何年後まで記憶に残るか

前に書いたとおり、先日の台湾訪問の際に、尊敬する鄧麗君が眠る
金宝山に足を運んだ。数年ぶりに見たテレサの墓地。墓石以外に、
歌う姿の銅像や花壇や、ピアノの形のアートなどがあるちょっとした
公園になっており、その敷地には多くの木々があり、墓地を管理する
人たちによって手入れされている。
この30年間、ずっと誰かが掃除をし、木を伐採し、落ち葉を拾い、
花に水をやり・・・。この墓地公園の手入れを続けてこられた。
もちろん最初に尋ねた四半世紀前と、その墓地公園そのものは変わら
ないけれど、さすがに30年の月日を経ると、墓を訪ね、祈る人も
少なくなっているのではないか。と思ってしまった。
墓が朽ちているわけでもなく、以前と変わらないが、やはり30年の
月日は長く、風雨に耐えてきた、少し苔が生えてきた様子から、
時間の経過を感じたのだ。
以前は、墓石にテレサの写真も添えてあったが、今はない。
でも、墓石の上に誰かがおいていった、数珠と指輪をみつけた。
熱心なファンが思いをもってここに足を運び、祈りをささげていった
のだろう。
そのファンの世代はおそらく自分と同世代か、それ以上だろう。
この後の30年を想像したとき、テレサのことを覚えている人は
どれぐらいいるのだろう。
もちろんアジアの歌姫の存在の記録、記憶は決して消えないけれど
ファンの高齢化により、いずれは伝説になっていくのかもしれない。

と、テレサの墓の変化を感じながら、自分のこの30年とこれからを
重ねた。
この世にカタチが亡くなっても、歌があるから、テレサの存在は
消えることはない。
音楽とは存在を永遠にする。
本当に素晴らしい。

自分にはこんな偉業を成し遂げることは到底できないけれど、
小さな世界のなかででも、生きた証が残せたらいい。もちろん
残すために生きるのではなく、今の瞬間を精一杯生きること。

いつまで?の答えはないが、
テレサは私が生きる限り、心の中に生き続ける。





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ケーキ屋さんとクリスマスと・・

約20年前からの知人。京都で約70年の歴史を有する
ケーキ屋さんの社長さん。
今年、思いがけぬ京都駅近鉄エリアで再会となり、
そこから交流も復活。
「うちのシュークリーム、映画の『国宝』にも出たんやで。」
さらりと言ってくれるところが、この方らしく、冗談のように
スゴイことを言われる。
先日、ある店で会食を一緒にしたときに、最後にショートケーキを
オーダーし、そして、しっかり分析。
「上に載ってるイチゴはなあ。この季節はアメリカ産。中に入って
いるイチゴは〇〇産や」
「へえ。そんなのがわかるんや」
「業界の常識や。もちろんクリスマスのときは国産のやで」
そのプロの言葉に感動して、何十年ぶりかにクリスマスケーキを
オーダーしてみることになる。
その社長直々に勧められたら、やっぱり頼んでみようかなと
思ってしまうのが、その方の魅力。
そう、社長直々に外に出たらクリスマス営業されているのだろう。

念願の久しぶりのデコレーションケーキ。しかも初めての宅配。
デコレーションケーキって綺麗に、崩れず送れるのかな。
と、届く箱を心配しながら、到着を待つ。
指定どおり届いた箱を、静かに空けてみる。
あれ、チョコレートのプレートが転げているなあ。小さい
飾りもぽろん・・・。
「チョコレートプレート、墜落してました!」
とすぐメッセージを入れる。
「そうか。他でも言われたわ。あのプレート大きいしな。
チョコ割れてへん?」
そう、台から転がっていても、割れていなければ、また
載せたらいい。
無事、チョコは割れていなかった。そう報告すると
安心された。
「今日はずっとお客様がおられます」
とのメッセージも届き、繁盛ぶりが伝わってくる。

日本人にとってクリスマスをこんなに楽しい行事にして
くれたのは、クリスマスケーキのおかげ。といっても
過言ではないだろう。

無事にお客様が受け取って、美味しく召し上がっていただけるか。
そこがケーキ屋さんのクリスマスの一番気になるところだろう。

今回、ケーキを受け取って、デコレーションケーキの切り方まで
書いてあったのは、感動した。
チョコレートの冷凍品であるせいもあるが、包丁は温めて
使う方がきれいに切れるとか・・。いろいろきめ細やかに、
プロの仕事をされているこの社長に
改めて敬意を表し、美味しくいただく。

今日はクリスマス。
家庭で、お店で、いろんな場所でそれぞれのクリスマスを
楽しまれる方も多いだろう。
今年をふりかえり、笑顔で楽しいひとときを。
明日が仕事納めの方も多いなかの、多忙なクリスマスのなか、
ほっこりしたひとときを過ごせるように。

ケーキ屋さん、今日も一日、フル回転!
チキンを売るお店もフル回転!
どうぞ、今年最後の大仕事、元気にがんばってくださーい!

平和で楽しいクリスマスが過ごせる今の日本に感謝して・・・

写真は、無事届いたケーキと、2月14日にコンサートを開催する
長崎の会場のクリスマスのディスプレイ。
平和と笑顔のクリスマスを祝して・・・。

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感謝と未来への誓いの青花。

6年ぶりに、鄧麗筠のお墓を訪ねた。
テレサ・テン。テレサとはマザー・テレサが由来と聴いたことが
ある。
今年は亡くなって30年の記念年。
気が付けば、もうそんなに・・・。生きていたら72歳か。

広大な墓地構内にある花屋さんで毎回、お供えの花を選ぶ。
これは、いつもの習慣。
今回は、どの花にしようか。紫の造花もいいけど、今日はこれ。
青い大輪の菊。見た瞬間、これを手にとった。
青いカーネーションやバラは見たことがあったが、
こんな大きな菊で、この色の菊は初めてだ。

テレサが眠る墓石にこの花を置き、静かに目を閉じ、墓地内に
流れるテレサの曲を聴きながら、30年の月日を思い出す。
テレサが亡くなってから、台湾とのご縁ができた。
でも、彼女が活躍していた頃から、大好きで、いつも歌っていた。
自分の青春時代と彼女のヒット曲は重なる。
日本語で歌われる曲には、男性社会時代のちょっとけなげな
「おんなごころ」を歌った悲恋歌が多く、あの時代だからこそ、
ヒットした時代背景もあったかもしれないが、単に日本語の
うまい台湾人の歌手という存在ではなかった。
彼女は北京語、台湾語、広東語、英語も操り、台湾の伝統的な
歌からジャズまで実に幅広くレパートリーをもち、
さらに歌手にとどまらない自由を求めての活動も行った、
主張をもった、自立の人。
私が彼女を好きだったのは、見た目はかわいく、やさしげで、
歌がうまくて・・・それ以上に、賢く、強くしなやかなところ。
私にとっては、カッコいい女性。

あんなふうに生きたいと思ったのは30代の頃から。
台湾への訪問チャンスは、テレサが与えてくれたのではと
思うほどに、あれ以来、単にファンということではなく、
彼女の存在に感謝し続け、マザーテレサを尊敬するように、
台湾といえば、テレサを思い続けた。

今回の墓地訪問は、テレサを哀悼するだけではなく、この地の
平和と自由への協力、応援への意思表明でもあり、
これからも強くしなやかに生きることを目指すことへの
自分への誓いを意味する。
だから、今回はこの青い大きな菊。
平和、自由、真実を現す青。
テレサにピッタリの色だ。
当日、この墓地のある金華山(なんとふるさとの岐阜にある山と同名)
の空は曇っていたが、心は晴れ。
テレサのように、なりたい。
また、そう思った。

30年経っても、50年経っても、永遠の存在。
私の心にずっと生きている。
また、会いに行こう。

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どこまでも優しい人たち



出先での忘れ物は厄介だ。
とくに海外に出ると気をつけないと、あとで諦めることに
なりかねない。これまでも何度か、そんなことがあったか・・。

帰りの荷造りをしている際に、
ふと、前日まで着用していた帽子がないことに
気づいた。
あれ?あれ?ない!まさか・・・。
そこから前日までの自分の行動を時計を逆回しに辿る。
まずは、ホテルの中。自分が歩いた通路。
コンシェルジュに落とし物を訪ねたが、該当するものはない。
それ以外に思い当たるのが、2件の店。
1件目は、店内に入って帽子を脱いだ記憶があった。
2件目は会食した店。ここも可能性がある。

このまま帰国するわけにはいかない。
2件目の店で会食した知人に、もし店にあれば取りに行くので
預かっておいてほしいと伝言を頼む。
さらに、そのあと打ち合わせした仲間に、
「ちょっとお願いがあるのだけれど、・・・といったわけで
ここに帽子を忘れていないか電話で聞いてほしい」
相手が中国語しか話さないと、自分では対応できないため
仲間に頼む。情けないことだ。
すると、友たちはすぐに対応してくれる。

結果、2件目の会食したレストランにあることが判明した。
帽子だったから見つかる可能性もあったかもしれないが
とにかく落とし物が出てくるというのは、何かと安心な
街であり、ちゃんとした店である。

その後、帰り支度をしてから、タクシーに乗りその
レストランに向かう。
帰り時間もあるので、急がねばならない。
お店に着いたら、なんと先ほど電話で問い合わせをして
くれた知人が、お店の前で私の置き忘れた帽子をスマホで
撮影しているのをみつけた。
「あれ?Iさん、なぜここに?何されているんですか?」
「いやー、たまたま今通り道だったので、寄ってみたんです。
この帽子で合っていたかと写真送ろうと思って撮影していた
ところです」
へえ、まさか店に寄って忘れ物を確認をされ、さらに私のために
撮影をしてメールをしようとしてくださったのだ・・・。

どこまで親切な方なのかと、心からありがたく、また
私の忘れ物につきあっていただき、申し訳なく
思った。
「いやー、昨日会ったとき帽子かぶっていた印象がなかった
ので、この帽子で良かったのかなと思って・・・。とにかく
良かった、良かった」
何度もお礼を言って、店の外で笑顔で別れた。

そして 1件目の店に問い合わせの電話をしてくれた仲間も、
「帽子はみつかりましたか?大丈夫でしたか?」
とメールをくれた。

台湾に住む人たちは、心にゆとりがあるのだろう、。
相手のことをとても心配し、相手のために動いてくれる。
私が知る台湾の人たちは、そんな優しさをもった方たちである。

そんなこんなで、帽子はめでたく一緒に持ち帰ることが
できた。

人は、どこまで優しくできるか。
今回の学びのひとつは、これだ。

台湾の方にはあたたかい心がある。

謝謝の気持ちを抱き、またね!と街に手をふり、
空港を離陸した瞬間、こみあげるものがあった。

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今こそ、台湾の人に学ぶこと

台湾の仲間たちとの再会は、今年を締めくくる最高の自分へのご褒美となった。

改めて、素晴らしい人たちとつながり続けていることに対し、感謝の念が湧いた。
スピーチと演奏を聴き、感動したとの声を寄せていただき、見事な通訳の
力があったからであるが、とにかく伝わったことへの安堵と、
熱心な仲間たちの姿勢、威張らない賢明さに改めて感動した。

講演中に、以前からの関わりを思い出しつつ、
台湾の皆さんから学んだことについて話した。
以下の資料を使って話したけれど、実際、今回の訪問から、
改めて、みんな賢明で、努力家で、そして前向きで活動的であることを
知り、大いに刺激を得ることができたし、
台湾の人々に学ぶことは、まだまだあると思ったし、
自分はまったく足りないなと未熟さも感じた。

関わることで、新たな発見がある。
一歩外に出ることで、見える世界が広がる。

今回の仲間たちとの再会を機に、共にできることについて、
ここから考え、取り組んでいけたら・・。
大いに成長され、たくましく生きている皆さんと
以前と違う役割分担で、同じ目標をもちながら、新たな関係づくりが
できたら・・・。
世界に友達がいると、世界平和を自然に希求するようになる。
新たな夢が生まれ、それに向かって歩き出そうと勇気も沸く。

改めて素晴らしいクリスマスギフトをいただいた。

日本人は、もっと台湾人から学ぶべき。もっと世界から学ぶべき。
そして、自分の持てる力を最大限に発揮し、柔軟に生きること。
誇りをもって進むこと。

台湾の魅力をもっと、身近な人々に伝え、応援していこう!

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再会から生まれること。

無事に6年ぶりの台湾への訪問、初日を終えた。
なぜか、1日自分のスマホで撮影することを忘れた。

ここに通っていた頃は、スマホはまだ登場していなかったし、
わたしにとって台北の街は日常的な景色であったため、
その名残もあり、家に帰ってきた感覚で、スマホに
収めなければとは思わなかった。

現地の皆さんは、久しぶりに会ったからといって
何度も何度も記念撮影を求めてくださり、
それぞれのスマホに私とのショットは収められた。
講演、演奏、その後のコミュニケーションに集中した
せいで、ホテルに戻ってから、ああ、撮影してなかったと
少々悔やむ。

ではあるが、講演中もその前後もずっとプロのカメラマン
が撮影されていたので、あとで共有はされるまで待つこと
にする。

四半世紀の再会。
皆さん、当時は20代後半の方が多く、今は50代・・・。
同世代の方もおられる。会社員であれば、そろそろ定年。
なんだか同窓会のようだった。
私にとってはクライアント企業の従業員の皆さんであるが
当時から仲間であった。ここが不思議な台湾式。
一緒に新しい事業に取り組んだ、私は日本人として当時
できることをした。
いつも敬意をもって接してくださり、人と人の関係は
ここから始まることを学んだ。
そんなことが次々と思い出された。

また歴代の通訳担当者にも再会でき、彼女たちのさらなる研鑚、
成長ぶりにも感心しながら、過去にとどまらずここから
新たな関係づくりが始まることも予感。
台湾と日本の架け橋になる仕事をしている人もいる。
私もそのサポートができたらと改めて思った。

四半世紀と言えば、人生の半分ほど。
その長い時間ずっと途切れずに、今回改めて再会できたことは
この上なく幸せだ。

台湾の仲間を応援する。改めての強い思いが湧いてくる。
訪ねてきたからこそ、会えたからこそ、そう思えたのだ。
「再会」にはチャンスがある。
お互いが変化、進化しているため新たな接点がうまれるのだ。

再会を果たしたら、みらいが見えてきた。

そのきっかけを与えてくれた、素晴らしい仲間たちに、心から感謝!

台湾での観覧車がふたたび、動き出す。


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原点回帰と成長。

今日、台湾で講演&演奏する内容をまとめた資料を作り、
一昨日のうちに、現地へ送った。
ところが日本でしか通用しないクラウドサービスもあるのだと
こんなところから、久しぶりに躓きながら、
「見えませーん。何も付いてませーん」
という会話を思い出す。
20年前は、ネット環境も今ほど普及おらず、いろいろ試行錯誤の
日々であったことを思い出す。
AIも当時はなかった。(もちろん研究はされていただろう)

メールで送信できるように、軽めに作成し直して、無事仲間の
手元で確認できるようになった昨日の夜。ギリギリセーフだ。
「大丈夫です。見えます。読めました。安心してくださいね」
と、有難い言葉を受け取り、これで大丈夫と思って
準備を続ける。

夜中に、今日通訳を担当してくださる方より
自分が作成したパワポに中国語が追加された資料が届く。
「せっかくの内容なので、より皆さんに伝わるように
書き込んでおきました。原文のまま投影しても、どちらでも
もちろん構いませんので ご確認ください」
との配慮に、心から感動した。
しかも、英語のスペルも確認してくれている。
やってくれたんだ。もちろんご自身の通訳のためにも必要な
準備であるが、とてもありがたい。

本当は、AIの力を使ってでも、ここまでしたいと思っていた
資料作成がどうしても間に合わなかったのであるが、
さすが 当時一緒に組んで仕事をしていた仲間は、大変優秀!
何も言わなくても、理解してその先を読んで仕事をする。
昔も今も変わらない。

早速お礼を言う。もちろん彼女が追記してくれた国際版の資料を
活用してプレゼンをしようと思う。

このように、海を越えて、日々コミュニケーションを重ねていた
20年前のことが、今回の資料のやりとりひとつで、瞬く間に
蘇った。

ああ、やっぱり仲間だな。
まずは、無事に会場にたどり着かなければ。

コミュニケーションクリエイターとして、現在私が伝えられることを
言葉と音と表情でしっかり伝えたいと思う。

30代の時に培ったコンサルとしての力はここで教わった。
異国でどう伝えるのか?いい訓練になった。
言葉も背景も違う人とどうつながるのか?

グラン・ルーの原点を見直し、そしてその後の成長を
確認するありがたい機会である。

自分に「加油!」と言いながら、出発の支度を続ける。

今日のスピーチ&コンサートのテーマはこちら。

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元旦に ふたたび。

年賀状の習慣は、日本だけだと、聞いたことがある。
台湾の人たちが、へえ、そんなサービスがあるんだ。とコンビニに
設置されている年賀状受付のカタログを見て、驚いていたことを
思い出す。
欧米では、クリスマスカードが1か月早く送られる。
でも、今はカードを送る人はどれだけいるか。
でも、もらったら嬉しい。捨てられないのは年賀状も同じ。

元旦に届く年賀状、とてもわくわくしたものだ。
もう来たかな。と朝から郵便受けを覗くのが、元旦朝の恒例行事。
今年は何枚届くかな。とそんなことを気にした子ども時代も懐かしい。

デジタルコミュニケーションが進み、年賀状を印刷しない企業、個人が
増えている。確かにコストも時間も手間も省ける。
郵便局は年賀状需要が減れば減るほど、影響を受け、ますます大変なの
ではないかと心配もするが・・・。切手代も高騰している昨今・・・。

一時、周囲の様子も見ながら、またさまざまな環境の変化から、まあ、
年賀状は・・と思ったときもあったが、やはり、やはりあった方がいい。

と今になって急に考えはじめる。
やっぱり出そう。
伝えたいことがある。
手で受取り、見て読んでほしい。そんな瞬間を届けたい。
と思い立った。

ということで、人騒がせなわたしは、今ごろ考えて、
デザイナーさんや、仲間の印刷屋さんに年末の急ぎオーダーをする。
どうせやるなら・・である。

やっぱりつくろう。やっぱり出そう。
できるうちに、できるときを。

ということで、またやることが増える。
年末に受け取り、そして元旦に書く。
それがわたし流のお正月。

流されず、やることやっておこう。
悔いのないように。


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異世代との接点、交わり。

1年をふりかえる。
ビジネスの世界でも、音活(音楽活動)でも、それ以外でも
おかげさまで多くの出会いをいただいた。

毎年ユニークな出会いもあって、わが人生は面白いなあと
しみじみ・・・。
昨年は、大阪で開催されたある企業の株主総会で出会った
30代の人と、その後も親しくさせていただき、お互いに
応援しながら楽しく友情をはぐくませていただいている。
今年は、酷暑のある日、金沢へ出張した際、繁華街から
駅に向かう途中、少し道に迷っていたらしき私の後ろ姿を見て、
声をかけてくださった学生さんとの出会いがあり、そのご縁が
今も続き、つながっている。近々再会できそうで、とても
楽しみだ。

そこに行かなければ、その時間にそこにいなければ
一生会うことはなかった。

出会いとは、本当に不思議である。

出なければ、じっと内にとどまっていては、出会うことは
できない。
お互いに引き合うものがなければ、関係は続かないから、
本当にふしぎ。
偶然は必然と思えてならない。

そんなことで、とてもうれしい出会いをいただき、
人生を楽しませていただいている。

「異なる」存在と多く出会うようにしましょう!と
「人生は観覧車のように生きる」ために、そんなことを
お伝えする機会があるが、異なる存在との出会い、ふれあいは
人生を豊かにするために不可欠だと思っている。

若い人とは、彼らが社会を世界をどう見ているかを知りたいし、
彼らの未来像を知りたいし、希望や不安も聴かせてもらいたいし、
その上で、自分ができることは何かを考えたい。
おそらく大したことはできない。でも、応援したり、何かあったとき
手を差し伸べることができる存在でありたいと思う。

さらに、年上の方との接点も大切にしたい。
今年は、地元での敬老イベントや、施設でのさまざまな企画にお声がけ
いただき、演奏やトークをしながら、交流させていただいた。
多くの笑いや拍手を、そして涙もいただいた・・・。
明日になったら忘れてもいいから、この瞬間を楽しんでいただけたらと
の思いで、関わらせていただくことで、生きることについての学びを
多くいただいた。
年長の方への感謝の気持ちと敬意を持ち続け、恩返しをすることは
私のミッションのひとつ。

この週末は台湾の仲間と久しぶりに再会。
そこで異なる背景をもち、生きている仲間とふれあうことで、
自分の世界観も更新されると思っている。
これも異なる存在との接点だ。

同質のなかで埋もれず、自分らしく生き続けるために
常に異なる存在との出会いを大切にし、自分を俯瞰する機会を
増やしたい。

オンリーワンを目指し続けるために。


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平和の音、そうでない音。

実家の近くには飛行機を製造する企業もあり、それを購入して、
使用する組織がある。
隣町は、まさにその存在、産業で成り立っているといっても
過言ではない。
その町に隣接するわがふるさとの空は、その飛行機の試操縦や、
練習に使われており、真上を飛んでいったり、旋回しているのが
日常の風景。
子どものころから、今も変わらず、時々
「バリバリバリ」という音とともに頭上を飛んでいくことに
違和感を感じず、「また飛んできた」という感じで、その場を我慢して
いた。もちろんその飛行機で物資を輸送されたり、人を救ったり
されてきているだろうから、やむをない騒音であり、社会のために
必要なことをされているのだから・・・との気持ちもあった。


またその騒音のため、近隣住民にはさまざまな配慮もあり、
そういった恩恵も受けながら、騒音ある環境と共生してきたし、
私の場合は、自分が弾くピアノの音は、この飛行機音に消される
ため、ピアノが騒音とならなかったのも、幸いなこと・・とも
思っていた。

しかし・・
最近も、実家の近くを歩いていると、「バリバリバリ・・・」と
物凄い音で、手が届きそうなほどの低空位置で飛行機が飛んできた。
本当に近いので、現実感が増す。
もし、堕ちてきたら死ぬなあ。こわっ。と震える。

なんとなく最近のさまざまな報道から、最近の空では自衛のための
飛行機だけが飛んでいるのではない・・ような気がしている。
もしかのための?であったら・・・。
この音がもっと日常的になり始める社会になったら・・・。

恐怖が迫ってくる。

戦争の映画でなく、今海外で起こっている戦地の様子を見ると
凄い音がしているではないか。
あのバリバリバリ・・自分が最近きいているあの音は平和の音ではないかも。

怖い。
思わず、低空を舞う飛行機を見あげて
「お願いしますよ。」
と言ってしまう。

音楽の音は平和の音。
バリバリバリ・・・は・・・。

恐怖を感じる生活は、絶対に避けなければ。

戦争があると、もうかる産業がある。
だから、人は戦争をする。
ばかげている。
そんなお金があったら・・・。

平和の音だけの世界にいきたい。

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