ジャーナリスティックに生きるということ

同じ文章を書く、言葉を話すにしても、
仕事だから書く、言葉を話すという人がいる。

仕事といっても、いろんな見方がある。
お金になるから書く、話すという人がいる。
伝えることが仕事だから、書く、話すという人がいる。

たとえば報道という仕事、発信という仕事は、
お金になるから・・・だけでは本当にいい仕事にならない。

その点は芸術と同じかもしれない。

書くことで、描くことで世の中に伝えるべきことを伝える。
伝わるために行動する。

結果、それで生活していけなければ、仕事として
長つづきすることは、難しいが、

まずは、書かずにいられない、というのが本当の
ジャーナリストの仕事で
表現せずにいられない。、というのが芸術家の仕事だ
と思う。

無償であっても、新たな挑戦をするジャーナリスト
たちの行動に共感し、敬意を表したい。

安定の上に、いいジャーナルはない。

と、最近注目しているジャーナリストの新たな活動に
期待したい。
書かずにいられない、行動せずにいられない。
そんな行動を見習いたい。

メディアが混迷を極める今日だからこそ、
真のジャーナリストたちの出番だ。
こういう生き方、こういう仕事観が
いい。

新聞社やテレビ局ではたらいているから
ジャーナリスト・・とは限らない。
どこにいるかではなく、
何をしようとし、何をしているか、
そしてどこへ向かっているか・・・
が大切だ。

これからも、ジャーナリストという生き方
仕事ざまを注視していきたい。

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人生、まさに心の旅。

今、旅がブームである。
しかも長いブームだ。大人も若き人たちも、、、。

何をするのが旅だろう。
普段住む場所を離れ、日常と違う景色を見てその美しさに感動し、
そこで美味しいものを食べて、泊まって、
そこで普段合わないような人との出会いもあって、
そこで記念のお土産を買って・・・・・。
一言で言えば、非日常の時間を過ごすことが旅だろうか。

私は最近、ビジネス以外で、どこかの町に行く場合、それは
カラダが動くことで、心が動く。そのことが旅の意味、醍醐味ではないかと
思うようになった。

心が動くこと・・そして、自分を見つめ直したり、人生の来し方を、行く末に
思いをはせること・・・が旅。
だから、家でもしようと思えばできるのかもしれないが、
日常のなかではなかなか、そんな心のゆとりがもてないから、
普段と違う場所に自らを置き、自らをみつめる。
それができるのが旅。

だから、私は基本、旅はひとりでするものではないかと
思っている。
もちろん、二人でする旅も楽しいが、
ひとりの旅とはちょっと目的が違うのだと思う。

最近 まさに「心の時代」というEテレ番組で、不思議な元僧侶の
半生を知った。
若いときに、放浪しながら、瞑想の道に導かれ、
宗教を学び、その後得度しつつも、国内の寺の修行で満足できず
ミャンマーへ行き、さらにはカナダへ、英国へ・・。
瞑想を極めた立派な僧侶・・。
が、ある日、俗還の道を選ぶ。
そして今は、メンタルフルネスやスピリチュアルケアなど、
瞑想で得たことを終末医療に生かし、仏教系の大学他で
教鞭をとっている。

その元僧侶の人生こそ、心の旅の人生だと思った。

いろんなところへ動き回ることで、自分の道が見えてくる。

そういう旅は意味がある。
放浪は究極の旅。
ちょっと、最近憧れる。

とにかく、人生は旅。どうせなら、豊かな旅をしたい。
美味しいものを食べること以上に
心に響く、心が震える、自分の道につながる、
そんな旅を続けたい。

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酒と花は、どこか似ていて・・・。

「酒と泪と男と女」という名曲がある。河島英五にぴったりであった・・。

酒というのは、いろんな人生の場面に不可欠な存在だ。
人を励ましたり、哀しみを癒したり・・・。

この酒に似ているのが、花の存在。
最近、人に何を贈るかを考えるとき、そんなことを思うようになった。

お花を贈る。いろんなときに、有効だ。
哀しみのとき、お見舞いのとき、あるいは季節のご挨拶のお菓子代わりに・・。
ライブのときにいただく、花束はとてもうれしい。
場を華やかにしてくれ、花がパワーを与えてくれるから。

そして、
とくに、哀しみのときのお花は心に優しく、言葉以上に気持ちを伝えることができる。

そして、お酒を贈ることについて。
これまでは季節のご挨拶や、お土産に・・・など、元気なときの 元気な人への
ギフトとしての見方が強かったが、最近は、
花のように、哀しみのときの贈りものにも良いのではと思うようになった。

たとえば、静かにお酒を酌み交わし、亡き人の思い出を語ったりする時間も
癒しになる・・。

花も酒も、すぐになくなる存在であるが故に、
いろんな場面に似合う。

私は悲しい時にも、お酒をいただくだろう。
もしかしたら、悲しいときほど、飲みたくなるかもしれない。

ふと、
美空ひばりの「悲しい酒」が浮かんできた・・。

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「ボトルキープ」というギフト

最近、ボトルキープというのも、ちょっと懐かしく、また新鮮だ。
若いときに、新宿歌舞伎町のお店では、もしかしたらウィスキーか
焼酎の1本や2本キープしたことがあったのかもしれないが、
高級バーなどではなく、カラオケスナックの類。
ああ、今から思えば懐かしくてたまらない。
もし、その店が今も営業しているならば、必ず定期的に寄っているだろう。
そう、ボトルキープとは単に、好きなお酒を格安に飲む
システムではなく、
馴染みの店である。という顧客の刻印のようなものだと思う、
だからキープしてあるボトルがたくさんある店は、
リピーターが多い。だから繁盛店ともいえる。

さて、81歳になる父親。おそらく毎日の晩酌は、麦焼酎。
いろんな焼酎を試したようであるが、結局はもう何十年も飲み続けている
あのIではじまる銘柄がお好みのようだ。
久しぶりに、父の愛好する居酒屋に同行する。
本当にそこが好きで、彼にとってのサードプレイスではなく
セカンドプレイスかもしれない。
そこでもいつも、そのIの焼酎をオーダーする。
お湯割り、梅干し割。

「あ、ちょっと待って。今日は、キープしよ。
冬を元気に過ごしてくれたから、それとちょっと遅めのバレンタイン
ということで。」

お店の人が「いいんですかあ」といいながら、720ミリボトルを
奥からもってくる。
「はい、お好きなように召し上がれ」
お湯を先に入れるのか、焼酎を先に入れるのかでちょっと
口論になりかけながら、
父は嬉しそうにマイボトルとなった焼酎を開け。先に注いだ
お湯の上になみなみをその麦を注ぐ。

なんとなく、この光景を見たら、父が20歳ぐらい若返った気がした。
自分で好きなお酒を割って、飲めるなんて、
元気な証拠。

店の人に「ボトルに名前書いて」
と言われ、私が白いマーカーペンを受け取る。
「苗字でいいぞ」と父は恥ずかしそうに言い、
私はフルネームで書き、下の名前をひらがなで書く。
すると、店の人が
「ああ、こういう名前なんだ。おとうさんの名前漢字だとわからんし」
とそこからまたたわいもない会話が始まる。

たまには、ボトルキープ。

そう、1本の焼酎をプレゼントしたことは何度もあるが、
キープするというプレゼントは、父にはもっとうれしいかもしれない。

モノではなく、コトのプレゼント。
ボトルキープのプレゼント・・・。うん、なかなか良い感じ。
長寿の命水となれば・・幸い。

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この日になると思い出す、あの歌アゲイン

ひなまつりが終わった。
といっても、室内にちょっと小さな小物を飾っただけ、
年始に買って飾った梅も葉っぱだけ育って、花をつけないまま・・・
と、とくに特段のまつり気分もなかったが、先日、たまたま、城下町でひな人形を
ずらり見物できたから、十分。

毎年3月3日になると思い出すのが、
「あかりをつけましょ、ぼんぼりに・・・」のあのお歌。
幼稚園のときに初めて歌った。なぜか幼稚園のステージで
合唱した記憶がある。
その歌を、私は学生時代、替え歌にして歌っていたようだ。
「あかりをつけましょ、しょんぼりに・・」

たったこの1フレーズで当時親しくしていた人に
大変喜ばれた。

われながら、いい替え歌だと思ったが、そのことよりも、
そのことを喜んでくれた知人の喜びようが、
今も忘れられず。

だから、ひなまつりというと、
「あかりをつけましょ、しょんぼりに・・・」
と卒豪後、30年経っても、ひとり口ずさんでいる。

歌や言葉で人が笑ったり、元気になるのが
あの頃から好きだった・・。

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とびきりB級モーニング。

朝のスタート。
人それぞれ、エンジンのかけ方は異なる。

私は2時起きから5時起きまで日々変化に富む毎日であるが、
朝の過ごし方には、一応のルールがある。

まず、目覚ましはなし。体内時計で自然に目覚める。
予定の時間より早く目覚め、何度かうとうとしながら、決めた時間に起き上がる。
睡眠の負債には気を付けないといけないので、最近はその分、早く休むように
している。

さて、目覚めたあとは、一口アイス、一口冷凍バナナで血糖値を
上げる。そのあと、ゆったりと
香りよい、好みのBlendのコーヒーにミルクを注いでいただく。
出張以外はこの流れが定番の、自分流Breakfast。
そして、Blogを更新。

5時からはワールドニュースか、クラシックのチャンネル。
前も書いたが、朝の音楽はとてもよく、クラシックは本当に目覚めに聴く。
その良さに気づき、最近はニュースより音楽を選択する日が多い。

そして、最近気づいたのは、音楽のジャンルによる心地よさの違い。
イタリア歌曲やオペラといった情念の表現は朝には不向きだ。
できれば、ドイツ系のBeethoven やBrams、Bachなどの
管弦楽やピアノ曲が最高に良いのだ。
無言で大きな世界が開かれるという感じが、1日の幕開けにふさわしい。

そう、朝はドイツの3Bがおすすめ。
そして、ジャンル的にはBaroqueがお似合いだ。
静かに開放される感覚を得ながら、思考回路が開いてくる感じだ。

ふと、ある知り合いのタクシードライバーが朝昼夜と、BGMを変えると聞き、
朝はクラシックですよ。と言われたことを思い出す。

ふと、このように書き連ねてみると、私の快適な朝にはたくさんの
Bが存在する。

朝こそ、朝からとびきりのB級で、A級の1日を始めるが気に入っている。

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永遠のわが学び舎。

京都の会社を退職して、今年で20年になる。
その間、当時の社長から役員、そのほか上司のみなさん、得意先のみなさん。取引先のみなさん、
そして後輩・部下のみなさん・・・にいたるまで、ずっとおつきあいをいただいている。
気が付けば、わが人生でこの会社員時代にいただいたご縁が、今日の自分の基盤になっているような
気がする。
等身大の自分、その当時から今につながる自分のことを優しく、あたたかく見守ってくださっている方
たちの多くは、この会社員時代に出会った方たちである。
だから、もう30年以上のおつきあいの方もいて・・・。先輩方が高齢になり、いろいろ心配でもある。

このたび、先輩後輩たちと久しぶりに再会、ゆっくり交流する時間を得た。
その当時の戦友だったともいえるし、盟友だったかもしれないし・・・
今、思えばファミリーのようなものだ。

「全然変わってないな~。」
「成長したね~。えらくなったね~。」
「大変やね~。」

ある意味、同窓会でもあるし、成長の確認の場でもあるし・・。
とにかく、今も昔も変わらず、愛らしい後輩たち。
いいおっさんになっていても、私の中では変わらない。

そして、その時代にした仕事をいろいろ思い出す。
ああ、あのときの苦労のおかげで・・・と思うことばかり。

お金をいただきながら、勉強をさせてもらっていたような
そんなありがたい会社員時代。
私にとっては、小学校・中学校・高校・大学の次に通った
学校のような存在でもある。
そこでは、実社会の厳しさ、競争、社会人生活というものを
学び、いろんな経験をした・・・。

「・・・・人生はミルフィーユだと思うよ。」
そんな会話にも、後輩が食いついてくれた。

みんな、会うごとに経験を積んで、いい大人になっていく。
その過程に触れることができ、自分ももっといい先輩として
恥ずかしくない人生を生きないと~と
背筋が伸びるひとときでもある。

わが京都時代は、やっぱり第二のふるさとと思うだけあって
濃厚すぎて、思い出も数限りなく、そして
歳を重ねるほどに、有り難い。
これはひとえに、つとめた会社という、学び舎のおかげだ。

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小さな春、みつけた。


もう3月になってしまった。
1年という時間がこんなにも速く過ぎていくものかと、年々驚きも増す。

3月になると季節も移ろい、れっきとした「春」である。
春一番も吹いたとか?
そして、春の訪れをいち早く教えてくれるのが梅や、チューリップたちの開花。
そして、
やっぱり、「おひなさま」は、私にとっては春のうれしい報せである。

最近はとくに、おひなさまの展示が町おこしにも一役かっているのか
各地で、おひなさま祭りが開催されている。
旧家や美術館で、なかには屋外におひなさまを飾るという町もあり
それぞれに趣がある。

さて、近くにないものか・・。
昨年は勝浦でおひなさんを見た。神社に向かう階段に飾ったおひなさんは
壮観であったが、今年は・・・。
すると、信長のおじさんが建立したとされる犬山城の城下町でそれを発見。
旧家でみつけたこのおひなさんたち。
明治時代以降、代々受け継がれたお人形たちがずらり勢ぞろい。
時代ごとに飾り付けや人形の表情も違い、大変見ごたえがある。

実は、
子供のころ、家でおひなさんを飾ってもらった記憶がほとんどない。
だから、今改めて、憧れもあり、また日本らしい風習であると
文化的側面からも感動する。
とても美しいし、人形たちの表情がさまざまで見ごたえもあり、なごむ。
「片づけるのが大変で・・・」
城下町のボランティアガイドさんが言っていたひとこと。
そう、昔、母が言っていた言い訳もそれであった。

少子化で人形業界も大変であろうが、人形に込める子供の
成長への願い・・・大切にしていくべき風習であると
思う。

そんなこんなで、私の心に春が、来た~!

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街頭募金への協力

各地の駅周辺で、募金活動をよくみかける。
いろんな団体、いろんな活動、いろんな募金。
大人から、子供たちから、外国人から・・。
すべての活動に財布を開くことは難しい。
本当に真面目に取り組まれているものであるかどうかを
つい考えてしまう・・という自分自身も、疑い深いのかもしれないが
知らないことに、すぐその場でお金を払うということには臆病になる。
また、ユニセフと言われても、定期的に寄付をしましょうという話になり、
その巧みな説明にもちょっとたじろいでしまう・・・。
が、このネット社会の世の中になっても、街頭募金はなくならない。
やっぱり効果があるのだろう。

今回、名古屋駅の前で、アフリカ人らしき人たちが募金の呼びかけを
しているその前を通った。
自分の国に学校を作りたいという内容であったようだ。
つたない日本語で一生懸命話していた。
しかし、そのときは、そのまま通り過ぎた。
そして、用事を済ませて、30分後にまた通ったら、一生懸命に
呼びかけ続けており、その声と言葉には、信ぴょう性と真剣さを
素直に感じることができ、さらに、
今、自分は今晩食べたいものを買ってきた・・・なんか贅沢な
ことをしているような、申し訳ないような気持ちになり、
通り過ぎてから、戻ってワンコインではあるが、箱に入れた。
すると、その呼びかけをしていた若者たちがいい笑顔をして
「ありがとうございます!!!」
と返してくれた。
きっとこのお金は、いいことに使われるだろう。
そう思った。

いつもいつも何でも寄付をすることはしないが、
できるところ、したいと思うときは、できる範囲で
していこう。

お隣アメリカは寄付の国だとよくいわれるが、
わが日本はどうなんだろう。

一生懸命取り組んでいる人のことは、応援しなければ。
なかなか街角での判断は難しいのだけれど・・。

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先生は銃をもつのも仕事??

アメリカでは、学校での銃乱射事件が続いており、
罪のない、幼い子供たちが無差別に射殺されている。
本当にありえない。無残であり、無念であり・・・。
言葉にならない、あってはならない事件が、映画ではなく
現実の社会で置き続けている。

アメリカでは、法律で銃の所持が認められているから
こんなことが起きる。
凶悪な犯人に
対抗するために、銃をもたねばならない。だから
必要なのだという考え。

目には目を。銃には銃を。

ということであるが、本当にそれで良いのか?

そもそも、銃をもっていることから、こういった
悪質な事件が起きるのだ。
だから、特別な職業に就く人以外は、所持を
しないことにすべき。

その国のトップはそういう対策をとるべき・・・
であるのに、
なんと、では、学校の先生が銃を隠し持つようにせよ。
と宣っているようで、またもや、驚きが倍増する。

へ?学校の先生が、銃の訓練を受けて、
銃を教室のどこかに隠し持って 悪しき奴が
侵入し、銃を乱発したら、その犯人を先生が撃つ?
そうすることで生徒を守る???

ああ、恐ろしい。
銃のある教室。これこそ、映画のようだ。

それを安心な教室と思えるのか?

アメリカという国がどんどん壊れていく。

犯罪は起きうるものだとして、その備えをする。
犯罪をなくすために、どうするか。の方が重要だと思えてならないが・・・。
性善説、性悪説。どちらからモノを考えるか・・・
今は後者が多い時代のように見受けられる。

学校の先生が銃を持つ世の中は、とてもじゃないが、
平和な世の中とは思えない。

どこにも利権が巡っている。だから、説明にならない説明が
大きな声の権力で、まかり通っている。

これは、アメリカに限らない・・。

とにかく、先生が銃をもたなくて良い世界を・・・。
いつかこんな間違ったルールが、絶対に日本に輸入されないことを
心から祈る。

今回の事件に巻き込まれた子供たちに心から
哀悼の念を捧げます。

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