最近、「対話」という言葉についてよく考える。
この「対話」=Dialogos は紀元前の古代ギリシアの時代、哲学者ソクラテスに
よってその重要性が伝えられた。
有名な「問答法」も対話を進める上で、有用な一手法であるのだろう。
2000年以上前のことは想像を働かせるしかないが、結局、人間が
社会で生きる上で、コミュニケーションは不可欠であり、
対話によってお互いをより理解し、さらに知り合うことは、
よりよく生きるために大変重要。
それは、昔も今も変わらない「真理」。だと考える。
デジタル化が進めば進むほど、簡単に何でも調べられるが、
とくに対人間となれば、人の力で相手を知る努力が必要となる。
相手を知ると、理解や共感が生まれ、より確かな関係が育まれるし、
そこで新たな発見も生まれ、世界も広がる。
その相手を知るためのコミュニケーション手段が「対話」である
と考える。
先日、音楽仲間と、コンサートのテーマについて意見交換
していたときに、
「お客さんに演奏をただ聴いてもらうだけでなく、
音楽を通じて、『お客さんと対話する』といった考え方もありでは?」
という提案をしてみた。
音楽もコミュニケーションであるから、一方的な関係では成り立たない。
さらに、音楽をもっと身近な存在にしていくためにも、
「対話」をテーマにしてみるのもよいのではと思ったのだ。
演奏家だけでなく、お客さんにも演奏に参加してもらうことも含めて。
また、つい最近、1枚のアート作品を通じたコミュニケーション活動
「対話型鑑賞」のワークショップにも同席した。
同じ絵を見ながら、どう感じるか、どう見えるのか?について
チームで自由に意見を交わし合う。
そこから、絵の見え方も広がって楽しくなるが、この対話こそが
お互いを知るのに役立つ。
楽しい対話の時間を共に過ごし、参加された方も笑顔になった。
企業においてもこの「対話」の重要性をもっと伝えたい。
「会話」ではなく、「対話」だ。
もちろん会話も必要だ。挨拶は会話のはじまり。
世間話や日常的な会話も、もちろん環境づくりに欠かせない。
さらに一歩、「対話」なのである。
わかりあえるために、ともに生きるために「対話」なのである。
今しばらく、このことを、いろんな場面で考え、そして、
「対話」を増やす活動を、実践していきたいと思っている。
「対話」と「会話」
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク