最近、「強い」という言葉を耳にすると、改めてその意味と
使用する意図を考えてしまう。
その「強い」からは、いろんなイメージが湧く。
音楽の場合は、クレッシェンドとディクレッシェンド。
音をだんだん強くしていく、大きくしていくのがクレッシェンド、
逆にだんだん弱くしていく、小さくしていうのがディクレッシェンド。
作品を表情豊かに演奏するために欠かせない、音楽記号。
だんだん・・・・というところが気に入っている。
一方、最近、強い国・・とかという言葉も耳にするが、これは
何を指すのか。
瞬間的に成長をしても、安定しなければ、本当の強さとは
いえない。相手を打ち負かす意味での「強さ」も想像したくない。
自身の考えをしっかり持ち、社会に役立ち、存在感が伝わって
世の中に必要とされ続ける存在が、強いといえるのではないか。
そして、長く安定していること、持続的に活性化していることが
強さではないか。
さらに、強さとは外に向けるよりも、自らの中にもつものでありたい。
そして、むしろ強さよりも、しなやかさを大切に生きたい。
何があっても、倒れない、壊れない。
そして、本当の強さとは、自分の力を誇示したり、相対的な
数、量の優劣ではなく、
相手を大切にできること、相手に寄り添えることが
真の強さではないかと、思っている。
自分のなかのクレッシェンドを大切にしながら、
しなやかな生き方をさらに学び、意識していきたい。
強さを誇示するよりも、
さりげなくしなやかに生きる。
そして、もっと突き詰めると、
真の強さとは、人を大切に、愛することができる力だと
思うし、そう思い続けたい。
と思っていたら、武器は要らないはず。
「強さ」よりも大切にしたいこと
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