途中下車歓迎のまんなか駅!

名古屋に拠点を移し、かれこれ2年。
おかげさまで、東京拠点では味わえない経験をいろいろさせてもらっている。
東京にいると、関西以西にいる人となかなか会えない。
関西にいると、東京にいる人となかなか会えない。
ところが、名古屋というところは、
東京の人も、関西の人も、気軽に
「途中下車」してくれる。
待っていたら、どちらの人も気軽に新幹線を下りてくださるのだ。

「ほんなら、東京行くときに名古屋でおりますわ」
「東京から京都帰るときに、名古屋に寄るので、名駅で打ち合わせしよ」

と、そんな人が最近増えている。
そして、一度途中下車されると、
「ほんとうに、名古屋と京都は近いなあ」
といって、今度は途中下車でなく、わざわざ来てくださる。
まさに、京都と名古屋は、新幹線での隣町なのだ。

名古屋駅で打ち合わせのために、新幹線を下りてくださる方のために
駅前のカフェや喫茶店探しも最近の課題だ。
どうせなら、名古屋らしいモーニングでも楽しんでもらえる、そんな
店を・・と探し、約束の時間より早く行って席をとる。
実際、名古屋駅の喫茶店は混雑し、90分までという制限を設けている
ところもあり、長時間の打ち合わせのときは、店のしごをすることもある。

名古屋で途中下車。
新幹線駅はそれぞれ目的地であるような印象があるけれど、
名古屋だけは、途中下車するに値する、そんな町。

打ち合わせを終えて、新幹線の改札でお客さんを送る。
「今度は、東京で」「次は京都で」
西へ東へ向かう人を送るのも、なかなか味がある。

そんなこんなで、途中下車してもらえる、名古屋の地の利を改めて実感している。

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独奏曲か?協奏曲か。

 音楽の魅力のひとつは、その演奏者やその演奏スタイル・形式から、さまざまな人生を学ぶことができるという点。

たとえば、独奏曲。いわゆるソロ演奏。ピアノ、チェロ、バイオリン、またアカペラも無伴奏の独唱なので、そこに含まれるだろう。
ひとりで演奏する。誰も自分を導いてくれない。自分で導きながら、同時に自分の世界を表現していく。すべての注目が自分だけに集中するという緊張。自分にその作品の表現、世界の創造は任されている。


一方、協奏曲。ピアノとバイオリン。ピアノ同士。オーケストラとピアノ。複数の楽器が呼吸を合わせて一緒に演奏する。デュオ、トリオ、カルテットなど少人数の場合は、それぞれが個々に目を合わせ、心を通わせながら、一緒にひとつの世界を作り上げる。一緒にという共同作業は音色を重層的に、深みあるものにしてくれるので、その重なりが何とも素晴らしい。ハーモニーは、コミュニケーションが育むすばらしさを教えてくれる。協奏曲の魅力はまさに調和だ。

交響曲となると、オーケストラ。管楽器、弦楽器、打楽器それぞれ、金属から木製まで素材もカタチもさまざまな楽器でそれぞれが違う音色を出し、大きな重層的な響きを作り上げる。ここでは指揮者の役割が重要になる。
大勢の演奏家たちが、呼吸を合わせ、お互いの音色を聴きながら自分の役割を発揮している様は、感動のコミュニティを思わせる。

楽曲と演奏者。いろんな組み合わせがあるが、自分はどれが適しているか?

多分、独奏曲だろう。でも、ときに協奏曲も良い。

音楽を聴きながら、演奏者の表現を聴きながら、自分の生き方に置き換えてみるのも面白い。

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とことんやりぬく、やり切る

毎日取り組む課題がある、しなければならないことがたくさんある。
これはとてもありがたいことだ。
でも、忙しいという言葉は、心を亡くすと書くので、あまり好きではない。
やることが多くとも、ひとつひとつに心を込めて取り組みたい。

そして、いただいた課題にはとことん全力で取り組みたいと思う。
ここでいただく課題とは、お客様からいただくこともあれば、自分の中から
湧いてくるものもあるが、取り組むべき課題があるというのは幸せなことだ。
その課題に真剣に取り組むことで、成果もあがるし、やりがいも出てくる。

たとえば、仕事でコンペがあるとしたら、これは仕事をとるための仕事だから、
相手がいる仕事だから、負けるわけにはいかない。
だから、どんな細部でもやり残したことがあってはいけない。
どこから見直しても、考え抜いた、やり切った。言い切った、書ききった・・・。と言い切れる仕事にしたいと思う。おのずと結果は出る。そのときに後悔だけはしないようにしておきたい。

おかげさまで長い時間一人で仕事をしてきたせいか、自営業で生きてきたせいか、そのあたりは自分に厳しくするようにできているようだ。
手を抜いたら負け。自分への負け。やるしかない。やれば前に進める。
自分との闘いは自分を成長させる。

今日も明日もとことんやりきったら、やりぬいたら、人生は思う方向へおのずと
進むのだと思う。
最近、改めてそんなことを、より意識して生きたいと思い始めている。


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東京MOSごと美術館2019開幕!

念願の障がい者アート展が今日から都内ではじまる。
今回は新潟の障がい者の方が創作された作品を、東京の一部店舗で展示する。
その搬入に立ち会い、会場づくりに関わった。

障がい者の方の素晴らしい作品が都内10店で合計50点鑑賞できる、MOSのお店ごとに違った作品が楽しめる、新しいアート空間の誕生。新たなコミュニケーション、ふれあいの場が生まれるように願いを込めて企画。

それぞれのお店の雰囲気、特徴に合わせ、展示作品も設置方法も変化に富み、店ごとに楽しいアート体験ができる。
2020年に向けての東京開催第一弾!
ここから楽しい対話が、笑顔のコミュニケーションが生まれることを心から願っている。これまでの新潟、東京での出会いから、生まれたこの取り組み。
これが実現するために、何年の月日が?と思い出すと懐かしくもある。
今回、東京のお店で新たなコミュニケーションがたくさん生まれ、愛の花がたくさん咲いてくれることを祈っている。
今回も貴重なありがたい経験をさせていただいた。すべての関係者に心から感謝を込めて・・・。

さあ、これから来年に向けてスタートだ。
オリンピックまであと1年のいい節目の朝となった。

MOSごと美術館の詳細はこちらです。

https://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_190710_1.pdf

写真は設営時の写真の一部です。

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贈るものも、いただくものも、大切に。

この時期は、もののやりとりが多くなる。お中元の季節だからといって、儀礼的に、義務的にではなく、お世話になっている方へ感謝を込めて、その人のことを思い浮かべ、喜んでもらえるようにしたい。
今はカタログから選べる便利な時代。子供の頃に比べたら、限りなく選択肢が広がっているが、できればそこに載っていないものを探すようにしたい。掲載されているものは、誰からでもいただく可能性があるから。
今年、選んだ商品でよかったと思うもののひとつは、岐阜の手作りうちわ。
手作りの珍しい工芸品も(もちろん贈る相手によるが)、とても良い。
また、職人さんにも「こういう人にあげようと思います」と伝えると、より丁寧にラッピングしてくれる。
食べるものだけでなく、季節を快適に過ごしてもらえる道具もギフトに適している。まるで、旅行をしているような、そこに来て涼んでいるような気持ちになっていただけたらと思う。

今年の夏も、新潟の白根というところから、桃が届く。送り主の地元の名産だ。
ああ、新潟のこの季節の味だ。と、心からうれしくなる。
みるたび、ひとつ手にもつ、皮をむく、口に入れる、味わう。そのたびに、贈ってくださる夫妻の顔が浮かび、感謝の気持ちが生まれる。
今回は、それを出張にまで持参し、旅先のホテルでもそんな気持ちで朝、いただく。なんだかずっと贈り主と一緒にいるような感じがしてくる。

ギフトは、まず心。高価であるとか、そういうことよりも、心がこもっていることが大切だ。

夏のギフトとは違うが、この度ポルトガルからスペインへ巡礼の道を旅してきた知人が、その巡礼地で旅人たちが買い求めているベレー帽とピカソのゲルニカのしおりをくれた。旅先で自分を思い出してくださるとは、光栄なこと。

一方、先日、雨の中訪ねた長崎の郊外。いつもお世話になっているシスターに差し入れをもっていったら、お返しにと持たせてくれた、シスターお手製の梅ジャム。「ちょっと酸っぱいけど、無添加だから」と渡してくださった顔を思い浮かべ、早くなくならないようにとちびちびいただいている。そのときも、いつも
シスターの顔を浮かべながら。

贈りものは季節を問わず、心が向いたときに。
大切なことは、贈るときは、相手にとってどうか?の選択。
実は選ぶことは難しい。
そして、いただくときは、その気持ちをしっかり受けとめること。

そしてお礼はいち早く。がいい。贈った人が届いたかなと心配されているから。

そんなこんなで、この季節、いろんな人の気持ちに包まれて、幸せを感じる。



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気になったらすぐアクション!

日曜の朝、東京駅、東海道線のホーム。これから横浜に向かうのだが、熱海行の特急がホームに入ってくると知り、ふと、半年以上ご無沙汰している元上司のことが頭をよぎった。
その元上司は、京都から伊東に移住されてもう10年以上経つ。時々熱海や伊東で会って食事をしながら昔話や近況を語る仲。顔を見えるととても喜んでくれて、私にとっての京都のお父さんのひとりのような人。
もう90歳近い。昨年、胃がんの手術をされた・術後は順調ときいていたが、高齢での療養中であるので、元気になったらという約束で、訪ねていくのも控えていた。そして忙しさにかまけて、そのままご無沙汰していたわけだ。

急に気になり、ホームから携帯に電話する。
ちょっと弱弱しい声で、電話に出た元上司。相手が誰かわかってから、だんだん調子が出てきた。あ、元気そうだ。こちらも安心する。
3分ほど話していたら、昔の元気な上司に戻った。

「あんたの声聞いたら、元気になってきたわ。」会話の合間に、何度も何度もそう言ってくれた。確かにどんどん声が大きくなって、貼りが出てきた。

「前もって連絡してくれよ。待っているからな。」
近々会いに行けそうだ。
熱海行の電車をみたから、思い出した。

日ごろ、いろんなことに追われて過ごしているが、ふとした瞬間に頭をよぎる
気になる人がいたら、或いは思い出したら、すぐ連絡、すぐ行動。

後悔しないために、それが良い。声がきけるときに、会えるときに。
とくに高齢の方には、こちらからアクションした方が良い。
電話だけでも、元気になってもらうことができる。

近々、伊東へ行こう。もっと元気になってもらわなくちゃ!

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夢運ぶ人を悼む。

その京都にあるアニメの制作会社のことは知らなかったが、アニメ好きな知人に聞くとその世界では、全国でも著名であり、東京以外で、まさに地方から作品を発信しようと活躍。世界からも注目、支持されていたいたとのことで、今回の大惨劇はアニメファンの方にはたまらないし、私のような一般の者にも、ショックすぎて言葉が出ない。
たまたま、出張した先がその会社の近所にあったため、余計に本当にこんな静かな町で、そんなありえないことが起きたのだろうか?それは現実の話なのだろうかとずっと思っていた。
悲しいことに、これは現実であり、何の罪もない、夢に生きるクリエイターたちが多数亡くなられてしまった。怪我をされた。
ご本人、ご家族、そしてここまで人を育て、京都からアニメを!と奮闘されてきた社長の胸中を想うと、胸が締め付けられる思いだ。
作品も、人も・・・。かけがえのない命がなくなってしまったのだ。

アニメとは仮想の世界。実写以上に想像を掻き立てられ、もうひとつの世界に自分が生きているような気持ちになれる。
現実からは逃げられないけれど、こんな世界も見られるよ。考え方もあるよ。と生きるものにメッセージを与えてくれる存在だと思う。
文学のように重すぎず、軽いタッチで自然に作品に入り込めることも特徴だと思う。
そんなアニメ。そのファンがバーチャルとリアルの世界がわからなくなり起こした事件なのかどうか?は定かではないが、可能性はあると思う。

ゲームをする、アニメに接し続けることで、人生もバーチャル化してしまう
こともあるかもしれない。
バーチャルを楽しむのももちろんいいが、リアルとの区別ができなくなったり
人を簡単に殺せるとか思ってしまうのは、本当に怖いことだ。

生きているのはリアル。死ぬまでリアルだ。

アニメを、バーチャルをいい距離感で楽しむことで、リアルな人生をよりプラスにしていく。夢を与える作品とはそういうものだと思う。

とにかく、本当にお気の毒で、言葉がない・・。

人々に夢を与える仕事を選び頑張っておられたクリエイター。このたび被害を受けた皆様のことを思い浮かべ、こんな異常すぎる事件が続いて起きているこの日本が早く変わること、本来の人間らしい社会になることを心より願っている。

お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りします。

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願いをロマンチックに「見える化」する

短冊に願いを書いて笹に吊るすという行為。
この7月は、街角に色とりどりの短冊を吊るした笹があふれている。
そして日本各地では8月にかけて、さまざまな七夕まつりが開催され、賑わう。
このあと来たる猛暑は苦手であるが、七夕は素敵な初夏のおまつり。
もともと中国から伝わったようであるが、今やすっかり夏の訪れを告げる、日本の代表的な風物詩となっている。
なんとなく 心和む、七夕さん。ロマンチックなストーリーも心地よく、
七夕は別名サマーバレンタインとも言われている。

短冊を書くという行為は、とても日本らしいと思う。
書いてある短冊を見ると、つい興味深げに見てしまう。
しかし、大人になって、短冊を書く機会は減っている。子どもと一緒ならば
そんな機会もあるだろうが。

そんなこんなで今回、先に書いた企業のお誕生日会で、笹と短冊を用意し、社内のみんなの願いを書いて、吊るしていただく企画を試みた。
大人に短冊は似合わない?いえいえ、早速、ノリノリで一句したためてくださった方もおられて、それぞれに思いの「見える化」は楽しく、そこから会話も生まれ、またじんわりと背筋が伸びるいいひとときなのかも・・とも感じた。

そう、七夕の短冊は、願いのコミュニケーションツールだ。

願いの見える化は、人間の心を新しくし、思いを公的にし(しかも匿名であるのが気楽でもあり)新たな行動を生み出す。

企業でやってみた初めての取り組み。ぜひ、今後もこの時期の恒例行事にしていただけたら・・・。

書かれた願いが、実を結ぶように、心から応援したい。

なんとも余韻の残る誕生日会となった。

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わが子のような商品の誕生日を祝う。

毎日が誰かの誕生日だ。そして人だけではなく、企業にも誕生日がある。
創立記念日、創業記念日として、企業の歴史を振りかえり、明日に向かう節目として関係者で祝う。
そして、さらに商品にも誕生日がある。発売日が商品の誕生日。
思ひがカタチになり、商品化され、上市したとき。それが商品の誕生日だ。

今日7月19日は京都にある企業のある商品の発売記念日。お誕生日と呼んでいる。発売1周年だから、1歳の誕生日。
その節目を、社員みんなで集まってお祝いしようということになった。
商品のお誕生日会という試みも、なかなか珍しいが、なかなか良い取り組みと
思う。
企業と同じように、モノであろうが、コトであろうが、人が想いをもって、
カタチにしたものは、立派な命である。
会社だって、法人と呼ぶ。そこには人格がある。同じく商品も人が生み、育てるのだから、こちらも誕生日があってしかるべきもの。会社の、社員の子供のような存在だ。

だから、全社を挙げてお祝いするのは、とてもいい試みだと思う。

それを企画し、一緒に参加する。なんだかわくわくする。

人の想いから生まれたもの、人の息が、手がかかったモノ、ことはすべて人格があるから、大切にしよう。

無駄にしてはいけない。生んだ以上、生まれた以上、大切に育てる。
つくっては、POSレジにはじかれ、短命で亡くなっていく商品・・・が多い
時代だからこそ、改めて生まれてくる商品の命、を大切にしたい。
商品は企業の命そのものだから。
今日は一緒にお祝いに参加しようと思う。



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新聞記事を切り抜かれる喜び。

岐阜新聞のロビーコンサートもおかげさまで3年目に突入。このまる二年、隔月開催を続けてきた。小さな取り組みでも継続は力なり。おかげさまでリピーターの方も増えてきて、毎回会場はにぎわっている。
今月より、新聞のコラム連載も始まったため、コンサート前日の記事にはこのコンサートのことを記載した。岐阜新聞が行っている文化活動を知ってほしいという思いもあり、また自分の想いもお伝えしたく・・。

「ロビコンにようこそ!」ではじまるこの記事。ロビコンとは、ロビーコンサートの関係者での通称。

さて、この記事を見て、コンサートに来てくださる方はいらっしゃるのか?

果たして新聞は読まれているのか?いろんなことが気になる。
掲載翌日に開催したコンサート。
いつもと違う顔ぶれがそろう。もしかして?期待が混じる・・。
30分という時間、たっぷりトーク&演奏というわけにはいかないが、ほどよい時間帯でもある。今回は七夕、夏の旅をテーマに展開。

おかげさまで盛況にて終了。

お客様ひとりひとりにご挨拶をして、お見送り。
すると、あるご婦人が
「あのー、私、昨日新聞見て、それで初めて来てみたんです~」

と、声をかけてくださる。

「へえ!そうなんですか。うれしい~~。」

と私が言うと、そのお客様は、バッグの中から切り抜いた新聞記事を出して
見せてくださった。
「ほら、これ」
見せてくださった記事には、赤い線がところどころ引いてある。

ああ、今の時代も、こうやって新聞を読まれる方がいらっしゃるのだという
こと、そしていいと思った記事を切り抜き、そして出かけてくださったという
まさにAIDMAの実現・・・というと大げさであるが、記事を見て来てくださったことに感動した。

「ああ、そうですか~~。うれしいです。本当にうれしいです」

なんども頭を下げた。

新聞というメディアの良さを今回も痛感。
人を動かすメッセージをこれからも発信したい。もちろんまた来たいと
思われるパフォーマンスが前提だ。




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