両親がお世話になったケアマネージャーさんと久しぶりに
お会いする。
元気いっぱいの両親の時のことはご存知ないけれども、
(これは、唯一残念なことであるが)
二人の人生の最終ラウンドを、伴走していただいた方。
最後の1年は、本当にお世話になった。
父の施設の移動について、母の在宅介護について・・・。
いずれも経験したことがない世界のことを、いろいろ
親切に教えていただき、なんとかその支援のおかげで、
無事に、悔いなく見送ることができた。
思えば、わずか2年ほどの時間であったが、思い出は
尽きない。
その方とは親が亡くなって3年以上経った今も、連絡を
とりあう。その方のお母様も旅立たれ、そのときも声を
かけた。とても他人事と思えなかった。
私のコンサートにも何度も駆けつけていただけたり、
誘えばお茶もご一緒して・・。
一緒に親の介護を乗り越えた「仲間」のような
感覚でもある。信頼から友情が芽生え、今に至る。
今回は、改めて介護の最近の様子を聞いて、驚く。
ケアマネージャーという仕事が以前に増して
大変になってきているようだ。
本来、家族が対応すべきことまで、ケアマネージャー
に任されてしまうこともあるようで・・・、
「介護の外注化」がますますすすんでいる。
自分の親、家族のことであれば、主体的に
すべきはもちろん家族自身であるべきはずが
核家族化や仕事を持つ人が増えているということ
に加え、介護保険を払っているのだから・・
ということで、お任せされてしまうこともある。
一方、介護のお仕事は本当に安い。
時給を聞いて驚く。
それじゃあ、高校生のバイトの時給と変わらない。
仕事の内容がもっと大変で、責任もあるのにも
かかわらず・・。
介護のお仕事。
だんだん自分で生活できなくなる高齢者に寄り添って
お世話をしてくださる方たち。
ケアマネのように、その人にあった介護支援の内容を検討、
プランを作り、各種手配をし、それがうまく運用される
ように見守りをする、管理者としての仕事から、
施設でのお世話、さらに在宅介護をサポートされる
現場で働くヘルパーさんたち・・・。いろんなスタッフの
方のおかげで一人の高齢者が生きられ、家族の生活も
守られる。
本当に、介護のプロのおかげで、高齢化社会は成り立って
いるのだ。
いずれの方にも本当にお世話になった。
今もいろんな方の顔が浮かぶ。
「介護の仕事が好きです」と笑顔で語っておられる
方にも出会った。
食事から入浴、下の世話まで、家族とのやりとり・・・。
一般の人たちは、介護の現場をもっと知っておく
必要がある。
そして、政治家たちももっともっと理解し、
この仕事に敬意をもって、見合う対応をもっと
すべきである。
と、久しぶりにお会いしながら、改めて高齢化社会の
実態にも触れ、介護の仕事をされている皆さんへ
改めて敬意を抱き、ありがたいと思った。
介護のプロがいてくださるおかげで、少なくても
自分は仕事も普段通り続けることができた。
おかげさま。の一言である。
久しぶりにお会いし、
改めて両親の介護がご縁で、今も続く関係。
親たちが与えてくれたギフトであると思った。
親たちは旅立ったけれども、新しい心族を
残していってくれた。
親のことをずっと話せる人が周囲にいてくださる
事は一番の幸せなのかもしれない。
介護の仕事をされている方に、改めて敬意と
感謝を。
私自身も、彼らの仕事のお役にたてることを
やり続けていきたい。
時に励まし、ときに演奏で・・・。
さあ。自分が介護される日は・・・
来ないように自力で生活できる日を1日でも
長く・・。努力だけはしておきたい。
介護のプロのおかげで。
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