いくつになっても学ぶということは楽しい。
まさに、「知の旅」である。
知らなかったことを知る。知っていることがまたひとつ
増える。
どれだけ学んでも学びつくせないほどに、世の中には
知るべき情報がまだまだある。
昨今流行りの瞬間風速的な、拡散情報ではなく、
先人たちにたずねること、さまざまな知見を通じて
自分が生きている現在を自分なりに見つめ、そして
どう生きるのかを考える。
ということが、私が言うところの「学び」である。
自分の周囲、そして俯瞰して見た時空を超えた
世界を知ること・・・この探検こそ、生きる
歓びにもつながると思っている。
そういう意味で、学び続ける人と過ごす時間は
とても楽しく、貴重である。
つい最近、長崎の歴史の第一人者として知られる
長崎学アドバイザーの本馬貞夫先生と久しぶりに
お会いし、お話をお聞きすることができた。
今年喜寿を迎えるとおっしゃっていたが、
お会いし始めた頃は、十年以上前で、長崎が
キリシタン関連施設で世界遺産を目指していた
頃。早稲田でのシリーズ講座を受講したのが
初めての出会い。
もともと高校の歴史の先生ということで、
その豊富な知識だけでなく、ふるさと愛に満ちた
ユニークな語り方、伝え方が心に染み入った。
長崎が好きになるきっかけにもなった。
当時、私自身も、ザビエルの曲をつくり、その
その演奏地を求め、平戸はじめ長崎との
ご縁づくりの旅をしていた頃だった。
その後、遠藤周作原作の「沈黙」が映画化
されたときも、地元の専門家として情報提供
に関わり、ご尽力されていた。
ブラタモリの長崎編のときも、地元の専門家
として笑顔でご出演されていたが、とにかく
長崎の知といえば、この方。という先生に
久しぶりに再会でき、学ぶことの楽しみ
を改めて感じさせていただいた。
先生は今、ご自身の新たなプロジェクトに
とりかかっておられ、日々図書館通いを
されており、戦時中の新聞広告について
発見されたことなどを教えてくださり、
相変わらず、興味深い。
その豊富な知識について感嘆の声をあげると
「広く浅くですよ。」
先生は、このようにおっしゃった。
そう、学びはここからである。
興味があることを広く、浅く。
でも、実は本馬先生は広く、深くでもある。
いろんな事象から真実が見えてくることも
ご存じである。
今回の再会で、改めて長崎愛が深くなり、
先生の背中を見て、もっと自分も勉強せねばと
背筋が伸びた。
お元気な先生にお会いでき、暑さも吹き飛んだ
夏の入り口。どうぞ、お元気にずっと学び続け
後に続く人たちに語り続けていただきたい。
「広く浅く」学ぶ、知る歓び。
人間って何なんだ。
長崎の夏。特に1945年以後の夏は、精霊流しだけでなく、原爆の記憶
が蘇る80年となってしまった。それは広島においても同じで、楽しい
夏休み、先祖を迎えるお盆というだけでなく、忘れることができない
残酷で惨い記憶が蘇るあの日、、。実際に被爆された方もだんだん
少なくなり、もう何年もしたら忘れ去られていくのではないか・・・。
それではいけないと被爆地では学校でも市民レベルでも体験を伝えていこう
とする人たちが頑張っておられる。その活動には本当に頭が下がる。
罪のないごく普通の人々が、あの瞬間で、人生を変えられてしまった。
と、ほんの一部の情報を知るだけでも、背筋が凍り、人間って何なんだと
何とも言えない感情が沸き上がってくる。自分の家族が被ばくしたという
わけでもないのに、そのことは他人事ではない。少しでも知っていれば、
関心をもって世界を、歴史をみつめていたら、今の世界にも疑問が湧いてくる。
昨年、ノーベル平和賞を受賞された被団協の皆さんの、その活動を支えて
きた多くの地元の方々にも頭が下がる。
そして、昨日7月7日は核兵器禁止条約の採択から8年を迎えた日とのことで、
原水協(原水爆禁止日本協議会)が、全国各地で本条約への批准を政治に求める
署名活動を行っていた。
そのことを知らず、長崎市内の商店街を歩いていたら、その現場に遭遇。
地域で活動されている方、ボランティアの方々が、最初に「ふるさと」を
合唱してから、それぞれが分かれて、署名活動をされていた。
歌を歌ってからの署名活動とは初めてだ。みなさんの思いがあふれて
通行人の人も一緒に口ずさんでいた様子が印象的。
あまりの熱心さに足を止める。すると、係の方が「署名お願いします。
絶対に集めて、声を届けないといけないのです。」その熱心な様子に
この署名が自分ごとになった。
(あとで調べたらオンラインでも署名活動を行っているようだ)
長崎だから余計にそうだ。
自分の家族や地域の人々が、実際に経験されている。
だから、真剣な取り組みになる。
もう二度と・・・。ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ。
このような訴えの一方、世界では、80年であろうが関係ない
といわんばかりに戦争、紛争が続いている。
人間って何なんだ。
素朴で純粋な人々の署名活動と対極的な世界が、同じ空の下
にあるとは・・・。
最後の被爆国であるように、心から祈る。
おりてきた使命?再び長崎で愛を

2月14日のコンサートからもうすぐで5か月。
季節も大きく変わった。
お礼と近況の情報交換のために足を運んだ、長崎市の
旧香港上海銀行記念館。
コンサートはこちらの1階をお借りして開催したが、
2階には台湾(中華民国)建国の父、孫文とその孫文を
支えた長崎出身の実業家 梅屋庄吉のミュージアムがあ
る。
今回は、改めてこちらも見学しながら、改めて長崎と
台湾の関わり、志を持った先人たちの勇気と行動が変えた
歴史を知り、感動。
そして、今の台湾のことが改めて気になり、台湾の友人たち
のことも浮かんでくる。
そんな思いを抱きながら、1階のホールに降りてくると
コンサートでお世話になったスタッフがにこやかに
迎えてくれて、コンサートの日を振り返りながら、そして
話題は長崎の歴史、平和への思い、そして台湾への思い
等に。
話しているうちに、長崎との縁はやはり切れないなにかが
あるという強い確信が生まれてくる。
そして、スタッフから、こんな話題が。
「来年のバレンタインは土曜日です。ランタンフェスティ
バルもこの期間で、長崎はこの時期、大変盛り上がります」
「バレンタインといえば、とコンサートをここで続けて
見るというのは素敵ですね。ぜひ!この建物も歓びます」
思いがけない提案であったが、そうか。またやるか。
やればいい。やらない理由は何もない。
長崎でバレンタインコンサート。これが毎年できたら、
自分にとっても人生のイベントにもなるかもしれない。
来年はこの建物ができて123年だという。これは、
記念すべき年である。そのお祝いも兼ねて良い機会だ。
さっき見たばかりの孫文や梅屋庄吉のことも含め、
台湾への思いも寄せてみる企画も含めても良いかも
しれないし、平和を願う気持ちは戦後80年で終わる
ものでもないし・・・。
ということで、
2026年2月14日。再びこの地でバレンタインコンサートを
すると決めた。
じっくり考えて決めることと、即決してよいことがあるが、
今回は迷わず後者である。
もう新たな来年の楽しみができたとは、なんというしあわせ
なこと、そして来年の2月を想像したら、暑さも少し和らいだ。
この記念館の向かいに立っている孫文と梅屋夫妻の銅像。
これまで、正直あまり意識していなかったけれど、
今回は違った。
台湾加油!(台湾がんばれ!)の気持ちが、長崎で再び
高まってきた。
どんなバレンタインになるだろう。
そう、今日は七夕。サマーバレンタイン。
愛と平和を願う、大切な人を思う気持ちを大切に。
長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館 長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム|旧香港上海銀行長崎支店記念館とは

ともに心に沁みる、七夕時間。

地元のデイサービスでの七夕コンサートでの記念ショット。
(ちょっとオリヒメ?チックな派手な衣装であるが・・・)
コンサートを楽しみにしていたと言ってくださる利用者さん
にも入っていただき、また両親がお世話になっていたご近所
の方が、花束を持って駆け付けてくださったのでご一緒に。
年に何度かこちらにお邪魔して、もう何回になるか。
(そういえば、カウントしていなかったが10回ほど?)
開業され、しばらくしてからの出会い。
こんな地元で親のお友達へ恩返し=親孝行ができるとは、
思わなかった。本当にありがたい。
今回も、クイズなども組み入れたりしながら、全員が考えたり、
声を出したり、手拍子、足拍子、そして暖かい拍手・・・笑い
あり、しんみりありの七夕コンサートも盛況に終わった。
「ほんとうに、心に沁みました」この言葉をいただき、
こちらの心に沁みた。
御年91歳の方である。毎回楽しみにしてくださっている。
「100歳まではまず絶対、元気でいてくださいね」
というと、笑って頷き、「はい。100歳ですね。そうできる
ように、また来てくださいね」と言われ、何度も握手する。
この方には、最初に演奏を聴いていただいたときに、
「これまで高いコンサートは何度も行ったけれど、こんな
に感動したのは初めてです」と言われて、びっくりした
ことがあった。
その一言が、今も小さなアーチストとしてのわたしの支え
になっている。
大きなステージでやろうが、デイサービスであろうが、
お客様にとっては大切なお楽しみ、そして非日常なのだ。
同じくビッグステージなのだ。
その非日常のために、がんばる。
手抜きをせず、与えられた環境のなかで、最高のパフォ
ーマンスになるようつとめる。
素敵なスタッフと一緒につくるひととき。
暑い夏にもかかわらず、一緒に歌う凸凹合唱団。
ひとり一人が一生懸命だから、それが利用者さんにも
伝わる。

素敵な七夕を今年もいただいた。
振り返れば、今週は東京で、岐阜で。
それぞれの思い出深い、七夕時間をいただいた。
心に沁みる一週間であった。
出会ったすべての人が元気で、しあわせであるように。
ひとり一人の顔が、今も浮かぶ。
そして、にこにこ笑顔の両親の顔も・・・。
心に残る瞬間を届ける役割。
七夕・・・。なんともロマンチックな祭事である。
もともとは中国からの由来とも聞くが、日本的な夏の行事と
して、今も各地で受け継がれている。
ポジティブに夏を感じることができることもあり、
またドラマチックな世界を描ける点からも、気に入っている。
そういえば、台湾に通っていたときには、「サマーバレンタイン」
なんて言っていたことも懐かしく思い出す。
「マーサさんのコンサートはありますか?あるなら、こっそり
教えてね」とデイサービスに通う方から声があったと聞く。
ああ、楽しみに待ってくださっているのだ。
これまで何度か通って演奏をさせていただいた。
施設の周年記念日、春、クリスマス・・・そして七夕。
今日も伺う。
その楽しみにしてくださっている方にも会えそうだ。
この世の中に、自分のことを覚えていてくださり、楽しみに
待ってくださる方がおられることは本当にうれしい。
認知症防止にも役立てばうれしい。
歌をトークを存在を・・何を覚えておらえるのかは、
わからないがとにかく、楽しい、懐かしい・・それぞれの
心に残る瞬間を届けたい。
何度も同じ会話をされる方もおられるが、
その瞬間が永遠である。
親世代の方たちの日常に、ちょっとした非日常をお届けする。
心に残る、できたら楽しさの余韻も感じていただける
ひとときをお届けできたら・・・。
今日はそんな七夕コンサートである。
日本の夏。七夕があってよかった。
結局、店は人なり。
ある飲食店に行った。その企業はいくつかの業態を抱えているが、
基本メニューは全業態でうまく共通展開しているので、どの店に
行っても、同じメニューを楽しめるという安心感はある。
今回は新しい業態の店舗に出向く。
店はきれいで賑わっている。メニューはタッチパネルと今どきの
セルフ方式である。
他の業態でオーダーしたことがある料理をタッチパネルで入力。
料理が提供されてきた。確かに他の店でいただいたことがある
商品と同じ。でも違う感じもする。
全体的にこぶりになっている。
これは原材料高騰のなか、値段をおさえるための工夫かもしれな
いので、それは理解できる。
味も、そんなに他の店と変わらない。
美味しいといえば美味しい。
でも、なんとなく気が乗らない。
次々と電話を受ける声が聞こえてきて、予約でいっぱいと断って
いる声を聞いていると、早く帰らないといけない感じになって
くる。
いつもゆっくり話しをするお客さんとも、なんとなく、
「今日はもう帰りますか」
といつもの会食時間よりかなり早めに会計をして、店に出る。
お客さんとは
「もう年齢も年齢だから、そんなに食べられないですね。
もうお腹いっぱいですね」
といった、たわいもない会話をしながら、駅まで一緒に行き
笑顔で別れた。
そのあとひとりになって、なぜ、昔通った同じ店には感動
したのに、新しくきれいな店に感動しなかったのか。を
分析しはじめた。
と同時に、昔の業態の店舗が懐かしく思えてきた。
あのスタッフ、みんな元気かな。
古くて、きれいとはいえない店だったけれど、
とても居心地が良かったな・・・。
店長やスタッフの顔が次々浮かんできた。
おそらくその前通った店にも開店当時という時代はあって、
その時はもしかしたら、もっと違う印象だったのかも
しれない。
そこで働く人たちの思いや努力やお客さんとの共有の
時間、歴史を重ねることで、お客さんもその店を好きに
なっていくのかもしれない。
その時代はタッチパネルではなく、大声で
「生ちょうだい」
とかオーダーしていた。
お店は美味しいものを提供する場所。
そこには人の力が欠かせない。
コミュニケーションの力だ。
人不足のなか、コンパクトな人数で回していくには
ITの力は不可欠であるけれど、そこに人の力も欠かせない。
一生懸命やっている姿。
自分はこうなるぞ!
を夢をもって打ち込んでいる人の表情。
そこに惹かれ、応援したくなる気持ちも生まれる。
店は、まさに生き様、仕事ざまが見える空間である。
同じ商品を用意しても、売れる店売れない店は、
店長の力か。
あるチェーンの方が、店長が違うと売り上げが2割
違うということも言われていた。
とてもよくわかる、納得する。
やっぱり店は人の力で結果が変わる。
飲食店だけではない。
最近、欲しいモノがなくなってきている原因と
この現象は関係がありそうだ・・・。
人の力。自分は磨き続けたいし、その大切さを
伝え続けたい。
コミュニケーションのキャパシティ
25名ほどの人たちとの勉強会を行う機会があった。
皆さん同じ職場の仲間同士である。
仕事内容はそれぞれ違う。なかなか全員が会う機会もないため、
その勉強会は貴重な交流の場にもなる。
少しでも普段会えない仲間たちと元気に夢を語り合い、
ともにがんばってほしいと願って、この機会を年に二度ほど
担当させてもらっている。提案してからすでに5年、続いて
きた。おかげさまである。
新人さんもいるので、まずは全員が自己紹介をする。
そして、そのあと、自分の夢について話してもらう。
ひとり一人の会話に耳を傾ける。
話をするのが苦手な人も、一生懸命一言一言を
紡ぎ出す。聞く方も一生懸命聞こうとする。
聞こうとすると、聞こえてくる。
コミュニケーションには意識することが大切だ。
聞こえてくると、見えてくる世界がある。
その人が発する言葉の背景も見えてくる。
家族のことや、人生の目標や迷いも・・・。
そうしているとき、
ふと、学校の先生という仕事を思い浮かべた。
生徒一人一人のことを、頭に入れて、それぞれが
個性を活かしながら、成長できるように導いて
いく仕事の大変さ。
いい加減に聴いていてはいけない。
一言で、その声で体調も察することも必要。
その言葉で何を伝えているのか、さまざまな
サインを感じ取らねばならない。
どれだけその生徒に、学生に寄り添っているか?
である。
受容するキャパシティがないと、受け入れたり
認めることができない。
自分の器の大きさ、深さが問われる。
今回、25名のそれぞれの発表を聞きながら、それぞれを
応援しなくちゃと思いながら、
人を育てる仕事は、この上なき使命感と愛情が
ないとできない・・・。と改めて思った。
コミュニケーションのキャパシティ。
多様性に富む社会を生きる力。
自分とは異なる存在を積極的に受け入れる力。
相手を認めることで、いい関係も生まれてくる。
自分の器、もっと磨きたい。
24年前の搭乗券から蘇るあの日。
しばらく見ていない名前の方からメールが舞い込む。
あれ?へ?もしかして?
そう、24年前、ユナイテッド航空シカゴ行の機内でご一緒した方だ。
私は無料航空券でビジネスクラス。ため込んだマイルをここで使った。
NYに行き、次の挑戦のネタを探しに行くため、わくわくしていた。
その隣の席に座っておられた方からのメール。
おそらく10年以上 ご無沙汰している。
なんでも整理をされていたら、その当時の搭乗券が出てきたので
私を思い出してくださったとのこと。
疲れて乗り込んだ、しかも台風で出発が遅れた便であり、念願の
ビジネスクラスであったので、ゆっくり休みたかった。
だから、隣の人とも会話をしないようにしていた。
乗って最初の機内食を美味しくいただき、誰にも邪魔されない
メールも来ないし・・と、早速眠った。
そして目が覚めたら、事態が急変。
何やらいつもと違うアナウンス、聞き慣れない言葉が飛び交って
いる。何か起きたのか。おかしい。
さすがに、心配になり、隣の人に声をかけた。
「何か起きましたね。何でしょう?」
「ペンタゴンとか言ってますね。戦争ですかね?」
その言葉に絶句した。
はあ?戦争?なんで?そんなこと言っている?
さっき成田を出たときは、世界は平和、アメリカも問題なし・・
だから、こうやって飛行機に乗ったのに・・・。
間もなくして、その飛行機は目的地であるアメリカに入国せず、
アラスカのフェアバンクスに緊急着陸。
ここから、わがNY行きの旅は、人生初の体験へと変わる。
いただいたメールで、この24年間のあのまさに、機内での
驚き、焦りが明確によみがえった。
そう、そのときのお隣さんだった。
あの事件から10年ほどは、この機内で出会った強運かつ
ポジティブな人たちと元気にやり取りを続けた。
フェアバンカーズとして、テロから逃れて、元気に
生きてることへの感謝を共有しながら、毎年9月11日になると
会ったり、連絡をしていた。
そしてその後、フェイドアウト・・・。
そんななか、いただいた昨日のメールに、何か懐かしく、
また新たな縁を感じた。
ああ、あのテロからもうすぐ四半世紀になるのか。
世界はあれをきっかけに大きく変わった、変わりすぎた。
憎しみや分断が加速した。
ああ、時計をあの前に戻したいと改めて思った。と
同時に、飛行機の隣りのシートに座ったというご縁で
また思い出していただけて、まずメールでお互いの
元気を確認できたことが、本当にうれしかった。
その方ももう70歳を迎えられるとのこと。
そう、その頃は50前だったのだ。
私は?
メールを送ったあと、その人のことをネットで
検索して、確認した。
思わず、懐かしく、「ああ、ああこういうお顔だった」
と笑みがこぼれる。
近々、東京で再会する。
「アメリカも、変わりましたね・・・」
そんな会話から始まるだろうか。
あのとき、それぞれが夢と希望をもって、向かった
アメリカ。
今、同じ気持ちにはなれないのは、とても残念であるが、
それでも、同じ空の下、オーロラを見た仲間(同士)が
今も元気でいてくれたことが、
ほんとうに、本当にうれしい。
24年前の搭乗券。
私も確かに、どっかにしまってある・・・。
INとOUTの循環こそ
昨日の岐阜新聞でのロビーコンサートは屋外が酷暑で、
移動するのも気が萎える状況であったにもかかわらず、
多くの方に足を運んでいただけた。
このことだけで、本当にありがたく、やりがいも感じる。
昨日ここに書いた出来立ての新曲もちゃんと歌えた。
人は、何事もゴールを決める、やるという覚悟をもてば
できる。できないことはない。些細なたとえではある
けれど、今回もそんなことを思った。
やればできる、やれば響く、やれば届く。
本番力は覚悟で身につく。
演奏後、いつも最前列に座って熱心に聴き続けて
下さるお客様が、「素晴らしい、素晴らしい、ほんとうに
素晴らしい」と言いながら、ずっと拍手を送って
くださり、帰るときも、外に出られてからもずっと
手を振ってくださった。最後はガッツポーズだった。
元気出たよ。元気もらったよ!という合図だろうか。
あるお客様からは、前回のコンサートの後には
「美輪明宏さんみたいね」とお世辞を言ってくださった
が、今回も駆けつけてくださり、熱心に最後まで
聴いてくださった。
そして、帰り際に
「ここに来る時は、お花をいけるような気持で来るんです。」
と言われた。ここにきて、演奏を聴く。という行為が
生け花と共通するのか。
もったいないような感じもしたが、そのように思って
おられるとお聞きして、ずっと背筋が伸びる気がした。
心がきれいになる、気持ちを落ち着ける・・・そんな時間と
いう意味だろうか。
あるお客様からは
「ありがとうございました。心が軽くなりました。スゴイです。
次お会いできるの楽しみにしています」
とそんなメッセージもいただいた。
演奏など表現するコミュニケーションはアウトプットである。
観客、お客様に何らかのメッセージを伝えたいと思って
準備する、演ずる。
このアウトの反応がどうであったか。
感想、意見をいただくことが、演者、表現者にとってのインプット。
私はコンサートでアンケートをすることをしないが、
お客様が自由意志で、好きなように味わっていただき、
気持が向けば、お好きなように伝えてもらえたら、それでいい。
自分から声を聞きに行かない分、声をいただけるとありがたい。
花を生けるような時間。
心軽くなる時間。
暑かったけれど、出かけて良かったと思っていただけていたら
うれしい。
コミュニケーションはインプットとアウトプットの循環だ。
まさにわたしの観覧車もそのそのくりかえし。
今日から、7月のはじまり。
2025年後半も、INとOUTをバランスよく、そして心豊かに
回していきたい。

歌のブーケをあなたに♪。
今日は、地元岐阜新聞でのロビーコンサート。
事前に、紙面での告知用に提出したテーマが、
「歌のブーケをあなたに」。
ブーケといえば、花束であるが、今回は、
お客様に、この鬱陶しい季節に、せめて
「花」の歌をお届けし、まるで花束を受け取って
いただくような、そんなひとときになれば・・と
考えてこのタイトルにした。
その後、この歌のブーケは、違う意味も持つようになった。
会えない人への感謝の贈り物。
そして、レクイエム的な意味も・・・。
そこから生まれた歌詞は以下の内容である。
出来立ての歌詞の一番をここに抜粋してみる。
♪あなたのために歌います
あなたの好きな歌を
少し時計 戻して
思い出 たどりながら
あなたに ありがとうを言いたい
けれど間に合わなかった
けれど歌を歌います
あなたに出会えた歓び
ひとつふたつ歌は
きれいな花のように
心に咲いて枯れないと
だから永遠にあると
あなたに歌を歌います
私の気持ちをここに
いつかはそちらの席で一緒に
歌いたいと思います。
・・・・・・・・・・・・
歌のブーケ。見えないけれど、美しい。
目を閉じ、耳を澄ませて・・。
お世話になった人に届けたい。
どうしても、ちょっと悲しい歌詞になった
けれど、まあ、よし。
不思議なきっかけで新曲ができた。
酷暑のなか、おいでいただける皆様に、
いろんな思いの詰まった、そして最後には
元気が出る、歌のブーケをお届けしたい。
