目を疑う値段、味は?

百年以上続いているお米屋さんの三代目とお会いし、
あれこれと生き残りにかけた話をする。
「米の値段もよくわからなくて、先行き本当に見えないです」
老舗であっても、そんな様子。
バレンタイン商戦を前に準備に忙しいお菓子屋さんも
カカオの値上げに悲鳴をあげておられる。
「今年のバレンタインは、カカオの値段がまた上がって
どこも大変だと思います」

つくる側も、売る側も、それぞれかかるコストが高騰して、
売り場に並ぶ商品を見て、本当に驚く。
こんなに高かった?もしくは、こんなに小さかった?薄かった?
とにかく、同じ価格で以前と同じ商品が同じ量だけ購入できない。

この現象、以前のような状況に戻る望みは薄いだろう。

長年親しんできた、チョコレートも半分ぐらいの薄さに変貌して
いた。値段も上がり、量は減り・・・。
これからは、これまで以上に味わって、少しづついただかないと・・。
丁寧に味わう必要がある。

商品を作り、販売を続ける企業、お店の努力に改めて敬意を
表し、その苦労も味わって商品をいただかないと・・・と思う。

値段も変わり、量も変わり、味わい方も変わる。
無駄にしてはいけない。
一口、一粒を大切にいただくようにしなければ。

バレンタインイベントが各所で始まったけれど、毎年
楽しみに集まるチョコマニアたちも、きっと会場で、
これまでと違う感覚をもたれるのでは・・・。

先行きは見えないけれど、変化を受け留め、
その中での楽しみをみつけたい。

そして、根本的な暮らし方の見直しもしていかねば。
このままではいけない。



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何を見て、誰に寄りそうか。

人間、同時にそんなに多くの人と向きあい、交流することは
できない。表面的なつきあいであれば、可能かもしれないが
ひとり一人の心に向き合うとなると、大勢に同時に寄り添う
難しさはある。
とはいえ、気になる人も多く、何とか力になれたら・・・と
思い、できる限り、声をかけつづけ、理解をし、背中を
押したい。

誰に寄りそうか。
ここは、実はとても大切だ。
そして相手によって、その寄り添い方も異なる。

悩んでいる人、困っている人、弱っている人に対し
自分が何か力を届けることができるならば、まずはそこ。
一人で悩まなくてよい。と言いたい。
受け入れながら、前に進めるように、言葉をかけ続けたい。
さらに前に進もうとしている人には、ゴールを共有しながら
一緒に走る。

ちょっと立ち止まる、とことん聞く、一緒に走る。
走りながら、時に導く。

とにかく、いろんな寄り添いがある。

最近、寄り添い方の大切さを実感しながら、ひとり一人に
丁寧に向き合っていけたらと思う。

どこまでも、相手を人を見て。
私の場合は、やはり現場主義。

データだけでなく人を見て、ひとり一人に向き合い、
コミュニケーションをとりながら。

みんな、それぞれ何かしらの悩みを持ちながら
生きている。
それが人間なんだ。と自分自身にも言い聞かせ、
そして、悩める人にも一緒に走ろうと声をかけたい。

どうせ生きるなら、より良く生きたい。
みんな、そう思っているはずだから、
そうなれるように、目を向け、言葉をかけ、背中を押したい。

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〇〇に生きる。を考える

ここ最近、もっと早く気づけばよかったと思い、心寄せて
何度も聴きながらその表現力を学ばせていただいている
シンガー、ちあきなおみ。
今はどうされているのだろうか?
お元気ならばうれしい。

約40年前に録音された楽曲を聴き、ほんとうに歌う女優だ
と酔いしれる。
心をつかむとは、心に染み入るとはこういうことか。
どんな美辞麗句も巧みな演説も、心に染み入るという例は
本当に少ない。入ってこない方が圧倒的だ。

でも、歌の力は、本当にすごい。
と感動しつつ、ずっとこのシンガーのライブ録画を聴き続ける。
歩きながら聴くため、映像はない。想像しながら聴く。
各楽曲の歌詞をきいていると、時々自伝的なメッセージも
挿入されていて、歌のなかの物語は、実は、歌手本人ではないか
と思うところもあり。

そんななかで、「歌に生きる」という言葉が出てきて、
思わず、足を止めた。
この人は、ほんとうに歌に生きているんだなあ。
・・・そうか、自分は何に生きているんだろうか。

〇〇に生きる。
道往く人は皆、それぞれ、何に生きているんだろう。

仕事に生きる?家庭に生きる?趣味に生きる?お金に生きる?
人それぞれだろう。
一番大切にしているものは?
人生のコアは何か?ということだ。

わたしの場合は・・・と考えてみる。
歌に生きる‥というには極めていない。
あれこれ考える。

今のところは
愛に生きる・・・と言いたいところ。
もちろんこれも言えるほど、極まっていないけれど、
そんな気持ちで生きたいとは思う。

とにかく
〇〇に生きる!
と言い切れる、ブレない人生を歩むと、生きるパワーも
みなぎってくるのでは。
そんな生き方は、とても好きだ。


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調和の美を目指す、ばんそう者に。

社会で生きていく際には、それぞれ役割を担った人が
協力しながら、同じ目的意識をもち、ともに進んでいけると
とても良い社会になっていけるのだが、人ひとりひとりは
違う人格であり、価値観や考え方も全く異なるため、
ともに歩み続けることは簡単ではない。
また人の上に立つ人の姿勢、言動、行動で部下の人達の
意識や行動は変わる。
もし、何か問題があったとしても、あの人もがんばっているから
自分もがんばろう!という気持ちになれたらいいけれど、
そうならないこともある。
がんばってもらえると思っていたのに、突然、退職したい・・と
言ってくる人もある。
その人にとっては考え抜いて、決断しての行動であるが、
その前に相談してもらえていたら、愚痴のひとつでもこぼして
いてくれたら・・違う結果になることもある。

話しやすい、相談しやすい、相談してみたいと思ってもらえる
人であることがリーダーの要件かもしれないといろんな場面に
接して、強く思う今日この頃。

人間関係が昔より希薄になってきており、人は組織内よりも
情報含め、外に解決のヒントを求め、知らない間に自分の次の
選択をしていることも増えているのかもしれない。

組織をまとめていくことの難しさを実感する。
寄り添う、支える。
これは言葉だけでは、成し遂げられない。
そして、ひとり一人に寄り添うことは難しいかもしれないが、
その人の立場に立ち、深い洞察力でもって、その人の心まで
読み、先に言葉をかける、どうしたらこっちを向いてくれるか
考えて先に行動する。

リーダーにはそんなことも求められる。

自分は誰に寄り添い、誰を支えているか、支えるか。
求めてくれる人に対して、肩書は関係なく、その人の
立場に立って、あるべき姿を描きつつ、時には励まし、
時には導き、伴走し続ける。

経営者に対しても、リーダーに対しても、
まだ走り始めたばかりの若い人たちに対しても・・・。
ご縁があって、求めてくれる人とともにしっかり伴走したい。

音楽には伴奏。仕事には伴奏。
以前、声楽家のピアノ伴奏をした時に、
「マーコの伴奏は歌いやすいわあ」
と褒められたことがある。
相手が歌いやすい、仕事しやすい、生きやすい・・・
そうなるためのサポートをするのが、良い伴奏(走)者。
一緒に作り上げる。そこには協力というハーモニーが生まれる。
その美しさが感動になる。
仕事の場面も同じこと。

ありがとうの言葉が生まれる、ばんそう者でありたい。
ここにはやはり、コミュニケーションの力が欠かせない。

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ボランティアスピリットを今一度。

自分の意志で、だれかの役に立ちたいと行動する人をボランティアと
言う。この活動は近年広がっているのではないか。
子どもの頃は、この言葉自体はなかったかも。
しかし、今は日常的に、多くの方が活動をされている。
本当に頭が下がる。

ある人は、「わたしはプロとしてお金をもらわないと嫌なので、
少なくてもいいのでもらわないと仕事をしない」と言われた
ことがある。そうか、そういう考えか・・と思ってきいていた。
依頼されてお金をいただいてする仕事。それはいわゆるお仕事。
それはそれでいいけれど、依頼されなくても、これをしたい、
これでお役に立ちたいというときの自発的な行動はプロであれ
アマチュアであり関係ない。
自分から見返りを期待せず、動くことができるかどうか?が大切
ではないかと思う。

思えば、母親はよく日本赤十字やその他での奉仕活動に出かけて
いた。「ボランティアいってくるわ!」人の役に立つことが
やりがい、生きがいになっていたようだ。

自分からやる、自分の意志でやる。このことが自分を成長させて
くれたり、内面を磨いてくれたりする。
日常の暮らしとは違う場面で、人が喜んでくれると、それが
うれしかったりもする。

子の30余年、阪神淡路、東日本、能登をはじめ、多くの地震が発生・・・。
そのたびに、各地からボランティアの人たちが現地に駆けつけ、お手伝い
をされている。本当にすごいなあと思う。
それ以外でも、地域のために尽くしておられる人たちがいる。
見返りがあって、ではなく、自分ができることをやろう!と
行動されるそのボランティア精神に頭が下がる。

私ができることは、まずは音楽活動。そして、困っている人に
寄り添って、話をきいたり、元気を届けること。
それしかできない。それぐらいのことであるから、
「ボランティアやってます」と、いちいち言わなくていいので、
日ごろから、自発的に行動することを実践すればいい。

自然な心で、自発的な行動を。
人のために・・・は、結局は自分のために。

もちろん、人のために・・・と思えるためには、いろんな意味での
余裕が必要だ。
心の余裕、時間の余裕、体力の余裕・・・。
ギリギリで生きていると、そうはいかないから、
ゆとりをもって、日々を重ねたい。

世界で活動されているボランティアの皆様に心から敬意を表したい。
一方、ボランティア募集と言いながら、自身はしっかり報酬を得たり
ビジネスしている人のことは・・・・。

仕事とボランティアの両立。これは理想かもしれない。
ボランティアだけでは生きられないから・・・。

上手く両立しながら、自発的に善行を積む。この生き方を目指したい。

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「つむぐ」を胸に。

5時46分。神戸市に向けて、祈りをささげた。
あの大震災から31年の朝を迎えた。
そんなに長い歳月が経ったのか・・・。
当日のことを、思い出す。
へ?どこ?こんなことがあるのか?と
帰国直前のクアラルンプールのホテルで見た、
崩壊した高速の映像を見ての衝撃・・・。
まずはそこからであった・・・。

あれから神戸の街は、本当に見事に復興した。
商店街をはじめ、昔とは変わった街並みを見ながら
地元の皆さんのがんばりを心から感じ、人の力は凄いと
思った。
でも、元通りにはならない。前には戻れず、前に前にと
進んでこられたのだ。

あれから、地震への不安はどんどん高まり、今や日常的な
存在になってしまった。

今回の哀悼の集いのテーマは「つむぐ」だとのこと。
紡ぐ・・・。時間が経ってもこの記憶が薄らぎ、なくなっていかないように
人ひとり一人の思いを紡ぎ、忘れないように。被災された方のご不幸や、ご苦労を
忘れずに生きていくこと。

「紡ぐ」という言葉の意味を改めてかみしめる朝。

改めて被災された方たちへの祈りをささげたい。

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誰にとっての優先順位か

なぜ、今なのか?と思うことが、新年早々に
起きている。
日本でも、世界でも・・・。
どう見ても、客観的に、公的に見たら、そのことは
今重要ではなく、先に取組む優先課題があるのに、
それよりも、見方によっては自分にとっての優先課題が
何よりも優先され、決定され、実施されてしまう。
なんで?なぜに今?
目の前の山積みの課題があるのに、全く理解ができない。
戦争も選挙も戦い。誰にとっての?
首謀者にとっての・・である。
人のことより、我のこと。
権力者の判断で、大切な公費と時間と手間が費やされる。

仲間に公務員も多い。そういう人たちは、時にそういった
優先順位に振り回され、仕事をしなければならない。
公務員は、条件がいいから、安定しているからと就職したい
人もいたけれど、決して安定していないと思えてならない。

誰にとっての優先順位か。
自分中心の使命感で、力づくで無理やり実行してきた人
のことは、昔も今も賛同しない。

そんなお金があったら、困っている人に分けてほしい。
ある会話を聞いた。
「なんで、今選挙するんだろう。そんなお金あったら貧しい人
にあげたらいいのに」
「選挙は、貧しい人のためのものじゃないから。」

優先順位と誰のため?

力づくで無理やりな行動をする人は、真のリーダーか。

そのことも、ずっと考えている。

優先順位。もちろん人生は短いから、そのことを考えること
自体必要なこと。
順番を間違えると、道を間違うこともあるから、
気を付けたい。

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「わたし、追っかけですから。」

今日はムーさんが旅立たれた日。もう10年以上が経過した。
毎年この日になると、思い出す。
今朝も思わず、彼女の名前を検索したら、活躍されていた
当時の記事が少し出てきた。
https://www.joetsutj.com/articles/51734679
そうそう、こんなこともされていたなあ。
地元の英雄、上杉謙信のイメージカラーを考案して、
物凄い夢をもって、チャレンジされていたなあ。
北陸新幹線の上越妙高の駅を通るたびに、ムーさんのこと
を今も思い出す。

雪の日、トンネル、高速。
交通事故であっけなく一生を終えてしまったムーさん。
1か月前、上越でのコンサートを終えたばかりで、
そのあと、美味しいお米を送っていただいて・・・。
人生、そんな別れがあるのかなと 今も信じられないし、
笑顔のむーさんが私の前に座っておられる感じ。
50歳からの起業。そこからのおつきあいであった。
カラーコンサルタントとして独自の道を歩みたいと
いろんなご相談をいただき、挑戦の応援をさせていただいた。

上杉謙信のイメージカラーは「謙信褐梅」という名の紫。
それもあって、ずっと覚えている。

いつもどこでも追いかけてくださった。
上越から新潟へ、京都へ、東京へ・・・。
広報のご縁から、音楽の世界にもおつきあいいただき、
本当にありがたすぎるおっかけ姉さまだった。

不思議なあの日のことを、今日も思い出す。
ムーさんのとびきりの笑顔、行動力は、長い時間を経ても
記憶に新しい。
人は亡くなると、年をとらなくなるから、私もムーさんが
活躍された年齢を越してしまった。

記憶にある限り、その人の存在は消えない。
むーさんのこと、一生、忘れない。
私にとって、本当にかけがえのない方であった。

「せんせ、わたし、蛇年ですから、言ったらしつこいですから。
今年、上越でコンサートしてください!」
その熱い言葉に動かされ、本当に実現させた上越公演。
ムーさんのご尽力は計り知れなかった。
そして、その直後の旅立ち。

今の自分が在るのは、ムーさんはじめ、いろんな方の
熱き、あたたかき応援があったからだ。
今日は自らをふりかえる、ムーさんと向き合う記念日
でもある。
彼女に、歌のブーケを贈る日だ。

ムーさん、ありがとうございます!

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小さなことから、むすぶ・つなぐ・みらいへ。

今、ある企業の人づくりのお手伝いをするなかで、2030年に
向けてのプロジェクトを進めている。
管理職にはトップのメッセージを受けて、会社の目標、目指
す方向に向け、それぞれ任された部署の中で何をすべきか?
について考え、アクションプランを作成し、職場でコミュニ
ケーションをとりながら実践していく…
その準備と実践のサポート。

さらに、その仕事自体が円滑に進められるように、社内コミ
ュニケーションの活性化への取り組み。
普段、部門間のコミュニケーションがなかなかとりづらい
こともあり、年に一度の交流イベント開催は、大変重要。
そのイベントもプロジェクトチームを作り、若手中心に
仕事の合間の時間を使って企画し、本番の準備に向かう。

同じ会社で一緒に働いている仲間意識の醸成、助け合いの
気持ちと実行。今、春の本番に向けて準備を手伝うなか、
メンバーたちの成長を感じている。
最初はおとなしかった人たちが、一つのイベントに向かっ
て動き出す。
意見も出てくるようになり、自発性も生まれてくる。
そして、イベントの話だけでなく、業務の話もしながら、
お互いの仕事のことを理解し合い始めている・・・。

一方、社会連携のプロジェクトも同時進行で行っている。
企業が地元の学生さんたちの学びにどう役立てるか?
これについても、担当者を軸にみんなが仕事の合間を
縫って協力しあっている。
学生さんと企業とのコラボ。どんなものができるのか、
これまでと違った提案が学生さんから出てくることに
企業側の期待もふくらみ、従業員の関心も高まりつつある。

いずれも小さな取り組み。でも、とても貴重な前進の
機会。それぞれに関わりながら、人の成長を見続け、
背中を押し続ける。
この会社の40周年に生まれたスローガンは「むすぶ・
つなぐ・みらい」。
そして、このテーマは、みらいへ向かい、そのまま
受け継がれ、進化する。

小さなきっかけから、手を結び、心をつなぎ、一緒に
未来へ進み続ける・・・。
そんなことを応援団として、夢をもって、ひとり一人に
関わっている。人が成長していくことが本当にうれしい。
コミュニケーションクリエイターのやりがいは、
ここにもある。

日々、一緒に成長していきたいと、改めて思う。

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まだまだ夢は大きく!

何になりたいか?と、さすがにこの年になれば、
誰も聞いてはこないけれど、
私は、いくつになっても夢は無限大と思っている。
そう思う方が楽しく、わくわくして、
毎日のすべてが変わってくるからだ。

目指したい道のひとつは、作曲。しかも新しい挑戦を加えたい。
その背中を推してくれたのは、エンニオ モリコーネ。
20世紀後半、世界の映画業界を音楽面から支えた音楽家である。
もっと早く着目していたら、と思えてならないが、
今、改めてこの方の人生と作品をまとめた映画を観て、
心が震えた。
その人を讃えた映画に、本人がつくった曲が次々出てくるのは
最高に贅沢で、本当に音楽が感動的なbiographyである。
(「モリコーネ 映画が恋した音楽家」)

映画を支えるのは、もちろん脚本であり、ロケを含めた撮影であり、
役者の演技であり、編集であり・・さまざまな役割があって
ひとつの作品が完成するが、音楽は映画の価値を決める
重要なファクターだ。
作品よりも音楽が心に残っているという映画も世の中には
多数存在している。

これまでニーノ・ロータ ヘンリー・マンシーニなど大好きで
コンサートでもよく演奏してきたが、このエンニオ モリコーネは
弾いたことがなかった。
西部劇から宗教映画まで有名な映画の多くを手掛け、それらは
とても構造的であり、深淵であり・・・。
最も有名な曲はニュー・シネマ・パラダイスか。
ご本人のインタビューを聴いていて、天才であるのに、
勝手にところどころ共感を抱いた。

ああ、こんな曲がつくりたい。
という思いである。

歌は最高の楽器であるが、それに限らず、昨年取り組ませて
いただいた演劇での音楽のように、映画でも使ってもらえる
ような、そんなさまざまな情景を描く世界に、表現にもっと
近づきたい。
そのためには、学びをしっかりしないと。

正直、作曲を学んだのは、10代前半、ほんの触りだけ。
あの時代は、作曲を勉強するということ自体が遠い世界で、
そこから本格的に学ぶこともせず、自己流になってしまった。
どこまで独学でいけるか。その手法も模索しながら、
夢に向かって進み続けよう。

自分にしかできないことをやる。
ここは変わらずに。
もっともっと。
偉大な人たちの存在が、妄想のきっかけになる。

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