どこまでも優しい人たち



出先での忘れ物は厄介だ。
とくに海外に出ると気をつけないと、あとで諦めることに
なりかねない。これまでも何度か、そんなことがあったか・・。

帰りの荷造りをしている際に、
ふと、前日まで着用していた帽子がないことに
気づいた。
あれ?あれ?ない!まさか・・・。
そこから前日までの自分の行動を時計を逆回しに辿る。
まずは、ホテルの中。自分が歩いた通路。
コンシェルジュに落とし物を訪ねたが、該当するものはない。
それ以外に思い当たるのが、2件の店。
1件目は、店内に入って帽子を脱いだ記憶があった。
2件目は会食した店。ここも可能性がある。

このまま帰国するわけにはいかない。
2件目の店で会食した知人に、もし店にあれば取りに行くので
預かっておいてほしいと伝言を頼む。
さらに、そのあと打ち合わせした仲間に、
「ちょっとお願いがあるのだけれど、・・・といったわけで
ここに帽子を忘れていないか電話で聞いてほしい」
相手が中国語しか話さないと、自分では対応できないため
仲間に頼む。情けないことだ。
すると、友たちはすぐに対応してくれる。

結果、2件目の会食したレストランにあることが判明した。
帽子だったから見つかる可能性もあったかもしれないが
とにかく落とし物が出てくるというのは、何かと安心な
街であり、ちゃんとした店である。

その後、帰り支度をしてから、タクシーに乗りその
レストランに向かう。
帰り時間もあるので、急がねばならない。
お店に着いたら、なんと先ほど電話で問い合わせをして
くれた知人が、お店の前で私の置き忘れた帽子をスマホで
撮影しているのをみつけた。
「あれ?Iさん、なぜここに?何されているんですか?」
「いやー、たまたま今通り道だったので、寄ってみたんです。
この帽子で合っていたかと写真送ろうと思って撮影していた
ところです」
へえ、まさか店に寄って忘れ物を確認をされ、さらに私のために
撮影をしてメールをしようとしてくださったのだ・・・。

どこまで親切な方なのかと、心からありがたく、また
私の忘れ物につきあっていただき、申し訳なく
思った。
「いやー、昨日会ったとき帽子かぶっていた印象がなかった
ので、この帽子で良かったのかなと思って・・・。とにかく
良かった、良かった」
何度もお礼を言って、店の外で笑顔で別れた。

そして 1件目の店に問い合わせの電話をしてくれた仲間も、
「帽子はみつかりましたか?大丈夫でしたか?」
とメールをくれた。

台湾に住む人たちは、心にゆとりがあるのだろう、。
相手のことをとても心配し、相手のために動いてくれる。
私が知る台湾の人たちは、そんな優しさをもった方たちである。

そんなこんなで、帽子はめでたく一緒に持ち帰ることが
できた。

人は、どこまで優しくできるか。
今回の学びのひとつは、これだ。

台湾の方にはあたたかい心がある。

謝謝の気持ちを抱き、またね!と街に手をふり、
空港を離陸した瞬間、こみあげるものがあった。

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今こそ、台湾の人に学ぶこと

台湾の仲間たちとの再会は、今年を締めくくる最高の自分へのご褒美となった。

改めて、素晴らしい人たちとつながり続けていることに対し、感謝の念が湧いた。
スピーチと演奏を聴き、感動したとの声を寄せていただき、見事な通訳の
力があったからであるが、とにかく伝わったことへの安堵と、
熱心な仲間たちの姿勢、威張らない賢明さに改めて感動した。

講演中に、以前からの関わりを思い出しつつ、
台湾の皆さんから学んだことについて話した。
以下の資料を使って話したけれど、実際、今回の訪問から、
改めて、みんな賢明で、努力家で、そして前向きで活動的であることを
知り、大いに刺激を得ることができたし、
台湾の人々に学ぶことは、まだまだあると思ったし、
自分はまったく足りないなと未熟さも感じた。

関わることで、新たな発見がある。
一歩外に出ることで、見える世界が広がる。

今回の仲間たちとの再会を機に、共にできることについて、
ここから考え、取り組んでいけたら・・。
大いに成長され、たくましく生きている皆さんと
以前と違う役割分担で、同じ目標をもちながら、新たな関係づくりが
できたら・・・。
世界に友達がいると、世界平和を自然に希求するようになる。
新たな夢が生まれ、それに向かって歩き出そうと勇気も沸く。

改めて素晴らしいクリスマスギフトをいただいた。

日本人は、もっと台湾人から学ぶべき。もっと世界から学ぶべき。
そして、自分の持てる力を最大限に発揮し、柔軟に生きること。
誇りをもって進むこと。

台湾の魅力をもっと、身近な人々に伝え、応援していこう!

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再会から生まれること。

無事に6年ぶりの台湾への訪問、初日を終えた。
なぜか、1日自分のスマホで撮影することを忘れた。

ここに通っていた頃は、スマホはまだ登場していなかったし、
わたしにとって台北の街は日常的な景色であったため、
その名残もあり、家に帰ってきた感覚で、スマホに
収めなければとは思わなかった。

現地の皆さんは、久しぶりに会ったからといって
何度も何度も記念撮影を求めてくださり、
それぞれのスマホに私とのショットは収められた。
講演、演奏、その後のコミュニケーションに集中した
せいで、ホテルに戻ってから、ああ、撮影してなかったと
少々悔やむ。

ではあるが、講演中もその前後もずっとプロのカメラマン
が撮影されていたので、あとで共有はされるまで待つこと
にする。

四半世紀の再会。
皆さん、当時は20代後半の方が多く、今は50代・・・。
同世代の方もおられる。会社員であれば、そろそろ定年。
なんだか同窓会のようだった。
私にとってはクライアント企業の従業員の皆さんであるが
当時から仲間であった。ここが不思議な台湾式。
一緒に新しい事業に取り組んだ、私は日本人として当時
できることをした。
いつも敬意をもって接してくださり、人と人の関係は
ここから始まることを学んだ。
そんなことが次々と思い出された。

また歴代の通訳担当者にも再会でき、彼女たちのさらなる研鑚、
成長ぶりにも感心しながら、過去にとどまらずここから
新たな関係づくりが始まることも予感。
台湾と日本の架け橋になる仕事をしている人もいる。
私もそのサポートができたらと改めて思った。

四半世紀と言えば、人生の半分ほど。
その長い時間ずっと途切れずに、今回改めて再会できたことは
この上なく幸せだ。

台湾の仲間を応援する。改めての強い思いが湧いてくる。
訪ねてきたからこそ、会えたからこそ、そう思えたのだ。
「再会」にはチャンスがある。
お互いが変化、進化しているため新たな接点がうまれるのだ。

再会を果たしたら、みらいが見えてきた。

そのきっかけを与えてくれた、素晴らしい仲間たちに、心から感謝!

台湾での観覧車がふたたび、動き出す。


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原点回帰と成長。

今日、台湾で講演&演奏する内容をまとめた資料を作り、
一昨日のうちに、現地へ送った。
ところが日本でしか通用しないクラウドサービスもあるのだと
こんなところから、久しぶりに躓きながら、
「見えませーん。何も付いてませーん」
という会話を思い出す。
20年前は、ネット環境も今ほど普及おらず、いろいろ試行錯誤の
日々であったことを思い出す。
AIも当時はなかった。(もちろん研究はされていただろう)

メールで送信できるように、軽めに作成し直して、無事仲間の
手元で確認できるようになった昨日の夜。ギリギリセーフだ。
「大丈夫です。見えます。読めました。安心してくださいね」
と、有難い言葉を受け取り、これで大丈夫と思って
準備を続ける。

夜中に、今日通訳を担当してくださる方より
自分が作成したパワポに中国語が追加された資料が届く。
「せっかくの内容なので、より皆さんに伝わるように
書き込んでおきました。原文のまま投影しても、どちらでも
もちろん構いませんので ご確認ください」
との配慮に、心から感動した。
しかも、英語のスペルも確認してくれている。
やってくれたんだ。もちろんご自身の通訳のためにも必要な
準備であるが、とてもありがたい。

本当は、AIの力を使ってでも、ここまでしたいと思っていた
資料作成がどうしても間に合わなかったのであるが、
さすが 当時一緒に組んで仕事をしていた仲間は、大変優秀!
何も言わなくても、理解してその先を読んで仕事をする。
昔も今も変わらない。

早速お礼を言う。もちろん彼女が追記してくれた国際版の資料を
活用してプレゼンをしようと思う。

このように、海を越えて、日々コミュニケーションを重ねていた
20年前のことが、今回の資料のやりとりひとつで、瞬く間に
蘇った。

ああ、やっぱり仲間だな。
まずは、無事に会場にたどり着かなければ。

コミュニケーションクリエイターとして、現在私が伝えられることを
言葉と音と表情でしっかり伝えたいと思う。

30代の時に培ったコンサルとしての力はここで教わった。
異国でどう伝えるのか?いい訓練になった。
言葉も背景も違う人とどうつながるのか?

グラン・ルーの原点を見直し、そしてその後の成長を
確認するありがたい機会である。

自分に「加油!」と言いながら、出発の支度を続ける。

今日のスピーチ&コンサートのテーマはこちら。

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元旦に ふたたび。

年賀状の習慣は、日本だけだと、聞いたことがある。
台湾の人たちが、へえ、そんなサービスがあるんだ。とコンビニに
設置されている年賀状受付のカタログを見て、驚いていたことを
思い出す。
欧米では、クリスマスカードが1か月早く送られる。
でも、今はカードを送る人はどれだけいるか。
でも、もらったら嬉しい。捨てられないのは年賀状も同じ。

元旦に届く年賀状、とてもわくわくしたものだ。
もう来たかな。と朝から郵便受けを覗くのが、元旦朝の恒例行事。
今年は何枚届くかな。とそんなことを気にした子ども時代も懐かしい。

デジタルコミュニケーションが進み、年賀状を印刷しない企業、個人が
増えている。確かにコストも時間も手間も省ける。
郵便局は年賀状需要が減れば減るほど、影響を受け、ますます大変なの
ではないかと心配もするが・・・。切手代も高騰している昨今・・・。

一時、周囲の様子も見ながら、またさまざまな環境の変化から、まあ、
年賀状は・・と思ったときもあったが、やはり、やはりあった方がいい。

と今になって急に考えはじめる。
やっぱり出そう。
伝えたいことがある。
手で受取り、見て読んでほしい。そんな瞬間を届けたい。
と思い立った。

ということで、人騒がせなわたしは、今ごろ考えて、
デザイナーさんや、仲間の印刷屋さんに年末の急ぎオーダーをする。
どうせやるなら・・である。

やっぱりつくろう。やっぱり出そう。
できるうちに、できるときを。

ということで、またやることが増える。
年末に受け取り、そして元旦に書く。
それがわたし流のお正月。

流されず、やることやっておこう。
悔いのないように。


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異世代との接点、交わり。

1年をふりかえる。
ビジネスの世界でも、音活(音楽活動)でも、それ以外でも
おかげさまで多くの出会いをいただいた。

毎年ユニークな出会いもあって、わが人生は面白いなあと
しみじみ・・・。
昨年は、大阪で開催されたある企業の株主総会で出会った
30代の人と、その後も親しくさせていただき、お互いに
応援しながら楽しく友情をはぐくませていただいている。
今年は、酷暑のある日、金沢へ出張した際、繁華街から
駅に向かう途中、少し道に迷っていたらしき私の後ろ姿を見て、
声をかけてくださった学生さんとの出会いがあり、そのご縁が
今も続き、つながっている。近々再会できそうで、とても
楽しみだ。

そこに行かなければ、その時間にそこにいなければ
一生会うことはなかった。

出会いとは、本当に不思議である。

出なければ、じっと内にとどまっていては、出会うことは
できない。
お互いに引き合うものがなければ、関係は続かないから、
本当にふしぎ。
偶然は必然と思えてならない。

そんなことで、とてもうれしい出会いをいただき、
人生を楽しませていただいている。

「異なる」存在と多く出会うようにしましょう!と
「人生は観覧車のように生きる」ために、そんなことを
お伝えする機会があるが、異なる存在との出会い、ふれあいは
人生を豊かにするために不可欠だと思っている。

若い人とは、彼らが社会を世界をどう見ているかを知りたいし、
彼らの未来像を知りたいし、希望や不安も聴かせてもらいたいし、
その上で、自分ができることは何かを考えたい。
おそらく大したことはできない。でも、応援したり、何かあったとき
手を差し伸べることができる存在でありたいと思う。

さらに、年上の方との接点も大切にしたい。
今年は、地元での敬老イベントや、施設でのさまざまな企画にお声がけ
いただき、演奏やトークをしながら、交流させていただいた。
多くの笑いや拍手を、そして涙もいただいた・・・。
明日になったら忘れてもいいから、この瞬間を楽しんでいただけたらと
の思いで、関わらせていただくことで、生きることについての学びを
多くいただいた。
年長の方への感謝の気持ちと敬意を持ち続け、恩返しをすることは
私のミッションのひとつ。

この週末は台湾の仲間と久しぶりに再会。
そこで異なる背景をもち、生きている仲間とふれあうことで、
自分の世界観も更新されると思っている。
これも異なる存在との接点だ。

同質のなかで埋もれず、自分らしく生き続けるために
常に異なる存在との出会いを大切にし、自分を俯瞰する機会を
増やしたい。

オンリーワンを目指し続けるために。


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平和の音、そうでない音。

実家の近くには飛行機を製造する企業もあり、それを購入して、
使用する組織がある。
隣町は、まさにその存在、産業で成り立っているといっても
過言ではない。
その町に隣接するわがふるさとの空は、その飛行機の試操縦や、
練習に使われており、真上を飛んでいったり、旋回しているのが
日常の風景。
子どものころから、今も変わらず、時々
「バリバリバリ」という音とともに頭上を飛んでいくことに
違和感を感じず、「また飛んできた」という感じで、その場を我慢して
いた。もちろんその飛行機で物資を輸送されたり、人を救ったり
されてきているだろうから、やむをない騒音であり、社会のために
必要なことをされているのだから・・・との気持ちもあった。


またその騒音のため、近隣住民にはさまざまな配慮もあり、
そういった恩恵も受けながら、騒音ある環境と共生してきたし、
私の場合は、自分が弾くピアノの音は、この飛行機音に消される
ため、ピアノが騒音とならなかったのも、幸いなこと・・とも
思っていた。

しかし・・
最近も、実家の近くを歩いていると、「バリバリバリ・・・」と
物凄い音で、手が届きそうなほどの低空位置で飛行機が飛んできた。
本当に近いので、現実感が増す。
もし、堕ちてきたら死ぬなあ。こわっ。と震える。

なんとなく最近のさまざまな報道から、最近の空では自衛のための
飛行機だけが飛んでいるのではない・・ような気がしている。
もしかのための?であったら・・・。
この音がもっと日常的になり始める社会になったら・・・。

恐怖が迫ってくる。

戦争の映画でなく、今海外で起こっている戦地の様子を見ると
凄い音がしているではないか。
あのバリバリバリ・・自分が最近きいているあの音は平和の音ではないかも。

怖い。
思わず、低空を舞う飛行機を見あげて
「お願いしますよ。」
と言ってしまう。

音楽の音は平和の音。
バリバリバリ・・・は・・・。

恐怖を感じる生活は、絶対に避けなければ。

戦争があると、もうかる産業がある。
だから、人は戦争をする。
ばかげている。
そんなお金があったら・・・。

平和の音だけの世界にいきたい。

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ブーケをベートーベンにも・・。

おかげさまで、年内、国内でのコンサートはすべて終了。
と書くと、なんだか一人前な感じであるが、今週末、
台湾での初トーク&コンサートを予定しているため、
そういう意味では、まだ年内活動は続く・・・。

それはさておき、昨日の岐阜新聞でのロビーコンサート。
寒くなってきたにもかかわらず、大勢のお客様が
駆けつけてくださった。
今年出会った人、何回も聴いてくださっている人。
始めた頃は、母が元気で宣伝部長で、仲間を引き連れて
きてくれたが、今はお客様も入れ替わり、存じあげない
方もいるが、時には岐阜駅に向かう途中で、声をかけて
いただいたり、コンサート縁が広がっている。

演奏は前にも書いたとおり、ザビエルに捧げる曲も
含め、コンサートのテーマにもした
「歌のブーケをあなたに」をラストナンバーに
平和と愛を胸に、演奏で自分なりの1年をまとめた。

1曲ごとにあたたかい、心のこもった拍手をいただき
伝わっていることを実感した。

演奏が終わったら、「柿食べますか?」といかにも
岐阜らしい差し入れをいただいたり、地元の珍しい
食品やお菓子をいただいたり、本当にあたたかい
気持をいただき、うれしさが沁みた。
そして、帰り際に「ブーケ、いいですねえ。」
「ありがとうございます」と
ニコニコ顔で声をかけてくださったり。。。

さらに、
「最後に演奏された 『歌のブーケをあなたに』を
歌わせてもらってもいいですか?」
との相談もいただいた。
自分がつくった曲を一度聴いた方が、感動して
ぜひ!と思ってくださったとは・・・。
聴いて、歌詞を見て、ああ。と思ってくださり、
感じて下さり、ご自身のステージで歌いたいとは・・・。
クリエイター冥利に尽きる言葉である。

聴いてくださったひとり一人の心に
ブーケが咲いていたら、うれしい。

自分の活動が小さい観覧車ではあるけれど、
確かに回っていると実感できるとき、
ああ、生きてきてよかった、やってきてよかったと
思う。

音楽に感謝する朝。

そう、今日はわが初恋の人?ベートーベンの
255歳の誕生日。
この方のおかげで、今の自分が在る。

ベートーベンにも歌のブーケを贈りたい。
ドイツのボンの生誕の家を思い浮かべ、感謝をささげたい。
(下の写真は、ベートーベンの生家)

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ザビエルに感謝を届ける

平戸を訪ねたときの写真が出てきた。ザビエル教会の前に立つ像だ。
フランシスコザビエルは、鹿児島上陸後、この地にも立ち寄った。
その後、日本各地での布教を行い、アジアへの展開を目指したが、
1552年12月3日に、中国の広州湾の上川島で帰天した。
志半ばであっただろうと想像すると同時に、46年の人生だったと
聴くと、短い一生をフル回転で駆け抜けた、その偉業に改めて
頭が下がる。
そして今日、日本にクリスマスが根付いたきっかけは、まさしく
ザビエルの存在であると思うと、ものすごい影響力であると感心
する。もちろん、ザビエルがしたかったことは、今日のような
クリスマスの盛り上がりとは違っていたであろうが。
いずれにせよ、自分にとっては、記念日が同じということで、
それに気づいた日から、特別な存在になった。
そして、旅する先々で、ザビエルとの縁を感じることも多く、
勝手に人生を豊かにさせてもらっている。

クリスマスで賑わう12月。
今日は岐阜新聞での今年最後のロビーコンサートとなる。
街中にはクリスマスソングが多く流れるが、私はザビエルを
讃えてつくった曲「フランチェスコの夢」を演奏しようと
思う。
世界の平和、救済を願って布教したであろうザビエルの
思いを想像しながら、改めてその存在に感謝を込め、歌い
弾きたいと思う。

今日のコンサートは
総務局:ロビーコンサート | 岐阜新聞デジタルhttps://www.gifu-np.co.jp/ud/soumu/page/lobby_concert
過去の演奏の様子は、こちらのページのYouTubeでも
ごらんいただけます。
https://www.mahsa.jp/creation/

改めて、音楽を通じ、人々が平和に、幸せになれるよう。
そして、ザビエルのようにはなれないけれど、
周囲の人に少しでも、元気や勇気を与えることができたら・・・。

と書きながら、あかぎれが沁みる、ピアノ弾きには痛い季節・・・。



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心のふるさと、美しき聖地へ再び。

今、世間をお騒がせの話題とは別に、その前から気になって
いて、みんなどうしているか?と思い、連絡を取り始めた台湾の
仲間たち。
メールやZOOMで久しぶりに連絡をとるうちに、
6年ぶりに、台北を訪ねることになった。

30代半ばでの脱サラ、自営を始めた頃から通った懐かしの台湾。
ポルトガル語で「フォルモサ」と呼ぶそうであるが、「美しい島」と
意味だと聞いたことがある。街中のバイク風景からは想像できない
かもしれないが、山や海、空…自然豊かなパラダイス。

30代後半から8年ほど、毎月通って仕事をさせていただいた。
そのときの仲間たちと再会できるとのこと。そこで、
スピーチと演奏をするのだそうだ。

参加者名簿を見ると、懐かしい見覚えのある漢字が多く、
ああ、みんなの20~30代の頃の顔が浮かんでくる。
その後どうしていたのか?どんな成長をしているのだろう。

グラン・ルーは、台湾から回り始めたと言っても過言ではない。
あれから、30年近くも経ったとは。

今回、初めて呼んでいただき講演をしたときと同じ、
台湾の航空会社に予約をした。
ああ、これも懐かしい。羽田空港から唯一飛んでいた国際線・・・。

今回の訪台は、今後の自分の進み方を考えるきっかけになるかも
と思っている。

台湾に最後に足を運んだのは6年前であった。マカオの帰り。
そのあと、コロナが世界を襲い、海外に出なくなった。

ここから、新たな挑戦をはじめる。
自分にとっての、誕生日プレゼントにもなる。

優秀で人間味あふれる台湾の仲間たちに再び会えることは、
本当にうれしい。
言葉の壁は何とかなる。それを教えてくれた皆さんたち。
いつも、加油!加油!と励ましていたあの頃が懐かしい。

そして、台北には、私にとってもっとも大切な聖地がある。
今回も訪ねる予定。そしてこの数年の音楽活動の報告をし、
さらに前に進むと約束をしてきたい。
気が付けば、今年で亡くなって30年。早いものだ。
彼女の存在を惜しみながら、そんなに時間が経ってしまった
とは・・・。テレサテンに会いに行く。これが、台湾訪問時の
いつものミッションのひとつ。

才能を活かす、世界に目を向ける、優しい心と勇気をもって。
台湾、美しき島には、心うつくしい、やさしい人たちが
待っている。

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