今日は、敬老の日。長く生きてこられた人生の先輩への感謝と敬意を
現し、その存在を大切に思う日。と、そう理解している。
といいつつ、正直若い時は、そんなことも考えたこともなかったし、
親に対しても「敬老の日」に花を送ったり、プレゼントをあげると
いうのも、親が年老いていくことを認めているようで、避けていた。
親は老人ではない・・と思っていた40代までの自分。
そう、親は死なない、老いない。と勝手に思っていたのだ。
いつまでも元気に口喧嘩をする。うるさい存在・・・と思っていた。
しかし、さすがに70代後半になってきたら、会うたびに老いを感じることも
あり、複雑な気持ちにもなり・・・。
敬老の日とは、どこかヨソのおじいさん、おばあさんのことだと
思っていたのに、いつの間にか、両親も行政からシニア向けのサービス
を受けていた・・・。
本日は地元での敬老会でコンサートをさせていただく。
昨年も演奏させていただいたが、ステージが終わった後、
今年の担当幹事の方に声をかけられた。
「来年、私が担当ですので、ぜひお願いします!」
1年前からのオファー。有難い限り。
そして、本日。
80歳限定の敬老会。それ以外の方も歓迎したいところであるが、
地域ごとのルールがあるようで・・・。
暑さ、健康上の都合もあって、集まれる人は限られている。
そんななか、わざわざおいでいただける方に、自分ができること。
まずは、
「今日暑かったけれど、出かけて良かったなあ」
と思っていただけるようなパフォーマンスをすること。
せっかく出かけてきたのに、がっかりさせてはならない。
そして、音楽とトークを通じて、それぞれの人生を少しふりかえり
そして生きてきた道をよかったと思い、これからも元気にがんばろう。
と思っていただけたら・・・。
集まってこられるお客様ひとり一人の人生に寄り添えたら
いいけれど、どこまでできるか?
いろんな共通点から喜んでいただける曲を用意し、
備える。
今朝になっても、曲目を追加したりしている。
音楽は人生の鏡ともいえる。
それぞれの生きた時代をそこに映し出して、懐かしんだり
楽しんだり、心躍らせていただけたら・・・。
50名であろうが、100名であろうが、ひとり一人に寄り添いたい。
そんな気持ちで、衣装選びをして、そして出発。
代理のない仕事、ちょっと緊張感をもって全身全霊でつとめたい。
敬老の日。
人生の先輩のみなさんの存在に感謝を伝えたい。
その存在に向き合う「ひと」時。
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