新たなパートナーは10キロ級

新しいパートナー登場。名前はマドレーヌ。悩み、迷った末に、やはりこの名前に。でも、生まれはフランスでなく、イタリアだ。

重さは10キロほど。ピアノほどは重くない、可動式であるという点で、選択したものの、それでも重い。移動については、まだ課題のまま。

習いながら、自学しながら、だんだん慣れてくる。
わがグラン・ルーのテーマや、シャンソン、そしてピアソラが良く似合う。

泣けてくる音が出る。

ピアノは鍵盤をたたけば鳴る。でも、こちらは音自体、自分で創る。

正直、ひとめぼれで、即決。

私の人生、仕事にパートナーは、人間に限らないところが面白い。
計画に沿って、目的に近づきたい。

そのうち、その音色をお楽しみいただける日が・・・。


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マニュアルよりも鏡を。

知的な人が就く職業の方のために、失言を防止するためのマニュアルが作成され、関係者に配布されたようで、驚いている。その手間と労力と、発想に。

マニュアルとは、機械の操作作業手順や、誰がやっても一定基準を保たないといけない仕事に対し、大勢の人が取り組む場合、同じ品質の仕事をできるようにするための資料、トリセツであるが、高度な技術を伴わない会話の世界でそんなマニュアルが必要であるかどうか?とくにもともと、口が商売道具の人たちに、そんなものがないといけないのか?と疑問を抱いてしまう。言葉のプロじゃないんですか?と聞きたくなってしまう。

マニュアル作れば、問題が起きないと思うその発想に首をかしげたくなるが、
会話は、発言は、基本的に相手のことを大切に思えば、相手のことを思って丁寧に話せば、問題発言など出ないのではと思ってしまうが?

問題を起こさないためには、頭の中に情報を叩き込むことではなく、どうしたら相手が喜ぶか、理解してくれるかという視点をもち、相手目線で会話をする、自分が自分がではなく、まず聞くという立場を大切にすれば、もっといえば、自分が何様かを勘違いしなければ、問題はなくなると思いたい。

要するに心根の問題、自分の勘違いをなくすこと。
マニュアルの前に、自分を見つめ直すこと。

そんなこともマニュアルにかいてあるのかどうかしらないが、
そんなものがなければ、答弁できないなら、その仕事に就く資格もないのでは?
マニュアル作ること自体をニュースで言うということも、恥ずかしくないのかと
とにかく驚くことが続く、今日この頃・・・。

必要なのは、マニュアルより、自分を映す鏡。

言葉は難しい。心の現れであるから。
まず、一言の重さを自覚すること・・・。
いずれにせよ、まずは、我が身から。




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言葉にならない思いを○○に。

生まれて初めて買ったいわゆるDCブランドの洋服は、ヨージ ヤマモト。
y’sというブランド名だ。
大学1年のときだったか、バイト代をためて買ったコート。当時の周囲の影響もあった。哲学や美学を学ぶ若者には、これらのデザイナーは憧れであった。
その頃、このワイズや、コムデギャルソンは、それまでの華やかなデザインとは
全く違って、黒ベースのシンプル、でも主張ありげなデザイン・・・。そこが
当時、若き自分をくすぐった。こんな服をきて、背伸びした自分を見せたい。他とは違う自分を表現したい・・・なんて、そんな気持ちがあったと思う。
あのコートは結局20年以上、着続けた。
あの頃から、山本耀司も川久保玲も憧れであったが、社会人になって機能性が必要になり、イッセイミヤケを愛用するようになったが、それでもワイズもずっと好きであり続けている。この世代の日本のデザイナー先生は本当に素晴らしいと心から尊敬し続けている。世界に誇る偉人たちである。
ヨージヤマモト。経営が大変だと聞いた時代もあったが、どうやら最近は売り上げが好調とのことで何よりだ。若者たちが、黒いワイズの服を着ることで、自分の生き方を変えたり、新たなことに挑戦したりしているようだ。自分が若いときと同じだ。時代が戻っている。ただ、昔と違うのは、彼らがワイズの良さを国を越えて、SNSで拡散していること。この時代に、ワイズは今また新しく育っているわけだ。中国の若者が反権力のしるしとして愛用しているのも印象的だった。

その山本氏は、もう70代後半だそうだ。今もずっと変わらずおしゃれだ。
先日見聞きしたインタビューでぐっとくる会話があった。
「もうそろそろの年なので、ずっと思ってきたことを表現しなくちゃと思っている。政治や社会についてのメッセージについても。言葉では言えない(言葉にならない)ことを、洋服で伝えたいと思っている・・・。」といった趣旨の内容。

凄い。言葉にならないメッセージ、あるいは言葉にしてしまうと、ただそれだけになってしまうことを、自分なりにしっかり自分らしく表現する。これが仕上げの仕事というわけだ。

洋服はメッセージツールであり、メディアなのだ。
なるほど・・・。最近の洋服には文字が入ったものや、カタチやモチーフ等で深い意味があったり・・・。ひとつひとつにすべて意図があるのだ。それをモデルが、お客が着用することで、そのメッセージが広がる・・・。
パリコレを見た記者が、これはデザイナーの仕事でなく、アーチストではないかと評していたたが、山本氏は「いえ、わたしは服屋です」と言い切ったその表情も、とても素敵であった。

言いたいことを、何で表現するのか。私は??
五感で、自分の得意な領域で、メッセージを伝える。何で?
確かに、言葉以外で伝えた方が伝わることが多い。
人生の先輩たちが、まだまだ現役でその仕事に取り組む姿を見て、まだまだこれからだと勇気も沸いてくる。

改めて、山本氏の偉大な仕事について、心から敬意を表したい。
今、国内外の若者が山本氏の洋服を着て、社会にアンチの姿勢を示したり、
おしゃれに自己表現をしている。
生き方のお手伝いができるなんて、素敵すぎる仕事。

言葉にならないことを、伝える。山本さんのようにはできないが、私なりに・・。
ああ、もう処分してしまったはずの昔のコートが、急に懐かしくなってきた。


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あの日に帰りたい・・か?

最近、仕事も勉強も兼ねて、大学に足を運ぶことがある。
正式に講座等を受講する場合もあれば、ふらり出かけ、学校内の施設を見学することもあり・・・自分が通った学校だけでなく、いろんな学校に行くのは楽しい。

岐阜のとある大学に用事があって訪問することになる。
ちょっと町中から離れているので、スクールバスが充実しており、近隣の主要駅から無料で乗せてくれる。
生まれてこのかたスクールバスなるものに乗ったこともなかったが、こうやって学生の足をカバーする手厚いサービスもあるのだと感激しながら、現役の学生たちと同じバスに乗る。ちょっと緊張しながら・・・。
車内ではもっと賑やかかと思っていたら、とても静かだ。学生は大人である。
30分ほど乗って大学キャンパスに到着。学生たちに続いて降りて、キャンパスに入る。門から一歩中に入ると、何かわくわくするものだ。自由な空気を感じる。食堂など学生たちがいる場所を通っていく。彼ら彼女らの会話に触れるだけでも、自分の学生時代がよみがえる。彼らの話題は多岐にわたる。

もう学校を卒業して30年以上の月日が経った。あの日に帰りたいだろうか?毎日バイトをして、いろんな出会いがあって・・。初めての一人暮らしはある意味、音楽との別れとともに、真新しい世界が広がって、その延長線上に今がある。
その当時を、懐かしいという気持ちはあるが、戻りたくはない。

むしろ、今改めて、大学で学びたい。もっと勉強しなければ、勉強したいという思いが若いときよりも、旺盛なのかもしれない。

「もう一度、大学でもいって、しっかり勉強したいな」
「何のために?何かになるの?勉強するだけだったら、もっと後でもいいのでは?」
そんな会話を家でする。

何になる?何を目指す?あの頃、もしかしたら、そんなに真剣じゃなかったかもしれない。

そういう意味では、今改めてもっと自分の将来を考えなおしたいのかも。
そういう意味で、あの日に帰りたい?
いや、帰らない。
帰らず、今の自分を活かし、前に進むとしたい。
と、大学に足を踏み入れると、学生になりたい自分が顔を出す。

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うれしい仕事にするために・・

死ぬまで、ずっと仕事をするだろう。というか、生きることが仕事と思っているから、何かしらやり続けるだろう。
どこが折り返りなのかもわからないまま、毎日彷徨っている感じもあるが、
いろんな仕事に接し、いろんな人に出会い、交流させていただくが、
改めてふりかえると、私にとって、仕事で一番うれしいことは、心から感謝していただけたとき。
それは、自然と相手の表情に出るから、すぐわかる。

感謝される仕事ほど、うれしいものはなく、
感謝されない仕事ほど、むなしいものはない。

感謝されるためには、どうするか・・。これは永遠の課題であり、努力も必要だ。

自分が感謝したくなるときはどんなときか?心から感謝するときは?と思い浮かべれば答えは簡単。

いつでも、相手の立場になり、相手とできる限り一体となって、今どきの言葉でいえば、心から「寄り添って」できる限りを尽くすこと。

迷ったときは、これまで喜んでくださった人たちのあの笑顔を思い起こすことに
しよう。
うれしい仕事にするために、うわべでなく、調子よくではなく、心から生きることを大切にしたい。



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人を下げる発言に注意。

コミュニケーションの仕事をしていると、言葉のむつかしさや、重み、また一言の影響というものについて、つくづく考えさせられることがある。

先日、あるイベントで、司会者が演者のパフォーマンスを悪く言う、見方によってはその演者の心を傷つける発言をしている現場に出くわした。見方によっては、司会者はその場を盛り上げようと、演者をダシにして、笑いをとろうと思ったのかもしれないが・・。その発言は、聞く人によっては司会者の言葉に左右され、聴衆・観客の印象も左右され、演者のパフォーマンスの評価を下げる可能性もあるため、大変気になった。
司会者とか、ナビゲーターとか、講師とか、会話、言葉で仕事をする人は、決して演者をけなすような言い方をしてはいけない。もし十分に表現できていないことに気づいたり、個人的にそのパフォーマンスが自分の好みでなくても、「良かった」「素晴らしかった」とプラスの発言をして、演者も会場も盛り上がるように仕向けなくてはいけない。と私自身はいつも考えている。

どんな場でも、誰かを傷つけたりする発言は、絶対にしてはいけない。

人を上げることはあっても、絶対に下げてはいけない。

今回そのステージを見て、演者がかわいそうになった。そんなつもりでやったのと違うだろうし、司会者の発言と違う印象を自分はもったため、その司会者に不快感と疑念と、プロとしては少々怒りも・・。

下げてはいけない。絶対に上げること。

人は褒められて、認められて、成長するし、相手のことが好きになるし、応援しようという気持ちにお互いになるものだ。

さまざまな世の中でいう、「プロ」という人たちに接しつつ、それが本物かどうかの見極めもしている・・。自分ももちろんされてるだろう。
いずれにせよ、みんなをハッピーにできる人が、プロ!である。

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独立するオトコの笑顔。

久しぶりにお会いした紳士。
何年かお会いしないうちに、大きな人生の転機を自ら選択された。
長年つとめた会社を早期退職され、この6月から独立、起業開始されるとのこと。その前にお会いにきてくださったこと、個人事業主としての名刺をくださり
これからの仕事に賭ける思いを語ってくださった・・。

はじめての出会いからさまざまな出来事が頭をよぎった。
ずっとサラリーマンを続け、定年までその任務をまっとうされるものだと
思っていたが、そうではなかった。

組織の人間関係も、もう卒業とも言われた。

顔つきが変わっていた。
以前より大変若々しい。自分らしく自分を見せているというか、自分そのものが
自然に出ているという印象。

これまでやったことのないこと、初めてのことにどんどん挑戦していきたいとのこと。
年を重ねると初めてのことをするには勇気がいるという人もいるかもしれないが
これは素晴らしい。

これからは、これまでのキャリアを生かし、自分が生まれ住む、地域の活性化のために、という仕事をされるという話が胸を打つ。

「やっぱ、ここが好きなんですよね。」

この一言が印象的であった。

一つの仕事、サラリーマンという職業を定年まで続ける選択もあるが、何かきっかけがあれば、組織を飛び出すことは賛成だ。
年や経験を重ねていれば、何も考えないで・・ということもないだろうし。
大きな富や名声のためではなく、自分のための、そして自分の人生のしあげ、周囲への恩返し・・。これはとても自然な流れだと思う。素晴らしき選択。

とても、すがすがしく、自然体で。
ああ、いい男の生き方がある!と思った次第。

男もどんどん自分らしく好きなように生きてほしい。
オンナだけが・・・ではなく・・。

最近、自立し、自分らしく生きる人との出会いが増えている。

そして、笑顔の自然な男性に出会うことが多いのが、うれしい。


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「その分」で、プラス発想。

最近、何かあると、「その分、〇〇でがんばろう」と、心のチャンネルを切り替え、プラス発想で明日の方向を見据えるようにしている。
「その分」は自分をチカラを与えてくれる、元気の着火点だ。

たとえば、「○○をしてしまった」、「〇〇の才能がない」「あのときはよくなかったな・・・」・・など、いろんな反省や自己分析や・・・。自分と向き合いのはなかなかつらいときもあったりする。そんなときは、
「その分、こんなことができる」「その分、こんなことをがんばろう」といった塩梅で、自分を認め、励ます。
人間生きていれば、毎日いろんな事態と感情が入り混じる。何もない人はいない。でも、いちいちへこたれていられない。
「その分」の一言は、私にとって、元気が湧いてくるありがたい言葉。

これを心のなかで連呼することで、他人とつまらぬことで比較することもなくなり、自分は自分の道を行くぞ!と思うようになる。

「その分」何ができる?まだまだいける。人生は毎日、道半ば。どうせ生きるなら、「その分」で切り替えていこう。

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風薫るふるさとの町で、うちわ職人に出会う

わがふるさと岐阜市のもっとも美しい場所は、岐阜城がそびえる金華山のふもと、長良川の風物詩鵜飼いの船着き場と眼前の旅館街。最近はきれいな観光地として整備され、内外からの来客も増えている、「河原町」というエリア。
岐阜城の真下にあるので、空襲の影響もほとんど受けなかった場所で、昔ながらの面影が程よい感じに残されている。
岐阜に住んでいるときには、この町のことは知らなかった。一度、離れてこんな素晴らしいところが・・と発見し、知らなかった自分に驚いたほど。

久しぶりにその河原町を歩き、以前立ち寄ったことのある、うちわ屋の前を通り、懐かしくなり再び、店の前のうちわに目をやる。色とりどり、透かしも岐阜らしい水うちわも、種類大きさともに豊富であるが、ひとつひとつのうちわにこもった人肌も感じ、店先から離れられない。

鵜飼いも今月から始まり、また暑くなるので、うちわは季節商品として、またお土産としても喜ばれるため需要が高まる。鵜飼い船の船着き場からほど近い場所、旅館の前にあり、鵜飼い見学客は必ずこの店の前を通ることだろう。

そんな好立地のお店。風も強く、平日の午後でもあり、店先で団扇づくりをする職人さんが目に入った。仕事されているので、話しかけたらいけないなと思いつつ、つい、店頭のうちわについてあれこれ、聞いてしまう。

その職人さんは店主だ。そして、なんとこの団扇づくりをただ一人でされている。30年以上やっておられるとのこと。以前はお母さまも一緒に作業されていたが、高齢のため、今は店主おひとりががんばって、うちわを毎日作っておられる。

今は四代目。明治後半に、京都の団扇屋さんから、この地に出てこられての創業だそうだ。鵜飼いはその当時もあったはずであるが、鵜飼いの歴史とともに100年商いを続けておられるようだ。

その店主は、なんと私と同世代で、いろいろ共通点もあり、話が弾んだ。
話を聞きながら、この仕事をお父様亡きあと、受け継いで守っておられることに頭が下がり、胸がいっぱいになってきた。店主は話しながら、団扇づくりの手を止めない。ちょうど、話をしていてもできる工程のときにお邪魔したというラッキーなタイミングであったのだ。

ひとりでやる仕事。誰も助けてくれない。
10連休なんかあっても、休んでもその分かえってくるのは自分。

なかなか次の世代に残すことが難しいお仕事のようだ。工業製品が増えている今日、昔ながらの天然素材を提供する仲間の存続も厳しくなっているなかでの
モノづくりとのこと・・。

気づけば20分以上もお話しをお聞きしてしまい、貴重な時間を申し訳なかったと思いつつも、こうして大切に手作りの仕事を、静かにされている姿を見て、
心から尊敬の念が湧いてきた。
この人が作ったうちわで、風を仰ぎたいとも思った。

以前にも買っていたのだが、お話しをきいて、改めて岐阜には素晴らしい工芸品が存在していることを学び、応援しなくてはと心から思った。
あと何十年されるのか、わからないが、ずっとずっと応援したいと。

ひとりで仕事をする人だから、余計に共感したのだ・・。

メディアに取り上げられたことも数多いが、その影響も経験されており、
今は静かにペースを崩さずに・・・ということが大切なようだ。

どうぞ、お元気に鵜飼いシーズンを乗り切っていただきたい。

思い出すだけで、うちわを仰ぐだけで、長良川のいい風が吹いてくる。

ふるさとには、今だからうれしい出会いがある。


平日の静かな河原町
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小さな感動を届け続けたい、わが音楽の旅

地元での活動もいろいろ広げようと模索しながら約2年。
昨日の地元ホールホワイエでのリレーコンサート出演に続き、
今日は、恒例となってきた岐阜新聞でのロビーコンサート。
毎回、会場が満席になるほどの方にお出かけいただき、
楽しんでいただいている。おなじみの方も、新しい方も。新聞を見て来て
下さる方もおられたり、ぶらり中に入ってこられる方も・・・。
地元紙というメディアの「リアルな場」をお借りしながら、私自身が
誰かの感動メディアになれたらと思う。
それは大イベントでなくてよく、小さな活動でも、続けることで
届くこと、伝わることがあると思っている。

そういう意味では、まだまだ活動の場、拠点を増やしていきたい今日この頃。

ひとつひとつの出会いを大切に、そこで笑って、泣いて、ああよかったと
思っていただけるように、自分なりに工夫し続けたい。

何事も人のためではなく、自分の人生のため、自分の旅のため。

新たな人に出会うため、新たな場所を開拓する。それが自分がはじめているグラン・ルー流音楽の旅なのかもしれない。

本日、おいでいただける方に感謝を込めて。今日のテーマは「新時代に幸せを呼ぶ」~お客様参加型で楽しく進行したい。互いに、素敵な心の旅になるように。

以下の写真は、昨日開催のジャコバンピアノ音楽祭のリレーコンサート風景より


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