今日は父の誕生日。
この日に立ち会ったことはないので、想像するしかないけれど、
昭和11年、1936年。
国内外ともに激動の時代であったのではないかと・・・。
あのヒトラーが生きた、ベルリンオリンピックが開催されたと
聞くと、穏やかならぬ世に、父は生まれたのだと改めて思う。
その後、戦時に育ち、戦後に働き・・・昭和、平成、令和まで。
まさに、現役時代が昭和であった。その時代に育ててもらった。
最近、戸籍を取り寄せることがあり、それを見ながら、
改めて父の存在があって、自分がいると実感した。
消えない、つながり。
父は言葉で生きた人ではなく、手業で生きた人。
そう、職人であった。またスポーツが好きだった。
字が上手だった。
そして、車の運転も父の売りであった。
「わが家のアッシーくん」。
感謝状を渡した10年前のイベントが懐かしい。
時代が違っていたら、父の苦労はもっと少なかったと思う。
父の人生はまったく変わっていただろう。
となれば、わたしはいなかったかもしれないので、
あの時代だからこそ、あの環境だったからこそ、あの人生があり、
結果、わたしも存在することになった・・。
命日より誕生日の方が、心が軽く、しあわせな気持ち。
でも、もっとこうできたのでは、いう思いは消えないまま。
父が何気なく残した一言が、心に湧いてきて、ため息も出る。
ああ、申し訳なかったな・・と。
10月15日で今年も終わった、長良川の鵜飼のフィナーレの花火。
この風物詩は父の誕生と結びに、花を添えてくれる。
毎年、鵜飼の余韻とともに、父の面影が蘇る。
お父さん、誕生日おめでとう。そしてありがとう!
生きていれば89歳か。米寿を越える日か。
想像すると切ないけれど、永遠の存在だから。
感謝を込めて、歌のブーケを贈ります!
