移動の自由の重さ。

元気なら動ける、どこへでも行ける。
移動の自由は、人々の世界を広げ、可能性を広げた。
行きたいところへ行き、生きる。
これは、人間として最上の自由。
もっとこれをしたい、あれがやりたい、しあわせになりたい。
夢をもって人々は移動した。
それは現代だけではない。
たとえばシルクロードの時代から、大航海の時代から、
人は移動を続けている。
貿易は、モノだけでなく人の往来を豊かにした。

一方、移動の自由は、移動先で暮らす人々との対立、葛藤を
もたらした。
平和に暮らす人々にある日、よそ者が侵入してきて、その生活を
秩序を壊す、対立が生まれる・・・。

今、社会問題になっている難民、移民の問題。
これは移動の加速、増大によって、もたらされた深刻な問題。

国境に壁をつくることがベストかどうかわからないが、
移動の自由をたとえばこのような手段で封じる、取り締まる。
移民の力で発展してきた国が、このようなことをするように
なったかと思うと、大変複雑で残念であるが、
今、世界のいたるところで、その傾向がみられる。

インバウンドは歓迎であるが、移民難民は排除する。
これでいいのか。と思ってしまう。

一方、親が生前お世話になっていた福祉施設では、以前と変わって
アジアから来たスタッフが活躍されていると聞く。
都会ではなく、いわゆる地方の町でも、高齢化社会を支えて
くれているのが外国人。
「日本人と同じように、がんばってくれていますよ。」
いわゆる移民の皆さんがいてくれて、日本も助かっている。
福祉の現場だけではない。
建設の現場でも、外国人が多く活躍されている。

今、国境の壁で外国人の流入を阻むアメリカ。もともと移民に
よって成り立ち、彼らの努力で繁栄したニューヨークに代表される
都市は、原住民の力だけでは絶対に誕生しなかった。
アメリカンドリームは移民の力によるものだと思う。

都合のいいときに受け入れ、都合の悪い時は切り捨てる。
これで、本当に世界は成り立っていくのだろうか。
たまたま今、自分は生まれた国で生活することができ、
いろんな面で恵まれているけれど、
世の中には、そうではない人も多く存在する。

生まれ育った環境では生きづらいと感じる人、
また母国では経済的な限界がある人は、
苦労を覚悟で、勇気をもって海を越える。

もちろん不法はよくない。
しっかり法を順守し、認められるカタチで行動するのが
ルール。
とは思うが、自由に出入国するのがますます困難に
なってきている今日。
苦しい人に寄り添い、助け合う、協力しあう。
そんな世界に戻れないだろうか。
あまりに、世界中は自分主義に陥っていないかと
心配になる。

以前、ある日曜日、香港市内の大きな広場で、多くの
フィリピンの女性たちが、同郷の仲間たちと楽しそう
に話したり、お茶を飲んでいる光景を思い出した。
今も変わらず、フィリピンから若い女性たちは、お手伝い
さんとして香港に移ってきているだろうか?
香港は受け入れしてもらいやすい町のままだろうか。
締めだされてしまっているだろうか・・・。
自由の町、香港だった頃のあの光景は今も鮮明だ。

移動の自由は、情報まみれの現代社会こその
重い課題になっている。

大きなスーツケースを運びながら、新幹線に乗り込んで
くる大勢の外国人、仕事を求めてやってくる外国人。
いろんな外国人を見ながら、
いつまで、日本を求めてやってくるのだろう。とも
思う。

行きたい国、住みたい国は同じではないが、
いずれも魅力がなければ、行く価値がない国には
どこからも人はやって来ない。
日本は今度、外国人から見てどんな国になって
いくのだろう。
そこも心配だ。

今、自分は行きたいところに元気に行ける。
その自由を享受できている。ありがたい。

このことに、まず感謝したい。
行きたくても行けない人、
行きたくても行けない状況、

世界にはそういう人、状況も多くあることを忘れず、
今日も感謝して小さな移動を楽しみたい。

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好きなことができる人生のレシピ。

仕事と趣味は別。という生き方。
好きなことが仕事。という生き方。
一方、
好きか嫌いかは別で、仕事はやらねばならないもの。
仕事だから・・という見方。

今も忘れないが、施設での父を看取っていただいた夜勤
担当の看護士さんに、夜中の対応に感謝の言葉をお伝え
したときの反応。優しい笑顔で、
「いえいえ、仕事ですから」
と言われたことに感動。強いプロ意識を感じた。
仕事とは、人のため、世の中のためになることをすること。
それをちゃんとされている人の言葉だと染み入った。
4年経った今も忘れることがない。

人を助ける仕事とはまさに、楽しいことよりも
厳しい辛いことが多い。
でも、きっと好きだから続けられるのだと思う。
人を助ける、感謝されることがやりがいになり、その仕事を
続けられる、好きになる。
そして、その仕事が天職となる。

私にはその看護士さんや、人の命を救うドクターのような
大変なことはできないが、
私には私にできること、やらねばならないことがある。

それは誰かにやらされているのではなく。
自分で選んでやらせていただいている。
リクエストをいただくことは、注文をいただくことは
相談をいただくことは、頼りにしていただいている
信頼していただいている証しだとも思っている。

そして音楽活動も、自分でやりたいからやっている。
人が喜ぶ顔を見ることが、達成感、やりがいにつながる。

好きなことを取り入れながら、やりたいことを
織り交ぜながら毎日を生きる。
日々の小さく雑多な苦難は、ところどころに
楽しいことが混ざっていることでこなしていける。
子どもが苦手な人参を食べるため、料理を工夫する母親の
ような気持で、自分時間のレシピを工夫するのだ。

すべてがというわけにはいかないけれど、
好きなことができる人生を 意識してつくって
いきたい。
嫌いなことだけをやる必要はない。
苦手なことで苦しむ必要もない。
一度きりの人生だ。いかに楽しむか。自分次第。

諦めず、やりたいことをみつけ、やり続けよう。
小さなことから。
そうすると、今日1日も楽しく、しあわせに生きられる。


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つながり続けるために。

日々、生きているといろんなことが起きる。
とくに人と人の関わりにおいては、コミュニケーションの
ちょっとしたズレ、考え方の差などで、ときにぎくしゃく
してしまうこともある。
コミュニケーションがうまくいっているときは、
個々の関係性もよく、組織全体に血液がいきわたり、
いい循環がもたらされる。
一方、局所的にコミュニケーションがうまくいかないと
全体の動きにも影響が及んでしまうこともあり、
そうなると、回復までに時間もかかるし、それまでが
苦しいこともある。楽しくないし、やる気も失せる。
人生限られた時間を生きているので、苦しまないで
楽しく生きていきたいと思う。

できる限り、コミュニケーションにズレがおきない
ように、伝え方には心配りをしたい。
ちょっとしたことでズレるのであれば、ちょっと
意識すれば改善できる。
相手にどう伝わるか。
その一言が、表情が、どう見えるか、伝わるか?
発信している自分、受信している自分は、
意識しなければ自分では見えないけれど、
まずは、そこから変えてみたい。

自分の中に鏡をもって、今、どう見えているか?
と、自分の見え方を意識してみてはどうか?

ともすると、
相手の言葉、相手の表情で一喜一憂して
しまうけれども、
そこだけにとらわれず、相手の立場に立ってみると、
そういうことだったのかなあ。と
気づかなかった相手の気持ちに気づけることも
あるかもしれない。

そして、ちょっとぎくしゃくしたときも、
その関係を早く普段の状態に戻せるように、
話し合ってみたらいい。
しばし蓋をされた心を開ける。蓋は外せる。
まずは、自分から声をかけてみる。
それが一番。

人間同士、繋がり続けるには、良い距離感を
保つには、心からの信頼関係が必要。
その関係づくりには、心を開いた
コミュニケーション、対話こそが不可欠だ。

自分と同じ人間はいない。
そこを改めて認識し直したい。
だからこそ、伝えるときには、
相手の立場を考えて、
そして、ときに一歩下がってみて、
伝え方もタイミングも工夫する。

それができるためにも、
心にゆとりをもちたい。

せっかく出会った縁を大切に、
繋がり続けることの努力を
欠かさず、諦めず。

コミュニケーションで悩まない人はいないはず。
悩むのが当たり前。
でも、伝わる歓びを知れば、その苦労もなんのその。
そんな風に思って、今日も一日、無駄なく生きたい。

やっぱり人生は、観覧車のように。でありたい。





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ミラクルな早朝のクラムチャウダー

美味しい冷凍食品が普及したのは、コロナのおかげだったかも
しれない。家庭で美味しいものを。冷凍技術は格段に向上して、
知人の総菜メーカーでも冷凍寿司を開発、へ?そんなものまで?
という品々が手軽に家庭で食することができるようになった。

わが家の小さな冷凍庫は、以前に増してパンパンな日々が続く。
とくに、大好物のクラムチャウダーが手に入るようになって
からは、まさにそれがわが家の常備品となっている。

もともと、日本生まれのハンバーガーショップで食していた
このスープ。
最初にこの味を知ったときから、すっかり虜になった。
ほんとうに美味しくて、どこのスープよりも比較できないほどに
味わい深い。サンフランシスコでいただいたあの美味しい
クラムチャウダーにも負けないほどに、満足感が高く、
そしてなんとも優しい味。私の周囲にもファンは多い。

それが家でいつでも、レンチンでいただけてしまうこと
になったのだ。
さすがに夜中から早朝にかけて、その店は営業していないから、
家にストックがあれば24時間いただける。
カロリーも高くないから、夜食にもいける。

そして、私はこれを「今日は!」と気合を入れたい早朝に
いただくことにしている。
自分ではちょっとした贅沢でもあり、気合の入る朝カツ
メニューなのだ。

こんなにおいしいスープを作ってくれている人たちに
感謝しながら、冷凍のまま、無事に運んでくれる人に
感謝しながら。そして家庭でも食べられるように企画
してくれた人にも感謝しながら・・・。

「ああ、今日もおいしい!さあ、いくぞ!」
とこんな気持ちになれる、私にとっての珠玉の逸品。

ということで、今朝もしっかりいただいた。
笑顔になりながら、パワーもアップする。

ミラクルなスープでもある。
これで今日1日元気に、走り切るとしよう!

それにしても、美味しい・・・。
最後の一杯はこれかな・・。

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心を結ぶ、「ダイアログコンサート」

「心と健康」をテーマに展開したコンサート二日目。
初日より天気も良く、コンサート時間にはお客様も足を運んで
くださり、ほどよい賑わい感に包まれながら、開演となった。
今回の出演は二日連続であるため、プログラムは見直す。
何回やっても毎回見直し、「今日が最高!」といえる内容にしたい
との思いで演奏する。
今回、演奏しながら考えたことは、コンサートとは人を元気にする
一期一会のコミュニケーションの時間であるということ。
そして、会場に来られた時とお帰りになる時には、お客様に何等かの
変化がもたらされていること。
そういった時間にしなければ。
そのためには、お客様の表情を見ながら、演奏をしたり、話をする。
コンサートの中では、MC、トークは大変重要だ。
ある著名なアーチストは、自身のコンサートでほとんど歌を歌わず
ずっとしゃべっていた。という例を聴いたことがあるが、
コンサートというものは演奏だけでなく、トークも実に大切な
構成要素である。
そして、最近は「対話」を意識するようにしている。
一対多の場ではあるけれど、できる限り、個々に向き合い、その
人と対話をしているかのように、その人のために歌い、弾く、
話す。
名付けて「ダイアログ コンサート」
音楽を通じて対話する。心が通じ合う。
今回のコンサートを通じて、
やはり音楽とは、人と人をつなぐ価値あるコミュニケーションの
ツールであると再認識した。
今回は、お待ちかねのお客様もおられたため、開演時間を早め、
終了予定まで行った。皆さん最後までしっかり聴いていただき、
喜んで帰っていただけた。
「応援しますね。」初めてお会いした方にいただくこの一言も
うれしい。

ダイアログ。いろんな方法がある。
音楽というツールを活かしながら、自分しかできない
幸せのためのコミュニケーションをさらに希求していきたい。

健康に生きるために、心も体も、そしてコミュニケーションも。
昨日までの学びをさらに、高めていこう。

機会をいただいたうららびよりの皆様に、そして対話に
参加いただいた皆様に心からの感謝を込めて。

今回のコンサート会場はこちら。
健康長寿のための新たな取り組みがはじまる。
https://www.urarabiyori-dayservice.com/

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じんわり、しみいる時間

新しくできるデイサービスの内覧会でのコンサート1日目。
少し雨まじりの曇天であったが、早い時間からお待ちいただくお客様も
おられ、またスタッフたちの応援にもささえられ、 無事に演奏を終える
ことができた。
演奏用に作られた会場ではないが、ゆとりある空間で、木のぬくもりも
感じられ音楽にも適していると直感。
できたての新しい施設での演奏は気持ちよい。いい感じで音が響くのが
自分でもわかる。大きいホールも良いけれど、ほどよい近い距離は
お互いの顔もよく見えて、交流もはかりやすい。
お客様の表情の変化はとても大切だ。
それにあわせて、進行を考えながら時間を進めていく。

今回は「心の健康」がテーマ。音楽がもたらす健康面での効果を自分
なりに伝えながら、五感に触れ、記憶脳を動かして、45分を楽しんで
いただく。
会場にじんわり温かい空気が生まれたことを感じた。
一曲ごとに、頷きながら目を閉じて聞き入ってくださるお客様の表情
が記憶に残る。
音楽は心の健康に良い。
そして自らの人生を寿ぐ一コマとしても、おすすめしたい。
今日は二日目。どんな出会いがあるだろう。
会場は日本初の女優として活躍した川上貞奴さんゆかりの場所に
ほど近く、そんな点からもロマンも感じながら、楽しみつつ
向かうとしよう。
https://www.mahsa.jp/%e3%83%87%e3%82%a4%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%93%e3%82%b9%e5%86%85%e8%a6%a7%e4%bc%9a%e3%81%a7%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%88/

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あえて見ない、知らない。

生きていれば、目を開ければ、耳をふさがない以上、
見たくない、知りたくない、聴きたくないことにも、触れてしまう。
その結果、辛くなったり、信じられなくなったり、自信がなくなったり
することもあるかもしれない。

世の中には、いろんな見方、考え方があるから、また、多種多様な
人たちが生きているのだから、そりゃ自分とは違う、まったく共感
できないということもある。ない方がおかしい。

遭遇するすべてを許容する必要はない。
自分を信じ、自分が良いと思うものだけを求め続ければよい。
自分の価値と違うものには、目を向けず、耳を傾けず、知らなくても
良い。
自分が選べばよい。

何でも見てみよう。聞いてみよう。
若い日々はそこから始まる。
でも、一定の時間を生きて、自分なりに多くの経験を重ねてきた今、
残された人生のために、価値のあると思えること、人との出会いや
学びに集中していってもよいだろう。

いちいち、世の中はおかしい。
と言い続けても相手は変わらない。
別の世界、違う人生だ。と、切り離してみる。

ときに
あえて見ない、きかない、知らないことを良しとする。
その判断、行動が正しいと思う今日。

1日24時間しかない。動ける時間はもっと限られる。
自分のしたいこと、自分にとって真善美そして快であること
に時間と思いと行動をささげたい。

溢れる情報の多くはゴミである。そのゴミ箱から宝物を探す時間は
もったいない。

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おじさんのおいもちゃん。

実家の庭を親に代わって面倒みてくれている叔父。
ほんとうにありがたい。今や残された人生の使命、ライフワーク
として、日々こまめに通い、草取りから剪定から・・。落ち葉
拾いから・・・。私にとっては本当にありがたい専任のシニア人財
である。叔父が元気でいてくれる間は、甘えさせていただいている
が、あと10年というわけにはいかない。
でも、庭いじりが叔父の健康増進にも役立てば・・・と勝手に思い
ながら、お任せしている。
庭の一角に、さつまいもを仕込んだと聞いたのが夏前。
何か収穫できるものを作りかったようだ。
「できるかどうかわからないけど・・・」
と言いながら、仕込んでから叔父は庭にくるたびに、芋の成長を
楽しみに水やりをしたり、土の様子を観察していた。
仕事中に携帯にメッセージが入る。

「モグラが出没、イモがやられてしまうかも」
叔父にとっては重大事件である。
猛暑の夏、モグラ避け対策も始まる。
イモが命である。せっかく育ててきたのに・・・・。
「もうだめかなあ。食べられたかなあ」
少し涼しくなって、叔父は土を掘り起こした。
そして何本かのさつまいもを無事収穫。
「良かったら、持ってかえって」
と見せられた芋を少しいただき、持ち帰った。

実家の地名は「芋島」という、英語ではポテトアイランド。(笑)
若い頃は、この住所が恥ずかしかったけれど、今は堂々と言える。
昔は、うら若きガールにとっては「芋」はマイナスのイメージが
あったのだろう。と、まあ、芋というだけでいろんな思い出が
ある。
そう、芋島でとれたお芋さん。
叔父さんが汗水たらして作ってくれた芋。父やその先代たちが
がんばって残した土地に育った芋。
そう思うと、もったいなくて口に入れることができず、
しばらく冷蔵庫に・・・。でも、そろそろ・・・ということで
撮影しておいた。収穫の記念に。
気が付けば、さつまいもも紫だ。きれいな色だと思う。
もぐらも食したのかどうか知らないけれど、
つち・みず・ひと。そこから作物が育ち、ひとも育つ。
ありがたいものだと改めて。
叔父が元気なうちは、このまま専属庭師として、お願いしたい
と勝手に思っている。本当にありがたい存在だ。

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言葉より先にあるもの。

最近、いろんな演奏家から思索のヒントを得ることが多い。
たとえば、
若手ピアニスト アレクサンダー ガジェブなる存在。
まだ30代前半。であるのに、その倍ほど生きてきたかの
ようなメッセージ性、哲学をもっている発信者である。
もちろんその演奏も引き込まれてしまう不思議な力がある。
彼の演奏や言葉を聴きながら、普段考えていることが、
再確認でき、とてもうれしく感じた。

言葉より先に存在したものが音楽。
話す以前に、人は歌うことで感情を伝えることができた。
コミュニケーションの原点なのかもしれない。
音楽は心のよりどころにもなることができ、元気ももらえる。
そして音楽を楽しめば、世界はもっとよくなる。
音楽は平和のツールにもなる。

また、世界で活躍するピアニスト伊藤恵さんの言葉も
とても印象に残っている。
彼女はベートーヴェンの演奏で知られているが、
ベートーベンの音楽の中に神様がいると感じると
話されていたことに、思わず頷いた。

私自身は特定の宗教、信仰を持たないが、音楽には昔から
神聖を感じている。また、音楽の宗教性は理解できる。
音から生まれる目に見えない絶対なる存在・・・。
音楽により、人の心が(自分)浄化されていったり
高揚して、はるかなるものに向かっていくのを感じる。
ベートーベンやショパンなどからは、それを強く感じる。

弾いていても、聴いていても、それを感じることができる。
確かにベートーベンの楽曲ではそれを強く感じることが
できる。と感じている。
ベートーベンが「楽聖」と称されたのは、そういう点に
あるのかもしれない。

神様がいるのかどうか知らないけれど・・・と伊藤さんも
前置きをされながら ベートーベンの音楽について
語られていたのがとても印象に残り、強く共感する。

言葉を越え、伝わるものがある。
それは音楽。

もちろんそれ以外の芸術でも、共通しているかもしれないが。

まずは、
言葉を越えて、音楽がある。
人と人をつなぐことができる。

音楽がもつ潜在の力をもっと深堀し、伝えていくことが
自分の使命のひとつかもしれない。

祈るように弾く。歌う。
そうすることで、心が落ち着き、豊かになっていくのでは・・・。

音楽を通じて、何を伝えたいのか、
これからも熟考し、表現したい。

と、若き演奏家に触発されることに幸せを感じる。

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紫の人。

先日、訪問先に向かう最寄りの駅のホームで、ある方に声をかけられた。
このあと伺う会社の社員さんだ。同じ電車に乗っていたようだ。
「紫の服を着ている人だ。もしかしてマーサさんかなと思いました」
と言われ、もしかしたら車中から気が付かれていたのか・・・と
思わず、わがふりを見直した。

しばらく通っているリハビリセンターで、何度も会っている療法士の方に
「紫色が好きなんですか?」と聞かれる。
おそらく何回も会っている間に、あの人、服も携帯ケースも・・・と
その印象が強くなっていったのだろう。

「はい、テーマカラー、コンセプトカラーです」
というと、
「へえ。そんな風に決めているんですね。いつからですか・・」
など、紫色とのなれそめ?についてあれこれ聞かれる。

確かに子ども時代、若いころは紫色は好きではなかったというか、
自分の世界にその色彩は存在していなかったかもしれない。
人は成長とともに、色彩感覚を養うのではないか。幼児のときは原色
を認識する。それから人はさまざま知覚経験や思考を重ねて、色を
認識するのだろう。ここは、もう少しちゃんと調べる余地があるが
とにかく、私が紫を意識し始めたのは、30歳を過ぎてからではないか。
独立を決めるあたりからか・・・。
いずれにせよ、もう30年ほどのおつきあい。

もう何度も、いろんな方から「紫といえば・・・」と言われるように
なっている。ブランディングのなかで、色彩は大切なポイントである。
紫色のイメージ、意味はいろいろあれど、自分が気に入る部分を
取り出せばよい。
常にこうでありたい。というイメージを表現していればよい。
赤と青の中間として考えれば、融合であり平和であり、それも良し。
高貴であるとすれば、そんな一面も持ち合わせていたい。
色は重要な 印象を決めるコミュニケーションファクター。
好きである以上に、自分はこれ。といえる色を持ち生きるのは
楽しい。
もう旅立ってしまったけれど、カラーコラボMUというブランドで
活躍されていた飯塚むつこさんは、地元の英雄上杉謙信のイメージ
カラーを「褐赤紫色」と定め、さまざまなグッズ展開も実現されて
おられたことも懐かしく、思い出す。謙信公も紫イメージか・・。

この人は何色?
と、観察するのも楽しいかもしれない。


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