今日は80年前、広島に原爆が投下された日。
平和記念日である。
なぜか、離れた名古屋にいても、いつも聴こえてくる
セミの声と違って、少し今日は静かな感じもする。
というのは私の気持ちの持ちようかもしれない。
今のような異常気象ではないにせよ、真夏の、しかも
エアコンもない暑い日に、投下された原爆。
今日のその日を想像するだけでも、心がとても
痛くなる。
最近戦争にちなんだコンテンツを見る機会が増えている
こともあって、原爆という、人間の狂気が生んだ凶器に対する
気持は以前に増して「何があっても、絶対にあってはいけない」
強くなってきている。
立場が変われば、見方は変わる
しかし、
世代が変われば、考え方も変わる。
今の若い人のなかには、被爆された方の思いを
伝えていかねばと活動を興す動きもある。
ある被爆者の生き様を通じて、自分たちが伝えねばと
行動をはじめた学生さんもいるようで、
大変すばらしいこと。
でも、知らなければ、伝えられず、いつか忘れ去られていく。
知るきっかけがあって、そのことを記憶され、さらに伝えゆく。
大切な人が亡くなっても、その人のことを覚えて
いる限り、その人はずっと生きている。
とそのことを胸に今生きているが、それと同じく、
被爆された人たちのことを忘れず、記憶に残し続けること
でその人たちの思いは生き続ける。
そう、今日は忘れてはいけない日。
ずっと覚えていなければならない日。
記念日とは、そういうためにある。
だんだん被爆者の数が減っていき、いずれゼロになっても
その人たちが遺してくれたさまざまなツール、情報を
通じ、学び、教訓に生かしていかねばならない。
先人たちの苦労があって、今の自分たちがいることを
忘れず、
そして80年経った今でも、
世界で戦争が起きている人間の愚かさに目を背けず
今自分ができることを考え、小さなことでも実行したい。
原爆で焼けて亡くなった人たち、
ガザの餓死寸前のやせ細った子供たちが重なりもする。
NO MORE WAR。
世界の意識と行動が、少しでも変わる記念日となるよう
心から広島に向け、祈りをささげたい。
しめやかな気持ちの朝に。
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