な事件はない。

もちろん長い暗黒の時代もあり、それに打ち勝ってきた歴史の上に
ある平和である。

フランス生まれのド・ロ様の外海愛をお茶をいただきながら、
感じさせていただくとしよう。

ああ、あのオルガンをまた弾きに行きたくなった。
何年か前、台風のときに新潟からのお客様を迎え、
ここで行ったコンサートも懐かしく・・・。

今、ド・ロ様が生きたこの土地で新たな取り組みがはじまっている。
一人でも多くの方に、知っていただけるとうれしい。
https://fr-doro.jp/

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今日のお守りは。

人は守られていると思うと安心する。
京都の有名な?神社の交通安全のお守りをよく父に渡して
いたことを思い出す。
また、小さなペンダントをお守りと言って、遠くに離れて
いる友にプレゼントしたことや、逆にいただいたことも
ある。
また、そういうつもりがなくても、身に着けるものを
プレゼントしたら、
「これ、お守りにさせてもらうわ」
と言われたこともある。

お守り。スタイルはいろいろあれど、世界中に存在する。
何年か気に入ってよく見に着けているのは、世界の
教会で集めてきたメダイを集めてでつくったペンダント。
何か世界の神様に守られている感じがしている。それだけで安心。
そこにはフランシスコ・ザビエルのメダイも含まれている。

一方、毎日家族のために弁当をつくる、おにぎりをつくる。
アイロンのかかったハンカチを持たせる。
と、家族が今日も元気で、無事にいるように。
安全に戻ってくるようにと、願いを込めてつくる日々の
お守りもある。
しばらく休止していた弁当づくり。ずっと作っているから
つくらないと、持たせないとどうも落ち着かない。
それがまた再開して、毎日作ることになった。
改めて、気持を込めて何かをつくったり、そのモノに
思いを込めることはいい!と思うようになった。
つくる時間手間暇よりも、お守りを渡す気持ちが
大切なのだ。と勝手に思っている。

これを食べて、元気にがんばろう!とか、気を付けて
過ごそうとか、相手がその瞬間思い出してくれる
だけでいい。
そんなものも、ささやかながら、1日のお守りになる。

と、その昔、毎朝、母が夫婦喧嘩をした翌朝でも、
父に持たせる弁当をつくっていた。
なんのご馳走もない、ささやかな弁当であったが、
「弁当、もってけ」
と投げセリフで弁当を渡しても、それで仲直りと
なった。そして、その弁当は父にとっての1日の
お守りであったと思う。
そして、空になった弁当箱を持ち帰る・・・。

毎日のお守り。
何かあると、出かける人も、見送る人も
安心。

と、おにぎりを包みながら、両親の弁当コミュニ
ケーションを思い出した。

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やりたいことをやる!

約40年つとめた会社を間もなく卒業するという仲間に久しぶりに
会った。
お互い、30代の頃に東京で出会い、細く長く交流してきた。
今から思えば、年賀状という1枚のはがきが、関係をつないできのたかも
しれない。忘れないでいる。気にかけておく。何かあったら助け合う。
そんな関係はとてもありがたい。近くにいなくても、大切な仲間。
その人が、卒業ときいて、これからどうするのか?興味を抱いた。

実は会社員時代から、企画の仕事をしていたこともあって、社外の
人との人脈も豊富で、いろんな業界の人に知人がいた。
そして、映画づくりに興味をもち、監督やプロデューサーから
相談を受けて、地域の活性化をテーマにする映画づくりに、地元
のクリエイターとして制作の協力をしてきた。
会社の仕事というよりも、ライフワークとして取り組んできた。
でも、会社員であると、どうしても制約もあり、やりたいことだけ
をやるということは難しい。
葛藤も抱きながら、やらねばならないこと、やりたいことをうまく
両立させてきた会社員時代。

その生活から間もなく解放される。
「これからは、やりたいことをやろうと思っている!」
久しぶりに会ったその顔は、1年前に会ったときよりも、
すっきり、明るくなっており、出会った頃の30代の面影を
久しぶりに思い出させてくれた。
人間、自由になる。解放される。好きなことをする。
そんなとき、とてもいい顔になる。

映画づくり。収益のためではなく、町おこし、地方の活性化の
ためにそれをしたいのだという。
最近、自分も長崎との交流を深めることで、地域の課題については
考えることが多く、映画でのアプローチは有効だと共感。
そんな彼の新たな挑戦を、これから応援したいと思う。

卒業する人と会うことは増えてくる。
長い間、一つの会社でつとめあげるなんて、本当に大変だ。
心から、卒業を祝いたい。

好きなことをやる。
制約がなくなることで、これまでやりたくてもやれなかった
ことにぜひ、楽しみながら挑戦してほしい。

好きなことをみつけられるだけでも、幸せだ。

さて、自分の場合は?


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3年後の約束。

「2年前の今日、あのコンサートでした。あっという間です」
そんなメッセージが届き、ああ もうそんなに・・・。
糸魚川の山間の静かな町にある、郷の茶店「えほん」で行った
25周年記念のコンサートのことだ。
当時これからどうしたもんか。という表情でおられた店主に
「せっかくの機会だからコンサートでもやって、お客さんに
楽しんでもらってはどうですか?」と、背中を押し、
気が付けば、実現が叶い、おかげさまの大盛況。
手作り感あふれる、あたたかい心に残るひととき。
プレゼントしてオリジナル曲も、喜んでいただけた・・・。
はるばる来たぜ糸魚川~♪と歌いたくなる距離も近く感じた。

あれから、2年。
ここで、終わってはいけない。
店主と1年ぶりに会う。健康状態も含め気になるので
意識して会いに行く。
なぜか、途切れたくない、大切にしたいと思える赤い糸の
持ち主だ。
「さあ、30周年までもう少しですね。25年からあっという間に
今日ですから、この勢いで3年後、またやりましょう。」
気が付けば、3年後の約束をしていた。

3年後・・・。どうなっているかわからないけれど、
その笑顔を想像しながら、生きることも幸せなこと。
ぜひ、80歳を越えても元気に営業を続けていただきたい。
私自身も、パワー落とさず、3年後に向けて走り出そう。
待っていてくださる人がいて、
喜んでくださる方がいて・・・を心の糧に。

自分の人生は、やはり心の観覧車を回し続けることかと
改めて思う。

3年後の約束。と思えば、そこに向かってがんばるしかない。
年を重ねても、ずっと前向きに・・。

27年を迎えた、えほんの美味しい手作りお菓子。
地元の越の丸ナスを使ったマドレーヌ等ロングセラーで
多くのファンに愛されている。
商品のPRがご縁で知り合った日を懐かしく思い出す。

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新聞から世界を知る。


ちょっと大げさなタイトルになってしまったが、
改めて、「新聞」の存在を大切にしたいと思う今日。
地方紙では、すでに夕刊を発行できない新聞社も増え、
朝刊も20年前、10年前に比べたら厚みもなくなって
きており、でも値段はその当時より高め。
それでも、記者が汗をかいて取材して書いた記事だ
と思えば、高いとは感じないが、情報を無料で
入手することがごく普通になっている今日、新聞を
わざわざ購読するという人は減少の一途をたどっている。

また、日々ちゃんと情報を得たい人はネットでの
有料版を購読する。といっても、無料の情報で済ます
人も多い。
ましてや、紙の新聞を購読する人は高齢化とともに
現象しているかと思われる。
ちなみに、周囲でお元気な高齢者で、新聞大好き。
と言う方もおられ、その方は大変お元気だ。

東京から地元へ引っ越してくるまでは、毎朝、
玄関の郵便受けまで新聞を届けてもらえるサービスが
本当にうれしく、朝が来るのが楽しみだった。
一時期は、二紙購読していた頃もあった。
読み比べも楽しかった。
新聞の宅配は日本固有のサービス。そんな国は
どこにもないと海外の人に驚かれたことも。
本当に便利。今はセキュリティの関係でドア前
までは来てもらえない。それが購読を辞めた理由。

また、新聞は喫茶店で読めるからいい。という
人もいる。それは今もそうで、喫茶店に行って、
いろんな種類の新聞を読み比べるのが、楽しい
と言う人もいる。
昔、喫茶店やレストランでバイトしているとき、
毎朝新聞をホッチキスでとめるのも、朝の日課
であった。多くの人が読んでもばらけないように。
最初に考えた人は偉いと思っていた。

最近、新聞が好きな人に出会った。
休みの日に喫茶店に行って、家でとっていない
新聞を読むのが楽しみという方だ。
「新聞って、会社によっていろいろ違うから
面白いよね」そんな会話自体がノスタルジー。
「わたしは、いつも出張先の地元紙を購入して読む
のが好きで、よく京都新聞は駅やコンビニで買って
読むのが好きだ」というと、その人は興味をもたれ、
「へえ。京都新聞って、どんなの?」
と聞かれたので、先日、その人のために京都新聞を
一部購入して、プレゼントした。
すると、とても驚きながら、喜んでおられ、ゆっくり
楽しみながら読まれている様子。そんなに新聞を
味わって読んでいただけるなんて・・・。
「やっぱり、中日新聞とかとは違うねえ。」

地方紙でその町を知る。知らなかった世界を知る。
新聞とは、その名のごとく新たに聞く情報が掲載され
ているから、やはり世界の「新」を知る貴重な媒体だ。
メディアとは、第三者が客観的にとらえ、社会に
役立つ情報として公に提供してくれる存在。そうあり
続けてほしい。価値ある情報を届け続けてほしい。

もともと、新聞が誕生した頃は、知識人のためのコミュ
ニケーションツールであったと聞いたことがあり、
確かに求める人が自ら手にとるツール。簡単に手に
入らなくてもいい。と思う一面もある。
とはいえ それでは作り手の環境も厳しくなる。
経営がたちゆかないと作れなくなる。紙も媒体は
作るのに、届けるのにお金がかかるのだ。

そんななか頑張っている新聞社、とくに地方紙を
応援し続けたい。
そして、表現の自由が赦されている現在の日本にも
感謝したい。

新聞のことを書いていたら、香港の新聞社のことを
思い出し、胸がいっぱいになった。

人々にとって、新聞が頭のブレックファーストで
あり続ける。世界中のそんな朝の光景が懐かしくて
たまらない。
今日は新潟日報と・・・どれを読もうかと楽しみ
になる。

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6月1日と言えば思い出す。

今日から6月。いつもこの月の始まりになると必ず思い出す記念日。
なんでも「電波の日」だそう。昭和25年に制定された電波法を記念して、
翌年に制定された記念日だそう。
これまで国営の放送しかなかったが、これを機に、電波が解放され、
放送が民放でも可能となり、自由な番組が流せるようになった。
考えてみたら、大変画期的であり、この流れがあって、今日のネット
社会があるが、電波がなければコミュニケーションはできないという
点では今も昔も変わらずである。
この電波の構造には全く詳しくないので、今でもこの世界には不思議
が多いが、これはこれとして、この6月1日になると思い出す人がいる。
その電波の日の存在を教えてくれた人でもある。
かつて、ラジオ番組でお世話になったFMコミュニティを運営する
する逸見さん。出会ったときはまだ30代前半で若さと情熱と、新潟愛
を感じさせてくれる素敵な青年であった。とある出会いから、新潟の
皆さんの熱き応援もあって、自分のラジオ番組をもたせてもらえること
になった。ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」。

当時通っていた新潟への愛を込めて、地元の企業さんたちにも登場いただき
PR含め、発信のお手伝いができれば。そして、若い人たちのコミュニ
ケーションの悩み相談や、素敵な新潟エピソードなどをお伝えすることで
地元の皆さんに愛と元気をお伝えできたら・・という意図から誕生した。
番組制作を担当いただいた青木さんも、新潟で活躍する音響のプロフェッショナル。
皆さんのおかげで、
新潟との出会いがなければできなかった素敵な経験を長くさせていただいた。

今日電波の日は、そのラジオ局の社長逸見さんのバースデーだ。
ラジオのために生まれてきたのかなと思えるタイミングでのご生誕!
ラジオは単にコンテンツを流すだけではなく、いざという時に地域の役に
立つことが大切だ。その使命感をもって、長く取り組まれている。

久しぶりに局のサイトを見てみたら、時代の変化も感じながら、
今も昔も変わらないオリジナリティとセンスに満ちた独自のスタイルが
うかがえて、思わずうれしくなり、
お世話になった皆さんたちの顔が浮かんできた。

電波。コミュニケーションには不可欠な見えない存在。
今は、ラジオが強い時代だと言われている。
人が話している、自分のそばにいる。そんな温かみが人気の秘訣かも
しれない。

これからも、地域のために、ますますの貢献を。

挑戦を与えてくれた新潟の恩人に感謝して、6月をはじめると
しよう。

ちなみに、当時の番組の一部は今もわがサイトから聴いていただくことも
できる。

FM KENTO 公式サイト
https://fmkento.com/

わが懐かしの番組 愛の元気人 インタビューコーナー
「愛の元気人」保存版

新潟への感謝と愛は永遠に!

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