仕事とは有償、無償ということだけで分類でき
ないと思っている。
もちろん多くの場合は、生計を得るための
活動を仕事というが、本来の仕事の意味は
それを越えていると考える。
目的のために行う活動が、私が大切にしたい
仕事の定義だ。
結果的にお金をいただかない活動であっても、
お金以上の価値をいただくこともある。
世に言うボランティアの皆さんは、本当に偉いと
思う。
今、被災地に向かって現地でさまざまなお手伝い
をされている方、またこのたびの原爆記念日に
限らず、被爆体験を伝え続ける活動をされる方、
地域の住民の方のためにさまざまなお世話を
されている方・・・・。
もちろん、結果的に経済的なプラスになれば
活動は継続しやすいが、人のお役に立つこと
となれば、有償かどうかにこだわっていては
前に進まないことも多い。
長崎の知人たちは、ずっと被爆体験を伝える
活動をされているが、この1週間は、通常に
増して多くの方が訪問され、さまざまな国、
世代の方を相手に活動され、肉体的にはとて
もしんどかったとのこと。でも、それを越えて
伝える相手が理解してくれることで、自分
たちが目指す世界平和への道が一歩一歩
開かれていくのだと思えば、やりがいのある
活動だと教えてくれる。
このこと自体にいつも感動を覚える。
他に仕事をされながら、平和のための活動
を続けておられる。
活動を続け、成果が出る。世の中が変わる。
このことも立派な仕事だ。
世の中を動かすことに関わる取り組みを
すること自体、とても尊い仕事だ。
どれが本業?副業?ではなく、
お金を稼ぐだけが仕事ではなく、
世の中を動かすことに関わることが
私が考える「仕事」。
ある課題(こと)に仕える。
と思うと、仕事とは、神に仕える、尊い
崇高な人間の営みだ。
お金だけで換算できない。
もちろん生きていく上で、経済は不可欠だけれど、
できることがあれば、有償無償の取り組みにも
目を向け、自分ができることに取組みたい。
仕事のやりがい。
世の中が動く。
人が喜ぶ。
そこに尽きるのではないか。
へとへとになっても、被爆体験を伝えつづけて
いる仲間たちに、いつも心からエールを送りたい。
そして、自分もできる仕事をする。
全ては、自分のために。
やりがいのある仕事。
顔を浮かべる贈り物。
福島の桃が届いた。名前は「まどか」。思わず、「まどかちゃん」と
桃に話しかけたくなる。
名前があると相手が人間でなくても、いのちを感じ、言葉を
かけたくなる。
この桃は、新潟の妹から送っていただいた。
先日は新潟の白根からお世話になっているご夫妻から送っていただいたなあ。
贅沢な夏だ。それだけで幸せな気持ちになる。
桃はいつも笑っているようだから、こちらも思わず桃スマイルになる。
そしえ、
桃たちを見ると、送ってくださった方たちの笑顔が浮かぶ。
2か月ほど前、備蓄米についてマスコミ騒動があった際にも、
新潟のコシヒカリを送っていただいたが、こちらはもったいなくて
まだ開封していない。いただくときには、一粒一粒、その人を想って
いただくだろう。
贈り物とはそういうものだ。
物自体も大切であるけれど、贈ってくださる方たちの気持ちを大切に。
その人のことを、忘れない。
自分のことを気にかけてくださる方の存在がありがたい。
最近、改めてそんなことを思う。
大事にしばらくおいていたら、ちょっと熟しすぎたかも。
そろそろ、いただくとしよう。
それぞれの夏が元気で無事であるように。
おかげさまで元気ですよ!と、感謝の気持ちをおくりたい。
皆さんが、笑顔いっぱいの今日を過ごされるように・・・。

いのちを守る〇〇を考える週に。
このところ、被爆者の体験や、戦争の爪あとについて
さまざまな情報に接する機会が多く、その一方、
愚かしい世界紛争の現状にも触れ、人間と戦争の
切れない歴史について、つくづく考えさせられる。
世界のリーダーとは(日本も然り)、一体なんだろう。
国っていったい何だろう。
人間は結局、いつの時代も何のために生きている
のだろう?
問いかけたくなることは、無数にある。
気が付けば、10年も続けて学んでいる
「いのちを守るジャーナリズム」。
ジャーナリストとは何をすべき職業人であるべきか。
戦争に向き合い、現実をまっすぐとらえ、権力に屈する
ことなく、真実を世に伝え、命をかけて表現する人々。
その生き方に共鳴され、自らも実践され続けてている
ジャーナリストの横村出さんが、この夏は、戦後80年の
節目で戦争とジャーナリズムについて語り続けてくださっ
ている。
いのちを守るジャーナリズム。
伝えることによって、人々が真実を知り、間違いに気づき
自ら考え、正しき選択をして、平和な世の中になるよう
努力する。
その背中を押す仕事である。
平和の大切さ、人としてあるべき生き方。
それを伝え、世の中が少しでもより良き方向に向かう
よう、人々の意識を変え、自立を促す尊い仕事である。
一連の戦争の歴史の片鱗に触れれば触れるほどに、
自分ができることはないかと考える。
上に書いた横村さんのように、大学での講座や
執筆活動によりメッセージを伝え続けるのも
素晴らしい。また、昨年ノーベル平和賞を受賞
された被団協の皆様の活動も本当に頭が下がる。
自らが負った傷をさらけ出してでも、世界に
戦争はいけない、原爆はいけないと全身全霊で
伝え続けてこられた人生。
また、最近何度か耳にする元野球選手の張本勲さん
の被爆者としてのメッセージも心をうつ。
写真は長崎の原爆資料館にある日本中から届けられる
千羽鶴。これらを折り続け祈り続ける人たちの
地道な活動も、本当に素晴らしい。
これらの活動すべてが、いのちを守るための、
人類を守るための、未来に続く世界のための
立派な活動である。
それらを見聞しながら、
さて、わたしには何ができるんだろう。
と考える。
長崎の仲間たちに、心を寄せてメッセージを
送っているけれど、もっとできることは
ないかと、現実を知れば知るほど思えてくる。
いのちを守る〇〇。
自分に何ができるのか。
それを考え、行動に向ける1週間にしたい。

祈念し、残し伝え続ける。

昨日8月9日は長崎に原爆が投下されてから80年の節目の年。
雨の中、しめやかに、被爆80周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
が行われた。
記念の年の、祈念式典。
同じ「きねん」であるが、この「祈念」という言葉は、普段あまり
使用することが少ないが、長崎を訪ねるようになってから、
その言葉の重さと深さを感じるようになった。
祈りを捧げ、人々の幸せを心から願うこと。
昨日の式典は本当にその言葉通りの長崎の人々の思いのこもった
とても素晴らしいものであった。
現地に行けなかったが、テレビやネット中継を見ながら、ときに
涙して、一緒に祈念させていただいた。
式典のあった平和公園の近くにある、
爆心地公園。昨日は早朝からこちらでも多くの人々が
祈りをささげておられたようだ。
この公園に来ると、何とも言えぬ気持になる。
ここに・・・。
上の写真は被爆50周年に向け作られたものであるが、
被爆した親子の様子が立体的に浮かび上がってくる。
また被爆者名簿のマイクロフィルムが納められていたり、
倒壊した浦上教会の遺壁があり、ここに来ないとわからない
原爆投下の現実感を味わうことができ、長崎の苦難の歴史の
一部を感じることができる。
祈念する。
この言葉を大切にしたい。
静かな行動であるが、まずできることはこれだ。
そして事実を経験を記録し残すこと、伝え続けること。
現実に起きた人類の過ちを、風化させないことが、
人類が地球で生き続けていくために不可欠だ。
長崎で被爆体験を朗読で伝え続けておられる永遠の会
の方から、メッセージをいただいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちも今日は常駐朗読を追悼空間で一日中、実施しました。
たくさんの方が、被爆者が綴った体験記に耳を傾けてくださいました。
また、多くの方が想いを私たちに伝えてくれて、
高校生のみなさんと2時間くらい話しました。
彼らは希望そのものです。
彼らを戦争などで失いたくないです。
また、改めて力が湧き上がりました。
がんばります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分たちができることをやり続ける努力。
それをされている皆さんを見習って
自分もできることをしていきたい。
祈念し、伝え残す。未来に生きる人たちのために。

掲載した写真は、昨日のものではなく、2024年10月訪問時に
撮影したものです。
「長崎を最後に」の祈り。

この写真は、現在の浦上天主堂。
80年前の今日、原爆で全壊し、その後人々の強い願いと
協力で再建された。
当時の様子を写真で見たり、旧教会の遺構の
一部、被爆マリア像、アンジェラスの鐘などを
見ると、その恐ろしい現実が頭に浮かび、
耐えがたい気持になる。
この近くが爆心地であり、そこから瞬間にして
この美しき祈りの町が破壊された。
いつもこのあたりを歩くと、この美しい教会の
下に再建された美しい浦上の町が住む人が
どんな苦難を背負い、乗り越えてきたのか、
考えさせられ、空が美しければ美しいほど
悲しくもなる。
そう、長崎の空は美しく、悲しい。
今朝、被爆者のひとりであった山口仙二さんの活動
について改めて知った。
生涯を核廃絶運動に全力で捧げた方である。
世界中で発信した力強いメッセージは、多くの人々
に原爆の恐怖と核廃絶の必要性を強く伝えた。
「自分の家族が被ばくしたらどうですか?」
この問いかけほど、わかりやすく伝わる例えはない。
「言わなきゃだめだ。言わないと容認したことになる。」
命をかけて訴える力は、多くの人の心を動かす。
自らの体験を伝えられる人たちが年々減ってくる。
いつの日か、いなくなる。
それでも、ずっと言い続けなければならない。
長崎が最後の被爆地となるように。
長崎から世界へメッセージを。
長崎へ祈りを。世界へ平和を願う。
出会いに強い人と
その人の名前は「強」さん。
いろんな「つよし」があるけれど、この漢字のお名前は
これまで一人しかお会いしていない。
その強さんに初めて出会ったのは、24年前の9月11日。
そう、アメリカに向かうユナイテッド航空の機内。
といっても成田を飛び立った時は知らない人。
たまたま隣の席に座っていた人だった。
何も起こらなければ、そのまま知らない人で終わったが、
非常事態になって突然「何がおきたんでしょう?」
と会話したのがはじまり。
あのニューヨークの同時多発テロの影響で飛行機は
目的地に飛ばず、アラスカのフェアバンクスへ緊急着陸。
ともにフェアバンクスでの待機時間を3日間一緒に
過ごし、夜になれば、なんとオーロラの空を一緒に
見上げた仲間。
いつ思い出しても、わが人生最高の、絶対に忘れる
ことのない時間。
その強さんから、突然メールが届いた。
「デスクを整理していたら、あのときの航空券の半券が
出てきて・・」私を思い出してくださったのだ。
余りの懐かしさがこみあげる。
来年であれから四半世紀。一緒に過ごした仲間も今は
消息不明だったり、すでに旅立った人も・・・。
そんななかで、強さんと再会。
15年ぶりほどの再会。
最初は懐かしさがうれしく、当時の話をしていたが、
話題はどんどん発展して、マーケティングのこと、
DNAのこと、地球のこと、その方のヒストリー、
信仰のこと・・・とにかく久しぶりの再会を待って
いたかのような話題の連続で、話しはつきない。
また、当時より年を重ねたせいか、深い話もしみじみ・・・。
十分有意義な時間をいただき、別れるときに
またお会いする約束をし、固く握手する。
「この再会は何でしょうね」
「不思議ですね」
「何か意味があるんですよね」
テロがなければ、あの飛行機に乗っていなければ
隣に座っていなければ、この出会いはなかった。
もしかしたら、出会いに強い人なのだろうか。
過去の出来事、人が、ひょんなきっかけで
再び蘇り、さらに未来につながる関係になる
のかもしれない。
人には出会う力があるのかもしれない。
強さんとの再会で、強く感じた。
いっしょうけんめい。の応援
数年来、応援し続けている企業。
「最近、社長さんが変わってきましたよ。」
その企業を知る、当初紹介をしてくださった方から
その変化について聞く。
確かに、最近はかなりハードな課題を出しても、
大変前向きで、自分でも手ごたえを感じている。
新しい課題を出す。締め切りは盆休み明けの方が
良いかと尋ねると、「いいえ、休み前に出します」
と先延ばしせず、今しなければ!と燃えている。
社員と一緒に、前へ前へと向かうその姿勢に
こちらも嬉しくなり、アドバイスも弾む。(?)
この会社はきっと良くなる、そうなる。
最近出会った企業さん。
家族経営の町工場。
こちらが発する言葉を聞き逃すまいというぐらいの
気迫で真剣に聞きながら、課題を予想以上にこなして
くる。
「ここまで考えていただいたんですか」
驚くほどだ。
改めて自分の仕事は、いいかげんなことはできない
と思う瞬間でもある。
自分が発することを信じて、行動していただける。
その一生懸命さに、もっと応援せねばと思う。
自分の周りには、ほんとうに一生懸命に生き、
仕事をする人たちが多い。
まあ、人の力を借りて良くなりたいという
意志をもてる人は、真剣勝負の日々を
生きておられる。
誰も代わってくれない。自分がせねば。
でも、どうしたらいいかわからない。
そんなときに声をかけていただき、
おつきあいが始まる。
一生懸命の人に、
真剣に応える。
これまでもそうしてきたけれど、
これからも、それしかない。
毎日いろんなことが同時進行。
いろんな方たちの顔が浮かび続ける。
どこの社長さんも大変だ。
ひとり一人の従業員の生活を家族を
支えていかねばならないのだから。
そのご苦労に比べれば、
自分がしていることは、ちっぽけだ。
でも、
一生懸命な人に、真剣に向き合い、
寄り添う。
今日は誰と?誰に?
毎日、待っていてくれる人がいること
に感謝したい。
今日も、いっしょうけんめいに生きる。
しめやかな気持ちの朝に。
今日は80年前、広島に原爆が投下された日。
平和記念日である。
なぜか、離れた名古屋にいても、いつも聴こえてくる
セミの声と違って、少し今日は静かな感じもする。
というのは私の気持ちの持ちようかもしれない。
今のような異常気象ではないにせよ、真夏の、しかも
エアコンもない暑い日に、投下された原爆。
今日のその日を想像するだけでも、心がとても
痛くなる。
最近戦争にちなんだコンテンツを見る機会が増えている
こともあって、原爆という、人間の狂気が生んだ凶器に対する
気持は以前に増して「何があっても、絶対にあってはいけない」
強くなってきている。
立場が変われば、見方は変わる
しかし、
世代が変われば、考え方も変わる。
今の若い人のなかには、被爆された方の思いを
伝えていかねばと活動を興す動きもある。
ある被爆者の生き様を通じて、自分たちが伝えねばと
行動をはじめた学生さんもいるようで、
大変すばらしいこと。
でも、知らなければ、伝えられず、いつか忘れ去られていく。
知るきっかけがあって、そのことを記憶され、さらに伝えゆく。
大切な人が亡くなっても、その人のことを覚えて
いる限り、その人はずっと生きている。
とそのことを胸に今生きているが、それと同じく、
被爆された人たちのことを忘れず、記憶に残し続けること
でその人たちの思いは生き続ける。
そう、今日は忘れてはいけない日。
ずっと覚えていなければならない日。
記念日とは、そういうためにある。
だんだん被爆者の数が減っていき、いずれゼロになっても
その人たちが遺してくれたさまざまなツール、情報を
通じ、学び、教訓に生かしていかねばならない。
先人たちの苦労があって、今の自分たちがいることを
忘れず、
そして80年経った今でも、
世界で戦争が起きている人間の愚かさに目を背けず
今自分ができることを考え、小さなことでも実行したい。
原爆で焼けて亡くなった人たち、
ガザの餓死寸前のやせ細った子供たちが重なりもする。
NO MORE WAR。
世界の意識と行動が、少しでも変わる記念日となるよう
心から広島に向け、祈りをささげたい。
長く、強い糸。
おかげさまで仕事を一緒にやってくださる仲間がいる。
20代、30代、40代、50代・・・。それぞれの時代に
出会って以来、今なお、そのご縁が切れずにお仕事
できる人たちがいてくださることは、本当にうれしい。
心の観覧車をつくる、という生き方は、人とのつながり
なしにはなしえない。
新たな出会いももちろんうれしいけれど、気が付けば
何十年も関係が途切れず、続いている方とのご縁は、
本当にありがたい。
京都のデザイナーさん。
会社員時代からのおつきあい。
まだ20代の頃だったか。
起業されて間もない頃、女性だけのデザインの会社。
ということで、当時は本当に珍しかったのではないか。
自分にとって新鮮な出会いであり、初対面の時のことを
今もくっきり覚えている。
そこから京都に関わる仕事をいくつかご一緒させていただいた。
平安建都1200年、祇園祭、もちろん企業のお仕事も。
彼女の伸びやかで、パッションとパワーを感じるデザインが
好きだった。
デザインはその人を現すということを、若いときから
勉強させていただいた、そのひとりだ。
その後、東京に移ってからはしばらくお仕事をご一緒
する機会が減ったけれど、なんやかんやと、
京都といえば・・・ということで、今もずっと関わり
をいただいている。
クリエイターという言葉にピッタリな、
感性豊かで、のびやかな表現力と、センス。
デザインという仕事を30年以上続けてこられている
豊かな経験が、自立した生き方につながっている。と
横から見ながら、いつも尊敬の念がこみ上げる。
同時代を生きてきたからこそ、
心から共感できることは多く、
人生や仕事の価値観も理解し合える貴重な関係。
以前、お母さまとアウシュビッツに行かれた話を
聞いたときは、その好奇心と行動力に
やっぱりクリティブだ!と刺激をもらった
ことも、懐かしい。
「戦争はあかんね」と、こんな話題も真剣に
できるのも嬉しい。
京都で出会えたクリエイター。
仕事がある限りは、元気にがんばろう!
これが合言葉。
長くて強い糸。
大切に繋ぎ続けたい。
ユニークなオファー、熱いご依頼。
暑さも吹き飛ぶ、新たな企画の打ち合わせがあった。
ひとつは、防災の日の前に、防災セミナーとふれあい
コンサートを組み合わせたイベント。
それは、お盆休み明けの開催。
地域貢献に力を入れている法人さんからのご依頼だ。
コンサートもコラボの時代。
もちろん、これまでもいろんなコラボは試みてきたが、
「防災」と「音楽」がひとつのイベントになるとは、我ながら
興味深い。
コンサートがあることで、防災の話も聞いてみようかとなるのか、
防災だけだとちょっと硬いから、コンサートもあると楽しいから
人も集まるか?
どっちが入口でもよいが、わりと斬新?かつ贅沢な企画ではないか。
主催者の熱意も伝わり、こちらも何かいつもと違うことを・・と
企みたくなる。
そんな話の後は、敬老の日のお祝いコンサートについて打ち合わせ。
昨年、出演させていただいたが、終わったあとすぐに、今年の
担当になる方から、
「来年、お願いしますんで。頼みます!」と力強く声をかけて
いただき、連絡先を交換。そして正式に改めて依頼をいただいた。
「今年は、今尾さんのステージに賭けてるんで、どうぞ盛り上げて
やってください。皆さんの心に刺さるコンサートお願いしま
す。昨年は私が刺さりましたので!」
いずれも、ふるさと岐阜での話となる。
まさに、岐阜での観覧車が小さいながらも回り続けている。
8月から9月にかけてのこれらの活動。
グラン・ルー27周年にふさわしいスペシャル企画だ。
ご依頼いただく方々に、待っていてくださる方に
心から感謝を込めて。
いい思い出のひとときになるよう、熱く取り組みたい。
暑さは、各地でのお祭りと同じく、熱さで乗り切る。