人生の観覧車も残り後半を回り続けていると、
価値観も変わってくるのかもと思えてくる。
そんなことをこの連休には考えたりしていた。
まだまだ知らないことが多いこの世界。
こんなに長く生きてきたつもりであるが、
結局は目の前のことに追われてきた。
人生の前半はスピード任せ、力任せ、なりゆき
で突き進んできたのかもしれない。
力んでいたかも。突っ張っていたかも。
思い込んでいたかも。
いろんなことを一通り経験したあと、
もっと知りたい。もっと学びたい。
という思いになってくる。
もちろんそう思うジャンルは、興味あるもの
に限られるであろうが、それはそれで十分。
自分にとって大切と思うこと、もっと知りたい
と思うことをそのままにせず、知の旅に出かける。
書物から、映画から、音楽から、アートから
知の旅に出る手段は無数にある。
知る楽しみ、歓びを知ることで、
日々の小さな捕らわれごとから、自分を解き放つことが
でき、近視眼的ではない自分の視界が広がり、
自分を認めたり、許したりすることもできる。
箪笥も本棚もかなりいっぱい。
モノはもうそんなに増えなくてよい。
後の人に迷惑もかかることだし。
むしろ、知る経験をもっと増やし、残った人生を
心豊かに過ごせる道を求める方が良いのでは。
頭はもっと使わないと、心ももっと耕さないと。
ここは自分次第で、心と頭の引き出しには、
まだまだ収納できそうだ。
世の中のこと、人間自体のこと、自分が求める
世界のことをもっと知り、
自分しかできないことをやり、
少しでもお世話になってきた周囲の方への
恩返しになれば。
そのためにも、もっと知ること。
それがすべてのスタートになる。
結局最終的に知りたいのは、
なぜ、何のために人は生きるか?
の答えなのだろう。
そして、自分なりに よく生きたなーと
思える人生を終えたいのだろう。
もっと 知ること。
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