久しぶりに、長年お世話になってきた方との再会。
限られた時間ではあるが、食事をとりながら、近況報告、
情報交換を行いながら、人生の話へと話題が移る。
仕事で出会った方ではあるが、ドラマチックは出会い
であった。その後、約四半世紀、家族のように思っているし、
そして何よりも、人生について先輩としての考えを聴かせ
ていただいたり、意見交換をしながら、深い話ができる
関係として、つながりを持ち続けられることが何よりうれしい。
おそらくその方とは、根底につながる、通じる心がある。
だから絶対の信頼もあるし、何かあったら駆けつけようと
気持も変わらない。
肩書生活から卒業された今は、より自由に自分らしく、
社会のお役に立とうと活発に動かれている姿。それを見ると、
うれしくなる。
肩書生活をピークに生きる人生はなんともわびしいものがある
が、その時代を越えて、気力衰えることなく、ますますその人
らしさがにじむ生き方はとてもしなやかで素敵だと思う。
会食の後半は「生と死」の話になる。
20年前では絶対しなかった話題だ。
生きているということは有。存在している。ここにいる。在る。
しかし、死んでしまえば、すべては無。
無のことを考えてもしようがない。わからない世界なのだから。
そこを想像して、不安がっていてもしょうがない。
無は無でしかない。
それよりも、今、ここに在るこの自分をいかに燃焼させるか。
そこに全力を注いだ方がいい。
瀬戸内寂聴さんの考えからの影響もあるようだ。
確かに、あの方は、よく、存分に、生きたお方だった。
死を恐れる必要がない、不安に思う必要がない。
そんな考え方になるのは難しいかもしれないが、何事も
考えようだ。
ないものはない。
人はいつかなくなるのだ。
それだけのこと。
ただ、そのいつかがわからないのが、不安を招くのだろう。
でも、その最後の時期がいつなのかがわからないのは、皆同じ。
そこは人類平等だ。
平和な社会で、健康に生きられ、自由な発想、行動ができる
この人生を無になる直前まで謳歌すればよい。
永遠に続くものではないという覚悟を持ちながら・・・。
いろんな話しをしたけれど、近いうちの再会を約束して
元気に分かれる。いい時間を過ごしたと、さわやかな余韻。
存在と無。
このことが今朝も頭に蘇る。
今は存在する「私」。生きるのみ。自分らしく存分に。
昨日お会いした人生の先輩、兄ちゃんもきっと
今日も存分に、自分らしく、楽しく過ごされるだろう。
こんな会話がずっとしたい。
でも、それもいつかの期限があるだろうが、その日が来るまで
刺激を受け、感謝の気持ちで、恩返しをしたい。
いつか無になるけれど、今は在る。新しい朝に感謝。




