出会いと再会の1年。

真夏に金沢駅に向かう途中、道案内してくれた学生さん。
その後も、なぜか自然とやりとりが続き、年末に再会となった。
今から思えば、とても不思議である。
最初に声をかけてもらっていなければ、出会いはなかった。
たった数分ぐらいの歩きながらの会話で、こんなしっかりした学生って
いるのかなと驚きと関心。
そこから交流が途切れず、続いた。ここが不思議である。
もしかしたら、たぶん、お互いに「変な人」なのだろう。
程よい距離感でコミュニケーションを続けることで、
再会となる。

まさに親子ほどの年の差があるが、ひとりの人間同士の
会話。世代を越えて、いろんなテーマに話が及ぶ。
哲学、教育、世界・・・さまざまな切り口で話ができ、
自分も学生時代の一コマを思い出せたし、
これから社会人になっていく若者の考え方をいろんな角度から
聞くことで、自分にも発見があり、また若者を応援したいと
いう気持ちがますます強くなった。

自分が20代だったころ、周囲の大人たちはどのように
見ていたのか・・・。見えていたのか・・・。
恥ずかしいような、ほろ苦いような・・そんな時代でもある。
正直、そんなに何も考えず、ただ日々を前に向かっていただけ
かもしれない。

若者との偶然の出会いと、再会は自分の40年前を思い出させて
くれた。悔いはないが、その日があるから、今があることには
納得する。違う選択をしていたら、今とは違う人生になっていたかも。

今年も多くの出会いや、再会に恵まれてきた。
自分次第で世界はいかようにも広がる。
若者たちとの出会い、交わり、そして応援。

未来に向かう人たちにまじって、自分も生きる。
少しでも役に立てたらいい。

あと3日。まだまだ新たな世界と交わりと刺激を求めていこう。




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 「最後の」年末・・・。


あっという間に2025年が終わりを告げようとしている。
毎年不思議であるが、12月はとくに秒針が速く回っているのではないか
と感じるのは、私だけではないはず。
この「年末」という言葉は何とも言えない緊張感がある。
そして、そこに「最後の」という一言がくっつくとなおさら、なんとも
いえない気持になる。

近所にある地元のデパートが、来年の2月末で閉店するとのこと。
私が生まれる前からあった、戦後日本の経済成長とともに歩んできた
店舗。
70年の歴史は、長い。今、店舗内で70年の回顧展をやっている。
制服、パッケージ、プロモーション・・・。昭和を懐かしく思い、
わが子ども時代を思い出す。毎日レッスンで通っていた名古屋。
私なりにずっと馴染みのあるお店・・・。
でも、閉店が決まった。

今年に入ってから、何か催事をするたびに「最後の〇〇市、最後の〇〇展」
と銘打ってのプロモーション。
人間、最後の・・・と聞くと反射的に行動する。70年の思い出とともに、
何か残しておきたいと、思わず財布の紐も緩む。

東京に住んでいるときも日本橋や新宿のデパートが閉店したのを経験した
記憶があるが、東京は次々と新しいものが誕生するため、寂しさは
さほどない。時間とともに新しい街に慣れていく。そのスピードが速い
というのもあるだろう。

しかし、地方での大型店舗閉店の痛手は大きい。
私が名古屋に拠点を移して8年の間に、地元で3つの百貨店が閉店した。
とくに岐阜の高島屋の閉店はとても悲しかったし、1年以上経った今も
その影響は免れず、柳ケ瀬の衰退は進んでいる・・・。

そして、今回は、駅前の開発に伴う閉店だとのこと。
しかし、その開発の工事予定が未定になったと最近報道されたばかり・・
それでも、そんなに早く閉店してしまうのか?
「最後の〇〇」と銘打ってしまっているから、後戻りできないのだろうか。
など、いろいろ不思議に思っていた。

ある地下食品売り場のテナント店舗に寄った、そこの店主らしき方が
いつも丁寧な接客をされていて、好感を寄せていた。
買い物をしながら、言葉をかけてみる。
「今年の年末は、寂しいね。何とも言えんわ」
すると、
「本当にそうです。なんで、やめるんや。と思っています。
せっかくここまで頑張って、売り上げ伸ばしてきたのに。
せめて移転して、営業続けさせてくれたら・・・。」
予想通り、それ以上にお店の方の言葉が続いた。
心からの怒り、残念無念という思いが伝わり、胸がいっぱいになった。
どうやら、社長さんのようである。
各地に売り場を出しているけれども、ここ名古屋がメインだそう。
それがなくなることへの葛藤・・・。
次のお客様が来られたので、会話を終えて
「また来ますね。がんばってくださいね」
と挨拶をし、笑顔の接客を受け取る。
いいお店なのに、なくなってしまうんだ・・。再び寂しさが募る。

最後の年末。
もちろん、これとは違う、最後の年末もあるだろう。
でも、もしかしたら、自分にとっても最後の年末になるかもしれない。
そんなことも頭をよぎる。

いろんな年末があることを忘れずに。
浮かれて楽しいことばかり、そんな人ばかりではない。
そんななか、暖かい部屋で目覚め、美味しいコーヒーや食事をいただき
好きな装いをして、好きな所へ行き、好きなことをする気ままな年末。

「最後」の年末。
改めて、かみしめたい。

今年もあと4日か。361日、無事に生きたようだ。ありがたい限り。

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自己満足であっても・・・

今年一年を終えるまでになっておかねばならないことは
掘り起こせばいろいろあれど、まずは小さなチャリティ。
私の場合は、1年の音楽活動でいただいたお金から、その一部を
日本赤十字を通じて送金するというもの。
本来は活動のたびに寄付をすればよいけれど、ある程度
まとめて‥と1年の終わりに行う。
応援、支援の形はいろいろある。
気持を寄せる、祈りをささげるだけでも十分な支援だと
思う。でも、それだけでは足りないか。
人は生きるために、物資が必要だ。その足しになれば、なるので
あれば・・と思う。
自分が億万長者であれば、多くのお金をまとめて寄付できるが
そうもいかない。
だから、少額になる。
その内容も迷う。応援しなければならない地域がたくさんある。
増えている・・・。
あれこれ悩んで、いくつかの地域への義援金寄付を行う。

これぐらいの金額では何の足しにもならないのではないか。
でも、少しでも役に立てたらいいのではないか。

報道で接する天災、人災の被災地で生きる皆さんの様子
に触れると、何もしないではいられない。
映像を見ながら、平和な環境で過ごしている自分に
対して罪悪感もある。
こんなぬくぬくと、生きていてよいのだろうか。

そんな気持ちからの小さなチャリティ。
行動をしたら、少しは気持ちがすっきりする。
それは自己満足にすぎないのかもしれないが、
どんな善行も、そこから生まれるのではないかとも
思う。

今年一年の出前・出張コンサートの活動でいただいた
お礼の一部を予定どおり、今年も日本赤十字社を通じて
寄付をさせていただきました。
活動の機会をいただいた皆様へ心より感謝いたします。
(後日、公式サイトのインフォメーションでもご報告します)

自己満足かもしれないけれど、
自分がやろうと思うことはやる。
やっておけばよかったと悔いないように。

その結果、誰かのお役に立てるならば、
それは意味があるだと思う。
それを信じて、生きるのみ。

とにかく1年ここまで無事に進んでこられたことに
感謝したい。

小さなチャリティ・・来年も、さらに続けよう。

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何年後まで記憶に残るか

前に書いたとおり、先日の台湾訪問の際に、尊敬する鄧麗君が眠る
金宝山に足を運んだ。数年ぶりに見たテレサの墓地。墓石以外に、
歌う姿の銅像や花壇や、ピアノの形のアートなどがあるちょっとした
公園になっており、その敷地には多くの木々があり、墓地を管理する
人たちによって手入れされている。
この30年間、ずっと誰かが掃除をし、木を伐採し、落ち葉を拾い、
花に水をやり・・・。この墓地公園の手入れを続けてこられた。
もちろん最初に尋ねた四半世紀前と、その墓地公園そのものは変わら
ないけれど、さすがに30年の月日を経ると、墓を訪ね、祈る人も
少なくなっているのではないか。と思ってしまった。
墓が朽ちているわけでもなく、以前と変わらないが、やはり30年の
月日は長く、風雨に耐えてきた、少し苔が生えてきた様子から、
時間の経過を感じたのだ。
以前は、墓石にテレサの写真も添えてあったが、今はない。
でも、墓石の上に誰かがおいていった、数珠と指輪をみつけた。
熱心なファンが思いをもってここに足を運び、祈りをささげていった
のだろう。
そのファンの世代はおそらく自分と同世代か、それ以上だろう。
この後の30年を想像したとき、テレサのことを覚えている人は
どれぐらいいるのだろう。
もちろんアジアの歌姫の存在の記録、記憶は決して消えないけれど
ファンの高齢化により、いずれは伝説になっていくのかもしれない。

と、テレサの墓の変化を感じながら、自分のこの30年とこれからを
重ねた。
この世にカタチが亡くなっても、歌があるから、テレサの存在は
消えることはない。
音楽とは存在を永遠にする。
本当に素晴らしい。

自分にはこんな偉業を成し遂げることは到底できないけれど、
小さな世界のなかででも、生きた証が残せたらいい。もちろん
残すために生きるのではなく、今の瞬間を精一杯生きること。

いつまで?の答えはないが、
テレサは私が生きる限り、心の中に生き続ける。





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ケーキ屋さんとクリスマスと・・

約20年前からの知人。京都で約70年の歴史を有する
ケーキ屋さんの社長さん。
今年、思いがけぬ京都駅近鉄エリアで再会となり、
そこから交流も復活。
「うちのシュークリーム、映画の『国宝』にも出たんやで。」
さらりと言ってくれるところが、この方らしく、冗談のように
スゴイことを言われる。
先日、ある店で会食を一緒にしたときに、最後にショートケーキを
オーダーし、そして、しっかり分析。
「上に載ってるイチゴはなあ。この季節はアメリカ産。中に入って
いるイチゴは〇〇産や」
「へえ。そんなのがわかるんや」
「業界の常識や。もちろんクリスマスのときは国産のやで」
そのプロの言葉に感動して、何十年ぶりかにクリスマスケーキを
オーダーしてみることになる。
その社長直々に勧められたら、やっぱり頼んでみようかなと
思ってしまうのが、その方の魅力。
そう、社長直々に外に出たらクリスマス営業されているのだろう。

念願の久しぶりのデコレーションケーキ。しかも初めての宅配。
デコレーションケーキって綺麗に、崩れず送れるのかな。
と、届く箱を心配しながら、到着を待つ。
指定どおり届いた箱を、静かに空けてみる。
あれ、チョコレートのプレートが転げているなあ。小さい
飾りもぽろん・・・。
「チョコレートプレート、墜落してました!」
とすぐメッセージを入れる。
「そうか。他でも言われたわ。あのプレート大きいしな。
チョコ割れてへん?」
そう、台から転がっていても、割れていなければ、また
載せたらいい。
無事、チョコは割れていなかった。そう報告すると
安心された。
「今日はずっとお客様がおられます」
とのメッセージも届き、繁盛ぶりが伝わってくる。

日本人にとってクリスマスをこんなに楽しい行事にして
くれたのは、クリスマスケーキのおかげ。といっても
過言ではないだろう。

無事にお客様が受け取って、美味しく召し上がっていただけるか。
そこがケーキ屋さんのクリスマスの一番気になるところだろう。

今回、ケーキを受け取って、デコレーションケーキの切り方まで
書いてあったのは、感動した。
チョコレートの冷凍品であるせいもあるが、包丁は温めて
使う方がきれいに切れるとか・・。いろいろきめ細やかに、
プロの仕事をされているこの社長に
改めて敬意を表し、美味しくいただく。

今日はクリスマス。
家庭で、お店で、いろんな場所でそれぞれのクリスマスを
楽しまれる方も多いだろう。
今年をふりかえり、笑顔で楽しいひとときを。
明日が仕事納めの方も多いなかの、多忙なクリスマスのなか、
ほっこりしたひとときを過ごせるように。

ケーキ屋さん、今日も一日、フル回転!
チキンを売るお店もフル回転!
どうぞ、今年最後の大仕事、元気にがんばってくださーい!

平和で楽しいクリスマスが過ごせる今の日本に感謝して・・・

写真は、無事届いたケーキと、2月14日にコンサートを開催する
長崎の会場のクリスマスのディスプレイ。
平和と笑顔のクリスマスを祝して・・・。

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感謝と未来への誓いの青花。

6年ぶりに、鄧麗筠のお墓を訪ねた。
テレサ・テン。テレサとはマザー・テレサが由来と聴いたことが
ある。
今年は亡くなって30年の記念年。
気が付けば、もうそんなに・・・。生きていたら72歳か。

広大な墓地構内にある花屋さんで毎回、お供えの花を選ぶ。
これは、いつもの習慣。
今回は、どの花にしようか。紫の造花もいいけど、今日はこれ。
青い大輪の菊。見た瞬間、これを手にとった。
青いカーネーションやバラは見たことがあったが、
こんな大きな菊で、この色の菊は初めてだ。

テレサが眠る墓石にこの花を置き、静かに目を閉じ、墓地内に
流れるテレサの曲を聴きながら、30年の月日を思い出す。
テレサが亡くなってから、台湾とのご縁ができた。
でも、彼女が活躍していた頃から、大好きで、いつも歌っていた。
自分の青春時代と彼女のヒット曲は重なる。
日本語で歌われる曲には、男性社会時代のちょっとけなげな
「おんなごころ」を歌った悲恋歌が多く、あの時代だからこそ、
ヒットした時代背景もあったかもしれないが、単に日本語の
うまい台湾人の歌手という存在ではなかった。
彼女は北京語、台湾語、広東語、英語も操り、台湾の伝統的な
歌からジャズまで実に幅広くレパートリーをもち、
さらに歌手にとどまらない自由を求めての活動も行った、
主張をもった、自立の人。
私が彼女を好きだったのは、見た目はかわいく、やさしげで、
歌がうまくて・・・それ以上に、賢く、強くしなやかなところ。
私にとっては、カッコいい女性。

あんなふうに生きたいと思ったのは30代の頃から。
台湾への訪問チャンスは、テレサが与えてくれたのではと
思うほどに、あれ以来、単にファンということではなく、
彼女の存在に感謝し続け、マザーテレサを尊敬するように、
台湾といえば、テレサを思い続けた。

今回の墓地訪問は、テレサを哀悼するだけではなく、この地の
平和と自由への協力、応援への意思表明でもあり、
これからも強くしなやかに生きることを目指すことへの
自分への誓いを意味する。
だから、今回はこの青い大きな菊。
平和、自由、真実を現す青。
テレサにピッタリの色だ。
当日、この墓地のある金華山(なんとふるさとの岐阜にある山と同名)
の空は曇っていたが、心は晴れ。
テレサのように、なりたい。
また、そう思った。

30年経っても、50年経っても、永遠の存在。
私の心にずっと生きている。
また、会いに行こう。

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どこまでも優しい人たち



出先での忘れ物は厄介だ。
とくに海外に出ると気をつけないと、あとで諦めることに
なりかねない。これまでも何度か、そんなことがあったか・・。

帰りの荷造りをしている際に、
ふと、前日まで着用していた帽子がないことに
気づいた。
あれ?あれ?ない!まさか・・・。
そこから前日までの自分の行動を時計を逆回しに辿る。
まずは、ホテルの中。自分が歩いた通路。
コンシェルジュに落とし物を訪ねたが、該当するものはない。
それ以外に思い当たるのが、2件の店。
1件目は、店内に入って帽子を脱いだ記憶があった。
2件目は会食した店。ここも可能性がある。

このまま帰国するわけにはいかない。
2件目の店で会食した知人に、もし店にあれば取りに行くので
預かっておいてほしいと伝言を頼む。
さらに、そのあと打ち合わせした仲間に、
「ちょっとお願いがあるのだけれど、・・・といったわけで
ここに帽子を忘れていないか電話で聞いてほしい」
相手が中国語しか話さないと、自分では対応できないため
仲間に頼む。情けないことだ。
すると、友たちはすぐに対応してくれる。

結果、2件目の会食したレストランにあることが判明した。
帽子だったから見つかる可能性もあったかもしれないが
とにかく落とし物が出てくるというのは、何かと安心な
街であり、ちゃんとした店である。

その後、帰り支度をしてから、タクシーに乗りその
レストランに向かう。
帰り時間もあるので、急がねばならない。
お店に着いたら、なんと先ほど電話で問い合わせをして
くれた知人が、お店の前で私の置き忘れた帽子をスマホで
撮影しているのをみつけた。
「あれ?Iさん、なぜここに?何されているんですか?」
「いやー、たまたま今通り道だったので、寄ってみたんです。
この帽子で合っていたかと写真送ろうと思って撮影していた
ところです」
へえ、まさか店に寄って忘れ物を確認をされ、さらに私のために
撮影をしてメールをしようとしてくださったのだ・・・。

どこまで親切な方なのかと、心からありがたく、また
私の忘れ物につきあっていただき、申し訳なく
思った。
「いやー、昨日会ったとき帽子かぶっていた印象がなかった
ので、この帽子で良かったのかなと思って・・・。とにかく
良かった、良かった」
何度もお礼を言って、店の外で笑顔で別れた。

そして 1件目の店に問い合わせの電話をしてくれた仲間も、
「帽子はみつかりましたか?大丈夫でしたか?」
とメールをくれた。

台湾に住む人たちは、心にゆとりがあるのだろう、。
相手のことをとても心配し、相手のために動いてくれる。
私が知る台湾の人たちは、そんな優しさをもった方たちである。

そんなこんなで、帽子はめでたく一緒に持ち帰ることが
できた。

人は、どこまで優しくできるか。
今回の学びのひとつは、これだ。

台湾の方にはあたたかい心がある。

謝謝の気持ちを抱き、またね!と街に手をふり、
空港を離陸した瞬間、こみあげるものがあった。

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今こそ、台湾の人に学ぶこと

台湾の仲間たちとの再会は、今年を締めくくる最高の自分へのご褒美となった。

改めて、素晴らしい人たちとつながり続けていることに対し、感謝の念が湧いた。
スピーチと演奏を聴き、感動したとの声を寄せていただき、見事な通訳の
力があったからであるが、とにかく伝わったことへの安堵と、
熱心な仲間たちの姿勢、威張らない賢明さに改めて感動した。

講演中に、以前からの関わりを思い出しつつ、
台湾の皆さんから学んだことについて話した。
以下の資料を使って話したけれど、実際、今回の訪問から、
改めて、みんな賢明で、努力家で、そして前向きで活動的であることを
知り、大いに刺激を得ることができたし、
台湾の人々に学ぶことは、まだまだあると思ったし、
自分はまったく足りないなと未熟さも感じた。

関わることで、新たな発見がある。
一歩外に出ることで、見える世界が広がる。

今回の仲間たちとの再会を機に、共にできることについて、
ここから考え、取り組んでいけたら・・。
大いに成長され、たくましく生きている皆さんと
以前と違う役割分担で、同じ目標をもちながら、新たな関係づくりが
できたら・・・。
世界に友達がいると、世界平和を自然に希求するようになる。
新たな夢が生まれ、それに向かって歩き出そうと勇気も沸く。

改めて素晴らしいクリスマスギフトをいただいた。

日本人は、もっと台湾人から学ぶべき。もっと世界から学ぶべき。
そして、自分の持てる力を最大限に発揮し、柔軟に生きること。
誇りをもって進むこと。

台湾の魅力をもっと、身近な人々に伝え、応援していこう!

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再会から生まれること。

無事に6年ぶりの台湾への訪問、初日を終えた。
なぜか、1日自分のスマホで撮影することを忘れた。

ここに通っていた頃は、スマホはまだ登場していなかったし、
わたしにとって台北の街は日常的な景色であったため、
その名残もあり、家に帰ってきた感覚で、スマホに
収めなければとは思わなかった。

現地の皆さんは、久しぶりに会ったからといって
何度も何度も記念撮影を求めてくださり、
それぞれのスマホに私とのショットは収められた。
講演、演奏、その後のコミュニケーションに集中した
せいで、ホテルに戻ってから、ああ、撮影してなかったと
少々悔やむ。

ではあるが、講演中もその前後もずっとプロのカメラマン
が撮影されていたので、あとで共有はされるまで待つこと
にする。

四半世紀の再会。
皆さん、当時は20代後半の方が多く、今は50代・・・。
同世代の方もおられる。会社員であれば、そろそろ定年。
なんだか同窓会のようだった。
私にとってはクライアント企業の従業員の皆さんであるが
当時から仲間であった。ここが不思議な台湾式。
一緒に新しい事業に取り組んだ、私は日本人として当時
できることをした。
いつも敬意をもって接してくださり、人と人の関係は
ここから始まることを学んだ。
そんなことが次々と思い出された。

また歴代の通訳担当者にも再会でき、彼女たちのさらなる研鑚、
成長ぶりにも感心しながら、過去にとどまらずここから
新たな関係づくりが始まることも予感。
台湾と日本の架け橋になる仕事をしている人もいる。
私もそのサポートができたらと改めて思った。

四半世紀と言えば、人生の半分ほど。
その長い時間ずっと途切れずに、今回改めて再会できたことは
この上なく幸せだ。

台湾の仲間を応援する。改めての強い思いが湧いてくる。
訪ねてきたからこそ、会えたからこそ、そう思えたのだ。
「再会」にはチャンスがある。
お互いが変化、進化しているため新たな接点がうまれるのだ。

再会を果たしたら、みらいが見えてきた。

そのきっかけを与えてくれた、素晴らしい仲間たちに、心から感謝!

台湾での観覧車がふたたび、動き出す。


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原点回帰と成長。

今日、台湾で講演&演奏する内容をまとめた資料を作り、
一昨日のうちに、現地へ送った。
ところが日本でしか通用しないクラウドサービスもあるのだと
こんなところから、久しぶりに躓きながら、
「見えませーん。何も付いてませーん」
という会話を思い出す。
20年前は、ネット環境も今ほど普及おらず、いろいろ試行錯誤の
日々であったことを思い出す。
AIも当時はなかった。(もちろん研究はされていただろう)

メールで送信できるように、軽めに作成し直して、無事仲間の
手元で確認できるようになった昨日の夜。ギリギリセーフだ。
「大丈夫です。見えます。読めました。安心してくださいね」
と、有難い言葉を受け取り、これで大丈夫と思って
準備を続ける。

夜中に、今日通訳を担当してくださる方より
自分が作成したパワポに中国語が追加された資料が届く。
「せっかくの内容なので、より皆さんに伝わるように
書き込んでおきました。原文のまま投影しても、どちらでも
もちろん構いませんので ご確認ください」
との配慮に、心から感動した。
しかも、英語のスペルも確認してくれている。
やってくれたんだ。もちろんご自身の通訳のためにも必要な
準備であるが、とてもありがたい。

本当は、AIの力を使ってでも、ここまでしたいと思っていた
資料作成がどうしても間に合わなかったのであるが、
さすが 当時一緒に組んで仕事をしていた仲間は、大変優秀!
何も言わなくても、理解してその先を読んで仕事をする。
昔も今も変わらない。

早速お礼を言う。もちろん彼女が追記してくれた国際版の資料を
活用してプレゼンをしようと思う。

このように、海を越えて、日々コミュニケーションを重ねていた
20年前のことが、今回の資料のやりとりひとつで、瞬く間に
蘇った。

ああ、やっぱり仲間だな。
まずは、無事に会場にたどり着かなければ。

コミュニケーションクリエイターとして、現在私が伝えられることを
言葉と音と表情でしっかり伝えたいと思う。

30代の時に培ったコンサルとしての力はここで教わった。
異国でどう伝えるのか?いい訓練になった。
言葉も背景も違う人とどうつながるのか?

グラン・ルーの原点を見直し、そしてその後の成長を
確認するありがたい機会である。

自分に「加油!」と言いながら、出発の支度を続ける。

今日のスピーチ&コンサートのテーマはこちら。

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