適切に、賢く付き合う。

ほんとうに、ちょっと気味が悪い相手ではある。
しかし、本当に賢い。その名は生成AI。

もちろんそのサービスにより、提供される情報量や
広がり、提供方法はいろいろあれど、テキストや
音声で、一定の期待どおりのコミュニケーションが
成り立ってしまうから、本当に怖い。
でも、使い方によっては役に立つ。それは確かなこと。

先週もあるイベントセミナーでは、生成AIに関する
セミナーが一番の人気であった。まさにトレンドと
なっている。
ビジネス界においては、もはや知らない、関係ない。
では済まされないほどに、すでに身近な世界で関わり
が生まれている。
パソコンを使って仕事をする場合はもちろん、
それ以外でも、AIは人間の代わりに活躍しているのだ。

ちょっと情報を引き出したい場合、それは本当に便利。
またデザインやイラストも完成までではなく、たたき
台として使うには十分だ。
プロのクリエイターからしたら、やりにくい時代に
なったともいえるが、そのものを採用するのではなく、
コミュニケーションのツールとして使う、それをもとに
人間が意見を出し合って、最終的には人間が仕上げる。
最後はプロの腕の見せ所。
その流れが良いと思っている。
個人的にはこの生成AIに、なんでもお世話になろう
とは思っていない。

作詞・作曲・自分の文章・・・は、基本的に自力で
創ることはこだわりたい。
もちろんリサーチ的にチェックするぐらいの利用は
良いが、創るという活動は人間がすべきことだ。
魂の入った創造は、人間しかできない仕事だ。
盗作まがいも、フェイクも そこはしっかり線を
引いてつきあいたい。

付き合い方を注意しないと、また情報の入れ方を
間違えると、またたくまに、拡散してしまい、
トラブルになることもある。
使うときには、リテラシーが当然必要になる。

まあ、ITに限らず、さまざまなツールの利用
リテラシーは必要。
また、自分以外の存在と関わるときには、十分に
相手を知って、問題がおきないように
ルールに沿って対応すべきだ。

相手が賢いが故に、使う側がしっかりしないと
いけない。

付き合い方を考えて賢く使う。

でも、彼には感情がないから、AIと書いても
愛(あい)はないから、どこまで仲良くなれるか?

おそらくこの存在は、流行で終わらず、
情報社会のインフラ的な存在として成長していく
のかもしれない。
なんとも、複雑な気持ちになるが、
人間がもっと先にいかねば、人間がもっと賢く
ならなければ。


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介護のプロのおかげで。

両親がお世話になったケアマネージャーさんと久しぶりに
お会いする。
元気いっぱいの両親の時のことはご存知ないけれども、
(これは、唯一残念なことであるが)
二人の人生の最終ラウンドを、伴走していただいた方。
最後の1年は、本当にお世話になった。

父の施設の移動について、母の在宅介護について・・・。
いずれも経験したことがない世界のことを、いろいろ
親切に教えていただき、なんとかその支援のおかげで、
無事に、悔いなく見送ることができた。
思えば、わずか2年ほどの時間であったが、思い出は
尽きない。

その方とは親が亡くなって3年以上経った今も、連絡を
とりあう。その方のお母様も旅立たれ、そのときも声を
かけた。とても他人事と思えなかった。
私のコンサートにも何度も駆けつけていただけたり、
誘えばお茶もご一緒して・・。
一緒に親の介護を乗り越えた「仲間」のような
感覚でもある。信頼から友情が芽生え、今に至る。

今回は、改めて介護の最近の様子を聞いて、驚く。
ケアマネージャーという仕事が以前に増して
大変になってきているようだ。
本来、家族が対応すべきことまで、ケアマネージャー
に任されてしまうこともあるようで・・・、
「介護の外注化」がますますすすんでいる。

自分の親、家族のことであれば、主体的に
すべきはもちろん家族自身であるべきはずが
核家族化や仕事を持つ人が増えているということ
に加え、介護保険を払っているのだから・・
ということで、お任せされてしまうこともある。
一方、介護のお仕事は本当に安い。
時給を聞いて驚く。
それじゃあ、高校生のバイトの時給と変わらない。
仕事の内容がもっと大変で、責任もあるのにも
かかわらず・・。

介護のお仕事。
だんだん自分で生活できなくなる高齢者に寄り添って
お世話をしてくださる方たち。
ケアマネのように、その人にあった介護支援の内容を検討、
プランを作り、各種手配をし、それがうまく運用される
ように見守りをする、管理者としての仕事から、
施設でのお世話、さらに在宅介護をサポートされる
現場で働くヘルパーさんたち・・・。いろんなスタッフの
方のおかげで一人の高齢者が生きられ、家族の生活も
守られる。
本当に、介護のプロのおかげで、高齢化社会は成り立って
いるのだ。

いずれの方にも本当にお世話になった。
今もいろんな方の顔が浮かぶ。
「介護の仕事が好きです」と笑顔で語っておられる
方にも出会った。
食事から入浴、下の世話まで、家族とのやりとり・・・。
一般の人たちは、介護の現場をもっと知っておく
必要がある。
そして、政治家たちももっともっと理解し、
この仕事に敬意をもって、見合う対応をもっと
すべきである。

と、久しぶりにお会いしながら、改めて高齢化社会の
実態にも触れ、介護の仕事をされている皆さんへ
改めて敬意を抱き、ありがたいと思った。

介護のプロがいてくださるおかげで、少なくても
自分は仕事も普段通り続けることができた。
おかげさま。の一言である。

久しぶりにお会いし、
改めて両親の介護がご縁で、今も続く関係。
親たちが与えてくれたギフトであると思った。
親たちは旅立ったけれども、新しい心族を
残していってくれた。
親のことをずっと話せる人が周囲にいてくださる
事は一番の幸せなのかもしれない。

介護の仕事をされている方に、改めて敬意と
感謝を。
私自身も、彼らの仕事のお役にたてることを
やり続けていきたい。
時に励まし、ときに演奏で・・・。

さあ。自分が介護される日は・・・
来ないように自力で生活できる日を1日でも
長く・・。努力だけはしておきたい。

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ウォッチ、オブザーブを愉しむ。


人を見る、観る。
ルッキングではなく、ウォッチング、そしてオブザーブ。

目の前の対象を視覚でキャッチする活動。
全ての創造は、ここから始まる。

マーケティングでもクリエイティブでも・・・。

現実を見る。そこからさまざまな発想やアイデアが、
生まれ、湧いててくる。

世界で活躍する特殊メイクアップアーチスト、
アメージングJIROさんという方のインタビューを
最近、興味深く拝見した。

仕事柄、映画などに登場する「特殊な顔」をつくる
仕事であるから、電車に乗っていても人の顔を観察
して、それをスケッチするということをやっていた
そう。
見知らぬおばあさんが、ある妖怪の顔の原型になって
いることもあったり?
人の顔を観察しているすると、そこから作りたい
特殊なメイクがその見ている人に重なってくるの
だそう。
まさに、観ることが創造につながっている。

私にとっても観察は重要である。
マーケティング的にも、アーチスト的にも。
この人はなぜ急ぐのか・・・その理由、その人の
仕事・・・。
あの人はなぜあんなに派手な格好をしているのか
・・・。
あの人たちは、あんなに楽しそうにしているけれど、
・・・・・そのあとは?などなど・・・
とにかくいろんな人を見て、勝手に妄想を膨らませる。
アイデアは見ながら歩いているときに浮かぶことが
多い。

オブザーブとは目的をもってより厳格に観察すること。
さらに、オブザーバーとなれば、その上で必要なことを
アドバイスすることもあるだろう。
そういう仕事もしてきたから、それもあって観察する
暮らしに慣れているのか?

ウォッチングはもっと楽な観察。
目的意識はさほどない。
ただ、見る。
見ている。どこまで記憶に残るかは別の話。
でもウォッチングを続けることからさらに見えて
くる世界もある。
変化を見ているのだ。

見ることを大切にしよう。
また、見ることから見えてくる世界を大切にしよう。広げよう。

見えることが幸せだ。

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新潟から届く愛。

備蓄米。
何だか古いお米のキャンペーンセールのようになっているが、
いつも並んでいるはずのお米たちが品薄であることが、
本当に気になる。
地元で奮闘されているお米の専門店の品揃えも例年より寂しい
状態。売るものがなければ、商売は成り立たない。
それにしても、なぜ米の小売で生きていかねばならない人たちに
さらに古いお米を提供するのだろう?大手優先。というのも
わからなくはないが、潰れそうで困っている専門店は後回し?
に見えて、心穏やかになれず・・・。

わが家のお米。おかげさまで新潟の人が時々送ってくださって
ありがたくいただいている。ほとんど買わないで済んでいる。
でも、そろそろ買わなくちゃいけないなあ。と考えていたら、
「備蓄米とか色々言って、米不足でお困りかもしれないので、
地元の米を送っておきましたので、食べてください」と
メールが届き、驚いた。新潟には米がたくさんある?調達
できる?なんと、このご時世に人のことまで考えられるとは。
さすが、新潟。その気持ちに心から有難いと思った。

この2日前には、新潟の小千谷の味噌や醤油が送られてきた。
「地元でイベントがありましたので、多めに買いました。
少しですが送ります。味をみてください」
と。割れ物なので、一つ一つエアパッキンで包まれている。
送り主が、私に送るために包んでくださったのか・・と思うと
こちらもジーンときた。

新潟の人は優しい人が多い。
本当に、何でだろう。
お返しは何にするかな?

新潟の人は、米不足でも困らないのかもしれない。
やはり、自給率が高い県である。豊かである。
いざとなったら、新潟か・・。

とにかくありがたい愛をいただいた。

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万博いく?いかん?

「みゃくみゃく」を普通に、自然に目にするようになった。
関西だけでなく、東海地区でも、露出が増えている。
先日は、このキャラクターパッケージのお菓子をいただいた。
それだけ露出が増えている。
物凄い費用をかけて、動員を図っているのがわかる。
半世紀前の万博では、テレビやラジオでの露出であったか
今はネットも、グッズもキャラクターも含めての広告合戦。

19世紀後半にロンドンで始まった万国博覧会。
その時の万博なら、行ってみたい。
そのあとのニューヨークも、パリも・・・。
その当時にタイムトリップしたい。

時々目にする当時のモノクロの写真や、ポスターの
デザインを目にすると、行ってみたいなあ。
19世紀末のパリの博覧会に日本の企業たちが初出展した
という情報に接すると、明治維新後の開かれた日本の
世界デビュー。実に刺激的だっただろうと想像して
胸も膨らむ。
西側の人もシノワズリーに劣らず、ジャポニズムにも
大いに興味関心をもったであろう。ネットがない当時は
まさにその時が貴重な情報収集、交流の機会。
スマホもない、写真も貴重。そんな中での万博。
本当の期間限定。非日常感は現在のとは違う。

大阪の万博。先日、太陽の塔の横を通り、みんぱく
へ行き、感動したという話は書いた。
今も大切な情報が丁寧に残されている
ことに感動を覚える。

では、現在開催中の万博に行きたいか?
うーん。そんなことに今お金かけるよりも・・と
正直、今も思っている。
困っている人のためにお金を使ってほしい。
知りあいに尋ねてみると、関東方面の人は
あまり・・・という反応。

関西の人は、もともと大阪で開催された
歴史もあるため、行きたいという方が多い。
親孝行のために行かれる方もおられる。
意外と近いし、せっかくやっているので・・という方
も多い。

仕事的には見ておいた方が良いのは承知して
いる。

でも、今行きたいのは19世紀末のパリの万博。
世界がこれから、交流して共に発展していく
その当時を知りたい。

オリンピックも万博も、いつまであるのだろうか。
そんな余裕があり続ける時代は、続くだろうか?

と、そんなことばかり心配している。

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全体を見て、二歩先を進む。

毎日、いろんなことがおきる。
悩みや不安がない日はほとんどない。
深刻さ、重さはそれぞれあれど、まあ、心に波風が
立たない日があると、うれしいが、なかなか
そうもいかないのが現状だ。
それだけ、人と関わって生きていると、いろんな
ことがあるものだ。

たとえば仕事上でのちょっとしたトラブル。
これをどうとらえ、どう対処するか。
こういった事態に遭遇することも少なくない。
自分の場合は、目の前の対応はもちろんであるが
それが担当レベルだけでおさまる話か、
上司への報連相、そして組織としての対応、
お客様へのアプローチ、その反応、それへの対応・・・。

現実見えていることの一歩先ではなく、その先も
考え、すべてうまくいった場合、そうでない場合
両方を考えて、その対応をアドバイスしたり、
自分が動いたりするようにしている。

時々、フィクサーのように動く自分もいるが、
全体を見ているからこそ、また自分の役割が
自分で調整できるからこそ、柔軟に動くことが
できる。

物事が解決して、元のさやに納まるだけでなく、
問題が起きる前の関係以上に、信頼感や親密度が
増せば、そのトラブルはビジネスチャンスにも
なる。

常に二歩前を見る、全体を見る。
関わる人全員の笑顔を描きながら・・・。

そんなことも、
コミュニケーションクリエイターの仕事のひとつだ
と心得ている。

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他の人生を見る、聞く。

他の人の人生は、どんなだろうか?
出会いは、自分以外の人を知る機会であり、生きたことがない
世界を垣間見せてもらえる貴重な交わりでもある。
出会ってすぐには、いろいろ語ってもらうことはできないが、
打ちとけ、信頼関係ができると、気が付けばその人から自分の
生きた道のりや、自身の価値観を語ってくれることもある。
話を聞けば、どうしてその人がそういう考え方になってきたのか
もよく理解できるようになる。
その人をよく知ることができれば、協力、応援したくなり、
仕事もうまくいき、仲良くなることができる。
お互いを知るということこそが、まさに、今の時代には必要なこと。
知ろうとしないから、戦争や分断が生まれる。

若き日からご家庭のためにがんばってこられた人の話を聞く
機会があった。
家庭の都合とは、それぞれの家庭ごとにあるが、
ああ、この人はこういう苦労をされてきたのか。
偉いなあと心から敬意がうまれる。
知ることで、もっと応援したいと思えてくる。
これは、自然な感情だ。

出張時に必ず通る京都駅。駅も車内も人でいっぱい。
混雑は正直避けたいけれど、万博に行かなくても世界の人を
観察できると思うと、この国際色豊かな光景にも慣れてくる。
ああ、ここにいるすべての人に、それぞれの人生があるのだ。
さまざまな生き方をしてきた人が、たまたまこの瞬間、
同じ空間にいるのだ。
この人はどんな人生?あの人は?
と想像しているだけで、楽しくもあり、興味も沸く。
交わることがない人達を見ているだけでも、
自分の世界は広がる。

そんな風に毎日いろんな形で人様の人生に
遠近織り交ぜ出会える幸せ。

人はみんな、自分と違う人生を歩んでいる。
それを知れば、自分の世界も広がり、人への接し方も
変わる。

人の人生を見る、聞く。
また、見せる、聞いてもらう。
心をひらく。

こんなコミュニケーションを生きる間、まだまだ
たくさん楽しみたい。


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今こそ「自由」とは・・・。

何度か、この人がまだ現役のリーダーであったならば。
この人だったらこの事態に対して、どうモノを言うだろうか。
と思ったことがあった。
心から尊敬する世界のリーダーのひとり、メルケルさんだ。

このたび、回顧録出版記念イベントもあり、来日され、講演も
されていたようで、その様子を報道で知り、ああやはり変わらない
とその見識の深さ、寛容と勇気に対して、うれしく思った。

そして、本当に今こそ、現役で世界を脅かし、混乱を招いている
人たちに、以前のように立ち向かってほしい。
改めてそんな期待も抱いてしまった。
もちろん、復帰はないと思うが、この経験を活かして、世界に
あるべき方向へのメッセージを送り続けること。
その活動のひとつが、今回の出版なのだろう。

「自由」という題名。
まだ読めていない。早めにと思っている。
自分だけの自由ではなく、まわりの人がどうしたら自由になるのかを
考えることこそが必要。みんなの自由こそが大切だと
いうことが彼女の歩んだ道を振り返りながら、書かれているようだ。

今こそ、世界中が考えなければいけないテーマ、自由。

メルケルさん、ドイツの首相としては卒業されたが、
これからも世界の心のリーダーとして、真の自由について
発信し続けてもらいたい。

久しぶりにブレない発言の一部を聞いて、貫くことの大切さを
改めて学んだ。

誰に対してもおじけつかず、しっかり意見を言う。
この姿勢がとても好きだ。

自由の意味。改めてよく考えたいと思う。


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おもしろうて、やがて・・・の夜を運ぶ。

三回目の正直とはこのことか。
「うかい開き 愛の夕暮れコンサート」5月31日最終回は、
おかげさまの好天となり、会場の長良川右岸プロムナード
にも多くの人が集まり、予定通りの開催となった。
テントも外し、空も川も山もそのままつながっているような
天然のステージ。そこで演奏をした。鵜飼がはじまるまでの
ひとときを、こんな風にお客さんと一緒に楽しめるとは・・・。
コンサートに足を運んでくださった方はもちろん、道行く人たち
にも耳を傾けていただき、ある人は踊りながら、立ち止まりなが
ら・・。と、それぞれに楽しんでいただいた。
閉じた会場でじっと座って聴くコンサートとはまた違う趣き。

心配された風も、本番のときには収まってくれて、まさに
皆さんのおかげで無事、終了することができた。
ザビエルもフロイスも、信長も見守ってくれたのだろう。

3回とも通ってくださった方には、毎回違う天気、プログラムで
愉しむことができたとのお声を。初めて来られた方にも歓びの
声を多数いただき、まさに交流型のコンサートができた。
昭和生まれだけでなく、2000年生まれという若い方にも最後
まで見守っていただけた。団子を食べながら鑑賞されていた
姿が印象的。まさに楽市でのコンサートだ。

主催者の長良川うかいミュージアムの皆さんにも会場づくりを
始め、大変お世話になり、今年前半の一つのミッションは無事
コンプリート。

片付けを終えての帰り道、鵜飼いを見る客船たちの灯りが
見えた。
すっかり日が落ち、川の雰囲気も変わる。
まさに、
おもしろうて、おもしろうて、やがて・・・がはじまるのだ。

川の流れのように、わが人生も。
さあ、夏を元気に乗り切って、秋の日にふたたび・・・。

多数の応援、大変ありがとうございました。

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いよいよ、クライマックス。

こんなに天気を気にする週末も珍しかった、5月の土曜日。
17日からはじまった、「鵜飼びらき愛の夕暮れコンサート」も本日が最終日。
1回目は雨が上がり外で、2回目は雨が止まず室内で、そして今日は?

どちらでも良い。どちらも良いが、やはりせっかくの企画であるから、
長良川と金華山を前に、岐阜城を見上げて演れたらとは思う。
少しでも鵜飼い船に近いところから、夕暮れの空に歌を届けたいとは
思うが、こればかりは、天任せ。
なりゆきで、いこう!
と思いつつ、今日も何度も天気予報を見ながら、過ごすことになる。

あっという間の5月であった。
時の流れ、川の流れ・・・。
身を任せて・・という歌詞がどこかの曲にあったが、
流されるのではなく、いいテンポで流れに乗っていけばいい。

素敵な夕暮れコンサートに。
出会う人に感謝を込めて。

10月まで続く、ふるさと長良川の夜の宴を
ずっと見守ることとしよう。

本コンサートの撮影を協力いただいたTさんの見事なワンショットをここに。
残り5か月の無事の開催を祈りながら、今日のコンサートを締めくくりたい。

鵜飼びらき 愛の夕暮れコンサート | うかいミュージアム

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