周囲に定年を迎える人の話題も増えている。
まさに、同世代の皆さんの転機である。
会社員となれば、いつか定年を迎える。
わかっているから、計画的に備え、次なる道の準備を
する人も多い。
改めて60歳とは、まだまだ若く、現役としての
働き方ができる年齢。
であるけれど、一度、長年お世話になったところを
卒業することは、改めて社会と自分の関係を見つめ直し
新たな挑戦に向かうという点でとても意味がある。
いつまでもそこにいるのではなく、
自分から新たな世界に飛び込む。
タイトルなしの自分を一度見つめ直すのもいい。
何がやりたいのだろう。何ができるだろう。
今さら・・ではなく、ここから・・はじめる。
卒業しないと、出口が見えないと次にも進めない。
大人の卒業。
ぜひ、いい意味で新しい自分に出会いたい。
自分自身もそうありたい。
常に探求心をもって、冒険心をもって、
新たな社会とのかかわりを探し求めたい。
タイトルが変わったり、なくなっても
最後は人。
人として、つきあい続けたいかどうかは、
卒業してから、わかることもある。
春は、いろんな卒業がある。
大人も卒業。
「もう」より「まだ」
「もう無理」とか、「もうできない」とか、自分が子どもの頃よりも、
早い段階で、「もう」と進む道を自分で打ち切ったり、途中で終わろう
とする傾向が気になる昨今。
そんな簡単に、「もう」と決めつけなくてもいいのに・・・。
と正直思うけれど、人の人生は変えられないため、求められない限りは
口をはさめない風潮・・・。
簡単に人生諦めていいのかな。とはずっと思っているが、
それぞれの人生だから、後で気づくかもしれないと 今はそっと見守る。
一方、自分のこと。
悔いがない人生にしたいと思っているが、今のところの悔いは、
もちろんある。
自分の指が40年前のように動かないことだ。
これだけは、今も悔しい。
でも、まだ今は、「もう無理」と思うことはしない。
「まだいける、まだやれる、まだ動く」と自分を鼓舞して、
指の訓練をしようと思う。それでも日々忘れてしまうので、
習慣化をして、なんとか少しでも昔のようになりたい、と思っている。
まずは、再び弾きたい曲の楽譜をいつも眺め、頭に入れること。
そして、いつも弾きたい曲を耳にしながら、覚え、指を動かす。
楽器がなくても、練習はできるのだ。
ピアノがないから・・・は、長らくの言い訳であった。
ここは、反省。
ピアニストやバレリーナは練習を1日さぼると、取り戻すのに1週間
かかるといったことをよく聞いた。
1日どころか、何十年とピアノを弾かない時代があったことは、
本当に今から思うと・・・であるが、その代わり、他の道も
歩めたのではないかとそのことにも感謝、再び、ピアノ指を
取り戻す努力をする!と心に誓う。
まだやれる、まだ弾ける。
今、世界の作曲家たちが遺してくれた素晴らしい作品に多く
触れ、自分の中にレパートリーを増やしながら、弾ける曲を
増やしていこうと思っている。
それが一番の幸せなのだと、改めて思う。
「もう無理」は本当に限界までやってから。
まだまだやれる。まだやっていないのだから。
閉会式と戦争と・・・。
ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックの閉会式が
行われている。
障がいをもつアスリートたちの、競争を終えたあとの共演は
美しいと思った。
そして、それぞれ体が不自由であるにも関わらず、
自分の能力を信じ、努力を続けてこのステージに立たれて
いること自体に胸が熱くなる。
えらいなあ。それしかない。
そもそも、この共生の社会を目指そうと言っているご時世に
なぜオリンピックとパラリンピックを分けて
開催するのかは、大きな疑問をもっている。
一緒にやればいいのに。助け合ってお互いに楽しみあう、
認め合う・・・そんな場になれば、もっともっとスポーツの
祭典は意義深いものになると思うが、記録を競うことを
主目的にすると、同時開催は難しいのだろうか。
それはそれとして、
困難を越えてがんばる選手たちの姿は、いろんな意味で
刺激に、学びになり、自分もがんばらねばと思わせてくれる。
一方、このスポーツの祭典は平和の祭典でもあるはず。
にもかかわらず、同じ地球上で、戦争が新たに始まった。
パラリンピックの開催中に、である。
あれはあれ、これはこれ?
違和感が募る。
そして、戦争をやれば、障がいをもつ人が増えるのだ。
過去の戦争が証明している。悲惨である。
心身ともに、一生その傷を引きずり、ご本人も家族も
苦しむ・・・そんな実態もあるのにも関わらず、
戦争は続いている。
世界は大丈夫ではない。
と、心配しはじめると、生きる気力も萎えそうであるが、
いやいや、そんななか、一生懸命、自身の障がいを乗り越え、
全力で、がんばろうと努力している人の姿を見ると、
自分も まずは全力で自分ができることをせねば。と
勇気が湧いてくる。
と、閉会式を見ながら、改めて世界平和を祈る。
世界の分断。なんとかせねば。
「自分ごと」にするために。
3月11日をきっかけに、あの震災後、今もその傷跡をそのままに
生きているさまざまな人の様子を報道で知ると、胸が痛む。
時間が経つと、人は忘れていく。
当時、毎日、毎時取り上げていた報道も、だんだん話題にしなく
なるため、日々の暮らしに接点がなかったり、人のつながりが
なければ、だんだん忘れていく。そんなものだといえば、確かに
そうだ。
でも被災した方々や、仲間を亡くした方にとっては、生涯忘れる
ことができない。
忘れないためにも、あれから何年・・と振り返ることは意味が
ある。
今朝も福島で、もう食用にはできない牛たちの世話を続けている
牛飼いの方のインタビューに接し、この方にとって牛とは
家族なんだと思うと、胸がいっぱいになった。
歳月が流れることで、世間は忘れていく。でも、実際にそこに
暮らし、生きている人々にとって、忘れることはできないどころか
ずっとその悪夢を引きずりながら生きていかねばならず、
その苦労は言葉にならないだろう。
その立場にならないと、本当の苦しみは理解できないのが
申し訳ない気持にもなる。
今、改めて、「自分ごと」の難しさを考える。
苦しんでいる人、悩んでいる人、いろんな人に接するとき
あるいは仕事をする上でも、「自分ごと」を大切にしたいと、
その人だったらどうだろう、こうしたら楽になれるか?
など思うようにする。そして、少しでも寄り添ってその人の心を開き、
応援や時に助言、ときに伴走できたらと思って生きている
けれど、現実的に限界はある。
その人に代わって、生きることまではできないから。
あくまでも、自分は自分を生きるしかなく、
周囲の人々へは、想像力と思いやりを働かせ、
少しでもと思って少々の気遣いや応援をする・・ぐらい
しかできないのが現実だ。
でも、自分ごとにする という意識はとても重要で、
こういう人もいる、こういうこともある。
自分ならどうするだろう?
と、常に相手のことを気にかけ、一緒に悩んだり、
相談にのったりすることぐらいはできる。
できることからでいい、周囲への思いやり、気づきを
増やしていこう。
それが、自分にできる「自分ごと」である。
対極にある「他人ごと」な生き方が増える社会に
警鐘の意味も込めて・・・。
鹿児島のザビエルと

1549年というから、500年近くも前の日本。当時は室町から戦国時代
というから、信長も歴史上は登場していないほどの昔、昔。
フランシスコ ザビエルが鹿児島に初上陸した。
この銅像は、この町のザビエル教会の前に建っている。
ザビエルの銅像は、平戸で、山口で先に拝見し、さまざまなザビエルを
見て、自分なりに想像を膨らませてきた。
彼が日本に来なければ、日本社会は大きく変わったと確信する。
音楽も、印刷も、建築も、西洋文化が広く長く広がったのは、
まさしくザビエルのおかげ。
やはり初めて訪れた街というのは、はてしなくロマンが膨らむ。
ザビエルはこの町に来て、日本での布教活動を決意し、各地へ
移動を始めたのだから、鹿児島でのインパクト、鹿児島の魅力は
大きかったのだろう。
少ない交友関係であるが、鹿児島の人は自分から主張するという
タイプではなく、静かにうけとめ、判断する。
自分をしっかり持っている人が多い という印象である。
新しいものを取り入れることには、積極的で柔軟だったのかも
と改めて思う。
再び、鹿児島の地を訪ね、さらにこの町の歴史とザビエルの
関係をリサーチを続けようと思う。
いつか、フランチェスコの夢を、ここでも演奏できる日が
くるように。
ザビエルは桜島を見ただろうか・・と朝焼けの山を見ながら、
小さなロマンを思い描いてしまった。
そのうち、意外な作品ができるかもしれない。
鹿児島でクリエイティブな妄想。ときには非日常の土地で
妄想を楽しみ、新たな表現に挑戦してみたい。
働くことは、生きること。
働くとは、人が動くと書き、仕事とは、司られたことと、書く。
目的をもって行う活動、その成果も求め、社会に生きる以上、そこで
役立つように動くことを指す。
単に目先の作業をするだけでなく、周囲にも貢献でき、自分もやって良かった
となるように自らが主体的に動くことが、仕事。
どうせやるなら、いい仕事をしよう。と思う。
ただ、仕事も人生も、人それぞれの背景や、そこから培われてきた
価値観があり、自分とは違うので、考え方を押し付けることはできない。
こうした方がいい、こう生きた方が良いと思っても、
世代や個の違いも含め、自分と同じ価値観を求めることは、難しいし、
それを求められないこともある。
働き方について、ずいぶんと変わってきたなと感じることがある。
それは、生き方や考え方の変化に通じる。
こんな人生にしよう、と思えばそれに即した仕事の仕方をするだろう。
こんな人生にしたい。とゴールが見えていれば、それに沿って
仕事の仕方や考え、さまざまな行動、他者への働きかけ方も
変わってくるだろう。
ゴールが見えないと、そこへの道は描きづらい。
若い人たちが、未来が見えづらいと感じているならば、
それは大人たちの責任もある。
今時の人は・・・と言っているだけでは済まない。
自分がどう生きたいか。そのために行う活動が仕事。
報酬を得るだけでなく、誰かの役に立ち、自分も成長できるのが
仕事。
わたしは、いつも生きること自体が仕事と思い、生きてきたが
こういった考え方は、若い人たちに通用するのかな・・・。
と、ふと思う今日。
働くことは生きること。
どうせ働くならば、どうせ仕事をするならば、
自分の人生のプラスにしたい。してほしい。
出会いや別れが多くなるこの季節、改めて、社会にこれから
出る若き人に、改めて仕事は自分次第で、
人生を変える力になることを
伝えたいと強く思う。
どうせ仕事をするなら、感謝される仕事をしよう。
この言葉が、今日も頭に浮かぶ。
その人の分まで。
昨日の朝、大船渡の知人に「かもめりぃ」とともに
その地への思いを送った。
すると、その方はそのメッセージを受け取り、久しぶりにその曲を聴いたら、
涙があふれたと返事をくれた。
そして、14時46分。
「今、『かもめりぃ』とともに、祈りを捧げました。亡くなった社員10名の分まで
しっかり生きなければ。これから流された会社の跡を回ってきます」
と再びメッセージが届いた。
被災地では、皆さんがこのように被災者への祈りを捧げ、15年前のあの時間を
辿られた。
亡くなった人の分まで・・・。
そう、まさかそんなつもりもなく、津波にのまれて、人生を終えてしまった
大切な人たち。どんな思い?悔い?痛みと苦しみと・・・。
死んでも死にきれず・・・命果てるとは・・・。
突然の別れは、悔いが残ることだろう。
一緒に仕事をしてきた仲間たち、一緒に過ごした人達、家族となれば
15年経とうが関係なく、毎日毎日思い出されるはず・・・。
その人の分まで。
本当にそうだと思う。
生きたくても生きることができなかった人たち。
震災も戦争も、あらゆる事故も・・・。
そんな人生の終わりだけは嫌だと思うけれど、明日は我が身かもしれない。
だから、
せめて、今日1日は
そういった思いでこの世を去ってしまった人達の分まで、
生きなければならない。
そんな気持で夕方まで過ごしていたら、
「今日、わたしの誕生日なんです」
という人が現れた。
往く人、来る人・・・。
なんだか、うれしくなって、
おめでとう!と思いをかみしめながら、
何度も言ってしまった。
生きている人が、しっかり生きていく。
生きたかった人のためにも、
命を授けてくれた人のためにも・・・。
どんな苦しみも忘れず、痛みも忘れず、
しっかり生きていかねば。
待ち続ける歳月と「かもめりぃ」。
3月11日。この日のことは今も鮮明に覚えている。
と、この15年間、何度かこのブログでも取り上げたかと
思う。
毎年、この日が来ると、これまで見たことのなかった光景を
思い出す。被災された方、ご家族が行方不明のままの方・・・。
その方たちにとって、この日は何年経っても、複雑な思い
のままではないかと思う。
今日も大船渡に住む知人たちの当時のこと、そして
震災後のことを思い出す。
あれから、15年・・・。
自然災害が頻発し、人災も増え、当時より生きるリスクが
高まり、いつ何が起きるかわからない。という気持で
生きるようになったけれど、今のところ、おかげさまで
無事である、
でも、今日も何が起きるかわからない・・・。
不意に、突然の別れがくることは考えたくないけれど、
これも、わからない。
震災後、津波が嘘だったような穏やかな大船渡湾を
訪ねたとき、案内してくれた地元に住む知人が
「自然には感情がないんですよ」
この言葉が今も胸にささったままだ。
大切な人を亡くした後も、その人との思い出を
胸に、生きる人のことをかいた、「かもめりぃ」。
あの日から、ずっと待っている。待ちながら生きている。
そんな人のことを歌にしてみた。
舞台はあの大船渡の海と空。そして、そこを
舞うかもめたち・・・。
改めて、今日も心の中で歌い、今も待つ人たちに
心を寄せたい。
15年。この経験が風化しないように。
備え、生かし・・・。
かもめりぃの歌詞はこちら。
https://mahsa.jp/poemf11.html
新潟で演奏した かもめりぃ はこちら。
かもめりぃ / Mahsa(今尾昌子)
会えなくなっている人へ
元気かな。としばらく会えていない人のことを思い出す。
何週間、何か月、何年・・・。その時間はさまざまであり、
会えない理由もそれぞれであり・・・。
昨年夏過ぎから連絡が途絶えた人。久しぶりにメールをするが
届かない様子。少し胸騒ぎもするが、仕方ない。
時間があいても、返信があれば、生きている証拠。
春とは、新たなスタートに向け、心が躍る。
そして、いろんな整理も必要な時期。
心のアルバムも見直してみる。
アルバムに載っている人たちのこと、ひとり一人を
思い出すのも、この季節。
まるで、卒業写真を見るかのように。
ユーミンの曲も聞こえてくるようだ。
会えなくなっている人。
元気なら、安心。
会わなくても、そっと心を寄せて見守ることはできる。
人はさまざまな事情を抱え、自分の人生を生きる。
生きている限り、どうせ生きるなら、楽しんで。
人生は多くの出会いもあり、そして別れもある。
春は、嬉しい季節であるけれど、寂しさと背中合わせ。
生きていればこそ、何でもできる。道は開ける。
離れていても、応援したい人がいっぱいいる。
元気なら、それでいい。
また、いつか、笑顔で会える日を楽しみに。
私なりの、「チームみらい活動」。
先日の選挙で、日本の未来に光と希望を感じたのが
若手が立ち上げた政党の躍進であった。
すでに職業をしっかり持ち、自立している人たちが、
これからの社会のために立ち上がろうと、活動している。
「チーム」も、「みらい」もしっくりくる言葉。
何かと共感できるし、納得もする。
これからも彼らに期待を寄せ、応援していきたいと
思っているし、それにとどまらず、
自分も自分なりの「チームみらい活動」をしていかねばと
思い始めている。
具体的には、
若い世代の人々や異国、異文化の人との交流を積極的に行い、
自分が伝えられることを伝え続ける。
そして、未来に向けて、志同じく生きる仲間とともに
小さなことでも良いから、新たな行動を起こしたい。
私の場合は、やはりコミュニケーションや文化活動、
そして人と人がつながることを目指す取り組み。
小さな活動でいいから、継続していく。
まずは対話から。そして具体的な新たな繋がりづくり。
ここで、新たな観覧車づくりが始まることになる。
コミュニケーションがすべて。
今日はまもなく社会人になる人たちへのコミュニケーション
研修がある。
そして、明日からも20代の皆さんとのチームワークがある。
なんだか、わくわくする。
みらいを生きる人たちに、希望をもって活躍いただける
応援をするのも、わたしなりのチームみらいの使命。
若者と接することで、彼らに、何かのバトンを渡せる気がする。
何か?今、考えながら動いている。