あの人もがんばっているから!

ふと、夜中から起き出して、仕事をはじめている弁当屋の主人を思い出す。
もう20年以上のおつきあい、弟のような存在。彼が20代の頃からだ。

人様が寝ている時間から、都会で働く人たちの元気の素を毎日作り続けて
いる。その努力がお客様を呼び、行列ができる店として有名になった。

自営業は自分ががんばるしかない。
未明に仕事をしながら、彼のことを思い出す。
こうちゃん、今日も元気かな・・と。

また、暑い朝から畑に出て、農作業をしておられる人たちを
見かけると、偉いなあと頭が下がる。
暑くても、自然と向き合う仕事をされる人。
がんばっておられるなあ。

新潟からのメールが届くと、ああ、あっちでもがんばっているなあ。
えらいなあ。

こんな風に毎日、いろんな人ががんばっていることを思い、
自分も!思い、背筋を伸ばす。

熊本地震で被災された方も、酷暑のなか、がんばっておられる。
その苦労に比べたら、自分は何でもできるではないか。
とそんな風に、思えてくる。

みんな、それぞれ置かれた環境のなかで、ときにはくじけそうに
なりながら、それでも頑張って生きている。

生きていれば、それぞれいろいろある。
何もない人はいない。
それでも、人のせいにせず、周囲に感謝をして、汗を流し、
心を込めてがんばっている人には心から共鳴する。

どんな仕事でも、どんな活動でも、誰かのために
頑張る人は、輝いているし、美しい。

と、今朝、改めてこうちゃんのことを思い出す。

がんばれるときに、がんばらなくちゃね!
今日は、同じ東京の空の下で、がんばろう!と。







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これで終わっていいんかい。

ピアノを弾きに行くまでに1時間以上をかけての移動。
その時間、距離は別段遠いとも思わないが、
この暑さには、めげそうになる。
出発するまでに、相当の気合が必要になる。
「今日は、行くぞ!」
始発の電車を目指して出発する。
いわゆる「朝レン」である。
そう、学生時代の朝レンと思えば、自分だけ怠ける
わけにはいかない。

正直、次のコンサートまで日があくと、わざわざ
練習に行くのは少し後回しになりがち。
それはよくない。毎日でもと思うが、
わざわざ往復二時間半の移動を毎日は難しい。

とにかく行けるときは行く。
ピアノに向かってしまえば、たちまち来た
苦労は吹っ飛ぶ。別世界になる。
暑さとの格闘は、自分との格闘に変わる。

少し怠けると、指の動きは正直、劣る。
バレリーナとピアニストは毎日練習をしないと
いけない。と子供の頃にたたきつけられたのに、
今は全く実行できていない。

もどかしい指の動きに、つい、
最近見た、若手の演奏家のなめらかな指の動きを思い出し、
悔しい気持になる。
毎日何時間も練習している人に比べたら、なんだこの演奏は。

「こんなんで いいんかい」

自分に言う。いいわけはない。

暑さが怖く、長時間の演奏もままならず。
気温が上昇するまでには、また移動せねば・・・。
そっちも気になる。

「こんなんで、いいんかい」

自己否定をくりかえしながら、それでも
しばらく弾き続ける。

ああ、もっと集中してゆっくり弾きたい。
早く、秋になってほしい。
と練習不足を、季節のせいにしている。

弾きながら、もし、ここで地震がきたら・・と
想像した。
ピアノは永遠にあるとは限らない。
地震が来たら、壊れてしまうかもしれない。
弾けなくなるかもしれない。
「こんなんで、いいんかい」

よくない。
でも、やっぱり暑さに勝てず、ほどほどで引き上げる。
気になっている楽譜は持ち帰る。
時間があったら、黙読しようと暗譜しようとは思う。

弾かないよりはまし。
朝レンに行くだけまし。

うまく継続練習できるように生活設計を考えねば。

「こんなんで終わっていいんかい。」
いいわけがない。
弾ける曲で甘んじているのではなく、
弾きたい曲がちゃんと弾ける、自分の作品として
仕上げていかねばならない。

暑さとの戦いは、まだまだ続く。
こんなんで、終わらないぞ!
わが道は、課題でいっぱいであるけれど、
無茶せず、ひとつづつ。


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超朝型で行こう!

酷暑と簡単に言うけれど、本当に生きづらい季節。
この暑さでも、夏が好き!という人に、稀に会うけれど
大したもんだなあと尊敬する。
私は、この季節は好きとはいえず、
どうぞ、時計には早回りしてほしいと真剣に思う。
そして、命を削る季節だと思う。
熱中症という言葉が日常語になってから、余計に
夏が息苦しい時間に思えてならない。
唱和の夏とは比較にならない、まさに酷な季節。
とは思うが、被災地の皆様のご苦労を思うと、
しんどいなんて、言ってられないと思えてくる。
暑かろうがしんどかろうが、生きなければならない。

そんなことで、気合を入れて1日を始める。
暑くなるまでに、活動を一通り終えたい。
普段から、かなりの朝型であるが、もっと時計を前に
進める。
電車に乗って出かけるならば始発で出かけ、用事を
済ませて、気温が上昇するまでに、戻ってくる。

ふと、子ども時代の夏休みを思い出す。
宿題は朝涼しいうちに、と言っていた。
そして、毎朝のラジオ体操、当時は近所の公園で
皆でやっていた。
その頃6時台は、まだ動ける時間であった。
セミの鳴き声も、いいサウンドであったが、最近は
その声も叫びに聴こえて、耳に痛い。

今は、すでに31度。朝の4時というのに・・・。
まだ20度台と思っていたが、甘かった。
さあ、急がねば。
今日は気合を入れて、超朝カツを実践しよう。
いつもの朝型をさらに2~3時間前倒しする。

自分で調整しながら、生きるしかない。
しばらく耐えるしかない。人間が生んだ酷暑だから
自業自得と思うと、何とも言えない。

とにかく、超朝型でいこう!

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秋の楽しみを増やす

この厳しい暑さとの戦いは、その先の楽しみを用意することで
乗り越えることができる。

と、8月を迎えた今から、9月後半、その先を今から計画する。
たとえば、会いたい人との再会の約束。
「涼しくなったら会いましょう。それまで元気で!」
「会えるのを楽しみに、まずは夏を乗り切ります!」
の一言で、暑さもやわらぐ。

またファッションの世界では秋冬コレクションもはじまって
いるが、まだ見た目暑苦しいため、涼しくなったら・・とは
思えないが、秋の講座、コンサートなどの予約、準備は
楽しみになる。やる気スィッチがONになるのだ。

早速、受付が始まった講座を予約する。これまで通ってきた
国際報道のプログラムだ。秋講座も開講されると聞いて、
とてもうれしくなり、早速申し込む。
混迷する社会をしっかりみつめ、正しい判断をしたいという
想いが湧き続けているが、この講座は10年以上、自分に
あるべき世界観を描くヒントはもちろん、この世の中で
生きる勇気や持ち続けなければならない強さも与えてくれる。
いくつになっても学ぶことで、人は強くなれる、成長できる。

講師をつとめられるジャーナリストの横村出さんから
うれしいメッセージをいただいたので、引用させて
いただく。

「暑中お見舞い申しあげます。
気候変動も人間の業でしょう、
世界中が異変に包まれているこのごろです。

愚かな人間の業を解説するのも辟易しますが、
それではジャーナリズムは務まりません。
今回は、混迷する世界をお一人お一人へと還元し、
自己決定の一助になれればと思っています。
学びの秋を健やかに迎えられますよう、
どうぞお元気でお過ごしください。」

なんだか、ますます秋が楽しみになってきた。

そう、カレンダーで「ber」が付く月になるまで、
もうしばらく体力、知力の蓄えをするとしよう。

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愛妻家からの依頼。

会社員時代にお世話になってきた方に、コンサートの
依頼を受け、会場見学に伺う。
案内されたのは、100年の歴史をもつ京の町家。
古アートも楽しめ、地元作家たちの展覧会も開催され、
心おちつく交流の場。
今回のコンサートは、依頼をいただいた方の奥様の
命日に行う。同窓会と名付けておられる。
今年は5年目の同窓会。日付を確認すると、父の命日
に近い。しかも同じ年に・・・。
法要をやってから、コンサートをしたいとの依頼。
これは、新しい出前コンサートのスタイルになる。

私が20代のときから、お世話になってきた方の
頼みとあれば。
わがCDを聴いてくださり、涙あふれ、そこから
うまれたアイデアだそう。
奥様との時間を想い出されたののかもしれない。

その奥様ご本人にはお会いしたことはないけれど、
その方を今も大切に思い続けておられることに
心動かされる。

相手をずっと覚えていれば、忘れなければ
その人はずっとそばにいる。生きている。
という言葉を以前、教えてくれた人がいたが、
まさに今回のコンサートの主催者は、
ずっと今も奥様を大切に思い続けている。
こんな愛妻家が世の中にいるのだ。

どんな展開になるかは、これから
考えるとして、私が感じている
その方の「奥様への愛」を何等かの形で
表現できたらと思う。

自分が亡きあとのことは、
誰もわからないはず。
でも、ずっと忘れずにいてくれたら
うれしいだろう。

愛とは、ずっと思い続けること。
打合せをしながら、
主人の優しさが沁みてきた。

こんな夫婦のかたちもあるのだ。

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ほんの気持ちのストック

暑さにもかかわらず。屋外で仕事されている方、出たり入ったり
しなければならない方には、本当に頭が下がる。
たとえば汗をびっしり書いて、届けていただく宅配便の
配達の方。この季節はとくに、感謝の気持ちが高まる。

「暑いなか、本当にありがとうございます。
助かります。お疲れ様です。」
そんな言葉を必ずかけるようにする。
すると、多くの方は笑顔になって、挨拶を返してくださる。
どんなときも、感謝を示すことはとても大切だ。

さらに、そろそろ今年も・・と思い、一口アイスを冷凍庫に
補充。
暑すぎる日には、その1粒を渡す。いつでも渡せるように
気を付けて消費する。

前にも渡したことがある人には、
「いつも、すみません。助かります」
と言われ、初めて渡す人には、ちょっと驚かれる。
「暑い中、ありがとうございます。一口で悪いけど・・・気持ち」
と言って手渡すととても喜んでくださる。

配達が仕事かもしれないけれど、やっぱりこんな炎天下での
業務は大変だ。
届けていただけてありがたいのだ。

早く涼しくなるといい。
もう配らなくても快適な季節に早くなってほしい。

たった一粒で、笑顔になる。
ささやかなことであるが、できることをする。

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今、できることは。

何年も遭遇していなかったような物凄い雷雨に見舞われた
昨日の午後。
何度も走る稲妻と落雷の音に恐怖が募り、ただおろおろ・・・。
ああ、もし雷が落ちたら・・・。でもどうすることもできない。
そうこうしているうちに、聴きたくないあの警報アラームが流れてきた。
なんだ?地震か?あの音は、本当に苦手である。

熊本はじめ九州各地での大地震。
また熊本に?長崎にも影響は及んでいそうだ。

雷も怖かったが、地震は局所ではない、広域での被害。
今回はとても大きい。
思わず東日本大震災を思い出し、身がすくんだ。

こっちで雷雨、あっちで地震。天も地も怒り狂っているのか
と思うほどに、さまざまな天災が次々と・・。

今、こちらは無事だ。
冷房も効いて、灯りもついて・・・。
平和な時間・・・。
それなのに、被災地は停電に断水・・・。
どんな夜を過ごされ、朝を迎えられるのか・・・。
涼しいところで、ニュースをつけっぱなしにして
気になりながらも、普段通りの朝をはじめて
申し訳ない気持にもなる。

長崎の知人も震度5で揺れたけれど、大丈夫とのこと。
しかし、警戒は続く・・・。
「そちらも何があるかわからないので、気を付けて
くださいね」
とメッセージをいただく。

本当に、リスクが常につきまとう今日。
生きるのが怖くなる。
でも、それは自分だけではなく生きている全員が
背負っている。
どこで何が起きるか。
AIは過去の情報からの知恵は与えてくれるし、
リスクを避けるいくつかの情報はみつかるかも
しれないが、その存在自体もリスクがある・・と
なると、最後、人は何を信じればよいか。

自分を信じる。
そして、自分のみは自分で守るように、努力する、
気を付けること。
結局はそれしかないのかも。

大小にかかわらず、日常を阻む要因は多い。
いつも通りの生活を続けることは、
奇跡のようなことなのかもしれない。
だから、
この瞬間、瞬間に感謝をし、大切に生きるのみ。

涼しい部屋で淹れたてのコーヒーをいただく朝は
もしかして・・・と思うと、
ありがたいと思えてくる。

九州の被災地のことを思うと胸が痛む。
今は、ひたすら祈るしかなく、申し訳ない。
一刻も早く、日常が戻るように。
早く電気、水道が使えるように。

ありがたい。
このことを忘れないで、今日をはじめる。
それが、今できること。









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豆といえば。の人へ

新潟の仲間からのメールには、地元紙の一部が
添付されていた。
「残念なお知らせです・・・・」
そのメッセージに恐る恐る添付を開き、しばし言葉を失った。

ああ、そうかあ。ああ・・・。
2年前の今ごろが、最後のメールとなった。
病を患い、会食も控えているので・・・。と近況を
綴りながら、また新潟でお会いしましょう!

とあったのに、会えないまま・・・の別れとなった。

二十年前ぐらいからのおつきあい。
豆菓子づくりをひたむきに取り組んでこられてきた
方。OEMが中心であったけれど、自社製品開発も積極的で
ついつい、自分も業務での支援を越え、個人的にも応援
していた。

ありがたい言葉を思い出す。
「想人」という曲を新潟市内で初披露したとき。
しみじみと聴いてくださり、
「これは、売れるわ」の一言。
そんな売れる売れないを、こだわっていなかった
けれど、そのしみじみとしたひとことが嬉しかった。

その後も、豆菓子の新商品について情報交換をしたり
販売されている売り場をみつけてはレポートしたり、
とにかく挑戦の人であった。
老舗企業らしく伝統を守りつつ、この方は時代の変化
に対応し新たな挑戦を続けた。

うれしかったのは、あるコーヒーショップチェーンの
コーヒーについてくる小さな豆菓子への採用。
「この豆菓子、知り合いの会社が作っているんよ」
と喫茶店での話題にするのも嬉しかった。

とにかく、私の中で豆菓子といえば、その人が浮かぶほどに
印象的な存在だった。

まだまだ会えると思っていたのに、
2年以上お会いできず、のお別れは本当に寂しい。

笑顔と声を思い出し、感謝を込めて
ご冥福を祈りたい。


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チャップリンが今いたら?


子どもの頃は、チャップリンといえば、ピエロを演じる俳優。
ぐらいのイメージしかなかったけれど、最近、改めて作品を
通じ、類まれなる天才ぶりを知り、驚き、そしてその存在
自体に心から感謝と敬意を抱くようになった。

第二次世界大戦前、戦中、戦後・・・。
世相を反映させての作品づくり、考え抜かれた演技。
「喜劇王」とは単に面白い、笑わせるだけではなく、
そのメッセージは深く、強く、もの悲しくもあり・・・。
その深淵な世界がやっとわかる年齢になったのか、
今はチャップリンの世界をもっと知りたいと思って
いる。

モノクロの映画は、美しい。
リアルではない世界を想像しやすい。自分で着色できる。
カラー文化に慣れてしまうと、感じないけれど、
モノクロ映画はそれだけで特別なメッセージをもっている。

さらに、サイレント映画からトーキー映画への変化にも
試みた挑戦者であった。
前者の時代にはセリフなしの演技だけ。字幕と音楽が
演技と一体になって一つの世界を創り上げる。
トーキーの時代になっても、その演技力は言葉を越えて
いる。存在しているだけで、何か起きそうな、期待感を
もつ不思議なチャップリン。
実際には、そんな人はいない。想像上の存在。
自らがその存在を創り、演技をする。
究極の自作自演である。

チャップリンは激動の20世紀を生き抜いた表現者である。
体制への反対,抗議も作品中のメッセージの中に強く
込められている。

チャップリンが語るセリフは、笑いを誘うだけでなく、
観客に深く沁み込み、考えさせるメッセージが多く
織り込まれている。

今回、文楽でチャップリンの作品を再現すると聞き、
まずは映画を観てみたことから生まれたチャップリン
への思い。
こんなに余韻の残る作品に出合ったこと
があっただろうかとわが映画視聴歴を思い返す。

愛を、人生の悲哀を感じ、時代を超えた作品の力を
感じ・・・。
そして、音楽もとても素敵だ。
これもチャップリンによるとのこと。
どんな才能の持ち主であったのか。

クリエイティブとは何か。
創造した世界を通じ、メッセージを伝える活動。
まさにチャップリンは彼が生きた1世紀前の社会を見事に
表現しつくしたクリエイターであったのだ。
と、今ごろ気づいた。でも、今からでも遅くない。
ぜひもっと作品を鑑賞し、その創造性から多くの愛と
刺激を受けたい。

今、チャップリンが生きていたら、
この時代をどう描いてくれる、演じてくれるだろう。

ちなみに、文楽で見た「まちの灯り」。
大阪を舞台に、チャップリンの作品「街の灯」が
再構築された。
太夫、三味線と人形が三位一体となり、
日本の伝統芸能であるだけでなく、
チャップリンがそこにいるような、そんな気がする
不思議な作品。

今回の演目を知らなかったら、チャップリンが
こんなにも素晴らしいということも知らなかった。

チャップリンの息子さんもこの作品をご覧になった
とか。親の存在が国を越え、時代を超え、生き続けて
いくこと、どんなにうれしいことかと勝手に想像する。

今、チャップリンが生きていたら、
この時代をどのように描くのだろう。
気になるところである。

チャップリンの存在に心から感謝を込めて。
また、文楽を継承し続けておられる皆様に
敬意を込めて・・・。




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ぐっときた一言

企業の社内イベントをプロジェクトチームで行うという取り組みを
年に何度か担当させていただいている。
実際にはプロデュースをしながら、うまく進むように全体を見続ける。
主役はチームメンバー。皆さんが自発的に取り組めるように、寄り添い
力を発揮していただけるようにサポートする。
さまざまなことを想定しながら、関わっているので、いざとなっても
対応できるように考え、見守りつつ動いている。

人の育成のためには、目的に即したさまざまな研修や育成方法があるけれど、
とくにコミュニケーション力を高めるためには、一つのテーマを共有し、
同じゴールに向かって期限内に完結するように、業務の時間を調整しながら
部署を越えて、世代を超えて一緒に取組むこと自体、本当に有意義な学びの
場になっていると、回を重ねることに実感している。
そしてその経験は、単に研修をやったで終わりではなく、日常の業務での
助け合いにもつながっていけるため、事後の効果も期待できる。

そして、その取り組みメンバーがどんどん増えていき、プロジェクトの
OBやOGが率先して手伝ってくれたり、応援してくれる姿を見ると
またうれしくなる。

そんななか、今回のイベント本番の日。参加者と挨拶を交わす。
70名以上の参加イベントであったので、全員と話すことは難しいけれど、
挨拶は自分から。すると、OBやOGも含め、すでに交流をしてきた
従業員が声をかけてくれる。
ある社員との会話。
「今の仕事、大変なこともあるかもしれないけれど、あなたやったら
できるから、がんばってね!」
と言うと、「はい、もちろんです!がんばりますよ~」と笑顔の返事。
そして、
「がんばるんで、ずっと見守っていてくださいね」
と言われ、思わず、うるっときた。

思えば、親子ほどの年齢差がある。
自分に子どもがいたら‥と思う年齢の人たちを、今、仕事で関わって
いるのだ。
彼らが40代、50代、そして定年・・・。
その時自分はもう・・・・であるのに。

見守ってくれている人の存在。考えたこともなかったけれど、
いつの間にか、そういう存在になってきているのかと思うと、
感慨深い。
単に年を重ねたということだけではない。何かともに育んできた
関係性を感じる。

時々、このような一言に、こちらが元気をいただくのだ。

私もずっとここまで多くの方に見守りいただき、応援いただいた。
だから、今がある。
そんな風にあとで思い出していただける 存在になりたい。

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