おじさんのおいもちゃん。

実家の庭を親に代わって面倒みてくれている叔父。
ほんとうにありがたい。今や残された人生の使命、ライフワーク
として、日々こまめに通い、草取りから剪定から・・。落ち葉
拾いから・・・。私にとっては本当にありがたい専任のシニア人財
である。叔父が元気でいてくれる間は、甘えさせていただいている
が、あと10年というわけにはいかない。
でも、庭いじりが叔父の健康増進にも役立てば・・・と勝手に思い
ながら、お任せしている。
庭の一角に、さつまいもを仕込んだと聞いたのが夏前。
何か収穫できるものを作りかったようだ。
「できるかどうかわからないけど・・・」
と言いながら、仕込んでから叔父は庭にくるたびに、芋の成長を
楽しみに水やりをしたり、土の様子を観察していた。
仕事中に携帯にメッセージが入る。

「モグラが出没、イモがやられてしまうかも」
叔父にとっては重大事件である。
猛暑の夏、モグラ避け対策も始まる。
イモが命である。せっかく育ててきたのに・・・・。
「もうだめかなあ。食べられたかなあ」
少し涼しくなって、叔父は土を掘り起こした。
そして何本かのさつまいもを無事収穫。
「良かったら、持ってかえって」
と見せられた芋を少しいただき、持ち帰った。

実家の地名は「芋島」という、英語ではポテトアイランド。(笑)
若い頃は、この住所が恥ずかしかったけれど、今は堂々と言える。
昔は、うら若きガールにとっては「芋」はマイナスのイメージが
あったのだろう。と、まあ、芋というだけでいろんな思い出が
ある。
そう、芋島でとれたお芋さん。
叔父さんが汗水たらして作ってくれた芋。父やその先代たちが
がんばって残した土地に育った芋。
そう思うと、もったいなくて口に入れることができず、
しばらく冷蔵庫に・・・。でも、そろそろ・・・ということで
撮影しておいた。収穫の記念に。
気が付けば、さつまいもも紫だ。きれいな色だと思う。
もぐらも食したのかどうか知らないけれど、
つち・みず・ひと。そこから作物が育ち、ひとも育つ。
ありがたいものだと改めて。
叔父が元気なうちは、このまま専属庭師として、お願いしたい
と勝手に思っている。本当にありがたい存在だ。

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言葉より先にあるもの。

最近、いろんな演奏家から思索のヒントを得ることが多い。
たとえば、
若手ピアニスト アレクサンダー ガジェブなる存在。
まだ30代前半。であるのに、その倍ほど生きてきたかの
ようなメッセージ性、哲学をもっている発信者である。
もちろんその演奏も引き込まれてしまう不思議な力がある。
彼の演奏や言葉を聴きながら、普段考えていることが、
再確認でき、とてもうれしく感じた。

言葉より先に存在したものが音楽。
話す以前に、人は歌うことで感情を伝えることができた。
コミュニケーションの原点なのかもしれない。
音楽は心のよりどころにもなることができ、元気ももらえる。
そして音楽を楽しめば、世界はもっとよくなる。
音楽は平和のツールにもなる。

また、世界で活躍するピアニスト伊藤恵さんの言葉も
とても印象に残っている。
彼女はベートーヴェンの演奏で知られているが、
ベートーベンの音楽の中に神様がいると感じると
話されていたことに、思わず頷いた。

私自身は特定の宗教、信仰を持たないが、音楽には昔から
神聖を感じている。また、音楽の宗教性は理解できる。
音から生まれる目に見えない絶対なる存在・・・。
音楽により、人の心が(自分)浄化されていったり
高揚して、はるかなるものに向かっていくのを感じる。
ベートーベンやショパンなどからは、それを強く感じる。

弾いていても、聴いていても、それを感じることができる。
確かにベートーベンの楽曲ではそれを強く感じることが
できる。と感じている。
ベートーベンが「楽聖」と称されたのは、そういう点に
あるのかもしれない。

神様がいるのかどうか知らないけれど・・・と伊藤さんも
前置きをされながら ベートーベンの音楽について
語られていたのがとても印象に残り、強く共感する。

言葉を越え、伝わるものがある。
それは音楽。

もちろんそれ以外の芸術でも、共通しているかもしれないが。

まずは、
言葉を越えて、音楽がある。
人と人をつなぐことができる。

音楽がもつ潜在の力をもっと深堀し、伝えていくことが
自分の使命のひとつかもしれない。

祈るように弾く。歌う。
そうすることで、心が落ち着き、豊かになっていくのでは・・・。

音楽を通じて、何を伝えたいのか、
これからも熟考し、表現したい。

と、若き演奏家に触発されることに幸せを感じる。

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紫の人。

先日、訪問先に向かう最寄りの駅のホームで、ある方に声をかけられた。
このあと伺う会社の社員さんだ。同じ電車に乗っていたようだ。
「紫の服を着ている人だ。もしかしてマーサさんかなと思いました」
と言われ、もしかしたら車中から気が付かれていたのか・・・と
思わず、わがふりを見直した。

しばらく通っているリハビリセンターで、何度も会っている療法士の方に
「紫色が好きなんですか?」と聞かれる。
おそらく何回も会っている間に、あの人、服も携帯ケースも・・・と
その印象が強くなっていったのだろう。

「はい、テーマカラー、コンセプトカラーです」
というと、
「へえ。そんな風に決めているんですね。いつからですか・・」
など、紫色とのなれそめ?についてあれこれ聞かれる。

確かに子ども時代、若いころは紫色は好きではなかったというか、
自分の世界にその色彩は存在していなかったかもしれない。
人は成長とともに、色彩感覚を養うのではないか。幼児のときは原色
を認識する。それから人はさまざま知覚経験や思考を重ねて、色を
認識するのだろう。ここは、もう少しちゃんと調べる余地があるが
とにかく、私が紫を意識し始めたのは、30歳を過ぎてからではないか。
独立を決めるあたりからか・・・。
いずれにせよ、もう30年ほどのおつきあい。

もう何度も、いろんな方から「紫といえば・・・」と言われるように
なっている。ブランディングのなかで、色彩は大切なポイントである。
紫色のイメージ、意味はいろいろあれど、自分が気に入る部分を
取り出せばよい。
常にこうでありたい。というイメージを表現していればよい。
赤と青の中間として考えれば、融合であり平和であり、それも良し。
高貴であるとすれば、そんな一面も持ち合わせていたい。
色は重要な 印象を決めるコミュニケーションファクター。
好きである以上に、自分はこれ。といえる色を持ち生きるのは
楽しい。
もう旅立ってしまったけれど、カラーコラボMUというブランドで
活躍されていた飯塚むつこさんは、地元の英雄上杉謙信のイメージ
カラーを「褐赤紫色」と定め、さまざまなグッズ展開も実現されて
おられたことも懐かしく、思い出す。謙信公も紫イメージか・・。

この人は何色?
と、観察するのも楽しいかもしれない。


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「ちちとも」の時間を辿る記念日。

実家の庭にオレンジコスモスが咲く。
これらを見ると、ああそんな季節かと・・・。

父の旅立ちから4年が経った。
いつの間にか、もうそんなに・・・という感じ。
正直、「もう」なのか、「まだ」なのかわからなくなる。
不思議な感覚である。

ある人から、以前教えられた言葉が今も思い出される。
「その人のことを覚えている以上、思い出す限り
その人はずっと生きているよ。」と・・・。
忘れ去られたときに、人はこの世にいない存在に
なる。
そう、記憶に残っている、思い出がある、いろんな
カタチで今も心の中にいてくれることが大切だ。

そういう意味では、この4年間、何かあればいつも
思い出し、懐かしくなったり、さびしくなったり
申し訳なく思ったり、感謝の気持ちが湧いてきたり・・・。
そんな日々をおくってきた。

これからも、ずっと消えることはないし、
自分のルーツをたどれば、辿るほどに
父や母の存在は大きいことに気づくだろう。

自分が生きている間は、父も母も共にある。

今日は父が好きだったことを何かしようかと
思う。
通っていた喫茶店へのご挨拶もいいかもしれない。
当時柳ケ瀬の丸物百貨店(のちの近鉄百貨店)で
買ってくれたベートーベンのソナタを開いて弾くのも
良いかもしれない。
すでにこの連休中も少し、「ちちとも」(父と共に過ごした
時間をたどる)体験をした。
たとえば、父母と良く待ち合わせした回転寿司に
寄ってみるなど・・・。
たわいないことでも、あの頃を思い出し、懐かしみ
その存在をいとおしむ、感謝する。
そんな記念日の過ごし方がいい。
わずかな時間、具体的な思い出を辿る時間を。

悲しいことは思い出さず、いいことだけを。

そうはいっても、悲しさと寂しさとは常に入り混じる。
残った者にとって、記念日とはそういうものだ。

改めて、その存在に感謝を込めて、今日1日を過ごしたい。

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死ぬまでやめられないもの、こと。

新宿の姉と呼びたいほどに、新宿での青春時代、
お世話になった方。
歌舞伎町で長年、飲食業を営んでこられた方。
いわゆる「スナック」のママである。


20代のときに仕事関係の方に連れていっていただいて
から、ご縁あって、この業界のママたちとも親しく
させていただいた。
この仕事をされている方々には元学校の先生もおられ
たり、元OLさんもおられたり、東北から上京されて
・・・など実にいろんな方がおられるのだと、大変
興味をもった。昭和の時代の話である。

この仕事と新宿と、夜の世界という非日常の場に
興味を持った。なぜ、人はこういった場を求めるのか、
商売が成り立つのか・・・。
ママがいい人なので、また応援したい気持ちも募って、
いろんなお客さんをお連れして、朝帰りしたことが
なかった方がついに終電に乗り遅れて。・・・
など、いろんなエピソードもあり、私にとっての
新宿時代の思い出は本当に尽きない。
普段見ることができない世界を知ることは冒険で
あり、いろんな人生を見ることも本当に勉強になった。

お店をやめてからもずっとお付き合いが続いている
ママさん。
今でも話すときは
「ママ」と呼んでしまい、それに応えてくれる。

電話の着信があった。
約束していた喜寿のお祝いの件かな・・・。
折返しかけてみる。すると、少し言い出しづらそうに
癌になったので、手術をすることになったので、
食事は延期に・・・という連絡。
まあ、年齢的に考えられることでもあるので、そのことは
そんなに驚かなかった。
その癌は、喫煙が原因でできるものだった。
「まあ、職業的に仕方ないねえ。長年、煙の中で生活
してきたようなものだしね」
「まああね」
「で、それで今はたばこやめたの?」
「実はやめていない。別にいいやと思って・・・」
電話の向こうでいつもどおり笑っている。

やっぱりな。
「そう。まあ、仕方ないね。今さらやめられないよね」
「先生にも言ったけど、まあこれでいいかなと・・・」
店のカウンターで、一息つくとき、客との会話の合間に
煙草を1本取り出し、客が置いていってたまっている100円
ライターで火を付けている姿が浮かんだ。
いかにも、ママという感じで、「さま」になっていたなあ。

タバコはやめないのだろうと思う。
それが原因で病気になっていても、やっぱりなあと
いう感じで驚きもしていないのだろう。
手術することになっても、それはそれ、これはこれ、で
やめないんだろうな。

私はママが血縁の家族であっても、それを認め、赦すだろうな。
と思った。
それがあってこその自分であれば、それでいい。

死ぬまでやめられないもの、こと。
誰にでもあるだろうか?
医者が言う健康のために、禁止されることはすべてやめられるだろうか?

私はママと同じで、たとえ病気がみつかっても、そこで
何かを変えることはしないのでは・・と思っている。
もちろん動けなくなれば、好きなこともできなくなるけれど。
できるうちは、好きにすればいい。

十分に生きたのだから、無理して自分のしたいことをやめなくてもいい。

タバコを吸う。酒を飲む。歌を歌う・・・。新宿時代が改めて思い出される。
いい時代だったね。

「タバコ吸ってもいいけど、会える時に会いに行くからね」
「わかった、ありがとう。待ってるね」

電話を切ってから、栄養つけてもらおうと、長崎のカステラを送る。
タバコより、こっちが美味しいから・・・体にもいいから。

新宿の姉。東京暮らしのお宝のひとつ。あの街の灯は心に光っている。

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続々?挑戦の秋。


やれるのかな。まだいけるかな。
わからないけれど、まあ、やってみるか。
一応自分に問うてみるが、やると決めたことは、やる。迷いはない。

この1か月ほどの間で、
日ごろ取り組んでいる課題に加え、新たな挑戦が次々と加わる。
デイサービスのオープンお披露目での「心とからだの健康」を
テーマにしたコンサート。利用者さん向けではなく、内覧会での
演奏は初の試み。すでにその地域の世帯に新聞折り込みが入っている
ようだ。
続いて、新潟でのディナーショー。これは初の取り組みではないが、
セルフプロデュースになるため、集客から準備も含め自分でやる。
その次は、デイサービスでの演奏を行い、その合間を縫って、演劇での
音楽担当。
こちらは初挑戦となる。演劇、朗読劇での生演奏は何度か体験したが
今度は、録音での参加。私のオリジナル曲をBGMに使うそうで、
岐阜と東京間でリモートミーティングをしながら、録音するらしい。
うまくいくのかなあ。やってみないとわからないけど、やってみる。

と、いろんな意味で、どきどきする。
これらをやって12月。さらに施設での演奏、岐阜新聞でのコンサート・・・
あちらこちらに種をまいているうちに、出番が生えてきた?

不思議なことに、暑さも収まってきたら、やる気が増してきた。
まだまだいけるなあ。と思っていたら、音楽以外の生業もかなり・・・。
こちらも新たな企画をいくつか仕掛けて、実現に向け動きはじめて
いる。こちらもこの秋から本番がはじまる。
気が付けば、タコ足状態?いや、ひとり千手観音を目指さねば。

おかげさまで、どんなにやることがあっても、挑戦する気持ちが失せる
ことはない。健康に感謝である。
行けるところまで行こう!が自分との合言葉。まだまだいける、まだまだ先へ。

音楽を担当する演劇「鴨川ウォーズ」の詳細はこちら。

https://www.blets.net/%E6%AC%A1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E6%BC%94%E3%80%8C%E9%B4%A8%E5%B7%9D%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%80%8D/

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台湾との切れない糸。

30代後半から40代前半は、アジアとくに台湾とのかかわりが
深い日々を過ごした。
羽田空港から出ていた国際便は、ただ中華航空のみ。小さな
ターミナルから台北行きに乗って出かけた初出張のことが
今も懐かしい。
あれから、8年ほど毎月通った台湾。
思えば、メールをようやく使い始めた時代。
当時はまだリモートという発想もなかった。
ネットが少し普及しはじめたが、まだアナログ主流の
コミュニケーションが中心。

台湾に通った時代には多くの仲間と出会い、関わらせて
いただいた。
通訳をしてくれた仲間も代々・・。そして最も長い間お世話
になり、公私ともに親しくしていただいた一人の女性。
日本の大学にも留学しており、日本語を話すだけでなく
考え方も日本的な一面も持ち合わせており、よき理解者。
仕事以外にも、私の生き方を面白がっていろいろ聞いて
きたり、人生についてもよく語り、ともに考えた。
いつの間にか、仕事の仲間というよりも、その人が幸せに
生きられるようにと応援する間柄になっていた。

台湾の仕事が終わって、しばらく交流は続いたけれど、
コロナもあって、大変ご無沙汰してしまった。
そんななか、このところ、台湾の人と会う機会があったり
台湾の企業の話をする機会がつづき、ふと、しばらく
会っていなかった妹のように接してきた彼女のこと
が気になり、久しぶりにメールした。
すぐに返事が来なかったけれど、しばらくしたら
返信が届き、安堵。
そして、近況が綴ってあり、高齢のお父様のことが書かれて
胸がじんとなる。
あの頃は、みんな若かった。でも、今は親の終末に寄り添う
年齢になり・・・。
月日の流れを改めて思い、台湾時代の思い出が走馬灯のように
頭を巡った。

会えば十年以上ぶりの再会になる。
よし、今年こそ会いに行かねば。
人の縁という糸は、大切にしなければ。
切れないうちに、紡ぎ直す。

今、会いたい人に、会っておかねばならない人に。
会えるうちに会っておかねば。

さあ、台湾の妹に会いに行こう。そして
もっとも尊敬するあの歌姫にも・・・。

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歯医者でマイミュージック?!

引っ越してもずっと通い続けている都内の歯医者さん。
もともと、ご近所さんであったという親しみもあり、
治療に対する姿勢がまっすぐで、責任感もあり、
そんな点が気に入っているのか、そんなこんなでおそらく
もう20年ほど通っているかもしれない。

引っ越したらどうなるかと思っていたけれど、
なんとか今も、頑張って通い続けている。
長年のおつきあいのなか、音楽活動のことも少しずつ
知っていただき、アルバムをお渡ししたら、
なんと、通院する際にはBGMとしてわが音楽を
流してくださる。

ドアをあけた瞬間に自分のメロディが聴こえてくる
というのも何とも不思議な感覚。
「あ!今日も流れている!」
と、とても嬉しい気持になる。

治療のときは、自分のメロディで痛みも癒される。
ボリュームをかなり下げて、よく聴くと聴こえてくる。
といった感覚も、院内のBGMとしてはとてもバランスが
良い。

歌ったり、話したりする機会があるので・・・と、
先生には長年、
口のこと、歯のことは気にかけてもらえているのがありがたい。

自分の音楽を流してくれる空間があるなんて、
なんという贅沢なこと。
これからも、神楽坂縁を大切に、通わせていただこう。

神楽坂駅のそこに、ずっと通うために、がんばる。

いつも、そんな風に思っている。


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100円の重み。

戦後から昭和40年代は、商店街が栄えた時代。
確かに小中学生の頃、地元にあった柳ケ瀬は絶頂期であった。
あれから半世紀。残念ながら衰退の一途をたどっている。
これは全国各地、いたるところで見られる寂しい現象。
食品スーパー、ショッピングモールの発展が影響。
人びとは郊外へ流れ、ドーナツ減少という言葉自体がもう
死後であるが、その穴はふさがらないまま。
観光がさかんな町の商店街はまだ元気であるが、
デパートの撤退とともに廃れていく例も多い。

最近、長崎を訪れた際に、馴染みのない商店街に立ち寄った。
前から気になっていた。長崎駅からは少し距離がある。
路面電車から見て、ああ、昔ながらの商店街だ・・どんな
雰囲気なのだろうか。今も活気があるのかな。
長崎市内には元気な商店街もあるため、期待しながら
電車をおり、アーケードの中に入る。
するとSCがある。こんな商店街の隣りに大きな店舗。
一方、商店街の人通りはまばら。
でも何軒かは店を開いて、商売をしている。
八百屋さん、果物やさん、魚屋さん、町中華・・・。
まだシャッター街ではない。

そのなかの八百屋さん。
店先に商品が並ぶ。とても安い。安すぎる。
たとえばオクラが篭盛1杯100円。
へえ?大丈夫?その値段。と思うぐらいの安さ。
思わず買いたいけれど、100円だけの買い物では申し訳ないと
思い、でも、後の野菜は重いので旅先では…と考えていると
ご近所の人らしき人たちが集まってくる。
皆さん、品定めをして、買っていく。常連さんも多いのだろう。
こんなに安くても迷っている人もいる。

わたしは、そのオクラに呼ばれた。買うしかない。
「これ、ください!これだけで悪いですけど」
100円の買い物は、本当に申し訳ない。
店主らしきおじさんが、丁寧に
「100円ですね。ありがとうございます!」と対応され、
袋にいれたオクラと交換に、
渡した100円玉をありがたく受け取られた。

この姿勢に頭が下がった。
100円のオクラ。いくらで仕入れて?お店の利益なんか・・・。
と考えると本当に申し訳ないのに、こんなに丁寧に対応
されて・・・。

隣の果物やさんでは、これまた安価な地元産のハウスすいかや
大きな梨を篭盛で販売。1篭でも十分安いが、
2つ買ったらもっと安いよ。としきりにまとめ買いをすすめて
おられた。

とにかく売りさばく、商品を回していくのが
お店の鉄則なのだろう。

「いやー、ごめんね。遠くからきているので、2個は買えない
けどいいかな。」
と言って、ミニスイカを1個を買う。200円。安すぎる。

近くに大型SCがあるのに、よくやっていけるなあ。
心配なので、また行かねばと思えてくるお店たち・・。

まちの八百屋さん。果物屋さん。魚屋さん・・。
小売店の未来は大変心配なままだ。

あのとき買ってきたオクラ。
大切に大切にいただいている。
そのたびに、あのおじさんの丁寧な接客と、
100円玉を受け取られたときに見た、荒れた手を思い出す。
元気にがんばってほしい。
それにしても、大型SCの存在は・・・。

商店街が好きだ。小さなお店の存在がうれしい。
できる限り、お店が営業を続けられるように、できる応援を
していかねば。

100円。キャッシュレスとかペイペイとか・・通用しない
現金商売のお店。

きっと今ごろ朝の仕入れに行かれているだろう。
今日もどうぞ元気に営業を!!
「へいらっしゃい!」!!

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出会い、ふれあい、お祝い。

最近、北陸でのご縁が広がりつつある。
小さなご縁ではあるが、記憶に刻まれ、気になり続ける存在。

厳しい暑さが続く真夏に、慣れない金沢の町を歩きながら
駅に向かっていたところ、声をかけてくれた一人の青年。

そのことは、前にここでも書いたことがある。
何でも翌日は地元福井での教員採用試験。
今から実家へ向かうというところだという。


たった数分程度であったが、駅までの道を歩きながら
一緒に歩いた。初対面とは思えない親しみを覚えた。
「夢は何?将来何がしたいのかな?」
とそんなことを聞いた記憶がある。
「未来に生きる人を元気にしたい。未来をよくしたい。」
とそんなことを言っていて、日本も捨てたもんじゃない。
そして日本の若者って、しっかりしているなあ。
と思わせてくれた人。

親切で節度もありながら、元気いっぱいの学生さん。
「じゃ、明日はがんばってね!」と握手をして別れてから2か月・・・。
確かに、時々、どうしているかなあ。うまくいったかなとは
思っていた。

1本のメールが入る。
その彼からだ。
採用試験の結果報告。めでたく合格したとのこと。
受験前にコロナにかかって心配したけれど、無事クリアしたとのこと。
なんと、あの駅前での瞬間の会話で、
自分がやりたいことを再確認できたことも、力になったとも
書いてくれて、うれしくてたまらない気持になった。
心配しているかなと思って勝手に報告します。
と送ってくれたところも、なんともかわいい。

そう、気になっていた。そろそろ結果が出たかなと。

慣れない町での偶然の出会い。
ふれあった時間は瞬間であったけれど、余韻の残る出会い。
そして、時間が経っても忘れることがなく、
交流も続く。

どこかでつながっているのだろう。

瞬間の出会いが人生を変えることもある。
大いに刺激や学びを得ることもある。お互いに。
また、再会できる機会がもてたら・・と勝手に思ってしまう。

想定してない小さな出来事がある。
それこそが旅する人生の愉しみかもしれない。

改めて、心からおめでとうございます!
希望に満ちた未来を、ぜひ自ら切り開いていってほしい。
そして、次の世代に生きる希望を勇気を伝えてほしい。

これからも、見守り、応援していきたい。

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