マニュアルよりも鏡を。

知的な人が就く職業の方のために、失言を防止するためのマニュアルが作成され、関係者に配布されたようで、驚いている。その手間と労力と、発想に。

マニュアルとは、機械の操作作業手順や、誰がやっても一定基準を保たないといけない仕事に対し、大勢の人が取り組む場合、同じ品質の仕事をできるようにするための資料、トリセツであるが、高度な技術を伴わない会話の世界でそんなマニュアルが必要であるかどうか?とくにもともと、口が商売道具の人たちに、そんなものがないといけないのか?と疑問を抱いてしまう。言葉のプロじゃないんですか?と聞きたくなってしまう。

マニュアル作れば、問題が起きないと思うその発想に首をかしげたくなるが、
会話は、発言は、基本的に相手のことを大切に思えば、相手のことを思って丁寧に話せば、問題発言など出ないのではと思ってしまうが?

問題を起こさないためには、頭の中に情報を叩き込むことではなく、どうしたら相手が喜ぶか、理解してくれるかという視点をもち、相手目線で会話をする、自分が自分がではなく、まず聞くという立場を大切にすれば、もっといえば、自分が何様かを勘違いしなければ、問題はなくなると思いたい。

要するに心根の問題、自分の勘違いをなくすこと。
マニュアルの前に、自分を見つめ直すこと。

そんなこともマニュアルにかいてあるのかどうかしらないが、
そんなものがなければ、答弁できないなら、その仕事に就く資格もないのでは?
マニュアル作ること自体をニュースで言うということも、恥ずかしくないのかと
とにかく驚くことが続く、今日この頃・・・。

必要なのは、マニュアルより、自分を映す鏡。

言葉は難しい。心の現れであるから。
まず、一言の重さを自覚すること・・・。
いずれにせよ、まずは、我が身から。




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