もし、自分だったら。と考える。

8月は戦争に関する話題に多く接することができ、
新たな世界をさらに知る機会に恵まれた。
まだまだ、知らないことが多すぎる。
半世紀以上生きてきているのに、なんという無知なのだと
学校の教育にも疑問はありつつ、自分の不勉強も反省しきり。

もし、自分が当時生きていたら、こんな立場であったなら・・・
と考える。
もし、自分が戦争未亡人であったなら・・・。
父親が戦争に行かされ、そのまま現地で亡くなり、
遺骨もみつかっていなかったら・・・。
もし、自分がシベリアで抑留されていたら・・・。
戦争孤児になっていたら・・・。
もし、自分が中国人だったら、アメリカ人だったら、
ユダヤ人だったら、ドイツ人だったら・・・。

いろんなことを想像してみる。
どんな20世紀であったのだ。知れば知るほど驚き、
ショックをうける。
戦争がもたらす、取り返すことのできない苦痛、苦難・・。

経験された先人が絶対戦争はいけないと言っているのに
広島や長崎がその悲惨な例を示しているのに、
それでも、まだ今、人間業と思えない悪行が続いている。

そんな現状のなか、ご自身の御父上が戦死されたジャカルタ島に
何度も通い、遺骨収集を続けておられるご婦人の存在を知る。
もう80歳を越えておられる。自分の親たちと同世代。
ご自身の親だけでなく、同じく同じ場所で戦死された方たちの
遺骨も一緒に収集されているそうだ。
大変な作業であるのに、それを何年も続けておられるその
思いを想うと、もし、自分が同じ立場だったら・・・と思う。
同じことをしているかもしれない。

80年経っても家族の元に帰ることができない多くの人々。
戦争が奪った多くの命のひとりが、自分の愛する、かけがえの
ない存在であったら・・・。

戦争を体験していないことは幸せなことであるが、
その現実を知らないと、平和のありがたみは理解できないと
思う。
だから、もし自分だったら・・・と想像してみよう。
そして、できることを始めよう。

今日から9月であるけれど、終戦80年は終わらない。
引き続き、事実を学び、平和を希求し続けたい。

今日は母の誕生日。生きていたら85歳か。
もし生きていたら・・・となっていることは寂しいけれど、
ずっと忘れない記念日である。
時々戦後まもない時代の話をしていたなあ。
と改めて思い出す朝である。

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