自由席の不自由

交通機関を利用するとき、多くは指定席を予め予約する。
計画通りに動ける前提であれば、予約しておく方が
安心だ。
飛行機は全席指定であるし、新幹線や特急も全席指定という
時期、列車もある。
混雑を避けるため、また安全面を考えての施策であろう。

自由席。
名古屋~京都間の自由席は慣れている。
こだまや、ひかりを利用すれば、自由席もゆったりしている。
しかし、のぞみの場合でも、
京都~名古屋間であれば、立っていても大丈夫。
それぐらいは平気。

東京~名古屋間の場合は・・・。
インバウンドも含め、コロナ後、乗客が増えたせいか、
自由席は1号車と2号車だけになった。
以前は3号車も自由席であったため、この変更は大きい。

始発であれば大丈夫かと思い、東京~名古屋で自由席を初めて
試してみた。
少し早めに行ってホームに並ぶ。まだ数名しか並んでいないので
これなら座れる。
と安心して、到着後の掃除を待って1号車に乗り込む。
希望する通路側の席もとれて、自由席でも座れたと安心していた。
すると、出発時間が近づくにつれ、どんどん人が乗り込んできた。
へえ。もう席もないのに・・・。それでも乗り込んでくる。

自由席の通路に立つ人もいる状態で、東京駅を出た。
品川、新横浜でどんどん人が乗ってくる。
すでに席はないどころか、通路にまで人があふれている。
しかもそれぞれ帰路につくので、大きな荷物をたくさんもっている。

私は通路側に座っていたため、横の通路に多くの人が立つ状態
になり、緊張状態になった。
へえ、新幹線でこんな通勤電車みたいになるのか?
普段、指定席しか利用しないので、こういった現象に慣れていない。
新横浜~名古屋間は90~100分。
その間、ずっとその状態?トイレにもいきづらい状態。

でも、立っている人の方が大変だ。1日動き回って疲れて座りたい
ところ、休みたいところ、立つしかない・・・。
荷物を通路に置く人、通路に座り込む人、しばらくして立ったまま
弁当を食べ始める人・・・。
さすがに、自分の目の前に座り込んで、眠っている若い女性を見て
これが新幹線の光景かと思った。その女性の背中を見ながらの
移動という異常な光景。

スマホを見ると、立っている人に見られてしまうので、それも
遠慮がちに。
とにかく早く着くようにと目を閉じ、時間が経ち、無事に
目的地に着くことだけを祈る。

ここで事故でもされたり、大雨で列車が止まったら、さらに
困ったことになる。
新幹線の満員状態は危険を感じる。

浜松、豊橋、そして三河安城・・・。
流れるように駅を通過するごとに、早く着いてくれ~。
到着時間を何度も確認して、あと何分、あと何分・・・。

立っている人もしんどかっただろう。
途中で席を代わってあげられたら良かったけれど、
こちらも疲れていたので申し訳ないと思いつつ、
じっと目を閉じて座っていた。
座っているのも心苦しい、自由席。

アナウンスと音楽が流れ、まもなく到着・・・。
やっと着く、この混雑から解放される・・・。

人混みの列車を無事降りて、多くの荷物をもって
改札に向かい、タクシーに乗り込む。
ふー、タクシーは混雑がない。快適だ。

こんなに疲れた新幹線移動は久しぶりだ。
自由席はどの列車にも駆け込める点ではまさに
自由であるが、時期や時間によっては大変不自由な
列車になり、決して快適とはいえない。

指定席の通路に人が並ぶことはないため、自由席
の不自由さを痛感し、正直、懲りた。

これはあくまでもエリアや時期、時間帯にも
よる。
飛び乗れる便利さを優先する場合は、自由席で
良いだろうが、東京からの移動は要注意。

立ったまま、うなぎ弁当を食べていた人を
思い出す。
本当は、座って、よし!と意気込んで一口
づつ味わいたかっただろうな・・・。
と勝手に想像。他にも立ったまま弁当を
食べる人もいた。
自由席ならではの光景。

JR東海に言いたい。
のぞみの自由席は以前のように
1号車から3号車に!と。

そんな不自由で疲労がたまる移動は
そのうち、何か起きそうだ。



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防災でつながる新潟縁

久しぶりの新潟での週末は、防災国体・防災産業展。
地元企業さんの出展のお手伝いをしながら、県内外の出展者や
来場者の方と交わる。
今回お手伝いした企業は「ローリングストック」をアプリ活用で
推進するしようとするサービスと、ドローンの自動撮影とAI分析
で震災復旧支援をするサービスの2つを提案した。
なんとかこの展示会に間に合うようにと、準備に奔走した前日まで
にパワーを使い、本番1日目は体力気力のある限り、慣れない立ち
仕事を頑張られた。
ブースに立ち、会場を回るなか、何名かの方に声をかけていただいたり、
ありがたい事に、仕事があって時間がないけれど、顔が見たいから
やってきたという方がおられ、驚きながら感動する場面もあった。
新潟に通うきっかけになった仲間、新潟県の仕事での最初の担当者、
以前勉強会に参加いただいた企業さん、今まさにサポートしている
企業の社長さんが家族で訪ねてくれたり・・・・。
防災士として活躍する仲間が常に防災に関する情報を流していただける
おかげで、今も新潟の防災への取り組みについては、常に身近に感じて
いる。
今回の展示会では、10年以上前に関わった企業さんが、今は転職して、
防災に関わる仕事をされていることも知った。
確か、以前は町工場を経営されていた方だ。
「紫色の服を着ている小さい人、絶対そうだと思いました」と声を
かけていただいた。以前お会いしたときと違う印象。
積極的で自信に溢れた話し方は新鮮で、笑顔も素敵。あれ、こんなに
話す人だったかな。
「話さないと食べていけないということを、教えてもらったんですよ。
その節は本当にありがとうございました」
と言われ、本当にびっくりして、胸がいっぱいになった。
今は被災地の救援活動や復旧工事のサポートをする会社で安全マスタ
ーという役割で活躍されていると聞き、転職して人はこんなに変わる
のかとその成長ぶりに思わず、胸がいっぱいになる。
ここで会えるとは・・・。リアルなコミュニケーションには、
いろんなドラマがある。

などなど、防災をテーマに懐かしき新潟の仲間たちとの再会、
またここでしか出会えない県外の方との新たな出会いもあり、
ありがたき1日目となった。
準備にパワーを使い果たして、慣れない立ち仕事で疲れもピーク
であった企業さんにとっても、手応えを感じる1日になったと
思う。

中越、中越沖地震の経験を生かした防災への取り組みは20余年
経った今も途切れることなく、むしろ全国の活動を牽引しながら
加速、発展している。

初日終了後、
久しぶりに会場エリアの高層階から新潟の夕陽とも再会できた。
ああ、やっぱり新潟だなあ。
心の故郷であり、人の優しさを包み込む豊かな自然。

ああ、この景色。久しぶりだ。
この町で出会った人々との記憶が、夕陽の光から浮かび上がる。

さて、今日は最終日。
どんな出会いがあるだろう。

防災でつながる新潟縁。大切に育み続けたい。

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未完の防災サービス、手作り発信。

DX支援をすすめる企業の社長さんとしばらくの時間をかけて、二人で取り
組んでいる防災プロジェクト。
自分たちの問題意識を、自らができることでカタチにし、少しでもお役に
立てたら・・ということで、はじまったこの活動。
まだ実は完成ではないけれど、IT業界でいえば、まさにアジャイル方式の
?と勝手に解釈して、作りながら世に問い、また改善をしながら完成
に向けていく。いや、モノではないシステムの世界では完成はないのかも
しれない。どんどん進化していくのであるから。

ということで、本日から開催される新潟国体と併催のにいがた防災産業展。
そこにまさにシニアプロジェクトが発表するサービス名がこちら。
(上と下)
IT企業の社長の四半世紀の経験と技術力を見える化し、反応を見る。
被災経験をお持ちの方だけに、思いも籠る。そのプロセスに寄り添いたいと
思った。

ドローンもAIも、そして「ローリングストック」も防災の世界では重要な
テーマ。「いざに備える」ために求める方のお役に立てれば何よりだ。

せっかく考えたネーミング。新潟で生まれたサービスでもあるし、
新潟のアーチストに依頼してみよう。ということで、親しくさせていただ
いている書家のこうすいさんに筆をとっていただいた。
(わがアルバムのジャケットなどでも、いろいろお世話になっている)

デジタルコミュニケーションが優先される世界で、手書きのポスター
は映えると確信しての挑戦。何度も打ち合わせして、仕上げていただ
いた。書を展示会に、しかもITの商品告知に使ってみるのも新たな
経験。

未完成のまま世に問うのもあり。
恐れず公開する。この太っ腹な社長に、共感と寄せ、エールを送る。
そんなわけで、今日明日は新潟で防災づくりの2日となる。
https://niigata-bousaisangyoten.pref.niigata.lg.jp/

一人でも多くの方に出会いたい。新潟での週末は久しぶりで心も踊る。

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ボテロなるものへの思慕。

母が生きた最後の年、せめて楽しいカレンダーを飾って
あげたいと思い、大好きなフェルナンド ボテロの絵の
カレンダーを壁にかけていた。
「これ、おもしろいなあ~」
心身ともに弱りかけていた母にとっても、あの丸っこい
まさに名前のごとく「ぼてっとした」ユーモラスな
絵は、癒しと楽しみになっていたようだ。
太った男女がタンゴを踊っている絵がとても好きだった
ので、今もカレンダーはそのままにしてある。

ボテロの作品を初めて見たのは、海外の美術館だった
かもしれない。釘付けになりながら笑みを浮かべる。
この不思議な感覚。
一度見たら忘れない ふくよかな形とやさしいタッチ。

南米の作家だからなのか、それまでの西洋画とは違う
庶民的な人間の暮らし、人々の生きる活力をも感じる。
私もタンゴを踊る男女や、楽器を奏でている作品が、
とても好きだ。

平和を愛を感じる、まるっとしたボテロの作品。
残念ながらその画家は昨年この9月15日に生涯を終えた。
でも、作品がある限り、ボテロは愛好家にとって永遠だ。

話は少し変わるが、ここのところ朝レタスが気に入っている。
岐阜で仲卸をされている会社が運営する八百屋さんでいつも
調達する信州のレタス。とても大きくて、丸っこくて・・・。
レタスは包丁でではなく、手で1枚づつはがして、ちぎる。
丸いレタスに触れながら、ボテロの絵を思い出す。
毎朝の儀式になりつつあるが、ほんわか幸せを感じる瞬間だ。
丸いモノには平和と愛の神様が宿っているのかと思うほどに
この形に惹かれる。

レタスとボテロ・・・。
面白い関係だと一人で楽しんでいたら、
ある画家の方が、「ボテロを見ていたらパンを描きたくなった」
ということで、まるっこい、大きなパン、まさにパンの肖像画を
描いておられることを知り、興味を抱く。
その方が描く丸いフランスパン(ブール)の絵を写真で見たら、
なんとも焼きたての美味しそうなパンが永遠の命をもちつつ、
そして見る人に幸せを与えているように感じた。
この画家にも今、興味を抱きはじめている。
ボテロとパン。
これも、大変面白い。

ボテロなるもの。
ふくよかさって、しあわせとやすらぎを感じる。

これはきっと叶わない夢に終わるが、
ボテロが生まれたコロンビアのミュージアムを訪ねて
全身ボテロなるものに包まれてみたい。と思う。

愛と平和の証し。
西洋美とはひと味違う、人間愛を感じる。
ボテロから見た、目指す世界があのユニークなカタチに
込められているのだろう。

と、今朝もレタスをちぎりながら、ボテロを想う。

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自分から離れ、相手に近づく。

日々、さまざまな人との面談、交流が続く。
多業種、異なる世代、違う職場、環境、国籍・・・。
とにかくいろんな人とコミュニケーションし続けることは
「人間を知る」という点で、何年やっても飽きることがなく
自分自身学びが多い。

たとえば悩む人がいるとする。
多くは自分の思いが相手に伝わっていないこと、
自分の思いと現実が違う、思うように進んでいかないことへの
焦りや不安があって悩まれることが多い。
私は悩むことはとても良いことだと思っている。
それは、良くしたい、なんとかしたいという思いの現れであるから。

この状態で相談を受けたら、いろんな角度から言葉をかけることで
気づきを得てもらえることも多い。
自分中心であった考えを、相手の立場に立ってみる。
すると、どうして伝わっていないか、どうしたら伝わるかのヒントも
得られる。

一方、もう悩みを越えて、結論を出してしまった人。
この人はこういう人だから、と自分なりの答えを出して、
悩まないように自分の行動をコントロールし、相手と距離をおいて
生きていく人もいる。
自分と合わない人、違うと思う人とはわりきって、積極的に関わらない。
それもよく理解できる。冷静になるために、その方がよい瞬間もある。

ただ、見方を変えれば、相手の良いところも見えてくるので、
それも忘れずにいたい。。
良好な関係を築くことを、意識し続けたい。

自分の殻のなかから相手を見る、世間を見るだけでなく、
ときに自分を自分の外に出してみて、相手にはどう伝わっているだろう、
どう見えているだろうと
「見られている、見えている自分」を想像してみたい。

それは少し勇気がいるかもしれないけれど、
きっと答えがみつかる。
うまくいかない理由は、自分が見えていないことにあるのかも。

一歩外へ。そうすれば心も軽くなる。

と、日々、学びをいただけることに感謝したい。


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もぐらたたき、ぐるぐる登山。

毎日、何かしらの課題解決に向かい、時間とにらめっこ
しながら動いている。
いつまでに書かなければならない、いつまでに終わらせなければ
ならない、いつまでに決めなければならない。
このミーティングのゴールはこれ。だからこうしなければ
ならない。

もちろん一歩先のことまで考えて生きている意識はあるけれど、
結局目の前のことに追われる日も多い。
こっちをやっていると思えば、あっちから連絡が入り、
そうかと思えば、なに~?と思うようなこちらからすれば
言ったはず、合意したはずなのになんで?と話が逆戻り。
トンチンカンに思える相手の反応に首をかしげながらも、
前に進もうと踏ん張る。
メールもチャットもZOOMも便利であるが、ひとたび壊れると
環境が悪いと、コミュニケーションにも支障が出る。
結局、電話する。毎日、ぐるぐる もぐらたたきの暮らし。

思えば、ここしばらくそういう日々を過ごしている。
仕事は、人生はつくづくコミュニケーションだと思う。
やりとりの中で起きる、ズレはあって当然。
人の理解は、自分が思っていることと違う場合も多い。
だから何度も伝えあう、念を入れての確認は必要。

そんなこんなで、時に血液が逆流しそうなときも
あるが、少し落ち着いて
一杯の炭酸水。あるいは濃いめの紅茶。
一息ついて、相手は相手でがんばっている、一生懸命
なのだと相手のことを想像してみると、まあいいか。
と落ち着き、次の手を考える。

毎日それぞれの仕事のゴールを思い浮かべながら
それぞれの山が、ちゃんと頂上までたどり着けるように
ぐるぐる回りながら、昇っていく。
は?なに?なんで?そうなんだ。ま、いいか。
そんなことを毎日繰り返し、それぞれのゴールに向かい
背中を押し続けている。

それがすべてうまくいくことが、力になり、信頼につながる。

さあ、今日もぐるぐる。




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最初の1000歩。

朝早く、元気にスタートするために新たなアクションを追加。
あまりに暑い日々なので、外出を控えたい。でも体を動かしたい。
というころで時間が少しでもあれば、室内を気分転換に歩く
ことにしている。
狭い部屋でも、やりようはある。

とくに朝目覚めてまもないうちに、最初の1000歩を始める。
猛暑のおかげで、生まれたこの新習慣。
朝の1000歩は、今日の予定を確認しながら、頭を整理するにも
良い時間だ。歩いているうちに頭がさえてくる。

小さなことでも、新しい挑戦は必ず発見につながると
今回も確信。

歩きながら、考える。
ベートーベンも散歩しながら、楽想を練ったりしてようであるし、
また親しかった作家のNさんも生前、毎日 散歩をされていたが、
執筆にも効果的なエクササイズだったと思う。もちろん街を歩けば
目に飛び込んでくるものも新たな発見になるので、これはこれで
効果的。
室内でも何かを聞きながら歩けば、インプットの時間としても
一石二鳥となる。

と、今朝もすでに1000歩済ませて、本格稼働。
毎朝やることが、どんどん増えている。

さらに早起きすることになるが、
朝が長い分には、良い。
朝は1日の活動の源泉だ。

「3歩歩いて2歩下がる♪ 」という歌があったが
1000歩も歩けば、もう後ろへは下がらない。
前進あるのみ。

という発想で今日を、新たにはじめる。
行けるところまで、行こう!

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もし、自分だったら。と考える。

8月は戦争に関する話題に多く接することができ、
新たな世界をさらに知る機会に恵まれた。
まだまだ、知らないことが多すぎる。
半世紀以上生きてきているのに、なんという無知なのだと
学校の教育にも疑問はありつつ、自分の不勉強も反省しきり。

もし、自分が当時生きていたら、こんな立場であったなら・・・
と考える。
もし、自分が戦争未亡人であったなら・・・。
父親が戦争に行かされ、そのまま現地で亡くなり、
遺骨もみつかっていなかったら・・・。
もし、自分がシベリアで抑留されていたら・・・。
戦争孤児になっていたら・・・。
もし、自分が中国人だったら、アメリカ人だったら、
ユダヤ人だったら、ドイツ人だったら・・・。

いろんなことを想像してみる。
どんな20世紀であったのだ。知れば知るほど驚き、
ショックをうける。
戦争がもたらす、取り返すことのできない苦痛、苦難・・。

経験された先人が絶対戦争はいけないと言っているのに
広島や長崎がその悲惨な例を示しているのに、
それでも、まだ今、人間業と思えない悪行が続いている。

そんな現状のなか、ご自身の御父上が戦死されたジャカルタ島に
何度も通い、遺骨収集を続けておられるご婦人の存在を知る。
もう80歳を越えておられる。自分の親たちと同世代。
ご自身の親だけでなく、同じく同じ場所で戦死された方たちの
遺骨も一緒に収集されているそうだ。
大変な作業であるのに、それを何年も続けておられるその
思いを想うと、もし、自分が同じ立場だったら・・・と思う。
同じことをしているかもしれない。

80年経っても家族の元に帰ることができない多くの人々。
戦争が奪った多くの命のひとりが、自分の愛する、かけがえの
ない存在であったら・・・。

戦争を体験していないことは幸せなことであるが、
その現実を知らないと、平和のありがたみは理解できないと
思う。
だから、もし自分だったら・・・と想像してみよう。
そして、できることを始めよう。

今日から9月であるけれど、終戦80年は終わらない。
引き続き、事実を学び、平和を希求し続けたい。

今日は母の誕生日。生きていたら85歳か。
もし生きていたら・・・となっていることは寂しいけれど、
ずっと忘れない記念日である。
時々戦後まもない時代の話をしていたなあ。
と改めて思い出す朝である。

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「和敬清寂」を心に刻み・・・

8月が今日で終わる。戦後80年の8月。終戦記念日15日を踏まえ、
さまざまな戦後の情報に接し、考える夏となった。

そんななか、茶道家の千玄室さんが14日に102年の生涯を閉じられた。
特攻隊として戦争を体験されてきた千さんが伝えられてきた、茶道
を通じての平和への願いは、改めて多くの人々の心に刻まれたこと
であろう。

千さんが生前話されていた映像のなかで、「和敬清寂」という言葉
が大変印象的だった。なんでも千利休が残された言葉だそうで、
その精神を代々受け継いでこられている、そしてその言葉を時代の
変化に対応しながら体現されてきたその活動、その生涯に改めて
頭が下がる。
この言葉の意味は、
「誰とでもと仲良く、相手を敬い、清らかな心で、何事にも動じず。」
簡単にいえば、そういうことであろうが、それを千玄室さんらしい表現、
京都弁を交えながら、笑顔で若者たちに語っておられた。
ああ、生前にもっと知っておけばよかったという無知への反省もあるが、
偉大なお方と同時代生きることができたことへの歓びも沸き上がった。

茶の心とは平和への伝道の道であることを学び、それを貫かれた
人生を素晴らしいと、心から思う。

今日で8月が終わるが、終戦という節目を決して忘れず、戦争なき日本で
いられるように、そして世界中が平和であるように、願いを込めて
生きていきたい。

千さんのように大きなことはできないけれど、自分もできることを
やり遂げ、平和な社会を目指し続けたい。
「和敬清寂」の心をもって・・・。


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防災×にいがた×〇〇

9月1日は母の誕生日であるが、その日は防災の日だ。
102年前、関東大震災が発生した日・・・。
そんなこともあり、その日は忘れられない記念日として
いつも覚えている。

その「防災」。
新潟に通いはじめる前に、あの中越地震があり、その後
中越沖地震も・・・。その前に新潟の知人は少なかったが
この震災経験がきっかけとなり新潟で多くの人々、企業の
皆さんに出会うことになった。
新潟での被災経験を活かそう・・と、がんばってきた
地元の皆さんの努力、奮闘を見ながら、広報面等でできる
お手伝いをしてきた。
今から思えば、それがあったから、自分のなかで防災
意識もそれなりに芽生えた。
その後、東日本大震災もあり、さらに危機意識をもって
生きるようになった。

防災士という役割を知ったり、災害食の認知向上に関心を
もったり・・・。これらはすべて新潟での出会いのおかげ。
来週、新潟では「ぼうさい国体」が開催され、同時開催で
にいがた防災産業展も行われる。
私のなかで「防災」×「新潟」×「〇〇」のイメージが
広がる。そんななか、ローリングストックという考え方が
浸透しつつあるが、それに着目されている人たちとの新たな
出会いもあり、さらにはITの力で何かできないかという発想
にもなる。そして商品開発や啓発活動にもかかわることになる。

思いがあれば、問題意識をもっていれば、いつどこで、どんな
出会いがあるかわからない。
今、防災×にいがた×〇〇というテーマで新たな観覧車が
回り始めている。
今日は岐阜で防災に取組む方にお会いする。ここもまた
つながっていくかもしれない。

思っていれば、つながる。行動すればつながる。
やはり、ここでも人生は観覧車のように。

楽しみながら、心通う人と、共感できる人たちとつながって
いきたい。

9月6日・7日は新潟にまいります。
こちらの会場にいます。
にいがた防災産業展↓
https://niigata-bousaisangyoten.pref.niigata.lg.jp/

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