年賀状の習慣は、日本だけだと、聞いたことがある。
台湾の人たちが、へえ、そんなサービスがあるんだ。とコンビニに
設置されている年賀状受付のカタログを見て、驚いていたことを
思い出す。
欧米では、クリスマスカードが1か月早く送られる。
でも、今はカードを送る人はどれだけいるか。
でも、もらったら嬉しい。捨てられないのは年賀状も同じ。
元旦に届く年賀状、とてもわくわくしたものだ。
もう来たかな。と朝から郵便受けを覗くのが、元旦朝の恒例行事。
今年は何枚届くかな。とそんなことを気にした子ども時代も懐かしい。
デジタルコミュニケーションが進み、年賀状を印刷しない企業、個人が
増えている。確かにコストも時間も手間も省ける。
郵便局は年賀状需要が減れば減るほど、影響を受け、ますます大変なの
ではないかと心配もするが・・・。切手代も高騰している昨今・・・。
一時、周囲の様子も見ながら、またさまざまな環境の変化から、まあ、
年賀状は・・と思ったときもあったが、やはり、やはりあった方がいい。
と今になって急に考えはじめる。
やっぱり出そう。
伝えたいことがある。
手で受取り、見て読んでほしい。そんな瞬間を届けたい。
と思い立った。
ということで、人騒がせなわたしは、今ごろ考えて、
デザイナーさんや、仲間の印刷屋さんに年末の急ぎオーダーをする。
どうせやるなら・・である。
やっぱりつくろう。やっぱり出そう。
できるうちに、できるときを。
ということで、またやることが増える。
年末に受け取り、そして元旦に書く。
それがわたし流のお正月。
流されず、やることやっておこう。
悔いのないように。
元旦に ふたたび。
異世代との接点、交わり。
1年をふりかえる。
ビジネスの世界でも、音活(音楽活動)でも、それ以外でも
おかげさまで多くの出会いをいただいた。
毎年ユニークな出会いもあって、わが人生は面白いなあと
しみじみ・・・。
昨年は、大阪で開催されたある企業の株主総会で出会った
30代の人と、その後も親しくさせていただき、お互いに
応援しながら楽しく友情をはぐくませていただいている。
今年は、酷暑のある日、金沢へ出張した際、繁華街から
駅に向かう途中、少し道に迷っていたらしき私の後ろ姿を見て、
声をかけてくださった学生さんとの出会いがあり、そのご縁が
今も続き、つながっている。近々再会できそうで、とても
楽しみだ。
そこに行かなければ、その時間にそこにいなければ
一生会うことはなかった。
出会いとは、本当に不思議である。
出なければ、じっと内にとどまっていては、出会うことは
できない。
お互いに引き合うものがなければ、関係は続かないから、
本当にふしぎ。
偶然は必然と思えてならない。
そんなことで、とてもうれしい出会いをいただき、
人生を楽しませていただいている。
「異なる」存在と多く出会うようにしましょう!と
「人生は観覧車のように生きる」ために、そんなことを
お伝えする機会があるが、異なる存在との出会い、ふれあいは
人生を豊かにするために不可欠だと思っている。
若い人とは、彼らが社会を世界をどう見ているかを知りたいし、
彼らの未来像を知りたいし、希望や不安も聴かせてもらいたいし、
その上で、自分ができることは何かを考えたい。
おそらく大したことはできない。でも、応援したり、何かあったとき
手を差し伸べることができる存在でありたいと思う。
さらに、年上の方との接点も大切にしたい。
今年は、地元での敬老イベントや、施設でのさまざまな企画にお声がけ
いただき、演奏やトークをしながら、交流させていただいた。
多くの笑いや拍手を、そして涙もいただいた・・・。
明日になったら忘れてもいいから、この瞬間を楽しんでいただけたらと
の思いで、関わらせていただくことで、生きることについての学びを
多くいただいた。
年長の方への感謝の気持ちと敬意を持ち続け、恩返しをすることは
私のミッションのひとつ。
この週末は台湾の仲間と久しぶりに再会。
そこで異なる背景をもち、生きている仲間とふれあうことで、
自分の世界観も更新されると思っている。
これも異なる存在との接点だ。
同質のなかで埋もれず、自分らしく生き続けるために
常に異なる存在との出会いを大切にし、自分を俯瞰する機会を
増やしたい。
オンリーワンを目指し続けるために。
平和の音、そうでない音。
実家の近くには飛行機を製造する企業もあり、それを購入して、
使用する組織がある。
隣町は、まさにその存在、産業で成り立っているといっても
過言ではない。
その町に隣接するわがふるさとの空は、その飛行機の試操縦や、
練習に使われており、真上を飛んでいったり、旋回しているのが
日常の風景。
子どものころから、今も変わらず、時々
「バリバリバリ」という音とともに頭上を飛んでいくことに
違和感を感じず、「また飛んできた」という感じで、その場を我慢して
いた。もちろんその飛行機で物資を輸送されたり、人を救ったり
されてきているだろうから、やむをない騒音であり、社会のために
必要なことをされているのだから・・・との気持ちもあった。
またその騒音のため、近隣住民にはさまざまな配慮もあり、
そういった恩恵も受けながら、騒音ある環境と共生してきたし、
私の場合は、自分が弾くピアノの音は、この飛行機音に消される
ため、ピアノが騒音とならなかったのも、幸いなこと・・とも
思っていた。
しかし・・
最近も、実家の近くを歩いていると、「バリバリバリ・・・」と
物凄い音で、手が届きそうなほどの低空位置で飛行機が飛んできた。
本当に近いので、現実感が増す。
もし、堕ちてきたら死ぬなあ。こわっ。と震える。
なんとなく最近のさまざまな報道から、最近の空では自衛のための
飛行機だけが飛んでいるのではない・・ような気がしている。
もしかのための?であったら・・・。
この音がもっと日常的になり始める社会になったら・・・。
恐怖が迫ってくる。
戦争の映画でなく、今海外で起こっている戦地の様子を見ると
凄い音がしているではないか。
あのバリバリバリ・・自分が最近きいているあの音は平和の音ではないかも。
怖い。
思わず、低空を舞う飛行機を見あげて
「お願いしますよ。」
と言ってしまう。
音楽の音は平和の音。
バリバリバリ・・・は・・・。
恐怖を感じる生活は、絶対に避けなければ。
戦争があると、もうかる産業がある。
だから、人は戦争をする。
ばかげている。
そんなお金があったら・・・。
平和の音だけの世界にいきたい。
ブーケをベートーベンにも・・。
おかげさまで、年内、国内でのコンサートはすべて終了。
と書くと、なんだか一人前な感じであるが、今週末、
台湾での初トーク&コンサートを予定しているため、
そういう意味では、まだ年内活動は続く・・・。
それはさておき、昨日の岐阜新聞でのロビーコンサート。
寒くなってきたにもかかわらず、大勢のお客様が
駆けつけてくださった。
今年出会った人、何回も聴いてくださっている人。
始めた頃は、母が元気で宣伝部長で、仲間を引き連れて
きてくれたが、今はお客様も入れ替わり、存じあげない
方もいるが、時には岐阜駅に向かう途中で、声をかけて
いただいたり、コンサート縁が広がっている。
演奏は前にも書いたとおり、ザビエルに捧げる曲も
含め、コンサートのテーマにもした
「歌のブーケをあなたに」をラストナンバーに
平和と愛を胸に、演奏で自分なりの1年をまとめた。
1曲ごとにあたたかい、心のこもった拍手をいただき
伝わっていることを実感した。
演奏が終わったら、「柿食べますか?」といかにも
岐阜らしい差し入れをいただいたり、地元の珍しい
食品やお菓子をいただいたり、本当にあたたかい
気持をいただき、うれしさが沁みた。
そして、帰り際に「ブーケ、いいですねえ。」
「ありがとうございます」と
ニコニコ顔で声をかけてくださったり。。。
さらに、
「最後に演奏された 『歌のブーケをあなたに』を
歌わせてもらってもいいですか?」
との相談もいただいた。
自分がつくった曲を一度聴いた方が、感動して
ぜひ!と思ってくださったとは・・・。
聴いて、歌詞を見て、ああ。と思ってくださり、
感じて下さり、ご自身のステージで歌いたいとは・・・。
クリエイター冥利に尽きる言葉である。
聴いてくださったひとり一人の心に
ブーケが咲いていたら、うれしい。
自分の活動が小さい観覧車ではあるけれど、
確かに回っていると実感できるとき、
ああ、生きてきてよかった、やってきてよかったと
思う。
音楽に感謝する朝。
そう、今日はわが初恋の人?ベートーベンの
255歳の誕生日。
この方のおかげで、今の自分が在る。
ベートーベンにも歌のブーケを贈りたい。
ドイツのボンの生誕の家を思い浮かべ、感謝をささげたい。
(下の写真は、ベートーベンの生家)

ザビエルに感謝を届ける

平戸を訪ねたときの写真が出てきた。ザビエル教会の前に立つ像だ。
フランシスコザビエルは、鹿児島上陸後、この地にも立ち寄った。
その後、日本各地での布教を行い、アジアへの展開を目指したが、
1552年12月3日に、中国の広州湾の上川島で帰天した。
志半ばであっただろうと想像すると同時に、46年の人生だったと
聴くと、短い一生をフル回転で駆け抜けた、その偉業に改めて
頭が下がる。
そして今日、日本にクリスマスが根付いたきっかけは、まさしく
ザビエルの存在であると思うと、ものすごい影響力であると感心
する。もちろん、ザビエルがしたかったことは、今日のような
クリスマスの盛り上がりとは違っていたであろうが。
いずれにせよ、自分にとっては、記念日が同じということで、
それに気づいた日から、特別な存在になった。
そして、旅する先々で、ザビエルとの縁を感じることも多く、
勝手に人生を豊かにさせてもらっている。
クリスマスで賑わう12月。
今日は岐阜新聞での今年最後のロビーコンサートとなる。
街中にはクリスマスソングが多く流れるが、私はザビエルを
讃えてつくった曲「フランチェスコの夢」を演奏しようと
思う。
世界の平和、救済を願って布教したであろうザビエルの
思いを想像しながら、改めてその存在に感謝を込め、歌い
弾きたいと思う。
今日のコンサートは
総務局:ロビーコンサート | 岐阜新聞デジタルhttps://www.gifu-np.co.jp/ud/soumu/page/lobby_concert
過去の演奏の様子は、こちらのページのYouTubeでも
ごらんいただけます。
https://www.mahsa.jp/creation/
改めて、音楽を通じ、人々が平和に、幸せになれるよう。
そして、ザビエルのようにはなれないけれど、
周囲の人に少しでも、元気や勇気を与えることができたら・・・。
と書きながら、あかぎれが沁みる、ピアノ弾きには痛い季節・・・。
心のふるさと、美しき聖地へ再び。
今、世間をお騒がせの話題とは別に、その前から気になって
いて、みんなどうしているか?と思い、連絡を取り始めた台湾の
仲間たち。
メールやZOOMで久しぶりに連絡をとるうちに、
6年ぶりに、台北を訪ねることになった。
30代半ばでの脱サラ、自営を始めた頃から通った懐かしの台湾。
ポルトガル語で「フォルモサ」と呼ぶそうであるが、「美しい島」と
意味だと聞いたことがある。街中のバイク風景からは想像できない
かもしれないが、山や海、空…自然豊かなパラダイス。
30代後半から8年ほど、毎月通って仕事をさせていただいた。
そのときの仲間たちと再会できるとのこと。そこで、
スピーチと演奏をするのだそうだ。
参加者名簿を見ると、懐かしい見覚えのある漢字が多く、
ああ、みんなの20~30代の頃の顔が浮かんでくる。
その後どうしていたのか?どんな成長をしているのだろう。
グラン・ルーは、台湾から回り始めたと言っても過言ではない。
あれから、30年近くも経ったとは。
今回、初めて呼んでいただき講演をしたときと同じ、
台湾の航空会社に予約をした。
ああ、これも懐かしい。羽田空港から唯一飛んでいた国際線・・・。
今回の訪台は、今後の自分の進み方を考えるきっかけになるかも
と思っている。
台湾に最後に足を運んだのは6年前であった。マカオの帰り。
そのあと、コロナが世界を襲い、海外に出なくなった。
ここから、新たな挑戦をはじめる。
自分にとっての、誕生日プレゼントにもなる。
優秀で人間味あふれる台湾の仲間たちに再び会えることは、
本当にうれしい。
言葉の壁は何とかなる。それを教えてくれた皆さんたち。
いつも、加油!加油!と励ましていたあの頃が懐かしい。
そして、台北には、私にとってもっとも大切な聖地がある。
今回も訪ねる予定。そしてこの数年の音楽活動の報告をし、
さらに前に進むと約束をしてきたい。
気が付けば、今年で亡くなって30年。早いものだ。
彼女の存在を惜しみながら、そんなに時間が経ってしまった
とは・・・。テレサテンに会いに行く。これが、台湾訪問時の
いつものミッションのひとつ。
才能を活かす、世界に目を向ける、優しい心と勇気をもって。
台湾、美しき島には、心うつくしい、やさしい人たちが
待っている。

真のお手本。
報道で何度聞いても、読んでも、その瞬間に心が洗われ、背筋が伸びる人がいる。
中村哲さん。
お会いしたことはもちろんないけれど、生前からこんな人が本当にいるのだと
同じ日本人として誇り高く、心から尊敬できる方であった。またなんとも無念な
最期となり、亡くなって数年の歳月が経った今も、その存在は薄れることはない。
むしろ、戦争がつづく今だからこそ、中村哲さんの生き方、生きざまが、
心に改めて強く深く、刻まれる。
仕事とは、人生とは、いのちとは・・。生きる上で、意識しなければならない
大切なテーマについて、多くのヒントをいただける。
また、人は「死して、残す」存在なのかなとも思えてくる。
「いかに生きたか」このことが、今を生きる自分たちに貴重なヒントになる。
一人の尊い人生は、次代へのメッセージになるのだ。ということを教えられる。
とにかく、尊い存在である。
アフガニスタンという危険かつ不安定な地域に自らの拠点を移し、医師として
現地の人々のいのちを救う・・だけでも、素晴らしいのに、水不足の環境では
人びとは生きることはできない、水さえあれば・・ということで、現地の皆さん
とともに、水路を建設。医者がインフラにまで関わり、自ら先頭に立って、
活動をする・・・。そんな人、世界中を探してもいないだろう。
世界情勢に惑わされず、自分のまわりで困っている人がいたら、何ができるかを
考えて、行動すること。
戦争なんかしている暇はない・・・。
いろんな名言が残されているが、ほんとうにすべてがごもっともで、
一言一言に共感すると同時に、感動を覚え、さらに、自分は一体何をしているんだ
という気持ちになってくる。
中村さんだから・・他人事ではなく、自分にもできることが何かあるだろう。
という気持ちになってくる。
純粋な心で。ほんとうに困っている人のために自らできることをする。
中村さんの発想、決断、行動。そしてそれを支える隣人愛のこころ。
年末。何ができるかと考える。
何もできていないに等しいけれど、世界に惑わされず、自分の世界のなかで
必要と思うことをし続けよう。
それにしても、中村哲さんは素晴らしい!
どこか、マザーテレサに通じるものを感じるのは、わたしだけだろうか。
うららびより ♪ラララ クリスマス

デイサービスとグループホームの合同クリスマスコンサートを企画
いただき、演奏に出かけた。
利用者のみなさまは40名ほど、スタッフを含め50名と多くの方が
時間前から、会場(おそらく食堂)に集まってこられていた。
全員がサンタ帽やクリスマスのコスチューム、会場内も手作りの
素晴らしいディスプレイ。
こんなにこの時間のために準備をしていただいていたのかと
入室した瞬間から感動。これは、がんばらねば!
福祉のお仕事をされている皆さんは、昼夜を問わず大変忙しいので
何度も打ち合わせをする時間もとりづらいため、必要最小限の確認
だけして、あとはお任せ。といったオーダーにも慣れてきた。
クリスマスムードたっぷりの会場で、トークを交え、利用者さん
に馴染みのある懐かしの曲から、季節の音楽メドレー、そして
クリスマスソングなどを演奏。本当に、いずれも皆さんノリノリで
楽しんでいただいた様子。中には時折、泣いておられる方もおられ、
ああ、心が動いているのだと、うれしく思いながら、こちらも
はりきって演奏を続ける。
マイクスタンドがないことに気づき、今回は新たな演奏法に挑戦。
片手でマイクを持って歌い、片手で演奏するというスタイルだ。
これは、やったことがなかったが、人間、やろうと思えば何でも
できるものだ。アカペラからはじめて、そのあとにわかに片手の
伴奏がはじまるのもなかなか。ゴージャスな演奏ができずとも
歌の伴奏であれば、左手だけでも十分耐えうる。と演奏しながら
この新奏法にわれながら感心。人間、その気になれば何でもできる。
楽しい時間が過ぎ、大きな拍手をいただき、「またきてね~」
と多くの声に見送られ、退場する。
素敵なひとときを提供できていたらうれしい。
今日、このことを思い出してもらえるだろうか?
もし、そうでなくても、瞬間を満喫していただけたことで、いのちに
元気を注入できていたら、それでよいと、最近はそう思っている。
ありがたい会場準備、機会をいただけていることに、心から感謝。
うららびより・・・。毎日 あったかい気持でいい時間を過ごして
いただきたい。

待ち時間のフィナンシェ
葬儀会場内のカフェ。
といえば、地元で両親を送るときの火葬の待ち時間に
利用したカフェを思い出す。
そのときは当事者であったため、周囲の景色など目に
入らなかった。一杯のコーヒーを飲み、妹らと世間話をし、
ただ呼び出されるのを待った。
人生の中でもっとも非日常な時間であった。
地元ではないが、斎場内でカフェを運営する知人がいて、
「クリームソーダがよく売れる」
「うどんが美味しいと言われる」
との話を何度かきいて、どんな空間なのだろうかと 素朴に
興味が湧いた。
フードコートのスタイルらしい。
映画の「お葬式」ではないけれど、一体、どんな世界かと。
やっと時間がとれて、そのお店を訪ねてみた。
街から少し離れた山間の場所にある。
その葬祭場のなかにあるお店。
広い食堂のような空間にテーブルとイスがずらり並んでいる。
その奥にキッチンカウンターと券売機。
各テーブルにはメニュー。コーヒー紅茶だけでなく、
たしかにクリームソーダも、各種うどん、カレー、
スイーツまで・・・。A4裏表 写真付きでびっしり
メニューがかいてある。こんなに種類が豊富とは・・・。
最期のお別れを終えたご遺族たちが、ここに案内され、
ほっとして着席して見るメニュー。
もしかしたら、この瞬間にさっきまでの張りつめた
気持が変わるのかもしれない。
運営者である知人が、私に「ほんまに来たね」という
おもてなしを込めて、
コーヒーと「フィナンシェ」をご馳走してくれた。
「このフィナンシェ、結構おいしいんですわ。よく
売れてます」と言いながら、本人も召し上がり、
すすめてくれた。
わたしは、次々と室内に入ってくる遺族たちの
様子を眺めていた。
次々と・・・入室されてくる。
遺影や骨箱をもっての入室の様子も、見ているうちに
慣れてきてしまう不思議な感覚・・・。
自分が滞在した1時間ほどの間に見た
その景色のなかには、笑い声や子どもたちの
元気な声もあり、悲しみはもちろんあるのだろうが、
想像していた世界とは違う、そこに日常の延長を感じた。
最期のお別れをした後、この空間でドリンクや
食事をいただきながら、待つ。
その時間で気持ちの切り替えができるのかもしれない。
故人の思い出話もしながら、悲しみの気持ちが和らぎ
さっきまでの悲しい気持とは少し違う心境になって
いくのかもしれない。
おいしくてあたたかいうどんや、色鮮やかな
冷たいクリームソーダをいただくことで、悲しみを
受け入れ、落ち着きを取り戻せるのかもしれない。
生きていることを実感するのかもしれない。
そんなことを思いながら、知人がおもてなしして
くれたフィナンシェをほうばった。
不思議であるが、普段いただくフィナンシェと違って
なんともいえない味わいがした。
ここで食べたフィナンシェとコーヒー。
もう忘れられない。
同じように、ここでうどんやクリームソーダを
いただいた方は、そのときの味を忘れないのでは。
「毎日ここにいると、死が日常に感じられてしまう。
非日常だった死が日常になってしまうんやわ。
それでいいのかと思いながら、でもそれが現実かな」
飲食業はいろんな場所に存在する。
このような非日常空間にあるお店は、単に人々に
美味しさを提供するだけではなく、
悲しみを癒したり、非日常と日常のスイッチ的な
役割を果たしたり、こういう時しか会えない人との
コミュニケーションの場になったり・・
いろんな深い役割をもっているのだと思った。
街なかで繁盛している飲食店とは違った感動を
与えているお店の存在。
知人がこういった仕事を受け合い 仲間と一緒に
日々奮闘されている姿を誇りに思う。
これから、フィナンシェをいただくたびに、
今回見た光景を思い出すだろう。
うどんやクリームソーダをいただくときにも
思い出すだろう。
超高齢化社会。多死社会の一コマをこのような
カタチで体験させていただいた。
毎日多くの人が旅立たれる。
多くの人の働きにより、送られていく。
そのことを忘れずに。
そして、旅立って行かれるひとり一人の
尊厳を大切に・・・。
実に学びの多い時間をいただいた。
真剣に聞くと伝わる?
学生さんから企業に向けてのプレゼンに同席する機会を得た。
今年後半から進めているある企業連携プロジェクトの一環だ。
学生さんたちがチームで考え、練っている最中の企画を説明いただき
企業さんに交じって聴かせていただきコメントをするという授業。
1チーム10分と決めても、そのとおりにはいかない。
話し始めたら長くなってしまったり、思っていたように話ができず
しばしフリーズという瞬間もあり・・・のなか、
15チームのプレゼンを一気に聴き続けた。
学生さんがせっかく考えてくれた企画であるので、
その企画の良しあしの判断だけではなく、彼ら彼女らが熱心に
考えてくれたことへの敬意を抱きながら、なぜこんなことが
思いつくのだろう、どこからこの発想が生まれたのだろう。
などと、思いを巡らせながら、発表される言葉ひとこと一言を
聞き逃さないように聞いた。
そして資料も見落としがないように気を付けて目を通し、的外れな
コメントにならないように・・・と
聴く側も気を引き締めながら、聴かせてもらった。
聴いているうちに、引き込まれるもの、感心するもの・・・
にも出会った。企画が前ステップよりブラッシュアップされている
こともうれしく思った。
とにかく、出会ったときは、ゼロベースのものが、ちゃんと
企画としてまとまりつつある・・・。学校とは大したものだと
先生方のご指導にも頭が下がる。
若者たちの感性がきらきら光っている。縛りがない、自由な発想を
持ち続けることの大切さを学ぶ機会ともなった。
とにかく15のプレゼンを次々と聴き続けた。
聴きながら、がんばって~!とエールを送っていた。
それが学生さんたちに伝わっていたらうれしい。
言葉にして返すフィードバックももちろん重要であるが、
聴く姿勢自体も、伝え手に伝わるはず・・・。
こんなに熱心に聴いてもらえるならば、もっとがんばろう!
とこちらの応援が届いていれば・・・。
コミュニケーションは聞く姿勢、態度からもにじみ、伝わると
信じている。
このプロジェクトの次のステップも楽しみ。
コミュニケーションを重ねることで、いい作品が生まれる。
来春に向けての楽しみのひとつである。