ボテロなるものへの思慕。

母が生きた最後の年、せめて楽しいカレンダーを飾って
あげたいと思い、大好きなフェルナンド ボテロの絵の
カレンダーを壁にかけていた。
「これ、おもしろいなあ~」
心身ともに弱りかけていた母にとっても、あの丸っこい
まさに名前のごとく「ぼてっとした」ユーモラスな
絵は、癒しと楽しみになっていたようだ。
太った男女がタンゴを踊っている絵がとても好きだった
ので、今もカレンダーはそのままにしてある。

ボテロの作品を初めて見たのは、海外の美術館だった
かもしれない。釘付けになりながら笑みを浮かべる。
この不思議な感覚。
一度見たら忘れない ふくよかな形とやさしいタッチ。

南米の作家だからなのか、それまでの西洋画とは違う
庶民的な人間の暮らし、人々の生きる活力をも感じる。
私もタンゴを踊る男女や、楽器を奏でている作品が、
とても好きだ。

平和を愛を感じる、まるっとしたボテロの作品。
残念ながらその画家は昨年この9月15日に生涯を終えた。
でも、作品がある限り、ボテロは愛好家にとって永遠だ。

話は少し変わるが、ここのところ朝レタスが気に入っている。
岐阜で仲卸をされている会社が運営する八百屋さんでいつも
調達する信州のレタス。とても大きくて、丸っこくて・・・。
レタスは包丁でではなく、手で1枚づつはがして、ちぎる。
丸いレタスに触れながら、ボテロの絵を思い出す。
毎朝の儀式になりつつあるが、ほんわか幸せを感じる瞬間だ。
丸いモノには平和と愛の神様が宿っているのかと思うほどに
この形に惹かれる。

レタスとボテロ・・・。
面白い関係だと一人で楽しんでいたら、
ある画家の方が、「ボテロを見ていたらパンを描きたくなった」
ということで、まるっこい、大きなパン、まさにパンの肖像画を
描いておられることを知り、興味を抱く。
その方が描く丸いフランスパン(ブール)の絵を写真で見たら、
なんとも焼きたての美味しそうなパンが永遠の命をもちつつ、
そして見る人に幸せを与えているように感じた。
この画家にも今、興味を抱きはじめている。
ボテロとパン。
これも、大変面白い。

ボテロなるもの。
ふくよかさって、しあわせとやすらぎを感じる。

これはきっと叶わない夢に終わるが、
ボテロが生まれたコロンビアのミュージアムを訪ねて
全身ボテロなるものに包まれてみたい。と思う。

愛と平和の証し。
西洋美とはひと味違う、人間愛を感じる。
ボテロから見た、目指す世界があのユニークなカタチに
込められているのだろう。

と、今朝もレタスをちぎりながら、ボテロを想う。

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