他の人の人生は、どんなだろうか?
出会いは、自分以外の人を知る機会であり、生きたことがない
世界を垣間見せてもらえる貴重な交わりでもある。
出会ってすぐには、いろいろ語ってもらうことはできないが、
打ちとけ、信頼関係ができると、気が付けばその人から自分の
生きた道のりや、自身の価値観を語ってくれることもある。
話を聞けば、どうしてその人がそういう考え方になってきたのか
もよく理解できるようになる。
その人をよく知ることができれば、協力、応援したくなり、
仕事もうまくいき、仲良くなることができる。
お互いを知るということこそが、まさに、今の時代には必要なこと。
知ろうとしないから、戦争や分断が生まれる。
若き日からご家庭のためにがんばってこられた人の話を聞く
機会があった。
家庭の都合とは、それぞれの家庭ごとにあるが、
ああ、この人はこういう苦労をされてきたのか。
偉いなあと心から敬意がうまれる。
知ることで、もっと応援したいと思えてくる。
これは、自然な感情だ。
出張時に必ず通る京都駅。駅も車内も人でいっぱい。
混雑は正直避けたいけれど、万博に行かなくても世界の人を
観察できると思うと、この国際色豊かな光景にも慣れてくる。
ああ、ここにいるすべての人に、それぞれの人生があるのだ。
さまざまな生き方をしてきた人が、たまたまこの瞬間、
同じ空間にいるのだ。
この人はどんな人生?あの人は?
と想像しているだけで、楽しくもあり、興味も沸く。
交わることがない人達を見ているだけでも、
自分の世界は広がる。
そんな風に毎日いろんな形で人様の人生に
遠近織り交ぜ出会える幸せ。
人はみんな、自分と違う人生を歩んでいる。
それを知れば、自分の世界も広がり、人への接し方も
変わる。
人の人生を見る、聞く。
また、見せる、聞いてもらう。
心をひらく。
こんなコミュニケーションを生きる間、まだまだ
たくさん楽しみたい。
他の人生を見る、聞く。
今こそ「自由」とは・・・。
何度か、この人がまだ現役のリーダーであったならば。
この人だったらこの事態に対して、どうモノを言うだろうか。
と思ったことがあった。
心から尊敬する世界のリーダーのひとり、メルケルさんだ。
このたび、回顧録出版記念イベントもあり、来日され、講演も
されていたようで、その様子を報道で知り、ああやはり変わらない
とその見識の深さ、寛容と勇気に対して、うれしく思った。
そして、本当に今こそ、現役で世界を脅かし、混乱を招いている
人たちに、以前のように立ち向かってほしい。
改めてそんな期待も抱いてしまった。
もちろん、復帰はないと思うが、この経験を活かして、世界に
あるべき方向へのメッセージを送り続けること。
その活動のひとつが、今回の出版なのだろう。
「自由」という題名。
まだ読めていない。早めにと思っている。
自分だけの自由ではなく、まわりの人がどうしたら自由になるのかを
考えることこそが必要。みんなの自由こそが大切だと
いうことが彼女の歩んだ道を振り返りながら、書かれているようだ。
今こそ、世界中が考えなければいけないテーマ、自由。
メルケルさん、ドイツの首相としては卒業されたが、
これからも世界の心のリーダーとして、真の自由について
発信し続けてもらいたい。
久しぶりにブレない発言の一部を聞いて、貫くことの大切さを
改めて学んだ。
誰に対してもおじけつかず、しっかり意見を言う。
この姿勢がとても好きだ。
自由の意味。改めてよく考えたいと思う。
おもしろうて、やがて・・・の夜を運ぶ。

三回目の正直とはこのことか。
「うかい開き 愛の夕暮れコンサート」5月31日最終回は、
おかげさまの好天となり、会場の長良川右岸プロムナード
にも多くの人が集まり、予定通りの開催となった。
テントも外し、空も川も山もそのままつながっているような
天然のステージ。そこで演奏をした。鵜飼がはじまるまでの
ひとときを、こんな風にお客さんと一緒に楽しめるとは・・・。
コンサートに足を運んでくださった方はもちろん、道行く人たち
にも耳を傾けていただき、ある人は踊りながら、立ち止まりなが
ら・・。と、それぞれに楽しんでいただいた。
閉じた会場でじっと座って聴くコンサートとはまた違う趣き。
心配された風も、本番のときには収まってくれて、まさに
皆さんのおかげで無事、終了することができた。
ザビエルもフロイスも、信長も見守ってくれたのだろう。
3回とも通ってくださった方には、毎回違う天気、プログラムで
愉しむことができたとのお声を。初めて来られた方にも歓びの
声を多数いただき、まさに交流型のコンサートができた。
昭和生まれだけでなく、2000年生まれという若い方にも最後
まで見守っていただけた。団子を食べながら鑑賞されていた
姿が印象的。まさに楽市でのコンサートだ。
主催者の長良川うかいミュージアムの皆さんにも会場づくりを
始め、大変お世話になり、今年前半の一つのミッションは無事
コンプリート。
片付けを終えての帰り道、鵜飼いを見る客船たちの灯りが
見えた。
すっかり日が落ち、川の雰囲気も変わる。
まさに、
おもしろうて、おもしろうて、やがて・・・がはじまるのだ。
川の流れのように、わが人生も。
さあ、夏を元気に乗り切って、秋の日にふたたび・・・。
多数の応援、大変ありがとうございました。




いよいよ、クライマックス。

こんなに天気を気にする週末も珍しかった、5月の土曜日。
17日からはじまった、「鵜飼びらき愛の夕暮れコンサート」も本日が最終日。
1回目は雨が上がり外で、2回目は雨が止まず室内で、そして今日は?
どちらでも良い。どちらも良いが、やはりせっかくの企画であるから、
長良川と金華山を前に、岐阜城を見上げて演れたらとは思う。
少しでも鵜飼い船に近いところから、夕暮れの空に歌を届けたいとは
思うが、こればかりは、天任せ。
なりゆきで、いこう!
と思いつつ、今日も何度も天気予報を見ながら、過ごすことになる。
あっという間の5月であった。
時の流れ、川の流れ・・・。
身を任せて・・という歌詞がどこかの曲にあったが、
流されるのではなく、いいテンポで流れに乗っていけばいい。
素敵な夕暮れコンサートに。
出会う人に感謝を込めて。
10月まで続く、ふるさと長良川の夜の宴を
ずっと見守ることとしよう。
本コンサートの撮影を協力いただいたTさんの見事なワンショットをここに。
残り5か月の無事の開催を祈りながら、今日のコンサートを締めくくりたい。

夢とは・・。
10年ほど前だったか、仕事で紹介された初対面の方に、
「あなたの夢は何ですか?」
と言われて、すぐ出てこなかった。
おそらく、改めて夢を描かなくても、毎日が充実し、
それなりに満足していたから、かもしれない。
忙しさを言い訳に考える余裕がなかったかもしれない。
もしくは、カッコいい答えを言わないといけないと
身構えたのかもしれない。突っ張っていたのかも
しれない。
夢について、改めて考えてみる。
〇〇になる。なりたい。
〇〇のように生きる。生きたい。
子どもの頃は、そんな風に夢を描いたかもしれない。
でも、自分がどう考えたのかは、思い出せない。
ピアニストになるとか、そんな風には思っていなかった。
日々追われていたのかもしれない。
夢はなくても生きられた。
でも、もっと明確に夢を描いていたら、もっと違う
人生だったのかもしれない。
大人になった今、改めて夢について考える。
人生も折返しになると、夢のとらえ方
も変わってくる。
明日も明後日も、元気に生きる。
生きる限り、現役でいる。
いつまでも仲良く過ごす。
行ける限り、旅に出かける。
と、こんなことが浮かんでくる。
さらに、
生きている限り、ピアノと歌をやる。
人に元気を与え続ける。
こんなことが、夢でもいいかと
思えてくる。
夢を描けること自体が幸せなこと。
もし、今ここが戦地であったなら、そんな悠長なことは
言ってられない。
いのちを守ることで精いっぱいだ。
無事に生きていること自体が、夢になってしまうのだ。
改めて、この瞬間の平和に感謝し、
ちっぽけなことでいいから、
少しでも誰かのためになるように、
世の中の役に立つように、
意識していきたい。
夢は、世界が平和であること。
究極はそこにいきつく。
わたしがこうなりたい、ああなりたい。
は、平和でなければ、実現できないから。
ガザの人々の悲痛な叫びを伝える報道に接し、
改めて、そんなことを思った。
生きている限り、平和に生きること。
これが私の夢であり、願い。
あたりまえではない、努力しないと実現しない。
言葉を紡ぐ
歌はメロディーと歌詞。
誰が歌うかにより、声質により、まったく違って聴こえてくる。
声の美しさはもちろんであるが、言葉を大切にしているか
は、歌の完成度に大いに関係する。
とにかく、最近は歌詞を大切に聴き、歌うようにする。
歌を通じ、意味を伝えたい。心を届けたい。
言葉と音が、一つのメッセージとなり、ドラマになる。
である以上、
自分で歌っている言葉の意味がわからないと、伝えることも
できない。
30代~40代に出会った歌手の方。いずれも日本人。
ある方はジャズを唄い、いつも歌詞を見ながら正確に
発音されようとしていた。
ある方はアルゼンチンタンゴを暗譜・暗記して歌われていた。
「自分で歌うんだから、何も見ないで歌うのは当然。そうしないと
伝わらない」と言われていた。
どちらのやり方も正しいのだと思う。
間違えないように歌う。心から歌うためには歌詞を見ていては
ダメ。
どちらもあり。
わたしは、その日に決めたプログラムの歌詞を
一応、手元に置いて、弾きながら歌う。
いずれにせよ、言葉は一言づつ丁寧にと心がける。
意味を伝えたいから。
言葉を丁寧に紡ぐ方が良い。
歌は意味がわからないと、きれいかそうでないかだけで
内容が伝わらない。
歌は心だから、言葉(意味)の伝達が不可欠。
だから、母国語で歌うのが自然と思っている。
高校時代、イタリア語やドイツ語での歌唱も少しやったけれど、
意味まで調べ、自分のものにしていたか・・・。怪しい。
カッコよさだけで演奏していたかもしれない。
今はそれよりも、意味を大切に、伝えたい。
言葉を紡ぐ。
歌うことで、メッセージを伝えられるとは、なんと素敵な
ことか。
また明後日、長良川でのコンサート。鵜飼開きシーズンの
ラストステージとなる。
紡いだ言葉が音となり、清流に運ばれ海へ、
世界へ未来へ届いたら・・・。
生きる上での「音楽の力」。
人の心を掃除してくれたり、満ち足りた気持ちにさせてくれたり、
いろんな物語を見せてくれたり、生きる力を与えてくれたり、
音楽の力は、本当に偉大であると実感する。
子どもの頃からも無意識にそれを理解していたはずであるが、
年を重ねると、作品が生まれた時代や作り手の背景なども見えて
より深く理解できる。
子どもの頃は、「うまい、上手、すごい」という技術面への関心と
きれいな音色への感動であったが、今は、音色が自分の内面に沁みて
くる。
美しい音が流れていくだけでなく、生きている自分の鏡のような
存在になって、さまざまな場面を浮かび上がらせることもある。
朝は弦楽〇重奏曲やピアノ、木管楽器などが心身を目覚めさせ、
昼間は厚みのある交響曲やピアノ協奏曲でパワーを得る。
午後になってくると、少し緩めてジャズやシャンソンも良い
。
日々の散歩時間にはその日、なりたい気分に合わせて、
ジャンルを選び、タイムトリップをしながら歩くのが良い。
最近は、気が付けば昭和後半のメロディを選ぶことが多い。
昨日は、たまたま珍しく、研ナオコのアルバムの存在を知り
そのまま聴きはじめる。
すると、中高生の頃、自分が親しんだ頃とは違う感覚が
襲ってきて、驚いた。
当時、子どもだった自分はメロディだけを覚えていたが、
おそらくこれらの曲がヒットしていたのは、
歌詞も、そしてこの歌い手の声、表現力だったのではと
以前は気づかなかったその演奏のすばらしさに心が
動く。
つい、歩いていた足を何度も留めてしまう曲もあり、
心がもっていかれる・・・そんな状況であった。
感動はもちろんであるが、大変勉強になった。
音楽は、人を引っ張る力がある。
テンションを上げてくれることも、
一緒に泣いてくれることも。
勇気を与えてくれることも。
今は会えない人に再会させてくれることも。
音楽の力は、どんな有形の宝物にも勝る。
音楽は愛の、平和の、しあわせのツール。
どんな時代になろうとも、
私にとって、かけがえのない存在。
音楽の力を信じ、私もそれを届ける人として、
成長していきたい。

同じ風景を見る。
働く人との面談機会をいただくことが多い。
1日に数名、日によってはもっと多くの人との時間をいただく。
経営者はもちろん、管理職から一般社員さんまで。
年齢も職種もさまざま。
何度も面談を重ねてきていると、その人の性格や特徴も
覚えてきて、それぞれに向き合った問いかけができる。
人に寄り添う仕事が好きな自分としては、うれしい
仕事のひとつでもある。
〇ハラという言葉が日常的に使われるようになった。
これは、メディアの責任でもあるという人がいて、
ある意味納得もする。
言葉が流行ると、人々は、それを権利のようにして
使うようになる。
言葉が社会現象を生み出すことがある、一例かも
しれない。
言葉が社会を変える。言葉の力はある意味怖い。
たとえば、
ある人は、〇ハラを受けたという。
それには相手がいるわけで、その相手の人は
それをした人。ということになり、周囲からレッテルを
貼られてしまうことがある。
そんなことについて、打ち明けられることもある。
声を上げる人の苦しさもあるが、
あげられた人の言い分もある。
両方の立場の話を聞くことが必要だ。
最近、いろんな人と会話を重ね、本当にそれぞれの
言い分があるということを痛感する。
それぞれ、違う背景をもち、価値観をもち、
仕事をする。
人生や、仕事への向き合い方もそれぞれだ。
自分の価値観と違っていても、
そのそれぞれに寄り添うこと。
相手が見ている風景と同じ風景を見るようにすること。
そうすることで、相手は心を開き、さらに打ち明けて
くれる。
人は打ちあけることで、共感を得ることで、
自信をもち、元気にがんばれる。
自分のような、どの組織にも属していない人間は、
いろんな立場に寄り添うことができる。
また、中にいると言いづらいことも、伝えることも
できる。
だから、活用してもらえたらうれしい。
人は「ここだけの話ですよ」と、話したいときが
ある。
約束は守る。個々との信頼関係を大切にする。
とにかく、その人が見ている風景と同じ風景を
見るようにすること。
すぐその世界が描けること。
それが、コミュニケーションクリエイターの
仕事のひとつ。
それぞれの人生を、応援したい。
これしかない、この人しかダメ。
とくに仕事においては、組織においては、
上に立てば立つほど、「ダメ」は禁句としたい。
ご縁をいただいた以上、ひとり一人が最大の
能力を発揮し、助け合って仕事をして
もらえることが、企業にとっても、
いい結果をもたらすはず。
孤立や不安、疑問を減らす。
解消する努力をする。
相手と同じ風景を見る。
これには、想像力が重要だ。
人間だから、できることだと思う。
代行で完結するか?
そんなところにビジネスチャンスがあるかと思うような
驚きの商品、サービスが生まれている。
ネット社会で、直接の人間関係、コミュニケーションが
どうも苦手、とくに電話は・・・という若い人も増えて
いるようで、代行サービスが花盛りである。
テレアポといって、電話で新規開拓をする手法は
ずいぶん以前からあるが、さらに営業代行という形で
特定したターゲットに対して、依頼を受けた商品や
サービスの説明をして、次の面談にこぎつけるという
仕事。新規開拓のファーストステップとしては、確か
に有効な一面もある。10年以上前に、直販したいけれど
人がいない、ノウハウがないということで専門の会社を
紹介した記憶も新しい。
それが今日はさらに進化しているわけだ。単にモノではなく
しくみ、複雑なシステムの紹介も、コミュニケーション力ある
専門スタッフにスムーズに行ってもらい、興味ある担当者
には次の面談を促し、アポをとるという仕事。
営業の手が足りない企業にとっては有効な役割だ。
アポがとれたら、次に進める。ただ、代行任せでは
仕事はとれない。最後は自分たちの営業力が試される。
また、営業以外では、離職代行という仕事もある。
退職したいと思ったとき、直接自分からその企業に
連絡したくないという場合、その連絡、手続きを
代行サービスがすべて担ってくれるとのこと。
身近なところでも、そういった事例を直に耳にして、
自分で選んだ会社をそんな風にして去っていくのか。
と驚き、大変残念にも思った。
人をひとり雇うのに、どれだけのコスト、労力が
かかるか・・を思うと、大変複雑な思いになる。
いずれも、直接コミュニケーションする手間、労力を
補ってくれるサービス。
使えるものは使ってみる!のは良いこと。
でも、最後は人の力である。
思いのこもった説明、プレゼン、交渉をする力が
重要なのは、今も昔も変わらない。
代行サービス。
私にとって馴染みがあるのは、タクシー代行。
飲酒運転をしないための、サービス。
こういったものは大いに利用を推奨したいが、
自分の力で直接コミュニケーションする手間を
省き、人と人の関わり、交わりを薄めていく
動きには警鐘を鳴らしたい。
自分自身で行動し、完結させる力。
体当たりする力。
もちろん頭を使う。気も使うし、緊張もする。
その経験の積み重ねが自分を強くする。
もちろん、「生産性」を上げるために
使えるツールはAIも含め、どんどん活用する。
でも、最後は自分の頭で考え、整理しないと。
考えることまで、代行で終わらせてはいけない。
ネット社会の影響で、人間の行動、人間と人間
との交わり方、関係が、変わってきている。
選択肢が増えていることは良いことだが、
考えながら選びたい。
最後、人が自分らしく、達成感に満ちて、
幸せになる方法であれば良いと思っている。
雨の日もおもしろうて・・・。

「鵜飼びらき愛の夕暮れコンサート」も2回目。
あいにくの天気予報通りの雨模様となったが、鵜飼は
予定どおりの開催。
全国からわざわざ来られている観光客にとっても良かった。
よっぽどの大雨、水量でなければ中止にはならないそうだ。
鵜舟にたまった雨水をくみ上げ、準備される鵜匠さんたちの
姿が目にとまる。
晴れの日も、雨の日も・・の仕事。
一方、コンサートは雨模様では屋外で実施できず、
急遽、長良川鵜飼ミュージアムのエントランスロビーに
会場を変更。

写真のように、大きなガラス越しに、金華山が見える。素晴らしい借景、
申し分ない壁紙だ。鵜飼のディスプレイもあり、立派な
ステージだ。
これなら、外で開催できなくても、雰囲気はばっちり。
しかも、天井の高い建物で、マイクなしで、歌声が
場内にほどよく響いた。
前回おいでいただいた方も、初めての方も、室内ならではの
音の良さに、喜んでいただけたようだ。
まさに生音の良さ。心地よい響き。
屋外では音が広がっていくが、室内では音がまとまる。
雨が降ったおかげで、屋内外と違う環境で演奏
することができた。新たな経験がまたひとつ。
演奏していると、だんだん日が沈んできた。
雨は止まず・・・。
先週、川原で聴いたので、とわざわざお出かけいただいた
お客様もおられたり、皆勤賞を目指す常連さんや、
平日では仕事で来れないから…と駆けつけてくださった
方々・・・。
ミュージアムに来館されたお客様もじっと聴きいって
くださった。
雨が降ったおかげで、経験できたこの借景コンサート。
晴れても、ふっても
おもしろうて、おもしろうて・・・やがて・・・。