「最後の」年末・・・。


あっという間に2025年が終わりを告げようとしている。
毎年不思議であるが、12月はとくに秒針が速く回っているのではないか
と感じるのは、私だけではないはず。
この「年末」という言葉は何とも言えない緊張感がある。
そして、そこに「最後の」という一言がくっつくとなおさら、なんとも
いえない気持になる。

近所にある地元のデパートが、来年の2月末で閉店するとのこと。
私が生まれる前からあった、戦後日本の経済成長とともに歩んできた
店舗。
70年の歴史は、長い。今、店舗内で70年の回顧展をやっている。
制服、パッケージ、プロモーション・・・。昭和を懐かしく思い、
わが子ども時代を思い出す。毎日レッスンで通っていた名古屋。
私なりにずっと馴染みのあるお店・・・。
でも、閉店が決まった。

今年に入ってから、何か催事をするたびに「最後の〇〇市、最後の〇〇展」
と銘打ってのプロモーション。
人間、最後の・・・と聞くと反射的に行動する。70年の思い出とともに、
何か残しておきたいと、思わず財布の紐も緩む。

東京に住んでいるときも日本橋や新宿のデパートが閉店したのを経験した
記憶があるが、東京は次々と新しいものが誕生するため、寂しさは
さほどない。時間とともに新しい街に慣れていく。そのスピードが速い
というのもあるだろう。

しかし、地方での大型店舗閉店の痛手は大きい。
私が名古屋に拠点を移して8年の間に、地元で3つの百貨店が閉店した。
とくに岐阜の高島屋の閉店はとても悲しかったし、1年以上経った今も
その影響は免れず、柳ケ瀬の衰退は進んでいる・・・。

そして、今回は、駅前の開発に伴う閉店だとのこと。
しかし、その開発の工事予定が未定になったと最近報道されたばかり・・
それでも、そんなに早く閉店してしまうのか?
「最後の〇〇」と銘打ってしまっているから、後戻りできないのだろうか。
など、いろいろ不思議に思っていた。

ある地下食品売り場のテナント店舗に寄った、そこの店主らしき方が
いつも丁寧な接客をされていて、好感を寄せていた。
買い物をしながら、言葉をかけてみる。
「今年の年末は、寂しいね。何とも言えんわ」
すると、
「本当にそうです。なんで、やめるんや。と思っています。
せっかくここまで頑張って、売り上げ伸ばしてきたのに。
せめて移転して、営業続けさせてくれたら・・・。」
予想通り、それ以上にお店の方の言葉が続いた。
心からの怒り、残念無念という思いが伝わり、胸がいっぱいになった。
どうやら、社長さんのようである。
各地に売り場を出しているけれども、ここ名古屋がメインだそう。
それがなくなることへの葛藤・・・。
次のお客様が来られたので、会話を終えて
「また来ますね。がんばってくださいね」
と挨拶をし、笑顔の接客を受け取る。
いいお店なのに、なくなってしまうんだ・・。再び寂しさが募る。

最後の年末。
もちろん、これとは違う、最後の年末もあるだろう。
でも、もしかしたら、自分にとっても最後の年末になるかもしれない。
そんなことも頭をよぎる。

いろんな年末があることを忘れずに。
浮かれて楽しいことばかり、そんな人ばかりではない。
そんななか、暖かい部屋で目覚め、美味しいコーヒーや食事をいただき
好きな装いをして、好きな所へ行き、好きなことをする気ままな年末。

「最後」の年末。
改めて、かみしめたい。

今年もあと4日か。361日、無事に生きたようだ。ありがたい限り。

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