敬老の日イベントは、おかげさまでご好評をいただき、
楽しく終了することができた。
歌って、話して、弾いて、踊って・・・全身全霊を使っての
パフォーマンス。
ひとり一人に元気と愛が伝わるように、と最前列から最後列まで
ずっと見渡しながら、プログラムを進める。
コンサートの構成は80歳のお祝いにふさわしく、ふるさとや
季節感も意識しながら、演奏にお話し。
1曲ごとに反応いただき、手拍子も心ひとつに、笑いもあって・・。
お祝いの席にふさわしい、和やかな雰囲気が自然と出来上がる。
イベントは演者だけ盛り上がっても意味がない。
参加者全員で一体となって創り上げるもの。
コンサートに続き、お祝い抽選会。
自分で厳選したプレゼントを抽選で当てていただく。
くじも手作り、プレゼントは京都、新潟、岐阜・・・少し心の
旅を意識しながら。傘寿の祝いということで、ちょっと
思いのある夫婦傘のプレゼント。
お客さんはとにかく、にこにこと笑っておられた。
始まったときから、笑顔の花はどんどん増えていった。
終わる頃には全員が大きな笑顔の花を咲かせているような
そんな感じであった。
「元気いっぱいもらいました」「心から感動しました」
「こんな素敵な会に呼んでもらえて幸せ」「来年もまた
みんなで集まりたい」などなど、いろんな声をいただいた。
そして、私を通行中に時々見かけておられるという方から
「お願いだから、年をとらんといてね」と言われた。
きっとずっと若くいて、その姿を見せてね。という意味だ
解釈し、「お互いに!」との言葉を返した。
笑顔をつくる仕事は、好きだ。
人は心開き、安心、共感、感動すると笑顔の花を大きく
咲かせる。
昨日は、その笑顔の花をいっぱい見せていただける素敵な
お祝いの席となった。
80歳は傘寿と呼ばれる。八十という漢字の形から
そうなった説があるが、こんな機会に傘に思いを馳せる。
傘は生きる上で、雨風、そして日差しも避け、身を守って
くれる大切な道具。
そして、ひとりだけでなく時に一緒に入る、相合傘。
昨日は笑顔の相合傘のイベントでもあった。
同じ場所に生まれ、育ち、住み、長寿を共に祝うこと
ができる仲間同士の相合傘。
とてもいい。
今回お会いした皆さんが、今日も明日も、昨日の記念の時間を
記憶され、笑顔で、元気な日々お過ごしいただけたら、最高だ。
笑顔の花が咲き続ける。地元がそんな街であり続けるように
心から願っている。
このような地域の行事を準備、運営される自治会や公民館の
皆様に心から敬意を感謝を込めて。
笑顔の花を咲かす仕事。
感謝のステージを笑顔で。
今日は敬老の日。
地元岐阜でのイベントに今年もお声がけいただいた。
親が生きていたら、と思うが、まあまあ、
きっと彼らは空のS席で楽しく見ていることだろう。
コンサートでも何でも、人との出会いは、
一期一会。そしていつもラストステージ。
お会できた人とだけ、共有できる一度きりの
コンサート。
今回は演奏以外に、特別に抽選会も企画。
事前に参加者名簿をいただいたので、ひとりづつへの
直筆のハガキも用意してみた。
それぞれの名前を拝見しながら、その人のことを
想像する。どんな人生を生きてこられたのかな・・。
それぞれかけがえのない人生だ・・。
大きな体育館での演奏もダイナミックで豪華に聴こえるが
今回は公民館での開催。フラットなステージで、段差もなく
上から目線にならないのが良い。
ライブ感があって良い!と主催者も喜ばれている。
今回は、傘寿の方のお祝い。
傘か~。
いろいろ浮かんでくることは、やってみる。
今の時代、長寿は本当にうれしいのか・・は実はわからない。
でも、人生を生き続けておられるだけでも、尊敬に値する。
そして、
人生の先輩にお会いするのが楽しみだ。
ひとり一人に寄り添って、笑顔で楽しい時間を創る仕事。
ありがたい仕事をさせていただけて、本当に幸せだ。
親たちもお世話になってきた、
地域の皆様に感謝の気持ちを込めて。
長く生きることは、大変なこと。
どうせ生きるなら、せっかくの人生だから、
笑顔で、元気で「良かった良かった」と思えるように。
今日のひとときも、そんな時間であるように、
心を込めて、愛と元気を届けたい。
有限実行。
いつまでも生きるわけではない。
いつまでも一緒にいられるわけでもない。
いつまでもあるわけではない。
いつまでも若いわけではない。
若い日々は、いつまでも・・が当たり前だったかも
しれない。
親との別れは、ある意味、何事も「いつまでも」ではないことを
教えられた貴重な経験であった。と、
今改めて思う。
いつまでも・・・FOR EVER はない。
いつまでか、もわからない。
結局、人は不確実さのなかで生き続ける。
その不確実さを確実に変えられるのは、夢と希望。
あんなふうになりたい。明日も元気にありたい。生きたい。生きよう。
未来を向いた前向きな意識が、行動を変える。
人にやさしくしたり、仕事を一生懸命やったり、
今、与えられている課題を全力でがんばってみたり・・・。
発する言葉も変わってくるかもしれない。
いつまでも ではないから、
今しかやれない。今やるしかない。
生きる時間に限りはあるけれど、
その最後が今はわからないから、
夢と希望は永遠にもっていたら良い。
そういう意味では、音楽が友でよかった。
音楽は有限な人生を、ときに永遠にしてくれる。
愛と希望で満たしてくれる。
限られた時間のなかで、すべきことを尽す。
有限実行。
そして、夢と希望は永遠に。
ここに生まれ、ここに育ち、ここに今。

今朝の岐阜。長良川と岐阜城のある金華山を収めた。
ふるさとで一番大好きで、誇りに思う風景だ。
空あり、山あり、清流あり。川は流れを止めない。
時に脅威になる山河も、調和がとれている様は
最高美となる。まるで天が授けた作品だ。
この眺めがあるから、岐阜生まれで良かったと思う。
夜になれば、船が出て、鵜飼が始まる。
この連休も多くの観光客が訪れることだろう。
10月15日までの鵜飼シーズン、暑さも収まり活気づく。
中学生の頃、この川原に立って、発声練習をしたことも
あった。
この眺めが好きだから、東京暮らしではなく岐阜に帰って
暮らしているのだと話しておられた高校の先生。
この長良川には、私なりの思いがある。
大切な人の魂がここに眠っている。
♪ここに生まれ、ここに育ち、ここに今あると
この命を映している 光る水面に・・・♪
自作の「みず・つち・ひと」の出だしの一節である。
わがオリジナル作のなかでも、ふるさとを描いた
音楽活動の原点でもある作品。
この景色があったらこそ生まれたのだ。
ふるさとは遠くにありて思うもの。
ふるさとは心にありて、生きるもの。
時々、改めて眺めに来る。
書いている間に、表情が変わった。
最高の朝。
今日をとびっきりのクリエイティブな1日に。
自分の小さな創造力の源泉に感謝する朝。

みず・つち・ひとは youTubeでも視聴いただけます(ライブ録画)
https://www.mahsa.jp/creation/
観覧車は時代を越えて、くるくると。
昨日のグラン・ルー28周年には、朝から日付が変わる
まで、多くのメッセージをいただいた。
本当に、本当にありがたい限り。
これ以上ない、うれしい1日となった。
中でも28年前からのおつきあいが、今も続いている方。
毎年、残念ながらもうお会いできない方も増えて
いくのは寂しい限りであるが、それはどうすることも
できない。順番に・・・である。
昨日は、その方たちのこともひとり一人思い出し、
自分は多くの方に見守っていただいたのだと
28年間、この観覧車に乗ってくださった方たちを
懐かしむ1日ともなった。
昨日いただいたメッセージのなかには、
「30周年を楽しみにしています。40周年はもういないか
もしれないけれど、ずっとグラン・ルーの変化を
見届けたいです!」
というものもあり、40周年という日が来ない方がいいかも。
と思ったり・・・。
実際、それまで自分が元気でいられるかどうかはわからない
けれど、常に前を向いて常にプラスのオーラを発し、
愛の元気人として生きていこうと心に決める。
人は見守られることで、安心してがんばれる。
応援されることで力が湧く。
それは一方的ではなく、お互いにである。
新たな観覧車が回り出した。
新しい出会いがどこで、いつ?
わからないから、楽しみだ。
1日1日を大切に、笑顔を増やす。
多くの応援が生きる力になる。
その応援に生かされ、
そして、自分も誰かの生きる力の足しに
なれたら・・・。
昨日お祝いメッセージとともにいただいた、
大先輩の観覧車の写真をここに。
懐かしき京都の動物園にある観覧車。
1956年比叡山生まれ、その後岡崎へ・・・。
時代を越えて、観覧車はいつも傍にいて、
人々を癒し、励ます。
そんな存在、やっぱりいいと思う。

25年前の3周年を胸に。

28年前の9月17日。グラン・ルーの活動は始まった。
と改めて言ってみるが、そんなに特別な初日であったわけではなく、
何も記憶はない。むしろ、その前に会社員をやめた最終日のことや
その後に起きたことがいろいろありすぎて・・・。
なかでも、この写真は今から思えば、一生もののお宝であり、
もしも、あの世(天国)があるならば、抱いてもっていきたい1枚である。
2001年9月17日。グラン・ルー3周年のとき なぜかすでに撮ってあった
この写真に元上司や仲間たちが寄せ書きをしてくれたもの。
長らく、実家に眠っていた。
この寄せ書きの1週間前にNYに向かって旅立ち、この17日までに帰国する予定が
NY同時多発テロで目的地に行けず、アラスカからシカゴ、そして
東京へ戻ってきた。25年前の9月17日。グラン・ルー3周年。
皆さん、「無事に帰ってきてよかったね。」と言いながら、新宿のスナックで
思い思いのメッセージを書いてくださった。強運に感謝した日でもあった。
ということで、改めて本日9月17日はグラン・ルーの28回目の創業記念日。
よく脱サラして、ここまで、初志貫徹したなあ。
悔いなき人生をということで、「917」を創業記念日としたが、
本当に悔いないなあ~。
と、おかげさまでそんな気持ちでいる。
それ以上に、本当によく生きてこられた。しかも健康で!
親しかったマジシャンがよく運命と宿命の話をよく話してくれたが、
ありがたい「運」のおかげで、人生という先の見えない「大河」を
事故なく、あるいは道なき「道」を無事に進み続けることができて
いるのだと思う。
すべては周囲のいろんな力、いろんな心のおかげ。
どれだけの人によくしていただいたか。
そして、教えていただいたか。感謝しかない。
独立することで、自力で生きることの難しさと手ごたえを
学ばせていただいた。
おかげさまで、今日もとても前向きでいられる。
人生は観覧車のように~で間違っていなかったと思う。
そして、これからも、このままでいい。
もっと続けていこう!と自分に言える。
37歳のときの自分の写真を見ながら、この日からも
ずっと息をし続けて、くねくねしながらも、生きて
いる幸運に感謝の気持が募る。
これからも自分らしく、生きる意味を探し続ける
観覧車の旅を続けよう。
28年間、お世話になった皆さまへ、心より感謝
申し上げます。
本サイトインフォメーションでも、記念日メッセージを
公開中です。
https://www.mahsa.jp/information/
脱力、脱水と最高の充足感。
9月の演奏活動第一弾は、地元のデイサービスでの「秋のふれあいコンサート」。
4年前から年に2~3回お邪魔しているので、もう10回ほどになる。
こちらの施設では、毎日私のCDを流していてくださっているせいか、
利用者さんにお馴染みの声、歌になっているようだ。
先週、喉の調子が思わしくなかったが、本番が近づくにつれ、緊張とともに
全身が元気モードになろう!と細胞ひとつひとつにスイッチが入った。
今回は「秋のふれあいコンサート」ということで、秋にちなんだ企画を盛り込み、
お届けする。本当は生ピアノで演奏できればもっとダイナミックな、表情豊かな
演奏もできるけれど、伴奏できるものを用意できるだけラッキーだ。何でもいい。
手持ちの楽器を担いでの出演は、出前コンサートならではである。
そんなこんなで、約45分。トークと歌と演奏で利用者さんとの時間を過ごした。
声が途中でおかしくならないように、と体の声を聴きながら、話し、歌い進める。
気が付けば15曲ほどをぶっ通しで演奏。
マイクもないため、生声が届くように、声をしっかり出す。
打楽器代わりに、足でステップも踏む。顔も笑顔を基本に、曲にあわせて
表情を変える。よく考えたら、まさに全身運動の45分。
おかげさまで大きな拍手、満面の笑に包まれ、無事ステージを終える。
利用者さんのご家族から花束もいただく。(なぜか、お惣菜もプレゼント・・・)
「サインをください」と配布されたプログラムを差し出す方も・・・。
また来てください・・・と何人もの方に声をかけて下さり、握手、握手・・。
全身に汗をかき、脱力、脱水のまま帰路につく。
いただいたお花は、帰り道に地元の墓地に寄り、飾っておいた。
帰り道の電車では普段は座らないのに、今日は少し座った。
ただひとこと「疲れた~!」。
戻ったらお礼メールや写真もいただく。
昨日はコンサート初めに
「皆さんに今日は元気とLOVEをお届けします!」と約束し、
コンサートの結びに
「みなさん、元気とLOVEは届きましたか?」と問いかけ、
全員が「はーい!」と笑顔で答えてくださった。
ちゃんと約束を果たせたようだ。
今朝になり、認知症の方におかれては、もう昨日の記憶もない
かもしれない・・。でも、
その瞬間の感動は生きる力になったはず、眠っていた細胞も目覚め
また元気に生きよう!と活動を始めておられることだろう。
今日という新たな1日を生きるパワーにつながっていれば、それで良い。
また来てね。ありがとう、ありがとう!
くしゃくしゃの笑顔で、さよならをした瞬間が今も心に残る。
それが私の生きる糧にもなる。
この活動は、私にとって与えられた天職のひとつだと思う。
だから、やらねばならぬ。
まだまだ続く、出前・出張コンサート。
呼んでいただけることに感謝して。

知らないんだ~。の衝撃
あるプロジェクトが終了し、その打ち上げの会食のときのこと。
20代~30代の人の参加が多かった。
楽しく、和やかな時間を過ごした。異世代交流は大切だ。
帰り際、ひとこと挨拶をさせていただくことになった。
その日は9月11日であり、自分にとってはこの人生で最大の
といっても過言でないほどに衝撃を受けた日であった。
25年前のNY同時多発テロのことである。
そんなこともあって、
「今日はあの同時多発テロから25年で自分にとっては
忘れられない日ですが、そんな日に皆さんと平和で
楽しい時間を過ごせてとてもありがたいと思っています・・」
といった話をすることで、この日が特別であることを
共有できたら・・・と思って話し始めた・・・。
が、話してみて、反応が薄いことに気づいた。
あの同時多発テロから・・といっても、知らない世代。
生まれていない、幼い時のこと、外国のこと・・・。
そうか~。四半世紀経つということは、こういうことか。
皆知っている・・ではなく、世代によって全く違う。
これはかなり自分にとって、衝撃であった。
知らない人には、もっとちゃんと伝えないと
わからないままなのだ。
共通の言葉ではないから、会話するTPOも考えなければ
ならない。
同じように、終戦から80年も同じことかもしれない、
いや、もっとかもしれない。
戦後80年といったところで、20代30代の人たちに
ピンと来ていただろうか?
原爆のことも、遠い昔の物語?それにもなっていない
かもしれない・・・。
だからこそ、教育が大切なのであるが。
時間の経過とはそういうもの・・・。
世代の差とはそういうもの・・・。
知らない、伝えられていない、伝えていない・・・。
経験していなければ、情報を受け取る機会がない限り、
知る機会すらない・・・。
知らないから、で終わってはいけない。
世界が他人事になってはいけない。
知らなければ、平和を維持することもむつかしい。
それは、与えられるものではないから。
この911を通じて、
世代間のディスコミュニケーションを考えるいい機会に
なった。
伝えることの大切さを改めて。
新潟愛をかみしめる。
18年以上通い続け、そして今も交流が続く新潟の企業や人との関係。
先週は、新潟で本づくりを続けている方と久しぶりに再会。
人々の人生を1冊の本に、まさに「抱きしめたくなる本づくりを精魂込め、
今も地道に続けている。私も歌詞集を作っていただいたり、ご紹介
した方もこちらの本づくりを気に入って作品集や人生の思い出を1冊に
まとめられたり・・・。最初にお会いしたのは創業間もない頃だったから
もう20年ほど・・・。40代だったなあとしみじみとその頃を思い出す。
そんな再会と時期を同じくして、このところ新潟からいろんな品が届く。
米屋さんから、地元のお米を利用したお菓子の新商品。お母様が生涯つくり
続けられてきた味噌づくりを今も受け継ぎ、都会のおにぎり屋さんで採用
され続けているシソ味噌。久しぶりに送っていただいた長岡の餃子たち。
これは、今やしっかり地域ブランドとなった。コロナ前から応援しており、
町中華の生き残りを「この餃子で!」と背中を押したことから、今日に
いたっている。
「うちの餃子、商標登録しましたよ!」命名にも関わっていたせいか、
その商品がそのお店の看板となり、成長していることを知り、本当にうれしい。
そんな中、防災食の掲載記事が送られてくる。ローリングストックの活動を
全国でもいち早く着手したのは、新潟。その発起人とのおつきあいも、もう
20年・・・。
それ以外にも、この1週間を振り返るだけでも、アーチスト、お酒屋さんなどなど
・・多くの新潟の皆さんと交流。
大雨のニュースを見て、新潟からもご心配メールを何件もいただいた。
いやはや、本当にありがたい限り。
最初に書いた本づくりをされている方との会話で、終の棲家の話になった。
「いやー、新潟もいいねえ。」
「待ってますよ~!」
「でも、ピアノがね・・・」
「グランドピアノが置ける家、探しておきますわ(笑)」
そう、確かに新潟は心のふるさとのひとつ。
忘れがたき人が数えきれないほどにいて・・・。
やっぱり、新潟愛は消えることがない。
じっくり交流を重ねた分、その信頼は確かだ。
中小企業への、農業に関わる人への、街づくりに関わる人への
真剣さを学ばせていただいたこの港町のこと、本当に大切に
したいと、届いたお料理をいただきながら、
新潟への想いをかみしめる。
あの人、この人元気かな・・・。
顔が次次と浮かぶ。
「やると決めたら、やる!」は万国共通
まさかの年末台湾コンサートツアーが実現することに!
今年は音楽活動に関して、これまでに経験したことがない
新たなステージが増えつつある。
ステージが違うということは場所も、ターゲットも、また
目的も違うということだ。
コンサートといってもいろんなカタチがある。
海外の医療・福祉施設での演奏とはいつかできたら良いと
思っていたが、なんと今回はそういった場所を主に訪問する
ツアー。
仲間から訪問先報告を受け、オンラインで詳細ミーティングを
行い準備モードに。
「いやー、連絡しばらくなかったから、どうかなと思っていたら
いきなり5回公演でびっくりしたわ~」
「時間かかってすいません。いろいろやりとりがあって・・・。
でも、本当に皆さんのお世話になって、これが実現するんです」
と、台湾側でいろいろと動いてくれたことが想像でき、しみじみ
ありがたい・・・。
皆さんへの心からのお礼を述べると
「いえ、一度やると決めたら、やるんです!」
この力強い一言に 20年も変わらぬ彼女の超積極的な物事への
向き合い方に、一緒に仕事をしていた時代が蘇った。
変わらない人だ!
頼もしく、本当にありがたいと思った。
挑戦は自分への投資でもある。
早速、航空チケットもホテルも予約し、もろもろ調整に入る。
「日本の歌も歌ってほしい・・そうです。曲目を早めに
教えてくださいね。なんか、『北国の春』とか、『骨まで愛して』
と言う曲は、皆歌えるそうですよ」と聞いて、思わず吹き出し
そうになる。「北国の春」はまだしも、「骨まで・・・」が歌える
台湾人か・・・。日本では歌える人、もうほとんどいないのでは・・。
こんな会話からも、今からドキドキわくわく。
やると決めたら、やる!それは、こちらも同じ。
「年末のイベントを一緒に盛り上がりましょう!」
頼もしき仲間の一声にまたうれしくなる。
ここから、また新たなことがはじまる。
人生は観覧車のように・・・。
みんながひとつの輪になって回り始めた。