気になったらすぐアクション!

日曜の朝、東京駅、東海道線のホーム。これから横浜に向かうのだが、熱海行の特急がホームに入ってくると知り、ふと、半年以上ご無沙汰している元上司のことが頭をよぎった。
その元上司は、京都から伊東に移住されてもう10年以上経つ。時々熱海や伊東で会って食事をしながら昔話や近況を語る仲。顔を見えるととても喜んでくれて、私にとっての京都のお父さんのひとりのような人。
もう90歳近い。昨年、胃がんの手術をされた・術後は順調ときいていたが、高齢での療養中であるので、元気になったらという約束で、訪ねていくのも控えていた。そして忙しさにかまけて、そのままご無沙汰していたわけだ。

急に気になり、ホームから携帯に電話する。
ちょっと弱弱しい声で、電話に出た元上司。相手が誰かわかってから、だんだん調子が出てきた。あ、元気そうだ。こちらも安心する。
3分ほど話していたら、昔の元気な上司に戻った。

「あんたの声聞いたら、元気になってきたわ。」会話の合間に、何度も何度もそう言ってくれた。確かにどんどん声が大きくなって、貼りが出てきた。

「前もって連絡してくれよ。待っているからな。」
近々会いに行けそうだ。
熱海行の電車をみたから、思い出した。

日ごろ、いろんなことに追われて過ごしているが、ふとした瞬間に頭をよぎる
気になる人がいたら、或いは思い出したら、すぐ連絡、すぐ行動。

後悔しないために、それが良い。声がきけるときに、会えるときに。
とくに高齢の方には、こちらからアクションした方が良い。
電話だけでも、元気になってもらうことができる。

近々、伊東へ行こう。もっと元気になってもらわなくちゃ!

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夢運ぶ人を悼む。

その京都にあるアニメの制作会社のことは知らなかったが、アニメ好きな知人に聞くとその世界では、全国でも著名であり、東京以外で、まさに地方から作品を発信しようと活躍。世界からも注目、支持されていたいたとのことで、今回の大惨劇はアニメファンの方にはたまらないし、私のような一般の者にも、ショックすぎて言葉が出ない。
たまたま、出張した先がその会社の近所にあったため、余計に本当にこんな静かな町で、そんなありえないことが起きたのだろうか?それは現実の話なのだろうかとずっと思っていた。
悲しいことに、これは現実であり、何の罪もない、夢に生きるクリエイターたちが多数亡くなられてしまった。怪我をされた。
ご本人、ご家族、そしてここまで人を育て、京都からアニメを!と奮闘されてきた社長の胸中を想うと、胸が締め付けられる思いだ。
作品も、人も・・・。かけがえのない命がなくなってしまったのだ。

アニメとは仮想の世界。実写以上に想像を掻き立てられ、もうひとつの世界に自分が生きているような気持ちになれる。
現実からは逃げられないけれど、こんな世界も見られるよ。考え方もあるよ。と生きるものにメッセージを与えてくれる存在だと思う。
文学のように重すぎず、軽いタッチで自然に作品に入り込めることも特徴だと思う。
そんなアニメ。そのファンがバーチャルとリアルの世界がわからなくなり起こした事件なのかどうか?は定かではないが、可能性はあると思う。

ゲームをする、アニメに接し続けることで、人生もバーチャル化してしまう
こともあるかもしれない。
バーチャルを楽しむのももちろんいいが、リアルとの区別ができなくなったり
人を簡単に殺せるとか思ってしまうのは、本当に怖いことだ。

生きているのはリアル。死ぬまでリアルだ。

アニメを、バーチャルをいい距離感で楽しむことで、リアルな人生をよりプラスにしていく。夢を与える作品とはそういうものだと思う。

とにかく、本当にお気の毒で、言葉がない・・。

人々に夢を与える仕事を選び頑張っておられたクリエイター。このたび被害を受けた皆様のことを思い浮かべ、こんな異常すぎる事件が続いて起きているこの日本が早く変わること、本来の人間らしい社会になることを心より願っている。

お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りします。

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願いをロマンチックに「見える化」する

短冊に願いを書いて笹に吊るすという行為。
この7月は、街角に色とりどりの短冊を吊るした笹があふれている。
そして日本各地では8月にかけて、さまざまな七夕まつりが開催され、賑わう。
このあと来たる猛暑は苦手であるが、七夕は素敵な初夏のおまつり。
もともと中国から伝わったようであるが、今やすっかり夏の訪れを告げる、日本の代表的な風物詩となっている。
なんとなく 心和む、七夕さん。ロマンチックなストーリーも心地よく、
七夕は別名サマーバレンタインとも言われている。

短冊を書くという行為は、とても日本らしいと思う。
書いてある短冊を見ると、つい興味深げに見てしまう。
しかし、大人になって、短冊を書く機会は減っている。子どもと一緒ならば
そんな機会もあるだろうが。

そんなこんなで今回、先に書いた企業のお誕生日会で、笹と短冊を用意し、社内のみんなの願いを書いて、吊るしていただく企画を試みた。
大人に短冊は似合わない?いえいえ、早速、ノリノリで一句したためてくださった方もおられて、それぞれに思いの「見える化」は楽しく、そこから会話も生まれ、またじんわりと背筋が伸びるいいひとときなのかも・・とも感じた。

そう、七夕の短冊は、願いのコミュニケーションツールだ。

願いの見える化は、人間の心を新しくし、思いを公的にし(しかも匿名であるのが気楽でもあり)新たな行動を生み出す。

企業でやってみた初めての取り組み。ぜひ、今後もこの時期の恒例行事にしていただけたら・・・。

書かれた願いが、実を結ぶように、心から応援したい。

なんとも余韻の残る誕生日会となった。

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わが子のような商品の誕生日を祝う。

毎日が誰かの誕生日だ。そして人だけではなく、企業にも誕生日がある。
創立記念日、創業記念日として、企業の歴史を振りかえり、明日に向かう節目として関係者で祝う。
そして、さらに商品にも誕生日がある。発売日が商品の誕生日。
思ひがカタチになり、商品化され、上市したとき。それが商品の誕生日だ。

今日7月19日は京都にある企業のある商品の発売記念日。お誕生日と呼んでいる。発売1周年だから、1歳の誕生日。
その節目を、社員みんなで集まってお祝いしようということになった。
商品のお誕生日会という試みも、なかなか珍しいが、なかなか良い取り組みと
思う。
企業と同じように、モノであろうが、コトであろうが、人が想いをもって、
カタチにしたものは、立派な命である。
会社だって、法人と呼ぶ。そこには人格がある。同じく商品も人が生み、育てるのだから、こちらも誕生日があってしかるべきもの。会社の、社員の子供のような存在だ。

だから、全社を挙げてお祝いするのは、とてもいい試みだと思う。

それを企画し、一緒に参加する。なんだかわくわくする。

人の想いから生まれたもの、人の息が、手がかかったモノ、ことはすべて人格があるから、大切にしよう。

無駄にしてはいけない。生んだ以上、生まれた以上、大切に育てる。
つくっては、POSレジにはじかれ、短命で亡くなっていく商品・・・が多い
時代だからこそ、改めて生まれてくる商品の命、を大切にしたい。
商品は企業の命そのものだから。
今日は一緒にお祝いに参加しようと思う。



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新聞記事を切り抜かれる喜び。

岐阜新聞のロビーコンサートもおかげさまで3年目に突入。このまる二年、隔月開催を続けてきた。小さな取り組みでも継続は力なり。おかげさまでリピーターの方も増えてきて、毎回会場はにぎわっている。
今月より、新聞のコラム連載も始まったため、コンサート前日の記事にはこのコンサートのことを記載した。岐阜新聞が行っている文化活動を知ってほしいという思いもあり、また自分の想いもお伝えしたく・・。

「ロビコンにようこそ!」ではじまるこの記事。ロビコンとは、ロビーコンサートの関係者での通称。

さて、この記事を見て、コンサートに来てくださる方はいらっしゃるのか?

果たして新聞は読まれているのか?いろんなことが気になる。
掲載翌日に開催したコンサート。
いつもと違う顔ぶれがそろう。もしかして?期待が混じる・・。
30分という時間、たっぷりトーク&演奏というわけにはいかないが、ほどよい時間帯でもある。今回は七夕、夏の旅をテーマに展開。

おかげさまで盛況にて終了。

お客様ひとりひとりにご挨拶をして、お見送り。
すると、あるご婦人が
「あのー、私、昨日新聞見て、それで初めて来てみたんです~」

と、声をかけてくださる。

「へえ!そうなんですか。うれしい~~。」

と私が言うと、そのお客様は、バッグの中から切り抜いた新聞記事を出して
見せてくださった。
「ほら、これ」
見せてくださった記事には、赤い線がところどころ引いてある。

ああ、今の時代も、こうやって新聞を読まれる方がいらっしゃるのだという
こと、そしていいと思った記事を切り抜き、そして出かけてくださったという
まさにAIDMAの実現・・・というと大げさであるが、記事を見て来てくださったことに感動した。

「ああ、そうですか~~。うれしいです。本当にうれしいです」

なんども頭を下げた。

新聞というメディアの良さを今回も痛感。
人を動かすメッセージをこれからも発信したい。もちろんまた来たいと
思われるパフォーマンスが前提だ。




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休日のキャッチボールとダメ出し。

一昨日までの連休もそうであった。
休みなき経営者たちが書いた企画書や書類を、添削したりアドバイス・・。
世間が休みの日は、経営者たちにとっていい企画時間となる。
静かな環境でモノを考え、まとめ、明日の準備をする。
経営者は休みがない、そういう仕事。
こちらも、とことんそれに付き合う。

ある社長さんが書いてこられた書類を書き直す。真っ赤になる。

なぜ変えたのか、を説明しながら、自分の書いたのと見比べてと戻す。

素直な経営者はこのアクションにも素直に対応してくれる。

球は何度も投げる。この休日のキャッチボールはとても貴重かつ有効。
休日に次への準備をする。世間が走り始めてからでは、遅い。
やりとりは、連休が終わった翌日(会社が始まる日)の早朝まで続く。
会社が始まれば、社長は現場へ得意先へと忙しくなるので、すべてを
それまでに片付けなければならない。

気が付けば、ダメだしおばさんの私。
でも、言うべきはお伝えするのが、自分の役割。

いいづらいことをいい、難しいことを簡単に、わかりやすく。

おかげさまで、成果を出す、成長される方が増えている。
「いろいろ、勉強になりました」
「頭が整理できました。」
「これまで、見える化してなかったので、うまくいかなかったことが
わかりました」
こういった言葉で、こちらもやりがいを覚える。
がんばる人には、連休であろうが、元旦であろうが、とことんつきあいたい。

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若者に、どう響いている?

世の中は、選挙期間。
また、候補者の就活イベントシーズンがやってきた。

町を歩けば、大きな声で街頭演説。選挙カーからも大きな声。
関係者にとっては、選挙はいい仕事になると聞いたことがある。
それはおいといても、各地で開催される演説。
中身で勝負といっても、中身もどうなんだろう。
足の引っ張り合いも見苦しく・・。

若い人たちは、どう見ているんだろう。
香港の若者たちは、緊迫した状況のなかで、力を合わせて、政治に向かい合って
いる。危機的だからこその結束であるが、自分たちのために政治に関心をもち、行動に移している。
日本の若者は、今、一見平和で、無事に生きていられるこの日本に対して
不満がないのか、あるいは先の不安を想えば、なるようになるとしか考えないようにしているのか、もちろん個々人の差はあろうが、政治への関心は低いようだ。
今回の候補者の公約などを分析したある大学生らが、「面白味がない、きれいごとばかりだ」と評していたという記事を新聞で読んだが、全く共感してしまう。

先日、あるイベントで、政治家が招待されてか参加しており、そのときの挨拶が印象に残った。
抽象的な言葉の羅列で、そのスピーチに心ひかれるところがなく、残念に思った。言葉が多く、力は籠っているが、何も響いてこない。それと同じように、今、街で必死に活動をされている候補者やその応援団にも心動かされない。

再び、選挙の演説。最後は「お願い」の連発も、日本独特のスタイルかも。
海外の政治家のスピーチはお願いはしていない。内容はともかくとして、有権者がその気になるように、スピーチで勝負している。パフォーマンスももちろん含めて。お願いはしていない。堂々としている。
日本は、政党ありき、組織ありの選挙だから、スピーチの内容は問われないのだろうか?
お願い演説のオンパレードと当選したときの万歳。いつまで、こんなことをやり続けているのか?

若者たちは、どんな目でその現象を見ているだろう。

若者が関心をもたないようになっていることへの責任を問いたくなる。
未来を生きる若者たちが、自分たちが何とかしなくちゃいけない!と立ち上がるような元気な日本にならないと・・・・。

雨の音に消されないよう必死に叫んでいる、テレビでよく聞くおえらい方の生演説の雑音を背中に聞きながら、速足で帰路に着く。








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クレームは優しさでもあり。

ある駅前のホテルで、お客様と軽食をいただきながらのミーティングとなった。
レストランというよりは、カフェラウンジ。仰々しくなくカジュアル、でもホテルのお店なので落ち着きもあり、程よい品もある。
オーダーしたチーズに、一緒に盛り付けられたパン。一見、おいしそうなバケットのスライスだ。でも切れていない。10センチぐらいの長さのまま。これ、手で切れるかな?パンをかじって、チーズを食べてということか?ま、いいか。ないよりはいい。
「チーズは、パンと一緒に食べたらおいしいですよね」
とお客様におすすめしながら、試しに自分が先にパンを手にとる。あれ?
硬い。硬すぎる。カチカチやん。なに、これ?
「あ、これ食べたら歯が折れますわ。ちょっと待ってくださいね」
といって、お店のスタッフに合図して、席にきてもらう。
「あの、申し訳ないけど、このパン、かちかち。これ食べたら歯折れると
思うので、変えてくれませんか?」
若いスタッフは私の言葉にびっくり。そりゃそうだ。歯が折れるパンとは?
彼女にはわからない。お皿ごと運んできただけだ。パンには触れていない。
「あの、これはトーストしてありますので」
「いや、でも、カチカチで食べられない。あたためると硬くなるパンもあるよね」
「少々お待ちください。」
スタッフは、パンをもって厨房に行った。そしてトーストしていないバケットをうすくスライスしてもってきた。
最初からそうしてくれたらいいのに。
「無理言いました。ありがとう」
お礼をいって、ふたたびお客様にすすめた。
私がクレームを言うので、お客さんもきっとびっくりされていたことだろう

でも、お客様と一緒に
「まずいですよね。食べづらいですよね」
と言いながら、不満な時間を過ごすのは嫌だ。せっかくの時間、せっかくの食事なら、より良い共有にしたい。
「やっぱ、こっちの方が美味しいですよね。どうぞ。お騒がせしまして
すみません。お店の人にも言ってあげた方がいいと思っていますので、うるさくてごめんなさい」

お客様はにこにこして、ビールを飲みながら、チーズをつまみはじめた。

気が付いたら目の前で言う。直してくれたら、よりよくなったらそれでいい。
それがいいコミュニケーションになることもある。
言わないで、こそこそならまだしも、ネットで店の評価を下げたり、負の拡散をするのはしてはいけないと思っている。
口に出してくれる、声に出してくれるお客様は本当にありがたいと思う。と、
職業柄沁みついているせいか、どこへいっても、ついうるさいおばさんになって
いる。

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新しい世界と深淵なる響き。

いくつになっても、挑戦することは素晴らしい。
いくつになってでも、挑戦する人は若々しく、美しい。
55歳という年齢は、どんなことであっても、ゼロから始めても遅すぎることはない。と、厚かましくもそう思っている。

音楽という世界においても、自分が知らない領域も無限にある。
たとえば、パイプオルガンという神秘的かつ精神性高き楽器への入門。
パイプを通じ、空気の動きで、なんともいえぬ音を出すオルガン。
教会のミサ用の楽器として誕生した。

ザビエルへの憧憬から、西洋楽器への興味がさらに増した。
少しでも、新しい世界を広げることはできないか?

どの方法で、どんな道で学ぶのがいいかは模索中であるが、ひとまず、少し
体験する。この楽器は、岐阜の白川町にあるパイプオルガン。天と地が溶け合うような、なんとも言えない響きが、全身を包む。

コミュニケーションツールとしての楽器の奥深さについて、これから研鑽を積んでいきたいと思う。

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何を食べているんですか?

先日、ある女性経営者の方とお話ししているときに、「なんで、そんなにいつもお元気なんですか?何を一体、食べているんですか?」と、真面目な顔で聞かれ、思わず笑った。
そうか、食べ物で人は元気になるんだ・・。確かそういう一面もあるのかもしれない。
しかし、これを食べているから元気ということはなさそうだ。

もしあるとしたら、いろんな方の「ありがとう」という言葉を食べているのかもしれない。ちょっとヤギのような感じであるが。

毎日、どこかの誰かが、自分に、自分が関わったことに対して、「ありがとう」と言ってくれることがある。直接もあれば、メールもあり、手紙もあり・・。

おかげさまで、本当にありがたいことに、毎日なにかしら、その言葉をいただく。これが私の栄養だと思う。

ありがとうといってもらえることは、本当に幸せだ。
この言葉ひと言でみんなが元気になるなら、私ももっと「ありがとう」を伝えたい。感謝愛。これが私にとっての元気の秘訣。


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