ミラノ・コルティナオリンピックが閉会した。
ながら見ではあったが、イタリアらしい美しいフィナーレだったと
感じた。
全力でこの2週間を駆け抜けた全てのアスリートたちに、心から
拍手。
結果が出せて良かった人、そうでなかった人。
いろんな結果があるが、これで終わり、ここから次へ。
とそれぞれが、この節目からさらにそれぞれの人生を歩まれる
ことだろう。
世界の仲間と出会い、試合・競技を通じて出会い、ともに戦い、
称賛でき、新たな世界観も生まれたことだろう。
平和にスポーツができることの幸せも実感されたことだろう。
がんばれば そこに行ける。
そんな夢をさらに膨らませる若者もいるだろう。
オリンピック。
ひとつの世界交流の形。
スポーツを通じて、世界がひとつになる。
戦争をしない世界にする。
選手たちは、今回の経験を通じ、自己記録の更新だけでなく
世界のことにも目を向けて、これから様々な発信を
してもらえたら・・と切に願う。
戦い。という言葉は大変嫌いだ。
マーケティング用語で使う、戦略・戦術という言葉も
その文字から常に違和感を感じていた。
もともとは戦争用語であると学んだことがある。
だから、自分からは使わないようにしてきた。
誰と戦うのだ?どうも、戦うことは、勝つか負けるかを
目指すことになる。
それはどうも・・・。
もし、生きることはたたかい・・だとすれば、
相手があっての戦いではなく、自分との闘い。
自分の人生のフィナーレに向かって、努力を続けること。
これを闘いというならば、納得する。
話が少し広がったが、
オリンピックも究極は自己との闘い。
一堂に会して、お互い競い合うけれども、実際には自分との
闘いだ。苦しくても、つらくても、ゴールに向かって
やりきらねばならない。やった人が良い結果を残せる。
改めて、オリンピックとはメダルの数争いではないと思う。
一生懸命がんばる選手たちから受け取る感動。
結果、メダル獲得になるけれども、
悲喜こもごもさまざまな場面に、心が動く。
失敗したときに、自分の人生を重ね、涙することもある。
いろんな闘いを見せてもらったオリンピック。
そういう点から、貴重な祭典である。
地球温暖化により、いずれ、冬季オリンピックは
実施できなくなるかもしれないと聞く。
それはとても、悲しい。
そして、オリンピックがあろうが、
戦争が続いていることも、とても悲しく嘆かわしい。
自分との闘いは人に迷惑をかけないけれど、
戦いは・・・。NOである。
いろんな思いをさらに強くしながら、
すべてのアスリートへ、心から拍手を送りたい。
つかの間の夢を見せてもらい、
人間の無限の可能性を示してもらい、
大いに刺激と気づきをいただいた。
今回のオリンピックでは、タグラインとして
掲げられている
「もっと速く、もっと高く、もっと強く。」
というフレーズが印象に残った。(表記自体は英語)
「もっと」は、「より」と置き換えても良いだろう。
それをうけ、
「よりしなやかに、より豊かに、より強く。」
と自分なりになぞってみた。
人生には、いろんな挑戦がある。
私はこれでいく。
いずれも強く生きるために
自分と闘うのだと思う。
一生懸命やれば、悔いのない人生になる。
それが一番の幸せだ。