先人に学ぶ夏に。

戦争の恐ろしさ。目を向けようとしなければ、かかわりを持って
生きることもできるかもしれないが、こんな世界の情勢では
いつ日本も巻き込まれる可能性があるかもしれず・・・。
分断が進めば進むほど、理解が誤解になり、摩擦が生じることも
あり得る。
だから、そうではない今のうちに戦争とは絶対にしてはいけない。
平和の大切さを常に意識し、伝え続けなければならない。

ある知人の御父上が第二次世界大戦に出征され、傷痍軍人として
戻られてからのお話や、ある方のおじい様はシベリア抑留を経験
されたという話。直接お聞きする話はとても強く胸にささる。
ご本人たちのご苦労を話や表情で、直接見聞され、ご本人たちに
接してこられたから。

わたしの場合は、身近にそういう方はおられなかったが、
子ども時代に岐阜駅の近くの通路や地下道で、傷痍軍人の人
たちが痛々しい姿でアコーディオンを弾きながら、通行人に
物乞いをされていたことを今も覚えている。
なぜ、あの人たちは今も戦争の恰好をしているんだとか、
手足が不自由なのだ・・とただただ、日常ではないその姿に
強い印象をもっていた。
ただ、当時、小学生の低学年ほどであった私には、詳細は
わからなかった。
家に帰れば、新聞社が発行している戦争の写真集があった。
そこに掲載されている、あまりに残酷な戦いの場面を写した
その写真と、そのアコーディオンを抱えていた軍人さんたち
のことが結びついていなかったのかもしれない。
なぜ、あの頃、もっと学校でも平和教育などしなかったのか。
と今になって思うが・・・。

今年は、いろんな資料から戦争の現実を知る機会が多い。
知ることができる絶好の機会だ。
先人たちの経験があり、今日がある。
戦争経験が、敗戦経験が、今の日本をつくりあげた。
しかし、80年も平和が続き、平和ボケにもなってきた。

ボケないように、平和への感謝を忘れないために、
先人たちの苦労を少しでも知り、自分の現在の平和な暮らし
に感謝をしたい。

戦争で別れ別れになった家族のこと。
戦争のせいで、一生ふるさとの土を踏めずに
終えていった人たちの思い・・・。

暑いこの夏。ぜひ先人たちのさまざまな経験を改めて
知り、感じ、考えたい。

今日も当たり前の、日常の朝を迎えられて、
本当にありがたい。

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人のせいにしない。

勝負事があるとする。
組織で戦うものだとする。
スポーツでもそうだ。
そのチームがライバルに負けた、負けが続いた場合
どうするか?

この戦いをしっかり反省し、原因分析をしっかりして、
それを踏まえて、どうしたら勝てるか?勝ちに行くか?
について考えを出し合い、次に勝つための対策を講じ
計画的に実践する。そのときに役割を見直す必要は
あるかもしれない。

しかし、まず結果が出たからといって、責任をとれと
組織の一部の人たちが、トップに対して抗議をする。
さも、それが正論のように声高に・・・。
負けたのは、トップの責任だけとは言えないことも
ある。
原因分析もろくにせず、トップに責任をとれと
偉そうに言う。

そのチームの組織力に不安を感じると同時に、
まず人のせいにする、という姿勢、物事の見方に
違和感を感じる。

なぜそうだったのか?自分はどうだったのか?

売り上げが悪い、それは会社の責任。
もらうものを十分にもらえないのは、会社のせい・・。
とすぐ、会社の責任にするような社員ばかりであったら
会社は絶対に成長しない。
会社は、組織は全員で支えていくものである。
という認識を、どんな仕事をする人たちも
改めてもつべき。と考える。

すぐ人のせいにすることには、知性を感じられない。
薄っぺらいものを感じる。
そんな組織は、社会から世界から、
信頼されるだろうか。

まずは、自分を見つめ直そう。

人のせいにしない仕事を、人生を。
恥ずかしくない生き方は、誇りある生き方
と思う。


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朗読に泣くわけは。

京都で行われた朗読劇の会。
作家本人の実家が営む酒店の一部屋を、会場に仕立てての開催。

地元での開催ということで、作家本人にとっても懐かしく、
ご縁のある方たちが集まり、下北沢で開催する雰囲気とは
ひと味違った、アットホームな空気のなかでその劇は始まった。
本番を待つ時間の緊張も柔らかい感じ。

映画好きな主人公と同級生との再会からはじまるその二人の
やりとりだけでストーリーは展開される。
そう、この朗読劇は二人のやりとりでのみ進んでいく。
直接会っての会話はなく、必ず「何か」を通じてのやりとりだ。
手紙、メール、ライン、フェイスブック、サイトへの書き込み
・・・長い歳月を経てやりとりをするその手段はどんどん変化
しながらも、改まったことを伝えるときは、やはり手紙になる。

手紙は、相手の住所がわかるときは直送されるが、住所がわから
ないときは、相手の行きつけの喫茶店であるとか、バイト先に
預けられたり・・・。可能な限り、あらゆる方法、手段が
使われ、やりとりが続く。

そしてそのやりとりは頻繁に、ある時は何年ぶりに・・・。
とにかくこの二人のやりとりは赤い糸のように生きる間、
ずっと続く。

そのやりとりの中に、数々の懐しい名画が音楽とともに、登場する。
主人公が語る、その映画の魅力が語られる。
あらすじ全部を書くことはここではできないが、
さまざまなコミュニケーション手段のなかで、
男女の心が交わり、ともに生き、そして・・・。
一見、どこにでもありそうな、恋愛物語が
名画の思い出とともに楽しめる、心地よい作品。

朗読は、たんなる音読ではなく、言葉の演技であるため、さすがに
役者の「読み」も素晴らしく、目を閉じて聞いていれば、演技そのものが
浮かび上がり、情景が浮かぶ熱演であった。
作家自身は、折々に入るBGM(各場面に出てくる名画の主題歌等)の
挿入操作に奮朗。
朗読劇では、聴覚に訴える作品であるため、セリフ以外にこのサウンドも
大変重要であるため、入れるタイミングはかなり緊張するはず。
80分ほどの作品が休憩なしに続けられ、そしてストーリーはおしまい。

あたたかい拍手が会場にあふれた。
見えない世界を演者と観客が一緒に創る「作品」が完成した瞬間だ。
朗読劇は、演劇以上に、観客の主体的な関わりが不可欠なのだ。
想像してもらってこそ、楽しんでいただける。

わたしは、静かな会場のなか、途中から涙があふれて、そのすすり声を
消すのに苦労した。
まさか泣くと思っていなかったため、ハンカチを手元にもっておらず、
焦った。

なぜ泣いたのだろう。涙がにじみ、湧き出たのだろう。

その作品の構成や出てくる素敵なセリフや、それぞれ泣ける要因は
あったのだが、作品に透けて見える、作家自身を思い、共感して
感動していたのか。
彼女はどんな思いで、これを企画した?書いたのだろう?
彼女は役者が発する言葉で何を伝えたいと思ったのだろう・・。
などなど、ずっと作品=作家となって、さまざまな思いがあふれた。

作品を通じての、作家としての表現。

どの人生もどんな名画以上に、名画にもなるということ。
どの人生も死に向かっていくという点では、人生は決して喜劇ではない
けれども、単なる悲劇ではなく、その途中で楽しさも歓びもあるのだ
ということ。
誰もが自分の人生という映画の主人公であること・・・などなど。

そんな思いを伝えたく、これを書き、役者に演じてもらったのだろうか。

まるで1本の映画を生で見たような、不思議な感覚に包まれた朗読劇。

作品の後ろに作家がいる。

作家という仕事は素晴らしい。また作品を言葉だけで観客を引き込む
役者の仕事も素晴らしい。

やはり人の力による 生で作られるコミュニケーションがいい。
そのことが琴線に伝わった。
それが涙の理由だったか・・・。

実は理由はわからないが、それでいい。
泣ける作品をこれからもつくってほしいし、演じてほしい。
そして、わたしも 音楽でそれをつくりたい。

作家の実家での朗読会。
見守る作家のご家族、とくにお母さまの笑顔を見たら、
母親を思い出して、また泣けてきた帰り道。

親孝行ができたね。よかった、よかった。


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共感すること、人とともに。

今日は京都で開催される朗読劇に出かける。
作家である友人の作品を、その仲間たちが演じる。
作家のご実家を劇場として開放されるという点で、
長く東京で活動してきた作家にとっての、凱旋的な
意味合いもある。

さぞかし、お母さまが大喜びだろう。
ちょっとユニークな劇場。世界でひとつの、しかも
超期間限定の劇場。
私自身、そのこと自体もとても興味がある。
岐阜の実家の活用についてのヒントにもなりそうだ。

作家である彼女のこの生き方がとても好きだ。
自分なりの課題、テーマを常に追いかけ、
彼女しか書けない、素敵な意味での女流作家らしい
人生の、社会の切り取り方、描き方が好きだ。
強さと優しさと、孤独と・・・さまざまな感触、心情を
ひとつの作品で味わうことができる。
彼女の作品に、私の音楽を使ってくれたこともあり、
そのコラボ、いやハーモニーが本当に心に沁みたし、
お互いを信じている力も感じた。

これは、彼女も私も生身の人として、クリエイターとして
自らが生み出したものだからの感動、共感だろう。

一方、最近クリエイティブの世界で、人工知能の活用も
加速しており、仕事を奪われる危険にさらされている人も
多いと聞く。
尊敬する著名な声優さんは、今、声優仲間たちの仕事を
AIから守るため、活動を興しておられる。
そのことに対し、私は心からエールをおくる。
その人が出した大切な声が、勝手に知らないところで使われたり、
それにより、自分たちの出番も減っていく。
声優という仕事の価値が、存在意義が危ぶまれている。

演劇では、人間自身がその場で演ずるものであるので、
そこでのAIとの摩擦は少なさそうであるが、
作品自体をAIに作らせたり、BGMなどでは使われていく
だろう。

人が考え、人が生み出し、人が表現するものこそが、
創造物である。作品である。
とても原初的な考えかもしれないが、私の根本的な思いは
ここにある。

だから、誰でもできることを喜ぶのではなく、
自分にしかできないことにこだわる人に、歓びを感じたい。

そのことに共感する人と一緒に仕事をしたいし、
一緒に進みたい。
AIファーストには、決してならない。

人任せでなく、AI任せでなく、自分自身でどこまで
切り開くことができるのか。

今日は、共感する仲間たちの超限定のパフォーマンスを
楽しみにしている。
次回公演「恋愛シネマ」 | B.LET’S

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距離感、付き合い方。

さまざまな情報を蓄積しているネットの世界。
検索すれば、問い合わせすれば、たちまちのうちに、ある程度の
回答が得られる。
一度入力されれば、自分のものにしてしまう、人工知能。
この自動学習の力は本当に恐ろしい。
何かの原稿がほしければ、AIに伝わるように丁寧に聞けば、
必ず答えが出てくる。
もちろん、すでに入っている情報がもとになるので、
ゼロからの創造は難しいはずであるが、まあ、それなりの
答えをもっていることには、驚かせる。

だんだん、人は自分で考えたり、モノを書いたりしなくなる。
チェックをしたりするだけでは、自分のものにならない。
人が自分で考えて行動することから、離れていくことが心配だ。

AIは、とても便利で、使いようによってありがたいツールになる。
でも、その距離感や付き合い方を、自分で決めていかないと、
気が付けば、考えない人になってしまう。
ある種の退化である。

日々その利便性に感心しながら、付き合い方を考える。
主役は人間、わたし。すべてはそこから始まる。
学ぶこと、考えること。このことが、何より重要であることを
忘れてはいけない。
AIもいいけど、やっぱり人の生の力をより尊重したい。
便利ファースト、時短ファーストよりも、
丁寧に心通わす、コミュニケーションを大切にと、
ずっと思っていたい。

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「今のわたし」にできることを。

「今」は、刻一刻と変化する。
それは永遠ではなく、瞬間の連続。
生きている限り、常に「今」を生きている。
でも、それはたちまち過去になっていく。
すでに、7月23日に起きたことはすべて過去。
日めくりカレンダーは、今はあまり使われないかも
しれないが、まさに「今(今日)」を意識させてくれる
大切な道具かもしれない。

ずっと、自分にできることをやっていこう。
という気持ちで生きてきている。
しかし、最近は、「今の自分にできることを」
もしくは、「今、自分にできることを」と枕詞を
付けるようになってきている。
それは、環境がめまぐるしく変化してきているから。
またそのなかで、自分自身も年を重ね、社会での立ち位置の
変化を意識するようになったから。
いつまでも、過去の自分ではない。ということ。

それなりの経験はしてきている。
今もその歩みは止めていない。
これからも元気に生き続ける限り、
新たな経験を増やし、知見をもち、より良く心豊かに生きたい。

その思いと行動は何も変わっていないが、
気が付けば、人生には多くの後輩がいて、
そして元気な先輩たちが少なくなってきている。
という、
若いときには考えもしなかった、
新たな事態に直面している。

いつの間にか、背中を見られる世代になり、
後輩たちを応援し、見守るステージに来ている。
もちろん自らも走り続けるが、
それは自分のためでなく、誰かのために。
という思いが最近増してきている。
そうでないと、今を、これからを生きる
意味がない。

だから、
「今の自分にできること」をより、しっかり
つとめたい。

後輩や先輩のお役に立てることを。
どんなことでも、今のわたしにできることを
率先してやる。
どんなメッセージを最後に残すことが
できるだろう。
その最後がいつかわからないから、
「今、できること」を全力で。




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コミュニケーションと選挙。

今回の選挙を横目で見ながら、改めて時代の変化と「コミュニケーション」
について考えていた。
政治は言葉の仕事である。伝える仕事だ。伝わらなければ、何の交渉も
改革もできない。
選挙はその手前のキャンペーン。選んでもらうための、期間限定の活動。

結局、ターゲットにより伝わった人が選ばれることになった。
いつもマーケティングコミュニケーションや広報に関する勉強会で、
「AIDMA」の法則はもちろん、SNSが主流になってきた頃から「AISAS」
の必要性を説明してきた。いずれもすでに多くの方たちが学び、活用
してきている考え方であるが、今回の選挙でもまさしく、やはりと
思う結果となった。
まずは、「見た目」である。第一印象。インパクトのある元気のある、
見ている人も思わず、引き込まれるような力。ワンフレーズで
わかりやすい言葉で発信する。ATTENTION
そして、なんだなんだ。なんだか良さそう、もっと聴きたい。INTERESTING
そして、そうそう、それがしたいんだ。期待できるんじゃない。DISIRE
いいね。そうだね。演説聞きに行こう。と拡散。SHARE
そして投票へ・・・。ACTION
まさにこの流れどおりに人々が動き、票を集めた。そして躍進した党たち。

まさに戦略どおりに、戦術(ツール)を駆使して、結果を出した。
発信されている内容自体については、ともかく、コミュニケーションの
うまい人が、党が今回の戦いに勝ったといえるだろう。
もう、派閥だの、見えない組織だの、裏表だの・・・特権的なやり方は
支持されなくなったのだ。
これはこれでよし。

「ポピュリズム」。
SNSの力が、大衆の力となった。

ここから、さらに混迷の時代が進むと思われる。
次は、大衆と「個」について注視していく必要がある。
そして、一見わかりやすい言葉が誤解を生み、傷つく人、差別される人
が増えないように。

わかりやすさ・・だけでは、本当はうまくいかない。
しっかり伝える努力も同時に必要であるから。

選挙はまさにキャンぺーン。
これが終わったら、次はしっかり落ち着いて丁寧に伝えていく
活動が求められると思う。
ここからが、本当の政治の仕事。
選挙は入口を決めたに過ぎない。

と、今回のことを静かに見守る。
それにしても、マスメディアの役割も考えさせられる
キャンペーンであった。

目の前に起きていることを、しっかり見続け、真実を
見極める力。
流されず、自分の意志をもって、責任をもって生きる。

今、ひとり一人に課されている課題はこれではないか。






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聴くかき氷?

京都風に言えば、祇園祭が終われば夏本番らしい。
梅雨明けの記憶もないが、この厳しい暑さから、
そう呼んでよいだろう。
命がけで移動する。と言うと大げさかもしれないが
徒歩で移動する場合は、昼間を避けて、早朝、夕方に。
あと2か月の辛抱と毎日カレンダーとにらめっこ。

先日、お茶をたしなむ友人が教えてくれたが、
この季節の茶会は冷茶でのおもてなしもあるそう。
冷房のない茶室でもあったので、とても良かったと
聞き、その様子が浮かび、こちらも笑顔になる。

また、風鈴の音が聞こえてくると、「いいねえ」と思う。
といっても、高層ビルからはその音は聞こえないし、
歩いていて軒先から聞こえるというのもなく、
今は、もっぱら売り場で聞くぐらいであるのは、
ちょっと寂しいが、
音で涼感を楽しむことは、とても風流で、日本的と
思う。

私の場合は、時間が取れたらピアノを弾くこと、
移動時には、聴くことでしばしの避暑を楽しむ。
かき氷にも、さまざまなメニューがあるように、
避暑音楽もいろんな楽しみ方がある。

たとえば、ベートーベンはこの季節はちょっと暑い感じ。
もちろん深遠さのなかに、暑さを忘れて聞き入ることは
あるし、テンペストのような曲であれば、水を感じる。
でも、これは嵐であったり、激流が想像されるので
涼感とは少し異なる。

そんななか、この季節にちょうどなじむのがショパン
の数々。
鍵盤の上をコロコロ転げていくような、軽快かつ美しい
短音が、時にハーブティーのように、シャワーのように
感じられる。小曲ならば、うちわで風を仰ぐような感じも
楽しめる。

今日はノクターン?ワルツ?マズルカ?プレリュード?
エチュード?ソナタ?いろんなジャンルがあるが、
そのなかから、弾けそうなものを弾き、新たに聴く曲は
気に入れば、覚えていく。
かき氷のシロップを選ぶように、曲を選ぶのも楽しい、。


そんなわけで、快適な夏時間にはショパンがおすすめだ。
ふと、ジョルジュサンクと出かけた避暑地での
時間を想像しながら・・も良いかもしれない。

工夫次第で、夏の楽しみ方も増える。
と、ピアノのある場所まで行きつくまでが暑さとの
戦いではあるが、そのうちに夏も過ぎ去るだろう。




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人の「間」を改めて。

いい年をして、年寄りがいつまでも、俺が自分が、と言って
いるのが見苦しい。と思うようになった。
もう何年もすれば、この世を去るであろう高齢者が
我欲のために、権力をふりかざし、若い人と戦うのも
違和感を感じる。
と、同時に自分も、この先気を付けないと・・と
思うようにもなってきた。

若い人には、道を示し、より良い道を進めるように
導く、背中を押す、応援をする。

若い人たちの不安を解消するサポートをする。
偏ったことを言っていれば、俯瞰して世の中を見る
ように伝える。

先に生まれた人間には、次の人に託すことがあるはず。
いろんな経験をしてきたからこそ、伝えるべきことが
あるはず。

人間とは、同じ時代に生きる人の「間」をつなぐことだけでなく、
次の世代に生きる人への「間」をつなぐ存在でもあるはず。

そう思えば、自分が主役ではなく、次の世代にスポットが
当たるように考えようとするだろう。

次の世代に何を伝えることができるか。
自分中心ではない、みんなが協力しながらより良くなる
そんな生き方を伝えられたら・・・。

選挙の結果も見ながら、未来に生きる人たちにとって
生きやすい社会をどう実現するのか・・・・について
伝えたり、協力することをしていかねばと
改めて思った。

すべての人が、人の間にある、人の間を生きる。







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記念日は永遠に。

毎日が記念日。
そう、1年365日、誰かの誕生日であったり、会社の創業日であったり、
必ず、誰かの記念日である。
記念日カレンダーなるものもネット検索をするとすぐにみつかるが、
まあ、いろいろある。無理やり業界が作っている記念日もあるが、
それはそれで、やはり記念日という節目は、伝えやすいし、
盛り上げやすい。

先日書かせていただいたブログ。
そこに出てきたある企業の創業者。ブログに書いた日が
なんと、その方の誕生日だったと、公開後に読まれた
お孫さんから感動のメッセージをいただき、びっくり。
「素敵な誕生日プレゼントをありがとうございました!」
こちらは、その方の誕生日を知らずに書いていた。
創業、起業のこころを。 | 毎日更新!マーサのブログ

このご家族は、おじい様が亡くなってもずっと誕生日を
祝い、感謝を続けておられるのだろう。
そのこと自体に、心がじんとあつくなる。

記念日は人だけでなく、企業や商品にもある。
ある商品の発売日。それが何年経っても記念日であり続ける
こともある。
商品を次から次へと出し続ける企業にとっても、初めての
商品を世に出した記念日として後世に伝えられる。
そう、記念日とは忘れてはいけない大切な「記し、念じる」
節目の日である。

昨日はある商品の発売記念日であり、ひとりでその商品
にまつわる、企業や人との出会いを思い出していた。
ああ、この商品があったからこそ、出会えた人がいる。
と、その記念日から発想できることはいろいろある。

記念日を大切にしたい。
今日も誰かの誕生日。

お互いを思いやる1日、感謝の1日になるといい。

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