「長崎を最後に」の祈り。

この写真は、現在の浦上天主堂。
80年前の今日、原爆で全壊し、その後人々の強い願いと
協力で再建された。
当時の様子を写真で見たり、旧教会の遺構の
一部、被爆マリア像、アンジェラスの鐘などを
見ると、その恐ろしい現実が頭に浮かび、
耐えがたい気持になる。
この近くが爆心地であり、そこから瞬間にして
この美しき祈りの町が破壊された。

いつもこのあたりを歩くと、この美しい教会の
下に再建された美しい浦上の町が住む人が
どんな苦難を背負い、乗り越えてきたのか、
考えさせられ、空が美しければ美しいほど
悲しくもなる。
そう、長崎の空は美しく、悲しい。

今朝、被爆者のひとりであった山口仙二さんの活動
について改めて知った。
生涯を核廃絶運動に全力で捧げた方である。
世界中で発信した力強いメッセージは、多くの人々
に原爆の恐怖と核廃絶の必要性を強く伝えた。
「自分の家族が被ばくしたらどうですか?」
この問いかけほど、わかりやすく伝わる例えはない。
「言わなきゃだめだ。言わないと容認したことになる。」
命をかけて訴える力は、多くの人の心を動かす。

自らの体験を伝えられる人たちが年々減ってくる。
いつの日か、いなくなる。
それでも、ずっと言い続けなければならない。
長崎が最後の被爆地となるように。

長崎から世界へメッセージを。
長崎へ祈りを。世界へ平和を願う。

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出会いに強い人と

その人の名前は「強」さん。
いろんな「つよし」があるけれど、この漢字のお名前は
これまで一人しかお会いしていない。

その強さんに初めて出会ったのは、24年前の9月11日。
そう、アメリカに向かうユナイテッド航空の機内。
といっても成田を飛び立った時は知らない人。
たまたま隣の席に座っていた人だった。
何も起こらなければ、そのまま知らない人で終わったが、
非常事態になって突然「何がおきたんでしょう?」
と会話したのがはじまり。

あのニューヨークの同時多発テロの影響で飛行機は
目的地に飛ばず、アラスカのフェアバンクスへ緊急着陸。
ともにフェアバンクスでの待機時間を3日間一緒に
過ごし、夜になれば、なんとオーロラの空を一緒に
見上げた仲間。

いつ思い出しても、わが人生最高の、絶対に忘れる
ことのない時間。

その強さんから、突然メールが届いた。
「デスクを整理していたら、あのときの航空券の半券が
出てきて・・」私を思い出してくださったのだ。
余りの懐かしさがこみあげる。
来年であれから四半世紀。一緒に過ごした仲間も今は
消息不明だったり、すでに旅立った人も・・・。
そんななかで、強さんと再会。

15年ぶりほどの再会。
最初は懐かしさがうれしく、当時の話をしていたが、
話題はどんどん発展して、マーケティングのこと、
DNAのこと、地球のこと、その方のヒストリー、
信仰のこと・・・とにかく久しぶりの再会を待って
いたかのような話題の連続で、話しはつきない。
また、当時より年を重ねたせいか、深い話もしみじみ・・・。

十分有意義な時間をいただき、別れるときに
またお会いする約束をし、固く握手する。
「この再会は何でしょうね」
「不思議ですね」
「何か意味があるんですよね」

テロがなければ、あの飛行機に乗っていなければ
隣に座っていなければ、この出会いはなかった。

もしかしたら、出会いに強い人なのだろうか。
過去の出来事、人が、ひょんなきっかけで
再び蘇り、さらに未来につながる関係になる
のかもしれない。

人には出会う力があるのかもしれない。
強さんとの再会で、強く感じた。







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いっしょうけんめい。の応援

数年来、応援し続けている企業。
「最近、社長さんが変わってきましたよ。」
その企業を知る、当初紹介をしてくださった方から
その変化について聞く。
確かに、最近はかなりハードな課題を出しても、
大変前向きで、自分でも手ごたえを感じている。
新しい課題を出す。締め切りは盆休み明けの方が
良いかと尋ねると、「いいえ、休み前に出します」
と先延ばしせず、今しなければ!と燃えている。
社員と一緒に、前へ前へと向かうその姿勢に
こちらも嬉しくなり、アドバイスも弾む。(?)
この会社はきっと良くなる、そうなる。

最近出会った企業さん。
家族経営の町工場。
こちらが発する言葉を聞き逃すまいというぐらいの
気迫で真剣に聞きながら、課題を予想以上にこなして
くる。
「ここまで考えていただいたんですか」
驚くほどだ。
改めて自分の仕事は、いいかげんなことはできない
と思う瞬間でもある。
自分が発することを信じて、行動していただける。
その一生懸命さに、もっと応援せねばと思う。

自分の周りには、ほんとうに一生懸命に生き、
仕事をする人たちが多い。
まあ、人の力を借りて良くなりたいという
意志をもてる人は、真剣勝負の日々を
生きておられる。
誰も代わってくれない。自分がせねば。
でも、どうしたらいいかわからない。
そんなときに声をかけていただき、
おつきあいが始まる。

一生懸命の人に、
真剣に応える。

これまでもそうしてきたけれど、
これからも、それしかない。

毎日いろんなことが同時進行。
いろんな方たちの顔が浮かび続ける。

どこの社長さんも大変だ。
ひとり一人の従業員の生活を家族を
支えていかねばならないのだから。
そのご苦労に比べれば、
自分がしていることは、ちっぽけだ。
でも、
一生懸命な人に、真剣に向き合い、
寄り添う。

今日は誰と?誰に?
毎日、待っていてくれる人がいること
に感謝したい。

今日も、いっしょうけんめいに生きる。


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しめやかな気持ちの朝に。

今日は80年前、広島に原爆が投下された日。
平和記念日である。

なぜか、離れた名古屋にいても、いつも聴こえてくる
セミの声と違って、少し今日は静かな感じもする。
というのは私の気持ちの持ちようかもしれない。

今のような異常気象ではないにせよ、真夏の、しかも
エアコンもない暑い日に、投下された原爆。
今日のその日を想像するだけでも、心がとても
痛くなる。

最近戦争にちなんだコンテンツを見る機会が増えている
こともあって、原爆という、人間の狂気が生んだ凶器に対する
気持は以前に増して「何があっても、絶対にあってはいけない」
強くなってきている。

立場が変われば、見方は変わる
しかし、
世代が変われば、考え方も変わる。

今の若い人のなかには、被爆された方の思いを
伝えていかねばと活動を興す動きもある。
ある被爆者の生き様を通じて、自分たちが伝えねばと
行動をはじめた学生さんもいるようで、
大変すばらしいこと。
でも、知らなければ、伝えられず、いつか忘れ去られていく。
知るきっかけがあって、そのことを記憶され、さらに伝えゆく。

大切な人が亡くなっても、その人のことを覚えて
いる限り、その人はずっと生きている。
とそのことを胸に今生きているが、それと同じく、
被爆された人たちのことを忘れず、記憶に残し続けること
でその人たちの思いは生き続ける。

そう、今日は忘れてはいけない日。
ずっと覚えていなければならない日。
記念日とは、そういうためにある。

だんだん被爆者の数が減っていき、いずれゼロになっても
その人たちが遺してくれたさまざまなツール、情報を
通じ、学び、教訓に生かしていかねばならない。

先人たちの苦労があって、今の自分たちがいることを
忘れず、
そして80年経った今でも、
世界で戦争が起きている人間の愚かさに目を背けず
今自分ができることを考え、小さなことでも実行したい。

原爆で焼けて亡くなった人たち、
ガザの餓死寸前のやせ細った子供たちが重なりもする。

NO MORE WAR。

世界の意識と行動が、少しでも変わる記念日となるよう
心から広島に向け、祈りをささげたい。

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長く、強い糸。

おかげさまで仕事を一緒にやってくださる仲間がいる。
20代、30代、40代、50代・・・。それぞれの時代に
出会って以来、今なお、そのご縁が切れずにお仕事
できる人たちがいてくださることは、本当にうれしい。

心の観覧車をつくる、という生き方は、人とのつながり
なしにはなしえない。
新たな出会いももちろんうれしいけれど、気が付けば
何十年も関係が途切れず、続いている方とのご縁は、
本当にありがたい。

京都のデザイナーさん。
会社員時代からのおつきあい。
まだ20代の頃だったか。
起業されて間もない頃、女性だけのデザインの会社。
ということで、当時は本当に珍しかったのではないか。
自分にとって新鮮な出会いであり、初対面の時のことを
今もくっきり覚えている。

そこから京都に関わる仕事をいくつかご一緒させていただいた。
平安建都1200年、祇園祭、もちろん企業のお仕事も。
彼女の伸びやかで、パッションとパワーを感じるデザインが
好きだった。
デザインはその人を現すということを、若いときから
勉強させていただいた、そのひとりだ。

その後、東京に移ってからはしばらくお仕事をご一緒
する機会が減ったけれど、なんやかんやと、
京都といえば・・・ということで、今もずっと関わり
をいただいている。

クリエイターという言葉にピッタリな、
感性豊かで、のびやかな表現力と、センス。

デザインという仕事を30年以上続けてこられている
豊かな経験が、自立した生き方につながっている。と
横から見ながら、いつも尊敬の念がこみ上げる。

同時代を生きてきたからこそ、
心から共感できることは多く、
人生や仕事の価値観も理解し合える貴重な関係。

以前、お母さまとアウシュビッツに行かれた話を
聞いたときは、その好奇心と行動力に
やっぱりクリティブだ!と刺激をもらった
ことも、懐かしい。
「戦争はあかんね」と、こんな話題も真剣に
できるのも嬉しい。
京都で出会えたクリエイター。

仕事がある限りは、元気にがんばろう!
これが合言葉。
長くて強い糸。

大切に繋ぎ続けたい。

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ユニークなオファー、熱いご依頼。

暑さも吹き飛ぶ、新たな企画の打ち合わせがあった。
ひとつは、防災の日の前に、防災セミナーとふれあい
コンサートを組み合わせたイベント。
それは、お盆休み明けの開催。
地域貢献に力を入れている法人さんからのご依頼だ。
コンサートもコラボの時代。
もちろん、これまでもいろんなコラボは試みてきたが、
「防災」と「音楽」がひとつのイベントになるとは、我ながら
興味深い。
コンサートがあることで、防災の話も聞いてみようかとなるのか、
防災だけだとちょっと硬いから、コンサートもあると楽しいから
人も集まるか?
どっちが入口でもよいが、わりと斬新?かつ贅沢な企画ではないか。
主催者の熱意も伝わり、こちらも何かいつもと違うことを・・と
企みたくなる。

そんな話の後は、敬老の日のお祝いコンサートについて打ち合わせ。
昨年、出演させていただいたが、終わったあとすぐに、今年の
担当になる方から、
「来年、お願いしますんで。頼みます!」と力強く声をかけて
いただき、連絡先を交換。そして正式に改めて依頼をいただいた。
「今年は、今尾さんのステージに賭けてるんで、どうぞ盛り上げて
やってください。皆さんの心に刺さるコンサートお願いしま
す。昨年は私が刺さりましたので!」

いずれも、ふるさと岐阜での話となる。
まさに、岐阜での観覧車が小さいながらも回り続けている。

8月から9月にかけてのこれらの活動。
グラン・ルー27周年にふさわしいスペシャル企画だ。

ご依頼いただく方々に、待っていてくださる方に
心から感謝を込めて。
いい思い出のひとときになるよう、熱く取り組みたい。

暑さは、各地でのお祭りと同じく、熱さで乗り切る。

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夏のタクシーコミュニケーション


、先日鹿児島へ出向いた際、金沢を訪問した際、それぞれ
タクシーを利用した。
それは土地勘がないため、公共交通機関がないから、
遠いから・・・などの利用。
慣れない町であるので、どの道を通っているかわからない
ため、メーターがとても気になる。でも、必要であるから
それなりにかかっても良しとする。
さらに、この季節。
地元であっても、タクシーを利用することがある。
習慣にはしたくないので、極力使わないが、この暑さでは
やむを得ない。
タクシーに乗るときは、運転手さんの印象を見て、
話しかけやすい方には、いろいろ質問を投げかけること
にしている。タクシー業界、またそのドライバーさんの
背景など見えて、とても興味深い情報を得ることができる。
「これだけ暑いとタクシーの利用も多いですか?」
「夜の町でのタクシー利用はどうですか?」
「遠いところだったら、どこまで乗せていかれるんですか?」
などなど。
この暑さでは、バス停でバスを待っている人が多く
手をあげられ、タクシーに乗られそうそうだ。
待っていららない、立っていられない。
こんな暑かったらちょっとお金かかってもタクシーに
乗ろうと思うらしい。
そしてタクシーに乗ると、ひんやりした車内に皆さん
ほっとされるそう。
だから、終日車内にいる身としては、体が冷えるけれど、
ある程度は冷やしておかないといけないそう・・。
最近の名古屋の夜の町は、40代、50代のサラリーマン
よりも、もっと若い人が増えているようだ・・。
名古屋からだったら、豊田、三重、岐阜あまりまで
深夜であれば乗っていく人もいるそうだ。
電車がなくなっても、どうしても帰らなければならない人、
行かねばならない人。そんな人のための24時間使える
乗り物がタクシー。
あるドライバーさんは、パン職人であったが1年前に
転職されたそう・・・。
乗っている時間が長ければ長いほど、いろんな話を聞く。

タクシードライバーを素材にしたコンテンツがあるけれど、
私自身も、この職業には大変興味がある。
いつか、本にしたいと思ったぐらいだ。

ふと、コロナで大変苦労した京都で頑張る、
友人のドライバーを思い出す。
今は、暑さに加え、インバウンド含めた観光客や
季節によっては修学旅行生の対応で、多忙を
極めていることだろう。
元気にきばってはるかな?
と、名古屋の転職組のドライバーと話しながら
京都の彼のことを思い出し、元気な笑顔が浮かぶ。

真夏はタクシー利用も増えそうだ。
束の間のコミュニケーションも楽しみ、
いろんな人生に思いを馳せたい。

世界中のタクシードライバー。
いろんな客を乗せ、運ぶ。
どうぞ、安全運転で!ご無事で!

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愛あるAIとのつきあい方。

AIとは、ほどよい距離でおつきあいする。ぐらいの
関係が私には好ましく、ありがたい。
びったりそばにいてくれなくてよい。
自分でできることは自分でやるから、
AIには想像もできないことをやってやる。ぐらいの
気概は持ち続けたいと思っている。

そんななか、親しい方が病で会話がしづらい状況に
なってしまった・・とメールが届いた。
先月まではお元気で、講演もきいたし、食事も
ご一緒したのに・・・。そんなことがあるのか
と最初信じられなかった。
何かお手伝いすることはできないか?
その方はとても前向きで、リハビリも頑張って
なんとか会話ができるように、とがんばって
おられ、会話をサポートする何かいいソフトが
あったら教えてほしいとの連絡をいただく。
早速、AIに精通している仲間にも相談しながら、
テキストをその方の声に近い音声に変換する
ことができないかと日々模索。
ご本人からも以前の講演の音声データを送って
いただき、専用ソフトで再現を試みる。
そんなこんなで、なんとかその方の会話の
サポートがしたいと奮闘中。
技術に強い仲間もいることで、いろんなこと
が考えられる。大変心強い。

ご本人があまりに前向きなので、こちらも
それに応えたいと思ってしまう。
困ったときにAIが助けてくれる。これは大変
ありがたいことだ。
私も何かあったら、世話になるだろう。
人助けは自分助けである。
AIは、あの人のためにと思うところで
大いに貢献してくれる、心強い味方になることも
ある。

そんなこんなで、その方の会話が元通りに
なることを祈りつつ、愛あるAI活用で
少しでもお手伝いできたらと思っている。
来週は一緒にそのソフトの使い方の
勉強会を行う予定。
私一人だけでは無理なことを、一緒に真剣に
寄り添い、関わってくださる仲間がいることも
ありがたい。

人は話せることが、当たり前ではない。
ある日突然、会話ができなくなる。

「回復するステップを楽しみたいと思います」
と、ご本人から言われて、
どこまでも前向きなその方の生き様に
感動しながら、応援団でいられることに
感謝したい。

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2026年カレンダー

あっという間に2025年も8月に突入。
時の経つのはなんと早いことかと思うが、
この暑さでは早く季節が変わることを祈る日々。

今朝も、月替わりカレンダーをめくりながら、
あと2枚めくったら暑さも収まるか。
どうか早く過ぎ去るように・・・と念ずる。
そして、
来年のカレンダーをそろそろ・・と毎年
取り寄せているデザインのものをオーダー
した。なんと、もう販売していた。
お届けは9月後半だそうだ。

そんなことをするだけで、頭が新年モードに
切り替わり、暑さも少し和らぐ。

毎年、来年のカレンダーを注文するとき、
来年も生きるのかなと思いながら
手配する自分がいる。
来年は、今の自分にとって不確実な未来でもある。
でも、
新しいカレンダーがくるから、がんばって
生きなくちゃと、自分にとって新しい
カレンダーは未来を生きる力になる。

仕事では何食わぬ顔で2030年の話をしながら、
日々取り組んでいるのに、実のところ、
自分自身のことはあまり考えていない。
まずは、現在・今日ありき。

もうすぐ大好きな、ERが付く季節がやってくる。
それまで1か月、この夏も大いに燃焼しよう。

カレンダーが届くのが楽しみだ。


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最高のおもてなし大使

酷暑のなか、久しぶりに訪ねた金沢。
ひとつめのミッションである打ち合わせが
終わり、次の待ち合わせまでの時間のこと。

土地勘も薄らいでおり、記憶をたどりながら
街中から駅まで歩く。
歩けない距離ではないはず・・・。
ただ、この暑さだ。
それに加え、すでに途中で道を間違え、
暑さでたまらず、呼んだタクシーも道を
間違えてちょっと不満が募る。
加えて、昔は静かだった美術館も
インバウンドで混雑・・・など・・・。

正直、どこも日本は変わらなくなった、
まさに小京都。いいも悪いも・・・。
と思いながら、駅に向かう。
とにかく日差しを避けたく見つけた
地下道の入り口。

これは駅まで通じているのか?
交差点だけのものか?
ちょっと考え立ち止まっていると、声をかけられる。
「どうかされましたか?」
若い男性だ。
「いや、この地下道、駅までつながって
いるのかなと思って。」
「ずっとはつながっていないですけど、
地下の方が涼しいですよ。駅に行かれるん
ですか?」
「そう。つながってないか・・でも
ずっと外を歩くよりましですね」
「良かったら、僕も駅まで行くので
ご案内しますよ」
とのこと。なんだか、とても親切なその
応対ぶりに感心して、一緒に歩くことにした。

おそらく数分ほどの会話だっただろう。
地下道を歩き、途中から地上に出る。
でも、ずっと話していたため、暑さを感じなかった。
聞くと、金沢大学の学生さんだ。
明日、教員採用試験で実家である福井に帰る
のだということ。

ふと、40年前?のことを思いだした。
そして、金沢大学・・・。
もしかしたら、後輩になっていたかもしれない
人と出会ったのか。結果はそうではないけれど。
「理科か数学の教員免許をとりました」
「へえ、私は社会科をとったことがあるよ」
親子ほどの年の差でいつの間にか親しい口調で
話していた。

「今の日本も世界も大変だから、子どもたちが
夢を描けるような未来にしないとね。」
「はい、そういうことができる先生になりたい
です。」
「先生も夢ですけど、政治にも興味あります」

など、短い時間にいろんな話題にお互いに反応した。
今の日本や世界の憂いについても意見を交わし、
若者たちが置かれている現状も自分なりに理解でき、
心に響いた。

大変しっかりしているのと、あまりに波長が
合い、あっという間に打ち解けた。
気持いいキャッチボールを楽しんだ。

目的地が見えてきた。
「じゃ、ここで大丈夫。ありがとう。明日
がんばってね。」
笑顔で別れた。
ああ、いい出会いをいただいた。

一気に金沢の町の印象がグンとあがった。
最高のおもてなし大使に出会えた。

今日は、彼の試験日だ。
心からうまくいくことを祈っている。

自分が京都で試験に臨んだときのことを
思い出し、結果、違う道にきているが、
それはそれ。
今、まさに真剣勝負に向かう、
学生さんに心からエールを送りたい。

きっと彼とは、また再会する。
そんな予感も楽しみながら・・・。


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