「お墓、つくったよ」

久しぶりに仲間と会う。仕事でお世話になってきたが、
気が付けば20年以上の交流であり、大切な心友である。
私が本当に困ったときには、助け舟を出してくれた・・・
その共に私があげられるのは、元気ぐらい・・・。

近況をお互いに語り合う。
すると、「ちょっとこれ・・・」と、スマホを
見せてくれる。
「なに?へ?これ へ?お墓?」
「そう、作ったの。できたばかりだけど」

流石に驚いた。同い年である。
私は将来、墓に入る気はないと前から決めており、
いずれは墓じまいも・・・と考えているぐらいなのに、
この友は自身のお墓をつくってしまった!
まるで、わが家を作りました~という感じ。

そのお墓は、パリで見たことがあるような雰囲気の
とても素敵なデザインで、これなら入りたくなるわ。
と思うこれまで、日本のどこでも見たことがない
とても素敵な作品(あえてそう呼ばせていただく)。
カタチも彫られている文字もすべておフランス風。
文字もフランス語が筆記体で綴られている。

聞くところによると、

1000回ありがとう

皆さんに会えて私は本当に本当に幸せです

と書いてあるそうで、
たくさんの感謝をあらわしている。
そこには、〇〇家の名前も、個人の名前もない。

まあ、なんと素敵なお墓だこと。

改めて20代、30代のときに訪ね歩いたパリの墓地の
中にあった素敵な墓石を想い出した。

同い年の彼は、これを作ってしまったのだ。

人は生きたあと、どうなるのか。
その考えは、人それぞれであろうが、
彼はそこに眠ると決めたのだ。
自分の人生をしっかりと考え、着々と準備を
している姿に、刺激を受けた。

「感動したわ。本当にいいね。
でも、まだ早いからね」
と笑いながら・・・。

永眠の場所を考える・・・。
いつか、別れるんだな。
と思ったら、笑いながら複雑な気持にもなったが、
たくさんの感謝をして、一生を終える。
というフィナーレは心から共感。

まだまだ長くおつきあいしてもらわないと。

一歩先をゆく友が、ずっと元気でいてくれるようにと
改めて心から願っている。

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雨と桜で祝う、恒例のセレモニー

4月1日。地元のデイサービスの開所5周年の記念イベントに出演させていただいた。
スタッフと利用者さんが一緒に凸凹合唱団の伴奏と、その後のコンサートを担当。
ふりかえると2周年の2023年から毎年、この日を一緒にお祝いしている。
母の旅立ちから数日後の開所ということもあり、自分の中でも忘れられない
施設。親が元気だった頃、この地はなんと喫茶店であり、母も利用していた。
コロナ禍の影響で、結果的に福祉施設に変身!
まるで喫茶店のモーニングに通うごとく快適にサービスが受けられると、
今や地元でも、隠れた?人気サービススポットとなっている。

ご縁をいただいて以来、周年記念日以外にも、年に何度も通わせていただき、
利用者さんやスタッフに演奏とトークを楽しんでいただいている。
常連さん?も多いコンサートになって、ご好評をいただき、嬉しい限り。

自分にとっては、出前・出張コンサートの最初の取り組みのひとつであり、
大切にしたいご縁。今でも親孝行ができる貴重な空間でもある。
初めての方にも、何度も何度もお会いする方にとっても、なぜか毎回新鮮に
受けとめていただき複雑ながらも、
今のこの瞬間を楽しんでいただければ最高!と思うようになり、
こちらも毎回、初心で演奏をすることにしている。

認知症になっても、この瞬間を楽しむことはできる。
自由に体が動かなくなっても、音楽で自由なひとときを楽しみ、
歩んできた人生へのタイムトリップもできる。

演奏後、いつも何度も何度も声をかけて下さる方がいる。
「お母さん、元気?あなたのお母さんのこと、大好きだった」
「はい、元気ですよ。宜しく伝えますね」
と、こんな会話にも慣れてきた。

また、花束やお惣菜を届けてくださる利用者さんのご家族も
おられ、父母が長年育んできた地元愛が、こんなカタチで
返ってくることに胸があつくなる。

高齢者施設は究極のサービス業だと思う。
こちらの施設でのスタッフの離職率は低い。
みなさん長い間、楽しみながら、お仕事されている。
経営にはさまざまな工夫、苦労もあると察しつつ、
天職として頑張り続けている経営者の志に共感しながら
これからも応援を続ける。
生きる人の明日に何かをプラスしたい。
アスタス・・・社名にもその思いを改めて感じる。
https://asutasuday.com/

父母とともに地元で過ごされた皆さんたちが
これからもずっとお元気に楽しく過ごして
くださるように心から祈っている。

汗だくになっての帰り道、父の提灯が雨に咲く桜とともに
微笑んでいた。「今年も、ありがとうね」

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初心思い出し、新たな自分を。

昨日まで年度末で何かとあわただしく動いていたが、
1日過ぎて見れば、ここから新年度。
年度替わりは、とくに職場や学校での変化が大きく、
休日で迎える新年よりも、ゆとりがない。

と、今はそう思うけれど、新入生や新入社員の立場
となれば、年度末はないので、今日からが新たな出発。
緊張も期待も入り混じった特別な日。

ふと約40年前の入社式のことを思い出す。
そういえば、役員さんたちとの記念撮影があったなあ。
同期は女性2名と男性一名。
女性の総合職を始めて採用、男女雇用機会均等法の初年度。
この法律も今となれば当たり前であるが、当時は画期的であり、
女性の新卒に興味関心の目が向けられた。
女に何ができるかな?という目線を感じたあの日。
ということを、久しぶりに思い出した。

あの入社式の写真は、どこにいったのだろう。
もうお会いすることのできない当時の上司たちに
導かれ、社会人のスタートを切った。
あの写真に写っていた奮発して買ったスーツと
少しすました顔つきの自分がいたなあ。

当時、自らのこれからを明確に意識していたわけではない。
なりたかった職業に就いたわけでもなく、
次のステップとして考えていた教職までの準備期間
として、生活のため、経験のためにがんばろう・・
とそれぐらいのゆるい入社動機であった。
そこで一生がんばるということは考えても
いなかった。
それでも、学生生活を終了し、
新たに始まる社会人生活への緊張は確かにあった。

今日、入社される新入社員の皆さんは、どんな気持ちで
朝を迎えておらえるだろう。
慣れない通勤が始まる。

今どきは、余りにも早い段階からの就活で、学生時代から
いち早く社会人環境を模擬体験しているだけ、
現実感のある入社なのかもしれない。

とにかく、親や周りから独立して、自分の道を
歩み始める日である。
働いて、自分の生活を創るという社会人スタート。
期待と不安が交雑、
そんななかで、若者たちは、真っ白なキャンバスに
自分の人生という絵を描き始める。

どんな絵を描いていくかはその人次第。
どうか夢をもって、簡単に折れることなく、
柔軟にしなやかに社会人生活を育んでほしい。

今日から新たな出発をする皆さんを、心から祝し、
自分も今日から1年、新しい自分探しを始めたい。
さて次は、どんな絵を描こうか?

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鑑賞より記録?!

撮影や録画が簡単にできるようになって、
人間の感性はどう変化したのか?
そんなことが気になる昨今。

飲食店に行けば、美味しそうな料理を見て、
「わあ~。美味しそう」
と言いながら、すぐスマホを取り出し、料理は被写体に。
冷めようが、とけようが、まずは儀式のごとく、撮影
し、SNSに公開する人も。
そういえば、こういった場合、料理って著作権ないのか?
ちゃんとしたお店であれば、許可をもらわなければ
撮影を許されなかった時代が、今は昔のような感じが・・・。

美術館へ行ったら、長蛇の列。
ナポレオンが描かれた作品を久しぶりに見たいと来てみたけれど、
そこに人が集まり、動かない。
なぜ人の動きが止まっているか?多くの人が撮影して
いるから・・・。
しっかり絵の前に立って18世紀終わりから19世紀の
ヨーロッパ社会に思いを馳せたいと思っていたが、
とてもそんなことはできなさそう。やむを得ず、
自分もスマホを出して、とりあえず、来た、観たの
証拠づくりのように、ささっと撮影してその作品から
離れた。
ナポレオンの絵の前だけでなく、多くの作品の前で
立ち止まっている人の多くは、撮影をしている。
昔の美術館とは様相を異にする。すっかり変わった・・。
世界中の美術館が変化しているだろう。
何も持たず、ただ鑑賞し、ため息をつく・・・。
そんな光景はルーブルでさえ、もうないかもしれない。
作品は美術館で、鑑賞者と直に向きあうのではなく、
レンズを通じていつでもどこでも見られる存在になって
しまった。敷居は下がったけれど・・・。

自分のコンサート。
いくつかの施設では、当たり前のように撮影や録画を
される。
本来は事前に断りをする・・というルールがこの世界は
別のようだ。ご家族はじめ、関係者に報告をしなければ
ならないという命題が優先される。
さすがに、無断で公開はされないようにと、お願いする。

何かあったら、まず記録。
スマホの普及は本当に人類の記録欲、露出欲を一気に
高めた。
撮る前に、しっかり観たら?聴いたら?味わったら?
五感を働かせる前に、撮る・残すという習性が当たり前に
なっている。
後でも見れる、聴ける。

日常を瞬時に思い出にすることができる。

自分も人のことは言えない。
昨日は満開の桜を見て、撮影のアングルばかり
考えていた。レンズ越しではなく、桜自身とどれぐらい
向き合っただろう?
たくさん撮ったわりには、ここに貼り付けたいいい絵が
なかったが・・・。

いかん、いかん。
まず肉眼で愛でよ。耳で聴け、そして頭に、心に
自力で残せ。
と反省。
すぐ記録するということは、後で見ればよいと
思って、自分の中には残されないのだ。
記録の外注化でなく、まずは感動を自らの中に
注入すること。それが本来の鑑賞だと思う。

記録より鑑賞。
後のお楽しみより、この瞬間を。

スマホの使い方は、ここでも要注意。

目を閉じたときに、どれほどの風景が
映像が自分の中に描き出せるか。

鑑賞と感動。
そんなことを思う、便利な時代。
大切なものを失くさないようにしたい。

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4月はじまりのカレンダーとともに!

3月といえば、卒業・・・。と、そんな記述をしたり、それをテーマに演奏して
きた最近ではあったが、そろそろ、気持を切り替える。
ここからスタート!である。
昨年に続き、1月はじまりではなく、4月はじまりのカレンダーを作った。
以前は1月から12月までにしていたが、どうしても年末に間に合わず、であれば
4月はじまりでもいいのでは?と、思い変えてみた。
他のカレンダーと違うのも、新鮮。また気持をカレンダーとともに、
年度で切り替えられるのも良い点だ。
超限定として制作。過去に撮影した写真や大切にしている素材を生かして。

そろそろ、別れや終わりのムードから、新しい世界に自分の気持ちを向けて
いかねばならない。
不思議なものだ。
カレンダーひとつで、よし!ここからまた1年がんばろう!とさまざまな
心の塵、澱が消えていくような気持になる。

そう、これから社会人になる人、これから学校へ行く人・・これから
の新たな生活に意欲を燃やす人たちと一緒に、自分も新たに1年を始め
なければと思う。
新たな年度に向け、マイカレンダーが毎日自分の背中を押してくれる。
これは、私自身との大切なコミュニケーションツールである。

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「癒し」の観覧車、くるくる。

グループホームでのコンサート。利用者さんだけでなく、地域の方や
ご家族の方にも集まっていただいた。
利用者さんは80代以上の方とお見受け。まさに親と同世代であり、
親近感を抱く。
利用者さんの席の後ろに、地域の方やご家族の席。
そして、その周囲にスタッフの皆さん。アジアから来られている方も
多く混じり、国際色豊かなホームである。

45分程の演奏とトークをするうちに、利用者さんたちの表情や体の
動きに変化が出てきて、こちらにもその「ノリ」が伝わった。
後方のご家族の方や地域の皆さまも、マスク越しではあったけれど、
目での表情の変化から、楽しんでいただいている様子で嬉しくなった。

演奏後、感動したと涙ぐんでおられる方、「ありがとう、ありがとう」
と何度も何度も言われる方、皆さん笑顔でご挨拶。
印象に残ったのは、ご両親の面会を兼ねてこられていたご家族の皆さん
の反応。みなさん、笑顔で、声をかけてくださる。
「楽しませていただきました。良かったです~」という言葉と併せて
「癒されました~♪」との言葉もいただく。

そういえば、この言葉はよくいただく。
癒すには、傷を癒す、疲れや悲しみを和らげる意味がある。
癒されたら、人は元気になれる。
そうか、そんなお役立ちもあるのか。と、自分が行っている演奏活動を
改めてふりかえる。

お客様が癒されると、私も癒されるような気がする。
全身全霊での行動が相手に伝わり、その方が癒され、元気になれば、
その「気」がこちらにも伝わる。
そう、癒しの観覧車が会場内をくるくる巡る。

大学時代に読んだ、コリングウッドの芸術論をふと思い出す。
音楽は演奏者だけでは成り立たない。観客がいてこそ、成り立つ。
一緒に作り上げる芸術だ・・・と、そんなことを書いていた。
施設でのコンサートも同じである。
束の間ではあるが、会場全体が一体感に包まれ、盛り上がる。
今回も、まさにそんな場となった。

余韻のなかの帰り道。
いろんな方の声、表情、言葉が走馬灯のように登場する。
また、癒しの観覧車を回しにいかねば。
「今日も、良かったよ」と、母が笑っている顔が浮かんだ。

演奏の機会をいただけること、待っていてくださること、
本当にうれしい。
素敵な春のふれあいコンサート。
うららびより江南白壁館さま、お招きありがとうございました。

https://www.urarabiyori.com/facility/kounanshirakabe/

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60代からのわくわく起業

ここ何年か一緒に仕事をしてきた仲間。
まったく職種は違えど、同世代ということもあり、
なじみ深く、いい刺激を受け取りながら、一緒に
プロジェクトを進めてきた。
ある日、
「そろそろ、会社をやめようと思います。」
へえ?そんなこと今しなくても、もう何年もすれば
定年になるのに。それからでも良いのでは?
と思い、
「へえ?どうされるんですか?」
と尋ねると、
独立をして、フリーで仕事をしたい、とのこと。
会社の制約のなかで、仕事をし続けることよりも
まだできるといううちに、独立して自分で仕事を
したい、そして、公私ともに充実した人生にしたい。
自身でする仕事を子どもに見せたい・・・とも
話され、その目の輝きがとても印象に残った。

自分は30代半ばで独立をして、なんとかブレずに
あきらめずに、やってこられた。
ここからの人生の残り時間をさらにどうブレイクさせる
かが、直近の課題でもあるため、
その人のファイト!に心から共感を覚えた。

会社員という道を選ぶ人の多くは、ましてや60歳を越えたら
向かうのは定年のはずであるが、その前に、自ら道を変える
勇気。
自分に自信がないと、なかなかできないことだと思う。

「不安はないか?」という問いは愚問だと、その目を見て察知した。
「いやー、わくわくしていますよ。早くその日が来ないかなと」
実に頼もしく、また仲間がいることを実感し、うれしくなった。
AIの力を借りたら、2~3人分の仕事ができるとも聞き、納得した。
AIが起業への背中を押す時代になるのか。

起業はいつからでもできる。
学業もいつからでもできる。
恋愛もいつからでもできる。
世界旅行も、宇宙旅行もいつからでもできる。

60代からのスタート。まだまだいける。

もっと高みへ!そして、わくわくを大切に!

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相手によって、場所によって。

今年に入ってからの演奏活動をふりかえる。
高齢者施設、長崎の記念館、新聞社のロビー、レストラン、そして
明日以降は再び高齢者住宅、そしてデイサービス・・・。
その後は、ホテルでの周年イベント・・・などがある。
コンサートといっても、いろんな形態がある。
地域、規模、会場、対象、時期、時間、使用できる楽器・・・。
それに合わせて、プログラムを考える。
どの場所、どんなターゲットかにより、できることが変わる。
ピアノがキーボードになれば、歌やトークを主体に、
グランドピアノがあれば、演奏も意識したプログラムに、
そしてターゲットがどんな方かによって、曲目や構成も変わる。
長崎では、朗読劇にも挑戦した。
練習以前に、その構成を考えることが先。
とはいえ、いつもギリギリの準備になっているが。

明日は初めての場所、初めてのお客様。
地元ではないため、自分を知る人はいない。
でも、ひとたび会えば、一曲、ワンフレーズ始まればと
思う。
会ったことがない方でも、楽しみにしていてくださると
お聞きすると、ほどよい緊張とワクワク感に包まれる。

場所により、相手により・・・。
表現を変える。おかげさまで、毎回、自身の
コミュニケーションの良い学びになっている。

音楽の目的はただひとつ。相手の心をほぐし、癒し、
元気をお届けすること。笑顔を増やすこと。
小さな活動ではあるけれど、できる限り、出前コンサートを
続けていく。


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存在に感謝する日。

人は生まれ、そして、いつか死ぬ。
そこまでが人の一生だ。
1日24時間であること、いつか知れないが人生が終わる。
その日までを生きる。
そのことは、人類共通の生きる条件。
どんな過酷な、あるいは平穏無事な一生になるのか、
いろんなパターンがあるが、
できれば、戦争や災害で命をなくすことは避けたい。
でも、これも自分では決められないこと。
と、少し不自由な世界で、皆生きている。
そういう点では、平等な社会だ。

数年前までのコロナ禍を思い出す。
そして、5年前の今日を思い出す。
亡くなる13日前に入院してから、見舞いも許されず、
会えたときは生き途絶えていた。
終わったなあ~。人生で味わったことのない経験。
あの瞬間のことは、一生忘れない。
ONとOFF。まさに、母の人生のスイッチがOFFになった日。

不思議なもので、死なないと思っていた母がいなくなって、
大きな柱を失った感覚ではあったけれど、それでも
5年生きてきた。生きられたという気持が強い。
今は失った柱を悲しむ以上に、その存在に感謝したい気持ちが
増している。ああ、ありがたい。
もちろん、寂しさは消えないままであるが。

母の旅立ちの日がベートーベンの誕生日で良かった。
今日は、なんとなく、第九交響曲を聴きながら、母の存在を
心の中で、辿りたいと思う。

フロイデ!生きる歓びを力強く描いたあの不朽の名作を
背景に。そんな命日も良いだろう。

しんみりではなく、力強く!
感謝して、私はもうしばらく生きる続ける。
あきらめることに抗い、元気に生きる。

と、この記念日に心に誓う。

桜咲くこの季節に、母の存在をかみしめることができる幸せに
感謝を込めて。

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あらがってもいい。

40代あたりから、「アンチエイジング」という言葉が
自然に耳に入ってくるようになり、自分には無縁と
思っていた。その後、その言葉自体に、アンチな
自分がいた。無理に若返ろうとしなくても、
自然に歳を重ねればいいのに。など、その時は
人ごとと思っていたのかもしれない。
高齢は自分には無縁と思っていた頃。

あれから、急に年をとったということはなく、
生まれてから変わらず、毎日毎時毎秒、ただ
息をして生き続け、その分の生きた時間を
重ねているだけであるが、
気が付けば、数十年生きてきた。

ほんとうに、改めてそんなに生きてきたのかと
驚くが、それが現実。そして今の私がここにいる。

今も「アンチエイジング」という言葉は好きではない。
そんな、逆らわなくていい。自然のままでいい。
と少し強がりしながら、顔にできる皺にも、
「これは生きてきた年輪だから、よし!としよう」と
諦めつつ、開き直る自分。
ほんとうは、高齢という言葉に無縁でい続けたい
けれど・・という現在地。

そんななか、五木寛之さんの元気なお姿を久しぶりに
映像で見てとても感銘と、刺激を受け、新たな学びを
得た。
93歳になって、もっと生きなければと思っておられ、
毎日、執筆を続けておられる。書くことが生きること
だと、病になった時もその生活を変えずに乗り越えて
こられているとのこと。60代の時よりも、今の方が
もっと生きたい。生きなければと思うとのこと。
死に向かう自分に抗って、1日でも長く生きたいとの
強い意志が、インタビューから伝わってきた。
(このことは、近著で書かれている)

90代を越えて、尚、「抗う」という意欲、強さは何だろう。
人間って、すごいと思った。
精神力から押し上げられる生への意欲が、そのまま
活力になっているのだろうか。

アンチエイジングが嫌だとかイチイチ思っていなくて
いい。アンチでいい、抗えばいい、抵抗すればいい。
こうありたい、こう生きたい自分のために。

生きることは、なりゆき、自然に任せる・・ではなく
もっと能動的で、自発性により、より確かで豊かな
人生を育むことができる・・。

あらがっていい、と自分に言い聞かせたら、
なんだか、自由な世界が見え、やりたいことも
増えてきた。

抗いは、単に無駄な抵抗ではなく、道の開拓につながり、
成長と幸せにも通じるのだと、今はそんな気持ちでいる。

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