
長崎が、自分にとって大切な存在になっている理由のひとつは、ここには
悲しみを乗り越えて生きてきた人々の真の強さと優しさがあるという点だ。
土地に、町に、そこに住まう人達からそれが伝わってくる。
悲しいけれど、何度訪ねても心が震える西坂にある、二十六聖人の記念碑。
この虐殺は16世紀末のことであるが、ここにある26人だけでなく、二百人以上の
カトリック信者の方がここで殉教されていると知り、言葉を失う。

さらに、このほど近くに、原爆で被爆死された方々のご遺骨が集められ、安置されている
お寺の存在を知る。地元の方たちが被爆直後にご遺体を集め、火葬され、その遺骨が眠るお寺。今も、9がつく日に供養を続けておられるとのこと。そこにはなんと2万人のもの方の遺骨があるのでは・・との数字に驚く。でも数えきれないから、もっと多いのかもしれない。名もなき、そうなってしまった人々が眠っている。(東本願寺 長崎教会)
そしてお寺の敷地には「非核非戦」と記した記念碑が立つ。被爆経験をもつ長崎だからこその強い思いを改めて知らされる。ここでも、言葉が出ない。


二十六聖人記念館の方に、自分はここに何度も何度も足を運んでいること、
何度来てもまた行かねばという気持ちになるという話をしたら、こんな
答えが返ってきた。
「長崎は、弾圧と原爆と、そして開国の歴史がある町ですね」
長崎にはここに記載した人をはじめ、多くの人々が眠っておられる。
死を恐れず、強い信仰と神の愛のもとに亡くなられた方たち、自分の意志に
反するかどうかも考える間もなく、瞬間に亡くなってしまった多くの方たち。
いずれも、人としてそれが正しい人生の終わり・・ではないだろう。
「長崎は今日も雨だった」・・という歌があるけれど、
私にとっては、あれは涙という意味の表現ではないのかなと思う。
私が長崎をたずねる多くの日はいつも晴れている。
なのに、みんなが泣いているそんな気になるのだ。
ながさきレクイエム・・・。
でもね、悪いことばかりじゃないからね。
と優しい長崎の人の声が聴こえてきそうだ。
ながさきは、やっぱり強くて、やさしい愛の町。
そこでのバレンタインコンサートはわたしにとって
大きな意味、そして意義がある。