京都駅ビル内にある回転寿司。
このところ、通るたびに行列ができている。
待っているのは外国人観光客。
店内を覗くと、座って食事をしているほとんどが
やはり外国人。
日本人、地元の人であれば、こんなに並んでいるなら
ここじゃなくてよいとあきらめてしまうだろう。
でも、コロナのときの店内は閑古鳥が鳴いていた。
そんな時にこそ、よし!と思って、ひとりで何度も
足を運んだものだ。
今は空席だらけのあの様子が、少しだけ懐かしくもある。
今は、もっぱらテイクアウト。その時は店頭に並んで
いない納豆巻きを決まって握ってもらう。
今回も仕事の帰りに立ち寄る。
閉店時間が近いのに、行列だ。
あと30分ほどでこんなに多くのお客さんをさばくことが
できるのかな。と余計な心配。
納豆巻きができる間、店内を眺めていた。
よく見ると、カウンターの中の職人さんたちが以前より
増えている。そうだよな~いつも満席なので、職人さんは
お寿司を握りっぱなしになる。
そんななか、外国人のスタッフが納豆巻きを握っているのを
みつけた。おお!彼が握っているのか!急に親近感がわく。
客席も厨房も国際色豊かな、京都の開店寿司屋。
値段もそこそこ、美味しさもまずまず。十分満足できる
店だから、SNSでの評判も高いのだろう。
一方、今度は、名古屋駅にほど近い居酒屋に寄ってみる。
名古屋に住む前から存在は知っていたが、初めて店に入った。
駅前の喧騒を離れ、少し落ち着いているたたずまいで安心。
なぜか新潟の酒と料理が売りのようで、個人的に興味が湧く。
店長以外の厨房スタッフはすべて外国人の
女性スタッフ。ホールでも外国人の女性スタッフが
接客をしている。
なんときれいな日本語で、丁寧でちゃんとした仕事を
されているのか。
総合的に良い店だ。と、満足して店を出た。
インバウンド客もおらず、ちょっと前までの普通の
居酒屋の風景で、落ち着けたのも、満足の理由かもしれない。
「外国人」という言葉は実は好きではない。
区別のようであるが、隔離的な線引きを感じるから。
人手不足の業界では、日本人以外の皆さんに助けられている
ことを忘れてはいけない。
先日コンサートで伺った老人ホームでも東南アジアの
青年たちが利用者を丁寧に介護されていたことを思い出す。
飲食、福祉、建設ほか、人手が足りない現場を担っていただいている。
彼らの力がなければ、日本の産業は成り立たない。
当たり前であるが、助け、助けられる世界。
国を越え、年代を越え、お互いに支え合う社会が
現場では当たり前になっているし、必要とされている。
強いか弱いか・・といった閉じた価値観ではなく、
やさしく、助け合う、支え合うことができる人になりたいし、
それぞれが生きやすい社会づくりをもっと意識したい。
自分ができることからで良いから。
等しく優しくできること、しなやかに生きることの方が
本当の強さではないかとも思う。
分断する社会が加速すると言われているが、その反対に
融合する、相互協力する、みんなが生きやすい社会こそ
目指さなければ。
小さなことから、はじめればよい。
居酒屋で清算したあと、スタッフに
「日本語うまいね、これからもがんばってね!」
と声をかけたときの、あのさわやかな笑顔が今も
思い出される。
日本でがんばる皆さんに、感謝とエールを!