どんなに暑くても1日一万歩を歩きたい。歩かねば。
つまらないこだわり?かもしれないが、毎朝この
ブログを書き続けることも、毎朝のラジオ体操と
プチヨガも、目覚めの一口アイスも、オリジナル
コーヒーも、自分で決めた習慣であり、それをし
ないと気持ち悪い、1日が始まらない。
1日一万歩もそのひとつとなった。もちろん
多少の凸凹はあるが。
暑すぎて外出できない日には自宅を歩く。
小さなプールを折返し及ぶスイマーのごとく、
狭い部屋のなかを歩く。
ただ歩くのはもったいないので、聴くだけで
インプットできる情報を耳に入れながら
足を動かす。おかしな動物のようではあるが、
こういうときの「ながら」は充実気分になる。
屋内ウォークといえば、ショッピングモールの
中をぐるぐる歩き回るのも暑い日にはおすすめ。
普段見ない店に入ってみたり、奥の方まで
突き進み、ついでにリサーチをする。
ああ、この店ではこんなものまで扱っている。
こんな売り方をしているのだ。
目的をもって買い物をするときは目に入らない
情報に触れることができるのも、面白い。
屋外に出ないで、いかに室内だけで歩くことが
できるか。
都会ではある程度それが実践できる。
ショッピングモールは涼みたいお年寄りで
いっぱいだと、毎日そこに通う叔父は言う。
年配者のセカンドプレイス?イオン恐るべし。
とにかくもうしばらく、インドアてくてくを
続ける。音楽を聴きながら、考えごとをしな
がら、電話をしながら・・・。
歩きながらいろいろできる。
もちろん、そろそろ涼しくなってほしい。
気力で生きているこの2か月。
今日はビルのない場所をてくてく。暑そうだ。
修行、修行。もうしばらくの辛抱を少しでも
楽しく!
てくてく、今日も。
いのちの危険がいっぱい。
この暑さ。
エアコンがない夏を過ごしていた知人がさすがにエアコンを
設置したと聞き、安心したのが数年前。当時もかなり厳しい暑さ
であったが、まだ地域や場所によっては、確かにそれがなくても、
扇風機を使えばなんとかしのげる・・・という段階であった。
しかし年々夏の訪れとともに、気温は上昇、天気予報やニュースで
記録を更新と告げられることにも慣れてしまった。
子どもの頃は、30度越えだけでも、暑い暑いと騒いでいた。
当時はまだ熱中症という言葉もなく、日射病に気を付けて、
日かげを求めて過ごしていた。
学校にもエアコンもなかった。
近年のような体温以上の気温は異常で、その状態で過ごし続けることは
本当に危険である。
先日一人暮らしの80代の方が、自宅で熱中症になり、ケアマネージャー
の連絡で医者が在宅診療されている様子をニュースで見た。
エアコンのない生活をずっとされている。扇風機もない。
見かねた医者が、扇風機を1台、その方の自宅に運び、貸しておられた。
ご本人には、暑さがあまり感じられない様子で、インタビューにも
「我慢するので大丈夫」と力なく応えておられた様子が痛々しかった。
おそらく育った環境や時代も関係あるのだろう。
我慢すればなんとかなる。
そのように生きてこられたのだろう。
でも、この暑さばかりは我慢してしのげるものではない。
このような一人暮らしのお年寄りは全国に多数おられる
のであろう。
ケアマネさんや在宅医療をされている先生たちも、気が抜けない
大変な日々をお過ごしだと思う。頭が下がる。
母には、晩年酷暑をひとりで過ごさせるのが怖くて、本人の希望
もあって、夏の間 施設に入ってもらったことを思い出す。
あれはあれで良かったけれど、但し、自分で生活をする習慣を
忘れてしまったのが良くなかった。と反省もするこの季節。
まあ、毎日熱中症でくたばっていないかと心配するよりも
良かったのだと自分なりの言い訳をする。
暑さとの闘いは本当にいのちがけだ。
人間だけでなく、池の鯉たちも・・・。
昨日、観賞用に飼育されている美しい鯉の一匹が
酸欠で苦しそうに泳いでいるのを見つけた。
ほんとうに、苦しそうで異常な動きをしていた。
そのことを、その池を管理されている方に、
それを伝えたが、ずっと気になっている。
水温の上昇から、魚たちも生きづらいのだ。
池の中にもエアコンが必要なのだ。
と、我慢するだけでは、自分の努力だけでは
生きられない環境になってしまった。
先行きが見えない厳しい日々。
いのちがけの夏。早く終わってほしい。
酷暑に大雨に、地震に、噴火に・・・。
命がけで生きる時代になってしまった。
弱き人を思い・・・
強い、弱いの定義は実は難しいと思っている。
一人の人間でも、強い面、弱い面がある。
また、社会の中では、私自身は好きではないが「弱者」という表現も
あり、どこかにハンディを抱える人をそう括っている。
高齢者も、障がいをもつ人も・・・。
日本語が読めないという点では、外国人はその面では弱者であるが、
勉強や努力で、克服できることも多い。
自助努力は前提であるが、助け合うこと、支え合うことは社会に
生きる同じ人間として大切にしたいことである。
差別と隔離という話を最近聞いた。
差別は同じ社会にいながら、異質な存在に対し自分と違うという点で
一方的な対応をすること。偏見も含み、世の中からは消えない。
このネット社会では差別はさらに加速している、助長されていると
感じ、悲しく思う。
一方、隔離はもっと残酷だ。社会から締め出す、自分たちの敷地に
入れないようにするという、あってはならない差別行為。
アパルトヘイトはそうであった。区別といっているが、これは
残酷きわまる差別でしかない。と思っている。この隔離は現在も行わ
れており、同じ地球に本当に悲しく、何とかならないかと強く思う。
肌の色や宗教で人を差別する。また、身体的・精神的な病で
差別、隔離する・・・。
人間の悲しい歴史に、実は思うところがあり、関心を寄せている。
声も出せず、一生を終えていった人。
そういう人がいる社会について、思うところがある。
おかげさまで、今の自分は、五体満足でまた表現すること、行動
することもできる。
弱き人の助けになれば、癒しになれば、弔いになれば・・・と
思う。
誰しもが、いつ、弱者になるかわからない。
覚悟しながら、そして今日も元気に動き回れる幸運に感謝して
1日をフルに生きたい。
とこの原稿を書いていたら、ハンセン病の病棟で撮影をされてきた
写真家の方のニュースが流れてきた。
日々、楽学人生。
本当は今こそどっぷり、しっかり学生としてフルに学びたい。
若いときは、ほんとうに勉強していなかった。と今思う。
あの頃よりも、今の方が少し世の中も見えてきたせいか、
知りたいことがたくさんある。
大学院もいいけれど、学びたかったジャンルを改めて学ぶために
大学に通いたいと思ったりもする。
あの尊敬する五木寛之さんも作家生活をしながら、京都の大学に
通われていたことなどに刺激を受け、私も!と思い続けているが、
今から行きたい学科の入学試験の準備をする余裕もないまま、
今日にいたる。
今流行りのリスキリング、リカレントももちろん賛成であるが、
単にスキルを学びたいのではない。
自分の人生を全うするために、このままで終わらないために
学び、そこから新たな挑戦をしたいのだ。
もっと物事の本質を学び、世界を再理解し、自分の生き方を
深めたい。一方、やり残したままの音楽の世界をもっと深堀したい、
自分の夢の実現のためには、もっと勉強、鍛錬が必要だ。
我流でやってきたことを、アカデミックにきちんと学び、
表現したいという気持ち。
一足飛びにはできないけれど、たまたま放送大学という有難い
プログラムも身近に試聴できるため、ながら学習は日常的にできる。
講師の話の仕方、講座の構成、いろいろ学ぶことが多い。
たまたま、メディア論を視聴し続けているが、
コミュニケーションとも密接にかかわるため、
大変参考になり、知らなかったことを知るのが楽しくなる。
一方、別の講座では国際報道を学ぶプログラムを受講し続けているが、
ここでも、自分の無知を恥じながら、知らなかったことに出会うと
得した気分になる。
学校で習った歴史とは?その知識だけでは、自ら学ばないと世界が
歴史がつながってこないことに気づけて良かった。
いくつになっても、学びを続けたい。
まだまだ知らないことばかり。
生きている限り、学ぶ楽しさを求めたい。
好きなこと、興味ある世界を広げ深めること。
人間学び続ける以上、成長できる。
世界が広がり、人生も楽しくなる。
おかげさまの発見である。
贔屓目になる、ふるさと愛
一昨日前の防災セミナー&ふれあいコンサートの前、
岐阜の町は、高校野球応援で熱気に満ちていた。
半世紀前はテレビに首付けになる人、バスを連ねて
甲子園まで出かける生徒の家族、OB・・・。
当時の岐阜駅の前から、直行バスが出ていたようで、
まだ歩けないほどに幼かった私は抱っこされて
甲子園に連れていかれたようで、当時のモノクロ
写真が残っている。
今回ベスト4に残った唯一の公立高校(と評された)、
県立岐阜商業。地元では「県岐商」と呼ばれ、高校野球の
名門として知られてきた。
私が幼いころ連れていかれたのは、叔父がそこの出身
であったから、皆で応援にいったという時代。
一大イベントであった、そして今もやはり、高校野球は
スポーツのご当地対戦のひとつで、ふるさとが盛り上がる。
久しぶりのベスト4進出ということで、今は70代後半に
なったその叔父も興奮気味で、私も試合当日叔父に応援
メッセージを送り、勝ったときにはともに喜んだ。
きっと、今回の母校の後輩たちの活躍は、叔父にとって
青春時代が蘇る瞬間であっただろう。
さて、時間もなく試合自体を観戦し応援することはでき
ず、時々速報を見てドキドキしたり、落ち着かなかった
準決勝の日。コンサート前には試合も終わり、結果は
残念ながら・・。
勝っていたらすっきり嬉しいだろうが、負けたら負けたで
なんともいえぬ感動が湧いてくる。
悔しがっているであろう選手たちを想ったらこちらまで
胸がいっぱいになってくる。
ここまでよくがんばった。えらい!と結果よりもここまで
がんばった選手に心から拍手を送りたくなった。
そして、もちろんコンサートの時も、その話題に触れる。
地元の皆さんなので、すぐに伝わり同じ気持ちであること
もわかって、会場の空気があたたかくなる。
勝つことはもちろん素晴らしいけれど、ここまでがんばって
きたこと自体が本当にすごい!
こんなに暑いなか、いや甲子園はもっと暑かっただろうに。
ここまでの道のりを想像しながら、拍手を送った。
翌日、選手たちがふるさとに戻ってのメディアインタビュー。
選手が何名かが出演していた。
おそらく人生初のインタビューであろう。
しっかり日焼けして、しかもとてもさわやかな笑顔。
かわいらしい。かっこいい。
そのひとりひとりが、スター性はないけれど、本当に
純朴で素直で真面目に応えていたが、
「みなさんの応援があったこそ、ここまでがんばって
これました」
との発言があったときに、顔がほころんだ。
いいぞ!やっぱり岐阜の若者は素直でいい!
と思った自分がいた。
どう見ても贔屓目かもしれないが、ふるさとの球児
というだけで、親しみを覚え、愛着もわき、応援
したくなる。
彼らはこれからの長い人生のなかで、とてもとても
貴重な経験をした。
そのことを大切に、自分が得た宝とを大切に、また新たに
次に向けてがんばってほしい。
勝っても良し、負けても悔いなし。
地元というだけで・・・・愛が生まれる。
ふるさと愛。いろんな場面で、いろんなときに、
いろんな人に・・・。
意外なコラボで新たな発見。


防災セミナーとふれあいコンサート。
一見、どんな組み合わせ?と思われるかもしれないが
暑いなか、多くのお客様に集まっていただき、
無事開催、盛況のなか終えることができた。
前半のセミナーでは、今にわかに浸透しはじめている
「ローリングストック」を啓発するために、
建築家であり防災士でもある長屋榮一さんのご講演。
南海トラフに対して「正しく恐れる」ことの大切さ、
そして日常からはじめる防災としてのローリングスト
ックの重要性、具体的な手法などについてお話し
された。そんななかでご紹介された缶入りのパン。
非常食としてしまい込んでおくのではなく、日常
でも食し、備える習慣を。というご提案のなか
パンの試食も提供された。
その講演のあと、今度は私の担当であるコンサート
がはじまる。
防災の話を聴いたあとのコンサート?どうする?
ひらめいたのが「ローリングストック」をテーマに
したイントロ。即興でメロディーを歌い、手拍子を
しながら、会場に入る。
そう、「今日はローリングストックを覚えて帰って
いただくのが狙い」と思い、講演とコンサートを
このテーマ(ワード)でつなぎ結び、演奏に入った。
防災に関して「水」、そして「ふるさと」をテーマに
お馴染みの曲の演奏とそれにまつわるトークをしながら
東日本大震災後につくったオリジナル曲「かもめりぃ」
なども演奏しながら、防災セミナーにも自然とリンク
するプログラムでまとめた。
初のコラボ企画であったが、なんだか自然なまとまり感
と手ごたえを感じた。
さて、今回コラボ企画での収穫は、オリジナルの災害食
という発想。
なんと、このイベントに参加された方に、私の写真入りのオリジナル
缶入りパンが提供された。
昨日、現物をいただき、何とも不思議な感覚でもあるが、
これはいい!ちょっと楽しい「いざ!食」かもと思った。
今、ちょうど私自身もローリングストックを啓発すべく
さまざまな取り組みをされている方、企業の応援をしている
せいか、さらにその可能性と広がりを感じた。
また、防災という一見おかたい世界が、コンサートとの
コラボにより、親しみをもって伝えることができる可能性も
実感できた、
そして、地元で活躍されている防災士さんとの出会い。
新潟だけでなく、岐阜でもその出会いをいただき、こちらも
大変、光栄なこと。
意外なコラボは、意外な相乗効果をもたらし、新たな展開を
導き出す。
新たな発想、挑戦はやはり楽しいものだ。
これからもこのコラボを各地で続けていきたい。
それにしても、自分の顔入りパン。
両親にも見せながら、「こんなの作ってもらったよ」と報告。
写真から声は返ってこないが、喜んでいるはず。
さっそく自宅にも飾って、ひとりで盛り上がった。
♪ローリングストック ローリングストック
今日からはじめよう♪
貴重な機会、経験をさせていただけたことに
主催者様に心から感謝を込めて。
※この缶入りパンはJAぎふ様のご協力で
こちらで作っていただきました。
Bread Wonder Factory まもるんパン | 自然素材の手作りパン缶
https://www.mamorunpan.com/


いろんな防災へのアプローチ
防災の日が近づいてきた。関東大震災の日を記念日とし、
さまざまな訓練がなされてきたが、近年は地震だけでなく
さまざまな災害(人災も含め)が数多く発生し、日ごろから
の意識付け、備え、行動が求められている。
それでも、まだどこか他人事でいられる人は被災経験を
していないから。でも、本当にいつ自分のもとで発生するか
わからない。これだけ日々、日本列島だけでなく世界で
異常気象も含め、さまざまな非日常が起きると、防災は
生き抜くための知恵であり、命綱である。
そんなこんなで、身近なところで防災への取り組みが進んでいる。
9月にかけて、さまざまな取り組みがはじまるが、まずは
本日開催の地元での、「防災セミナー&ふれあいコンサート」
なる企画。JAの企画で地域の方々とともに、防災について
考えよう。しかも敷居を低く、楽しみながら・・・。
ということで、お声をかけていただいた。
一見、防災と私の演奏がどうつながるのか?は今も謎では
あるが、トークや選曲のなかで、被災地への思いも込め、
また自助についても触れながら、それを楽しく啓発できる
ことができたら、と思っている。
今日の防災のテーマは「ローリングストック」。今や
知る人ぞ知る、防災への取り組みのひとつ。
今、ちょうどその取り組みの啓発についてあれこれ
考えていた時期でもあったため、今回のセミナーは
私にとってもグッドタイミング。
主催者の皆さんがせっせと準備をしてくださっている。
ということで、いつものマーサコンサートとは違う
雰囲気のチラシが届く。来られた皆さんにしっかり
セミナー後のフォローも含め、思いを届け、意識づけ
に役立てたらと思う。
それにしても、音楽はこういうところでも役に立てると
思うと嬉しい限り。
良薬になる、自作の音。
名古屋を拠点にしてもう8年も経過したのに、
歯医者は東京のクリニックに通っている。
歯科というのは継続して通うため、相性も
大切であり、安心して任せられる関係性も
重要である。
私が通い続けている歯科はそこが開業して
間もない頃からであるから、20年近くも
お世話になっている。だから、住む場所が
代わっても、なんとか都合をつけて、
通い続けている。
そこが自分が20年以上住んでいた町にあり、
本当にご近所さんであったため、そこに
通うことで、神楽坂に帰ってきたような
気持になれる・・という点も通い続けている
理由だ。
治療へのこだわり、信念、そして丁寧な説明。
これらも安心して通える理由。
先生には、人前で話すから、演奏会があるから
といって、歯の治療についても、いろいろ便宜を
図っていただいたこともあった。
そんなこんなもあり、自作のCDをこれまでの活動の
報告、日ごろのお礼のつもりでお渡ししたら、
とても喜んでくださり、声を褒めてくださったり、
「あれ、ピアノ弾きながら歌っているんですかあ」
と興味を示してくださったことで、余計に親密さ
も増した。
長年通ってはいるけれど、一患者ではあるけれど、
自分のことを知ってもらえることはとても光栄だ。
そんなこんなで、月に1度ほどは通院を続けているが、
最近は、予約時間に玄関ドアを開くと、
どっかで聴いた声、馴染みの曲が流れてくると
家に帰ってきたような気もちになる。
そう、自分のCDを院内で流してくださっている。
まあ、あいつが来る日だから・・ということで、
気を遣ってくださっているのかもしれないが、
自分で歌っている曲、自作のピアノ音が、
小さなボリュームで院内中に響いているのが
とても不思議でもあり、なんだかとても空間に
馴染んでおり、うれしくなる。
こういうところで聴くのもありだ、スマホで
一人で聴く・・だけでなく、公共空間で流れる
のは恥ずかしいが、なんだか誇らしくもあり
待ち時間も短く感じる。
そして、治療時間こそ、このピアノ音や歌声
が私にとって良薬となる。まるで消毒をされて
いるような感じである。
きれいになっていく感じ、そして時に耳にも
つらい治療音に注意が行かないようにして
くれる。馴染みのメロディーをBGMと一緒に
頭でなぞっていれば、機械の音は心理的に
小さく聞こえて辛さも軽減する。
音楽は良薬になる。
ときに麻酔?とくに消毒?ときに鎮痛剤?
とにかく、自作の音を流して迎えてもらえる
医院がこの世にあること自体、感謝感激である。
身体が動く限り、先生が現役で活躍される限り、
自分の東京時代との縁をつなぐこの歯科には
通い続けたい。
神楽坂駅に降り立つと、
故郷に帰ってくる気持ちになれる。
ここに通い続ける限り、ずっとその時代のことも
忘れない。
そして、本当によく勉強されているドクターに
敬意を表し、更なる活躍を祈るのみ。
今朝は、頭の中を自作のワルツが流れている。
幸せとしか言いようがない。
戦後80年。戦争の悲惨さについて、さまざまな角度から
学ぶ時間となったこの1週間あまり。
日本が辿ってきた道は、今では信じられないほどに
平和的ではない。
日本は被害者であるだけでなく、加害者だったのだ。
という現実を知れば知るほどに、複雑な気持ちも高まる。
そんな80年を過ぎ、日本は平和で暮らしやすい国になった。
おそらく日本を訪れたインバウンド客にとっても
日本はとても居心地の良い国。
また来たい、また訪れたいいい国である。
それは日本が80年かけて作ってきた。
終戦記念日を過ぎ、ロシアとウクライナの戦闘、交渉。
駆け引きを知るに、ウクライナの苦難を
思うと、それに比べたらなんと日本は幸せなことかと
思えてくる。
ウクライナだけではない、ガザもそう。
なぜにあんな飢餓状態で罪もない子供たちが
死んでいかねばならないのだろう。
不条理が満ちるこの世の中。
想像するだけでも、おぞましい。
それに比べたら 日本は今のところ、まだ幸せ。
そうとしか言えない。
ほんとうに、その奇跡に感謝して、その平和が続くように
努力を止めてはいけない。
走りながら、ふりかえり。
毎日、毎日生きているといろんなことが起きる。
あとで、ああしておけばよかったとか、こうしていくべき
であったとか・・・。
完璧という1日は無いに等しい。
まあまあがんばったかな。ということはあっても、
大小関わらず、うーんと思うことは
何かしらあるものだ。と思う。
ある企業の方は、いつもプロジェクトを進める際に
若い人に対して、
反省会という表現はしないで、
「『ふりかえり』にしましょう」と言われる。
なるほど、「反省」というとどうしてもネガティブに
なる見方もあるため、「ふりかえり」の方が良い。
良かった点、もっとこれから良くしたい点。
これらを挙げながら、ではどのようにして良くしていきたい、
良くしていくにはどうしたらよいか?
と未来に向けて意見交換をする。
これはとても良い心がけであると思う。
一方、「反省」とは、自分の行動を振り返り、
見つめ直し、より良くなるように改善に向けての
考えを導きだす、前向きな行為。
考えながら動いている日々であるけれど、
一歩立ち止まり、見つめ直し、熟考する貴重なステップ。
そして、「反省」とは謙虚に生きるためにも
大変重要な行為である。
1週間余りの時間をゆっくり過ごして、
今日からあわただしい日常がまたはじまる。
この1週間、もっとこうしたかった、すべきだった。
と、これこそ振り返りをしながら、
この1週間で得たこと、吸収したことを
今日から生かしつつ、走り出したい。
ゆとりの時間をいただけたことに感謝をしながら・・・。
1日全力で走って、そして少しだけ立ち止まり反省。
自分をみつめる時間を大切に。
そして、走っている間も、これでいいかと
確認しながら、考えながら走りたい。
大きく深呼吸しながら、週の始めを迎える。
暑さに負けず、元気スマイルで出発したい。