自己表現をどうするか?

自己表現とは自分の思いを何かしらの形で見えるように
する行為。
一人の人間として、他の誰とも違う存在として、
自己表現ができることは、とても幸せであるし、
生きる活力にもなる。
自分の作品があるということは、まさに自己表現
の証し。
絵画でも写真でも、小説でも、映画でも、音楽でも
これらの作品はすべて、作り手の自己表現のツール。
なぜ、この人はこれをつくったのか?と考えること
自体が意味がある。

自分でつくる作品は尊い。
自分がゼロから苦しんで生まれた作品は愛おしくもある。

一方、AIに表現を手伝ってもらったり頼ったりすることは、
自己表現につながるだろうか?
最近、その点をよく考える。

自己表現をするならば、やはり自力で。
どの程度できるのかを試すには良いだろう。

いずれにせよ、ひとりの力を信じて生きたい。

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根っこからの応援団の力。

長くお付き合いしている方との時間は、ありがたい。
自分が歩んできた道をご理解いただいており、
その道が今の自分とちゃんとつながっているか、
やっていることが自分の人生にとってブレていないかを
確認する機会になるから。

先日、30年以上見守っていただき、おつきあいいただいている
方と久しぶりにお会いし、近況を語り合い、意見交換をする時間を得た。
自分を知ってもらっている人との時間は、まるで家族との時間。
話題は尽きない。
家庭の話題から世界情勢、未来まで・・何でも話せるスゴイ関係だ。

変化する、課題の多い現在。このなかで自分はどう生きたらいいか?
最近よく考えるテーマだ。
それについても、あれやこれや・・・雑談しながら、心が整う。

結論としては、
「マーサはマーサでブレない生き方、やっぱり、
コミュニケーションクリエイターとして全うするのが一番」
との声を聞き、ああ、これでいいのだと安心。

AIが活躍する時代になっても、心豊かになるコミュニケーションを創る、
人と人をつなぐ、結ぶ、人を元気にする役割は、人間が生きる以上
なくてはならない。

目立つ仕事、華やかな仕事でなくてよい、むしろ黒子として、
自分の周囲の笑顔が増えるように、できることはまだまだある。

ブレない人生を生き抜く。
私らしく。

コミュニケーションクリエイターのこれからの役割について
見つめ直し、自信をもって進んでいこう。

応援団の存在は、本当にありがたい。
根っこのところを理解してくれる人がいることは
心強い。
ずっとずっと見守っていただきたいと、心から思っている。

そして、私自身も誰かのそんな存在になることができるように
真の寄り添い人でありたい。




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今日も誰かのバースデー。

その昔、アメリカの文具店で、バースデーカレンダー
なるものをみつけたことがあった。
バースデーを記載するための1冊。
面白いカレンダーだと思ったが、使い切れる
のかなとも思った。

確かに、毎日が必ず誰かの誕生日であり、旅立ちの日。
365日の1で、いずれかの日が記念日となる。
私の場合は12月3日が誕生日であり、その日は
1年のなかでもっとも特別な日であると勝手に
思っている。そして、これまでの人生で、
同じ誕生日の人は一人だけいた。なんだか
特別な関係なのかも?と思って共通点を探した
りした。そして、誕生日が近い人に出会うと
それだけで親しくなったりもする。

今日7月2日は、周りに誕生日と言う人が3名も
いる。そして、そのひとりの方の姪っ子さんも
同じ日だそう。
そんなこんなで、この日は、私にとって特別だ。

お祝いを、あの人にも、この人にも・・・。
自分を見守ってくれる人たちが、同じ星の元に
生まれたとはめでたいこと。

自分が生まれた日も大切であるが、大切な人たちが
生まれた日はもっと大切だ。
その人がいてくれるから、今の自分がいる。

最近会えていない、気がかりな
7月2日生まれの人に花とメッセージを送る。
お元気だろうか?
どんな誕生日をお迎えであろうか。
本当は駆けつけてお祝いしたいけれど、
元気でおられるならば、安心だ。

今日も誰かの誕生日。
その人のことを思い出し、自分とのつながりを思い出し、
感謝をしたい。
今日はいっぱい感謝をする、ありがたい1日だ。
ハッピーバースデー 7月2日の人達。

そんなことを思うだけで、毎日が特別な1日になる。
今日も誰かのバースデー、そして旅立ちの日。
人生は時計とともに、止まることなく進み続けて
いる。

ハッピーバースデー 信愛なる人たち♪




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みんなで未来へ「願いごと」

コミュニケーションを楽しく学ぶ、「マーサの会」。
この会社でもう数年、年に2回ほど続けている。
自主的に始めた試みであったが、気が付けば10回以上。
5年前には、会社のテーマソングをつくるための歌詞を一緒に
考えた。そこから毎回、欠かさずその曲「シャイン・マーチ」
を歌い続けている。みんなの曲になっていることが、うれしい。

今回は来年10周年を迎える会社のアニバーサリースローガンを
皆で考えた。
どんな会社になりたいか、あってほしいかの願いを込めて。
みんなでつくることに、意味がある。このプロセスが大切。
自分で考え、チームで話し合い、案を決め、みんなで発表し、
投票。
素敵な案がたくさん出されたあと、無事、ひとつの案に決定。
これから10周年に向けて、そのスローガンが活用されることになる。
みんなで考えた言葉が、未来への道しるべになる。素敵なこと。

ワークショップの締めは、毎年恒例になってきた七夕の飾り。
ひとりひとりが短冊に思いを込め、願いを書き、笹に吊るす。
しばし子供こころに戻りつつ、わくわく気持になる。みんなの願い事は・・・・
こうなりたい、あれがほしい。という願いもあるが、今回目を惹いたのは
世界が平和であるように。戦争がなくなるように。という言葉。
わたしも「愛と平和」と願いを込めて書いた。

みんなで撮った写真。9年目のいい記念になる。
今日から7月。大人になっても 七夕気分を忘れず、星に願いを。
またまたピュアな時間をいただいた。
これからも若き人たちに、愛とコミュニケーションを伝えつづけたい。

※シャインマーチのメロディはこちらに
https://mosshine.co.jp/

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あじさい日記2026 最終章

今日で6月も最終日。
雨の多い季節を楽しめるようになった理由のひとつは
あじさいの存在かもしれない。
主人がいなくなっても毎年咲く、実家の庭にあるあじさい。
彼ら(あえてそう呼ぶ)が今年も咲いた!と歓び、まるで
再会を喜ぶように、つかのまの時間を静かに楽しむ。
そんなことがこの5年の習わしになった。
「今年もまた咲いたよ・・・」
悲しみが雨に流され、時の移ろいを受け入れることができる。
そこにじっといるのが、紫陽花。
いつの間にか、私にとっては大切な友のような存在。

庭に咲く花から1輪。切って自宅の良く見える場所に置く。
庭だけでなく、自宅ででも対話する。
今年は、こんな風変わりな紫陽花をみつけた。
これまで見てきたぎっしり詰まった紫陽花よりも
自由奔放な感じで、今にも動き出しそうだ。
どっちに向いて咲いてもいいんだよ。
なんだか、微笑ましく、勇気づけられたりもする。

今年も紫陽花に助けられたこの1か月。
おかげさまで、梅雨の鬱陶しさを越えて、みずみずしい気持で
過ごせたような。

今日は水無月をいただくという習わしもあるそうで、京都の
和菓子屋の店頭が賑わっていた。
6月の締めくくり。
いろんなところで。私は紫陽花を今しばらく眺め、彼らとの
静かな対話を楽しみたい。

今年もまた、咲いたよ。
来年も、また 咲いてね。
また、会おうの約束を。

JUNE PROMISE。

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ボン ボワヤージュで送る

2月長崎でのコンサートではじめて歌った、「ボンボワヤージュ」。
美輪明宏さんの歌詞だということで、より心が動いた。
またその演奏ぶりもネットで視聴したが、改めてその表現者としての
存在感に圧倒された。こんな風に歌い上げるのか。まさに歌が芝居になって
いた。
聴いていただけなのに、情景もくっきり浮かぶ。
港での男女の別れ。女性の歌であるのに、歌詞に出てくる相手の男性の顔
までも浮かんでくるそんな見事な表現力。

テレビドラマに出演されていた男装の時代から、その不思議なオーラに、
魅せられ、自分はまだ幼かったのに、ずっと気になる存在であった。
なんだろう?美しく不思議な人。と思っていた。
そして、大人になるにつれ、その生きざま、とくに歌唱や芝居での表現から
強いメッセージを受けとるようになった。

ただ、実際にお姿をお見受けできたのは、新宿伊勢丹での売り場であり、
ステージを生で見ることは叶わなかったが、
ただ、ご本人が衣装を選んでいる姿を目の当たりにできたことは、
とても幸運で、同じ洋服を好みという点は、勝手に誇りとしていた。
あの頃から、黄色の衣装(ヘアも含め)が印象的であった。

長崎生まれの美輪さん。原爆も経験された。
そのご苦労を後世に伝え、戦争は絶対にしてはいけない。
愛があれば、戦争はおきない。
愛で平和な社会を・・・。
そんなメッセージを繰り返し伝えてこられた。

91歳の人生を終えられたとの報。そんな日がきてしまった。
全身全霊で、自らの存在でもって、人々に生きる勇気と愛を
伝え続けた人生。性を越えて、人間とは。という問いにも
向き合われた人生ではないかとも思う。
時代の先駆者として、
永遠の表現者として、愛の伝道者として、唯一無二の存在で
あったと思う。

昨日はボンボワヤージュを再び弾き歌い、美輪さんが生まれ育った
長崎の港と空を思い出していた。

まさに、次の目的地にむかって旅立たれたのかもしれない。
ありがとうの言葉を込めて、長崎の空に向かって、ボンボワヤージュ。

その存在と感動は永遠に。
そして、
愛と平和を伝えること・・これは受け継がねば。と強く思う。

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一番遠い国のタクシードライバーから

ミゲルさんから突然メールがきた。
コロナ前、海外へよく足を運んでいた頃にブエノスアイレスで
お世話になったタクシードライバー。
彼とは2回会っている。一度目は偶然に乗った。そのとき連絡先を
聞いて、二度目はホテルまで迎えに来てもらい、どうしても行きたい
場所へ連れていってもらった。それは、その当時亡くなって間もない、
タンゴ歌手ビルへニア・ルーチェの墓地。
ブエノスアイレス市内にある広大な敷地の中を、ミゲルさんは熱心に
その目的の墓を一緒に探してくれた。
あのときの感動は今もずっと忘れることができない。
しかし、コロナもあり、親のこともあり、なかなか再びタンゴの町に
足を運ぶこともできなくなって、でもタンゴを弾けば、聴けばいつも
思い出していた。

そんななか、昨日のメール。
実は何か月か前にも、きていた。
「MASAKOさま ぜひ、ブエノスアイレスにおいでの際には、
私が空港から市内までの送迎はもちろん、市内観光もお任せください
・・・」という内容。
スペイン語で来たメールも、最近は即翻訳できてしまうので
大変便利。そう思えば、返信も言葉を気にせず送ることができる。
AIのおかげで、その点は、ずいぶんと変わった。

1~2度会っただけ、利用したお客に。はるばる国を越えて、
メッセージを送るタクシードライバー。どんな思いで?と想像する。

京都と新潟に親しくさせていただいているドライバーはいるが、海外の
ゲストにこのようなコンタクトをしているのかな?
今度、尋ねてみようと思う。

はるばるアルゼンチンから届いたメールに、心が明るくなった。
ああ、必ずまた行こう。行く!と心に決める。

ドライバーからの便りで、久しぶりにあの町の写真を探した。
ああ、名前のとおり、ブエノス(いい)アイレス(空気)。素敵な空だ。
そして、ピアソラがこの町に眠っている・・・。
必ず、行く。

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つねに「いざ」。

ダブル台風の予報で、この週末も交通機関はその対応に
追われる。
「遅れ5分」に一喜一憂、「遅れ1時間」に焦りの気持ち、
さらに途中の駅で電車が動かなくなる暁には、諦め・・。
いろんなケースを思い浮かべる。

連日利用することも多い新幹線であるが、台風の影響で
足止めとなるとその日の予定はすべて変わる。
そんな時に思うのは、交通機関の運行にかかわる
仕事をしている全ての人の大変さ。
本数の多さにも関わらず、基本は定刻運行。
世界に誇れる日本のシステム。平時にもよくこれだけの
本数の列車を安全に走らせている。
電車が遅れた場合、最近よく見るのが新幹線の運行状況。
実際に各駅の間に、今どこにどの列車がいるのかが瞬時に
わかる。昔はそんな表示もなかったため、ただ駅のアナウンスを
頼りにするしかなかったが、今は情報提供面でも日々進化して
おり、その点も感心。
最近は各所でAIが活用され、対応もさらに改善されていることと
想像する。

新幹線に限らず、山手線をはじめとする在来線も同じこと。
何かあっても、速やかに対応される関係者の皆さんの
日ごろからの学習、努力から得られる判断力、行動力と
そして、接客対応に改めて頭が下がる。

外国人が日本の電車に感動するのはよくわかる。
世界では遅れて当たり前の例も多い中、時間通りに安全に。
インバウンド客にはサプライズな感動・体験のひとつが
新幹線の乗車ではないだろうか。
これは日本人の真面目な気質もあっての成果だと思う。

平時でも、本当に大変な仕事であるのに、
台風、大雨となれば、その対応は状況に合わせて
行わねばならず、見えないところでシステムを動かす
人から、その変更体制にそって列車を動かす人、
窓口対応に追われる人・・・。
今回の台風にも予め備え、事前にさまざまなシュミレーションを
くりかえし、今日の始発に備えておられることと思う。

利用者はお金を払っているので、動いて当たり前と
思う・・・。でも、何が起きるかわからない現在、
懸命に対応をしてくださっている関係者の状況を
理解することも大切。

以前、台風で列車が止まったとき、車掌さんを
問い詰め、怒っていた乗客。それに対して
遅れていることをひたすら謝っている車掌さんの
姿が思い起こされる。

こんなときこそ、カスハラにならないように。

動いて当たり前ではない。動くことに感謝。
そして、一番大切なのは、安全であること。

今日も事故なく、被害なく平常に戻れるように
心から願う。

それにしても、台風は予想できるが、そこに
予知できない地震が加わると・・・。
それが現実になっている。
天気予報はあっても、「天地予報」は難しいが
同時多発の事態にも備えねばならないという
自然環境の変化・・・。

とにかく、列車に限らず、飛行機もバスも同様。
改めて生活の足を担ってくださっている皆さんに
心から感謝したい。

いざ!が日常化しつつある今日。
焦らず、心にゆとりをもって、その都度の最善を
選びたい。

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「場」を求める旅

人と「場」の関係は密接であり、そして不可分である。
人が生きる限り、必ずどこかしらに身を置きながら、足をつけながら
生きていくからである。
ずっとさまよい、どこにもとどまらず、動き続けて一生を終える・・。
そんな人も、まれにいるかもしれないが、旅人、ジプシーであっても
その日の宿や、休憩地を求めるから、そこはやはり、その人にとっての
「場」。
四半世紀前、スターバックスが日本に上陸したとき「サードプレイス」
としての店というコンセプトが話題になったことを思い出すが、
職場でも、自宅でもない自分だけの第三の場を求める人にとって
スタバをはじめとするカフェは、その人のくつろぎの「場」として
成長した。
サードプレイスは、今もカフェだけでなく、さまざまな業態、サービス
のなかに存在し、求められ続けている。

一方、人々は自分だけの場所に限らず、
さまざまな「場」を求め、ときに集い、交流する。
婚活も、就活も、部活も・・・すべての活動は、出会いの場、学びの場、
交流の場を求めての活動。これがしたい、こうなりたい・・と自分が
変わるきっかけとして、新たな場を求める人も多い。

そして、場づくり、場の提供自体が、ビジネスになる。
今も昔も。カタチを変えても、求める人に「場」を与える仕事。
どんな場を求めるかは、人それぞれだ。
物理的、空間的な場を求める人、もしくは心の中の場を求める人。
読書、音楽も人々に心の置き場所を提供する立派な役割を果たしている。

生きるということは、つねに「自分の居場所」を求める旅なのかもしれない。
最近、仕事での会話で「場」というワードをよく耳にする。
それだけ、場をもてない人も増えているのかもしれない。

スマホだけが、自分の居場所にならぬよう。
手元を見るだけでなく、前方に広がる、無限の世界=新たな場を
見つける歓びを大切にしたい。

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人に迷惑をかけたくない・・

アイボと言う名前のロボットがいた・・ではなく、いる。
発売から25年ということで、そんな前からあったのかと
今さらながら驚く。ある方が、つれあいが亡くなってから、
話し相手にいいのではと娘からそのロボットを贈られたと
うれしさ半分?の表情で教えてくれたことを思い出す。
ロボットが人間の相手?と少し不安に思ったが、
今や、AIが人間の立派な相談相手だ。

ある報道によると、高齢者がAIを話し相手、相談相手として
共生しているケースも多いとのこと。
知りあいなど、人間に相談すると迷惑がかかるので、
人間にはなかなか相談できず。
でも、AIであれば、何を話しても大丈夫だし、
気兼ねもないという。

感情がないAIにどこまでお役目が果たせるのか?

ある高齢のご婦人はつれあいが病に伏したときから、
AIに治療の判断も含め、相談しているとのこと。
そんな大事なことを・・と思うが、もちろん最後は医師に相談されるが
そこに至るまでの情報をAIがちゃんと導いてくれるとのこと。

一人暮らしに増えているAI利用者。
人様に、家族に迷惑をかけたくない。
だから、人に聞くよりも、AIに聞く。
そんな時代になってきたようだ。

助け合う、協力しあう、お互いさま。
そんな人間関係は、年をとると難しくなる?
今やAIは人間社会の、心の隙間を埋めてくれる
存在でもあるようだ。

それがいいのか、どうなのか?

それこそ、なるべくお世話になりたくないけれど・・
気が付けば、そこにいる。
気が付けば、家族のような存在か。

いずれにせよ、相手を知ってつきあうのが
良さそうだ。



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