劇にもなかなか。

久しぶりに下北沢に出向く。
この10年ほどの間に、行く機会も増えた。
観るだけでなく、弾く。
なかなか貴重な経験をさせてもらってきた。
今回は、音源を提供し、場面転換などで使っていただく
という、これもまた新たな経験。
録音にあたっては、東京に行く時間がとれなかったこと
もあり、リモートで東京と岐阜でやりとりしながら、
そのまま実家のピアノを弾きながら、録音、共有。
なんとまあ、便利な時代。
音源を作家の方にお任せで、編集いただく。
連絡ないけれど、うまくいったかな、劇に合ったのかな。
音源を渡したあとも、気になりながら、
「音楽、大丈夫そうです」
という作家から届いたメッセージに少し安堵。
そして本番まであっという間に時間が過ぎる。
(現場は稽古と準備で大変だったろう)

いよいよ公演がはじまる。
初日の夕方、舞台を訪ねる。
元気はつらつ、やる気に満ちた役者さんたちに出会い、
ああ、この人たちの演技に音楽が絡むのだと
本番を待つ時間、緊張と期待が入り混じる。

そして、本番。
もちろん台本は読んでいたし、どこに音楽が入るかも
わかってはいたけれど、実際に劇になってみると、
セリフも音楽も立体的になって、一体感を増して、
作品として見る側に迫ってくる。

おー、いいやん。
実は最初の出だしから、ぐっときていた。
今回は劇を楽しみながらも、自分の音楽がどんな
風に聴こえているかを確認するという鑑賞。
音、ちゃんときれいに出ているかな。大丈夫かな。
そんな心配はよそに、さすがの編集である。
ちゃんとうまくまとまっており、安心。

そして、劇用につくった曲ではないのに、
なぜか、とてもマッチしている。
音楽とは、演奏会で聴くものだけではなく、
演劇を完成させるためにも、大変重要な要素である。
そういった活用もあるということを大いに学ぶ。
場面転換に音楽が効果的であることは、改めての発見。

あっという間に95分の上演がクライマックスへ・・・。
最後に流れた曲で、おお。こんな風に感動がつくれるのか。
と思いながら、泣いた。

そして、余韻を抱えたまま、東京駅までダッシュした。

劇が音楽に合っているのか、
音楽が劇に合っているのか。
とにかく、素敵な作品の一部になっていることが確認でき、
一安心。

楽しくて元気が出る、鴨川リトルウォーズ。
ぜひ、おすすめ。
週末は、ぜひ下北沢へ!

上演後は、アーカイブ上演もあるため、
遠方の方にはこちらもおすすめです。

次回公演「鴨川リトルウォーズ」 | B.LET’S

きらきらした役者、作家、熱心なスタッフたちと
一緒に仕事ができることはとても光栄だ。
千秋楽まで毎日応援し続けたい!

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「対話」と「会話」

最近、「対話」という言葉についてよく考える。
この「対話」=Dialogos は紀元前の古代ギリシアの時代、哲学者ソクラテスに
よってその重要性が伝えられた。
有名な「問答法」も対話を進める上で、有用な一手法であるのだろう。

2000年以上前のことは想像を働かせるしかないが、結局、人間が
社会で生きる上で、コミュニケーションは不可欠であり、
対話によってお互いをより理解し、さらに知り合うことは、
よりよく生きるために大変重要。
それは、昔も今も変わらない「真理」。だと考える。

デジタル化が進めば進むほど、簡単に何でも調べられるが、
とくに対人間となれば、人の力で相手を知る努力が必要となる。

相手を知ると、理解や共感が生まれ、より確かな関係が育まれるし、
そこで新たな発見も生まれ、世界も広がる。

その相手を知るためのコミュニケーション手段が「対話」である
と考える。

先日、音楽仲間と、コンサートのテーマについて意見交換
していたときに、
「お客さんに演奏をただ聴いてもらうだけでなく、
音楽を通じて、『お客さんと対話する』といった考え方もありでは?」
という提案をしてみた。
音楽もコミュニケーションであるから、一方的な関係では成り立たない。
さらに、音楽をもっと身近な存在にしていくためにも、
「対話」をテーマにしてみるのもよいのではと思ったのだ。
演奏家だけでなく、お客さんにも演奏に参加してもらうことも含めて。

また、つい最近、1枚のアート作品を通じたコミュニケーション活動
「対話型鑑賞」のワークショップにも同席した。
同じ絵を見ながら、どう感じるか、どう見えるのか?について
チームで自由に意見を交わし合う。
そこから、絵の見え方も広がって楽しくなるが、この対話こそが
お互いを知るのに役立つ。
楽しい対話の時間を共に過ごし、参加された方も笑顔になった。

企業においてもこの「対話」の重要性をもっと伝えたい。
「会話」ではなく、「対話」だ。
もちろん会話も必要だ。挨拶は会話のはじまり。
世間話や日常的な会話も、もちろん環境づくりに欠かせない。
さらに一歩、「対話」なのである。

わかりあえるために、ともに生きるために「対話」なのである。

今しばらく、このことを、いろんな場面で考え、そして、
「対話」を増やす活動を、実践していきたいと思っている。



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旅立ちを思い出す朝

さあ、今日も元気に!とスタートしはじめたところに、
1通のメールが届く。
気になっていた仲間のお父様の訃報。
「たった今、亡くなりました」と書いてあった。
遠くに住んでいるので、立ち合いができなかったとも。

良かったら施設に伺って、歌でも歌いに行こうかと
言っていた矢先だった。

ふと、父や母の時のことを思い出した。
いずれも、臨終に立ち会うことができなかった。
そして、駆け付けて、対面したときの瞬間が蘇った。
自分の人生で初めての感覚であった。

人は一人で生まれ、ひとりで終わっていく。

人生は、なんとも孤独なもの。

「早く行ってあげてね。待っておられると思うから」
と、つい、そんな言葉をかけてしまう。

親は常に自分の鏡でもある。
時に反面教師であることもあるが、それも含め、
やはり鏡だと、時間を経た今も思う。

人はいのち絶えても、周囲が覚えている限り、
心のなかに生き続ける。

心からご冥福をお祈りしたい。

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夜中から、働き続ける人

もう20年近いおつきあいになる わが心族のひとり。
彼が20代の時からずっと応援してきた。また私も応援し続けて
もらっている。
会社員時代、起業する時、そして起業したての頃、そして現在に
いたるまで。
競争激しい都内のビジネス街でお弁当屋さんを営んでいるため、
大変忙しい。
なんといっても、仕込み、仕入れを含め、自らが動く、働くこと
を毎日、やり続けている。
とにかく毎日夜中から仕事を始めている。

ボリュームがあって、値段もお手事で、そして美味しく、毎日
変化がある。「元気ごはん」を都会で働く人たちに提供し続けている。
大ファン、リピーターも多く、昼前には長蛇の列。
1日700食を売り切るというから、スゴイ。

私も毎日未明から1日を始めるが、彼はもっと早い。
仕込みをして市場に仕入れにいかねばならない。
時間を逆算すると日付が変わったあたりから仕事を始めなければならない。
パートさんたちが来るまでに、どこまで仕込むか。
毎日が時間との格闘だ。
たまに会えるときは金曜の夜か、土曜。
なんとか、年に1回は会いたいと思っている。でもやりとりは続いて
いる。

先日、ある知人からメールが届き、
「今尾さんの知り合いらしき人が、夕方のテレビ番組に出ていたけど、
あの弁当屋さんですよね?」
へえ。確かに時々メディアに取り上げられているので、不思議ではない。
本人に尋ねると、確かにそのようだ。
お茶の間でも、すっかり話題のお店になっているのだ。
そして、後日、その番組がYouTubeにアップされたので、と本人から
メールが入る。

その番組を見て、ひとり泣けてきた。
本当に毎日、深夜からずっと働き詰めで・・・。
彼の若き日からの交流でのいろんな場面が浮かんできた。
あの青年が、今や立派な店主である。

とにかく毎日働き続ける。
いちいち、何時から働いていますとか言わない。
コツコツ、働いている。
そこにとても深く共感するとともに、
彼の健康が、これまで以上に心配になる。

コツコツと働き続ける人。
とても尊敬する。

大きなことを言わずに、小さなことを重ねて
周囲を幸せにしている人。
そんな生き方が大好きだ。

ワークライフバランスを越えて、仕事をする。
このバランスには個人差があるのだと思う。
やりすぎる人には、周囲の目も大切だが、
ひたむきに努力し続ける人には、その人なりの
生き方もある。

心配しながら、応援する。
これまでも、これからも。
なんといっても、20代のころから、自称「乳母」
として見守ってきたから・・・。

取り上げられた番組はこちら
(番組側で公開終了になることもあるかもしれませんが
その場合はご了承ください)
https://youtu.be/Z0LSyF5JmPs?si=W2HJnjpeIxX4JDsJ

こうちゃん!がんばって!

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新潟ブーケで朝食を。

新潟で迎える朝。オレンジブーケを窓際に置いてみる。
窓の外には、住宅街から工場も連なる新潟の町が広がっている。

川や海を眺める新潟ももちろんお気に入りであるが、町の眺めも
気に入っている。
この「みなとまち」に、古くから多くの人が住まい、産業を文化を
育んできたのだと、その名残を感じる。

花のオレンジと、後方に見える朝の光のハーモニーで、
自分のなかに新たなエネルギーが湧いてくる。
そして、花をお届けいただいた方の、愛らしい笑顔もよみがえって、
幸せな気持ちでいっぱいになる。

朝のブーケ。とてもいい。
オードリーヘップバーンの「ティファニーで朝食を」にならって、
「新潟ブーケで朝食を」。
珈琲とベーグル。ではなく、やっぱりおにぎりと味噌汁がいいかな。
新潟の朝。贅沢な朝。

このブーケのおかげで、とてもリッチな朝をいただいた。
今回、新潟でいただいた多くの温かい愛に、心から感謝を込めて。

余韻を残したまま、新たな週に向かう。

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越後の大空に、再会を誓う。

おかげさまで、フルスケジュールの新潟3日ステイが無事、終了した。
ディナーショー、各種ミーティング、展示会、学生×社会人によるまちづくりイベント、
対話型鑑賞、長年応援している障がい者施設での作品展、そこでの演奏・・・。
空き時間を利用して、新潟商品の市場調査、仲間の音楽家との対話・・・。
3日で直接会った人、言葉を交わした人は数えていないが、100人は越えた。
右脳、左脳そして五体もフル回転で、予定どおり動け、今回のミッション、完了。

おかげさまで空もご機嫌さん!
新潟の空は冬に向かうにつれ、鉛色が日常の景色となるが、今はその手前。
青い大空に白い雲たちが連なり、「戻ってきたね。」と私を包み込んでくれるよう。
そうだ、まるでターナーが描いたような空だと、新潟県内を車で移動する際に、
何度も感じていたあの感じが蘇る。
そして、空の応援団たちがそこで笑っている。

雨もほとんどなく、いい天気のまま3日目のプログラムが終わる。
越後平野の夕ぐれ。今回は海側を見る時間はなかったけれど、車窓から見る
17時前の景色に、再び新潟の空の大きさを感じる。(下の写真)
次にここへ戻ってくるときは、どんな空だろうか。

新潟は、寒さ厳しき冬をまもなく迎える。

ほんとうに、本当にやさしき人たちに出会い、再会し、人の魅力が町を
つくるのだと、久しぶりに感じいった3日間。
またね、またすぐに戻ってくるね。

今回さまざまな理由で会えなかった人とは、次回のお楽しみ。
もう片手では数えられない人たちの顔が湧いている。

みず・つち・ひと。
の調和を教えてくれた町。にいがたは変わらない。

今回お世話になったすべての方に、改めて感謝を込めて。

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観覧車の寄せ書き!

このたびも、多くのギフトをいただいた。
それぞれの思いに、なんとお礼を言っていいかわからないほどに
ありがたい。
おひとりお一人が、あ!これだと選んでくださった。
そのなかのひとつは、飛び出す観覧車のギフトカード。
そして、数名の寄せ書きが書かれている。
「わたしたちのテーブルで書きました」と、初めて出会った
人たちが、このカードに寄せ書きをしてくださった。
なんと、気が効くというか、驚きのギフトだ。
たまたま同じテーブルになった人たちの思いが綴られた
オンリーワンのスペシャルカード。

どうやら、ベトナム?海外の町に先日出向かれたときに、この
カードをみつけ、「あ!」と思って入手し、会場へ持参されたよう
だ。どんな人と同じテーブルかな・・と思いつつ、会場に向かわ
れたのかな。とその人のわくわく?の気持ちを想うと、そこも
思わず笑顔になる。

観覧車といえば!!と思い出してくれる人がいてくださること
が本当にうれしい。その方は世界各地で観覧車をみつけると
その商品をお土産にくださることがあり、いただいたものの
パッケージは捨てられない。
今回、また、お宝が増えた。

寄せ書き・・・ひとつの空間に、心を寄せて
みんなでメッセージを残す、素敵なコミュニケーション。
手書きというのが、またいい!ありがとうございました!!

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空の応援団からにも感謝!

1年ぶりの新潟モノリスでの愛の元気人スペシャルディナーショー。
おかげさまで無事開催、無事終了。
お客様がおいでになるとき、お帰りになるとき。
いずれも笑顔でお話しできたが、終了後の笑顔の交換は最高の歓び。
「来て良かった」、「聴けて良かった」、「楽しかった」、「感動した」
と言ってもらえることで、安心する。
施設の演奏も、どこでの演奏もそれぞれにベストを尽すが、
昨日は昨日の素敵な晴れ舞台(まさに!)は、より一層のやりがいも増す。

時間もあって、演出も選択肢が多く、いろんなことができるから。
ひとつのショー、エンターテイメントを作り出すことができるから。
自主企画の楽しさでもある。
演奏だけでなく、その場、空間を創造すること。
それは、コミュニケーション・クリエイターとしてのやりがいになる。

いつまで、できるのだろう。
いつまで、来ていただけるだろう。
長年やってくると、いろいろ考えることも多くなるが、
それだけに、これまで以上に全力投球しようという気持ちになる。

今回は、空の応援団席にも多くの方が来られた様子。
あるお客様の娘さんから、
「うちのお母さん、きっと今日お邪魔すると思うので、
うるさくしないように、言っておきますね」とメッセージを
いただき、その方のお元気な時代、楽しい笑顔を思い出し、
胸があつくなる。

そう、だから、空にも届くように弾いた、歌った、語った。

みなさん、いかがですか?
空からの眺めはどうですか?
ひとり、そんなことを思いながら
時々、上を向いて演奏、
最終プログラムまでつとめあげる。

新潟は京都と同じく、心のふるさと。
ここは、大人になってからのふるさと。
ふるさとを感じさせてくれたのが、この町。
あたたかい人々と、これからも一生、お互いに「ひと・文様」
を紡いでいけたら・・・。

多くのご参加、ご協賛、応援。大変ありがとうございました。
今日からまた新たな1日、新たなテーマ。
生きている限り、必要とされる限り、喜んで!

空の応援団は、そんな私を、いつも見てくれている。

今回久しぶりに再会した、ラジオ番組「愛の元気人」時代の
編集仲間が撮影してくれた撮影に駆けつけて下さったことも
ありがたかった。ここにその一部を。

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空の応援団に見守られ

今日は新潟でのディナーショー。
いつも企画してから本番まであっという間に時間は
過ぎる。
なんとか、準備もほぼ整ってきた。
でも、前日でもいろんなことが起きる。
そして、今日もきっといろんなことが起きるだろう。

でも、うまくいく!

これだけを信じて、とにかく祈る。
何に向かって祈る?
見守ってくれている父母、これまで足を運んでくださった
けれど、もう会えない人たち・・・。
みんな空の応援団として、ずっと見守ってくれるはず。
と信じている。

昨日も、参加できないけれど盛会を祈っていますと
いくつかのメッセージをいただく。
覚えていてくださるとは、感激だ。

ふと昨年の様子を思い出して、今日もこんな世界を
創り出したい。
絶対に、うまく行くように!
と念じる。

空の応援団、よろしく頼みますよ!

今、一番気になるのは 無事に新潟に着陸できることだ。

ご参加いただける皆様、各地から応援いただける皆様に
感謝を込めて。

これが最期かも。と今回も思いながら、全身全霊で
力を尽くしたい!

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待ってくださる方たちへ。

施設にお住まいの方々がこれを作ってくださった。
昨日行ったコンサートのためのポスターだ。
コスモスが立体的に、風車のように見える。秋を彩るさまざまな
モチーフを形作り、塗り絵をして、スタッフの皆様のご尽力あって
このコンサートのためにご用意いただいたのだ。
この施設は、以前、父が最期までお世話になった。だからより
一層の思いがある。
最後の何か月は、毎日のように通い、また父がいるときも
コンサートにお邪魔したこともあった。
同じ場所に足を踏み入れたとたん、あの日々が蘇り、と同時に
今も変わらずスタッフの皆さんが献身的に利用者に家族のように
接しておられる様子を見て、こちらもパワー全開となる。

1時間マイクなしで、しっかり大きな声で、歌い、弾き、話し、
皆さんを楽しい音楽の世界にいざなった。
「さあ、一緒に楽しみましょう。さあ、ご一緒に!」
私のパフォーマンスを見て、スタッフの皆さんも率先して
手拍子やダンスを披露され、会場は盛り上がる。
認知症の人が多いなかでのコンサートは、どうすれば響くか。
回数を重ねてわかってきたことがある。
ひとり一人に寄り添って、演奏すること。話しかけるように、
一緒に会話をしているように、あの頃にいざなうこと。

昨日も途中、涙を流しておられる方が何名かおられた。
あとで、
「泣けてきたわ。いろんなことを思い出して」
「泣けるということはいいことですよ。」
何か溜まっていたものが、涙で流されて、心が浄化される。
すっきりされた感じを受けた。

楽しみにしてくださる方。
おかげさまで、この1週間に3回のステージ。
会場も対象も毎回異なるけれど、どんなときも、どんな場所でも
今日出会う人に向き合うこと。

ありがたいポスターを背に演奏できる幸せ。
歓迎されるということの歓びを味わうことができ、しあわせだ。

「せんせ、また来てね」
「はい、またお会いしましょう」
いつまでこの記憶が残っておられるかわからないが、
それでいい。その時が幸せ、その瞬間が最高であれば。

さて、今日からは、また切り替えて新潟に向けて、準備を整える。
ちょっとハードにしてしまった今週の活動計画であるが、
最後までやり切る。

さあ、次の世界へ。
待っていてくれる人がいる限り、進む。
それが生きる力の源泉となる。

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