出航の祝福

何度か書いたが、布施明の60周年コンサートのテーマ、VOYAGE。
出航。イメージは船出である。
さあ、世界に向かって出発するぞ!
自然に、フランシスコザビエルたちが、ポルトガルの港から出発する
時のイメージが浮かぶ。

今は船ではなく、航空機での出航。
乗れば半日もしないうちに、北半球であれば、目的地に到着する。
海外渡航も容易となった。
しかし、それが片道切符となれば、別である。

来月そのポルトガルに向け、片道切符で旅立つ仲間と会う。
おそらく その後、いつ会えるかわからなくなるかもしれない。

人は、いつでも会えると思うと、会わないまま時間を過ごすが
もう会えないかもしれないと思うと、今すぐに!会っておかねば
と思えてくる。

彼が20代の頃から知っている。
あれから約30年。経営者として国内での仕事を納め、次は
第二の人生。未知の世界に自ら向かう。
とても共感し、またうらやましくもある選択。

人生のなかでやりたいことはいろいろあれど、
タイミングもあれば、環境もあれば、諸事情があって
実現が叶う。

それらをクリアし、まもなく旅立つ彼を、心から祝福し、
マイノリティになる生き方を自ら求めた勇気に敬意を表し、
その船の出航の無事を祈りたい。

さあ、私の船は、どこへいつ出航する?
諦めず、最後まで夢を描き続けようと、改めて思う。

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火祭りは永遠のレクイエム。

空高く立てかけられた行灯と火祭り開始の様子

4月第二土曜は、地元の手力神社で行われる火祭り。すでに300年以上の歴史があり、岐阜県の無形民俗文化財にも認定されている、伝統行事。
子どものころから、この祭りには親しんできた。
京都や東京でのきらびやか、粋な感じとは全く違う。鼓膜が破れそうな爆竹の音、
ガンガン馴らされる銅鑼の音のなか、飾り神輿が担がれ、宮入り。
火祭りということで、花火を多用することが特徴である。花火詰めも地域の担当者が
担う。何か月も準備に時間をかけ、この祭りを仕込む。
それを楽しみに県内外から多くの観客が押し寄せる。

半端なく大きな銅鑼の音、爆竹の音で、みこしが近づいてきたことを知る。
ちょっと中国的なダイナミックな祭り。長崎の精霊流しより、派手である。

神輿を担ぐ人が減ったとか、不景気で寄付が集まらないとか、
花火など原材料費の高騰などいろいろあるけれども、
その祭りに命をかけて取り組む地域の皆さんがいる。

父もこの祭りになると、大きく見えた。実際、酒も入って気が大きくなって、
その日ばかりは偉そうになり、翌日母に怒られていた。
それも含め、祭りはハレの日。

コロナ禍ではこの祭りも中止。
親には最後にこの祭りを見せてあげることができなかった。
この様子を見たら、もっと寿命が延びたかもしれない。

同級生たちや先輩たちが、がんばってこういった行事を支え、地域を守っている。
もしも、自分が男に生まれていたら、こういうこともしていたのだろうか?
地元に残ってがんばっている男性たちに感謝とエールを送る。

銅鑼の音に爆竹がはじけ、すごい煙とニオイ・・・。
ふと、父がはりきっていた頃を想い出したら、たまらない気持になり、
祭りを最後まで見ることなく、この喧噪と賑わいと後にした。

祭りに酔う男衆の姿を見て、ハレの日の解放感を感じる。
「まつり、好きやねん」
この祭りの役員をされている70代後半の方に、昨年聞いた言葉。
好きだから、やめられん。

どうか、この祭りは後世にも受け継がれるように。
爆竹と銅鑼の音、花火のなかに、父が生きて証しをここでも
思い出し続ける、涙とともに。

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「怒り」から感謝へ。

先日書いた、芥川賞を受賞された作家さんの表彰式後の
ミニスピーチの映像を見て、大変印象的な言葉があった。
細かな正確な表現はともかくとして、記憶に残ったのは
このような内容。

さまざまな身体の支障がありながらも、執筆を続け、
作品ができた時に出版社に持ち込んだとき、相手にされ
なかった。そういう時代が続いた。
そのときに、相手にされないということについて怒りの
感情を覚えた。
でも、その怒りがあったから、書き続けた。
そして、この度の受賞となった。今はそれがあったから
・・の今日だからその方たちにも感謝したい。

この言葉を聞いて、深く共感した。
私はこんな立派な賞を受賞していないし、これからもする
ことはないと思うが、「怒りが力になる」という部分につ
いて、心から共感するのだ。
世界を揺るがす、著名な事業家もそのような言葉を遺して
いたことも思い出す。

怒りというのは、パワーの発電源になることがある。
怒りのぶつけ方を間違うと、他者を傷つけてしまったり、
平和が崩壊することもあるので、絶対に間違えてはいけ
ないが、
その怒りが自らの挑戦につながり、その結果、よい結果
が出るならば良いことだ。もちろんその過程はとてつも
なく苦しい。

なにくそ!負けるもんんか。見返してやる!
ぐらいの気持ちだろう。

若い時から、何かあると「なにくそ精神」でがんばろうと
思って生きてきた。
差別的なことや、理不尽なことに出会うと、そんな気持ち
が湧いてきた。
私の怒りは、障がいをもった作家さんの経験に比べれば
大したものではない、
今のところ身体が自由に動く自分には、できることが
いろいろある。
いろいろあるから、力が分散することもあるが、それは
それとして、怒りを力に変える生き方は共感できる。

困難を乗り越え、自分がしたいこと、すべきことを
いのちかけてやっている人には心から感謝したい。

怒りは「奴の心」と書く。
それを自分の方に引き寄せる。
すると、パワーが湧くということだろうかと勝手に
解釈する。

その結果、その相手にも感謝できるように。
それが成長といえるかもしれない。

自分も見習いたい。

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どこまで、いつまでオーバー?

おもてなしの町、京都。
コロナ後、この1~2年、コロナ前以上にインバウンド客が
続々入洛。
京都駅では、修学旅行の生徒・学生の団体ではなく、
大きなスーツケースを押しながら連なる海外からの観光客の
群れ。
新幹線を降り立つときも、乗るときも、次回の移動は早朝と
夜遅くが良いと毎回心に決める。
新幹線の中も、混雑、混雑・・・。自由席は通路まで人が
はみ出ていてゆっくり食事なんかできない。
観光バスが何台も、ホテルの駐車場でお泊り。
インバウンド団体客の多いホテルロビーはいつも騒然。
街中の道は、撮影したい海外の人であふれ、桜スポットは
とくに。
錦市場の買い物も、ままならぬ。早く歩いてよ。と思わず
思う。足も遠のく、あの店のおかみさんお元気かなと気に
なるが・・・。
お店の方も複雑な心境では?
京都も変わったもんだ、と。

「先週の週末は、めっちゃ多かったですね。もう来てほし
くないですね」
「前の京都が良かった。バスも乗れんといってはりますね」
と、京都に住む仲間との会話。
本当にオーバーツーリズムの京都。

世界の観光都市のなかでも異常なKYOTO。
確かに税収や、観光産業は潤うかもしれないが、
住民にとっては課題がありすぎる。

京都に住みたいという夢はだんだん遠ざかり、
ま、行けばいいか。という気持ちになっていく。

昔住んでいた頃の京都。
コロナのときの京都。
季節外れの京都。

懐かしい風景はそんなときの京都だ。

世界経済が混乱することで、観光にも
影響は出てくるかもしれないが、
誰にとっても心地よい状態をつくり
維持できないだろうか。
まちづくりは内外とのバランス、均衡も
大切だ。

京都にはそれだけ魅力があるのだから、
という現実であるが、
パリとも違う、NYとも違う、雑然な
感じを受け取りながら、
棲みやすい町から離れていくことは
残念ではある。
それでも、世界一、大好きな町なのだけれど。

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何やってんだろ。

関税をかけまくって、世界を脅し、混乱を引き起こしている
人。
また、その応酬合戦?
ひとつの商品を買おうとしたときに、商品の値段の倍以上の
税金がかかるとは?
買う人は困る。買えない、買えなくなる。
売る人は売れない、作ることもできなくなるかもしれない。
と、一般の生活者の暮らしや仕事を根本から混乱させ、
惑わせる。

こういうのはリーダーといえるのか。

愚かしい人を選ぶ国の人達も、その痛みを味わって
いるのではないか。

世界も人生もフェイクでは済まないのだ。

自分がいう言葉 一言一言が、どんな影響を与えるのかを
真剣に考え、行動してほしい。

リーダーの常識がない人が世界を牛耳っているとは、
ほんとうに恐ろしい世界。

どうしたら世界中の人が平和に笑顔で過ごせるのか。
そのことを一途に考え、動いてくれる人。
そんなリーダーはいないのか。

と言っているだけでも仕方ないので、自分は自分で
しっかり世界をみつめて、巻き込まれないために
用心して生きていかねば。

何やってるんだろ。
隣国だけではない、こちらも同じ。

ところで、万博がはじまるそうだ。
これも正直、何やってるんだろ。
との思いは 変わらない。

それよりも、
障がいをもつ人たちが、安心してぶらり外出できる
そんな環境を整える方が良くない?

など、最近、どうも
何やってるんだろ?
が頭のなかで飛び交い続け、困ったもんだ。

ごまかされず、巻き込まれず、気を付けて
生きるのみ。

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ふらり出かけたい。

ある作家のインタビューを見て衝撃を受けた。
2023年に芥川賞を受賞された市川沙央さん。
「ハンチバック」という作品であった。
正直、まだ読んでいなかった。

市川さんは先天性の疾患をもち、生きてこられた方だ。
人工呼吸器、電動車いすの生活をずっと続けてこられている。
障がいをもった当事者から見た、実世界を描いたこの作品。
その小説の主人公も作家と同じ病をもつ障がい者という設定。
健常な作家が障がい者を書くことはあっても、
当事者が書くということは珍しいそう。確かにそうだ。
アートの世界では最近作品を見かけることが増えてきたが。

その受賞作品はこれから読ませていただくが、
今回、彼女のインタビューを見ていて、
健常者から見た障がい者と、当事者から見る社会について
のギャップについて、考えさせられることがあまりに多く、
世の中がいかに、多様性を目指すと言ってはいても、そうは
なっていないということ、
また障がいを持たれているから故に見えてくる社会の歪みに
ついて、伝わってくるものがあり、胸がいっぱいになった。
当事者でなければ、他人事、きれいごとのまま・・という
ことがいかに多いか・・・。

本を読むにも、一苦労。紙の本のページはめくることが
できないという不自由さのなかで、本と向き合ってこられた
そうだ。
本を読むにも、文字を書くにも命を削っているとの言葉は
身に染みた。
いろんなことが、健常者中心になっていることが当たり前な
世界。
息苦しい世の中とかよくいうけれど、本当に息苦しい日々
を生き抜いてこられた方から見たら、何いってんの。
という話。

そんな世界を見ながら、普通に生きたいとずっと思って
こられた。

とくに印象的だったのは、
「ふらり、出かけたい」
ということ。
たとえば、散歩をするように。ちょっとお茶しに出かけよう
とか。

たとえば、図書館に行くといっても、家族や周囲の介助が必要
だから、「なんで?何のために?」の問いかけからはじまる。
それが日常だったそう。
目的がなくても行きたいこともあるし、それができない不自由さ。

ふらり出かける。
ごく当たり前と思っていたことが、障がいがあるとそういうわけ
にはいかない。
ということすら、私はわかっていなかった。
このことが恥ずかしく思えた。

そして、市川さんの洞察力は凄いと感じた。
世の中をよく見ている。
普通に歩ける人間には見えないことが見えている。

この力が言葉になって表現されれば、世の中への強いメッセージ
になる。

働きに出かけることができないから、
作家になった・・・。

一見消去法からの出発のように思えるが、
さまざまな差別を受けてきたことへの怒りが、力強い作品に
なり、評価された・・・。

市川さんの存在を知り、改めて社会が本当の意味で、多様性の
世の中になってきているのかについて考えさせられ、
また自分ができること、しなければならないことについても
考えるきっかけをいただいた。

本を読み、さらに彼女のメッセージを、今度は文字から作品
から吸収したい。
障がいをもつ人。自分だって、いつそうなるかわからない。
だから、ともに手を携えて、思いやりをもって、互いに学んで
生きていけたらと思う。

大江健三郎に影響を受けたという市川さん。
こちらも改めて読みなおしたいと思った。
また違う感じ方をするだろう。
そして、サンデクジュペリの「人間の土地」も。

市川さんのことを、心から応援したいと思った。

「ふらりでかける。」
この上ない、贅沢なこと。それを忘れることなかれ。

そして、市川さんが世の中の分断を憂い、
平和な世界を求めていることに心から共感した。
もっと揺らぎを・・・。その通り、その通り。

だから、いろんな人がいることを知り、理解し、認めたい。

ずしっと重いインタビューを見せていただいた。

あまり、放送局のサイトにリンクはしないけれど、
今日は特別に。
命の声を届ける 作家・市川沙央 – こころの時代〜宗教・人生〜 – NHK

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ひとつ安心。さらに前に。

お気に入りの丸善の便せん。手紙を書く機会が減ったせいか、
久しぶりの登場。
そして、お気に入りの筆ペン。
ああ、この紙にこのペンで、重要な相手、場面に何度か手紙を
書いてきた・・・。そんな思い出もよみがえった。
しばし心落ち着けて、集中して書く。

遺言書。書いてみて、遺言書?遺言状?
とここから、早速詰まるのであるが、こういう時こそ便利な
ネット検索を続けながら、参考にして遺したいことを綴っていく。
手紙を書いているわけではないが、よく考えたら、これは後に
残るであろう(と勝手に想定)相手に向けての手紙と同じ。

必要最小限のことを記し、あとは任した。
という感じか。

自筆であること、日付があること、捺印があること、封緘する。
などが遺言の要件とのことであるから、いったんはそのとおりに。

一応カタチにして、内容を撮影し、内容と仮の保管場所を共有。
共有された相手がどんな心境かはわからないが、
ともあれ、自筆であれ遺言書があるということで、今から事故に
遭っても、天災がきても・・・不安がひとつ減った感じはする。
もちろん遺言にまでいたらないトラブルや惨事も、事故もありえ
るから、遺言書が活躍するのはわが人生終わったとき。

と思うとこれまでに味わったことのない気持が沸き上がる。
いつか、終わるね。
覚悟ができるというか、なんというか。

遺言を書くと死生観が変わると思ったのが今回の学び。

20代の春、60代の春。
同じ桜を見ても見える風景が違ってくる。
これはこれで良きこと。

おかげさまで今日も生きている。
朝を迎えている。

ひとつ安心して、さらに今日すべきことをしっかり取り組もう。
この封筒が、いつ役になってしまう日が訪れるかわからないから。

もちろん遺言は何度でも書き換えることができる。
毎日書き換えても良い。
一度書けば、そんな感覚にもなる。

そのためには、お気に入りの紙とペン。
ここは外せない。



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なかなか向き合えない。

「今日でも明日でも遺言を早く書いてください」
と言われてから3日ほど経つ。
その日はそうだ!今だ!と思い、少し調べたが、
なかなかその気持ちになることが難しく、雑事に
紛れて、忘れたふりをしてか、今日を迎えた。
本当は気にはなっているけれども・・・。

いざ、遺言を書くとなると、自分の死を直視せねば
ならず、なかなかむつかしく、また気が進まないもの。
他の仕事とは、違う世界の話になる。

自分の死とは、なかなか考えたくないもの。
普段、「いやー、長生きなんかしたくないわ」
と言っているくせに、いざ、そのことを想像するのが
難しい。すべての別れを想像するのはつらい。

でも、いつまでもそうは言ってられないから、
自分の気持ちをふりきって、筆をとることにしよう。

気が進まない、向き合えないのは、世界に自分がいない
ことを想像したくない、ずっと生きていたい証しかも
しれない。

でも、やっておくべきこと。

あくまでも備えであるから、そんなつもりでやればいい。

憂いなしの人生は、なかなかむつかしいものだ。


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誰のために生きるか?

この1週間をふりかえってもいろんなことがあった。
と、しみじみ・・・。
日替わりドラマ。チャンネルも多数
考えようによっては、大変面白いわが人生。

そのなかで、今も余韻が残っている人たち。その顔、表情。
デイサービスで演奏したときの、利用者さんたちである。
自分が発する言葉、歌う曲を聴き洩らさないようにと、
一生懸命に目を開き、耳を澄ましてくださっている。
まさに、今生きているという証しを見せていただいている
ようだった。

一緒に歌ったり、手拍子したり、体を揺らしたり・・・。
1時間ほどの演奏後、皆さんは見違えるように、いきいき
元気、笑顔いっぱいの表情になっている。

「先生の演奏、楽しみにしておりました。私のいきがい
です」
「やっと聴けました。うれしい、本当に幸せ。あの歌
(オリジナル曲)の歌詞もらっていいですか。日記に
貼りたいので」
という言葉から、
「お母さん、元気?ならばよかったわ・・・。」
というもう慣れた言葉も・・・。

明日になれば忘れているかもしれないけれど、
今、この瞬間を幸せ、楽しいと思っていただけている
ならば、それでいい。それはそれで立派な仕事だ。
と心から思う。

帰り路、桜咲く道を通りながら、施設の責任者との
会話。
「みなさん、お元気に長生きしてほしいね。来年も
この桜を見てもらえるように」
「そうね。長生きかあ。私は、長生きはまあ、いい
かな」
「マーサさんが長生きしないと 皆さん長生きでき
なくなるから、頑張って長生きしてもらわないと」
と言われる。

明日も元気に生きたいと願う人のお役に立つならば、
自分も元気にいなければ。

誰のために生きるのか。

自分の思いを受け取り、今日も明日も元気に生きて
くださる方のために。
自分を思ってくれている人のために。

誰のため、何のために生きるのか。

正解は難しいけれど、自分のこと、自分の行動言動に
何かを得てくださる方がいるならば、
まあ、生きている意味はあるか。
その答えはわからない。探しながら、生きる。
生きる限り、その目的を探し求めるのだろう。

両親はじめ、懐かしい人々の笑顔が、今朝も浮かん
でくる。

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終活お手伝いします。

さまざまな天災、人災だけでなく、予測できないことが
連発し続ける今日。そのことも踏まえ、気が付いたら
早めに自らの最期の準備をしていくのが良さそうだ。
10年ほど前にもそんなことを思って、専門家に一度相談に
いったものの、その窓口の先生の対応もあって、難しそう、
面倒くさいと思い、放置してきた。

しかし、改めて今のうちに。と思うことが最近増えてきて、
以前、相続手続きでお世話になった司法書士を訪ね、今後
自分が人に迷惑をかけずに、一生を終えるようにするために
必要なことを聞きに行った。

子どもがいない自分の終活。

子どもがいた親は、ある意味幸せであった。
子どもがなんとかしてくれた。
子どもがいる、いないは自由と孤独の違いとも言えるが
人生の終わりへの向かい方が違うのだと改めて知る。
ここは、自業自得であり、責任をもって終えなければならない。

絶対に周囲に迷惑をかけないようにできるかどうかは
わからないが、できる限り、できることは先にやっておく。

「終活、お手伝いします。
まずは、遺言を書いてくださいね。」

ここからはじまる終活。
早ければ早い方がよさそうだ。

今度こそ、後回しにしないように。
人生の終わりに向き合うのは、
なんとも言えないものだけど、避けては通れない。

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