夢とは・・。

10年ほど前だったか、仕事で紹介された初対面の方に、
「あなたの夢は何ですか?」
と言われて、すぐ出てこなかった。
おそらく、改めて夢を描かなくても、毎日が充実し、
それなりに満足していたから、かもしれない。
忙しさを言い訳に考える余裕がなかったかもしれない。
もしくは、カッコいい答えを言わないといけないと
身構えたのかもしれない。突っ張っていたのかも
しれない。

夢について、改めて考えてみる。
〇〇になる。なりたい。
〇〇のように生きる。生きたい。
子どもの頃は、そんな風に夢を描いたかもしれない。
でも、自分がどう考えたのかは、思い出せない。
ピアニストになるとか、そんな風には思っていなかった。
日々追われていたのかもしれない。
夢はなくても生きられた。
でも、もっと明確に夢を描いていたら、もっと違う
人生だったのかもしれない。

大人になった今、改めて夢について考える。
人生も折返しになると、夢のとらえ方
も変わってくる。

明日も明後日も、元気に生きる。
生きる限り、現役でいる。
いつまでも仲良く過ごす。
行ける限り、旅に出かける。

と、こんなことが浮かんでくる。

さらに、
生きている限り、ピアノと歌をやる。
人に元気を与え続ける。

こんなことが、夢でもいいかと
思えてくる。

夢を描けること自体が幸せなこと。

もし、今ここが戦地であったなら、そんな悠長なことは
言ってられない。
いのちを守ることで精いっぱいだ。
無事に生きていること自体が、夢になってしまうのだ。

改めて、この瞬間の平和に感謝し、
ちっぽけなことでいいから、
少しでも誰かのためになるように、
世の中の役に立つように、
意識していきたい。

夢は、世界が平和であること。
究極はそこにいきつく。

わたしがこうなりたい、ああなりたい。
は、平和でなければ、実現できないから。

ガザの人々の悲痛な叫びを伝える報道に接し、
改めて、そんなことを思った。

生きている限り、平和に生きること。

これが私の夢であり、願い。
あたりまえではない、努力しないと実現しない。





カテゴリー: Essay (Word) | 夢とは・・。 はコメントを受け付けていません

言葉を紡ぐ

歌はメロディーと歌詞。
誰が歌うかにより、声質により、まったく違って聴こえてくる。
声の美しさはもちろんであるが、言葉を大切にしているか
は、歌の完成度に大いに関係する。

とにかく、最近は歌詞を大切に聴き、歌うようにする。
歌を通じ、意味を伝えたい。心を届けたい。
言葉と音が、一つのメッセージとなり、ドラマになる。

である以上、
自分で歌っている言葉の意味がわからないと、伝えることも
できない。

30代~40代に出会った歌手の方。いずれも日本人。
ある方はジャズを唄い、いつも歌詞を見ながら正確に
発音されようとしていた。
ある方はアルゼンチンタンゴを暗譜・暗記して歌われていた。
「自分で歌うんだから、何も見ないで歌うのは当然。そうしないと
伝わらない」と言われていた。
どちらのやり方も正しいのだと思う。

間違えないように歌う。心から歌うためには歌詞を見ていては
ダメ。
どちらもあり。

わたしは、その日に決めたプログラムの歌詞を
一応、手元に置いて、弾きながら歌う。
いずれにせよ、言葉は一言づつ丁寧にと心がける。
意味を伝えたいから。

言葉を丁寧に紡ぐ方が良い。
歌は意味がわからないと、きれいかそうでないかだけで
内容が伝わらない。
歌は心だから、言葉(意味)の伝達が不可欠。

だから、母国語で歌うのが自然と思っている。
高校時代、イタリア語やドイツ語での歌唱も少しやったけれど、
意味まで調べ、自分のものにしていたか・・・。怪しい。
カッコよさだけで演奏していたかもしれない。

今はそれよりも、意味を大切に、伝えたい。
言葉を紡ぐ。
歌うことで、メッセージを伝えられるとは、なんと素敵な
ことか。

また明後日、長良川でのコンサート。鵜飼開きシーズンの
ラストステージとなる。
紡いだ言葉が音となり、清流に運ばれ海へ、
世界へ未来へ届いたら・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 言葉を紡ぐ はコメントを受け付けていません

生きる上での「音楽の力」。

人の心を掃除してくれたり、満ち足りた気持ちにさせてくれたり、
いろんな物語を見せてくれたり、生きる力を与えてくれたり、
音楽の力は、本当に偉大であると実感する。
子どもの頃からも無意識にそれを理解していたはずであるが、
年を重ねると、作品が生まれた時代や作り手の背景なども見えて
より深く理解できる。
子どもの頃は、「うまい、上手、すごい」という技術面への関心と
きれいな音色への感動であったが、今は、音色が自分の内面に沁みて
くる。
美しい音が流れていくだけでなく、生きている自分の鏡のような
存在になって、さまざまな場面を浮かび上がらせることもある。

朝は弦楽〇重奏曲やピアノ、木管楽器などが心身を目覚めさせ、
昼間は厚みのある交響曲やピアノ協奏曲でパワーを得る。
午後になってくると、少し緩めてジャズやシャンソンも良い

日々の散歩時間にはその日、なりたい気分に合わせて、
ジャンルを選び、タイムトリップをしながら歩くのが良い。

最近は、気が付けば昭和後半のメロディを選ぶことが多い。
昨日は、たまたま珍しく、研ナオコのアルバムの存在を知り
そのまま聴きはじめる。
すると、中高生の頃、自分が親しんだ頃とは違う感覚が
襲ってきて、驚いた。
当時、子どもだった自分はメロディだけを覚えていたが、
おそらくこれらの曲がヒットしていたのは、
歌詞も、そしてこの歌い手の声、表現力だったのではと
以前は気づかなかったその演奏のすばらしさに心が
動く。
つい、歩いていた足を何度も留めてしまう曲もあり、
心がもっていかれる・・・そんな状況であった。
感動はもちろんであるが、大変勉強になった。

音楽は、人を引っ張る力がある。
テンションを上げてくれることも、
一緒に泣いてくれることも。
勇気を与えてくれることも。
今は会えない人に再会させてくれることも。

音楽の力は、どんな有形の宝物にも勝る。

音楽は愛の、平和の、しあわせのツール。

どんな時代になろうとも、
私にとって、かけがえのない存在。

音楽の力を信じ、私もそれを届ける人として、
成長していきたい。



カテゴリー: Essay (Word) | 生きる上での「音楽の力」。 はコメントを受け付けていません

同じ風景を見る。

働く人との面談機会をいただくことが多い。
1日に数名、日によってはもっと多くの人との時間をいただく。
経営者はもちろん、管理職から一般社員さんまで。
年齢も職種もさまざま。
何度も面談を重ねてきていると、その人の性格や特徴も
覚えてきて、それぞれに向き合った問いかけができる。
人に寄り添う仕事が好きな自分としては、うれしい
仕事のひとつでもある。

〇ハラという言葉が日常的に使われるようになった。
これは、メディアの責任でもあるという人がいて、
ある意味納得もする。
言葉が流行ると、人々は、それを権利のようにして
使うようになる。
言葉が社会現象を生み出すことがある、一例かも
しれない。
言葉が社会を変える。言葉の力はある意味怖い。

たとえば、
ある人は、〇ハラを受けたという。
それには相手がいるわけで、その相手の人は
それをした人。ということになり、周囲からレッテルを
貼られてしまうことがある。

そんなことについて、打ち明けられることもある。
声を上げる人の苦しさもあるが、
あげられた人の言い分もある。

両方の立場の話を聞くことが必要だ。

最近、いろんな人と会話を重ね、本当にそれぞれの
言い分があるということを痛感する。

それぞれ、違う背景をもち、価値観をもち、
仕事をする。
人生や、仕事への向き合い方もそれぞれだ。
自分の価値観と違っていても、
そのそれぞれに寄り添うこと。
相手が見ている風景と同じ風景を見るようにすること。
そうすることで、相手は心を開き、さらに打ち明けて
くれる。

人は打ちあけることで、共感を得ることで、
自信をもち、元気にがんばれる。

自分のような、どの組織にも属していない人間は、
いろんな立場に寄り添うことができる。
また、中にいると言いづらいことも、伝えることも
できる。
だから、活用してもらえたらうれしい。

人は「ここだけの話ですよ」と、話したいときが
ある。
約束は守る。個々との信頼関係を大切にする。

とにかく、その人が見ている風景と同じ風景を
見るようにすること。
すぐその世界が描けること。

それが、コミュニケーションクリエイターの
仕事のひとつ。

それぞれの人生を、応援したい。
これしかない、この人しかダメ。
とくに仕事においては、組織においては、
上に立てば立つほど、「ダメ」は禁句としたい。

ご縁をいただいた以上、ひとり一人が最大の
能力を発揮し、助け合って仕事をして
もらえることが、企業にとっても、
いい結果をもたらすはず。

孤立や不安、疑問を減らす。
解消する努力をする。

相手と同じ風景を見る。
これには、想像力が重要だ。

人間だから、できることだと思う。

カテゴリー: Essay (Word) | 同じ風景を見る。 はコメントを受け付けていません

代行で完結するか?

そんなところにビジネスチャンスがあるかと思うような
驚きの商品、サービスが生まれている。

ネット社会で、直接の人間関係、コミュニケーションが
どうも苦手、とくに電話は・・・という若い人も増えて
いるようで、代行サービスが花盛りである。
テレアポといって、電話で新規開拓をする手法は
ずいぶん以前からあるが、さらに営業代行という形で
特定したターゲットに対して、依頼を受けた商品や
サービスの説明をして、次の面談にこぎつけるという
仕事。新規開拓のファーストステップとしては、確か
に有効な一面もある。10年以上前に、直販したいけれど
人がいない、ノウハウがないということで専門の会社を
紹介した記憶も新しい。
それが今日はさらに進化しているわけだ。単にモノではなく
しくみ、複雑なシステムの紹介も、コミュニケーション力ある
専門スタッフにスムーズに行ってもらい、興味ある担当者
には次の面談を促し、アポをとるという仕事。

営業の手が足りない企業にとっては有効な役割だ。
アポがとれたら、次に進める。ただ、代行任せでは
仕事はとれない。最後は自分たちの営業力が試される。

また、営業以外では、離職代行という仕事もある。
退職したいと思ったとき、直接自分からその企業に
連絡したくないという場合、その連絡、手続きを
代行サービスがすべて担ってくれるとのこと。
身近なところでも、そういった事例を直に耳にして、
自分で選んだ会社をそんな風にして去っていくのか。
と驚き、大変残念にも思った。
人をひとり雇うのに、どれだけのコスト、労力が
かかるか・・を思うと、大変複雑な思いになる。

いずれも、直接コミュニケーションする手間、労力を
補ってくれるサービス。
使えるものは使ってみる!のは良いこと。
でも、最後は人の力である。
思いのこもった説明、プレゼン、交渉をする力が
重要なのは、今も昔も変わらない。

代行サービス。
私にとって馴染みがあるのは、タクシー代行。
飲酒運転をしないための、サービス。
こういったものは大いに利用を推奨したいが、
自分の力で直接コミュニケーションする手間を
省き、人と人の関わり、交わりを薄めていく
動きには警鐘を鳴らしたい。

自分自身で行動し、完結させる力。
体当たりする力。
もちろん頭を使う。気も使うし、緊張もする。
その経験の積み重ねが自分を強くする。
もちろん、「生産性」を上げるために
使えるツールはAIも含め、どんどん活用する。
でも、最後は自分の頭で考え、整理しないと。
考えることまで、代行で終わらせてはいけない。

ネット社会の影響で、人間の行動、人間と人間
との交わり方、関係が、変わってきている。
選択肢が増えていることは良いことだが、
考えながら選びたい。

最後、人が自分らしく、達成感に満ちて、
幸せになる方法であれば良いと思っている。

カテゴリー: Essay (Word) | 代行で完結するか? はコメントを受け付けていません

雨の日もおもしろうて・・・。

「鵜飼びらき愛の夕暮れコンサート」も2回目。
あいにくの天気予報通りの雨模様となったが、鵜飼は
予定どおりの開催。
全国からわざわざ来られている観光客にとっても良かった。
よっぽどの大雨、水量でなければ中止にはならないそうだ。
鵜舟にたまった雨水をくみ上げ、準備される鵜匠さんたちの
姿が目にとまる。
晴れの日も、雨の日も・・の仕事。

一方、コンサートは雨模様では屋外で実施できず、
急遽、長良川鵜飼ミュージアムのエントランスロビーに
会場を変更。

写真のように、大きなガラス越しに、金華山が見える。素晴らしい借景、
申し分ない壁紙だ。鵜飼のディスプレイもあり、立派な
ステージだ。
これなら、外で開催できなくても、雰囲気はばっちり。
しかも、天井の高い建物で、マイクなしで、歌声が
場内にほどよく響いた。

前回おいでいただいた方も、初めての方も、室内ならではの
音の良さに、喜んでいただけたようだ。
まさに生音の良さ。心地よい響き。
屋外では音が広がっていくが、室内では音がまとまる。
雨が降ったおかげで、屋内外と違う環境で演奏
することができた。新たな経験がまたひとつ。

演奏していると、だんだん日が沈んできた。
雨は止まず・・・。

先週、川原で聴いたので、とわざわざお出かけいただいた
お客様もおられたり、皆勤賞を目指す常連さんや、
平日では仕事で来れないから…と駆けつけてくださった
方々・・・。
ミュージアムに来館されたお客様もじっと聴きいって
くださった。

雨が降ったおかげで、経験できたこの借景コンサート。

晴れても、ふっても
おもしろうて、おもしろうて・・・やがて・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 雨の日もおもしろうて・・・。 はコメントを受け付けていません

ワンコイン リハを経て。


コンサートが毎週土曜。3回連続。
と言っても、大した話ではない。
本来であれば、毎週ずっと続けてやりたい仕事のひとつだ。
それはそうとして、鵜飼はじめを楽しむ夕暮れコンサート
が始まっている。
本日5月24日が2回目。
1回目はなんとか雨が直前に上がり、ギリギリ予定どおり
実施できた。
雨上がりのなか、立ち寄ってくださったお客様たち。
雨上がりの山を仰ぎ、川の流れを背景に・・・。
屋内での演奏会とは違う雰囲気のなかで 歌を演奏を
楽しんでいただいた。

そして、本日。天気予報はかたくなに雨のまま・・・。
予報が外れることを期待しているが・・・。
これは、奇跡でも起きないと難しいか。
でも、雨であっても鵜飼ミュージアム内で
コンサートは開催予定。

ということで、声出しをしておかねば。
住まいや事務所では大きな声は出せない。
でも、岐阜の稽古場(実家)まで行く時間がない。
どうしよう?

と思いついたのが、久しぶりの朝カラ。
カラオケでの発声練習、である。
ひとりで、思い切り声を出す、何曲かを唄ってみる。
自分の演奏ではなく、カラオケの演奏にのって・・・。

まだ演奏したことのない曲はカラオケでチェックし、
練習するというのも、有効な方法。
今回はとくに声出しを行う。
音楽に合わない奇妙な映像が出てしまう曲もあり、
そんなときは見ないようにして、歌詞だけを辿る。

借りた部屋の隣り、朝からカラオケやっている人が
いる。コンサート前?いや、ここに来るのが趣味、
日課かもしれない。
とにかく、朝カラはそれぞれ使い勝手が良いのだ。

歌のモーニングサービス?でワンコインで
1時間歌える。
電車賃よりも安く、コーヒー一杯分と思えば
本当にありがたい。

ということで、ワンコイン発声
をして、すぐ仕事場に戻って、コンサルに戻る。
朝ジムに行ってから会社に行く人もいるが
それに近いか。

ちょっと都会な名古屋は便利である。
今日は実家でしっかり練習をして、会場に
向かうとしよう。

雨あめ、今日も上がるか?ひたすら祈る朝である。
写真は先週の雨上がりを待つ鵜舟・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | ワンコイン リハを経て。 はコメントを受け付けていません

心の学校、開校中。

10年ほど前の話。
新潟のある方と食事をしながら将来の夢を語り合っていた。
「世直しがしたい。もっといい社会にしたい。何か新しい教育の場を
 つくりたい・・・自分たちで学校つくれたら、いいのにね」
と、そんなまさに、夢のような話をしていた。


人として、どうかと思うことに遭遇することが多い日々のなか、
せめて、未来を生きる若者には、自信をもって元気に生き抜いてほしい。
そんな思いが共通していた。
その後、それぞれの仕事や日々の取り組みが山積みで、その夢は
具体的には実現できていない。

でも、気が付けば、この10年間、新たに出会った若者(自分より年下)
には、一緒に何かをすることを通じ、人として・・・の部分を伝えよう
としてきたと、実感する。
実際に関わってきた若者たちの顔が浮かんでくる。

自分に会うと元気が出る。がんばろうと思う。
自分らしく生きようと思う。という気持ちを持ち、
いつの間にか自分の夢に向かって動き出している
人たちもじわり増えてきている。

カタチになった学校は存在しないけれど、心の学校はすでに
開校している。そんな思いだ。

これからも、出会う若者たちの思い、考えを聞き、受け入れ
彼らの勇気につながるサポートができればと思っている。
それは、立派な学校。
相手により、ケースにより その科目は違えど、
相手にあわせて寄り添いながら、個別のサポートをする。

ときに、マーサ塾。マーサの会。
時々で、違うタイトルで。
私が伝えたいことは、やはり、「人生は観覧車のように生きる」。
そして、その根っこには、
コミュニケーションの大切さ、人としてのあるべき生き方を
互いにみつめたい。
ゼロイチでもなく、◌✕でもなく、多様な答えを求める生き方、
ひとり一人の個性で輝く人生づくりを応援する存在である。

近々、ある企業で女性従業員さんとのコミュニケーションサロンを
始める予定。
また7月初旬は、恒例となってきた七夕に向けての勉強会も予定
されている。

これも、私にとっては、心の学校のひとつ。
ときに家庭教師のようなときもあるが、それもあり。
カタチはなんでもいい。

生きている限り、できることをし続ける。
人がやらないことを続ける。

そういえば、
すずめの学校という歌があった・・・。懐かしい。



カテゴリー: Essay (Word) | 心の学校、開校中。 はコメントを受け付けていません

ステークホルダーとしての責任。

今年も、株主総会のシーズンになった。
前年度の業績発表を終えた企業は、次は総会準備となる。
その昔は、総会に行くだけでお菓子や自社製品など
優待が受けられると、それをもらいに来るのが目的
という株主もいたが、その習慣もなくなり、モノ
目当てではなく、投資先の企業の動向を知りたい、
トップの話を聞きたい、また質疑応答したいと
いう株主だけが参加するようになってきた。
これはこれで本来のあり方だと思って見ている。

さて、その総会。
議長は私が知る限りでは、その企業の社長がつとめる。
社長のプレゼン力だけでなく、ファシリテーション力、
コミュニケーション力も問われるし、他の役員たちとの
連携も不可欠であり、その様子からその社風が垣間見える
こともある。
企業のことはもちろん、株主の考えていることを知るなど
いろいろ勉強になることも多く、参加した場合は、
しっかりその会社の実態を改めて確認する機会とさせてい
ただいている。
実際、顔も知らなかった社長の存在を総会で知り、その人
の発信力により、その企業が好きになったということも
ある。これまでは経験がないが、その逆もあるかもしれない。
社長の存在感は、発信力は極めて重要だ。

さて、その総会。業績報告などは事前に準備ができる。
議案や報告事項に関する質疑応答が一番の難所。
モノ言いたい、聞きたい株主から出てくる質問に
対して、丁寧に対応せねばならない。
そこで場の空気が変わってしまうこともある。
事前準備ももちろんしっかり行う、想定質問への
対応、練習も行うはず。それでも本番には思いも
寄らぬ質問が出されることも多い。

先日、出席したとある株主総会。
多くの株主が挙手をした。
議長から当てられた人から順に質問をする。
一人一問と言われていても、それ以上質問
する人もいれば、議案や業績の内容に関係なく
大変個人的な話や、この場でクレームのような
ことを長々と話す人もいて、つい、株主エチケット
ということを感じる場面もある。

株主は、自分が選んだ企業に投資をし、配当金
を受け取る。
企業を支える大切なステークホルダーである
ことは言うまでもない。
ただ、お金を投資することが目的。というだけ
なく、一緒にその企業の成長を見守り、応援して
くれる株主、長く株を保有してくれる株主、
周囲にもその会社の良さを伝えてくれる株主が
企業にとってはありがたいのでは?

そうなると、総会での質疑応答や発言も変わって
くるはず。
他の株主にとっても有益であったり、
共感される内容であればとても良い。
ああ、そういう一面があるのか、と企業を知る
きっかけにもなる。
超個人的なクレームや、意味不明の長い発言は
周囲に迷惑ということになる。

株主側も議事進行に協力をする。それが役割だと
思うが・・・。
株主自身の質も重要だ。

最近たずねた総会での様子を見ながら、企業は
実にさまざまなステイクホルダーに支えられており、
その関係づくりは企業経営において大変重要である
ことを改めて学ぶ。

企業は期待に応え続けていかねばならない。
安心され続ける努力をしなければならない。

そして、良質な株主を多く獲得し、長く保有して
もらえるように、不断の努力を重ねていかねばならない。
ここでも、やはり普段からのコミュニケーションの大切さを
感じた。まさしく、IRの充実である。

共存、共生。
自分だけ儲ける。の時代ではない。
選んだ会社の成長を応援する。
それが株主の役割だと思う。

いやはや、全国の議長さん、そして企業の皆さんの
ご準備のご苦労を思うと、エールを送りたくなる。

みんなで日本の企業を、社会を元気に!


カテゴリー: Essay (Word) | ステークホルダーとしての責任。 はコメントを受け付けていません

行かなくちゃ!

ここに行ったら、あの人を。
そこに行ったら、この人に。

どうせ行くなら、会えるときに!ついでに寄ってみよう。
最近はとくに、東西南北、仕事で出かける時に、
目的地から行ける距離ならば、ご無沙汰している人生の
先輩に会いに出かける。
わざわざそのために行く時間がとりづらくても、
ついでなら、行ける。
意識的にそうしている。

次はないかも?お互いそうだ。
と思う故、会えるときに、会いに行こうと思う。
動ける方が動けばいい。
どちらも動けなくなったら・・・そんなことは考えない。

30年以上おつきあいいただいている、マーケッター、
プランナー、プロデューサーとしての先輩。
脱サラして、起業してその世界で食べていく。
その背中を見てか、私もできるかな?
影響を受けたその先輩。
一回り上になる。
若い時は、大阪で大変お世話になった。
公私ともに本当によくしていただいた。
応援していただいた。
「よー、がんばってるな~」と言ってもらえると
うれしかった20代、30代。

ご自身も、いろんな挑戦をされてきた。
自分で企画し、事業を興し、大阪を拠点に
しながらも、世界にも足を伸ばし、
ご自身のしたいことに常に挑戦されてきた。
なんでもやれるなあ。やろうと思ったら
やれるんだ。
自分の背中を押してもらった一人であることは
間違いがない。

気が付けば、30年以上、おつきあいをいただいて
いる。
「もうやりたいことやってきたし、
やり残したことはないわ」
と昨日も言われた。

あと何回会えるだろうか。
と思ったら、大阪の南まで行くついでと
追加の移動時間含め、3時間の余裕があったら、
迷わず、出向く。

富田林の寺内町。
その地を気に入り、14年前からそちらを拠点に
ライフワークである「和の心」を、茶事を通じ
伝える活動を積極的にされている。

10年後、私もこのように精力的に発信できる
だろうか?
ずっとそう思ってきた。

久しぶりに会いに行き、齢を重ねながらも
ひとたび向き合って座ると、昔と変わらぬ
元気なトークが飛び出し、まだまだやるぞ!
と気合が伝わってくる。

会いに行って良かった。
帰りの電車でほっと一息。

また会いに行こう。
最初遠いと思っていた駅も、何度も行けば
近く感じる。
会えるときに会っておこう。
話せるときに話しておこう。

人生のこと、仕事のこと。
なぜか、話題がつきないのは昔から。

ふと、手書き時代の企画書を思い出した。
その方が最初に、企画書というものは
こういうものだと見せてくださった。
プロが書く企画書。
その後、見せ方は進化したが、魂を込めて紡がれたことば、
鋭い目線の市場分析、斬新なアイデアは今も十分通用する。
そんなインパクトのある企画書であった。
「ワタシ、まだ企画書書けるわ」
何年経ってもそんな言葉を聞けるのが嬉しかったことを
思い出す。

久しぶりにお会いして、いろんな記憶がよみがえった。

また、会いに行こう!

カテゴリー: Essay (Word) | 行かなくちゃ! はコメントを受け付けていません