共感すること、人とともに。

今日は京都で開催される朗読劇に出かける。
作家である友人の作品を、その仲間たちが演じる。
作家のご実家を劇場として開放されるという点で、
長く東京で活動してきた作家にとっての、凱旋的な
意味合いもある。

さぞかし、お母さまが大喜びだろう。
ちょっとユニークな劇場。世界でひとつの、しかも
超期間限定の劇場。
私自身、そのこと自体もとても興味がある。
岐阜の実家の活用についてのヒントにもなりそうだ。

作家である彼女のこの生き方がとても好きだ。
自分なりの課題、テーマを常に追いかけ、
彼女しか書けない、素敵な意味での女流作家らしい
人生の、社会の切り取り方、描き方が好きだ。
強さと優しさと、孤独と・・・さまざまな感触、心情を
ひとつの作品で味わうことができる。
彼女の作品に、私の音楽を使ってくれたこともあり、
そのコラボ、いやハーモニーが本当に心に沁みたし、
お互いを信じている力も感じた。

これは、彼女も私も生身の人として、クリエイターとして
自らが生み出したものだからの感動、共感だろう。

一方、最近クリエイティブの世界で、人工知能の活用も
加速しており、仕事を奪われる危険にさらされている人も
多いと聞く。
尊敬する著名な声優さんは、今、声優仲間たちの仕事を
AIから守るため、活動を興しておられる。
そのことに対し、私は心からエールをおくる。
その人が出した大切な声が、勝手に知らないところで使われたり、
それにより、自分たちの出番も減っていく。
声優という仕事の価値が、存在意義が危ぶまれている。

演劇では、人間自身がその場で演ずるものであるので、
そこでのAIとの摩擦は少なさそうであるが、
作品自体をAIに作らせたり、BGMなどでは使われていく
だろう。

人が考え、人が生み出し、人が表現するものこそが、
創造物である。作品である。
とても原初的な考えかもしれないが、私の根本的な思いは
ここにある。

だから、誰でもできることを喜ぶのではなく、
自分にしかできないことにこだわる人に、歓びを感じたい。

そのことに共感する人と一緒に仕事をしたいし、
一緒に進みたい。
AIファーストには、決してならない。

人任せでなく、AI任せでなく、自分自身でどこまで
切り開くことができるのか。

今日は、共感する仲間たちの超限定のパフォーマンスを
楽しみにしている。
次回公演「恋愛シネマ」 | B.LET’S

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距離感、付き合い方。

さまざまな情報を蓄積しているネットの世界。
検索すれば、問い合わせすれば、たちまちのうちに、ある程度の
回答が得られる。
一度入力されれば、自分のものにしてしまう、人工知能。
この自動学習の力は本当に恐ろしい。
何かの原稿がほしければ、AIに伝わるように丁寧に聞けば、
必ず答えが出てくる。
もちろん、すでに入っている情報がもとになるので、
ゼロからの創造は難しいはずであるが、まあ、それなりの
答えをもっていることには、驚かせる。

だんだん、人は自分で考えたり、モノを書いたりしなくなる。
チェックをしたりするだけでは、自分のものにならない。
人が自分で考えて行動することから、離れていくことが心配だ。

AIは、とても便利で、使いようによってありがたいツールになる。
でも、その距離感や付き合い方を、自分で決めていかないと、
気が付けば、考えない人になってしまう。
ある種の退化である。

日々その利便性に感心しながら、付き合い方を考える。
主役は人間、わたし。すべてはそこから始まる。
学ぶこと、考えること。このことが、何より重要であることを
忘れてはいけない。
AIもいいけど、やっぱり人の生の力をより尊重したい。
便利ファースト、時短ファーストよりも、
丁寧に心通わす、コミュニケーションを大切にと、
ずっと思っていたい。

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「今のわたし」にできることを。

「今」は、刻一刻と変化する。
それは永遠ではなく、瞬間の連続。
生きている限り、常に「今」を生きている。
でも、それはたちまち過去になっていく。
すでに、7月23日に起きたことはすべて過去。
日めくりカレンダーは、今はあまり使われないかも
しれないが、まさに「今(今日)」を意識させてくれる
大切な道具かもしれない。

ずっと、自分にできることをやっていこう。
という気持ちで生きてきている。
しかし、最近は、「今の自分にできることを」
もしくは、「今、自分にできることを」と枕詞を
付けるようになってきている。
それは、環境がめまぐるしく変化してきているから。
またそのなかで、自分自身も年を重ね、社会での立ち位置の
変化を意識するようになったから。
いつまでも、過去の自分ではない。ということ。

それなりの経験はしてきている。
今もその歩みは止めていない。
これからも元気に生き続ける限り、
新たな経験を増やし、知見をもち、より良く心豊かに生きたい。

その思いと行動は何も変わっていないが、
気が付けば、人生には多くの後輩がいて、
そして元気な先輩たちが少なくなってきている。
という、
若いときには考えもしなかった、
新たな事態に直面している。

いつの間にか、背中を見られる世代になり、
後輩たちを応援し、見守るステージに来ている。
もちろん自らも走り続けるが、
それは自分のためでなく、誰かのために。
という思いが最近増してきている。
そうでないと、今を、これからを生きる
意味がない。

だから、
「今の自分にできること」をより、しっかり
つとめたい。

後輩や先輩のお役に立てることを。
どんなことでも、今のわたしにできることを
率先してやる。
どんなメッセージを最後に残すことが
できるだろう。
その最後がいつかわからないから、
「今、できること」を全力で。




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コミュニケーションと選挙。

今回の選挙を横目で見ながら、改めて時代の変化と「コミュニケーション」
について考えていた。
政治は言葉の仕事である。伝える仕事だ。伝わらなければ、何の交渉も
改革もできない。
選挙はその手前のキャンペーン。選んでもらうための、期間限定の活動。

結局、ターゲットにより伝わった人が選ばれることになった。
いつもマーケティングコミュニケーションや広報に関する勉強会で、
「AIDMA」の法則はもちろん、SNSが主流になってきた頃から「AISAS」
の必要性を説明してきた。いずれもすでに多くの方たちが学び、活用
してきている考え方であるが、今回の選挙でもまさしく、やはりと
思う結果となった。
まずは、「見た目」である。第一印象。インパクトのある元気のある、
見ている人も思わず、引き込まれるような力。ワンフレーズで
わかりやすい言葉で発信する。ATTENTION
そして、なんだなんだ。なんだか良さそう、もっと聴きたい。INTERESTING
そして、そうそう、それがしたいんだ。期待できるんじゃない。DISIRE
いいね。そうだね。演説聞きに行こう。と拡散。SHARE
そして投票へ・・・。ACTION
まさにこの流れどおりに人々が動き、票を集めた。そして躍進した党たち。

まさに戦略どおりに、戦術(ツール)を駆使して、結果を出した。
発信されている内容自体については、ともかく、コミュニケーションの
うまい人が、党が今回の戦いに勝ったといえるだろう。
もう、派閥だの、見えない組織だの、裏表だの・・・特権的なやり方は
支持されなくなったのだ。
これはこれでよし。

「ポピュリズム」。
SNSの力が、大衆の力となった。

ここから、さらに混迷の時代が進むと思われる。
次は、大衆と「個」について注視していく必要がある。
そして、一見わかりやすい言葉が誤解を生み、傷つく人、差別される人
が増えないように。

わかりやすさ・・だけでは、本当はうまくいかない。
しっかり伝える努力も同時に必要であるから。

選挙はまさにキャンぺーン。
これが終わったら、次はしっかり落ち着いて丁寧に伝えていく
活動が求められると思う。
ここからが、本当の政治の仕事。
選挙は入口を決めたに過ぎない。

と、今回のことを静かに見守る。
それにしても、マスメディアの役割も考えさせられる
キャンペーンであった。

目の前に起きていることを、しっかり見続け、真実を
見極める力。
流されず、自分の意志をもって、責任をもって生きる。

今、ひとり一人に課されている課題はこれではないか。






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聴くかき氷?

京都風に言えば、祇園祭が終われば夏本番らしい。
梅雨明けの記憶もないが、この厳しい暑さから、
そう呼んでよいだろう。
命がけで移動する。と言うと大げさかもしれないが
徒歩で移動する場合は、昼間を避けて、早朝、夕方に。
あと2か月の辛抱と毎日カレンダーとにらめっこ。

先日、お茶をたしなむ友人が教えてくれたが、
この季節の茶会は冷茶でのおもてなしもあるそう。
冷房のない茶室でもあったので、とても良かったと
聞き、その様子が浮かび、こちらも笑顔になる。

また、風鈴の音が聞こえてくると、「いいねえ」と思う。
といっても、高層ビルからはその音は聞こえないし、
歩いていて軒先から聞こえるというのもなく、
今は、もっぱら売り場で聞くぐらいであるのは、
ちょっと寂しいが、
音で涼感を楽しむことは、とても風流で、日本的と
思う。

私の場合は、時間が取れたらピアノを弾くこと、
移動時には、聴くことでしばしの避暑を楽しむ。
かき氷にも、さまざまなメニューがあるように、
避暑音楽もいろんな楽しみ方がある。

たとえば、ベートーベンはこの季節はちょっと暑い感じ。
もちろん深遠さのなかに、暑さを忘れて聞き入ることは
あるし、テンペストのような曲であれば、水を感じる。
でも、これは嵐であったり、激流が想像されるので
涼感とは少し異なる。

そんななか、この季節にちょうどなじむのがショパン
の数々。
鍵盤の上をコロコロ転げていくような、軽快かつ美しい
短音が、時にハーブティーのように、シャワーのように
感じられる。小曲ならば、うちわで風を仰ぐような感じも
楽しめる。

今日はノクターン?ワルツ?マズルカ?プレリュード?
エチュード?ソナタ?いろんなジャンルがあるが、
そのなかから、弾けそうなものを弾き、新たに聴く曲は
気に入れば、覚えていく。
かき氷のシロップを選ぶように、曲を選ぶのも楽しい、。


そんなわけで、快適な夏時間にはショパンがおすすめだ。
ふと、ジョルジュサンクと出かけた避暑地での
時間を想像しながら・・も良いかもしれない。

工夫次第で、夏の楽しみ方も増える。
と、ピアノのある場所まで行きつくまでが暑さとの
戦いではあるが、そのうちに夏も過ぎ去るだろう。




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人の「間」を改めて。

いい年をして、年寄りがいつまでも、俺が自分が、と言って
いるのが見苦しい。と思うようになった。
もう何年もすれば、この世を去るであろう高齢者が
我欲のために、権力をふりかざし、若い人と戦うのも
違和感を感じる。
と、同時に自分も、この先気を付けないと・・と
思うようにもなってきた。

若い人には、道を示し、より良い道を進めるように
導く、背中を押す、応援をする。

若い人たちの不安を解消するサポートをする。
偏ったことを言っていれば、俯瞰して世の中を見る
ように伝える。

先に生まれた人間には、次の人に託すことがあるはず。
いろんな経験をしてきたからこそ、伝えるべきことが
あるはず。

人間とは、同じ時代に生きる人の「間」をつなぐことだけでなく、
次の世代に生きる人への「間」をつなぐ存在でもあるはず。

そう思えば、自分が主役ではなく、次の世代にスポットが
当たるように考えようとするだろう。

次の世代に何を伝えることができるか。
自分中心ではない、みんなが協力しながらより良くなる
そんな生き方を伝えられたら・・・。

選挙の結果も見ながら、未来に生きる人たちにとって
生きやすい社会をどう実現するのか・・・・について
伝えたり、協力することをしていかねばと
改めて思った。

すべての人が、人の間にある、人の間を生きる。







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記念日は永遠に。

毎日が記念日。
そう、1年365日、誰かの誕生日であったり、会社の創業日であったり、
必ず、誰かの記念日である。
記念日カレンダーなるものもネット検索をするとすぐにみつかるが、
まあ、いろいろある。無理やり業界が作っている記念日もあるが、
それはそれで、やはり記念日という節目は、伝えやすいし、
盛り上げやすい。

先日書かせていただいたブログ。
そこに出てきたある企業の創業者。ブログに書いた日が
なんと、その方の誕生日だったと、公開後に読まれた
お孫さんから感動のメッセージをいただき、びっくり。
「素敵な誕生日プレゼントをありがとうございました!」
こちらは、その方の誕生日を知らずに書いていた。
創業、起業のこころを。 | 毎日更新!マーサのブログ

このご家族は、おじい様が亡くなってもずっと誕生日を
祝い、感謝を続けておられるのだろう。
そのこと自体に、心がじんとあつくなる。

記念日は人だけでなく、企業や商品にもある。
ある商品の発売日。それが何年経っても記念日であり続ける
こともある。
商品を次から次へと出し続ける企業にとっても、初めての
商品を世に出した記念日として後世に伝えられる。
そう、記念日とは忘れてはいけない大切な「記し、念じる」
節目の日である。

昨日はある商品の発売記念日であり、ひとりでその商品
にまつわる、企業や人との出会いを思い出していた。
ああ、この商品があったからこそ、出会えた人がいる。
と、その記念日から発想できることはいろいろある。

記念日を大切にしたい。
今日も誰かの誕生日。

お互いを思いやる1日、感謝の1日になるといい。

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言わないコミュニケーション。

もう二十年近く前の出来事。
ある企業の方と、私の知人と一緒に会食をした時のこと。
「あの方は、空気清浄機みたいな人ですね~」と知人の
ことをそう言われた。誉め言葉である。
余計なことは言わず、ただ人の会話を吸収してくれる。
周囲も気持ちよくなる。まさにコミュニケーションにおける
空気清浄機。
自分が自分がと、話をやたらしたがる人は多いが、その方は
確かに聴き上手だった。
「空気清浄機」とはうまく行ったもんだ。と二十年近いときの
その命名を今も覚えている。

コミュニケーションといえば、いかに伝えるか。が優先されるか
最近、意識するのは、「伝えないコミュニケーション」。
何を伝え、何を伝えないか。
この判断が人間関係、仕事にも大いに影響する。
何でも言えばいいということはない。

しかし黙っていること、言わないことは自分の中にため込む
ため、これも大変である。
まあ、馬耳東風。と適当に受け流せばよいこともあるが、
そう交わすことができないこともある。

ここは言う、ここは言わない。
インプットした情報をしっかり識別してアウトプットすることは
本当に重要だ。
言えば楽になる。いわねばしんどい。
ということもある。

信頼される人とは、情報の扱いを心得ている人だ。
口は大変危ない面をもつ道具でもある。

賢さとは、寡黙であることかもしれない。
とにかく多弁な人こそ、油断も信頼もできない。
と、街からネットからあふれ出る多弁な選挙活動をしている人を
見ながら、
静かに本質を語る人が真に賢明である。
と改めて・・・。

その騒がしいのもあと1日で終わるのはありがたい。

話しを戻す。
「言わない」「伝えない」コミュニケーション。
真の優しさ、思いやり、寄り添いとは・・
こういうことも含まれる。

賢明なコミュニケーションを求めたい。

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見えて、聴けて、話せて、書けるだけで。

もしも、
昨日まで見えていたものが突然暗闇になって、
聴こえていたものが、無音になって、
普通に話していたのに、言葉を発することができなくなって、
書けていた文字が書けなくなったら・・・
これまで当たり前にしてきたコミュニケーションができなくなる。
大変なことだ。

この「もしも」は、まだまだある。
ある日突然、歩けなくなったら、
大切な人に何かがおきたら・・。
もし、地震がきたら、事故にあったら・・・。

この「もしも」は尽きない。
人は、この瞬間ここにいる現実と同時に、一寸先はすべて
想像と仮定の世界。

もっと「もしも」を意識して、今この瞬間を大切に生きることが
大切だ。

もしも・・。もちろんネガティブなことばかりではない。
「もしも、ピアノが弾けたなら」という曲もあったように、
もしも、こんなことができたら、こんなところへ行けたなら。
もしもは、夢の世界でもあるのだ。

人は、いいも悪いも 「もしも」とともに生きている。

当たり前のことは何もない。
話せるだけで幸せ。
であれば、この幸せをさらに磨きたい。

そして、もしも・・に備える強さも身につけたい。

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創業、起業のこころを。

会社の歴史は、その存在価値を知るためにも大変重要だ。
どれほどの時間をかけ、事業を続け、育んでこられたのだろう。
継続は力なり。であるので、まずは長きにわたり、事業を止めることなく
続けてこられていることは何よりも尊い。

その間に規模拡大をされる場合も、もちろん素晴らしいけれど、
拡大せず、小さい規模でも社会的役割をしっかり果たし続けておられる
企業にも頭が下がる。

企業が存続し続けるために、さまざまな変遷はある。
吸収合併、事業承継、拠点移動・・・そして売却・・・。
今回のわがままな主張による関税騒動により、その事業の継続を危ぶむ
例や厳しい選択を強いられることもあるかもしれない。心が痛む。

事業を興し、続けることはあらゆる環境、そしてそれを
続けるという自らの意志との闘いである。

そんななか、最近出会った家族経営の企業さん。
企業サイトの情報によると会社設立から約40年。
それだけでもすごいと思っていたが、創業から数えれば73年だとのこと。

お聞きしてみると、
初代のおじいさまが、太平洋戦争に行かれ、後シベリアで4年間の抑留生活。
のち無事に生還され、それから創業されたとのこと。
現役で事業を継いでおられる皆さんは、幼い頃からおじい様にシベリア
生活の話を聞いて育ったため、戦争とシベリアの過酷な労働と環境に耐えて
帰国され、創業された会社を大切にしたいという特別な思いをお持ちで、
それが日々の原動力になっているかもしれない・・とのこと。
これを聞いて、設立も大切であるが、「創業のこころ」を技術とともに
受け継いでいくことの尊さを改めて思い、胸が熱くなる。

規模ではない。
志である。
モノではない。
人である。

大変な戦争の経験を経て、創業された経営者のみなさま。
どんな思いで・・・と想像するだけでも、頭が下がる。
そして、そのメッセージをしっかり受けとめ、未来に向け
進み始めている三代目の皆さんのやる気を、挑戦を心から
応援したいと改めて思う。

いつの時代もゼロから始める。もしかしたらマイナスからの
スタートもあるだろう。

始めること。諦めることなく続けること。
それが未来への希望の道になる。
その道に灯りをともす。そんなお手伝いがしたい。

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