好きに、きらいになるきっかけ


もう8年以上前になるのか。時が経つのは早い。
東京から名古屋への移転。日本のまんなかを拠点に、活動をする
生活が始まった頃。コロナもなく、好調が永遠と勝手に思い込み
バブルな気持ちのままで生きていた、東京オリンピックを控え、
なんとなく高揚していた東海道沿線・・・。

名古屋の町は、正直、苦手だと思っていた。
その頃、腱鞘炎がまだ治っておらず、まだ手が痛い。
東京のクリニックに毎日行けないので、地元の医者を不動産屋
さんのおすすめで行ってみた。有名だと言われ、であれば安心
かと。
すると、まったく印象が良くなかった。
診察をした医者の態度が横柄。に加え、患者がお客様という
心得がまったくない対応で、偉そうの一言。
「まあ、50も越えたら、ポンコツやわ。車も一緒。長く
乗った中古車と一緒」とこの言葉に二度と来るかと思った。
それから、この町が嫌いになった。
言葉遣いも、態度も・・・。だんだん八丁味噌まで嫌いに
なる。
と、たった一人の人の応対で町の印象は変わるのだ。
それから、基本的にそのときの嫌悪感は消えていないが、
この1年ほど通い続けているリハビリのスタッフたちの
応対を見て、この町への印象は変わりつつある。
とてもきさくで、親切で。ひとり一人の患者さんに寄り
そっている。
まあ、患者さんに対して、敬語で話せないのはどうかと
思うが、地方の医療、福祉系の人々は、敬語よりも
友達感覚で話した方が喜ばれると思っておられるので
これは仕方ない。(ここは、共感していないが)

ともかく、そのリハビリのスタッフや、時々診察を
してくださるドクターも、説明をしっかりされ、
丁寧な対応をされるので、ここのおかげで、
私の名古屋への嫌悪感は、好感度に転換しつつある。
「あ、いい人もいるんだな」
街は人なり。

企業も人なり。
そう、全部人、ひとり一人の存在、力がその社会の印象
や価値を変える。

好きな町は、国は、人が良い。
そして、
好きな人は、愛のある人、自分中心でない人。
相手を思いやれる人。

そんなことを思うと、今の世の中はどうだろう?

カテゴリー: Essay (Word) | 好きに、きらいになるきっかけ はコメントを受け付けていません

解像度があがってきた。

ある企業でリーダー研修を行った。
そのテーマでは同じメンバーに対して
これまでも何度か取り組んできた。
そのたびごとに、アプローチも変える。

意識づけと行動変革。
リーダーとは、リーダーシップとは。
時間をおいて、この言葉の定義についても
何度か問うてきた。
時間をおいた分、現場での経験が増えるため、
リーダーという言葉についての現実味が増す。
仕事ができないと指示もできないから、仕事
ができる人でないといけない、みんなが
ついてくる人でないといけない。
自分は今は、どんなタイプのリーダーか。
今後はどんなタイプを目指すのか。
並走タイプか、フォロータイプか、キャプテンタイプか、
監督タイプか、はたまた支配タイプか。

「うーん、自分の性格からすると今はフォロータイプだけど、
並走のところもあるかな」
「今はキャプテン型。でもゆくゆくは監督にならないとな」
ひとりひとりが、自分はどんなリーダーを目指すべきかに
ついて、より具体的に思い描いている様子が伝わってくる。

会社が示す理想のリーダー像がある。
それを踏まえ、自分はどんなリーダーを目指すのか。
そしてそうなるために、何をするのか?

チームで意見交換をしながら、それぞれの職場での
状況も聞きながら、仕事内容は違えど、それぞれ同じ
現場のリーダーとしてがんばっている仲間との対話も
いい刺激になる。

今回の研修を終えたあとにいただいた声。
「何度かこれまでリーダー研修受けてきたけれど、
自分も変わってきたのかもしれないけれど、どんどん
自分が目指すリーダー像について、解像度があがって
来た気がする」
こんな感想をもらえた。

解像度があがるということは、その人の中でより
そのイメージが鮮明になり、具体的になってきた
という証しかとうれしく思う。

研修に限らず、一緒に何かを取り組む時間を重ねることで
ひとり一人が現場での経験を通じ、多くのコミュニケーション
の中で、間違いなく成長されていることを実感する瞬間。

前は言わなかった言葉が出てくる、前とは違って
自分から発言するようになっている。
相手の話をよく聞くようになっている。笑顔が増えている。
いい意味で、小さな変化を感じるとき、成長を実感し、
うれしくなる。

解像度があがるとよく見える、わかる。だから次に進める。

解像度は自分であげる努力も必要だ。

研修は自分で走り出すためのきっかけのツール。
今日からの皆さんの動きが、何か新しくなっていることを
期待している。

カテゴリー: Essay (Word) | 解像度があがってきた。 はコメントを受け付けていません

どらやき付きバースデーツアー

父の誕生日。父のことを共有できる人にふと
会いたくなる。

誕生ケーキではないが、どらやきを買って、
地元の商店や叔父宅・・・をまわり、
「今日はお父さんの誕生日なので、ケーキの代わりの
お裾分け」といって、配る。
誕生日?ということで、笑みがこぼれる。
命日というと悲しいが、誕生日の方がやはりいい!

そんなことで、お世話になった人たちと
父母にまつわる会話をして、父が長年歩き続けた道を
てくてく歩く。
そして、いろんなことを思い出す。
人はいなくなっても、道は残る。
道がある限り、思い出すことができる。

途中、元気な姿を最後に見た、父が毎日通った喫茶店で
父が好きだった、焼きたまごサンドをテイクアウト、
そのまま、お墓に向かう。
そして、ハッピーバースデーの歌を一人歌い、
その後、実家に寄って、父母の過ごした日々を改めて
感じながら・・。

以上が父89歳のバースデーツアー。
束の間のスペシャルツアー。

なんてことはない、日常のなかに少しだけ
思い出を辿る時間をつくる。
それだけで、また父の存在が色濃くなる。

こんなことをしながら、父と生きた自分のことも
ふりかえる。
そして、今日からまた歩き始める。

思い出す限り、人は生きている。
やはり、そうだと思う。



カテゴリー: Essay (Word) | どらやき付きバースデーツアー はコメントを受け付けていません

米寿を越える日。

今日は父の誕生日。
この日に立ち会ったことはないので、想像するしかないけれど、
昭和11年、1936年。
国内外ともに激動の時代であったのではないかと・・・。
あのヒトラーが生きた、ベルリンオリンピックが開催されたと
聞くと、穏やかならぬ世に、父は生まれたのだと改めて思う。
その後、戦時に育ち、戦後に働き・・・昭和、平成、令和まで。
まさに、現役時代が昭和であった。その時代に育ててもらった。

最近、戸籍を取り寄せることがあり、それを見ながら、
改めて父の存在があって、自分がいると実感した。
消えない、つながり。

父は言葉で生きた人ではなく、手業で生きた人。
そう、職人であった。またスポーツが好きだった。
字が上手だった。
そして、車の運転も父の売りであった。
「わが家のアッシーくん」。
感謝状を渡した10年前のイベントが懐かしい。

時代が違っていたら、父の苦労はもっと少なかったと思う。
父の人生はまったく変わっていただろう。
となれば、わたしはいなかったかもしれないので、
あの時代だからこそ、あの環境だったからこそ、あの人生があり、
結果、わたしも存在することになった・・。
命日より誕生日の方が、心が軽く、しあわせな気持ち。
でも、もっとこうできたのでは、いう思いは消えないまま。
父が何気なく残した一言が、心に湧いてきて、ため息も出る。
ああ、申し訳なかったな・・と。

10月15日で今年も終わった、長良川の鵜飼のフィナーレの花火。
この風物詩は父の誕生と結びに、花を添えてくれる。
毎年、鵜飼の余韻とともに、父の面影が蘇る。

お父さん、誕生日おめでとう。そしてありがとう!
生きていれば89歳か。米寿を越える日か。
想像すると切ないけれど、永遠の存在だから。

感謝を込めて、歌のブーケを贈ります!

カテゴリー: Essay (Word) | 米寿を越える日。 はコメントを受け付けていません

「こんな感じ」、「こんな感じ?」の対話

ピアノの譜面台にタブレットを置いて、そこに映る楽譜を見て
演奏するピアニストは最近増えているけれど、そのタブレットが
ZOOMにより繋がれて、相手の顔を見ながら、話をしながら弾きながら
という、一風変わったリモート会議。
いやはや、コロナのおかげで、スゴイことができるようになった。

そして、その傍らにパソコンを置いて、台本を見ながら、その脇に
スマホを置いて、時々録音して・・・。ZOOMでも録画できるが、
どうもスマホの録音機能の方が音質よく録れるようだ・・・。
などなど、いろんなことを一度に試す。
全ては試行錯誤。

来月上演する演劇で使う音楽の打ち合わせ。
脚本は一応読んだ。だいたいイメージはできる。
劇のオープングとクライマックスはもちろんであるが、
その間の場面転換などで使う音を一緒に探す。

「ここは主人公はこういう心情で、周囲はこうで、このあとこうな
るので、明るいけれど、弾みすぎず・・という感じで」と作家が
リクエストを言ってくれるので、それに対して、自分の曲から
「こういう感じかな。」「こんなのはどうかな」
といろいろ弾いていく。作家はそれを聴きながら、ステージでの
場面転換の様子をあれこれと想像。役者の動き、照明の変化・・・。
それに音楽がマッチするか、効果はあるか?など タブレットに映る
作家は時に目を閉じ、下を向き、曲を聴きながら、考えている。
「あ、そこまで、元気じゃなく。」「ちょっとしっとりしすぎかな」
「じゃあ、こんな感じかな」「あ、そうかな。そういう感じかも」
同じ曲であっても、弾き方や曲調、テンポを変えることで別の曲
のようになる。普段は歌いながら演奏している曲もピアノだけでの
演奏となるとまた違う表情を持つことに気づく。
また全体だけでなく、部分を活かすこともできるという発見も。

2時間余り、脚本に沿って各場面の音をあれこれ話し合いながら、
弾きながら、聴きながら、決めていく。

これを一度録って、明日からの稽古で一度当て込んでもらい、
実際に合うかどうかを試していただき、さらに修正をして、
再度録音して・・・。

何事も対話でつくられる。
カタチあるものも、ないものも。

私は作家が表現したい世界を、どう自分の音楽で盛り上げること
ができるか。役者のセリフや演技をさらに素敵に魅せることが
できるか。それがスタッフの役割だ。

打ち合わせ後に届いた作家からのメッセージ。
「優しく、温かく、包み込まれるようなステキな曲ばかり。
歌詞があると歌詞を聞いてしまうのですが、音だけだと
また違う伝わり方をしますね。素晴らしいです。
ステキな曲をお借りして、いい作品になるようがんばります。
生演奏を聴きながらの打ち合わせ贅沢でした。」
なんだか嬉しくなる。

確かに本当に贅沢な打ち合わせ。
このような新たな課題に、また挑戦できることに感謝したい。
そして、自分の音楽性を理解いただけるクリエイティブな
仲間との出会い、気が付けば10年近くの親交に
この上なき幸せを感じる。

ともに創る。力をあわせて、素敵な作品になるように。
どんな仕事でも、活動でも同じ。
対話を重ねて、信頼を重ねて、カタチになっていく。

手探りから生まれるものは、面白い。
どんな感じ?こんな感じ?
いっぱい、対話を重ねた分だけ、いいものが
できるのだろう。

カテゴリー: Essay (Word) | 「こんな感じ」、「こんな感じ?」の対話 はコメントを受け付けていません

創る青春ものがたり!

今日はいよいよ、仲間が手掛ける演劇に挿入する音楽の打ち合わせ。
先日送られてきた脚本にやっと目を通す時間をもてた。
こういったものは、コンサル仕事の合間にはしづらい。
やはり頭の切り替えが必要だ。
自分がクリエイターモードに切り替えられる時間をつくり、その
ときに没頭する。

「鴨川リトルウォーズ」。
とある京都の女子高校生たちがくりひろげる、青春ドラマ。
詳細を書くとネタバレになるので、ここらにしておくが、
作品の流れは頭に入りやすく、情景も浮かびやすい。
どこにどんな音を入れたいのか、は今日の打ち合わせで
確認する予定。
ここから脚本がだんだん立体的に時空を超えた唯一無二の
ドラマになっていく。

これは、作家としておそらく演劇を広げていくために、
若い層にも興味をもち、その世界に関心を向け、表現する
楽しみをもってほしいとの願いを込めた作品であろうと
勝手に推察もする。
そして、作家自身の幼少期、ふるさとで育ったさまざまな
思い出、そして夢までのプロセスもほんのり入り混じった
作品であろうとも想像する。

作品の主人公は、作家自身ではないか。高校生時代の
彼女のことは知らないけれど、10代後半の彼女が本当に
話しているようなイメージも膨らむ、そんな作品。

ゼロから何かを生み出す。
これは私も何度も経験してきた。
これは、生み出してしまえば、それだけのことであるかも
しれないけれど、そのきっかけはその人の人生の中に
ある。その人だからこそ表現できることがある。

いろんな既成のものをコラージュする力も素晴らしいけれど、
やはりゼロから生み出す力に敬意を表したい。
AIにできそうに見えるけれど、それは情報の蓄積からの
アウトプットであり、メッセージや思いはない。

人がゼロから生み出すものに、改めて敬意を表したい。
今日は、挿入する音楽の打ち合わせをする。

東京と岐阜でのリモートミーティング。ピアノのそばに
パソコンをおいて。
コロナのおかげで、こういった点は大変便利になった。

素敵な作品づくりに参加できることが、しあわせだ。
クリエイティブな人生をつづけよう。
どこまでもオンリーワンな自分でいられるように。
そして、永遠の青春をともに創る歓びを!
https://www.blets.net/


カテゴリー: Essay (Word) | 創る青春ものがたり! はコメントを受け付けていません

絶品ミルフィーユをつくる。

一回の人生。どうせ生きるなら、やりたいことをやりきりたい。
悔いだけは残さずに生きたい。
日々、小さなことで悩み、苦しむこともあるが、これはあくまでも
先に進むためのプロセス。
このプロセスもないがしろにせず、丁寧に対応しながら、心すっきり
前に進みたい。

♪人生はミルフィーユのように、重ねて重ねて綴っていく・・♪
とわがテーマ曲「人生は観覧車のように」の中にそんな歌詞がある。

そう、人生は毎日毎日重ねていくもの。
その瞬間瞬間はとてもデリケートで、壊れやすくもある。
人間は人と関わっていきる存在であるため、その関わりのなかで
さまざまな交流も摩擦も生じるもの。
摩擦ばかりだと、そのミルフィーユは粉々になってしまう。
相手を大切に、自分を大切にしながら、丁寧に関係を紡ぐことで
ミルフィーユはカタチそのままに美しく重ね続けることができる。

美味しいわたしのミルフィーユはいつ完成するのか?
世界にひとつの見た目美しく、そして味わい深いミルフィーユ
の完成を楽しみに、毎日を丁寧に重ねたい。

ぐしゃっとなりそうな時もあるけれど、また新たな薄皮が
生まれてくる不思議なミルフィーユ。
重ねることを諦めずに進めばよい。

人生はミルフィーユのように・・・♪
もう20年以上前につくった作品であるが、好きな一文だ。

ミルフィーユが似合いそうな
大好きなパリの夜空に映える観覧車とエッフェル塔の写真とともに。

カテゴリー: Essay (Word) | 絶品ミルフィーユをつくる。 はコメントを受け付けていません

移動の自由の重さ。

元気なら動ける、どこへでも行ける。
移動の自由は、人々の世界を広げ、可能性を広げた。
行きたいところへ行き、生きる。
これは、人間として最上の自由。
もっとこれをしたい、あれがやりたい、しあわせになりたい。
夢をもって人々は移動した。
それは現代だけではない。
たとえばシルクロードの時代から、大航海の時代から、
人は移動を続けている。
貿易は、モノだけでなく人の往来を豊かにした。

一方、移動の自由は、移動先で暮らす人々との対立、葛藤を
もたらした。
平和に暮らす人々にある日、よそ者が侵入してきて、その生活を
秩序を壊す、対立が生まれる・・・。

今、社会問題になっている難民、移民の問題。
これは移動の加速、増大によって、もたらされた深刻な問題。

国境に壁をつくることがベストかどうかわからないが、
移動の自由をたとえばこのような手段で封じる、取り締まる。
移民の力で発展してきた国が、このようなことをするように
なったかと思うと、大変複雑で残念であるが、
今、世界のいたるところで、その傾向がみられる。

インバウンドは歓迎であるが、移民難民は排除する。
これでいいのか。と思ってしまう。

一方、親が生前お世話になっていた福祉施設では、以前と変わって
アジアから来たスタッフが活躍されていると聞く。
都会ではなく、いわゆる地方の町でも、高齢化社会を支えて
くれているのが外国人。
「日本人と同じように、がんばってくれていますよ。」
いわゆる移民の皆さんがいてくれて、日本も助かっている。
福祉の現場だけではない。
建設の現場でも、外国人が多く活躍されている。

今、国境の壁で外国人の流入を阻むアメリカ。もともと移民に
よって成り立ち、彼らの努力で繁栄したニューヨークに代表される
都市は、原住民の力だけでは絶対に誕生しなかった。
アメリカンドリームは移民の力によるものだと思う。

都合のいいときに受け入れ、都合の悪い時は切り捨てる。
これで、本当に世界は成り立っていくのだろうか。
たまたま今、自分は生まれた国で生活することができ、
いろんな面で恵まれているけれど、
世の中には、そうではない人も多く存在する。

生まれ育った環境では生きづらいと感じる人、
また母国では経済的な限界がある人は、
苦労を覚悟で、勇気をもって海を越える。

もちろん不法はよくない。
しっかり法を順守し、認められるカタチで行動するのが
ルール。
とは思うが、自由に出入国するのがますます困難に
なってきている今日。
苦しい人に寄り添い、助け合う、協力しあう。
そんな世界に戻れないだろうか。
あまりに、世界中は自分主義に陥っていないかと
心配になる。

以前、ある日曜日、香港市内の大きな広場で、多くの
フィリピンの女性たちが、同郷の仲間たちと楽しそう
に話したり、お茶を飲んでいる光景を思い出した。
今も変わらず、フィリピンから若い女性たちは、お手伝い
さんとして香港に移ってきているだろうか?
香港は受け入れしてもらいやすい町のままだろうか。
締めだされてしまっているだろうか・・・。
自由の町、香港だった頃のあの光景は今も鮮明だ。

移動の自由は、情報まみれの現代社会こその
重い課題になっている。

大きなスーツケースを運びながら、新幹線に乗り込んで
くる大勢の外国人、仕事を求めてやってくる外国人。
いろんな外国人を見ながら、
いつまで、日本を求めてやってくるのだろう。とも
思う。

行きたい国、住みたい国は同じではないが、
いずれも魅力がなければ、行く価値がない国には
どこからも人はやって来ない。
日本は今度、外国人から見てどんな国になって
いくのだろう。
そこも心配だ。

今、自分は行きたいところに元気に行ける。
その自由を享受できている。ありがたい。

このことに、まず感謝したい。
行きたくても行けない人、
行きたくても行けない状況、

世界にはそういう人、状況も多くあることを忘れず、
今日も感謝して小さな移動を楽しみたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 移動の自由の重さ。 はコメントを受け付けていません

好きなことができる人生のレシピ。

仕事と趣味は別。という生き方。
好きなことが仕事。という生き方。
一方、
好きか嫌いかは別で、仕事はやらねばならないもの。
仕事だから・・という見方。

今も忘れないが、施設での父を看取っていただいた夜勤
担当の看護士さんに、夜中の対応に感謝の言葉をお伝え
したときの反応。優しい笑顔で、
「いえいえ、仕事ですから」
と言われたことに感動。強いプロ意識を感じた。
仕事とは、人のため、世の中のためになることをすること。
それをちゃんとされている人の言葉だと染み入った。
4年経った今も忘れることがない。

人を助ける仕事とはまさに、楽しいことよりも
厳しい辛いことが多い。
でも、きっと好きだから続けられるのだと思う。
人を助ける、感謝されることがやりがいになり、その仕事を
続けられる、好きになる。
そして、その仕事が天職となる。

私にはその看護士さんや、人の命を救うドクターのような
大変なことはできないが、
私には私にできること、やらねばならないことがある。

それは誰かにやらされているのではなく。
自分で選んでやらせていただいている。
リクエストをいただくことは、注文をいただくことは
相談をいただくことは、頼りにしていただいている
信頼していただいている証しだとも思っている。

そして音楽活動も、自分でやりたいからやっている。
人が喜ぶ顔を見ることが、達成感、やりがいにつながる。

好きなことを取り入れながら、やりたいことを
織り交ぜながら毎日を生きる。
日々の小さく雑多な苦難は、ところどころに
楽しいことが混ざっていることでこなしていける。
子どもが苦手な人参を食べるため、料理を工夫する母親の
ような気持で、自分時間のレシピを工夫するのだ。

すべてがというわけにはいかないけれど、
好きなことができる人生を 意識してつくって
いきたい。
嫌いなことだけをやる必要はない。
苦手なことで苦しむ必要もない。
一度きりの人生だ。いかに楽しむか。自分次第。

諦めず、やりたいことをみつけ、やり続けよう。
小さなことから。
そうすると、今日1日も楽しく、しあわせに生きられる。


カテゴリー: Essay (Word) | 好きなことができる人生のレシピ。 はコメントを受け付けていません

つながり続けるために。

日々、生きているといろんなことが起きる。
とくに人と人の関わりにおいては、コミュニケーションの
ちょっとしたズレ、考え方の差などで、ときにぎくしゃく
してしまうこともある。
コミュニケーションがうまくいっているときは、
個々の関係性もよく、組織全体に血液がいきわたり、
いい循環がもたらされる。
一方、局所的にコミュニケーションがうまくいかないと
全体の動きにも影響が及んでしまうこともあり、
そうなると、回復までに時間もかかるし、それまでが
苦しいこともある。楽しくないし、やる気も失せる。
人生限られた時間を生きているので、苦しまないで
楽しく生きていきたいと思う。

できる限り、コミュニケーションにズレがおきない
ように、伝え方には心配りをしたい。
ちょっとしたことでズレるのであれば、ちょっと
意識すれば改善できる。
相手にどう伝わるか。
その一言が、表情が、どう見えるか、伝わるか?
発信している自分、受信している自分は、
意識しなければ自分では見えないけれど、
まずは、そこから変えてみたい。

自分の中に鏡をもって、今、どう見えているか?
と、自分の見え方を意識してみてはどうか?

ともすると、
相手の言葉、相手の表情で一喜一憂して
しまうけれども、
そこだけにとらわれず、相手の立場に立ってみると、
そういうことだったのかなあ。と
気づかなかった相手の気持ちに気づけることも
あるかもしれない。

そして、ちょっとぎくしゃくしたときも、
その関係を早く普段の状態に戻せるように、
話し合ってみたらいい。
しばし蓋をされた心を開ける。蓋は外せる。
まずは、自分から声をかけてみる。
それが一番。

人間同士、繋がり続けるには、良い距離感を
保つには、心からの信頼関係が必要。
その関係づくりには、心を開いた
コミュニケーション、対話こそが不可欠だ。

自分と同じ人間はいない。
そこを改めて認識し直したい。
だからこそ、伝えるときには、
相手の立場を考えて、
そして、ときに一歩下がってみて、
伝え方もタイミングも工夫する。

それができるためにも、
心にゆとりをもちたい。

せっかく出会った縁を大切に、
繋がり続けることの努力を
欠かさず、諦めず。

コミュニケーションで悩まない人はいないはず。
悩むのが当たり前。
でも、伝わる歓びを知れば、その苦労もなんのその。
そんな風に思って、今日も一日、無駄なく生きたい。

やっぱり人生は、観覧車のように。でありたい。





カテゴリー: Essay (Word) | つながり続けるために。 はコメントを受け付けていません