最近、仕事の時の会話で、
「自分は、『昭和』ですから。」
というフレーズをよく耳にする。
昭和時代に生まれ育ったから、平成、令和とは
違うということを言いたいようで、
それは自分も昭和生まれ、昭和育ちなので、思わず
「わかる、わかる」と頷いてしまう。
昭和の良さも 課題も、反省もいろいろあれど
自分の青春時代でもあり、懐かしいことが
多い。
とくに音楽(当時の流行り歌)には、当時の
世相をじんわり伝えるものも多く、メロディも
歌詞もあの頃だから・・というものが多く、
また今改めて歌詞を聴くと、いい曲だなと
しみじみするものが少なくない。
最近は移動中に音楽を聴くようにしているが、
時々、昭和ポップスをselect。そのなかで、
前にも書いた布施明はもちろん、それ以外でも
何人かの曲を聴く。
その中の一人が、松山千春。
お世話になっている札幌のレコーディングスタジオが
先日、コラボでウィスキーづくりをクラウドファンド
したという話題もあったせいか、
急に親しみをもつようになり、その作品を意識して
聴くようになった。
あの高音ののびやかな声は、澄んだ悲しみを感じる。
と、私の勝手な好みであるが。そしてやはりメジャー
キーではなく、マイナー曲の方が断然いい。
悲恋を唄うにピッタリの声だ。と思ってきたし、
今聴いてもそう思う。
曲を聴き直すようになり、松山千春のことを、改めて
思い出す。
自分が10代のときに大ヒット曲を次々と生み
不動の人気を集めた。
と、そこまではいいのであるが、自分が大人になって
からのこの方の印象はかなり変わった。
人それぞれの成長、変化、人生観であるので
いろんな世界で活躍されているのは、結構なこと。
でも、なんとなくしばらく音楽は聴いていなかった。
そんななか、最近、昭和の代表歌手として、再び聴き始める。
ああ、いい曲がある。きれいな高音。女心をくすぐるという
感じ?といろいろ思いながら、その曲に没頭しようとするの
であるが、どうしても、昔とは違う映像が浮かんでくる。
それは、今のご本人の姿と、ご本人の先輩らしい鈴木さん。
著名な熱い政治家である。
なぜか、松山千春の歌を聴くと、その方が一緒に浮かんでしまい、
その後ろにはロシアの人も浮かんでくる。
中学生に聴いたときは、純粋に音楽だけが入ってきたのに。
当時のビジュアルと曲がひとつの青春の世界を見せてくれていたが、
今は、昭和に感じた感動の世界に加え、その面々が一緒に浮かぶ。
どうしても浮かんでくる。いらんけど・・・。
私が聴きたいのは中学生のときの感動そのままの世界。
これもサブリミナル効果のひとつなのだろうか?困ったものだ。
と苦笑いしながら、40年以上前のレコードジャケットの写真を
見ながら曲を聴くようにしている。
あのときのメロディー、歌詞、表現する声、歌い方、
そして表現の一体感が好きだった。
今はとにかく、昭和のその歌手を思い出すようにしている。
時間が経つことで、いろんな経験を重ね、情報が加わることで
記憶が変形していくことがある。
洗脳とは違うとは思うけれど、思わずサブリミナル?と
思ってしまったのは確か。
それはそれとして。
好きな曲を大切に聴きながら、自分が生きた時代を懐かしむ。
その時間は宝物だ。
昭和。自分にとってはかけがえのない時代、青春の日々。
これも、サブリミナル?
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