観覧車の寄せ書き!

このたびも、多くのギフトをいただいた。
それぞれの思いに、なんとお礼を言っていいかわからないほどに
ありがたい。
おひとりお一人が、あ!これだと選んでくださった。
そのなかのひとつは、飛び出す観覧車のギフトカード。
そして、数名の寄せ書きが書かれている。
「わたしたちのテーブルで書きました」と、初めて出会った
人たちが、このカードに寄せ書きをしてくださった。
なんと、気が効くというか、驚きのギフトだ。
たまたま同じテーブルになった人たちの思いが綴られた
オンリーワンのスペシャルカード。

どうやら、ベトナム?海外の町に先日出向かれたときに、この
カードをみつけ、「あ!」と思って入手し、会場へ持参されたよう
だ。どんな人と同じテーブルかな・・と思いつつ、会場に向かわ
れたのかな。とその人のわくわく?の気持ちを想うと、そこも
思わず笑顔になる。

観覧車といえば!!と思い出してくれる人がいてくださること
が本当にうれしい。その方は世界各地で観覧車をみつけると
その商品をお土産にくださることがあり、いただいたものの
パッケージは捨てられない。
今回、また、お宝が増えた。

寄せ書き・・・ひとつの空間に、心を寄せて
みんなでメッセージを残す、素敵なコミュニケーション。
手書きというのが、またいい!ありがとうございました!!

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空の応援団からにも感謝!

1年ぶりの新潟モノリスでの愛の元気人スペシャルディナーショー。
おかげさまで無事開催、無事終了。
お客様がおいでになるとき、お帰りになるとき。
いずれも笑顔でお話しできたが、終了後の笑顔の交換は最高の歓び。
「来て良かった」、「聴けて良かった」、「楽しかった」、「感動した」
と言ってもらえることで、安心する。
施設の演奏も、どこでの演奏もそれぞれにベストを尽すが、
昨日は昨日の素敵な晴れ舞台(まさに!)は、より一層のやりがいも増す。

時間もあって、演出も選択肢が多く、いろんなことができるから。
ひとつのショー、エンターテイメントを作り出すことができるから。
自主企画の楽しさでもある。
演奏だけでなく、その場、空間を創造すること。
それは、コミュニケーション・クリエイターとしてのやりがいになる。

いつまで、できるのだろう。
いつまで、来ていただけるだろう。
長年やってくると、いろいろ考えることも多くなるが、
それだけに、これまで以上に全力投球しようという気持ちになる。

今回は、空の応援団席にも多くの方が来られた様子。
あるお客様の娘さんから、
「うちのお母さん、きっと今日お邪魔すると思うので、
うるさくしないように、言っておきますね」とメッセージを
いただき、その方のお元気な時代、楽しい笑顔を思い出し、
胸があつくなる。

そう、だから、空にも届くように弾いた、歌った、語った。

みなさん、いかがですか?
空からの眺めはどうですか?
ひとり、そんなことを思いながら
時々、上を向いて演奏、
最終プログラムまでつとめあげる。

新潟は京都と同じく、心のふるさと。
ここは、大人になってからのふるさと。
ふるさとを感じさせてくれたのが、この町。
あたたかい人々と、これからも一生、お互いに「ひと・文様」
を紡いでいけたら・・・。

多くのご参加、ご協賛、応援。大変ありがとうございました。
今日からまた新たな1日、新たなテーマ。
生きている限り、必要とされる限り、喜んで!

空の応援団は、そんな私を、いつも見てくれている。

今回久しぶりに再会した、ラジオ番組「愛の元気人」時代の
編集仲間が撮影してくれた撮影に駆けつけて下さったことも
ありがたかった。ここにその一部を。

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空の応援団に見守られ

今日は新潟でのディナーショー。
いつも企画してから本番まであっという間に時間は
過ぎる。
なんとか、準備もほぼ整ってきた。
でも、前日でもいろんなことが起きる。
そして、今日もきっといろんなことが起きるだろう。

でも、うまくいく!

これだけを信じて、とにかく祈る。
何に向かって祈る?
見守ってくれている父母、これまで足を運んでくださった
けれど、もう会えない人たち・・・。
みんな空の応援団として、ずっと見守ってくれるはず。
と信じている。

昨日も、参加できないけれど盛会を祈っていますと
いくつかのメッセージをいただく。
覚えていてくださるとは、感激だ。

ふと昨年の様子を思い出して、今日もこんな世界を
創り出したい。
絶対に、うまく行くように!
と念じる。

空の応援団、よろしく頼みますよ!

今、一番気になるのは 無事に新潟に着陸できることだ。

ご参加いただける皆様、各地から応援いただける皆様に
感謝を込めて。

これが最期かも。と今回も思いながら、全身全霊で
力を尽くしたい!

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待ってくださる方たちへ。

施設にお住まいの方々がこれを作ってくださった。
昨日行ったコンサートのためのポスターだ。
コスモスが立体的に、風車のように見える。秋を彩るさまざまな
モチーフを形作り、塗り絵をして、スタッフの皆様のご尽力あって
このコンサートのためにご用意いただいたのだ。
この施設は、以前、父が最期までお世話になった。だからより
一層の思いがある。
最後の何か月は、毎日のように通い、また父がいるときも
コンサートにお邪魔したこともあった。
同じ場所に足を踏み入れたとたん、あの日々が蘇り、と同時に
今も変わらずスタッフの皆さんが献身的に利用者に家族のように
接しておられる様子を見て、こちらもパワー全開となる。

1時間マイクなしで、しっかり大きな声で、歌い、弾き、話し、
皆さんを楽しい音楽の世界にいざなった。
「さあ、一緒に楽しみましょう。さあ、ご一緒に!」
私のパフォーマンスを見て、スタッフの皆さんも率先して
手拍子やダンスを披露され、会場は盛り上がる。
認知症の人が多いなかでのコンサートは、どうすれば響くか。
回数を重ねてわかってきたことがある。
ひとり一人に寄り添って、演奏すること。話しかけるように、
一緒に会話をしているように、あの頃にいざなうこと。

昨日も途中、涙を流しておられる方が何名かおられた。
あとで、
「泣けてきたわ。いろんなことを思い出して」
「泣けるということはいいことですよ。」
何か溜まっていたものが、涙で流されて、心が浄化される。
すっきりされた感じを受けた。

楽しみにしてくださる方。
おかげさまで、この1週間に3回のステージ。
会場も対象も毎回異なるけれど、どんなときも、どんな場所でも
今日出会う人に向き合うこと。

ありがたいポスターを背に演奏できる幸せ。
歓迎されるということの歓びを味わうことができ、しあわせだ。

「せんせ、また来てね」
「はい、またお会いしましょう」
いつまでこの記憶が残っておられるかわからないが、
それでいい。その時が幸せ、その瞬間が最高であれば。

さて、今日からは、また切り替えて新潟に向けて、準備を整える。
ちょっとハードにしてしまった今週の活動計画であるが、
最後までやり切る。

さあ、次の世界へ。
待っていてくれる人がいる限り、進む。
それが生きる力の源泉となる。

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「存在と無」を巡るひととき。

久しぶりに、長年お世話になってきた方との再会。
限られた時間ではあるが、食事をとりながら、近況報告、
情報交換を行いながら、人生の話へと話題が移る。

仕事で出会った方ではあるが、ドラマチックは出会い
であった。その後、約四半世紀、家族のように思っているし、
そして何よりも、人生について先輩としての考えを聴かせ
ていただいたり、意見交換をしながら、深い話ができる
関係として、つながりを持ち続けられることが何よりうれしい。

おそらくその方とは、根底につながる、通じる心がある。
だから絶対の信頼もあるし、何かあったら駆けつけようと
気持も変わらない。
肩書生活から卒業された今は、より自由に自分らしく、
社会のお役に立とうと活発に動かれている姿。それを見ると、
うれしくなる。
肩書生活をピークに生きる人生はなんともわびしいものがある
が、その時代を越えて、気力衰えることなく、ますますその人
らしさがにじむ生き方はとてもしなやかで素敵だと思う。

会食の後半は「生と死」の話になる。
20年前では絶対しなかった話題だ。
生きているということは有。存在している。ここにいる。在る。
しかし、死んでしまえば、すべては無。
無のことを考えてもしようがない。わからない世界なのだから。
そこを想像して、不安がっていてもしょうがない。
無は無でしかない。
それよりも、今、ここに在るこの自分をいかに燃焼させるか。
そこに全力を注いだ方がいい。
瀬戸内寂聴さんの考えからの影響もあるようだ。
確かに、あの方は、よく、存分に、生きたお方だった。

死を恐れる必要がない、不安に思う必要がない。
そんな考え方になるのは難しいかもしれないが、何事も
考えようだ。
ないものはない。
人はいつかなくなるのだ。

それだけのこと。
ただ、そのいつかがわからないのが、不安を招くのだろう。

でも、その最後の時期がいつなのかがわからないのは、皆同じ。
そこは人類平等だ。

平和な社会で、健康に生きられ、自由な発想、行動ができる
この人生を無になる直前まで謳歌すればよい。
永遠に続くものではないという覚悟を持ちながら・・・。

いろんな話しをしたけれど、近いうちの再会を約束して
元気に分かれる。いい時間を過ごしたと、さわやかな余韻。

存在と無。
このことが今朝も頭に蘇る。

今は存在する「私」。生きるのみ。自分らしく存分に。
昨日お会いした人生の先輩、兄ちゃんもきっと
今日も存分に、自分らしく、楽しく過ごされるだろう。

こんな会話がずっとしたい。
でも、それもいつかの期限があるだろうが、その日が来るまで
刺激を受け、感謝の気持ちで、恩返しをしたい。

いつか無になるけれど、今は在る。新しい朝に感謝。

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何事も自分ごととして。

能登の被災地の様子を映像で見るにつれ、
まもなく2年経とうとしているのに・・・。
最近、実際に現地に行かれた方によると、まだまだ大変な状況
であるとのこと。
これから寒くなるのに、住民の皆さん、どんな思いでおられる
かと。

一方、病に倒れ、ピアノが弾けなくなってしまった方のこと
を想う。
どんな思いで日々過ごされているだろうかと心が痛む。

災害も、疾病も・・・。いつ自分の身にふりかかるかわからない。
自分に無縁のことなど、何もない。
たまたま、今日まで、この瞬間まで運よく来ただけのことだ。
それが未来永劫続くと思ってはいけない。
だからこそ、たまたまの今のラッキーを存分に生かさなければ
もったいない。悔いが残る。

どんなことも自分事として、寄り添えるとき、寄り添える相手には
心を尽くして、後悔がないように生きる。
他人事は必ず自分事になる。

今日もセーフ!今日もラッキー!今日もありがたい。
全力で生き、全身で「今日」という、瞬間のつながりを楽しみたい!

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「歌のブーケ」に花のお返し。

地元のデイサービスに呼んでいただき、演奏に出かける。
「マーサ秋のスペシャルコンサート」と、壁面にしっかりタイトルを装飾して
あり、いつもながら、準備してくださるスタッフに感謝の気持ちが湧く。
ひとつひとつの葉っぱ・・・利用者さんたちと一緒に付けてくださったのかな。
どんな気持ちで皆さん、ご用意いただいたのかなと・・・。

20名ほどの利用者さんと地域の方の見学もあって、会場は満員。
皆さん、予定していた開始時間よりずいぶん早くおいでになり、待っていただく。
楽しみにしてもらえていることは、本当にうれしい。

40分ほどの時間を、ともに歌い、聞き、考え、話し・・・・。
回数を重ねることで、こちらも相手にあわせたパフォーマンスができる
ようになってくる。
認知症であっても、今が最高という時間をお届けできたらうれしい。
マイクなし環境であっても、耳が遠い方には、大きく語り掛けるように、
そして口も大きく開いて話し、歌う。

日本の名曲をアレンジして歌いながら、ともに「昭和の時代」を懐かしむ。
最後は最近コンサートで締めに歌っているわが新曲「歌のブーケをあなたに」
を歌った。
すると、見学に来ていただいていた方(元八百屋さんで、父母もお世話になっ
た方)が、すっと立ち上がり、前に進んで花束を渡してくださった。
歌のブーケの後に、本物の花のブーケをいただくとは・・・。
会場の皆さんも「おお~」とびっくりの大喝采。
とてもうれしい結びとなった。この方はこのコンサートに来られると、花を
もってきてくださる。
その後、そのブーケをもってお墓へ行き、知り合いの方のお墓などにお花を
お裾分け。
「みなさーん、お花ですよ~♪」てな感じで。

今回も心温まるドラマチックな時間となった。
「サインください」と言ってくださったり、涙を流し続けておられた方・・。
一晩たっても、その人のことが忘れられない。

音楽は、人の心を洗う。
音楽は、人の心の傷を癒す。
であれば、いい。

人が喜ぶ、しあわせになる活動、仕事。
これができること自体が、しあわせだと思う。

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衣装日記が必要だ?

これから数日の間で3回のコンサート。
そういえば、カレンダーにはそう書いてあったし、それぞれ
の企画のことは頭にあるが、1週間のうちにそれだけあると
いう認識は薄かったので、急に「そうだった~!」と
現実モードになる。

まずは、本日のデイサービスでの演奏会。地元の皆さんが
待っていてくださる。
そして、来週前半のグループホームでの演奏会を終えて、
新潟でのディナーショーへ・・・。
それぞれ違う地域、お客様、企画内容も規模も異なる。
どれも大切につとめあげることが大切だ。

そんなことを思いながら、衣装選びも大事な準備。
遠隔地の場合は、先に会場に送っておかねばならない。
さて、この会場では前回何を着たかな。ここでは、前回は?
ここは初めてだからこういう感じか。
と過去の写真を見ながら、クローゼット、押し入れを
行ったり来たり。

衣装日記を付けていたら良かったかなあ。
瞬間頭をかすめるが、それが必要なほどステージの数は
多くない。
ただ、いつも新鮮であり、自分らしさが出るといいし、
季節感も必要である。

そんなわけで、とにかく今朝から衣装選びで、ごそごそ動いている。
これをすることで、気持ちが本番モードになって緊張も高まる。
もちろん衣装だけではなく、忘れ物がないように用意を
しっかりしないと。
その前に、演奏の準備もしなければ。
おっと、その前に演劇の音の録音もあったなあ・・・。

と、この1週間は私の文化ウィークとなる。

まずは、今日、お客様に笑顔と元気をお届けしたい。

と、過去の写真をふりかえる・・・。
まだクリスマスには早いけど、赤にするかな?
などなど、考える瞬間もお客様の顔が浮かんでくる。

※写真は過去のクリスマスコンサートの様子

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〇〇のような観覧車?

日々、何かとすることが多い。
「ああ、今日は何もない。ゆっくりしよう」
という日はあまり記憶がないようなわが半生。
きっとこのまま、突き進むのだろう。

とにかく何かしら仕事ややらねばならないことが、どんどん増えて
それをこなしていくという生活が続いている。
まあ、自分が言い出しっぺということも多いのでそれは自業自得。

ひとつのプロジェクトがはじまっても、想定していないことは
必ず起きる。そのとき、こうしたらいい、ああしなければと
いろんなことが沸き上がる。
であれば、こうしなくちゃ、これが先だ、これは誰に・・・という
具合に、その課題をこなしていくためにさまざまな to do が
頭に浮かぶ。
仕事をうまく進めるには、大きく考え、そして細かく動き、
それを一つ一つ確認していくステップが不可欠になる。

どんなことにでも、自分事にしてしまう癖があるせいか、
放っておけない。知らないふりはできない。
だから、こうした方がいいとか、ああしないと伝わらないとか
思い立ったらすぐ行動してしまう。

うまく進むように繋ぐ、結ぶ役割。
コミュニケーションクリエイターは、そういう仕事だったのだ。
と日々の目まぐるしさの中で、自分の存在意義をかみしめる。

浮かぶと、気が付くと、仕事は増えるけれど、
浮かんだら、気が付いたなら、やればいい。

と、今日もジェットコースターのような?フルマラソンのような
観覧車の1日がはじまる。

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織りやすい、織られやすい糸。

コミュニケーションとはまさに織物を織るような仕事、
営みであると思う。
縦糸、横糸それぞれがうまくきれいに絡んで、1本の線が
面になり、ひとつの世界を創り上げていく。
どんな柄、どんな色の織物をつくりたいか?
作家はその出来上がりを想像しながら紡いでいく。
その作業をすすめるには、それぞれの糸がきれいに整えられている
ことが前提だ。

この織物を組織に例えてみる。
働く人それぞれは糸。そのいろんな色、太さの糸が絡みあって、
ひとつの織物ができる。
織物は商品であり、企業そのものである。
糸がほつれたり、切れやすかったり、あるいはへんな絡まりに
なっていると、その糸自体をきれいにほぐし、使えるように
する無駄な作業が生じる。

仕事を気持ちよくすすめるために、ひとり一人が
重要な1本の糸であることを意識して、お互いを理解し、
いい仕事が一緒にできる状態をそれぞれが心がけたい。

そのためには人間関係が大変重要。

糸がほつれたり、ぐちゃぐちゃになっている状態をほぐす
そんな仕事もときにあるが、この絡まりを直すには
ときに時間がかかり、手間もかかる。なかなかほぐれない
こともある。
そうならないように、日ごろからお互いの糸を理解し、
お互いに一緒に仕事をしていく仲間であるという
意識を持ち続ける努力が不可欠だ。
関係のちょっとした異変にも心を配り、
気づいた段階で、すぐに対応。
織物を織ることは、折り合いをつけていくことでもある。

織りやすい、織られやすい糸とは、
社会を意識して、協調していける存在ということ。
へんな絡まりができないように、日ごろから
の関わり方を意識したい。

いいところを認め合う、感謝しあえる。
これがあれば、へんなもつれはなく、
いい仕事ができ、素敵な織物ができるだろう。

出来上がりの作品を一緒に思い描いて、それに向かって
自分の仕事を進めること、役割をまっとうすること。
その背中を押し続けたい。

いろんな経営者、管理職、スタッフの皆さんの
顔が浮かんでくる。

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