最近、AIとの共生が話題になることが多い。
職場でも家庭でも社会でも、これからの人間社会に必要なことを
AIが様々な場面で、助けてくれるそうだ。
AIとは人工知能。膨大な情報を分析しながら、学習し、それなりの
回答を与えてくれる。
過去の情報さえあれば、それなりにわかった風な回答をしてくれる。
また過去の情報が正しければ、そのアウトプットも正解に近い。
情報が知能をつくる。
これは、実はコンピュータの世界だけではなく、人間自体もそうだ。
ちゃんと勉強して情報を蓄えていれば、考える力が表現する力が
身につく。
しかし、簡単に情報が得られる時代になってしまい、人間は
「検索する動物」になりつつあり、考えずにすぐ答えをAIに求めて
しまう。また、膨大な情報から学習したAIが人間社会に物申す
時代になってきたことも衝撃であるが、これがもう規制の事実に
なってしまっている。
便利ではあるが、人間社会自体が変貌していくことへの危機感は
持っている方が、ある意味健全であると考えたい。
さて、今はAIのいい面を見る。
これからの高齢化社会を考えると、対話する相手がいないお年寄り
にはAIが話し相手になってくれる。
また亡くなった家族への思い(寂しさ)をAIが紛らしてくれることも
あるようだ。先日も亡くなった奥様の情報をもとに、AI奥様が作詞を
され、夫婦で演奏。AI奥様と旦那さまのデュオが実現。
「もう会えないけれど、こんなカタチでも一緒にいられることが
いい」と旦那さんの感想。
最愛の人がいなくなったら、AIの力を借りて、対話をしたいだろうか。
正直、その気持ちは今はわからない。
葬儀業界でも、最近では故人がAIの力で蘇り、会話をされる
ようなサービスも始まったようであるが、これも、今の自分には
よくわからない。
悲しいときは悲しい。泣くときはなく。
そして元気に立ち直る。
これが人の一生であると思うが、AIの愛?の力は、どこまでも
疑似的でしかない感じがする。
疑似的なものとのふれあいは、さらに本物への思いが募って
余計に悲しくなるのではないかと想像してしまう。
一方、ビジネスの場面では、AIの力をもっと活かすことが
できるだろう。
一言でいえば、「ビッグデータの活用による、情報処理の時短」。
これは多くの現場で求められる課題。
ホワイトカラーとブルーカラーの給与が逆転する時代も
きているそうだ。
AIを使いこなせる人は必要とされるが、AIに使われるだけの
人間であれば不要となってしまう。
むしろ、AIにはできない体を張って行う仕事の方が貴重となる。
それもロボットでもできる仕事となれば、人間は不要となる。
小手先の頭を使っているだけではいけない。ということだ。
だから、AIに依存しすぎてはいけない。
話を戻す。
AIは頭がいい。次々と言葉を予測する。
相談にものってくれる。(私は相談しないけれど)
過去の情報をもとに、一定の回答をくれる。
でも、AIは生身の相手に会ったこともなければ、ふれたことも
ない。ただ、情報という箱のなかで、言葉を出し続けているだけ。
そのことで、人間は本当に満足できるだろうか?
ふれあいのないコミュニケーション。
こればかりが加速しないことを祈る。
あくまでも、道具であり、手段である。
とはいえ、
デジタルは人間をかなり変えてしまった。
変えられてしまうのではなく
自ら変えていく気概と学習と行動こそが、
今こそ、求められる。