まさかの年末台湾コンサートツアーが実現することに!
今年は音楽活動に関して、これまでに経験したことがない
新たなステージが増えつつある。
ステージが違うということは場所も、ターゲットも、また
目的も違うということだ。
コンサートといってもいろんなカタチがある。
海外の医療・福祉施設での演奏とはいつかできたら良いと
思っていたが、なんと今回はそういった場所を主に訪問する
ツアー。
仲間から訪問先報告を受け、オンラインで詳細ミーティングを
行い準備モードに。
「いやー、連絡しばらくなかったから、どうかなと思っていたら
いきなり5回公演でびっくりしたわ~」
「時間かかってすいません。いろいろやりとりがあって・・・。
でも、本当に皆さんのお世話になって、これが実現するんです」
と、台湾側でいろいろと動いてくれたことが想像でき、しみじみ
ありがたい・・・。
皆さんへの心からのお礼を述べると
「いえ、一度やると決めたら、やるんです!」
この力強い一言に 20年も変わらぬ彼女の超積極的な物事への
向き合い方に、一緒に仕事をしていた時代が蘇った。
変わらない人だ!
頼もしく、本当にありがたいと思った。
挑戦は自分への投資でもある。
早速、航空チケットもホテルも予約し、もろもろ調整に入る。
「日本の歌も歌ってほしい・・そうです。曲目を早めに
教えてくださいね。なんか、『北国の春』とか、『骨まで愛して』
と言う曲は、皆歌えるそうですよ」と聞いて、思わず吹き出し
そうになる。「北国の春」はまだしも、「骨まで・・・」が歌える
台湾人か・・・。日本では歌える人、もうほとんどいないのでは・・。
こんな会話からも、今からドキドキわくわく。
やると決めたら、やる!それは、こちらも同じ。
「年末のイベントを一緒に盛り上がりましょう!」
頼もしき仲間の一声にまたうれしくなる。
ここから、また新たなことがはじまる。
人生は観覧車のように・・・。
みんながひとつの輪になって回り始めた。
「やると決めたら、やる!」は万国共通
「あっぱれ」を送りたい人生。
張本勲さん。わたしが子どもの頃は、おそらく巨人で活躍されていたか。
テレビやラジオの中継でしか見たことがないが、その存在はよく
知っていた。
野球に詳しいわけではないが、長嶋、王に次ぐ・・ほどに著名な選手、
お馴染みの存在だった。
でも、当時は野球が特別好きだったというわけではなく、その生い立ちなど
子ども時代には知る機会もなかった。
それが日曜の朝番組で印象が変わった。
スポーツコーナーでのコメント、突っ込みがなんとも言えず
ユーモラスで厳しいけど温かみがあるそのキャラクターに関心を抱いた。
スポーツは人生に例えられるが、自分が決めた道なら、とことんやりつくせ。
喝を入れる。妥協を許さない厳しさがある。でも、それは己のため。
頑張った人には、あっぱれ!を送る。
ご自身も努力家だったんだ・・・。
だんだん張本さんの生い立ちを知ることになり、驚いた。
被爆経験があり、幼き頃からご苦労をされた。
戦争は絶対にダメだ・・・と晩年、訴えられていた様子を聞いて
涙があふれた。
そして、出身についての差別も受けながら、育ってきたとのこと。
これを聞いて、どこまでご苦労をされたのかと・・。
そんな張本さんが亡くなった。
なぜか 泣きたいぐらいに悲しかった。
一度もお会いしたことがないのに、まるでお会いしたことが
あるかのように、自分が喝を入れていただいたことがあるか
のように、そんな身近な応援団がいなくなったような気が
して、とても悲しくなってしまった。
どんな思いで、自分にふりかかったさまざまな苦しみを
乗り越えて生きてこられたのだろう。
野球の存在が、多難な人生を支えてくれたのだろう。
晩年、被爆者としての経験、思いを若い世代に伝えて
おられた。
伝えねばならぬ。という熱い思いが籠った言葉であった。
苦労した人しかわからない道。
それが伝わってくる人であった。
泣き寝入りをしない人生。
自分を強く信じて生き抜いた人生だったのだろう。
多くの人が勇気をもらったはず。
戦争も差別もない社会を心から祈って
野球を通じて、人生をまっとうされたその姿に
心から敬意を表し、ご冥福を祈りたい。
なぜ、こんなに悲しいのかわからないけれど、
それだけ多くの人々に、
メッセージを残されたのだろう。
CHALLENGE&ENJOY
今日は9月11日。あれから25年。世界が変わった日。
ニューヨークで発生した同時多発テロにニアミスした
仲間たち。
当日、大雨のなか遅れて出発した成田発ユナイテッド
航空に搭乗し、その後米国内に入れず、アラスカの
フェアバンクスと言う見知らぬ空港に緊急着陸。
そこで3日間をともに過ごした仲間。
20代から50代後半、年齢も職業も異なる。
日本でなら、絶対会わなかった人。それぞれが
そう思った。
まったく想像も、期待もしなかったオーロラに歓迎も
され・・・。
命拾いをしただけではなく、想定外続きの経験、出会
い・・。
そんな生涯忘れることのない時間をともに過ごした、
強運の仲間たち。
いつの間にか「フェアバンカーズ」と自分たちの
つながりを命名し、大切な思い出にした。
帰国後は、お互いが日常に戻り、それぞれの人生を
再び歩みはじめた。
10年ほどは毎年9月11日になると、都内で再会し
お互いの近況を確認しながら、あの日を懐かしむ
時間を共有していたが、それも10年を節目に解散。
15年ほどの時間をおいて、あるきっかけで、今年は
25年だから、集まれる人だけでももう一度・・。
そんなことで、4名で集うことができた。
25年前の自分たちと、それからを一緒にふりかえる。
みんなそれぞれ活躍して、医療業界へ、芸術の道へ
素晴らしいプロフェッショナルとして、積極的に
人生を謳歌されていることがわかり、やっぱり
強運の持ち主はどこまでいってもポジティブだと
感心。
どんなときも楽しむ。
CHALLENGE&ENJOY
昨日の同窓会では、そんなキーワードが浮かんだ。
そして、久しぶりに35歳をすぎた頃のスーパー
ポジティブな自分に出会うこともできた。
本日9月11日。改めて今日まで生きてこられた幸運に
感謝をし、当時より悪化している世界情勢に屈すること
なく、心強くしなやかに、やさしく生きることを誓い
たい。
歌姫からのGIFT?
思わず、そのメールで、このところの体調不良がどこかへ
消えてしまった。
と思うほどに、びっくりオファーの連絡。
「本当にやる?やれる?」
未知の世界への挑戦というしかない。
わが台湾の仲間たちは、いつも突然に連絡をしてきたり、
行動をする。その習性には慣れてきているつもりが、
今回も突然な連絡。
こまめには連絡してこない。
でも、連絡しなくてもしっかり準備を進めていたようだ。
そこが台湾式かもしれない。
12月に台湾でチャリティコンサートツアーをすることに?
まだ信じられないけれど、もうその方向で進んでいる・・。
もともと訪問したかった、施設や医療関係。
日本をよく知る、高齢者の皆さんに 日本の、あるいは
日本と台湾の交流の歌を届けたい・・とは思っていたが
まさか、実現するとは。
もしかして、台湾の高台に住む、歌姫からの?
施設からは、彼女の歌のリクエストもある・・・。
なんとも、不思議な話。
ほっぺたをつねってみる・・という動作はしたことが
ないが、そんな心境。
何か、ここから違う世界が広がっていくのか・・・。
歌姫がこっちの国でも、歌ったください~♪と
呼んでくれているのか・・・。
思いがけぬGIFTである。
これは大変だ。台湾で動いてくれた多く仲間の
気持と行動に応えなければ!
多くの人のご協力があっての実現。
ほんとうに、ほんとうにいつもサプライズ!を
くれる人達。
昨年の20年ぶりの「再会」。この絆はやはり
紡ぎ続けられている。
ありがたい限り。
とっておきの贈り物。になるように、
フォルモサの地のみなさんに
元気と愛を伝えられたら・・・。
この企ては、台湾の仲間たちと、
そして、テレサのおかげ。と思っている。
瞬時の判断力。
まさか、地元が線状降水帯の影響を受けるとは。
こんなに何度も何度も携帯から緊急警報のアラームが
鳴るとは・・初めての経験で、おかげで日常が
崩れた。
どこで起きてもおかしくないとは思っていながらも、
自宅前の道路がみるみる冠水していく様子は、しばし
これが現実かと思うしかなく、冷静に今できることを
考えた。’(おかげさまで、時間を経てその水は引いたが、
まだ雨は降り続けている・・)
おかげで、自宅自体に水が入ってくることはないが、
車の移動の手配。近隣の方の情報も得ながら、様子を
見て、高層の駐車場へ移動してもらった。
何もせず、置きっぱなしで水浸しになっては、後悔
する。大切なマーサカー「123」(ひふみちゃんと
名付けている)だ。ピアノと同じぐらい大切な存在。
そして、実家の確認。ご近所や親せきの皆さんからの
ありがたい情報により、ゆうべまでの段階では、
ひとまず被害はなかったよう。
皆さんご親切に、
「今、水がひいたよ。写真送るね」
「明日午後から見てくるね、大丈夫大丈夫」
とすぐに駆け付けられない自分に代わってお世話
してくださる。
そして、各地から何通ものお見舞いメッセージも
いただく。
名古屋といえば・・・ということで思い出して
くださったのだろう。
そして、自分も10年ほどお会いしていない名古屋周辺
に住む知人に安否メールを送る。
「避難対象地区に入っていたので・・・」
そんなこんなのありがたいやりとりを胸に、
たまたま自分自身は屋内にいる日であったため
被害を免れたが、交通機関が停止し、帰宅できなか
った人、そして今朝も動けない人が多数おられる
だろう。そして浸水の被害・・・。
先日来の関東での経験も教訓になっているかも
しれないが、それでもやはり、「いざ』という際に
冷静な判断と迅速な行動を選ぶことは、いのちを
守ることにつながる。
このまま振り続けたら・・・の恐怖とともに
朝を迎えた。地域のみなさんがそうであろう。
打つ手がないとき。
そんなときも来るかもしれない。
きっと最後までできることをしようと
あがくのだけれど、
人間は、やはり無力で、自然に向き合い、
生きるしかない存在。
瞬間、瞬間。すべてそのつながり、重なり。
そのことを学ぶ、貴重な夜明けとなった。
夜明けになったら、どうなっていることか。
予定どおり行動できることは、奇跡である。
と、こういう時こそ、強く思う。
ご心配いただいた皆さまへ、心からの
感謝を。気にかけていただき、本当に
本当にありがとうございます!
名乗らない接客。
お店の予約や連絡・・など電話で行う場合は、
必ず最後に名前を聞くようにする。
何かあったときの場合にだ。
「いついつ、誰にご連絡しましたので」と、
言えば、確実だ。名前が共通のサインにもなる。
ホテルや一部のレストランでは、電話に出ると
「●●の〇〇です」と
自分から名乗ってくれる。
これは安心。それを聴くと、ここは一流だと
思える。責任をもってお答えします。という態度が
見える。できれば、電話での接客となればそうで
あってほしい。
電話でなくネット上のやりとりでは、履歴が残るので
担当者の名前がわからなくても、なんとかなる。
記録が残ることはとても重要。
一方、対面での接客。
上に書いた電話でも名前を名乗ってくれるような店、ホテルでは
スタッフは胸元にネームカードを付けている。
ファーストフード店やカフェでは、ニックネームで
やりとりすることもあり、カジュアルである。
また個人情報だから・・・とネームカードをつけることを
必須としない企業もある。付けている人、付けない人が
いる店もあり、同じ店なのに?と不思議に思う例もある。
ここは、正直難しい。
今どきの接客は、このような状況のようだ。もちろん全てではない。
最近、ある店に電話で連絡をした。
対面で先にお願いしたことの一部変更を、対面のときとは
違うスタッフに説明をしてお願いをした。
話しながらも、電話だから大丈夫かな。
と思い、最後に
「念のため お名前教えてもらえますか?」
と言ったら、それまで機嫌よく接客していた若いスタッフが
電話口でフリーズしているのがわかった。
「…誰の名前ですか?_」
「あ、あなたのお名前です。何かあったときにお名前が
わかっていると間違いがないと思うので・・・」
と言ったら、
「いやー、大丈夫ですよ。ちゃんと伝えておきますので」と
最後まで名乗らなかった。
正直、とてもビックリする接客であった。
そこまで・・・個人情報が優先される時代なのか・・・。
今の時代では、それが当たり前なのだろう。
名前を告げるということは、仕事に責任をもつこと
でもあるが、そんな常識のは通用しないのだろう。
名前がわかれば、いいことがあれば、もちろん褒める。
感謝する、いい意味で身近になる。
別に本名でなくてもいい。役者と同じだ。
やはりちゃんとした店で対応を受けたい。
ちゃんと と言うのは、教育がしっかりしているお店である。
人手不足なので、そんなことも言えないというのが店の
実状か。いてくれるだけでいい。という例も多いだろう。
なかなか、接客もむつかしい時代になった。
やはり接客業では「名前を呼んでほしい」ぐらいの人に
お客様に感謝される仕事をしてほしいと、改めて思う。
そんな環境で自分も育ってきたし、今も名札を付けて
頑張っているおもてなしの達人が多くいる。
片手の挑戦!にエール
ピアニストは包丁を持ってはいけない・・と言われる。
大げさと思われるかもしれないが、
それぐらい手指の怪我には気を付けなければならない。
という意味だ。
もちろん、お手伝いさんがいるわけでもなく、
一般人は日々、包丁も持たないわけにはいかないが。
ピアノを長年演奏されている先輩との会話で、
次の発表会に何を演奏しようか・・と迷っておられるとのこと。
右の手を最近少し痛めたこともあり、あれこれ思案。
右をもっと鍛えないといけないけれど、ここであえて、
左手のための演奏曲があるので、それをやってみようかと。
実はこれまでも何度か、左手だけのためのピアノ曲を
聴いたことがある。片手だけの演奏なのに、そうとは思わせない
重厚感もある。
このような楽曲は、作曲家が自らが負傷したり、友人の右手が
不自由で、では左手だけで弾けるものをと、作曲されたそう。
私自身も興味がある楽曲であるが、左指はなかなかむつかしい。
右手でごまかすこともできないから、かなりのハードル。
先輩いわく、
「でも、なんだか左手のためだけの曲と言うのにも興味あるし、
ちょっとやってみようかと!」
その挑戦にこちらも思わずガッツ!
右手だけで練習する・・は、よくあるけれど、
左手のためだけにある曲とは。
私自身も、そのうち挑戦してみたいと思う。
利き手ではないので、ちょっとハードルも高いけれど。
両手があって当たり前・・・ではなく 片手でも立派な演奏が
できる。
まずは、指の運動からしないと・・・。
ピアノひとつとっても、奥が深すぎて、飽きることがない。
どんな場面でも、こんな方のために、こんなケースのために・・・
と人々は、さまざまな工夫をするものだ。
「私の仕事だから」
長年お世話になっている方との会話。
旦那さまが施設に入所されているため、
毎日欠かさず、見舞いに行かれるとのこと。
いろんなことが気になるのと、旦那さまの
お世話をするということが、ご自身の仕事
であり、毎日顔を見に行き、できることを
するというのが日課になっているとのこと。
ああ、理想の夫婦だ。
とそれを当たり前としてやっておられる姿に
感動、そして心から敬意を抱く。
そんな話の流れで、
自分が健康じゃないと、旦那さんのお世話が
できない。だから、メンテナンスも最近は
積極的に心がけている。
自分が相手を看取らないと、送らないと。
「それが私の仕事だと思っているから」
と言い切られたその言葉に強く感銘をうける。
ああ、これこそが夫婦だ。
最高のパートナーだ。
一緒に外出もできず、会話ができなくなっても
それでも雨の日も、風の日も毎日せっせと・・・。
送るのが仕事。そうだ。自分の場合もそのことを
考えておかねばならない。
考えたくないことではあるが。
それから、送られるということ。
子どもがいない人は、ここはよく考えておかねば
ならない。
子どもがいる人の人生とは、そこが大きな違い
なのかもしれない。もちろんお子さんの有無
だけではないけれど。
送ること、送られること。
そんなことは10年前は考えていなかったが、
今は違う。
考えたくないこと。後回しにしたいこと。
でも、そんなに逃げていてもいけない。
「私の仕事だから」
みんな、それぞれ生きていく上で、
仕事がある。
こんな経験を重ねながら、本当の意味での
人生の自立を考える。
「ながら」はお宝。
机に向かって集中!という勉強は、正直あまりした記憶が
ない。そういったスタイルが性に合っていなかったのか、
そのように躾けられなかったからか、集中するといえば、
ピアノの練習の方が記憶に残っている。
じっとしているよりも、あれこれ同時に行うことが
自然に身についた。
五感をフル回転している方が、頭にもよく入った。
そんなわけで、ながら学習は今も好きな勉強法。
歩きながら聴く、歩きながら考える、歩きながら見る。
話しながら考える。
そんななかで、新たな発想が生まれたり、発見もある。
昨日も時間調整もあったせいもあり、歩きながらの
思索時間。心身の健康によく、頭もすっきり。
私は車の運転をしないので、ながら運転はないが
歩きながらの時間はお宝だと思っている。
特に集中したデスクワークの後には、ながらの時間
を大切にしたい。
今日も、またいろんな「ながら」をしてみるとしよう。
心も頭も開く時間に、突然ひらめくことも多い。
早く会わないと・・・。
最近、久しぶりにお会いする方との時間が増えている。
というか、意識的に増やしている。
次は15年ほどお会いできていなかった方。
今は80歳に近いか?急に連絡再開、お会いすることに。
もともとその方の活動の拠点であった千葉で、もしくは東京で。
「どっちでも行くよ~」
「では、10月の初めでしたら、そちらの方まで行けます」
「へえ?10月?そんな先かあ。そんな先だと、死んじゃうと
いけないから、もっと早くならないかなあ」
そんな、死んじゃうと言われたら、スケジュールを見直すほか
ない。なんとか、9月で時間を調整し、近々都内での再会が
決まった。
電話口では、お元気な声。会ってみないとわからないが、
まあ、声が元気であれば、大丈夫か。
でも、死んじゃうから早く!と言われたら、無理してでも
と思う。
悔いなき人生のためには。前倒しすべきことも多い。
その方は、私の音楽活動復帰の恩人であるから、
絶対にお会いしていろいろ報告しなければならない。
なんだか駆け足になることも多いこのごろ。
とにかくできるときに、できることを、会わなければ
ならない人、会いたい人と。
そんなこんなで、人生の棚卸も少しづつ始まっている。