実家の庭にオレンジコスモスが咲く。
これらを見ると、ああそんな季節かと・・・。
父の旅立ちから4年が経った。
いつの間にか、もうそんなに・・・という感じ。
正直、「もう」なのか、「まだ」なのかわからなくなる。
不思議な感覚である。
ある人から、以前教えられた言葉が今も思い出される。
「その人のことを覚えている以上、思い出す限り
その人はずっと生きているよ。」と・・・。
忘れ去られたときに、人はこの世にいない存在に
なる。
そう、記憶に残っている、思い出がある、いろんな
カタチで今も心の中にいてくれることが大切だ。
そういう意味では、この4年間、何かあればいつも
思い出し、懐かしくなったり、さびしくなったり
申し訳なく思ったり、感謝の気持ちが湧いてきたり・・・。
そんな日々をおくってきた。
これからも、ずっと消えることはないし、
自分のルーツをたどれば、辿るほどに
父や母の存在は大きいことに気づくだろう。
自分が生きている間は、父も母も共にある。
今日は父が好きだったことを何かしようかと
思う。
通っていた喫茶店へのご挨拶もいいかもしれない。
当時柳ケ瀬の丸物百貨店(のちの近鉄百貨店)で
買ってくれたベートーベンのソナタを開いて弾くのも
良いかもしれない。
すでにこの連休中も少し、「ちちとも」(父と共に過ごした
時間をたどる)体験をした。
たとえば、父母と良く待ち合わせした回転寿司に
寄ってみるなど・・・。
たわいないことでも、あの頃を思い出し、懐かしみ
その存在をいとおしむ、感謝する。
そんな記念日の過ごし方がいい。
わずかな時間、具体的な思い出を辿る時間を。
悲しいことは思い出さず、いいことだけを。
そうはいっても、悲しさと寂しさとは常に入り混じる。
残った者にとって、記念日とはそういうものだ。
改めて、その存在に感謝を込めて、今日1日を過ごしたい。
