新潟から届く愛。

備蓄米。
何だか古いお米のキャンペーンセールのようになっているが、
いつも並んでいるはずのお米たちが品薄であることが、
本当に気になる。
地元で奮闘されているお米の専門店の品揃えも例年より寂しい
状態。売るものがなければ、商売は成り立たない。
それにしても、なぜ米の小売で生きていかねばならない人たちに
さらに古いお米を提供するのだろう?大手優先。というのも
わからなくはないが、潰れそうで困っている専門店は後回し?
に見えて、心穏やかになれず・・・。

わが家のお米。おかげさまで新潟の人が時々送ってくださって
ありがたくいただいている。ほとんど買わないで済んでいる。
でも、そろそろ買わなくちゃいけないなあ。と考えていたら、
「備蓄米とか色々言って、米不足でお困りかもしれないので、
地元の米を送っておきましたので、食べてください」と
メールが届き、驚いた。新潟には米がたくさんある?調達
できる?なんと、このご時世に人のことまで考えられるとは。
さすが、新潟。その気持ちに心から有難いと思った。

この2日前には、新潟の小千谷の味噌や醤油が送られてきた。
「地元でイベントがありましたので、多めに買いました。
少しですが送ります。味をみてください」
と。割れ物なので、一つ一つエアパッキンで包まれている。
送り主が、私に送るために包んでくださったのか・・と思うと
こちらもジーンときた。

新潟の人は優しい人が多い。
本当に、何でだろう。
お返しは何にするかな?

新潟の人は、米不足でも困らないのかもしれない。
やはり、自給率が高い県である。豊かである。
いざとなったら、新潟か・・。

とにかくありがたい愛をいただいた。

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万博いく?いかん?

「みゃくみゃく」を普通に、自然に目にするようになった。
関西だけでなく、東海地区でも、露出が増えている。
先日は、このキャラクターパッケージのお菓子をいただいた。
それだけ露出が増えている。
物凄い費用をかけて、動員を図っているのがわかる。
半世紀前の万博では、テレビやラジオでの露出であったか
今はネットも、グッズもキャラクターも含めての広告合戦。

19世紀後半にロンドンで始まった万国博覧会。
その時の万博なら、行ってみたい。
そのあとのニューヨークも、パリも・・・。
その当時にタイムトリップしたい。

時々目にする当時のモノクロの写真や、ポスターの
デザインを目にすると、行ってみたいなあ。
19世紀末のパリの博覧会に日本の企業たちが初出展した
という情報に接すると、明治維新後の開かれた日本の
世界デビュー。実に刺激的だっただろうと想像して
胸も膨らむ。
西側の人もシノワズリーに劣らず、ジャポニズムにも
大いに興味関心をもったであろう。ネットがない当時は
まさにその時が貴重な情報収集、交流の機会。
スマホもない、写真も貴重。そんな中での万博。
本当の期間限定。非日常感は現在のとは違う。

大阪の万博。先日、太陽の塔の横を通り、みんぱく
へ行き、感動したという話は書いた。
今も大切な情報が丁寧に残されている
ことに感動を覚える。

では、現在開催中の万博に行きたいか?
うーん。そんなことに今お金かけるよりも・・と
正直、今も思っている。
困っている人のためにお金を使ってほしい。
知りあいに尋ねてみると、関東方面の人は
あまり・・・という反応。

関西の人は、もともと大阪で開催された
歴史もあるため、行きたいという方が多い。
親孝行のために行かれる方もおられる。
意外と近いし、せっかくやっているので・・という方
も多い。

仕事的には見ておいた方が良いのは承知して
いる。

でも、今行きたいのは19世紀末のパリの万博。
世界がこれから、交流して共に発展していく
その当時を知りたい。

オリンピックも万博も、いつまであるのだろうか。
そんな余裕があり続ける時代は、続くだろうか?

と、そんなことばかり心配している。

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全体を見て、二歩先を進む。

毎日、いろんなことがおきる。
悩みや不安がない日はほとんどない。
深刻さ、重さはそれぞれあれど、まあ、心に波風が
立たない日があると、うれしいが、なかなか
そうもいかないのが現状だ。
それだけ、人と関わって生きていると、いろんな
ことがあるものだ。

たとえば仕事上でのちょっとしたトラブル。
これをどうとらえ、どう対処するか。
こういった事態に遭遇することも少なくない。
自分の場合は、目の前の対応はもちろんであるが
それが担当レベルだけでおさまる話か、
上司への報連相、そして組織としての対応、
お客様へのアプローチ、その反応、それへの対応・・・。

現実見えていることの一歩先ではなく、その先も
考え、すべてうまくいった場合、そうでない場合
両方を考えて、その対応をアドバイスしたり、
自分が動いたりするようにしている。

時々、フィクサーのように動く自分もいるが、
全体を見ているからこそ、また自分の役割が
自分で調整できるからこそ、柔軟に動くことが
できる。

物事が解決して、元のさやに納まるだけでなく、
問題が起きる前の関係以上に、信頼感や親密度が
増せば、そのトラブルはビジネスチャンスにも
なる。

常に二歩前を見る、全体を見る。
関わる人全員の笑顔を描きながら・・・。

そんなことも、
コミュニケーションクリエイターの仕事のひとつだ
と心得ている。

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他の人生を見る、聞く。

他の人の人生は、どんなだろうか?
出会いは、自分以外の人を知る機会であり、生きたことがない
世界を垣間見せてもらえる貴重な交わりでもある。
出会ってすぐには、いろいろ語ってもらうことはできないが、
打ちとけ、信頼関係ができると、気が付けばその人から自分の
生きた道のりや、自身の価値観を語ってくれることもある。
話を聞けば、どうしてその人がそういう考え方になってきたのか
もよく理解できるようになる。
その人をよく知ることができれば、協力、応援したくなり、
仕事もうまくいき、仲良くなることができる。
お互いを知るということこそが、まさに、今の時代には必要なこと。
知ろうとしないから、戦争や分断が生まれる。

若き日からご家庭のためにがんばってこられた人の話を聞く
機会があった。
家庭の都合とは、それぞれの家庭ごとにあるが、
ああ、この人はこういう苦労をされてきたのか。
偉いなあと心から敬意がうまれる。
知ることで、もっと応援したいと思えてくる。
これは、自然な感情だ。

出張時に必ず通る京都駅。駅も車内も人でいっぱい。
混雑は正直避けたいけれど、万博に行かなくても世界の人を
観察できると思うと、この国際色豊かな光景にも慣れてくる。
ああ、ここにいるすべての人に、それぞれの人生があるのだ。
さまざまな生き方をしてきた人が、たまたまこの瞬間、
同じ空間にいるのだ。
この人はどんな人生?あの人は?
と想像しているだけで、楽しくもあり、興味も沸く。
交わることがない人達を見ているだけでも、
自分の世界は広がる。

そんな風に毎日いろんな形で人様の人生に
遠近織り交ぜ出会える幸せ。

人はみんな、自分と違う人生を歩んでいる。
それを知れば、自分の世界も広がり、人への接し方も
変わる。

人の人生を見る、聞く。
また、見せる、聞いてもらう。
心をひらく。

こんなコミュニケーションを生きる間、まだまだ
たくさん楽しみたい。


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今こそ「自由」とは・・・。

何度か、この人がまだ現役のリーダーであったならば。
この人だったらこの事態に対して、どうモノを言うだろうか。
と思ったことがあった。
心から尊敬する世界のリーダーのひとり、メルケルさんだ。

このたび、回顧録出版記念イベントもあり、来日され、講演も
されていたようで、その様子を報道で知り、ああやはり変わらない
とその見識の深さ、寛容と勇気に対して、うれしく思った。

そして、本当に今こそ、現役で世界を脅かし、混乱を招いている
人たちに、以前のように立ち向かってほしい。
改めてそんな期待も抱いてしまった。
もちろん、復帰はないと思うが、この経験を活かして、世界に
あるべき方向へのメッセージを送り続けること。
その活動のひとつが、今回の出版なのだろう。

「自由」という題名。
まだ読めていない。早めにと思っている。
自分だけの自由ではなく、まわりの人がどうしたら自由になるのかを
考えることこそが必要。みんなの自由こそが大切だと
いうことが彼女の歩んだ道を振り返りながら、書かれているようだ。

今こそ、世界中が考えなければいけないテーマ、自由。

メルケルさん、ドイツの首相としては卒業されたが、
これからも世界の心のリーダーとして、真の自由について
発信し続けてもらいたい。

久しぶりにブレない発言の一部を聞いて、貫くことの大切さを
改めて学んだ。

誰に対してもおじけつかず、しっかり意見を言う。
この姿勢がとても好きだ。

自由の意味。改めてよく考えたいと思う。


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おもしろうて、やがて・・・の夜を運ぶ。

三回目の正直とはこのことか。
「うかい開き 愛の夕暮れコンサート」5月31日最終回は、
おかげさまの好天となり、会場の長良川右岸プロムナード
にも多くの人が集まり、予定通りの開催となった。
テントも外し、空も川も山もそのままつながっているような
天然のステージ。そこで演奏をした。鵜飼がはじまるまでの
ひとときを、こんな風にお客さんと一緒に楽しめるとは・・・。
コンサートに足を運んでくださった方はもちろん、道行く人たち
にも耳を傾けていただき、ある人は踊りながら、立ち止まりなが
ら・・。と、それぞれに楽しんでいただいた。
閉じた会場でじっと座って聴くコンサートとはまた違う趣き。

心配された風も、本番のときには収まってくれて、まさに
皆さんのおかげで無事、終了することができた。
ザビエルもフロイスも、信長も見守ってくれたのだろう。

3回とも通ってくださった方には、毎回違う天気、プログラムで
愉しむことができたとのお声を。初めて来られた方にも歓びの
声を多数いただき、まさに交流型のコンサートができた。
昭和生まれだけでなく、2000年生まれという若い方にも最後
まで見守っていただけた。団子を食べながら鑑賞されていた
姿が印象的。まさに楽市でのコンサートだ。

主催者の長良川うかいミュージアムの皆さんにも会場づくりを
始め、大変お世話になり、今年前半の一つのミッションは無事
コンプリート。

片付けを終えての帰り道、鵜飼いを見る客船たちの灯りが
見えた。
すっかり日が落ち、川の雰囲気も変わる。
まさに、
おもしろうて、おもしろうて、やがて・・・がはじまるのだ。

川の流れのように、わが人生も。
さあ、夏を元気に乗り切って、秋の日にふたたび・・・。

多数の応援、大変ありがとうございました。

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いよいよ、クライマックス。

こんなに天気を気にする週末も珍しかった、5月の土曜日。
17日からはじまった、「鵜飼びらき愛の夕暮れコンサート」も本日が最終日。
1回目は雨が上がり外で、2回目は雨が止まず室内で、そして今日は?

どちらでも良い。どちらも良いが、やはりせっかくの企画であるから、
長良川と金華山を前に、岐阜城を見上げて演れたらとは思う。
少しでも鵜飼い船に近いところから、夕暮れの空に歌を届けたいとは
思うが、こればかりは、天任せ。
なりゆきで、いこう!
と思いつつ、今日も何度も天気予報を見ながら、過ごすことになる。

あっという間の5月であった。
時の流れ、川の流れ・・・。
身を任せて・・という歌詞がどこかの曲にあったが、
流されるのではなく、いいテンポで流れに乗っていけばいい。

素敵な夕暮れコンサートに。
出会う人に感謝を込めて。

10月まで続く、ふるさと長良川の夜の宴を
ずっと見守ることとしよう。

本コンサートの撮影を協力いただいたTさんの見事なワンショットをここに。
残り5か月の無事の開催を祈りながら、今日のコンサートを締めくくりたい。

鵜飼びらき 愛の夕暮れコンサート | うかいミュージアム

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夢とは・・。

10年ほど前だったか、仕事で紹介された初対面の方に、
「あなたの夢は何ですか?」
と言われて、すぐ出てこなかった。
おそらく、改めて夢を描かなくても、毎日が充実し、
それなりに満足していたから、かもしれない。
忙しさを言い訳に考える余裕がなかったかもしれない。
もしくは、カッコいい答えを言わないといけないと
身構えたのかもしれない。突っ張っていたのかも
しれない。

夢について、改めて考えてみる。
〇〇になる。なりたい。
〇〇のように生きる。生きたい。
子どもの頃は、そんな風に夢を描いたかもしれない。
でも、自分がどう考えたのかは、思い出せない。
ピアニストになるとか、そんな風には思っていなかった。
日々追われていたのかもしれない。
夢はなくても生きられた。
でも、もっと明確に夢を描いていたら、もっと違う
人生だったのかもしれない。

大人になった今、改めて夢について考える。
人生も折返しになると、夢のとらえ方
も変わってくる。

明日も明後日も、元気に生きる。
生きる限り、現役でいる。
いつまでも仲良く過ごす。
行ける限り、旅に出かける。

と、こんなことが浮かんでくる。

さらに、
生きている限り、ピアノと歌をやる。
人に元気を与え続ける。

こんなことが、夢でもいいかと
思えてくる。

夢を描けること自体が幸せなこと。

もし、今ここが戦地であったなら、そんな悠長なことは
言ってられない。
いのちを守ることで精いっぱいだ。
無事に生きていること自体が、夢になってしまうのだ。

改めて、この瞬間の平和に感謝し、
ちっぽけなことでいいから、
少しでも誰かのためになるように、
世の中の役に立つように、
意識していきたい。

夢は、世界が平和であること。
究極はそこにいきつく。

わたしがこうなりたい、ああなりたい。
は、平和でなければ、実現できないから。

ガザの人々の悲痛な叫びを伝える報道に接し、
改めて、そんなことを思った。

生きている限り、平和に生きること。

これが私の夢であり、願い。
あたりまえではない、努力しないと実現しない。





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言葉を紡ぐ

歌はメロディーと歌詞。
誰が歌うかにより、声質により、まったく違って聴こえてくる。
声の美しさはもちろんであるが、言葉を大切にしているか
は、歌の完成度に大いに関係する。

とにかく、最近は歌詞を大切に聴き、歌うようにする。
歌を通じ、意味を伝えたい。心を届けたい。
言葉と音が、一つのメッセージとなり、ドラマになる。

である以上、
自分で歌っている言葉の意味がわからないと、伝えることも
できない。

30代~40代に出会った歌手の方。いずれも日本人。
ある方はジャズを唄い、いつも歌詞を見ながら正確に
発音されようとしていた。
ある方はアルゼンチンタンゴを暗譜・暗記して歌われていた。
「自分で歌うんだから、何も見ないで歌うのは当然。そうしないと
伝わらない」と言われていた。
どちらのやり方も正しいのだと思う。

間違えないように歌う。心から歌うためには歌詞を見ていては
ダメ。
どちらもあり。

わたしは、その日に決めたプログラムの歌詞を
一応、手元に置いて、弾きながら歌う。
いずれにせよ、言葉は一言づつ丁寧にと心がける。
意味を伝えたいから。

言葉を丁寧に紡ぐ方が良い。
歌は意味がわからないと、きれいかそうでないかだけで
内容が伝わらない。
歌は心だから、言葉(意味)の伝達が不可欠。

だから、母国語で歌うのが自然と思っている。
高校時代、イタリア語やドイツ語での歌唱も少しやったけれど、
意味まで調べ、自分のものにしていたか・・・。怪しい。
カッコよさだけで演奏していたかもしれない。

今はそれよりも、意味を大切に、伝えたい。
言葉を紡ぐ。
歌うことで、メッセージを伝えられるとは、なんと素敵な
ことか。

また明後日、長良川でのコンサート。鵜飼開きシーズンの
ラストステージとなる。
紡いだ言葉が音となり、清流に運ばれ海へ、
世界へ未来へ届いたら・・・。

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生きる上での「音楽の力」。

人の心を掃除してくれたり、満ち足りた気持ちにさせてくれたり、
いろんな物語を見せてくれたり、生きる力を与えてくれたり、
音楽の力は、本当に偉大であると実感する。
子どもの頃からも無意識にそれを理解していたはずであるが、
年を重ねると、作品が生まれた時代や作り手の背景なども見えて
より深く理解できる。
子どもの頃は、「うまい、上手、すごい」という技術面への関心と
きれいな音色への感動であったが、今は、音色が自分の内面に沁みて
くる。
美しい音が流れていくだけでなく、生きている自分の鏡のような
存在になって、さまざまな場面を浮かび上がらせることもある。

朝は弦楽〇重奏曲やピアノ、木管楽器などが心身を目覚めさせ、
昼間は厚みのある交響曲やピアノ協奏曲でパワーを得る。
午後になってくると、少し緩めてジャズやシャンソンも良い

日々の散歩時間にはその日、なりたい気分に合わせて、
ジャンルを選び、タイムトリップをしながら歩くのが良い。

最近は、気が付けば昭和後半のメロディを選ぶことが多い。
昨日は、たまたま珍しく、研ナオコのアルバムの存在を知り
そのまま聴きはじめる。
すると、中高生の頃、自分が親しんだ頃とは違う感覚が
襲ってきて、驚いた。
当時、子どもだった自分はメロディだけを覚えていたが、
おそらくこれらの曲がヒットしていたのは、
歌詞も、そしてこの歌い手の声、表現力だったのではと
以前は気づかなかったその演奏のすばらしさに心が
動く。
つい、歩いていた足を何度も留めてしまう曲もあり、
心がもっていかれる・・・そんな状況であった。
感動はもちろんであるが、大変勉強になった。

音楽は、人を引っ張る力がある。
テンションを上げてくれることも、
一緒に泣いてくれることも。
勇気を与えてくれることも。
今は会えない人に再会させてくれることも。

音楽の力は、どんな有形の宝物にも勝る。

音楽は愛の、平和の、しあわせのツール。

どんな時代になろうとも、
私にとって、かけがえのない存在。

音楽の力を信じ、私もそれを届ける人として、
成長していきたい。



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