ささやかな春の楽しみ


各地では大雪の影響が出ている。新潟の知人にも連絡をする。
雪下ろしに時間も体力もとられて、雪国の人は大変だ。
早く、雪解けの春が来るように・・・と願う週末。

心だけは春を先取り・・・。
新潟の企業さんが作っているゴミ拾い専門トング。
この商品の広報について、発売当時応援していた。
モノを売るのではなく、ゴミ拾い文化を広めようと自ら活動する
若い経営者のハートと行動力に魅了され、そのおつきあいは
今も続いている。

一方、地元の春といえば、岐阜県では知る人ぞ知る、
重要無形民俗文化財にも指定されている手力神社の火祭り。
子どもの頃から、この奇祭が春の楽しみであった。
岐阜を離れても、祭りの時にはこの祭りの雰囲気に触れるため
少し帰省したこともあった。
親たちはこの祭りとともに、この町で生きたようなものだ。

両親はもういないが、祭りになると二人の嬉々とした姿が
浮かび、涙があふれる。
父が大好きだった、自慢していた祭りに何かできないか・・。
爆竹を使い、花火を使い、火祭りという名にふさわしい、
音に、目に、熱に感動を覚える五感の祭り。

昨年、見に行ったときに、爆竹を鳴らした後の大量のごみを
手で拾っている人達の姿が目に入っ熱いだろうなあ。
拾いづらいだろうな。
ということで、新潟のゴミ拾いトングが浮かび、これを使って
もらおう。
ということで、このたび地元の自治会の会長さんに、火祭り
にピッタリのオレンジ色のトングを送らせていただいた。

ゴミ拾いトングの色がそろっているなんて、町のイメージにも
かっこいい!とにかく祭りが足元からも華やかになればいい。
ちょっとした町のSDGsにもなるかも?

トングをつくる会社の社長は日頃より山で、海で、ごみ拾いを
スポーツとして普及する活動もしているが、祭りにゴミ拾い
トングも喜んでくれるだろう。

「トング、届きました~。大切に使わせていただきますね。
祭りの日にまた写真送りますわ」
とご連絡をいただく。
喜んでいただけたら、うれしい。

火祭りが、今年も無事に安全に開催され、地元の皆様が
安心して1年を暮らせることを願う。
小さな小さなことばかり。そんなことしかできないが、
春の楽しみが一つ増えた。

ゴミ拾いトングをつくる会社のサイトはこちら
https://www.eizuka-ss.com/

カテゴリー: Essay (Word) | ささやかな春の楽しみ はコメントを受け付けていません

情報の入手、向き合い方。


放送大学の過去の授業で、中東の専門家で知られる
高橋和夫先生の話をふと思い出した。
揺れ動く世界を正しく見るためには、さまざまな情報を
得るようにする。しかも日本語で書いたものではなく、
外国語で書いたものを読むようにする・・・など。

情報が氾濫する現在、より正しい情報を得る姿勢が
大切だと改めて気づかされる。
世界中の動向を常にキャッチする仕事をされているから、
情報の付き合い方もさすがと思う。

少しでも参考にしたいと思うが、
外国語のニュースといっても、英語がせいぜいであるが、
意識して眺めるだけでも、日本のメディアとは違う
事に気づけるのは確かだ。
BBCはおすすめだと、以前ジャーナリストから教えて
いただいた。

遠く離れた日本で記者たちが見聞きして書かれた情報では
なく、より現場に近いところで現地をよく知る人たちの
取材により、集められた情報にもっと触れようということだ
と理解する。情報源を知る、情報源に近い情報を知る。
そのためには、日ごろから偏りなくいろんな情報を得ながら
有用な情報を選びとって、判断をすることが重要。

プロのジャーナリストであれば、情報源は必ず探して、
その上で活用して記事にしているはずだ。

ということで、単に目の前に流れている映像や音声をうのみに
してはいけないということ。
情報は自分から取りに行く。
それから、偏りなくいろんな情報を得るようにし、そこから
真理を探る。解決法を考えることを意識したいと思う。

これは世界情勢だけでなく、日常の環境、身の回りに
おいても同じこと。
一方的な情報収集にならないようにすること。
いろんな視点から情報を聴きながら、その上でどうしたら
を考えること。

偏りのない情報のとりかた。
そのためには、いろんなところから偽りのない情報が
入手できるように、日ごろから関係づくりをきちんと
しておかないと。常に一方的にならないこと。

そう、一番のメディアは人間ひとりひとりだ。

いろんな情報を素直にとりいれ、うけとめ、
そして整理しながら、俯瞰し、自分の道を見出すこと。

人は情報に左右される。
流されないようにしなければ。

常に地球儀を見る感覚で、身の回りの動きにも目を向けて
いきたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 情報の入手、向き合い方。 はコメントを受け付けていません

伝わってこそ。のコミュニケーション

コミュニケーションは一生の課題であると、日々痛感する。
コミュニケーションなしに生きられず、何もできず。

相手に伝えて、それがこちらが意図したとおりに伝わるか。
伝わればよいが、そうでないこともある。そうでないことの
方が多いこともあるし、伝わったと思っていたら、実は
そうではないということもあり、とにかく毎日反省の連続だ。

たとえば、記者発表会などを企画して、複数の報道関係者に
商品やサービスのことを伝えても、短時間の説明やリリースの
内容だけでは、時として違った解釈で報道されてしまうこと
もある。伝えたはずであるが、伝わり切れていないことも、
ある。その場合は速やかに対応する。そこも大切だ。

個々のコミュニケーションにおいても、自分の意図とは
違った伝わり方をすることもある。
伝え方の不十分さやタイミング、相手の状況によっても
伝わり方が変わる。
コミュニケーションは伝えるための活動であるから、
伝わっていなければ、意味がない。
また、それ以上に誤解を招いたり、相手に不快、不安な
気持を抱かせてしまうこともある。
そういう時は、本当に申し訳なかったという気持ちになる。
素直に反省し、お詫びをする。

改めて、伝えることの重さをかみしめて、慎重に丁寧に
いかねばと思う。
相手との距離によっても、コミュニケーションは変わるが
その距離や関係に甘えることなく、どこまでいっても
相手の立場に立って、丁寧に伝えることを改めて
心がけなければと思う。

コミュニケーションクリエイターという名に恥ずかしい
ことも日々起きる。
一生懸命に生きることは大切。
と同時に、自分だけが一生懸命ではなく、周囲の動きも
しっかりみつめ、相手のことをよく理解することで
良いコミュニケーションが生まれる。
みんな、それぞれ一生懸命生きているのだから、その理解が
おろそかにならないように。

コミュニケーションとは、あくまでもキャッチボール
である。キャッチボールをするには、やはりお互いが向き合って
いなければならない。そして一定の距離がないとキャッチボールが
できない。ゆとりも必要だ。
「今、よろしいですか?」の一言も大切だ。

と、毎日の反省を重ね、改善を重ね、ありがとう!が
生まれる1日になればうれしい。

全ては相手があってのコミュニケーション。
忘れないように。

カテゴリー: Essay (Word) | 伝わってこそ。のコミュニケーション はコメントを受け付けていません

目を疑う値段、味は?

百年以上続いているお米屋さんの三代目とお会いし、
あれこれと生き残りにかけた話をする。
「米の値段もよくわからなくて、先行き本当に見えないです」
老舗であっても、そんな様子。
バレンタイン商戦を前に準備に忙しいお菓子屋さんも
カカオの値上げに悲鳴をあげておられる。
「今年のバレンタインは、カカオの値段がまた上がって
どこも大変だと思います」

つくる側も、売る側も、それぞれかかるコストが高騰して、
売り場に並ぶ商品を見て、本当に驚く。
こんなに高かった?もしくは、こんなに小さかった?薄かった?
とにかく、同じ価格で以前と同じ商品が同じ量だけ購入できない。

この現象、以前のような状況に戻る望みは薄いだろう。

長年親しんできた、チョコレートも半分ぐらいの薄さに変貌して
いた。値段も上がり、量は減り・・・。
これからは、これまで以上に味わって、少しづついただかないと・・。
丁寧に味わう必要がある。

商品を作り、販売を続ける企業、お店の努力に改めて敬意を
表し、その苦労も味わって商品をいただかないと・・・と思う。

値段も変わり、量も変わり、味わい方も変わる。
無駄にしてはいけない。
一口、一粒を大切にいただくようにしなければ。

バレンタインイベントが各所で始まったけれど、毎年
楽しみに集まるチョコマニアたちも、きっと会場で、
これまでと違う感覚をもたれるのでは・・・。

先行きは見えないけれど、変化を受け留め、
その中での楽しみをみつけたい。

そして、根本的な暮らし方の見直しもしていかねば。
このままではいけない。



カテゴリー: Essay (Word) | 目を疑う値段、味は? はコメントを受け付けていません

何を見て、誰に寄りそうか。

人間、同時にそんなに多くの人と向きあい、交流することは
できない。表面的なつきあいであれば、可能かもしれないが
ひとり一人の心に向き合うとなると、大勢に同時に寄り添う
難しさはある。
とはいえ、気になる人も多く、何とか力になれたら・・・と
思い、できる限り、声をかけつづけ、理解をし、背中を
押したい。

誰に寄りそうか。
ここは、実はとても大切だ。
そして相手によって、その寄り添い方も異なる。

悩んでいる人、困っている人、弱っている人に対し
自分が何か力を届けることができるならば、まずはそこ。
一人で悩まなくてよい。と言いたい。
受け入れながら、前に進めるように、言葉をかけ続けたい。
さらに前に進もうとしている人には、ゴールを共有しながら
一緒に走る。

ちょっと立ち止まる、とことん聞く、一緒に走る。
走りながら、時に導く。

とにかく、いろんな寄り添いがある。

最近、寄り添い方の大切さを実感しながら、ひとり一人に
丁寧に向き合っていけたらと思う。

どこまでも、相手を人を見て。
私の場合は、やはり現場主義。

データだけでなく人を見て、ひとり一人に向き合い、
コミュニケーションをとりながら。

みんな、それぞれ何かしらの悩みを持ちながら
生きている。
それが人間なんだ。と自分自身にも言い聞かせ、
そして、悩める人にも一緒に走ろうと声をかけたい。

どうせ生きるなら、より良く生きたい。
みんな、そう思っているはずだから、
そうなれるように、目を向け、言葉をかけ、背中を押したい。

カテゴリー: Essay (Word) | 何を見て、誰に寄りそうか。 はコメントを受け付けていません

〇〇に生きる。を考える

ここ最近、もっと早く気づけばよかったと思い、心寄せて
何度も聴きながらその表現力を学ばせていただいている
シンガー、ちあきなおみ。
今はどうされているのだろうか?
お元気ならばうれしい。

約40年前に録音された楽曲を聴き、ほんとうに歌う女優だ
と酔いしれる。
心をつかむとは、心に染み入るとはこういうことか。
どんな美辞麗句も巧みな演説も、心に染み入るという例は
本当に少ない。入ってこない方が圧倒的だ。

でも、歌の力は、本当にすごい。
と感動しつつ、ずっとこのシンガーのライブ録画を聴き続ける。
歩きながら聴くため、映像はない。想像しながら聴く。
各楽曲の歌詞をきいていると、時々自伝的なメッセージも
挿入されていて、歌のなかの物語は、実は、歌手本人ではないか
と思うところもあり。

そんななかで、「歌に生きる」という言葉が出てきて、
思わず、足を止めた。
この人は、ほんとうに歌に生きているんだなあ。
・・・そうか、自分は何に生きているんだろうか。

〇〇に生きる。
道往く人は皆、それぞれ、何に生きているんだろう。

仕事に生きる?家庭に生きる?趣味に生きる?お金に生きる?
人それぞれだろう。
一番大切にしているものは?
人生のコアは何か?ということだ。

わたしの場合は・・・と考えてみる。
歌に生きる‥というには極めていない。
あれこれ考える。

今のところは
愛に生きる・・・と言いたいところ。
もちろんこれも言えるほど、極まっていないけれど、
そんな気持ちで生きたいとは思う。

とにかく
〇〇に生きる!
と言い切れる、ブレない人生を歩むと、生きるパワーも
みなぎってくるのでは。
そんな生き方は、とても好きだ。


カテゴリー: Essay (Word) | 〇〇に生きる。を考える はコメントを受け付けていません

調和の美を目指す、ばんそう者に。

社会で生きていく際には、それぞれ役割を担った人が
協力しながら、同じ目的意識をもち、ともに進んでいけると
とても良い社会になっていけるのだが、人ひとりひとりは
違う人格であり、価値観や考え方も全く異なるため、
ともに歩み続けることは簡単ではない。
また人の上に立つ人の姿勢、言動、行動で部下の人達の
意識や行動は変わる。
もし、何か問題があったとしても、あの人もがんばっているから
自分もがんばろう!という気持ちになれたらいいけれど、
そうならないこともある。
がんばってもらえると思っていたのに、突然、退職したい・・と
言ってくる人もある。
その人にとっては考え抜いて、決断しての行動であるが、
その前に相談してもらえていたら、愚痴のひとつでもこぼして
いてくれたら・・違う結果になることもある。

話しやすい、相談しやすい、相談してみたいと思ってもらえる
人であることがリーダーの要件かもしれないといろんな場面に
接して、強く思う今日この頃。

人間関係が昔より希薄になってきており、人は組織内よりも
情報含め、外に解決のヒントを求め、知らない間に自分の次の
選択をしていることも増えているのかもしれない。

組織をまとめていくことの難しさを実感する。
寄り添う、支える。
これは言葉だけでは、成し遂げられない。
そして、ひとり一人に寄り添うことは難しいかもしれないが、
その人の立場に立ち、深い洞察力でもって、その人の心まで
読み、先に言葉をかける、どうしたらこっちを向いてくれるか
考えて先に行動する。

リーダーにはそんなことも求められる。

自分は誰に寄り添い、誰を支えているか、支えるか。
求めてくれる人に対して、肩書は関係なく、その人の
立場に立って、あるべき姿を描きつつ、時には励まし、
時には導き、伴走し続ける。

経営者に対しても、リーダーに対しても、
まだ走り始めたばかりの若い人たちに対しても・・・。
ご縁があって、求めてくれる人とともにしっかり伴走したい。

音楽には伴奏。仕事には伴奏。
以前、声楽家のピアノ伴奏をした時に、
「マーコの伴奏は歌いやすいわあ」
と褒められたことがある。
相手が歌いやすい、仕事しやすい、生きやすい・・・
そうなるためのサポートをするのが、良い伴奏(走)者。
一緒に作り上げる。そこには協力というハーモニーが生まれる。
その美しさが感動になる。
仕事の場面も同じこと。

ありがとうの言葉が生まれる、ばんそう者でありたい。
ここにはやはり、コミュニケーションの力が欠かせない。

カテゴリー: Essay (Word) | 調和の美を目指す、ばんそう者に。 はコメントを受け付けていません

ボランティアスピリットを今一度。

自分の意志で、だれかの役に立ちたいと行動する人をボランティアと
言う。この活動は近年広がっているのではないか。
子どもの頃は、この言葉自体はなかったかも。
しかし、今は日常的に、多くの方が活動をされている。
本当に頭が下がる。

ある人は、「わたしはプロとしてお金をもらわないと嫌なので、
少なくてもいいのでもらわないと仕事をしない」と言われた
ことがある。そうか、そういう考えか・・と思ってきいていた。
依頼されてお金をいただいてする仕事。それはいわゆるお仕事。
それはそれでいいけれど、依頼されなくても、これをしたい、
これでお役に立ちたいというときの自発的な行動はプロであれ
アマチュアであり関係ない。
自分から見返りを期待せず、動くことができるかどうか?が大切
ではないかと思う。

思えば、母親はよく日本赤十字やその他での奉仕活動に出かけて
いた。「ボランティアいってくるわ!」人の役に立つことが
やりがい、生きがいになっていたようだ。

自分からやる、自分の意志でやる。このことが自分を成長させて
くれたり、内面を磨いてくれたりする。
日常の暮らしとは違う場面で、人が喜んでくれると、それが
うれしかったりもする。

子の30余年、阪神淡路、東日本、能登をはじめ、多くの地震が発生・・・。
そのたびに、各地からボランティアの人たちが現地に駆けつけ、お手伝い
をされている。本当にすごいなあと思う。
それ以外でも、地域のために尽くしておられる人たちがいる。
見返りがあって、ではなく、自分ができることをやろう!と
行動されるそのボランティア精神に頭が下がる。

私ができることは、まずは音楽活動。そして、困っている人に
寄り添って、話をきいたり、元気を届けること。
それしかできない。それぐらいのことであるから、
「ボランティアやってます」と、いちいち言わなくていいので、
日ごろから、自発的に行動することを実践すればいい。

自然な心で、自発的な行動を。
人のために・・・は、結局は自分のために。

もちろん、人のために・・・と思えるためには、いろんな意味での
余裕が必要だ。
心の余裕、時間の余裕、体力の余裕・・・。
ギリギリで生きていると、そうはいかないから、
ゆとりをもって、日々を重ねたい。

世界で活動されているボランティアの皆様に心から敬意を表したい。
一方、ボランティア募集と言いながら、自身はしっかり報酬を得たり
ビジネスしている人のことは・・・・。

仕事とボランティアの両立。これは理想かもしれない。
ボランティアだけでは生きられないから・・・。

上手く両立しながら、自発的に善行を積む。この生き方を目指したい。

カテゴリー: Essay (Word) | ボランティアスピリットを今一度。 はコメントを受け付けていません

「つむぐ」を胸に。

5時46分。神戸市に向けて、祈りをささげた。
あの大震災から31年の朝を迎えた。
そんなに長い歳月が経ったのか・・・。
当日のことを、思い出す。
へ?どこ?こんなことがあるのか?と
帰国直前のクアラルンプールのホテルで見た、
崩壊した高速の映像を見ての衝撃・・・。
まずはそこからであった・・・。

あれから神戸の街は、本当に見事に復興した。
商店街をはじめ、昔とは変わった街並みを見ながら
地元の皆さんのがんばりを心から感じ、人の力は凄いと
思った。
でも、元通りにはならない。前には戻れず、前に前にと
進んでこられたのだ。

あれから、地震への不安はどんどん高まり、今や日常的な
存在になってしまった。

今回の哀悼の集いのテーマは「つむぐ」だとのこと。
紡ぐ・・・。時間が経ってもこの記憶が薄らぎ、なくなっていかないように
人ひとり一人の思いを紡ぎ、忘れないように。被災された方のご不幸や、ご苦労を
忘れずに生きていくこと。

「紡ぐ」という言葉の意味を改めてかみしめる朝。

改めて被災された方たちへの祈りをささげたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 「つむぐ」を胸に。 はコメントを受け付けていません

誰にとっての優先順位か

なぜ、今なのか?と思うことが、新年早々に
起きている。
日本でも、世界でも・・・。
どう見ても、客観的に、公的に見たら、そのことは
今重要ではなく、先に取組む優先課題があるのに、
それよりも、見方によっては自分にとっての優先課題が
何よりも優先され、決定され、実施されてしまう。
なんで?なぜに今?
目の前の山積みの課題があるのに、全く理解ができない。
戦争も選挙も戦い。誰にとっての?
首謀者にとっての・・である。
人のことより、我のこと。
権力者の判断で、大切な公費と時間と手間が費やされる。

仲間に公務員も多い。そういう人たちは、時にそういった
優先順位に振り回され、仕事をしなければならない。
公務員は、条件がいいから、安定しているからと就職したい
人もいたけれど、決して安定していないと思えてならない。

誰にとっての優先順位か。
自分中心の使命感で、力づくで無理やり実行してきた人
のことは、昔も今も賛同しない。

そんなお金があったら、困っている人に分けてほしい。
ある会話を聞いた。
「なんで、今選挙するんだろう。そんなお金あったら貧しい人
にあげたらいいのに」
「選挙は、貧しい人のためのものじゃないから。」

優先順位と誰のため?

力づくで無理やりな行動をする人は、真のリーダーか。

そのことも、ずっと考えている。

優先順位。もちろん人生は短いから、そのことを考えること
自体必要なこと。
順番を間違えると、道を間違うこともあるから、
気を付けたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 誰にとっての優先順位か はコメントを受け付けていません