最近、30代の人たちとの交流が続いている。
個別に話を聞く機会、一緒に食事をしながら交流する時間。
仕事の話では、それぞれの課題ややりがいなど聴きながら、
改善、解決できることについて助言をし、あとで上司にも
共有し、今後の職場環境改善や指導に生かしてもらうこと
にしている。自分が彼らの真上の関係ではないところが、
言いやすさにつながるのか、上司ではないけれど、人生の
先輩として気軽に相談してもらえたり、打ち明けたりして
くれるのでこちらとしても有難い。
仕事の話をしていると、その人の生き方の話になってくる。
仕事とプライベートは切り離せない。
その上での悩みもあるし、仕事を覚えて、組織で役割を担う
ようになると、周囲からも頼りにされ、仕事も増え、残業も
増えたり、結婚をすれば出産、育児をどうするのか?もしくは
結婚すべきかどうか・・・。
などなど、よく考えれば30代は、人生の分岐点のひとつとも
言える。
就職して、社会人としてのキャリアを積み、そしてさらにステ
ップアップしていこうとするタイミング。
そうだ、自分も35歳には脱サラをしていた。30代前半に
いろいろ考え始めていた。
その時と同じだ。
「自分も30代の頃は考えたよ。わかるわかる」
と言って話を聞きながら、
この人たちの親が自分と同世代ということに気づき、
そうか、子どもがもしいたら、親としてこんな風に話を
聞いていたのかな。
いや、違う道を歩んできたから、聞けるのかな。
など思いながら、
これからこの青年たちが、しあわせに心豊に生きていける
ように自らの経験を活かしながら、応援し続けることが、
自分たち先に生まれた者の責任であると思う。
人生の先輩と後輩。
この関係は血縁、地縁に関係なく、存在する。
自分が多くの先輩に守られてきたように、
今度は自分がそうする番だ。
30代、実り多き良き時代、もちろん、今だって。
30代の今、昔。
人を大切にする、当たり前。
連日悲しいニュースが朝いちばんに流れると、
「またか。へ?なんで?」
信じられない気持ちでいっぱいになる。
若い人は、ある意味ゲーム感覚で、その罪の重さを
理解できず、取り返しのつかないことをするのか?
バーチャルな暮らしになれてしまい、人の存在が
わからない、痛みがわからなくなってしまって
いるのか?
高齢になると、介護疲れでどうしようもなく・・
なのか?
殺人はあり得ない。と思う人がほとんどであろうが
それでも、最近はそんなニュースがトップに取り上
げられる。
容疑者、被害を受けられた人の画像が何度も何度も
ネットに、テレビに露出すると、被害者が気の毒だ
と思うと同時に、同じ報道ばかり・・・と目をそむけ
たくなる。
悲しすぎる世の中だ。
自分勝手な一方的な思いで、過ちを犯してしまう。
それまでに何か相談したり、考え直したりさせる
ことはできなかったか・・・。
いのちの大切さを、伝え説く機会が減っているのかも
しれない。
教育の問題だと思う。
葬儀の広告が増え、その表現ひとつをとっても、
近年、死の扱い方が変わってきている。
ネット社会の存在自体も、その傾向をより強めている
一因だと思う。
何でも簡単に知ることができるが、あくまでも疑似体験
であり、画面を見ているだけでは、本当の学習には
ならず、誤った行動に走って、取り返しのつかないこと
になることもある。
改めて「人のいのち」の大切さをもっと学んでおく必要がある。
恨んだり、憎んだり、諦めたりせず、
助け合って、相手を思いやって お互いに助け合って
生きることができる社会。
裏切ったと思われない社会。
相手を思いやれば、解決できることも多いはず。
と思いたい。
グルメや旅の情報番組だけでなく、必要なことは
人の命の大切さ、生きることの意味を問う
そのきっかけを与えてくれる情報ではないか。
悲しい事件がない世の中が良い。
そうでないと、世の中が殺伐したものとなり、
人は警戒心をもち、自分だけを守るようになる。
人のことを大切にできる。
子どもの頃は、まだそれが当たり前だった。
そういう意味でも、良き時代であった。
行き過ぎた自分主義の恐ろしさ。
スマホで個の社会がこんな風に確立してしまうと
隣の人に目を向けることができなくなってしまう。
分断は世界中に広がっていることを防ぎたい。
電車に乗っても、駅にいても、いつ何が起きるか
わからない。
いつから、こんな世の中になってしまったのだろう。
少しでも取り戻したい。
自分自分から、人のこと。を想う気持ち。
少しでも自分から動きたい。
できることは、ちっぽけすぎるけれど。
ロケハンして、イメージづくり

鵜飼開きを待つ長良川は、その代名詞である「清流」に
ふさわしい青さと、よどむことのない流れを見るものに
与えてくれる。
「ほんとうに、きれいだなあ」
少し温暖化で山の色がおかしいが、山とこの川が
両方楽しめる長良川河畔はふるさとで最も好きな場所
のひとつ。
ここで、鵜飼開きのシーズンにコンサートを行う。
あっという間にその日が近づいてきた。
5月17日、24日、31日の夕暮れ。
鵜飼が始まるまでの間、賑わう長良川夜市とともに、
鵜舟の登場を待ち、歓迎したい。
ということで、夕暮れの屋外コンサートということで
改めてその場所に向かい、どんな景色に見えるか
どんな構成にしたらよいかなどをイメージしてみる。
撮影などのロケハンはあるが、コンサートのロケハンとは。
信長のいた岐阜城を見上げ、歴史を越えたロマンチックな
気分と、この清流の恵みを与え続けてくれるふるさとへの
愛をここで表現できたらと思う。
外で演奏するのは、久しぶり。(そのときは雨の信濃川・・・)
最高のステージ。
生きていたらいいことがあるもんだ。
両親がいたら、最高に喜んだであろう、
いやいや、彼らは岐阜城から、信長たちと一緒に
見ているに違いない。
と、思うことにする。
ここで、鵜飼のイメージソング「やがて・・・」も
もちろん演奏する。
鵜飼びらき 愛の夕暮れコンサート | うかいミュージアム

会える人に、会えるときに。
若い時にお世話になってきた人生の先輩方。
社会人としての自分を育て、見守ってくださって
来た皆さん。
高齢になり、コロナもあって、年賀状も卒業され、
その後、ご様子もわからないまま時間が経って・・・。
という方が、実は少なくない。
連絡がつけば、会話が再びできれば、安心。
元気があれば、どこかでお会いする。
外出ができなさそうであれば、お手紙やお見舞いの
花を送る。
顔が見れなくても、コミュニケーションが続けられる
ことは幸い。
音信不通になってしまっている場合は、心配。
そのまま永遠に・・・ということもある。
怖くて確認することも、ためらわれる。
きっとお元気でおられるだろうと思いたいが、
どうも心が騒ぐ・・・。
と、こんなことが多くなってくる。
悔いのないように、
お世話になった方には、ちゃんとお礼を
言っておきたい。
フランシスコ教皇宛ての手紙と歌詞の訳文を
手伝ってくれたKENさん。
「マーサのその挑戦に乗るわ」
ご自身は、敬虔なクリスチャンであるのに、そうではない
私の突拍子もない相談に真剣に応えてくれた、もともとは
マーケティングの勉強会の仲間。
もう30年以上のおつきあい。
ありがたい貴重な存在。
businessについて、宗教観について、いろいろ
議論した、カラオケも楽しんだそんな日々を懐かしむ。
会いに行きたいけれど、叶わない。
何もできないから、花を送った。
今回は、マイカラーの紫や赤ではなく、
元気が出るビタミンカラーで。
「心のこもった花が届きました。
外出できるようにがんばります。
会えるようになったら連絡します。」
とのメッセージが届く。
その日を毎日、待ち続けたい。
会いたい人に、会える人に、会える時に。
それこそが、人生でとても大切なけじめ。
お世話になった方たちに、心からの感謝と祈りを。

もっと 知ること。
人生の観覧車も残り後半を回り続けていると、
価値観も変わってくるのかもと思えてくる。
そんなことをこの連休には考えたりしていた。
まだまだ知らないことが多いこの世界。
こんなに長く生きてきたつもりであるが、
結局は目の前のことに追われてきた。
人生の前半はスピード任せ、力任せ、なりゆき
で突き進んできたのかもしれない。
力んでいたかも。突っ張っていたかも。
思い込んでいたかも。
いろんなことを一通り経験したあと、
もっと知りたい。もっと学びたい。
という思いになってくる。
もちろんそう思うジャンルは、興味あるもの
に限られるであろうが、それはそれで十分。
自分にとって大切と思うこと、もっと知りたい
と思うことをそのままにせず、知の旅に出かける。
書物から、映画から、音楽から、アートから
知の旅に出る手段は無数にある。
知る楽しみ、歓びを知ることで、
日々の小さな捕らわれごとから、自分を解き放つことが
でき、近視眼的ではない自分の視界が広がり、
自分を認めたり、許したりすることもできる。
箪笥も本棚もかなりいっぱい。
モノはもうそんなに増えなくてよい。
後の人に迷惑もかかることだし。
むしろ、知る経験をもっと増やし、残った人生を
心豊かに過ごせる道を求める方が良いのでは。
頭はもっと使わないと、心ももっと耕さないと。
ここは自分次第で、心と頭の引き出しには、
まだまだ収納できそうだ。
世の中のこと、人間自体のこと、自分が求める
世界のことをもっと知り、
自分しかできないことをやり、
少しでもお世話になってきた周囲の方への
恩返しになれば。
そのためにも、もっと知ること。
それがすべてのスタートになる。
結局最終的に知りたいのは、
なぜ、何のために人は生きるか?
の答えなのだろう。
そして、自分なりに よく生きたなーと
思える人生を終えたいのだろう。
左指を鍛える。
バレリーナもピアニストも練習を〇日休んだら
その分、下手になる。
といった教えを聴いていた幼少の頃。
そのため、高校時代までは、とにかく毎日練習を
していた。
まさしく、日課であった。
それが18歳からその生活はストップしてしまい、
時間が経てば経つほど、次第にその言葉が堪える
ようになってきた。
毎日動かし続けるべきであった。
たとえ、鍵盤がなくてもどこででもいい。
大学時代、ピアノのない住まいになった頃、紙鍵盤
を使ってしばらくやっていた頃があった。
でも、音が出ない鍵盤での練習は、続かなかった。
この数年クラシック音楽への再挑戦をしようと、
18歳の頃までに弾いた曲、その後いろんな場所で
耳にして、ぜひ弾きたいと思っていた曲などを
弾き始める。といっても毎日はできないけれど・・・。
それでも空白の時間にできた遅れは少しづつ
取り戻せているか・・・。
時々自作にクラシックも取り入れ、自分の歴史を
そこにも込めたいと思うようになった。
弾き歌いには、ピアノの技術はそんなに必要ない。
自分の歌の伴奏をしているだけだ。
きれいに音を重ねる。それも大切だ。
一方、ピアノ曲は指の動きが演奏の生命線になる。
久しぶりのベートーベン テンペストの1楽章に向かう。
うーん、左手がもつれる。ひきつる。良くないなあ。
昔はこんなじゃなかったのに。と
左手だけの練習。
あれ?ん?少しづつ元のように動くようになるが、
心持ない。指に力がないのか?どう鍛えよう?
とにかく練習なのだろう。
丁寧に練習を重ねれば 左指もだんだん動くようになるはず。
〇日どころか、もっと長い間努力を怠ったツケを
痛感。
ピアノ練習をしなかった日々の代わりに得たことも
いろいろあれど、やはりピアノを弾ける人生でなければ。
わが人生。
フジコヘミングさんが最後まで魂を込めたように、
私もまだまだやらなければならない。
そのためには、まず左指だ。
毎日動かし続けること。
AIが活躍する時代になっても、魂の演奏は人にしか
できないのだから。
自動練習はなし。

毎日、かみしめよう。
布施明の50周年アルバムを聴いていた。
今から10年前のもの。
そのなかに、
自分は君よりも先に旅立つと思うけど、
ずっと空から見守り続けるから、心配しないで。
1万回ありがとうを言っても足りないぐらい・・・。
平凡ですまなかったけれど・・・。
といった内容の歌詞(そのままでない)が出てくる
作品があり、聴きながら足を何度も止めてしまう
そんな曲に出会った。
まずは、生きているうちに、どちらかが先にいなくなることを
想定すること、とくに相手がいなくなった時の
ことを考えることの怖さ。
でも、いつかはそういう日が来るということの覚悟。
そして、その別れに向け、感謝をしてもしきれない
という気持ち。
そして、平凡という一番の幸せに気づくということ。
それらの学びを得た。素晴らしい作品、今だからこそ
その意味がわかるのだろうと思う。
まもなく出会って32年目になる。
人生の半分以上の時間の長さである。
そろそろ、いつかこの歌のような時を迎える
のかと思うと、若き日とは違う気持ちが湧いてくる。
感謝は伝えられるときに伝えておかねばとも
思う。
そして、平凡とは平和である意味、不変であり
ありきたりである有様であるが、
すごく刺激的なことが続かなくても、平凡が一番
かもしれない。
と思えてくる。
静かに丁寧に生きること。
日常のなかにささやかな喜びや楽しみを見つけること。
平凡の暮らしのなかにはそれも込められる。
平凡は、平和でなければ存在しない。
まず、このことに感謝しなければ。
今日は新たな1週間のはじまり。でも静かだ。
普段聴こえないものや、見えないものを感じる。
そして、
もしかしたら、今日が最後かもしれない。
とそう思ったら、平凡は特別になるとも
思えてくる。
毎日、今日という日を、わが人生をかみしめよう。
当たり前はなく、ありきたりは尊く・・・。
GWとは、自分の内面を整理し、落ち着かせ、
行く道を確認する時間。
これも、サブリミナル?
最近、仕事の時の会話で、
「自分は、『昭和』ですから。」
というフレーズをよく耳にする。
昭和時代に生まれ育ったから、平成、令和とは
違うということを言いたいようで、
それは自分も昭和生まれ、昭和育ちなので、思わず
「わかる、わかる」と頷いてしまう。
昭和の良さも 課題も、反省もいろいろあれど
自分の青春時代でもあり、懐かしいことが
多い。
とくに音楽(当時の流行り歌)には、当時の
世相をじんわり伝えるものも多く、メロディも
歌詞もあの頃だから・・というものが多く、
また今改めて歌詞を聴くと、いい曲だなと
しみじみするものが少なくない。
最近は移動中に音楽を聴くようにしているが、
時々、昭和ポップスをselect。そのなかで、
前にも書いた布施明はもちろん、それ以外でも
何人かの曲を聴く。
その中の一人が、松山千春。
お世話になっている札幌のレコーディングスタジオが
先日、コラボでウィスキーづくりをクラウドファンド
したという話題もあったせいか、
急に親しみをもつようになり、その作品を意識して
聴くようになった。
あの高音ののびやかな声は、澄んだ悲しみを感じる。
と、私の勝手な好みであるが。そしてやはりメジャー
キーではなく、マイナー曲の方が断然いい。
悲恋を唄うにピッタリの声だ。と思ってきたし、
今聴いてもそう思う。
曲を聴き直すようになり、松山千春のことを、改めて
思い出す。
自分が10代のときに大ヒット曲を次々と生み
不動の人気を集めた。
と、そこまではいいのであるが、自分が大人になって
からのこの方の印象はかなり変わった。
人それぞれの成長、変化、人生観であるので
いろんな世界で活躍されているのは、結構なこと。
でも、なんとなくしばらく音楽は聴いていなかった。
そんななか、最近、昭和の代表歌手として、再び聴き始める。
ああ、いい曲がある。きれいな高音。女心をくすぐるという
感じ?といろいろ思いながら、その曲に没頭しようとするの
であるが、どうしても、昔とは違う映像が浮かんでくる。
それは、今のご本人の姿と、ご本人の先輩らしい鈴木さん。
著名な熱い政治家である。
なぜか、松山千春の歌を聴くと、その方が一緒に浮かんでしまい、
その後ろにはロシアの人も浮かんでくる。
中学生に聴いたときは、純粋に音楽だけが入ってきたのに。
当時のビジュアルと曲がひとつの青春の世界を見せてくれていたが、
今は、昭和に感じた感動の世界に加え、その面々が一緒に浮かぶ。
どうしても浮かんでくる。いらんけど・・・。
私が聴きたいのは中学生のときの感動そのままの世界。
これもサブリミナル効果のひとつなのだろうか?困ったものだ。
と苦笑いしながら、40年以上前のレコードジャケットの写真を
見ながら曲を聴くようにしている。
あのときのメロディー、歌詞、表現する声、歌い方、
そして表現の一体感が好きだった。
今はとにかく、昭和のその歌手を思い出すようにしている。
時間が経つことで、いろんな経験を重ね、情報が加わることで
記憶が変形していくことがある。
洗脳とは違うとは思うけれど、思わずサブリミナル?と
思ってしまったのは確か。
それはそれとして。
好きな曲を大切に聴きながら、自分が生きた時代を懐かしむ。
その時間は宝物だ。
昭和。自分にとってはかけがえのない時代、青春の日々。
休日も目標をもって・・・。
本日からGWの後半がはじまった。
いかに喧騒の世界から逃れるか。静かに過ごすか。
そして、日ごろできないことをいかに行うか。
できたら、休日も毎日その日の目標をもって過ごしたい。
今日はこれをする!と決めて、1日を始めたい。
ルーティンな日ではないため、1日がゆっくり過ぎる。
だからこそ、いろんなことができる。
私の場合は、まずはインプットを優先に行いたい。
読書も、読譜も、作品鑑賞も・・・。
「つんどくしょ」の山も減らさないと・・・。
もちろん、心身共にリラックスする時間も
忘れずに。
普段考えることがないことに思いを馳せるのもよい。
自身を深め、高め、自分らしく生きる道筋を整える時間に。
少しだけスピードを落として、緊張をほぐして、
瞬間瞬間を、一歩一歩を味わって過ごしたい。
ということで、早速、東京と京都の大学の講座を申し込む。
何を勉強するか?を選べる時間が楽しい。
人間について、AIについて、そして・・・気になるテーマは
限りなくある。
もっと知見を広げる、深化する。
誰にとっても穏やかで平和な祭日であるように・・。
リストのおかげで。


ヴァイマール。ドイツにある世界遺産の町で、バウハウス誕生
の町としても有名で、憲法にもその名がついているため、なぜ
かその名前だけは学生時代から知ってはいた。そのため、つい
でがあれば?一度はその町に足を運んでみようとフランクル
フルトから足を伸ばしたコロナ前の冬。
駅から30分は歩いたかもしれない。初めての町はきょろきょ
ろして歩くのがいい。ナビに導かれて目的地に・・というのは
感動が少ない。
旧市街の先に森の入り口があった。
そこにみつけたリストの家。上の写真は、その室内。おそらく
リストが森の散歩から戻って弾いたり、作曲したであろうピア
ノたち。
そこには写っていないが、ベートーベンの肖像画も飾ってあった。
超越技巧とか、タイトルを見るだけで、絶対無理!と思う難曲
が多いリストの作品であるが、実は作曲だけでなく、編曲も数
多く手がけており、なんと、ベートーベンの交響曲をピアノ用
に編曲したものもある。
ちょっと背伸びして、その楽譜を手に入れてみた。
なんと、オーケストラの曲をピアノ曲にするとは!
まぎれもなく、天才である。
もしかしたら、この写真の部屋で書かれたのかもしれない。
と、懐かしい部屋を思い出しながら交響曲9番を弾きはじめる。
あの「歓喜のうた」が4楽章に入っていることもあり、なじみ
深い。
さてオーケストラ曲がピアノ1台、指10本で演奏できるように
なっている。
初見で弾き始める。なんとか弾けるところ、難しいところ・・。
迷路の中をさまよっているような感覚で初見を楽しむ。
しばらくして、なんと長いのだと、その楽譜のボリュームに
改めて感心しながら、ピアノ曲とは違う長さにちょっとしん
どさも感じた。
ひとりオーケストラはなかなか骨が折れる。
でも、この経験はとても刺激的。
ピアノのおかげで、リストのおかげで、交響曲がひとりで
演奏できる。
楽譜をめくるのも大変だから、そろそろタブレット端末を
使う方が良いかも?
となると、楽譜も入手し直しだ。
いろいろ思いながら、格闘した。
ひとりオーケストラが楽しめるなんて、何と贅沢なこと。
リストのおかげ、そしてもちろんベートーベンのおかげ。
実は前回 リストの家から駅に戻る途中、片方の手袋を
落としてきた。
今はわざと、置いてきたと思うことにする。
リストの冷たい指を守るため?