6年ぶりに、鄧麗筠のお墓を訪ねた。
テレサ・テン。テレサとはマザー・テレサが由来と聴いたことが
ある。
今年は亡くなって30年の記念年。
気が付けば、もうそんなに・・・。生きていたら72歳か。
広大な墓地構内にある花屋さんで毎回、お供えの花を選ぶ。
これは、いつもの習慣。
今回は、どの花にしようか。紫の造花もいいけど、今日はこれ。
青い大輪の菊。見た瞬間、これを手にとった。
青いカーネーションやバラは見たことがあったが、
こんな大きな菊で、この色の菊は初めてだ。
テレサが眠る墓石にこの花を置き、静かに目を閉じ、墓地内に
流れるテレサの曲を聴きながら、30年の月日を思い出す。
テレサが亡くなってから、台湾とのご縁ができた。
でも、彼女が活躍していた頃から、大好きで、いつも歌っていた。
自分の青春時代と彼女のヒット曲は重なる。
日本語で歌われる曲には、男性社会時代のちょっとけなげな
「おんなごころ」を歌った悲恋歌が多く、あの時代だからこそ、
ヒットした時代背景もあったかもしれないが、単に日本語の
うまい台湾人の歌手という存在ではなかった。
彼女は北京語、台湾語、広東語、英語も操り、台湾の伝統的な
歌からジャズまで実に幅広くレパートリーをもち、
さらに歌手にとどまらない自由を求めての活動も行った、
主張をもった、自立の人。
私が彼女を好きだったのは、見た目はかわいく、やさしげで、
歌がうまくて・・・それ以上に、賢く、強くしなやかなところ。
私にとっては、カッコいい女性。
あんなふうに生きたいと思ったのは30代の頃から。
台湾への訪問チャンスは、テレサが与えてくれたのではと
思うほどに、あれ以来、単にファンということではなく、
彼女の存在に感謝し続け、マザーテレサを尊敬するように、
台湾といえば、テレサを思い続けた。
今回の墓地訪問は、テレサを哀悼するだけではなく、この地の
平和と自由への協力、応援への意思表明でもあり、
これからも強くしなやかに生きることを目指すことへの
自分への誓いを意味する。
だから、今回はこの青い大きな菊。
平和、自由、真実を現す青。
テレサにピッタリの色だ。
当日、この墓地のある金華山(なんとふるさとの岐阜にある山と同名)
の空は曇っていたが、心は晴れ。
テレサのように、なりたい。
また、そう思った。
30年経っても、50年経っても、永遠の存在。
私の心にずっと生きている。
また、会いに行こう。

