ゼロから生み出す仕事。

クリエイティブな仕事には、いろいろある。
アウトプットの形は違っても、ゼロから形を生み出す仕事。
かなりの想像力、発想力、豊かな感性、表現力、そして
その人ならではの個性があって、作品が生み出される。

経済活動が伴う場合でも、やはり生み出されるものは
商品でもなく、「作品」である。

作ればいい。形になればいい。ではなく、
もちろんクライアントがいる仕事では、その要望を満たさねば
ならないが、形にあらわす理由、なぜそれにしたか。
が伝わってくる必要がある。
まさに作り手としての思い、である。

言われたことだけをする仕事は、作業。
創造はまさに仕事であるが、相手があっての創造はいろんな
目を持たなければならず、そこは単なるアートではない。

とにかくゼロから生み出す仕事は、日ごろからどれだけの
情報量と研ぎ澄まされた感性をもっているか、が決め手になる。
ある日、ふとひらめくにも、見えないプロセスがある。

今も同時進行でさまざまなクリエイターとかかわっているが、
切磋琢磨しながら、つくりあげる仕事を生みの苦しみとともに
楽しんでいる。
いろんな意味で、夢にまで見る仕事。

なんでもゼロから生み出す人がいて、人類は発展し、成長する。

もちろんゼロかイチかではなく。
生み出される世界の可能性は無限大である。

創造できる人間って、素晴らしい。
自分もクリエイターという名前を冠していたことを
改めて思い出し、背筋を伸ばす。

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受容力、判断力をしっかりと。

ファクトチェックが必要となる世界も悲しいが、それをも必要と
しなくなる世界は嘆かわしい。

もともと、発信される公的な情報はプロが責任をもって取材をし
プロとしてのチェックを受けて、発信、配信されていた。
そこに書いてあるから、大丈夫。という時代が懐かしい。
もともと知識層のためのメディアであった新聞はとくにそうで、
新聞記者といえば、揺るぎのない正確な情報を提供してくれる
プロフェッショナル。メディアを通じて、社会に正しい、役に立つ
情報を。すべては公共のために。尊敬すべき職業であると思って
きた。
一部の権力者のためではない。公共のために存在する。

しかし、このところ、SNSの普及もあり、政治世界でこのツールを
乱用され、情報は操作されているのが前提と、疑いの目を
持たざるを得ない世の中になっている。
選挙もSNSの力で決まってしまう。
このことに疑問をもたない人々も増えているとすれば、
本当に危機的な状態であると考える。

毎日ネット検索をするたびに、さまざまな情報がごっちゃに
なっており、考えてみていかねば、誘導されていくことに
気づく。
面白そう、とっつきやすそう、ワンフレーズでわかりやすい・・・。
こんな情報が飛び交い、人々はそこに乗っかる。
それは本当か?
AIは便利であるけれども、真偽に関係ない膨大な情報から答えを
導くため、これ自体もファクトかどうかは??である。

こんなに真偽混在の世の中で、何を頼りに生きていくのか。

これまでジャーナリズムの勉強を続けてきてよかったと
思うのは、その答えは受け手側(自分)にあるということを
再認識できたこと。

どんなに派手で、反復されるそれらしき情報であっても、
まずは疑ってみている。
そして、その元をたどる。その情報は何を根拠に?
そういった意識をもち、受けとめ、その処理を適切にすること。
これが、情報まみれの社会では重要だ。

正しく受けとめ、そして判断し、行動すること。

受け手が主役でなければならない。
いいね、いいね。数で安心するのではなく、
少数派であっても、真理を求める情報こそが
自分の役にも立つはずだ。

アメリカ社会ではファクトチェックが効かない流れに
なりそうだ。
国がどんなもの必要ないと。
そして、伝統ある信頼のメディアも活動停止されるかも
しれない?

間違った情報、操作されている情報を見極められる人で
ありたい。そのためには、やはりどうあるべきか?
を考え続けることだと思う。

伝えることは責任がある。
コミュニケーションは、本当にむつかしい永遠の
テーマである。
コミュニケーションクリエイターなんて言っているのが
恥ずかしいぐらい、自分の非力を思う日々である。

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笑顔で再会のアニバーサリーデザート

神田にあった焼きとん屋さん。東京暮らしの週末も、出張で通いとなってからも
行けるときに足を運んできたが、コロナの影響を受け、その後復活したが、
まもなく都市開発の影響で立ち退き、閉店となった。
東京で指折り数える大変少ないお気に入り店であったので、とても残念。
あの閉店のときの惜しむ気持ちは今も覚えている。

社長はもちろん、そこで働く店長さん兄弟や若きスタッフたちが大好きで
あり、別の場所でぜひ営業再開してほしいと願い待っていた。
昨年、別の場所でようやく新たに営業再開をしたと聞きながら、なかなか
行けずにいたが、やっとやっと足を運べた9月17日。

久しぶりのスタッフの笑顔がうれしくて、懐かしくて、お店とは不思議な
ものだと実感。
お客さんと店の関係。そう、店は関係性があって続く。なければ続かない。
この店は、おいしい料理を提供しながら、笑顔の接客を実践。
マニュアルにないぬくもりあるサービスを感じる店。
タブレットでの注文になった今も、結局は「生二つ」とオーダーするのが
許されるのが、よい。

久しぶりの料理をおいしくいただき、しばし東京時代を懐かしく思い出し、
でも今日は新幹線乗るので、そろそろ帰るわ・・・と言ったら、
店長が厨房から写真のプレートを運んできてくれた。

「マーサさん、ぼく こういうの作ったことないんですけど。
おめでとうございます!」
特製のアイスプレートだ。
この店はカフェでもケーキ屋さんでもない。もつ焼き屋さんだ。
いつも、備長炭で串を焼いてる店長がつくってくれた限定スイーツだ。

うれしくて、うれしくて。
人生は観覧車のように。グラン・ルーは27年間、いろんな方に
支えられ、応援していただいてきたのだ・・・と改めて。

「これ、食べるのもったいないね」
「でも、とけますよ。早く食べないと」
笑顔のアイスに
「ごめんね。いただきます!」とアイスにスプーンを入れる。


暑い夜に、ひんやり。でも、じんわりとあたたかいおもてなしが
口の中に広がり、溶ける。感激の儀式のようだった。

笑顔のアイス。今も、店長やスタッフの笑顔と重なる。
心からの感謝を込めて。

27周年アニバーサリー。
多くの方に心寄せていただき、あたたかいメッセージや
お気遣いをいただいた。
幸せの観覧車が新たに回り始めている。
余韻を大切に、感謝を忘れずに進んでいこう。

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パンの肖像画との出会い。

まるで写真。でも、絵画である。
インパクトもあり、立体感もあり、触りたくなり、食べたくなる。
すごい!パンのまさに肖像画なる作品を描く画家さんがおられるのだ。

展覧会の告知を一目見た時から、作品はもちろんであるが、
独学で絵画をはじめられたというこの作家さんに興味がわいた。
そして、展覧会にも足を運ぶ。

パンの写真は無数にある。
でも、これは絵なのである。
瞬間の美をとらえる写真とは違い、緻密に繊細に時間を重ねて
仕上げられた絵画なのである。
写真は瞬間、絵画はプロセスを感じる。

写真は被写体そのものをとらえるので、見た瞬間に想像力が働くか
といえばそうではなく、むしろ後になってその写真がきっかけとなって
記憶が呼びおこされ感動する・・・そんなアートであると思う。
一方、絵画は作家がゼロから描き出す世界であるため、無数に
想像が広がり、いろんな感情が沸き上がる。
写真は現実を拠点にし、絵画は空想から始まるといってもよいかも
しれない。

今回拝見した、パンの絵は、まさに肖像画。まるで、パンにいのち
が宿っているかのように、その豊かな表情を感じ、味わうことが
できる。

大好きなコロンビアの画家、ボテロのふくよかな作品に刺激を受け、
パンの絵を描こうとされたという動機自体もとても興味深い。

とにかく見ているだけで、幸せになる作品。
腐らない、かびないパン。
だから、一生 焼き立てなのである。なんと!

もしも、いつの日か、食事ができない日が来たとしても
この1枚があったら、元気が湧いてきて、パンが食べられるように
復活しよう!と思えるような気がしている。
もしかしたら、実際にパンを食べなくても、見ているだけで
十分、満ち足りるとも思う。

久しぶりに独創的でありながら、わかりやすく、見る人に幸せを与えて
くれる素晴らしい作品たちに出会え、新たな発見と心地よい刺激をいた
だいた。

なんだか、パンの歌でも書きたくなってきた・・・🎵
(そういえば、その昔、そんな曲も昔あったかも・・・。)

この作品展は、9月22日まで横浜の高島屋で開催中。

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幸せの観覧車を目指して・・・。

グラン・ルー誕生は1998年9月17日。
そんなに気負ってのスタートではなく、1週間前に脱サラ
をして、小休止して走り始めた日である。

とにかく、あゆみを止めず、ずっと走り続けてきた。
気が付いたら、一人で走り始めていたというのが正直
なところ。
くいなき(917)毎日を、人生ということで9月17日。
後付けのような感じもするが、一応そんな意味もある。

今日で創業27年を迎える。
あっという間である。あっという間すぎる。
でも、時計を27年前に戻してみると、あれからずいぶんと
いろんな経験をさせていただいた。
東京、台湾、新潟、京都、そして地元・・・。
海外へどんどん出かけた40代までの頃から、グローカル、
そしてジローカル(今浮かんだ、「自分のふるさと」の造語)へ。
大きく、小さくぐるぐる回り、さまざまな出会いをいただいた。
目を閉じれば、思い出があふれ出る。

人生は観覧車のように。
時代は変われども、創業時とコンセプトは変わらず。
コミュニケーションの力で平和と愛を。
この思いは、近年、さらに強くなったと思う。
そして、give and take を越えて、またWin &Win も
越えて、惜しみなく与えるゆとりをもてたらと思う。
どこまでgiveできるか?

まったく足元にも及ばない、マザーテレサの存在。
一生及ばないままであるけれど、それでも憧れをもち続け、

私は私の観覧車を回していきたい。
小さな存在であっても、大海の一滴であっても、
意味のある存在でいられるように。

27年前に出会ったパリの観覧車に、
27年間、出会ったすべての皆様に、
そして、今も最強の応援者でいてくれている両親に
感謝と愛を込めて

「人生は、幸せの観覧車」を目指して、ここから回り始めよう。




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高いところから失礼します。

改めてこの写真を見ると、スゴイなあ。と思う。
日の丸、祝長寿 の旗の前に、グランドピアノ。
なかなか お目にかかれない舞台である。
こんなおめでたい場所で、演奏させていただけるなんて、
なんという幸せ者かと思う。

このステージには、会場(小学校の体育館)の後方から歌いながら
入場し、歩きながら前方に進み、階段で上がって壇上へ。階段は数段。
ずっとお客様に見られている。

しばらくこの高いところから、演奏を続けていた。
途中で、クイズメドレーを行い、客席で答えを聴くために
ステージの下に降りて、お客様のところにマイクを持っていった。
このフラットな状態で、皆様のお顔を見ながら、話していると
とても落ち着いた。こちらも安心感があったし、お客様の表情も
柔らかくなった。距離が縮まるのは、とてもいい。一体感が生まれる。

一方、ステージは、大勢の方に見ていただくには適している。
演奏するにも、ステージは気持ちよい。全力で演奏しても
大げさにはならない。やりすぎるぐらいでちょうどいい。
全力でリズムをとり、弾き、歌うせいで、鍵盤に汗が落ちる。
それぐらいステージでは、パワーを使う。
気が付けば1時間。休憩なしでお客様もよく付き合ってくださって
終わるころには、客席に笑顔がいっぱい増えていた。

「高いところから失礼します」の敬老の日コンサート。
昭和20年生まれの人生の先輩方へ、感謝と敬意をお伝えし、
そして、どうぞこれからも元気にお過ごしください。
と私なりのメッセージを贈らせていただいた。

80歳ってとても若い。今回のお客様を見てそう思った。
まだまだ元気!いろいろ楽しんでいただきたい。
それぞれの人生に寄り添えたかどうかわからないけれど、
一曲でも、一言でも記憶に残していただけていたら、うれしい。
楽しかったな、まだまだ元気にがんばろうかな、と。

祝 長寿。この昭和スタイルの敬老会、いつまで続くか
わからないが、形はともかく、演奏でお祝いできるならば
どこでも、いつでもまいります!
たとえ、自分自身が80歳になっても?!



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その存在に向き合う「ひと」時。

今日は、敬老の日。長く生きてこられた人生の先輩への感謝と敬意を
現し、その存在を大切に思う日。と、そう理解している。

といいつつ、正直若い時は、そんなことも考えたこともなかったし、
親に対しても「敬老の日」に花を送ったり、プレゼントをあげると
いうのも、親が年老いていくことを認めているようで、避けていた。

親は老人ではない・・と思っていた40代までの自分。
そう、親は死なない、老いない。と勝手に思っていたのだ。
いつまでも元気に口喧嘩をする。うるさい存在・・・と思っていた。

しかし、さすがに70代後半になってきたら、会うたびに老いを感じることも
あり、複雑な気持ちにもなり・・・。
敬老の日とは、どこかヨソのおじいさん、おばあさんのことだと
思っていたのに、いつの間にか、両親も行政からシニア向けのサービス
を受けていた・・・。

本日は地元での敬老会でコンサートをさせていただく。
昨年も演奏させていただいたが、ステージが終わった後、
今年の担当幹事の方に声をかけられた。
「来年、私が担当ですので、ぜひお願いします!」
1年前からのオファー。有難い限り。
そして、本日。
80歳限定の敬老会。それ以外の方も歓迎したいところであるが、
地域ごとのルールがあるようで・・・。

暑さ、健康上の都合もあって、集まれる人は限られている。
そんななか、わざわざおいでいただける方に、自分ができること。
まずは、
「今日暑かったけれど、出かけて良かったなあ」
と思っていただけるようなパフォーマンスをすること。
せっかく出かけてきたのに、がっかりさせてはならない。

そして、音楽とトークを通じて、それぞれの人生を少しふりかえり
そして生きてきた道をよかったと思い、これからも元気にがんばろう。
と思っていただけたら・・・。

集まってこられるお客様ひとり一人の人生に寄り添えたら
いいけれど、どこまでできるか?
いろんな共通点から喜んでいただける曲を用意し、
備える。
今朝になっても、曲目を追加したりしている。

音楽は人生の鏡ともいえる。
それぞれの生きた時代をそこに映し出して、懐かしんだり
楽しんだり、心躍らせていただけたら・・・。

50名であろうが、100名であろうが、ひとり一人に寄り添いたい。
そんな気持ちで、衣装選びをして、そして出発。
代理のない仕事、ちょっと緊張感をもって全身全霊でつとめたい。

敬老の日。
人生の先輩のみなさんの存在に感謝を伝えたい。

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「敬老」に寄せる思い。

コンサートはひとつの作品として考える。
映画を観るような、物語を読むような・・・
そんな時間であると良いと思っている。
限られた時間、条件のなかでの表現になるため、
そんな大それたことはできないけれど、
その時その時のお客様にどんな風に楽しんで
いただきたいか・・を考える。

だからテーマが重要。
たとえば、「人生は観覧車のように」であったり、
ときには「心のふるさと愛」や「愛と平和」・・・
などなど。
振り返ってみると、自分が大切にしたいことを
表現していることが多い。
だからこそ、自分らしい作品になる。

さて、明日開催されるコンサートは敬老の日のお祝いの
場での演奏となる。呼んでいただき、ありがたいことだ。
80歳の方々にどんなストーリーを描いていただくか。
何を伝えたいか。
そのストーリーに沿って、何を語り、演奏するかに
なる。

80歳のお祝い。まさしく戦後80周年であるから、
メモリアルな年にご誕生された方たちである。
どんな戦後を生き、育ってこられたのだろう。
と興味も沸いてくる。
戦後80年と聞くたびに、思いを新たにされる方も
多いかもしれない。

元気に会場に足を運ばれる方に、
それぞれが歩んでこられた道をふりかえり、
青春時代を懐かしみ、あんな時代も、こんなこともあった。
よかったな~。そして、まだまだ元気にがんばろう!と
思っていただけるように。

両親がお世話になった方々もまだまだおられるはずだ。
私のパフォーマンスを見て、父母と触れ合った時代を
思い出していただけたら うれしい。

敬老。
本当にそう思っているならば、
後期高齢者という括りはやめてほしいと切に思うが、
増え続ける高齢者を敬い、ひとり一人を大切にすることも
難しくなってきている現在、さらに将来はもっと・・。

と、先を想うと複雑ではあるが、それはそれとして
まずは、いただいた機会のなかで存分に、
敬老の気持ちを表現したい。

ストーリーとメッセージ。
明日の準備をすすめるとしよう。


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ただ、それだけのこと。

敬老の日が近づいているせいか、きんさんぎんざんの
映像を流すコンテンツに出会った。
きんさん、ぎんざんは名古屋出身の双子の姉妹。
名古屋の人だったのか。そういえば、方言が・・・。
若い日は名前と、双子のかわいらしいおばあちゃんと
いう印象しかなかったが、自分も齢を重ね、また父母の見送り
や、高齢者の方との交流を多くいただく今となっては、
きんさんぎんざんの存在を知ると、本当に偉いな。
ただその一言に尽きる。

明治の時代、農家に生まれ、家の仕事を手伝いながら
学校に1日お気に通い、姉妹仲良く遊びながら育つ。
若くして近所の農家に嫁ぎ、出産。当時は子だくさんの
時代。子育てと野良仕事。その忙しい日常を過ごすだけ
でなく、息子や弟を戦争にとられ、弟さんを失くされた。
その後は伊勢湾台風で家がすっかり流されてしまった・・。
インタビューでは「戦争より怖かったわ」と台風で瞬間に
してすべてを失くした経験について語られた一言も心に
響く。

まさしく市井の人であるが、時代は明治、大正、昭和
に平成・・・。各時代のなかを、こつこつと生きてこら
れた100年人生。

以前はすごいおばあちゃんたち。と思うだけであったが
今となれば、母が重なり、今も元気にしておられる母の
友達~100歳に近い方~のことが重なり、長寿とは
大変なことだと改めて感心する。

人生はいいときもあり、悪いときもある。
気にせず、生きること。
夜が明ければ1日がはじまり、日が暮れれば1日が終わる。
人生は、ただ、それだけのこと。
生きた人だからこそ言える重い言葉である。

笑いながら話されるから余計に重く感じてしまう。

田んぼ仕事をしながら、おひさまの動きとともに、
日々を暮らした。そんな普段の様子が目に浮かぶ。
母にもそんな時代があった。
ふと、今はマンションになった田んぼ仕事をしていた
両親とともに田んぼで食べたごはん・・のことを
思い出した。ああ、そんな時代もあった。

寿命とは、わからない。
わからないけれど、一生懸命生きていたら、気が付いたら
100歳を迎える。そんなことだろうか。

自分がいつまでの寿命なのかわからないけれど、
コツコツ生きることで、寿命はつくられるのか?

笑顔で感謝。かわいらしさ。
あの姉妹からにじみ出ていた、長寿のオーラ。
生きているだけで人を幸せにする。

ただ、それだけのこと。

そう、人生は、大したことではないのだ。
そう思えば気も楽になる。

敬老の日コンサートの話題がまたひとつ増えた。

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インストルメントなわたし。

先日、キーボードを持ち込み、会議室でコンサートをやっている
様子をご覧になった方が、
「コンサートって、こんな簡単にできるのかと勉強になりました。」
と言われた。ご自身が運営される福祉施設でコンサートをずっと
やりたいと思っていたけれど、大がかりなことはできないのでと
諦めていたけれど、これならば・・・ということで、今そのスタ
イルでのコンサートの相談をいただくようになった。
出前コンサートの案内をすることにより、楽器を持ち込むケース
も増えてきた。

そりゃ、グランドピアノがある会場のようなわけにはいかないけ
れども、施設に来られている方たちにはキーボードでの演奏でも
十分に楽しんでいただける。
その場合は、ピアノを存分に楽しんでいただくというのではなく、
どちらかといえば、トークと歌を中心に、キーボードはあくまで
も伴奏だ。
まだ楽器があるだけいい。

「ちゃんとした楽器がないと、できません」と言っている以上は
音楽の敷居は下がらない。何を弾いていても心がグランドピアノ
でちゃんと伝わる。

さらに、楽器がない場合でも、演奏はできる。
昨日は、個室レストランでの少人数での会食を開いた。
そのときに、アカペラで歌わせていただいた。
ピアノやそのほかの楽器で伴奏がなくても、それはそれでいい
演奏ができる。
お客様は、目を閉じて歌に集中してくださるのだ。
歌だけであるので、歌詞も入ってきやすいのかもしれない。
まさに、自分自身が楽器になる瞬間である。

何も持っていなくても、自分が楽器になる。
人間は歌い、手拍子、足拍子をとれる生楽器である。

何もなくても、体一つで感動をお伝えすることができる。
個室であれば、歌も歌える。
ふと、昔、飲み屋さんを回っていた 流しの人を思い出した。
ギター1本、バイオリン一台あれば・・いやいや何もなくても
アカペラ演奏もなかなか味わい深い。

ところで、人類が初めて歌を歌ったのはいつ頃なのだろう。
今度、みんぱくで調べてみようか。
嬉しい時、悲しい時、歓びを表現したいとき・・・。
祈りの場面、お祝いの場面、葬送のとき・・・。
歌は一番身近な、心を現してくれる生楽器なのである。
話すよりも、もっと感情を込めて伝えたい。
そんなときに、歌があるのだろう。
歌は感動を伝えるコミュニケーションツール。

インストルメントなわたし。もっと磨かねば♪


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